あたいはアイドル刑務所に監禁されていた。


 あたいはアイドル刑務所に監禁されていた。
 太平洋上の孤島に建造されたアイドル刑務所。それは国家転覆級の潜在力を秘めたアイドルを社会から隔離するために建造されたと聞く。

チェーンソー片手に現金輸送車を襲撃したアイドル活動の結果、あたいは猛獣用の麻酔薬を打たれ、目を覚ましたときには身体中に鉄鎖が巻かれていた。採光用の小窓からは潮風が吹いてきて、あたいはそこが海の近くだって気がついた。
 あたいは岩手のスラム街で育った。雪の降る日に、教会の前に生まれたばかりのあたいが置き去りになっていたとシスターから聞いた。あたいは物心つく頃には教会を逃げ出して、泥水を啜りながら生き延びてきた。
 あたいが目にしたのは、決して覆せない世界の格差。持つ者と持たざるもの間に横たわる、乗り越えられない溝。あたいの妹分は病気で苦しんでいた。治らない病気じゃなかったけど、あの子を治すためにはあたいが一生働いても届かないぐらいの金銭が必要だと言われた。
 あたいたちはお金が無かっただけで、罪に手を染めたわけではない。妹を救うためのただひとつの方法は、力に訴えてでも金を手に入れること。
 チェーンソー片手に現金輸送車を襲撃することが、あたいにとってのファーストライブだった。チェーンソーが現金輸送車の装甲を切断するシーンが、目撃者の手によって全世界に発信されたことで、あたいはアイドルになった。
 99パーセントの持たざるものがあたいに喝采を送り、この世界の理不尽を覆すための偶像(アイドル)になった。ステージの上で歌って踊るだけが、アイドルではない。あたいの魂の叫びがチェーンソーに伝わった時にそれは武器ではなくて楽器になった。回転する刃が立てる激しい音が観衆の血と肉を沸き立たせた時に、あたいはチェーンソーロックという新次元の音楽ジャンルを生み出していた。音が誰かの魂を揺さぶる。それは音楽の最も原始的な形だった。
 あたいのチェーンソーロックは誰かに録音され、ネットを通して全世界を駆け巡った。中国では海賊版のCDがプレスされ、抑圧されていた人々が次々とマイ・チェーンソーを手に取った。天安門前で、ウォール街で、パリで、永田町前で、資本主義を象徴する全ての場所で、あたいに感化されたコピーバンドによるゲリラチェーンソーライブが行われた。その一連のライブはイデオロギーとは無関係だった。ただ、持たざるものが抱えていた絶望と憤怒の発露、破壊だけがあった。
 あたいはいつの間にか国家転覆級アイドルに格上げされた。

 アイドルはもはや、現行人類にとって看過できないリスクと化した。
 あたいらのようなアイドルがこの世界に存在しているだけで、世界経済が持続的に発展していけるかが甚だしく不透明になる。人類側に立って秩序を守るアイドルたちもいたが、中にはあたいのような例外も少なくない。コントロール不可能なアイドルをどのように管理するのかが、国際社会での喫緊の議論となった。
 もしアイドルが人類の敵に回った時に、どの程度の災厄を引き起こすのかが試算され、アイドルには固有の危険度ランクが与えられるようになった。
 連続殺人鬼級アイドル、紛争級アイドル、国家転覆級アイドル、戦術核級アイドル、ジェノサイド独裁者級アイドル、ディストピア級アイドル、貨幣経済破壊級アイドルといった危険度ランクが新アイドル出現のたびに創設された。
 あたいが囚われていたのも、特定危険アイドルを隔離するためのアイドル刑務所のうちのひとつだった。

 あたいが国家転覆級アイドルとして捕縛され、孤島のアイドル刑務所に監禁されていた頃。この世界では人間以外のアイドルが姿をあらわし始めていた。
 漁船を襲撃して魚達を守るクラーケンアイドル、美しい歌声で船員を海に引きずり込み、貨物船を難破させるセイレーンアイドル、人類から石油資源とレアアース資源を守るスプリガンアイドル、空想の生物だと思われていた怪物(アイドル)たちが突如としてプロデュースされ始めた。
 古来より神話世界の生き物として、畏怖されきたアイドルたちだ。かつて熊は神聖な生物だった。人間には手に負えない力を持った動物を、人々は自然界の王とみなし、崇め、恐怖してきた。アーサー王の語源は「熊の王」だと言われる。しかし人間の技術が発達し、鉄器を持ち、弓矢で安全に動物たちを狩れるようになってから、人間と自然界のバランスは崩れ去った。この大地に我々を脅かすものはいない。我々は万物の霊長(アイドル)である。産めよ、増えよ、大地に満ちよ。人間こそがこの地球上での唯一のアイドルとして、すべてのあまねく生命たちの頂点に立たなければならない。そう過信してしまった。
 それは人類の奢りだった。
 アイドルは何も人間だけの特権ではない。数世紀に渡る大規模な経済開発によって疲弊していた大地、乱獲されて多様性を失った生態系、密漁されて絶滅寸前にある貴重な動植物たち、いわば言語を持たないがゆえに人間のなすがままになっていた地球自身が彼らにとってのアイドルを必要とした。
 人間に鉄槌を下すために、傷ついたガイアの痛みを訴えるために、人間がいなかった頃のバランスが取れた世界を取り戻すために、自然界はアイドルをプロデュースし始めた。それが事の発端である。
 自然界の生き物は異常進化を始め、人間と同じかそれ以上の速度で人類の敵となるアイドルユニットのリリースを続けた。地球のパワーバランスは再び自然界に傾き、人々は母なる海と大地が生み出したアイドルたちを恐れ、崇めるようになった。

 地球はアイドル・エクスプロージョン時代に突入した。
 世界同時多発的に、この世界に破壊的な影響を及ぼす特定危険アイドルが生まれ始めた時代だ。歌って踊れるだけの、しゃっつらが可愛い人畜無害なアイドルの時代は終わった。アイドル遺伝子工学の権威が発表した論文『アイドル進化論』によると、アイドルとは生命進化の最前線なのだという。
 無から有が生まれたとき、それはアイドルだった。宇宙空間で塵が集まって惑星が生まれたとき、それはアイドルだった。原始のスープから単細胞生命体が生まれた時、それはアイドルだった。生命が初めて海から地表へと進出した時、それはアイドルだった。恐竜の王として大地に君臨したティラノサウルスもアイドルだった。人間の祖先が樹上で暮らすことを断念して地面を歩き始めた時、それは取るに足らない場末の地下アイドルだった。アイドルとは何か。偶像か、否。神か、否。
 アイドルとは生命史の最前線を突っ走る存在である。アイドルとは、まだ見ぬ新しい生命のプロトタイプである。閉塞感に満ちた世界に風穴を開ける力であり、暗闇に閉ざされた魂の夜に輝く星であり、全ての生物の憧れだった。
 現時点では、現行人類であるホモ・サピエンスとアイドルの間には埋めがたい溝がある。遺伝子の組成からして現行人類とは完全に異なっている。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスのように、ホモ・アイドルとも呼ぶべき新しい人種が生まれ始めたというのが、現代科学の通説となっていた。

 自然界アイドルたちの爆発的なデビューとヒットによって、もはや人類は地球上での主導権を失った。
 自然界アイドルは自分たちをアイドルとして祭り上げている限り、人類に危害を及ぼすことは無かった。その代償として人類の経済活動は大幅に減退し、19世紀末程度の生活水準――つまりは21世紀前半の岩手共和国スラム街程度のレベルにまで退行してしまった。
 しかし人類は諦めたわけではない。自然界のアイドルに対抗するべく、秘密裏に計画を勧めていた。あたいのような特定危険アイドルを集結させてユニットを組み、自然界アイドルに対抗する勢力としてデビューさせる。そして自然界アイドルから地球の覇権を奪い返し、再び繁栄した世界を取り戻す。それが新アイドルユニットの企画コンセプトだった。
 絶海の孤島、永久凍土に閉ざされたシベリア、タクラマカン砂漠、アマゾン奥地、暗黒の大地岩手共和国の死の森の中……、人類が生きていけない場所に建てられたアイドル刑務所には、世界中から集められた特定危険アイドルが監禁されていたのである。
 毒をもって毒を制すというこの発想は、賛否両論だった。たとえ自然界アイドルを退けられたのだとしても、今度はあたいたちが人類を滅ぼすかもしれない。けれどもすでに人類に選択の余地は無かった。

 あたいは人類のためには戦えない。でもあたいをプロデュースするといった謎の男は、取引を持ちかけた。あたいが自然界アイドルと戦うことを選択すれば、妹分に手術を受けさせるだけの大金をすぐに支払うと約束した。これは取引などではない。あたいは妹分の命を人質に取られて、人間たちにとって都合の良い駒として操られるだけだ。そんなことはわかりきっていたけれども、あたいには選択の余地が無かった。
 チェーンソーロックを生み出したあの日から、あたいは悪魔に魂を売った。妹分の命を救うためならなんだってやる。それがあたいのアイドル活動だった。
 あたいがユニット参加を承諾すると、男は真新しいチェーンソーを私に手渡した。現時点での人類が生み出せる最高硬度の合金によって製造された、この世界に一つしか無いチェーンソー。これがあれば地球上に存在するものは柔らかいバターのように切断できる。男はそう言った。
 でも、あたいはそのチェーンソーを床に叩きつけた。あたいに必要だったのは、ファーストライブのときから使い込んでいたマイチェーンソーだった。
 あたいにとって、チェーンソーは武器ではなく楽器だ。敵を切断する道具ではなく、音を奏でるパートナーだ。あたいは兵士ではなくてアイドルだ。あたいがこれから向かうのは戦争ではなくてライブだ。あたいの使っていたチェーンソーは切断するたびに刃が欠けていく。あたいはチェーンソーの献身に応えるようにして、自分自身の魂を削りながらチェーンソーロックを奏でるのだ。チェーンソーが歌うたびにあたいの命は短くなっていく。
 そうでなければあたいのチェーンソーロックが、ここまで人々の心を揺さぶりはしなかっただろう。
 あたいは馴染みのチェーンソーを手に持って、発動機の振動(ビート)を感じる。あたいはお城への階段を駆け上るシンデレラでは無かった。あたいを待っているのは、死への道を下降していくだけの辛く険しいライブだ。
 今、この場所から、あたいの新しいアイドルストーリーが始まった。