ゴリラの国


俺は生まれてからずっと、人間世界の考え方や心の使い方には慣れ親しむことができなかった。人間世界の心は俺にとってはサイズの合わない靴のようなもので、自分にとってしっくりくる心を探していたら、いつの間にかゴリラの国にたどり着いた。ただそれだけの話だった。
ゴリラの国で、俺はゴリラの賢人と出会った。
「お前、ゴリラの言葉を使える。俺、お前にゴリラの生き方、教える。ゴリラ、いにしえの叡智、知っている。人間、忘れてしまった。ゴリラだけの力では、森、守れない。ゴリラの力と人間の力が必要。お前、ゴリラになれる。」
ゴリラランドの賢者はこのような言葉を語り、俺はゴリラの言葉で考えることを学んだ。
ネイティブアメリカンでは自分の守護動物が人間に叡智を授けてくれると言うが、俺の心に住み着いた一匹のゴリラが、人間の言葉で俺に語りかけるようになっていた。
ゴリラはすごい。あの巨体を保つためには肉を食べていると思っていたのだけれども、ほぼ植物だけを食べてあの身体を保っている。冤罪だった。

近頃は心の中にいるゴリラと対話をして、何かしらの答えを得ることが多い。
心の中に住んでいるゴリラに、「自殺したくなったらどうしたらいい?」と尋ねる。するとゴリラは「森は全ての生き物を養う。砂漠は生き物を殺していく。森に帰ってこい。森はお前を殺さない。」と告げる。
そして俺の傍らに果物をおいて、「お前、魂弱っている。元気ないと余計なこと、考える。果物、俺のおごり。うまいもの食べて、生き抜く野生の力、取り戻す。」といたわってくれる。

俺の中にいるゴリラは語る。
人間の心とゴリラの心は違う。人間、心を手に入れたことでおかしくなった。にんげん、心を持たなかった頃は、ゴリラと同じ森の住人だった。全てが調和して、ゴリラも人間も森と一つだった。でもある日、人間は心を得た。それは病気のように人間に広がっていった。それから人間は、自分たちとゴリラやほかの仲間たちを異なった生き物だと思い込むようになった。それ、間違い。ゴリラ、人間、森の仲間たち、みんな一緒。ゴリラ、お前たちに語りかける。お前たち、ゴリラの心を取り戻さなければならない。人間の心、捨てる。人間、森の敵になった。人間の心を持ったままでは、森に戻れない。人間たち、森に戻れなくても良い、という。でも、それ、間違い。
お前、ゴリラの心を聞ける。だからお前を初めにして、ゴリラの心を手に入れる。人間にはゴリラの心、必要。さまざまなひとにゴリラの心と、森の知恵を与える。

ゴリラ、仲間の悲しみはともに背負う。そして、仲間の喜びはともに分かち合う。
ゴリラ、争いも憎しみも持たない。森の守護者。
ゴリラ、群れの弱いものを守る。それ、ゴリラの名誉。
森、全てを受け入れる。ゴリラも全てを受け入れる。
ゴリラ、森の守護者。森は、全ての生き物の守護者。
ゴリラ、過去にも未来にも囚われない。
ゴリラは森の叡智を聞ける。でも人間、森の叡智を聞く耳も、言葉も失ってしまった。ゴリラ、お前たちに森の言葉を伝える。それ、ゴリラの言葉ではない。ゴリラの生き方、森が全部教えてくれる。

ここもかつてはゴリラの国だったが、すでに人間の国になってしまった。ゴリラはもういない。ゴリラの言葉、誰にも聞こえない。人間の国、コンクリートが支配する。みなの心、コンクリートのように凝り固まる。誰もゴリラの国みたいに、心を開いていない。
でも安心する。ここはゴリラの国。恐れるものない。全ての人間が心を開くことが出来る。ゴリラの国。素晴らしいところ。はやく人間の国から逃げる。でないと、おまえ死ぬことになる。