エコロジカルフットプリント


もし地球上の人間が日本人と同じ生活水準で生きたとすると、地球2.4個分の資源が必要になる。
ある文化水準の生活を成り立たせるために、地球にどの程度の負担がかかっているのかを表す指標が、エコロジカルフットプリントである。
でも僕たちは地球1.4個分をよけいに消費しながらも、まだ足りない。私は貧困層だ。私は満たされていない。もっと経済成長をして豊かな暮らしを手に入れなければならない、と思っている。

自分たちの生活が地球資源に対する不当な略奪で成り立っているのに、それを幸福なことだと感じられていない。この満たされ無さはどこからやってくるのだろう。
地球0.5個分以下の資源で生活している人々も何億人といる。
僕たちはいまの暮らしを、享受できて当然のものだと考えているが、本当は過剰な負荷の上に成り立っている生活なのかも知れない。それなのに自分たちは誰よりも不幸で満たされていないと感じていたり、もっと地球に負荷を掛けた暮らしを追い求めている。
先進国と同じ水準の暮らしを、世界中の人間が行ったら地球が一個や二個では足りない。そんな生活をしているのに、満ち足りていると感じないのなら、何かが間違っていることになる。
もしかしたら、二十三世紀ぐらいには「二十一世紀までの人類は、環境に与える負荷をまったく考えずに資源を浪費していました。衛生観念が無く、人糞を道路に放り捨てていた中世と同じような野蛮な時代でしたね」と語られていてもおかしくない。
今の時代では常識的な考えだが、あとの時代から見ると笑い話にもならないような考えがある。たとえば天動説や奴隷制、世界の果ては崖になっている。こんなことを素朴に信じているように、後の時代から見れば噴飯ものの常識を信じているのだと思う。