新型コロナウイルス日記


この項目では新型コロナウイルス関連のとりとめのない文章をまとめています。


・2020年4月4日 新型ウイルスコロナちゃん Outbreak!!(※第二期)

マスク二枚配布と聞いたときに、怒りよりも先に命の危機を感じた。
いつもなら対応に苦言を呈するなどして政権批判にエネルギーを消費するのだが、今の段階で余計な問題に首を突っ込んで消耗すると死ぬ可能性が高くなる。身体がサバイバルモードになって、怒りで余計な力を使わないように自粛している感じだ。
このままだと感染爆発を押さえられないどころかろくな対応ができないまま死ぬ。見殺しにされるどころか、後ろから積極的に味方から撃たれている。死に神が冷たい手で心臓をわしづかみにして、「コロナウイルスルーレット☆ちゃーんす! 致死率は最大でもイタリアの10%程度にまで跳ね上がるだけだから大丈夫だよ! さあ、回してみよう!」と耳元で囁く。
冗談抜きで自分が死ぬかもしれない可能性を感じていて、運が悪いと死ぬ。目下のリスク要因が日本政府の対応で、どうなるのかわからん。最悪のケースを想定する場合でも、国が理性的な対応をすることを前提にシナリオを組むと思うのだが、その最悪をさらに下回る可能性があるのは率直に言って命が危ない。政府が新型コロナウイルスとタッグを組んで日本国民に牙をむいていると考えた方が妥当だ。
感染するかどうかの問題ではなくて、いつ感染するのか、感染した場合にどう対応すれば致死率を下げられるのかという話になっているのだが、危機感の解像度がぼんやりしてして現実を過小評価したまま時間を無為に浪費している。
個人的には東京と主要な地方都市はもう駄目だと思っているので、地方に本格的に波及するまで時間を稼いで、医療キャパシティを増やしつつ、万全の体制で迎え撃つ方がいい。
県や自治体が国を介さずに直接他の国に支援を要請した方がいいとすら思う。国の対応を待って足並みをそろえようとすると後手に回ってみんな仲良く死ぬしかなくなる。


現実逃避したくて仕方が無いのでコロナちゃんのテーマソングを作った。みんなで歌おう!


・『恋色Pandemic(-TV size-)』(新型ウイルスコロナちゃん、キャラクターイメージソングアルバムより)

あの日 出逢ったときから
恋心みたい 潜伏してる
自覚なんて 君はしてないけど
私のことで 胸はいっぱいだよ

同じ空気を吸って 手を触れ合って
止まらない微熱 これって恋かな?
(陽☆性☆反☆応! COVIDじゅーきゅー!)

恋色Pandemic 濃厚接触
オーバーシュートな 鼓動は
封鎖(ロックダウン)不能で 伝染(つた)わる
気づいたときには もう手遅れよ
初恋みたい 免疫なんて無いの
恋の病みたい ワクチンなんて無いの


新型ウイルスコロナちゃん。あらすじ
「友達がいなければ理論上は感染しない」と思っている孤独な病弱少女の元にコロナちゃんがやってきて、カラオケに誘ったり、ナイトクラブを設営したりしてあの手この手で感染させようとするのだが、そのたびに消毒液をぶっかけられたり、手洗いうがいで殲滅されたり、抗インフルエンザ薬アビガンを投与されるパンデミック日常系濃厚接触百合アニメ。
手洗いがウイルス殺菌に効くという理由で自宅の浴室をソープランドに改装して、全身を泡まみれにしてコロナちゃんを殺そうとする回を思いついたときは、未知のウイルスで脳みそがやられているのではないのかと疑った。
EDテーマは歌に合わせて手を洗うだけで、洗い残しなく手を綺麗にできるという実用性の高いものだ。


・思考バイアスを扱った認知心理学と疫病の歴史に関する本を読め。

コロナウイルスに関してはニュースやSNSの最新情報を追っても、冷静な思考から遠ざかっていくだけなので積極的に見なくてもいい。逆にデマを掴まされる危険だけが増えるし、誰も正確なことは知らない。 思考バイアスを扱った認知心理学と疫病の歴史に関する本を読んだ方が、適切に振る舞えるのでは無いのか。
災厄それ自体よりも人間の非理性的な反応の方が悪いと思っているし、ペストを遠ざけるためにお香を焚いていた時代と思考回路は変わっていない。部屋の湿度を保つために加湿機をがんがん稼働させていて、清潔にして祈ることしかできないのは中世感がある。

・丁半博打の思考

自分が客観的な事実を冷静に見ているのか、それとも願望を投影して都合の良い解釈をしているだけなのかわからなくなる。丁半博打をするみたいな思考プロセスで目の前のものを信じたり疑ったりしている。 思考バイアスの見本市のような状態になっていて、正常性バイアスや自分の判断を過大評価する傾向、数字や統計のトリックで認知が歪められる可能性などのトラップを避けながら思考するのはほとんど不可能だと思う。
そんな状況の中で自らの判断力を過大評価するのは、ウイルスに感染するよりも危険なことだと思う。自分の思考が使い物にならないと認めるのは難しいのだけど、あまり無条件に信頼しない方が良い。一度深呼吸をしてから、それが信じるに値する思考か、変な思考バイアスに囚われていないかチェックする習慣を付けること。

・思考リソースの枯渇問題

自分たちの思考が疲弊していくことに注意を払った方が良いのかも知れない。情報を検証する手間暇がかかりすぎて思考がショートする。真偽を判断するための思考リソースが先に底をついて、社会の健全な思考プロセスから先に麻痺していく。
普段なら一笑に付せられるデマへの抵抗力が無くなって、馬鹿馬鹿しいことも素直に信じてしまうようになる。考えることが面倒くさくなって、そのうち塩素系洗剤を薄めて飲むとコロナウイルスを殺菌できるといったデマを鵜呑みにしかねない。
一度あらゆる判断を保留して、特定の思考バイアスに囚われていないかのチェックを行った方が良いのかも知れない。菌を消毒するみたいにして、自分の思考から有害なものを取り除いていく。能動的に思考停止して、判断力のリソースを消費するような情報源には手を出さない。新しい情報に飛びつくのでは無くて、思考バイアスの検出にリソースを割り振る。
冷静な思考ができている人間なんてほとんどいないし、みんな浮き足立って気が狂っていると見なした方が良い。自分の判断が正しいと確信を持っている奴や断定口調には特に気をつける。現実を自分にとって都合良く解釈しない。常に不確定要素や不測の事態が起こりうることを勘定に入れて、リソースには余裕を持たせておく。

・Tokyo Pandemic 2020

新型コロナウイルスはTokyo Pandemic 2020と呼ばれるようになってからが本番なので、いまから大騒ぎしても仕方が無い。Tokyo Pandemic 2020シナリオでは重症患者が増えすぎて病床が足りなくなり、医療崩壊を起こし、社会の至る所で感染者が蔓延して第二の武漢扱いされる。唯一の対策が、みんなが免疫を獲得して集団感染を防げるようになるまでの持久戦しかない。
Tokyo Pandemic 2020にならなければそれで御の字だし、実際にそれに近い状態になったらどうしようも無い。手洗いうがいをして死なないように祈るしか無くなるので、なるべく気楽にいこー!!

・2020年2月24日

・コロナウイルス関連のニュースを見ているけど、国内の不安を煽るような映像がほとんど放送されない。韓国のKBSニュースのネット配信を観ると、防護服を着た人たちが街を消毒する様子、感染防止のビニールに包まれた担架が病院に搬送される映像、隔離病室、集団感染した新興宗教の教会、作業着を着たムン・ジェインなどが放送される。
一時間以上にわたって特集を組んでいるのに、日本の場合だとNHKニュースが15分ぐらいで終わる。雑なグラフとイラストだけがスタジオに映し出されて、不要不急の外出を控えましょう、というおきまりのフレーズを延々と繰り返す。恐怖や不安を想起させる可能性のある絵はまったく出てこない。逆にまともな危機管理を持った国外メディアの報道を流して、「海外は大変みたいだけど日本はまだ感染者数も少ないからいいよね」……という対岸の火事感を演出している。
・報道に圧力が掛かっているとは言わないけれども、自主的にこの報道になってしまうとすればマスメディアは死んでる。焼夷弾は怖くない、落ちてきても布団を被せて初期消火すれば大丈夫だ、と言っていた頃と何も変わっていない。リスクを低く見積もって恐怖を麻痺させる。
・繭に閉じ込められているような息苦しい感じ。国内メディアに触れるたびに生き物として感じるであろう当然の恐怖、不安、危機意識が削がれていくような気分。集団型正常性バイアス強化システムの中にいて、異常さを検知できなくなっている。

・「国内感染期にフェーズが変わり、国民のうち半分か3分の2は感染する可能性も考えられる。幸い、症状は軽症になることが多く、健康な若者が回復して免疫を獲得することで収束が早まる。対策するべきなのはリスクの高い高齢者や持病を持った患者である」……という話を読んで、パンデミック抑えられない前提かよ……と思った。でもそれが最悪かつ最も可能性の高いシナリオに思えるのが辛い。感染前提で、集団が免疫を獲得するまでの持久戦になる。ウイルス本土決戦だ……。


・2020年2月23日

・何か国際的な事件が起きたときには日本のマスメディアではなくて英語圏の情報をチェックした方がいい。しかし新型コロナウイルスの場合は、情報ソースが日本政府発表のものなので信用が置けない。数字が隠蔽されていたり、統計のトリックがあったり、意図的に感染者数が低く抑えられている可能性を勘定に入れないといけない時点で、情報としては使い物にならないのでは?
客観的なデータではなくて、フェルミ推定のような方法で実際の感染者数を見積もったほうがいいのでは?と思い始めている。少なくとも韓国以上の感染者がいると想定した方がいいのかも知れないし、自分を含めて潜在的なキャリアとして振る舞うべきだと思う。
・知りたいのは感染者数では無くて、どの程度、新型コロナウイルスの疑いがある患者が増えているのか?というデータのほうだよね。感染者が確認された時点で、すでにその地域は汚染されていると思った方が妥当だ。
・そのうち「コロナウイルスに負けない!絶対に会社を休めないあなたのための風邪薬!」とか、そういうCMが放送されるようになるんじゃないのかな……という暗鬱とした気持ちでいる。あるいは「日本の水際対策が失敗するよりも先に、中国人観光客が日本中にコロナウイルスをばらまいていた。日本政府が封じ込めに失敗したかどうかは問題では無い」という理由で、中国人ヘイトを煽って政権への批判を逸らす、とか、消費税増税による政策の失敗が経済危機でうやむやになるのではないのか……とか。

・2020年2月22日

日本政府の対応に対して「バカじゃねえの」以外の感想が思い浮かばない。上はアホだが現場はしっかりしている神話を信じたかったかったし、最高では無いにしろそのときにできる最善の対策をしてくれるものだと無邪気に思っていた。でも実際には素人の草野球みたいなエラーが頻発している。それを見て怒りよりも先に乾いた笑いが出てくる。
本当にバカじゃねえの。バカがバカなことをやって、勝手に馬鹿を見るのならこっちに実害は無いのだが、バカみたいなことのせいでパンデミックとか馬鹿馬鹿しいにもほどがあるぞ。
・悪い夢を見ているのではないのか、という現実感の無さ。少なくとも学歴社会のエリートだし、自分よりも遙かに頭のいい人たちだし、保身のために形振り構わないぐらいの危機意識はあるだろう。自分たちの損益に直結することなら真面目にやるだろう……と信じていたが、その想像の斜め下をかいくぐってくる。
本当にバカじゃねえの?

・感染症ノーガード戦術?

・東京が第二の武漢になるという最悪のシナリオを想定して動くべきだと思うのです。いたずらに不安を煽っているわけではなくて、少なくともその最悪を想定して対策しないといけない。
最悪のケースを想定して、それが発生した場合にどのような対策が取れるのか、その準備はもうできているのか、人員や物資の供給体制はどうなっているのか、病床のキャパシティは足りるのか、それが満杯になったら次の手はあるのか……というロジスティックの問題だと思うのだが、その辺はまったく語られない。人員と物資の話になったらもう戦争と変わりないだろ……と思うのです。
最悪の事態を思い描くことが視界の外に追いやられていて、状況を楽観して場当たり的に対応している。 もうすでに家族に感染の疑いがある場合にはどのような対策をするのが適当か、従業員に風邪のような症状が出ているときにはどういった対応をするべきなのか、感染する確率を減らすためにはどうすればいいのか、どのように消毒をするべきか、学校では、医療機関では、……といった具体的な話をするべき段階に来ているはずなのに、いまだに、感染者についての話ばかりをしているのは見当違いだと思う。
ほとんど感染症ノーガード戦術になっている。皮膚感覚に何かいやなものを感じる。

・東京もそのうち第二の武漢と呼ばれるほどの惨状になって、一時的なパニック状態に陥るのだが、その後にはコロナウイルスと共存する地獄みたいな日常が待っているのかも知れない。コロナに感染するのはあたりまえで、珍しいことではなくて、みんな解熱剤を飲みながら、他者に伝染させつつ日常を継続させる。少ししんどくて致死率の高い風邪ぐらいの扱いになる。どうせ非正規労働者なんて使い捨てが効くし、コロナウイルスで死んでも、他の労働者がいる。なんだ、コロナウイルスになっても働き続けられるじゃん、みたいな地獄だ。

・共有型正常性バイアス

「正しく怖がる」という言葉が、「正常性バイアスを全開にする」という意味合いに聞こえた。冷静に思考しているのではなくて、恐怖感を麻痺させられているような感じがする。恐れるべきものを、恐れるべき時に、適切に恐れる。それができないまま鈍感になって、目の前の危機を見過ごす。正常性バイアスに絡め取られて、現状を正しく評価できなくなっている。
もっと不安になって、パニックに陥るべきだと思う。恐ろしいものを恐ろしいと感じて、不安なものは不安だという。なのに生物として当然の感覚が鈍磨して、いつも通りの日常がそのまま続くかのように自らを欺いている。
コロナウイルスも怖いけれども、日本社会の鈍感さや感度の低さの方が恐ろしい。人災めいている。東京から避難した方が良いという話が出てもおかしくないと思うし、病床や医療機関のキャパシティがどのくらい持つのかもわからない。
武漢のパンデミックを過剰な演出で報道していたときには正反対に、日本人への感染が判明したあたりから淡々としたニュースや語り口が多くなった気がする。感染者の数を報じて、感染経路を特定するだけの機械的な報道には違和感を覚える。中国の時と日本のときで温度差が違う。すげえ気持ちが悪い。気持ち悪い、気持ち悪い。気持ち悪い。
※あとで見返したときにこの気持ち悪いの連打を修正しようと思ったが、そのまま残しておく。本当に鳥肌の立つような気色の悪さを感じたことが伝わることを願う。

・個人的な感覚として、ニュースで常にL字テロップが表示されているぐらいの危機感があるべきだと思う。それなのにニュースを見ていると、いつもと変わらない日常が続いているような錯覚を受ける。
武漢のときには家族感染のニュースをやっていたのに、それが日本で起きることを想定していない。初期症状の時に感染を避けるにはどうすればいいのか、家族はどう対応するべきなのか、どう消毒するのか効果的なのか……という情報が流れてくるべきだと思うのだけど、全くない。その欠落や想像力の無さが怖い。
今の段階だと初期症状の患者がじわじわと増えていて、遠くない将来、重症患者が医療機関に流れ込んでキャパシティをオーバーして、初めてパニックになる……と想定しておいた方がいいのか?
未来が不透明になって、何が起きてもおかしくない。政府や公的機関が最悪のシナリオをシミュレーションして、限られた資源を分配して最善の対策を取ってくれると信じられない。場当たり的に右往左往して、後手後手で、何もしない方がマシだと思えるメンツが、無能オリンピックを開催するような地獄しか見えないぞ。桜を見る会と日本語の不自由な首相だぞ。疫病と人災のダブルアタックだ。

・2020年2月19日 新型ウイルス!コロナちゃん!

いい加減経済への悪影響という概念を捨てろ。人間の命と金勘定のどちらが大事なんだ、という気持ちになる。新型コロナウイルスで枕詞のように経済への悪影響、景気、株価、不況といった言説が語られるけれども、ほんの少し止めただけで生活が成り立たなくなるようなフラジャイルなシステムに依存していることに対して誰も疑問を持たない。こんなときぐらい金勘定の話をやめろ。 ・皆が新型コロナウイルスに罹患しながら、解熱剤を飲んで日常生活を続ける……というビジョンが冗談に思えなくなっている時点で、感覚が狂っている。コロナ? いいから解熱剤飲んで会社に来い!働けるんだから関係ないだろ! みんな同じように出勤しているんだ!みたいな……。 ・本当に意味がわからない。海外の情報を参照にしようにも、ここが最前線なんだ……。

・2020年2月18日。

自分の皮膚感覚とメディアから受ける切迫感に落差がある。NHKはL字テロップで最新情報を伝えたり、症状の疑いがある場合や家族に感染の疑いがある場合はどのような対処をするべきか、事細かに支持する段階に来ていると思う。単純な感染者数ではなくて、潜在的な感染者を検知する段階だ。
・「手洗い、うがいをしましょう」ってインフルエンザ流行期の学級通信でももっとまとなことを言うぞ。
・「正しく怖がる」という言葉は、冷笑的に使われるようになるのではないのか。放射能への恐怖を隠せない人を「放射脳」呼ばわりしていたときのように、恐怖を麻痺させるためのマジックワードとして人口に膾炙される。
リスクを評価するときに、何か過剰反応で、何が正常性バイアスなのかを客観的に判断する方法が無い。ただ社会の混乱を最小限に抑えるためだけに正常性バイアスの強化が選択されたみたいで気持ちが悪い。正しく怖がっているのではなくて、間違った楽観なのかも知れない。


・2020年2月17日。

この時点での日本社会のコロナウイルスへの対応が、・手洗いをしっかりして不要不急の外出を避けよう、・もし感染の疑いがある場合は、重症では無い限り自宅療養で対応、・正しく怖がろう、……というもので、第一印象が棄民政策だった。ニュースの続報が出るたびに「馬鹿じゃねえの?」の罵っている。
未曾有の感染症に対する対策がこれ。すでにパンデミックの入り口になってもこの有様。自宅療養って家族や同居人への感染を止める気も無い。てっきり地下鉄の消毒を行うぐらいのアリバイ作りは当然やるものだとばかり思っていたけど、それもない。
なんだか危機感が削がれている気がする。8割が軽症になるというデータが曲解されて、「コロナウイルスに掛かっても重症にならなければ大丈夫。解熱剤を飲んでいつも通りの日常を送ろう!」と言われているように感じられた。


・※この文章は新型コロナウイルスが中国・武漢にとどまっていて、日本はそれなりに水際対策に成功するんだろうな……と楽観していたときに書かれたものです。

くらやみちゃんだニャ!
ここ最近は反社会的なことを思考するときには語尾にニャを付けているのニャ。 心の中で反社会的人格が生まれて、「死だけが唯一の救いニャ!新型肺炎は救済であり、ここで10億人ぐらい死ねば気候変動対策になるニャ! 経済が停滞すれば温室効果ガスも少なくなるニャ!」と騒ぎ始めるのニャ。
あたいはインターネットバーチャルテキストアイドル・くらやみちゃんニャ! 元々は暗闇男だったのニャけど、女体化催眠を繰り返したことでペニスが消失し、語尾にニャを付ける性別不明のモンスターと化したのニャ!
新型肺炎のニュースでみんな経済的な影響ばかりを語っているニャ。株価、企業業績への悪影響や、どのぐらい損をするのか、マスクを製造している企業の株価が上がったなどの金の話ばかりニャ。あたいたちは新型肺炎に冒されているのではないニャ。資本主義の病理に蝕まれているのニャ。コロナウイルスは拝金主義に囚われた人間の我欲を浄化するためのすてきなプレゼントだニャ!……と言おうと思ったけど、因果応報が怖いので前言は撤回するニャ。みんな、手洗いうがいをして生き残るのニャ。
ニュースのかたわら『交易の世界史』という本を読んでいたのだけれども、シルクロード経由でペスト菌がヨーロッパに輸入されて、1ページめくるごとに大量の死者が生まれる地獄絵図が面白かったニャ。それに比べると新型コロナウイルスなど雑魚なので、それほど心配する必要は無いニャ。迷妄に満ちあふれた中世ならともかく、今は科学の時代ニャ。ユダヤ人が疫病を引き起こしたというデマに操られ、天動説を信じ、差別意識がはびこっていた時代とは違うのニャ。ただSNS経由で新型コロナウイルスは中国の生物兵器だというデマが広まり、Youtubeでは地球平坦論者が復活し、感染者への差別が広がっているのが文明の進んだ21世紀ニャ。つまり人間社会はもう終わりニャ。人類の愚かさは変わらないニャ。ウイルスよりも人間の方が有害ニャ。人類社会は終焉を迎えるニャ。