Linux死霊術(ネクロマンシー)


これからの人類社会を生き抜いていくために必要なことは、壊れたもの、使えなくなったもの、誰からも必要とされなくなったものを修復する技術だ。これは大量生産、大量消費、大量廃棄を是とする資本主義社会へのカウンターカルチャーである。
自分で作るか、それとも直すのか。壊れたからといって何の考えも無くものを買い換えるのは、企業の販売戦略に乗せられている従順な消費者の証である。このまま死ぬまで余計に働き、意味のないものを買い、壊れたら捨てて、また新しいものを買い、その金を工面するために馬車馬のごとく働き続ける。それが家畜化した消費者の悲惨な一生だ。
 おれたちは幼い頃から消費者として調教された。本当に必要なものと、あおり立てられた欲望の区別ができなくなり、欲望に駆られて金を吐き出す。牛が乳を出し、鶏が卵を産み、豚が肉を差し出すために品種改良されたのと同じように、我々は使わなくていい金を使うように条件付けされてしまった。
 スマートフォンを使っていると、コンテンツの合間に広告が挟まっているのか、広告を見せつけるためにコンテンツがあるのかわからなくなってくる。短いスパンでスマホを買い換え、人間関係を人質に取られ、フェイクニュースに晒され、ガチャに課金させられる。そのように高度情報社会は我々を調教した。
 この消費社会から完全に脱却することが困難を極めるのだとしても、その影響からできる限り逃れることはできる。そう、Linuxがあればね!

・Linux死霊術(ネクロマンシー)

 使い物にならなくなった古いパソコンを蘇らせる現代のネクロマンシー。それがLinuxの醍醐味だ。マイクロソフトが新しいOSを発表するたびに、必要とされるスペックが引き上げられていく。かつてのミドルスペックマシンも、いまではブラウジングも満足にできない廃棄物と化した。
 そこに救いの手を差し伸べるのがintelだ。Windowsが快適に動く、現代技術の結晶であるCPUを見せる。intelにお布施を払えば、我々は以前と同じく快適な環境でパソコンを動かせるぞ! intel! 瀕死の人間の元に舞い降りる天使! 我々の救済!
 しかしそれは錯覚だった。おれたちが天使だと思い込んでいたものは、死にかけた動物に群がるハゲタカだった。
 かつて、Linux中古蘇生師の男が言った。「古いcore 2 duoの値段が暴落して数百円で買える。これをceleronと交換すれば、過去のハイエンドマシンを作れるぞ!」
 暴落したパーツと昔のパソコンを狙う。それがLinux死霊術の基礎であり真髄だ。
 サバンナのハイエナが腐肉を漁るがごとく、ジャンク品を探す。4GBのメモリと聞いて、Windowsユーザーなら人権侵害と感じてしまう。だがLinux道をある程度たしなんだものなら全く別の答えを導き出す。「わあ! 軽量OSなら快適に動かせるじゃん!」

 Linux死霊術に足を踏み入れたおれが目を付けたのは、intel core i3 550だった。ベンチマーク的には2016年のceleronとあまり性能が変わらない。多少電力消費が大きいのが難点だが、値段は1000円以下のほぼ捨て値で買える。まったく、おあつらえむきだ。(※この時点では内蔵GPUやopenGLなどの対応状況を見誤っており、あとでグラフィックソフトを動かすときに苦労することになります。)
 そして企業リースで払い下げになったパソコンをジャンクで買い(2000円!)、lubuntuをインストールする。途中で「不安定な電流が流れたからマザーボードの方で阻止しておいたぜ。おまえの電源ユニット、ちょっと疲れてね?」というメッセージが表示されたので、電源を新品に買い換える。ここまでで送料込み8000円。そのうちHDDをSSDに換装しても20000円だ。
 自作雑誌によれば、格安パソコンの相場は4~5万円程度だとされるが、Linuxハイエナ蘇生法を習得すれば驚くべき低価格でそこそこ動くマシンをものにできる。
 君はマイクロソフトの呪縛から逃れ、Windowsに費やすはずだった金でパーツを新調もできるし、好きなことに使える。Linuxを触っているあいだに、初歩的なPythonのプログラムなら組めるようになる。無駄にアップデートのために作業が中断されることもない。Windowsでなければオタクコンテンツの頂点であるアドベンチャーゲームができなかった時代もあるが、いつの間にか情報がまったく入ってこなくなった。プラネタリアンの劇場版、面白かったよね……。
 ただトラブルのたびに英語サイトめぐりをして、時間を浪費するときがある。金が掛からないかわりに、トラブルはすべて自分で解決だ。金はないが時間はある。そういう奴のためのLinuxでもある。

・Linuxお役立ち情報

 debian(raspbian)いじっていたけど、慣れない部分が多い。ubuntu系列に比べると面倒な作業が多い気がする。
 ubuntuは有能な執事のセバスチャンが雑用を片付けてくれるところがある。やるじゃない、セバスチャン。至る所で執事さんが、俺の知らないところで仕事を片付けてくれているんだ。debianはこの執事さんがいなくなった状態で、いままで頑張ってくれていたセバスチャンの偉大さをかみしめるようなOSだった。
 windowsが安寧な暮らしを約束される代償に、知らず知らずの間に血を抜かれていく人間牧場であるとしたら、linuxはハンマーと釘を渡されて、「自分が住む家の不具合は、自分で直すんだ」といわれているような感覚がある。