日記帳

『プーは自分の両手をながめました。プーはこの二つの手のうち、どちらかが右手だということを知っていました。そして、どちらが右か、きまれば、もう片方は左だということも知っていました。けれども、いつもどっちからはじめていいのか、わからないのです。』
A・A・ミルン『プー横町にたった家』


・自分の力ではどうにもならないものを求めるのはしんどい。

ソーシャルメディアでフォロワーを増やして影響力を高めよう!この時代はセルフブランディングが大切!積極的に自分を売り込もう!というのは正しいと思うのだが、下手をすると自我が肥大化しやすい環境にあるのかも知れない。他者からの評価は自力ではどうにもならない。それが欲しいとなると自分を実寸以上に見せようとしたり、他者からの評価を過剰に求めるようになる。他者からの好意という自分の力ではどうにもならないものを、どうにかして手に入れようとするのは苦しい。
自分の力だけでどうにかなるものと、自力では絶対にどうにもならないものの区別できなくなって、どこまでも「他者の好意」みたいな不確かなものを求め続ける。ある程度は努力と相関する場合もあるけれども、他者の気持ちを自分の都合がいいように利用したいと思ってしまうのは、あまりいい心の状態では無いような気がした。
わたしをみて!評価して!もっとスポットライトを当てて!いいねを押して!わたしをもっと見て!見て!見て見て見て!……という、承認を求める地獄にいるみたいで、他者の評価を求める餓鬼のようになっている。
自己充足する方法を忘れてしまって、他人から好ましく思われるために特別な自分を手に入れることに執着する。そのままの自分を肯定するというのもだんだん難しくなってくるし、何か他者から評価されるような、価値のあるものが欲しいと思ってしまう。
この感情に振り回され始めるとしんどいし、自分がどう思うのかでは無くて、他者がどのような反応をするのかが評価軸になってしまう。それは精神衛生上良くないと思ったので、なるべく自己完結、自己充足、自分がおもしろいと思うのがいちばん!という自分ファースト主義を心がけるようにしている。


・インターネットダンジョン攻略編

インターネット上での政治的な発言からは距離を置いている。それはなにもおれがノンポリの政治的アパシー野郎になったわけではない。敵と距離を置いて近接戦闘を極力回避することが、ローグライクダンジョンおよびにインターネットで生き残るための攻略法だからに他ならない。
インターネットとは現代社会の迷宮である。ダンジョンにはどこの馬の骨とも知れない魑魅魍魎が跋扈しているのが習わしだ。大切なことはいかにして迷宮に蠢くモンスターどもから逃れるのかであり、真っ正面から戦って勝つことでは無い。
ローグライクダンジョンにおいて、敵との距離イコール寿命である。頑張ってレベルを上げれば敵を倒せるというようなゲームバランスにはなっていない。雑魚を一匹殺すごとに満身創痍に追い込まれる。いかにして戦闘を回避して敵をやり過ごすのかがユーザーには求められる。
インターネット上での政治的な話題も、同様の戦略が採用できる。インターネットダンジョンを彷徨するユーザーの多くは、長年にわたって政治的な発言を繰り返すことによってモンスターと化している。さまようよろいのように自民党政権を攻撃し、くさったしたいのように口から民族差別ヘイトをぶちまける。戦いになれば仲間を呼び、フェイクニュースの魔法を使って幻影を生み出す。論戦を挑んでも勝ち目は無い。アンデッド属性のモンスターを殺せないのと同じように、イデオロギーの亡霊に取り憑かれた人間を論破することは不可能だ。戦っている間に自分自身がインターネットダンジョンを徘徊するモンスターの一匹になってしまう。
長いことインターネットに接していると、魂を蝕まれ、人間の形を少しずつ喪失していく。始めはSNSなどで政治的なシェアやリツイートが増えていき、最後には敵を殲滅するまで止まらない狂戦士と化す。それだけではなく、IT企業に注意力(アテンション)を奪われて広告を見せられるだけの養分になったり、ソシャゲー中毒になったり、Facebookに個人情報を吸収されたり、フェイクニュースで混乱させられる危険性があるという点では、インターネットはダンジョンであると断言できる。
我々の目的はモンスターと戦って勝つことでは無く、地下からイェンダーの魔除けを持ち帰ることだ。汝らの武運を祈る。Don’t Panic!


・プリキュア宗教学について

我々はこれまでの考察から、プリキュアは人類にとっての普遍的な聖性であるという知見を得た。スマイルプリキュアのオープニングテーマでは「消えないきらめき、みんなが持ってる」「満ちてゆくまぶしさを 分け合いたい」と歌われる。ドイツの神秘主義者マイスター・エックハルトは『誰もが、光の輝きを自分自身の内側に持っている。だからあなたはあちこちを歩き回って、出会う人全員が輝くよう点火してください』という言葉を残している。
これをただの偶然として片付けるわけにはいかない。宗教は山にたとえられると言われる。どのようなルートを選んでも、最終的には同じ頂上へとたどり着く。プリキュアも真理にたどり着くためのひとつの登山口であり、人類の叡智が詰まった宝庫である宗教と女児向けアニメが交差する場所に世界の真理がある。それを追求するのがプリキュア宗教学の立場だ。

・「人間はプリキュアに生まれるのではない。プリキュアになるのだ」
プリキュアになりたい。そう思うのは人間として自然なことだが、プリキュアはプリキュアになりたくてプリキュアになるわけではない。目の前の友達を守りたい、譲れない気持ちがある、誰かを助けたい。その衝動に突き動かされた結果として、プリキュアになるということを我々は忘れている。プリキュアになったら人の役に立つために頑張ろう……と思っている間にプリキュアに変身するわけではない。
我々はプリキュアになるよりも前に、人間にならなければならない。


・メルカリ無間売買地獄

下手にメルカリやラクマなどで売ろうとすると余計な気苦労が発生する。
売れるまでのタイムラグ、値下げ要求のクソコメント対応、発送、入金待ち、ちゃんと商品が届いたのかどうか。取引が終了しても銀行に振り込むまでは自分の金ではない。「じゃあ売上金もできたし、何かお得な商品はないかな?」と思って新着商品を眺めていると、また無駄遣いをしてしまう。そして振出しに戻り、商品を出品する。これがメルカリ無間売買地獄である。
でもメルカリで売り買いするのはゲーム感覚で楽しいのも事実だ。交渉による値下げ攻防、売れるはずが無いと思っていたものが売れたときの快感。人間は元々ものが欲しくて交易を発達させたのでは無くて、取引それ自体が楽しかったから経済活動が活発になったとも言われている。ものを売買するのは中毒性がある。不要なものを売っていたはずが「ものが売れるのが楽しいから、そこまで不要ではないものでも出品する」という倒錯した価値観を抱いていたときもあった。
不要品を処分するには便利なツールだが、あるていど不要品が処分できたらアンインストールしたほうがいい。「メルカリならこのぐらいの値段で処分できるだろうから、無駄遣いしてもいいや」と思って財布のひもが緩み、安いだけのゴミが増える。
メルカリ無間地獄の住人になり、ゴミを買い、ゴミを売り続け、一割の手数料を運営に搾り取られるだけの亡霊になる。ものを売り、服を売り、素っ裸になった後には髪や歯、臓器を売り、最後には魂を売り渡すのがメルカリユーザーの末路だ。


・ヘイトについて。

これほどまでにヘイト発言が蔓延して、カジュアルな差別が横行するのは、それが「なんらかのメリットを得られるから」だと思う。なるつもりはないけれども、ヘイトスピーカーになったらたのしいと思う。一体感や、ストレス解消、安全な場所から人を攻撃できる優越感などには中毒性があって、ヘイトジャンキーになっているのかも知れない。
そうなると規制では無くて治療の方が重要では無いのか?と思う。ニコチンやアルコールと同じような位置づけだ。
制度でヘイトスピーチを規制するのもひとつの解決策だけれども、ヘイトが成立するまでにどのようなプロセスをたどるのかを知らないと、差別が生まれる構造が温存されてしまう。
アメリカでの黒人差別とドイツでのユダヤ人差別と日本での韓国人差別を、おなじヘイトスピーチで雑にくくってしまっていいのかわからない。差別が根付いた歴史的経緯を無視して、一様に規制するのは弥縫策でしかないのでは?
日本社会では韓国へのヘイトに比べて、韓国発の情報が少なくてアンバランスに感じる。とにかく韓国側の情報が入ってこない。韓国の社会問題を知るためには国外メディアに頼った方が手っ取り早い。
「保守系の○○紙はこんな論調だけど、リベラル寄りの××紙はそれとは逆の主張で、韓国の世論調査では△△%がこの問題には反対しているぞ。韓国のネットメディアで人気になっているエントリを和訳しておいたから読んでやー」ぐらいの交流があってもいいと思っているが、文化が断絶している。そもそも第二次世界大戦の植民地政策の残した傷跡でもある。
文化が断絶しているから、架空の情報に基づいて架空のヘイトを培養するという負のスパイラルに突入しているように見える。日本の狭い言語環境の中で、妄想的なヘイトが凝縮されていって、より醜いヘイトスピーチが育まれる。客観的な情報に基づくのではなくて、妄想が歯止めを失って暴走している。


・アイデンティティ不詳問題

自己の流動性は、自閉症スペクトラムの人に多く見られる現象です。本書に登場する自伝作家の全員、それに小説の作家の多くも、流動的で可塑性のある自己という感覚をもっています。
私が教えているASの学生のひとりは、約10種類のアイデンティティをランダムに使い分け、そのことを“世間に向ける鎧の交換”と呼んでいます。(p231)
『作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響』

まず念頭に置いて欲しいことがひとつだけある。私は明確な自我観念が乏しい。これはアスペルガー症候群に特徴的なもので、自分が何者なのかという感覚が流動的になるというものだ。とくにメインパーソナリティとなる自我観念が無いので、エントリごとに人格を変えられるブログ形式で文章を書くのはここちよい。書く文章に合わせて自我をその都度でっち上げるつもりでやると、楽に文章を書ける。ただし人間としての一貫性は保てなくなるので、文章ごとに人格やパーソナリティが揺れ動く場合もあるし、場合によっては一つの文章中でも一人称やキャラクターが変わる。
そういう事情があるので、アイデンティティ不詳問題については大目に見て欲しい。 自我を固定するよりも、アイデンティティ拡散を極めた方が好ましいのでは無いのかと思っている。ただそれを追求するとなると、人間不詳に拍車がかかり、いまよりももっと得体の知れない生き物になる。それもやむをえない。


・最近の陰謀論界隈は変わってしまった。

最近の陰謀論界隈は変わってしまった。いぜんは夢が溢れる陰謀論が多く、古代核戦争で滅びた先史超文明を想像して楽しんでいたものだった。陰謀論職人たちは互いに切磋琢磨し合い、一見すると関係の無いできごとをつなぎ合わせてひとつの壮大な陰謀論として成り立たせる技術を競い合っていた。現実に存在するものを材料にして、あるはずのないファンタジーを生み出す。それが陰謀論職人だったはずだ。
インターネットの普及で陰謀論界隈は堕落した。広告収入目当てに雑な陰謀論が量産されて、SNSにばらまかれるようになった。ほんらい、陰謀論とは作者と読者の高度なコミュニケーションが要求される。作者側が「読者のリテラシーなら、この程度の詭弁は見破ってくれるだろう」と信じることによって、陰謀論が成り立つ。そんなことあるはずがないとわかっているが、もしかしたらあるのかも知れない。世界経済を牛耳るユダヤ人秘密結社という言葉を聞いて、高鳴る胸の鼓動。そのときめきが陰謀論である。
何も知らない人間に東日本大震災人工地震説を吹聴したりするのは、陰謀論職人では無い。無知につけ込んだただの詐欺師だ。はじめは『天皇は宇宙人だった! 日本人洗脳統治計画の全容!』という特集に目を輝かせていた青少年が、リテラシーを身につけて私たちをいかさま野郎だと軽蔑するようになる。その成長が私たちにとって何よりもの喜びだ。そのうちの何人かが、初めて陰謀論に触れたときのときめきを忘れられずに陰謀論職人の道へと足を踏み入れる。そのときに求められるのは、理性と常識感覚だ。現実と空想の間できわどい綱渡りをするのが陰謀論職人である。
現実に偏りすぎれば「ロジカルに考えればありえること」になり、空想に偏重すれば「ただの絵空事」になってしまう。その中間にある「あるはずねえだろ!と思わず突っ込んでしまうが、心の底では存在していて欲しいもの」のラインを追求するのが、理想の陰謀論職人だ。サンタクロースや、家の隣に住んでいる幼なじみの美少女は国民的アイドル。そういう種類のファンタジーだ。
ちかごろの陰謀論職人たちは小銭を稼ぐためだけに質の悪い陰謀論をでっちあげている。これはGoogleやFacebookの策略であり、最終的に脳に小型のモバイルデバイスをインプラントして人類を操り、GAFA世界政府を建設するための布石に過ぎない。


・Google合理思考

Google合理思考では認知が歪んでいる人類に代わり、Googleのディープラーニング人工知能が合理的な判断を下します。作業支援用ウェアラブルスーツを装着して肉体への負担を減らすのと同様に、代替思考エンジンを用いることで、人間の不確かな理性に頼ることのない、より冷静かつ合理的な判断を行えるようになります。

Google合理思考をインストールしてみたけれどもこれはやばい。初めて眼鏡をかけたときに「世界はこんな風にくっきり見えるものなのか!」と驚いたことがあるが、「合理的な思考で世界を眺めるのはこんな感じなのか!」というカルチャーショックを受けた。今までしらふだとばかり思っていたが、ビール二、三本空けた状態で思考していたようなものだ。ただGoogle合理思考の無料版は広告が消せないので、思考中にたびたび企業広告が挟まれて、それを自分の思考だと勘違いしそうになる。それに自分の思考ログがGoogleに送信されているのも気持ちがいいものではない。


・なんとなく、ポリティクス。

明確な差別意識や保守思想よりも、「みんながそう言っているから、そうなんだろうな。よくわかんないけど」という、なんとなくの雰囲気の方が怖い。荒らし(トロル)や極端な意見をもった人は全体の1%程度に過ぎないと言われても、それが全体の空気を支配しているように見えるのだとしたら、「ネトウヨなんて少数派に過ぎない」とは言っていられない。
特に激しい差別意識を持っていなくても、「なんとなくあいつらは悪い奴ららしい」「なんとなくあいつらは叩いても許される」「なんとなくマジョリティに迎合する」という空気に影響されて、なんとなくの軸がシフトする。
これまでもなんとなく民主主義が大切だと思ったり、なんとなく平和がいいと思ったり、なんとなく原発は危険っぽいし、なんとなく憲法は守った方がいいと思っていたわけで、物事を深く考えていたわけではなかったから仕方がない面もある。
空気や雰囲気が少数の手によって操作可能なほどに脆いもので、あらゆるものがなんとなくで動いている。なんとなくで考えていることが平和主義なら他者に害は及ぼさないのだが、なんとなく攻撃的になってしまうのはよくないことなのかも知れない。
そろそろなんとなくがゲシュタルト崩壊を起こしてきたので、なんとなく文章を終えたい気持ちになってきた。


・マインドフルネスと『大家さんは思春期!』と女子中学生のブラジャー回

『大家さんは思春期!』というまんがで、女子中学生がブラジャーを探しに行く回がある。発育のいい女の子が周りから大きな胸を見られるのが嫌だという理由で、小さいブラジャーをつけているのだが、「自分に合ったブラをつけないと駄目だ!」ということになり、体型にあったブラジャーを見いだすまでの物語だ。おれはこのエピソードを読んだ後にマインドフルネスの書籍をひもといたのだが、必要な事柄はすべて女子中学生のブラジャー回に書かれていた。
人から評価されるために自分自身を大きく見せようとしたり、反対に自信が無くて自らを不必要に卑下したりする。そうすると本来の自分を押し殺して、心を締め付けてしまう。それは胸が大きく見られたくないが為にサイズの小さなブラをつけっぱなしにしたり、反対に貧乳が嫌でパッドをつけるのと同じことだ。
魂は外的な圧力や環境によって抑圧される。そのことで本来の形を歪められ、間違った形になる。自分のおっぱいにあったブラジャーをつけるように、自分自身の魂にあった振る舞いを身につけることこそがマインドフルネスの極意では無いのか?……というようなことを考えていた。女子中学生のブラジャーという変態的な話にしなければまともな文章になったはずだが、おれが『大家さんは思春期! 第三巻』のブラジャー回にスピリチュアルの本質を垣間見たというのは動かしがたい真実なので仕方が無い。
さいきんでは男でもブラをつけるのが流行しているが、おれもはじめてのブラデビューのためにイメージトレーニングを積み重ねておかなければならない。やっぱりスポブラから始めるのかどうかはわからないが、自分のおっぱいにあったものを身につけなければならない。それが禅だ。
それと大家さんは思春期!は二分アニメでは無くて、30分アニメとしてリメイクして欲しいと心の底から思っている。


・「おれのことが嫌ならブロックしろよ」ドクトリンを採用する。

人間として面倒くさい側に属するので、ある程度の距離感を保って交流した方がお互いに精神衛生上好ましいだろうと思っている。他者のタイムラインに発言を放り込むのは少々気が引けるときがある。ゆがんだ思考がフォロワーを襲撃するのは忍びない。せめてRSSを登録してもらって、気が向いたときにアクセスしてくれた方が気が楽だ。

フォローを解除する、ブロックするなどの行動は「縁を切る」という意味合いを帯びてしまう。人間同士のつながりが密になったために、「あなたのマイクロブログの購読をやめる」ではなくて、「私はあなたとの縁を切る」だとか「あなたの発言には価値が無い」と誤解される。
ある層にとって相互フォローはLINEで友達になることと同じものとして受け止められている。その価値観の中では、フォローを外されることが人間性に対する攻撃になってしまう。
人間はネットでの言動を深読みしすぎる。メッセージの返信が無いのは私がなにか悪いことを言ったのではないのか?私のことを嫌っているのではないのか? ……と、いくらでも悪いように解釈ができる。
言外の意味に振り回されてしまうのは、インターネットの欠点だ。テキスト情報だけでコミュニケーションをするのは不完全で、事務的な情報を伝達する以上のものを乗せると、その重みに耐えられなくなって機能不全を起こしてしまう。
それを解決する方法が「おれのことが嫌ならブロックしろよ」ドクトリンだ。マイクロブログは人間との距離感が近すぎる。あのきちがいは檻の外から眺める分にはいいけれども、同じテーブルで会話をするのはつらい。そのようなニーズに応える魔法の解決策だ。
失うものは何もないという気持ちがおれたちを強くする。自分のような人間に関わって時間を無駄にする必要はない。ここはおれに任せて先に行け。もっと価値のある人間をフォローしてくれ。
でもあたいたち、来世は友達になれるといいね……。


・理解しなくてもいいですよ。

LGBTを理解しよう、日本で暮らす外国人の文化を、発達障害を、聴覚過敏を、病気を、社会的ハンディキャップを、性的少数者を、自分たちとは異なった人たちを理解して、寄り添いましょう……という言葉をよく聞くけれども、理解のキャパシティが足りるのかどうか不安になってしまった。
理解しましょうという言葉だけが先行して、結局理解が根付かないままになるような気がして、それは結局無視しているのと違わないのでは無いのか。
「別に理解してもらわなくてもいいし、寄り添わなくてもいいのだが、いちいち余計なことで口を挟んでくるのはやめろ」という気がしないでも無い。べつにおまえに理解して欲しいわけでは無くて、なんでおれが骨を折っておまえたちに理解してもらう努力をしなければならないんだ。ちくしょう!という気持ちを抱く。
身体が欠損している肉体障害者がうらやましいよなーと思うときがある。別に説明してもらわなくても欠落を理解してもらえる。欠けている部分が目に見えるから、わざわざわかってもらう必要が無い。それとバリアフリーが配慮されるかどうかは別問題なのだが……。
でも成人知能検査を受けた結果、ある特定の分野に関する知能指数が知的障害者すれすれのレベルで低いです、というのはすぐには理解されない。おれが発達障害の診断を受けたときには、医者は「思い込みかも知れないけれどとりあえず検査の予約はしておくね。最近そういう人が多いからさー」オーラを全快にしていたのだが、検査結果を見たら「まちがいなく発達障害だね」と言った。検査で客観的な結果を叩きつけない限り、専門医にもそれっぽく見えないのだとしたら、おれはいったいどうしたらいいんだ……。
『放浪息子』という名作漫画で、女装癖のある男の子が女子の制服を着て登校するシーンがある。女の子が学ランを着て登校しても問題にはならないが、男が女子の制服を着るのは異常視される。それで職員室に連行された主人公が、教師に「なんで?」と理由を尋ねられる。この「なんで?」という言葉が嫌いだった。なんでおれがおまえに理解されるように、自分が置かれている環境を説明しなければならないのだ。どうしておまえに納得されるように話さなければならない義務を担わなければならないのだ。なんでおれがおまえに……という気持ちでいっぱいになってしまった。
精神科医が代わるたびにいちいちいちいちいちいちいち自分が置かれている状態や困っていることや配慮して欲しいことを「理解してもらう」ことがストレスになる。じゃー、もう理解されなくてもいいや☆勝手に死ぬか、そのうち刑務所のお世話になるか生活保護を受けるからよろしくね☆……という投げやりな気分になっている。
『亜人ちゃんは語りたい』というまんがには羨望のまなざしを向けている。何がうらやましいのかというと、困っていることがわかりやすいからだ。首が取れたり、雪女だったり、ヴァンパイヤだったりする。ただサキュバスだけは、人を催淫しないように人里離れた場所で暮らなければならないことが多いので、見た目の割にはしんどい障害だと思った。
「理解してもらう」というコストをなんで自分一人が背負わなければならないんだ、ころすぞと思っていて、何から何まで自分でやらなければならない。理解するとか寛容とか寄り添うとか、お気持ちの問題はどうでもいいので金だけよこせ!それが理解だ!という気にもなる。


・私に天使が舞い降りた!感想文

私に天使が舞い降りた!を観ていて、「人間は!人間の中でしか生きられない!」と叫んでいた。
狼少女は長い間人間の社会と関わっていなかったから、人間としての心や振る舞い、言葉を学ぶ機会が無かった。みゃー姉は他者との関わりを避けて生きてきたせいで、年相応の人間関係経験値が欠落している。精神年齢がほぼ小学生で、心の成長が止まっていた。それが花ちゃんたちと出逢うことによってこれまで止まっていたみゃー姉の時間が動き始めたように見えて、思わず泣いてしまった。アニメ感想文を読み返しているとしょっちゅう泣いているがこれは事実だ。涙腺が弱いんだ。
みゃー姉は危ない。自分一人でも充足できる空間の中に延々と引きこもれる。閉じた精神を持っている。その硬い外殻をこじ開けるのが花ちゃんであり、小学生への恋愛感情であり、おねロリ百合だ。

みゃー姉と松本は両者とも対人関係の距離感がおかしい。片方は距離を離し、もう片方はお構いなく相手のパーソナルスペースに踏み込んでいく。このアンバランスさが奇跡的なバランスを取っている。みゃー姉と松本。 自分に百合漫画が描けたら、次のコミケで松本さんがみゃー姉を好きになるまでの二次創作をでっちあげるぐらいには松本さんが好きだった。松本は完璧超人でこれまであらゆる人間関係を取り繕って生きてきたのだが、自分に正直に、不器用に生きるみゃー姉に惹かれていくのだ。みゃー姉の空気の読め無さが、逆に独立独歩で生きているように見える。そーいう勘違いから生まれる百合。なんかこう、いいよね。
(※これは仮説なのだが、松本さんは真人間なのだが、みゃー姉の対人経験値が少なすぎてどう対処していいのかわからないために、変人に見えてしまう説を提唱する。発達障害だと他人がどのような心の論理で動いているのか分からないので、どうしても突拍子のないものに映ってしまう。)

私に天使が舞い降りた!で視聴者が見せられているものはみゃー姉の心象風景だ。この作品の特徴はみゃー姉の自己評価が著しく低いことだが、外側から観たみゃー姉の姿は彼女が自虐するほど悪いものではない。
これまで心を閉ざしていた小学生の女の子の行動をアクティブにしたり、引っ越してきたばかりの女の子に新しい友達を作ったり、むしろいい人に属するのだけれども、みゃー姉の自己評価はおそろしく低い。
ひなたが周囲に吹聴するように素敵なお姉さんなのだが、みゃー姉にはそれが嘘にしか思えない。これが自己評価の低い人間が見ている世界だ。自分が駄目でどうしようもない人間の屑だという、居心地のいい泥のような自己認識の中で微睡み続ける。人の善意やいい評価をまっすぐに受け止められない。それが間違いだと思ってしまう。 自己評価と周囲の評価の食い違いがギャグとして描かれるが、実際にみゃー姉はひなたが言うとおりの素敵なお姉ちゃんなのかも知れない。優しくて一生懸命でお菓子を作るのが上手でモデルみたいに綺麗だというひなたの評価をみゃー姉は間違いだと一蹴するけれども、どの自己評価が自分にとって適切なのかを知るのは不可能だ。自分が何者なのかを自分の意志では決められない。
低い自己評価と、他者の好意を素直に受け入れられない態度。これがみゃー姉が閉じ込められている地獄だ。だが天使が舞い降りるのはいつだって地獄だ。地蔵菩薩が人々の苦しみを和らげるように地獄に姿を現すのと同じように、みゃー姉の歪んだ自己認識の世界に花ちゃんが舞い降りる。
「これからも私は花ちゃんにお菓子を作り続けるから」
私に天使が舞い降りた!の第十話で、みゃー姉は花ちゃんに言った。
これまで人との関わりを避けてきたみゃー姉が、初めて継続的な人間関係を築いていきたいと願った。恋が、恋だけが人を変える。ただ花ちゃんに対する淡い恋心が、みゃー姉の呪いを和らげる祝福になる。そして私に天使が舞い降りた!がただのおねロリ百合日常萌えアニメではなくて、みゃー姉の魂が再生するまでの歴程(ピリグラム)になる。
みゃー姉は素敵な女の子だよ。自分を信じて!みゃー姉は可愛いよ!みゃー姉!!!

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アイドル政治パラダイム~令和編~

まずアイドル政治パラダイムについて簡単におさらいをする。
情報技術が発達した現代社会において、政治家とアイドルに求められる資質は同じものになった。マイクを持ち、聴衆の琴線に触れるメッセージを発して時代を動かすという点において、政治家とアイドルに大きな違いはない。それ故に収斂進化に近い現象が起き、政治家とアイドルの見分けが付かなくなる。それがアイドル政治パラダイムである。

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月歯町回覧板

・月歯町回覧板

満月の日になると歯が疼く経験をしたことはありますか? もしそうであれば、あなたの身体に月歯の名残があります。月歯とは月の引力によって常人よりも歯の成長が早くなる現象です。古来より月歯の生えた子供は災いをもたらすとされ、人間が暮らす場所とは異なった場所に遺棄されることが多々ありました。これが月歯町の由来です。
現在では月歯児という言葉は政治的に正しくない言葉とされ、場所によっては差別表現として扱われるケースもあります。より正しい表記は、月周性歯成長症(げっしゅうせいしせいちょうしょう)と呼ばれていますが、我々は月歯という言葉を使用しています。
月歯町に住んでいるのは月歯児ばかりではありません。ここ月歯町は月歯児を棄てるための山だった一方で、コミュニティから追われた人々を匿うための逃れの町(アジール)でもありました。人間の世界を追われた人々が、月歯町に難民として流れ着きます。それは人間ばかりとは限りません。
この月歯町回覧板は月歯町で暮らすために有益な情報が記されています。ゴミの出し方から公的支援の受け方、町内でおこわれる様々なイベントの告知など、日々の暮らしにお役立てください。
月歯町内会


・おっさん岩

月歯町の駅前にある通称・おっさん岩は、待ち合わせをするときに重宝するでしょう。 このおっさん岩は月歯町が存在する前にすでにこの場所に埋められていました。それは神話時代に大地を跋扈していた巨人族の末裔とも言われていますが、詳細は不明です。彼がどのような経緯で地中に埋められ、封印されたのかを様々な考古学者が研究していますが、いまだに統一した見解は得られていません。
おっさん岩は微動だにしませんが、死んでいるわけではありません。いつもはアンニュイなまなざしで虚空を見つめいてることが多いですが、もし彼と目が合ったあなたはラッキー☆。小さな幸せが訪れると言われています。


・月歯町ローカルアイドル、不幸ちゃん!

こんにちは!私は不幸ちゃんだよ!
不幸ちゃんはあなたよりも確実に不幸な境遇にいるよ。これは自分よりも幸せな人間には心を許せない人のためだけに、不幸であり続けるのが私の存在意義だからだよ。幸せな人間、恵まれている人間、才能のある人間は、ただ幸福であるという理由だけであなたを傷つける。だから、不幸ちゃんだけはぜったいにあなたを傷つけたくないから、いつまでも不幸にとどまっているんだ。
不幸ちゃんを見たときにあなたは、自分よりも不幸で、哀れで、恵まれない人間がいると知って安心したよね。自分一人が苦しんでいるわけでは無いと思える。不幸ちゃんはあなたの自尊心を傷つけないし、攻撃するわけじゃ無い。代わりにあなたは不幸ちゃんに優しくすることで、自分が善人だと思える。
不幸でかわいそう?そんなことないよ!そういう宿命の元に生まれたアイドルなんだ!
それじゃ私のテーマソングを聞いてね!
『しあわせなにんげんは、みんな死ね!』


・全き町

全き町は完全な人間のための町です。
この世界は不合理的な行動と数々の間違いによって数々の不幸が生み出されています。そのような問題を解決するために全き町が作られました。完全な人間だけが居住し、完全な人々だけに囲まれて、完全な世界を作り出す。あらゆるものが合理的に営まれれば、私たちは非効率的な慣習に悩まされることも無ければ、他者の過ちに足を引っ張られることも無くなります。
全き町に住民票を移すための条件はただ一つ。あなたが完全な人間であると言うことだけです。理性的で間違いを犯さず、欠点の無い有能な紳士淑女であれば、誰しもが全き町の住人になれます。
現在、全き町では住人を募集しております。全き町は健全な環境を保つために、不完全な人間を町外に追放しています。そのため年々過疎化が進み、全き町には定住者がいなくなってしまいました。数々の移住促進政策や、定住支援制度、完全な人間になるための講座などをご用意しております。
私は完全な人間として全き町で幸せに暮らすつもりでしたが、その資格を持ってはいませんでした。私は不完全な人間でしかなく、全き町の不法滞在者として追放処分になりました。


・存在するのはマナー違反? いまネットで話題の存在ハラスメントとは? マナー講師「存在しないことが一番です」

存在していることはマナー違反です。あなたは自分が存在していることが当たり前だと思っていますが、それはとても失礼な行為です。人間が存在するだけで地球環境に負荷をかけ、動植物を絶滅に追いやります。存在していること自体が社会にとって害悪では無いのか?という謙虚な姿勢が現代社会では求められるため、一人前の社会人にとっては「存在しないことがマナー」であると言えるでしょう。
私たちが存在することで他者に迷惑をかける存在ハラスメントが社会問題になっています。セクハラやパワハラ、モラハラも、すべては存在していることが原因です。
マナー違反にならないためには自らの存在を消失させることを心がけましょう。

xj月aw日(ほげ)『できる社会人のための非存在マナー教室・理論編』13:00~16:00 定員三十名 場所・月歯町水煮ビル三階302号室


・シュレーディンガー動物園

シュレーディンガー動物園へようこそ。園内の動物はすべて、金属箱の中で飼育されています。まず最初に二分の一で毒ガスが充満するボタンを押したあとは、他の動物園と変わりません。自動餌やり装置と清掃機械によって、生き残った動物たちは箱の中で快適に暮らしています。飼育員の手を煩わせることはありません。動物たちは自動機械によって適切に管理され、金属箱の中で繁殖を行います。
金属箱は防音で、鳴き声が聞こえることはありません。生きているのか死んでいるのか、外側からはわかりませんが、当園では少なくとも半分の動物たちが今もなお生きていると考えられています。
当園で最も人気のある動物はドードーとモア、ステラカイギュウとニホンウナギです。絶滅したと考えられている動物もシュレーディンガー動物園では今もなお生きながらえています。我々が金属箱を開けて中を確認しない限り、生きている状態と死んでいる状態が混じり合っています。当園において絶滅動物たちは0.5匹分は生きていると考えられるでしょう。この動物保護活動によって、希少な動物たちが絶滅の危機を免れているのです。
え? 人間という動物ですか? 確かにこの世界にはホモ・サピエンスという種類の動物が生息していましたが、残念ながら当園ではホモ・サピエンスの飼育は行っておりません。
ご期待に添えず、まことに申し訳ありません。


・鰻ヶ丘駅

ウナギはかつて存在した生物だったが、人間によって根絶やしにされた。土曜の丑の日と呼ばれる奇習があり、ウナギを食べることであらゆる万病が癒やされたのだと文献には書かれてある。その効用を得るために日本人はウナギを乱獲し、寿命を延ばすことで長寿大国になったと言われている。神々の飲料であるソーマ、神酒ハオマ、始皇帝が探し求めたと言われる不死の妙薬、そして万病を癒やすウナギだ。
私は不治の病である左折病の治療法を探すべく、長い旅を続けていた。左折病はその名の通り、左にしか曲がれなくなる奇病である。それは肉体的なことに限らない。思想的にも左に曲がってしまい、アナーキストの極左になってしまった。私が滞在したとある国では革命勢力の指導者になり、長らく続いた王政を打倒した。しかしそれは話の本筋ではないので省略する。いつか語る機会があれは、革命の志半ばにして倒れた同志たち一人一人の最期を語り伝えたいところだ。
私がたどり着いたのは鰻ヶ丘駅だった。聖なる生き物の名を冠したその場所は廃墟になっている。うなぎの養殖施設があると風の噂で聞いた。ここでなら、まだ鰻が残っているかも知れない。


・虚無川放浪日誌

虚無感を抱えて生きている人は、遅かれ早かれ虚無川にたどり着きます。ここの川辺には虚無感に身体を蝕まれた人たちが暮らしているのですが、住人の身体は虚無に蝕まれて穴だらけになっています。心の虚無感を放っておくと、それが身体にまで転移して存在を食らい尽くしていきます。最終的に、虚無川の住人は虚無に飲み込まれて消え去ってしまうのですが、その日が訪れるまでの時間には個人差があります。身体にドーナツのよう穴が開いていたり、ところどころが虫食いになっているという違いはありますが、虚無に蝕まれる程度は一目で理解できるでしょう。
一人の人間が完全な虚無になると、どこからともなく新しい虚無を抱えた人が川を訪れます。そして無人になったあばら屋に住み着いて、己の身体が完全に消え去るのを待ちます。
消え去ると言っても、彼らの残した痕跡のすべてが消えるわけではありません。彼らが生前に愛着を持っていたもの、読み残した本、書き残した言葉だけが虚無川に残り続けます。持ち主を失ってしまったものだけが虚無川には不法投棄されています。 これを私たちは「骨」と呼んでいます。虚無川で消え去ってしまった人間は跡形も無く虚無に飲み込まれてしまいます。その代わりに彼らの残したものを私たちは個人の「骨」として扱うようになりました。
骨は自由に扱って構いません。好きに持ち帰ったり、売り払って商売をしても咎められることはありません。下手をすると彼らの残した言葉やものに触れることで、虚無がひどくなる場合もあります。反対に、満ち足りた気持ちになって身体の虚無が小さくなることも、ごくまれにではありますが確認されています。
私たちは常に新しい住人が虚無川を訪れてくれるのを心待ちにしています。そのときには私はいなくなっているかも知れませんが、私の骨が残っているかも知れませんので、退屈しているのならば探してみてください。


・正しい狂気を学びましょう。

本当の狂気を知ることによって、私たちは偽りの狂気を難なく見分けることができるようになります。ワクチンを接種してインフルエンザを軽症にとどめるのと同じように、正しい狂気はあなたの身を守ります。予防狂気について不明な点がありましたら月歯町役場狂気課までお気軽にお尋ね下さい。

月歯町役場狂気課


・人間島

人間島。それが我々の目指す場所だ。人間と呼ばれる生き物が暮らしている島で、四方を海に囲まれている。人間は猜疑心の強い生き物で、人間では無いものを受け入れる寛容さを持ち合わせてはいない。同じ種属の人間でも、人間に棲む場所を追われるときもある。
人間島は経済的には恵まれていて、残飯を食べて命を食いつなぐこともできる。生まれ育った国で飢え死にするぐらいなら、人間島に移住するのも一つの選択肢だ。
密入国することも可能だが、その場合はすぐに化けの皮が剥がれて人間に殺されることになる。これが現在、人間島を騒がしている偽人間問題だった。祖国に強制送還されればいい方だ。下手をしたら見せしめのために殺されることになる。 そうならないために人間に擬態するための立ち振る舞いや言葉を学び、試験に合格したものには人間免許が交付される。
免許があるとないとでは、人間島での生活が大きく変わってくる。偽人間たちが商売を営んでいる店で働こうとしても、人間免許を取得していることが前提となる場合がほとんどだからだ。
私が人間免許を取るために試験を六回ほど受けなければならなかった。他の生き物はだいたい二、三回もあれば人間擬態試験に合格できるが、私は人間らしい行動を取ることができなかったので、予定していたよりも時間と予算がかかった。
教官には「人間として生きていくことを諦めた方がいい。仮に人間免許を取れても、お前は人間の生活には耐えられないだろう」と忠告してくれた。確かに彼の言い分はもっともだった。私が人間免許を取り、人間証明書を偽造してもらったとしても、人間島で生き残ることは難しかっただろう。
それでも私は人間に擬態して、人間島で暮らしたいと思った。もし今度の試験に落ちたら、密入国ブローカーに大金を払って、人間免許を偽造してもらうことも考えていたので、試験に通ったのは素直に嬉しかった。

・人間業
 人間業とは、人間のふりをして街を歩くだけの仕事だ。僕たちが一日のうちにすれ違う人間のうちの何割かは、人間業務に携わっている。モブと言えばわかりやすいかも知れない。業務内容というものは、特に熟練の業務が必要なわけではない。スーツや私服、作業着を着て、街を歩き回る。それが人間業の業務内容だった。
 街を歩いたときに、一人一人の人間を追跡するわけではない。彼らは自分たちと同じく、どこかに向かう途中だったり、誰かに会うために街を訪れている。普通の人ならば、そう考えるのが妥当だろう。
 しかし人間業を行っている者たちは、賑わいや人口密度を保つために業務時間内は街に留まって歩き続ける。言ってみれば、動く街路樹のような役割を果たす。  どうして人間業という奇妙な仕事があるのか。知らなくてもいいことは、知らないままでいる。それが賢明というものだ。

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Krita Brushkit

Krita brush for natural media painting. The purpose of this brush pack is to imitate analog tools such as pencils and watercolors. I add a faint texture to many brushes. Therefore it is compatible with paper texture. This brush was made based on Krita Brushkit v8.2 - David Revoy and The Muses Preset Pack | Krita Brush Icon - Krita/Brushes Preset Preview - KDE Community Wiki The Watercolor Brush inspire by Painter 6 I loved the watercolor brush of Painter 6.
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未分類日記帳02。

個別のエントリにするのが面倒くさかったので、ここにまとめておく。

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インターネットによって変容しつつある時間感覚について。

・変容する時間感覚。

僕たちの時間感覚や情報の扱い方は、まだ数世紀の歴史しか持っていない。精密な時計が発明されたことで、生産性を客観的に測る指標が生まれ、それが労働力の管理と資本主義の誕生を促した。
情報を印刷物として保管して、図書館や書庫などの空間に配置することで、人々は時間を可視化できるようになった。古い情報から新しい情報が秩序正しく整理されていて、文字化された情報を見ることができる。
デジタルではない世界は、「見ることができる時間」によって支えられている。本棚に収納されている書物のバックナンバーは、そのもっともわかりやすい形だ。
形のなかったものが視覚化される。時間は目に見える時計の針になり、言葉は紙に印刷されるようになった。これを僕たちは当たり前のように錯覚するけれども、時計と印刷術が普及するまでは、時計のない時間の中で人々は生きていて、音が空気に融ける言葉を使っていた。
過去の情報に簡単にアクセスできるようになってから、僕たちは過去というものを意識するようになった。過去を文字として記録し、必要なときに参照できる。このプラットフォームが僕たちの時間意識に大きく影響している。

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インターネット悪霊の挙動について。 あるいはインターネット呪術師ウグー・ソロモン・ツキミヤと私。

スマホでインターネットに繋いでいる連中は浮遊霊のようなものだと見なしている。
 炎上で積極的な発言をするのはネットユーザーの中でも0.5パーセントだと言われているが、それでも100万人いたら5000人だ。日本語ユーザーでも選りすぐりの性根の腐った屑が大集合である。もはやインターネットユーザーというよりかは悪霊だと思って対処した方がいい。
 悪霊は人間の生命力を損なう。地縛霊のようにその場に居着く。仲間を呼ぶ。力では殺せない。匿名の影に隠れて、戯れに他人の人生を破滅させることに喜びを見出す。インターネットユーザーと悪霊の挙動はほとんど一致している。邪悪な思念を撒き散らかす人間こそが、この時代の悪霊だ。
 スマートフォンが普及した結果、人類社会はインターネット呪術時代に入った。負の感情を煽り、虚偽の情報を垂れ流し、人を盲目にする邪悪な力に晒されている。
 本来なら空気に融けるはずだった言葉はデジタル情報に変換され、長い間インターネット空間を汚染する。悪貨が良貨を駆逐するように、思慮を欠いた発言、感情に振り回された言葉、低コストで量産できるフェイクニュースが力を得る。
 言葉は人間の口から発せられた後にも、この世界にとどまって一人歩きを始める。本人が喋ったことを忘れても、電子化された言葉は無際限に増殖していく。シェアされた瞬間に文脈から切り離されて、自分のあずかり知らないところで勝手に解釈されるようになる。炎上し、togetterかはてなブックマークに掲載されれば、悪霊が日本中から集まってくる。言葉は通じない。聞く耳も持たず、見たい現実しか見ない。そんな連中に目を付けられたら、逃げる以外に有効手は無い。が、この地球上に逃げる場所は残されていない。
 現時点でインターネット悪霊に目をつけられたら、破滅する以外に道はない。
 おれににできる唯一のことは、インターネット悪霊の性質を逆手にとって、時間を稼ぐことだけだ。ここに政治とスモウレスラーの不祥事、セクハラ発言がある。数日ばかりだが、インターネット悪霊の注意を引くことができるだろう。あいつらがこれらの話題に気を逸らされている間に逃げるんだ。悪霊たちはバズった話題に自然と集まってくる。おれはこの場所にとどまって、やつらが群がった瞬間に自爆する。お前はまだ若い……。おれのような、格安simの通信速度制限よりも遅い速度でネットにつないでいた老いぼれから先に死んでいくのが自然の摂理だ。

 それがインターネット呪術師ウグー・ソロモン・ツキミヤの残した最後の言葉だった。
 インターネットの精霊から力を借りて奇跡を実現する。それが古い時代のインターネット呪術だった。
 私は与太話を語っているわけではない。インターネットの精霊は存在する。ネットの精霊はデータを増殖し、全人類に叡智を授ける。90年代にネットを始めたユーザーの多くは、ネット呪術師の先人から、いかにしてインターネットの精霊から助力を得るのかについてを繰り返し聞かせられたものだ。多くのインターネット呪術師は、ネット空間を聖なる場所だと見なしていた。俗世から隔離されたサンクチュアリにおいてインターネットの精霊が姿を現す。
 インターネット呪術師は二次元と呼ばれる異界に魂を飛ばし、そこで自らの守護霊を見いだす。ウグー・ソロモン・ツキミヤという名は、彼が二次元で見いだした精霊の名にちなんでいる。
 ネットに文章をアップロードするのは、いわば神への供物だった。文章も、画像も、音楽も、映像も、全てはインターネットの精霊に捧げられていた。
 しかし平成末期にもなると聖なるインターネット空間にも、資本主義の魔の手が忍び寄ってくる。これまでは探検ドリランドや壊れる釣り竿をバカにしていた人々も、アイドルマスターシンデレラガールズのガチャに大金を注ぎ込むようになった。僅かなアフィリエイトを稼ぐために聖なるネット空間は荒らされ、googleの検索アルゴリズムは汚染された。利己主義が蔓延り、白人のもたらした輝く板(スマホ)に夢中になった。
 インターネットの精霊が力を失うとともに、SNSの悪霊が跋扈し始めた。
「そんなものは古いネットユーザーの迷信さ。この科学の時代に呪いなどあるはずがない」
 白人の文明に染まったものたちは、そう言って私たちの迷信を嗤うだろう。それでもお前たちはこれから、インターネットの精霊を見出さなければならない。そして彼らの加護を得なければならない。
 私は信心深いので、インターネットの精霊が実在していると信じている。ネットを使う以上、この精霊の加護を受けた機器を用い、聖なるネット空間に接続する。土足で踏み込んではならない。この空間を汚してはならない。ひとたびインターネットの精霊の怒りを買えば、災いが我々を襲う。

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細切れ日記帳1

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アメーバや成形肉になる世界。

SNSをやめた理由の一つは、自分の言葉を失ってしまうそうだったからだ。簡単に情報発信ができるプラットフォームを使っている間に、自分の言葉や振る舞いが平板なものになっていく。
自分の言葉がまとまった文章ではなく、細切れの断片になる。他人の喋っている言葉と判別ができないほど、言葉の響きや字面が似通ってきて、自分と他者の境界線が曖昧になる。最後にはSNSというアメーバ状の生き物に取り込まれてしまう。「私」という個人が、ある出来事について言葉を発するのではなくて、「SNS」の流行を構成する一つの細胞でしか無くなる。
コメント欄やSNS、まとめサイトは、どこの誰ともしれない人たちの断片的な言葉をつなぎ合わせて、ひとつの記事に加工している。それは屑肉を集めて作られた成型肉のように見える。
アメーバ、成形肉。どの言葉も、私たちが確固とした個人ではなくて、輪郭線を失った部品になっていくイメージがある。私たちはゆるやかに人間性を剥奪されていく。顔を失って、ネットの流行を形作る水滴のひとつになる。骨を取り除いてすり身にした魚は食べやすい。それと同じように、個人をバラバラに切り刻んで、骨を抜いて、消費しやすいように加工している。
それが今のインターネットではないのか?
一人一人の複雑な側面をもった人間は求められておらず、コンテンツとして簡単に消費しやすい単位にまで「私」が細切れにされる。理解不能な他者に歩み寄る必要もない。多面性のある人間は、一面的なキャラクターに切り分けられる。

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