自爆道


 愛国者で保守派のおれが、国防政策を考えるコーナー。ブービートラップ道に次ぐ、第二の国防政策は「自爆道」である。
 イスラム国は壊滅したが、その残党や支持者たちは各国で自爆テロを引き起こしている。組織に属さなくも、ネットで情報を得て爆弾を作り、自暴自棄になるか、あるいは盲信に身を委ねて命を投げ捨てる。
 東京オリンピックでの自爆テロが懸念される中で、国際社会の一員としてどのようにテロを未然に防止していくべきかについては、可及的すみやかに対抗策を立案しなければならないだろう。

そもそも、国際社会において歴史的な自爆ブランドを定着させてきたのは、紛れもなく日本である。神風の発祥地であり、過労死の語源を生み出した国であり、アニメでもためらいなく魔法少女を殺し、自殺者レート先進国高ランクを維持する死の国である。
 自爆テロは、日本がこれまでに築き上げてきたカミカゼ国家としてのブランドイメージを毀損する。自爆のイメージがカミカゼから、イスラム教原理主義へと変わってしまう前に手を打たなければならなら。
 そのためには自爆テロリストに、日本が誇る自爆の美学を叩き込まなければならない。それが自爆道の骨子である。
 彼らが日本で自爆テロを敢行する前に、自爆テロリスト達に、いや、自爆道の後輩たちに、散華精神のなんたるかを教え、親日派に転向させ、自爆先輩と呼ばれるような懐柔策を立てるのが得策だ。

 ここは自爆を志すテロリストにとってのメッカ、日本。
 国立ハラキリ・カミカゼミュージアムを建設し、日本人の人権感覚と人命軽視に触れてもらう。命は鴻毛よりも軽い。死に親しむことに関しては、この自殺先進国は一歩も二歩も先んじている。
 自爆道とは死ぬことと見つけたり。その自爆精神は桜の花のように散華するという美学に基づいている。都市のコンクリートジャングルや、砂漠で生まれ育った自爆テロリスト予備軍が決して知り得なかったものだ。

 ただ残念なことに、日本人でも自爆と集団自殺の区別がついていない場合が多い。
 集団圧力に晒されて死を選んだり、自暴自棄になって命を投げ捨てたり、他者に洗脳されて命を投げ捨てることは、正しい自爆道のあり方ではない。
 自爆とは、自分よりも大きな何かのために、命もエゴも保身も何もかもを捨て去ることだ。自分一人の命が助かることよりも、自らを犠牲にして大義に殉ずる。これが自爆道の真のあり方ではないのか。
 自爆の純粋性を確保するのは、自分自身の意志で命を絶つことである。そこに社会的な権力や同調圧力、外的な要因が入り込んでしまえば、自爆とは言えなくなる。
 人に死ねと言われてなんの葛藤もなく死ぬのなら、それは自爆ではない。間接的に他者によって殺されている。
 罪なき大衆を巻き添えにして死のうとしていた自爆テロリストに、ハラキリ・カミカゼミュージアムは、こう問いかける。
「君は何のために自爆するのか。宗教か、イデオロギーか、国家権力か、哲学か、己の不幸な境遇のために他者を巻き添えにするのか」
 ハラキリ・カミカゼミュージアムは自爆道を説く一方で、卑怯者を糾弾する。他者に自己犠牲を敷いておきながら、自分だけは生き延びた人間についても、ハラキリ・カミカゼミュージアムでは取り上げられている。
 お前に死ねと命令した人間は死なない。自爆で死ぬのは洗脳されやすい人間だ。そんな連中のために命をゴミに投げ捨てるのか? それは自爆道とは対極に位置するものだ。自爆の邪道だ。

 国際社会では自爆テロを未然に防ごうとする意識が強い。しかし日本は、自爆の先輩である私たちは、自爆テロリスト予備軍と手を携えて、精神の深淵に横たわるタナトスを見つめる。
 それが日本にしかできないオリジナルのおもてなし精神だ。