・極東蛮人国家ヤーポネ見聞録。


極東蛮人国家ヤーポネは民主化に失敗して、自由民主主義や人権などの価値観が根ざさなかった極東の封建主義国家だニャ。戦前の社会構造や非近代的な風習がいまだに温存されているのに、自分たちが先進国の一員だという誇大妄想にとりつかれているニャ。
ヤーポネ政府の基盤は戦前の社会体制を流用しているニャ。兵隊を育成する精神論がいまもなお、学校教育での部活動や企業社会のなかで生き延びているニャ。いまだに警察や検察は戦前の憲兵隊や思想警察時代の慣習から脱せずにいるニャ。そのために高圧的で国民を国民だと思わない人権侵害的なアプローチを採用していて、そのたびに諸外国から非難を浴びているニャ。人権感覚は中世とおなじぐらいだニャ。暗黒国家だニャ。

ヤーポネには人権意識がまったく根付かなかったので、人間の命はとても軽いニャ。ハラキリ、カミカゼ、カロウシ、ジサツなどといった自分の命を軽く見る思想が社会一般に行き渡っていて、自分にも他者にも厳しい態度で接する人が多いニャ。
ヤーポネ国民は政治的無関心が美徳だと信じられていて、権力者に黙って服従することが素晴らしいことだと小さい頃から教え込まれているニャ。
ヤーポネでは政治と宗教の話題に触れることは社会的禁忌とされていて、政策に対して反対を表明した芸能人が追放されるなどの制裁が一般的になっているニャ。
ヤーポネでは「個人が自分の意見を持っていい」という価値観が無いニャ。「周囲の人たちを観察して、悪目立ちしないだけの意見しか持ってはいけない」という訓練を初等教育の頃からたたき込まれるので、自分の意思を主張する前にコミュニティから浮かないかどうか?をひどく恐れるニャ。これは四方を海に囲まれたヤーポネの地理に起因するもので、昔のヤーポネ人は所属するコミュニティから排除されたら行く場所が無かったんだニャ。だから正しいことを主張するよりも、己の信念を曲げてでも集団に所属することを最優先にしなければならないという本能が遺伝子に刻まれているのかも知れないニャね。
よくヤーポネは和の国(ランド・オブ・ハーモニー)と言われているけれども、これは集団の凝集性を維持するためなら、簡単に法律も人権も善性も道徳も人間らしさも投げ捨てることを意味しているニャ。和を保つことは善き人間であることよりも重要だニャ。
ヤーポネ国民は自我を殺さなければならないという抑圧の元で生きているので、ストレス発散のためのスケープゴートを必要とするニャ。社会が敵と見なした人間はどこまでも傷つけていいという残虐性を持っていて、制裁を加える過程でブレーキがきかなくなってしまうニャ。
ヤーポネの社会で暮らすときには、出る杭を打つタイプのゆがんだメンタリティをもった人間からいかに逃れるのかが喫緊の課題になるニャ。この種類の人間は社会のいかなる場所にも潜んでいて、戦前は非国民をあぶり出し、反権力的な人間を密告することで卑小な優越感を満たしていたニャ。ヤーポネ国民にとって一番の敵はヤーポネ国民だと言われるゆえんだニャ。
ヤーポネ国民は極めて差別意識が強くて、少しでも異質な人間が混じると全力で排除しようとするニャ。
個人主義という概念を理解できなくて、政府のプロパガンダによって簡単に行動を左右されてしまう程度の情報リテラシーしか持っていないニャ。教育制度がずさんで理科離れを引き起こし、偽科学やフェイクニュースに対する免疫が無いまま大人になってしまった人たちが多いニャよ。
儒教から影響を受けた権威主義と、閉鎖的な島国根性と、勉強不足からくる国際常識の無さと、情報技術の発展によって煽られた排外主義が最悪の形で混ざり合って、極東アジアの平和を脅かすリスクになりつつあるニャ。

ヤーポネ社会にはマイノリティ罪があって、少数派に属していることや、集団の同調圧力に屈さないでいること自体が罪悪になるニャ。少数派は尊重されるべきものではなくて、多数派の規範に馴染めない欠陥人間か、わがままを押し通そうとする邪悪な人間として扱われるニャ。
集団の規範を受け入れられない人間は、非国民として攻撃されても仕方が無いという歪んだ価値観を持った奴らが多いニャ。そのためマイノリティは攻撃されることを恐れて口をつぐんだり、場合によっては海外に逃亡しなければならなくなるニャ。
ヤーポネ社会で生き延びるために、なるべく多数派に所属する努力をする以外には無いニャ。少数派になって群れからはぐれることは死を意味するニャ。だが何が多数派なのかという基準が明文化されておらず、そのときの気分や空気でめまぐるしく変わるから常に周りをきょろきょろと見渡していなければならないニャ。
それが「集団同調イデオロギー」だニャ。ヤーポネ人に明確なイデオロギーや信仰はないけれども、「周囲をきょろきょろと見回して、自分が多数派か、それとも少数派側なのか?」という距離感を測ることで、自分の立ち振る舞いを決定するニャ。
ヤーポネ人に明確な思想や信仰は存在しないニャ。ただ自分が多数派側にいるか否かが、最大にして唯一の関心事になるニャ。
多数派に属していることこそが最大の正義であるヤーポネにおいて、少数派や異物を排除して、多数派の純度を上げていくのは善行だニャ。そう思っているやつが多いから、魔女狩りレベルで異質なものを排除する圧力が働くニャ。よく最近のヤーポネ人は「多様性」について触れるけれども、それは「多数派にとって利益になる、名誉ヤーポネ国民認定書授与式!」ぐらいの意味合いだニャ。役に立たなかったり、コストのかかる少数派はのたれ死んでいくのニャ。

ヤーポネ国で生き残るためには、集団から突出するような言動はすべてアウトだニャ。ヤーポネ社会には英語の授業でネイティブっぽい発音をすると馬鹿にされるという都市伝説があるニャ。流ちょうな発音を身につけるよりも、他者の反応を気にして集団に埋没することを選択する国民性が、英語教育を妨げている原因だニャ。
「空気を読んで群れから突出しない」という行動は、ヤーポネ人の遺伝子レベルに染みこんでいる性質ニャ。獲物に狙われた草食動物の群れが固まるように、「集団から突出せずに、そこそこの立ち位置をキープする」ことを最優先するのがヤーポネ人の行動原理だニャ。こんな風土では個人主義の芽は真っ先に摘み取られていくニャ。
集団の中から突出することを何よりも警戒すると同時に、異端者が出てきたら、そいつを全力で叩きつぶすことで集団の同質性を保つニャ。近代的な自我や自由意志を持った個人という概念はヤーポネ社会には存在しないニャ。流ちょうに英語を喋ったり、政治意識を持つことはヤーポネでは大罪だニャ。
ときには自分が多数派であることを証明するために、別のマイノリティを攻撃して所属する集団への忠誠心を証明しなければならないニャ。地獄ニャ。
残念ながら個人という概念を理解してしまったヤーポネ人は、その、言いにくいけれどもご愁傷様だニャ……。集団にも埋没できず、個人としても生きていけず、ヤーポネ社会で異端者として生き続けるのニャ。

ヤーポネ国民として生きるためには、理性を司る脳の部位を麻痺させなければならないニャ。狂人の国において理性的であり続けることは、何よりも気が狂っていることだニャ。論理的や思考や理性を行使することを極力避けて、目の前の情報に対して感情的に反射するように自己を訓練することで、ヤーポネで生き延びる苦しみを和らげるのが重要だニャ。
まず最初に麻痺させるのは、異質な他者への想像力と共感だニャ。情報が溢れているこの時代において、他者の気持ちを思いやる余裕などないニャ。そんな面倒くさいことをせずに、先入観にまみれた偏見だとか無知、差別意識といった直感を働かせて、他者に一方的なレッテルを貼ってカテゴライズするニャ。歪んだイマジネーションを駆使するのニャ。レイシストとか言われても気にする必要は無いニャ。
まずはYahoo!ニュースのコメント欄などで適当な政治的発言を見つけて、にんげんを「クソサヨク」か「ネトウヨ」の二つに分類してみるのニャ。ここではものごとを深く考えずに、ひよこの性別を鑑定するみたいに機械的に分けるのが大切だニャ。そうすることで理性に頼らずに、より感情的に思考する技術が磨かれていくニャ。
それができたら、今度は応用だニャ。「フェミニスト」や「犯人は外国籍じゃないのか?」といった応用問題に挑戦してみるニャ。
政治の話は簡単だニャ。勉強して知識を増やす必要はないニャ。自分に理解できないのなら、理解できるまで世界観を単純化するのが有効ニャ。「ヤーポネ社会は反ヤーポネ勢力の魔の手によって蝕まれている。私はネットで真実を知り、真のヤーポネ人として覚醒した。このヤーポネから反ヤーポネ勢力を駆逐しなければならない」とか、「ヤーポネ社会は歴史修正主義者の極右政権の魔の手に落ちて、堕落してしまった。私はネットで真実を知り、民主主義を破壊する悪からヤーポネ社会を守らなければならない」といった、単純な善悪二元論を採用するのが一番簡単な方法だニャ。
慣れてきたら陰謀論にも挑戦してみるニャ。世界経済がユダヤ資本によって操られているとか、ホロコーストは存在しなかったとか、地球は平坦だという陰謀論を心の底から信じるニャ。理性よりも、疑いを持たずに信じるという気持ちが重要ニャ。
自分が築き上げたフィルターバブルに埋没して、まとめサイトの偏見に満ちた記事をシェアし、ヘイト発言をして、フェミニズムや安倍晋三を敵と見なして攻撃することに疑問を抱かないような人間になるニャ。そうすれば幸せなヤーポネ人として生きていけるニャ。
あなたは正しい側にいるのニャ。自分が正義の側に属しているという感覚ほど、人に安堵と快楽をもたらすものはないニャ。その感覚を強めるために、雑な言葉を使って他人を攻撃してみるニャ。SNSで適当な著名人を見つけて、気に入らない発言があったら「このクソ○○! 恥を知れ!」みたいな感情的な言葉を投げかけて、ストレスを発散してみるニャ。「ヤーポネから出て行け!」というのも定番フレーズだニャ。
ヤーポネ人として生きるためには、理性を麻痺させることだニャ。これができればだいたいは成功したと思っても大丈夫だニャ。人間の現実認識は言葉や印象の集合体に過ぎないニャ。それらを操作する術を学べば、世界は変わるニャ。世界を変えるよりもまず先に、自分自身の認識を変えるのが手っ取り早いニャ。自由意志も民主主義もゴミ箱に叩き捨てるニャ。自分にとって心地よい歴史、思想、現実認識を作り出して、君だけのオリジナル・極東蛮人国家ヤーポネを作るニャ!

自分もはじめは、極東蛮人国家ヤーポネが変わると思っていたニャ。原子力発電事故で人々が政治意識に目醒めると思っていたニャ。社会が変わると言っても、大きな変化を期待していたわけではないニャ。筋の通ったことが、そのまま認められるニャ。法に反したことが正常に裁かされるニャ。誰かが声を上げれば、あからさまに非合理的な社会制度は変わるニャ。求めていたのはたったそれだけだったニャ。
ただそれだけの当たり前が成し遂げられないのは、ただ自分たちが無知だったせいだニャ。皆が正しく社会の非合理的な面を知ることができるのなら、極東蛮人国家ヤーポネは良い方向に変わっていくと信じていたニャ。
でもそれは幻想だったニャ。ヤーポネ人は無知と憎悪、偏見と呪詛を愛するニャ。
もう疲れてしまったのニャ。適当に無力感と仲良くやっていった方がいいニャ。間違ったことを言っているのはわかっているのニャけど、思考停止すると気持ちよくなったニャ。私は無力感に敗北したニャ。社会を変えようとするまっとうな気持ちを失って、「ヤーポネは蛮人国家だしなwww」と嘲笑的な態度でいるのがすっげー楽だニャ。希望は失われてしまったニャ。社会がいい方向に変わるというビジョンを持てないニャ。
自分のことはどうでもいいニャ。気がかりなのは、気候変動問題に関心を持っている若い子や、まだヤーポネに対して希望を失っていない子たちニャ。彼らを何も知らない愚かな若者扱いする人たちは多いけれども、それが彼らの強みニャ。現実を知れば、自分のように希望を失ってしまうニャ。希望を持てるのは、それがすり減っていって消えてしまうまでの僅かな間だけニャ。それを失ってしまえば、失意と絶望に絡め取られて動けなくなってしまうニャ。あるいは希望が失われてしまったのに、偽りの希望を掲げて敗北していないように振る舞うようになるかのどちらかニャ。そのどちらも敗北には変わりがないニャ。
いまは自分の言っていることがわからなくてもいいニャ。希望を失った屍になったときに、初めて私の言葉を理解できるようになるニャ。そうならないように、おまえたちは前を向くニャ。私のような敗北者になってはならないニャ……。