アイドル政治パラダイム!


 選挙報道を見ているときに、おれは世界の真実にたどり着いてしまった。
 政治家がマイクを握り、民衆が集まる。その姿はアイドルと同じではないのか。
 社会を動かすのは熱狂である。ファナティックな情熱を生み出すという点でアイドルの右に出るものはいない。周知の通り、日本社会では政治のことを古来より「まつりごと」と呼んできた。すなわちフェスティバルである。政治の本質がお祭りであり、天皇はアイドルであり、臣民はファンである。その根本的な政治原理を日本人は肌で理解している。逆に言うと理性的な対話を積み重ねていくことで価値観をすりあわせていく民主主義とは対極の位置にいる。

現代社会の国際政治はアイドルパラダイムへと移行した。
 情報技術が発達した現代社会において、我々は政治家とアイドルの区別ができなくなった。マイクを持って叫ぶ。ステージの上に立って、その周りに支持者が集う。語られる言葉が人々の心の琴線に触れ、熱狂を呼び起こし、時代を動かす急流へと変わる。
 異なった生物が環境に適応するために、似たような形状に進化することがある。これを収斂進化と呼ぶ。生存競争の淘汰圧に晒された結果として、同じ形態へとたどり着くのは生命の神秘だ。
 政治家もアイドルもその成立過程は異なっているが、民衆の熱狂によって支えられているという点では同じだ。政治家がアイドルになり、またアイドルが政治家になる。知名度の高さを活かして選挙活動を有利に進めようとするのは、現代社会では当然の戦略として採用される。民進党の党首がレンホになったのも、エリコ・イマイが国会議員になったのも、政治家アイドル説を裏付ける証左だ。立憲民主党のユキオ・エダノ党首は立憲パートナーズ制度について「アイドルのファンクラブから発想を得た」と語っている。
 政治とはアイドルである。ある政治思想を支持するというのは、推しアイドルを決めるのと原理的には同じだ。
 しかしアイドルとは歌って踊れる美少女では無い。行き先の見えない時代を照らす太陽であり、それを中心に世界が回るような北極星のような存在だ。事実、天皇とは北極星を神格化した神を指す。国の最高祭司として祭祀(さいし)を行う。(『日本大百科全書』天皇の項目より)
 すなわちアイドルスターの頂点としてフェスティバルを行っていた。

 歴史上のターニングポイントでは様々なアイドルが姿を表している。
 古来より政治と宗教は密接に関わりあっていた。デルフォイの信託における巫女、卑弥呼、超越的な力と通じ、混沌と迷信が支配する世に予言をもたらしてきた。キリスト、アッラー、仏陀、貨幣、カール・マルクス、ヒトラー。人間だけではなく、貨幣や物質、イデオロギー、民主主義、科学万能主義もまたアイドルになる。
 時代を動かすのは常に歌だった。
 ジョンレノンのイマジン、ベトナム反戦歌であるpaint it black、天皇のキャラソンである君が代。民衆の情動に働きかける歌が、冷静さと論理的なプロセスが瓦解させる。その時代の転換点のまっただ中に私たちはいる。ハーメルンの笛吹きが音楽を巧みに操って子供たちをさらっていったように、セイレーンが妙なる歌声で数々の船員を海に飛び込ませたように、能登麻美子が俺に人生を踏み外させたように、歌は魔性の力を持つ。
 トランプ大統領のデビューソングは、アメリカグレートアゲインであり、安倍首相の持ち歌は「世界の中心で輝く日本」、「一億総活躍社会!」「この道を力強く前へ!」である。これらは政治的な文脈で語られるものだが、実際にはアイドルソングと大差が無い。何を言っているのかよくわからないけど、なんか前向きっぽいことを言っている。それがアイドルソングの精髄である。自民党の政治方針はモーニング娘。のヒット曲ラブマシーンと大差がない。著作権がらみが面倒くさいのでyoutubeあたりで聞いてね。
 政治が劣化したのでもなく、民主主義が危機に瀕しているからでもない。政治家=アイドルという原則に従った結果として、同じような適応を遂げたのだ。

 Alt-rightムーブメントや反知性主義、ポピュリズムと言われる昨今の世界的な潮流も、グローバルなアイドル化現象という補助線を引けば理解可能だ。国民と政治家が理性的な対話を重ねるのが民主主義の礎だが、論理ではなく情緒に語りかけるのがアイドル政治時代だ。政治がよりハートに直接訴える方向に進むのであれば、これからの選挙活動は音楽を駆使したライブバトルになる。政見放送は音楽番組になり、アイドル力を高めた政治家たちによって歌が歌われる。
 これからの政治は以前にも増してアイドル化への一途を辿る。それを民主主義の崩壊と呼ぶのか、アイドル政治時代の到来と呼ぶのかは後の歴史家の判断を仰ぐことにする。確実なのは、21世紀は世界アイドル戦争時代となるということだけだ。
 ほとんどの政治家はアイドルとしての素質を求められ、己の政治信念を歌に乗せる。マニフェストはCDになり、政党助成金をアイドル活動と握手会の収益でまかなう制度が一般化するだろう。
 大衆の心に響く音楽は、いつもアイドルの心の輝きから生まれてくるものだ。アイドルのライブのように、「みんなー聞こえてるー?今日も一緒に盛りあがって行こうねー!じゃあ、聞いてください!過労死で死んだ社畜のためのレクイエム!」と叫ぶ左翼アイドルと、アニメ声で海ゆかばを熱唱する保守派アイドルが、政治プロパガンダミュージックライブを行う。
 かつては「音楽に政治を持ち込むな」と言われたものだが、人々の心に音楽が届かなかっただけだ。音楽で有権者の魂を震わせたほうが、次世代の支配者になる。これが二十一世紀の神祭政治だ。

 このアイドル政治時代の到来をもっとも敏感に感じ取っている政治家が、日本国首相シンゾ・アベだ。
 シンゾ・アベは政治家としてでは無く、アイドルとしての才能を持つ。オリンピック閉幕式でのコスプレ、世界の中心で輝く日本、自民党改憲案、これらはみな、政治家ではなくてアイドルとしての本能に突き動かされていると考えた方が早い。
 ライブ会場でスポットライトを浴びて、きらきらと輝きたい。世界という名の武道館で、ナンバーワンアイドルになりたい。ジャパンアズナンバーワン、それこそが現行自民党政権の思い描く青写真だ。
 天皇が人間宣言を行った結果、日本社会は「天皇というアイドルの不在」という空白を抱えてきた。絶対的なアイドルを失ったままで、戦後の日本社会は再スタートした。その欠落を埋めるために芸能界は人間の手でアイドルをつくりあげようとした。美空ひばり、ビートルズ、ピンクレディー、おニャン子クラブ、モーニング娘。初音ミク、AKB47、ラブライブ、戦後民主主義、西洋合理主義、リベラル的価値観、日本国憲法……あらゆるものを動員して、人々は失われた国民的アイドル・天皇の座を埋めようとしてきた。
 日本人が求めているのは戦前回帰でも戦争でもない。天皇アイドル時代の再現だ。天皇を唯一の現人神アイドルとして崇拝し、国全体がファンクラブになる。そのようなアイドル時代の再構築を求めている。
 シンゾ・アベが心の底から求めているのは、戦後レジームや民主主義の否定ではない。世界から愛されるアイドルになりたい、という強い想いが彼を突き動かす。
 彼のアイドルとしての才能と嗅覚が、激変するパラダイムの変化を無意識のうちに感じ取っている。政治家の中で誰よりも、絶対アイドル感覚を皮膚で理解している。それがシンゾ・アベの政治家、いやアイドルとしての大きな強みだろう。

天皇アイドルユニット制

 そして平成が終わると同時に、天皇制も大胆な改革を余儀なくされる。
・まず第一に、天皇はアイドルオーディション形式にしなければならない。
 昭和天皇はかろうじて一命を取り留めたが、占領軍の虫の居所が悪かったら殺されていたかも知れない。天皇を処刑したら日本人が暴動を起こす可能性が高い、という提言がなければ、今現在も天皇制が存続していたかどうかは定かではない。卵を一つのかごに載せないというのは、資本主義社会では当然のリスク分散策だ。
 天皇のスピリットが途絶えるリスクを回避するために、「何かあって天皇がお隠れしてしまっても、別の人間に生まれ変わるんだ」というダライ・ラマ方式を採用する。誰が天皇としての資質を秘めているのかを計測するのかは、アイドルオーディション方式に任せる。皇居あたりに天皇アイドル養成施設ぽらりす☆すたー学園を設立し、天皇の素養があるアイドルを育成するのが最適だろう。

 アイドルユニット化するのは利点がある。平成天皇は高齢でありながら、多忙な御公務をこなさざるを得なかった。ご老体には負担が大きすぎる。地球温暖化により自然災害が多発する中で、今後、天皇陛下の御公務はより過酷になっていくことが予想される。
 アイドルユニット制を採用すれば、御公務の負担を軽減でき、より国民に愛される天皇となるはずだ。
 こういうことを書いていると、おれの心の中にいる右翼が街宣車で暴走し始めるのだが、アイドルオタ同士共存共栄するのが楽しいアイドルファン活動ってものだ。

人権アイドル、日本国憲法ちゃん!

 そして戦後民主主義やリベラルの凋落は、アイドルを作れていなかったことにその要因が求められる。全ての人間は平等であるとする人権理念は、絶対的な偶像を求めるアイドル主義と真っ向から対立する。理性の光を照らす啓蒙主義と、アイドルへ向ける狂気的(ファナティック)な感情も相性が悪い。
 しかし矛盾と対立が事物の発展を促す。その際にかつて否定されたものは捨て去られるのではなく、保存されてより高い次元に引き揚げられる。止揚(Aufheben)と呼ばれる働きこそが社会をダイナミックに揺り動かしていく原動力になる。それがマルクス主義の唯物論的史観であるとするならば、左派勢力は今後、このアイドルパラダイムを吸収して再生を遂げる可能性がある。観念形態(イデオロギー)の偶像化だ。
 目に見える外見がなければ人の心を捉えるのは難しい。宗教は民衆のアヘンだと言い切った社会主義も毛沢東やレーニン、スターリン、チェ・ゲバラという偶像を必要とした。アイドルがいなければ思想はやせ衰える。思想を現実に受肉させるのがアイドルという中間物である。神の御心はイエス・キリストの生涯によって、人間が理解できる形になった。思想を担う肉体を持たなければ、イデオロギーは空疎な言葉の響きでしか無くなる。
 しかしCG技術が発達した現在において、なにもアイドルが人間である必要はなくなった。観念や思想それ自体をそのままアイドルにしてしまえばいい。一人の人間を偶像視するあまりに権力の集中と濫用が生まれる。階級社会を否定するために作り上げた社会で、偶像をもとにした新しい格差が発生するのは不可避だ。しかし、観念それ自体をアイドルにするのならば、人間同士はフラットな関係性を保ったままでいられるのではないのか?

 そこで満を持して登場するのが、「人権アイドル、日本国憲法ちゃん!」だ。
 憲法の条文ごとに擬人化キャラが誕生する。擬人化はMANGAカルチャーの発達した日本の独壇場だ。
 言論の自由ちゃんは特高警察に思想犯として捕まった経歴があるので拷問された痕があるし、奴隷的拘束ちゃんには足首に鉄球が括り付けられている。憲法9条ちゃんは悲惨な戦争体験を抱えており、トラウマにうなされて真夜中に叫びだす。彼女たちがひどい目にあっているのはおれの趣味ではない。権力による言論の統制がなければ、表現の自由は求められなかった。奴隷労働が禁じられるのは、人間はたやすく他者の人権を踏みにじるからだ。そのような薄暗い歴史的経緯を踏まえて、人権アイドルはデザインされている。決して、おれが全体的に目の死んでいる女の子が好きだという個人的な嗜好の発露ではない。ちなみにキャラクターたちの瞳の輝きは、社会情勢と連動して変化する。国内外の人権が守られているか、報道の自由度ランキングの上下などの要因によって、ハイライトが消えたり、増えたりするよ。

 以上が、二十一世紀の日本社会におけるアイドル政治パラダイムのあらましだ。
 政治家アイドル、人権アイドル、天皇アイドルユニットが入り乱れる偶像主義(アイドルクラシー)政治の到来である。