冷や水ぶっかけマインド。
何か特定の話題を口にすることに対して、強い抑圧が働いている。これを俺は「冷や水ぶっかけマインド」と呼んでいる。おれが政治のことを考えようとするたびに、頭の中にいる邪悪なこびとが囁き始める。
「なに偽善者ぶってんだよw」、「そういうのはもっと高学歴で実績のある頭のいい人間がやるべきことで、お前みたいな低脳が触れていい話題じゃないw」「なになに?社会正義を訴える自分に酔っちゃっているのかな?????」「理想論乙wwwwww現実を知らない雑魚wwwww」「下手な考えwwww休むに似たりwww」「どうせ何も変わらないんだから、失望を覚えるようなことはやめようぜwwwwwwww」……みたいな言葉が、動画サイトのコメントのように脳裏を過ぎる。
wというのは、嘲笑を表すネットスラングだ。(笑)の短縮形で、草が生えるとも言われる。乙というのは、お疲れの略だ。
ある特定の話題を考えようとするとおれの脳味噌ではこびとたちが暴れ始め、上記のような「何マジになって社会問題とか考えちゃっているの?」とセルフ自己検閲が始まる。これは冷や水ぶっかけマインドとも、出る杭を打つこびとさんたちとも呼ばれる。
「出しゃばるなよ、若造が。もっと勉強してから出直せ!」だとか、人の口を閉ざさせる言葉に怯えている。こんなこと言って大丈夫なのか、もしかしたらすっごい恥ずかしいことを言っているのではないのか、稚拙なことではないのか、他の人はどう思うのか……と、己の発言に自信を持てなくなる。自分の言葉で喋れなくなれば、必然的に他者と同じ言葉を喋るしかなくなる。匿名の影に隠れたり、自分が責任を取らなくてもいい言葉を叫ぶようになる可能性もある。
でもそれは他者の用意した言葉であって、自分が試行錯誤しながら喋ろうとした言葉ではない。自分が腹の底から感じたことを言葉にしたときに、それをどこの馬の骨とも分からない人間に否定されるのは怖いよね。自分の全人格を否定されたような気持ちになって、口を閉ざしてしまう。それだけならまだ良い方で、感受性や疑問、口に出したいことそれ自体を圧殺してしまうのかも知れない。
否定的な他者のまなざしに怯えないで、自分の言いたいことを表明するにはどうしたらいいのだろう? 小難しい問題を話し合うのは、その後の話だ。応用問題の前には、「表現したいことを表現する」という基礎課題をこなさなければならない。
おれはおそらく、ガキくさくて初歩的でどうしようもないような話をする。いわゆる大人らしい常識やリアリズムだとか、「普通の社会人はわざわざそんなことを言わない」とか、そういう抑圧が働きそうなものを選択的に喋る。
日本語における「いいから黙ってろ」という言葉のバリエーションは思ったよりも豊富だ。建設的な対話を促すよりも、相手の口を閉ざす話法の方が多い。