人かまぼこプロジェクトX


 かに風味かまぼこは、いわば現代社会の錬金術である。
 錬金術士たちが卑金属から金を精製しようと試みたように、かに風味かまぼこ術師たちは飽くなき努力を積み重ね、魚のすり身から高級食材を生み出そうとする人類の禁忌へと足を踏み入れた。時代が中世ならば、創造主への叛逆として異端者扱いされかねない。
 人類の欲望はかにかまぼこに収まらなかった。
 ある日、かにかまぼこを食べていた男に天啓とも悪魔の囁きとも区別がつかないインスピレーションが舞い降りた。
「かにかまぼこを作る要領で人肉風味の脂肪注入成形肉を作り出せば、合法的に人肉っぽい何かを食べられるに違いないのでは?」

その発想に思い至った時に、後の人肉風味成型肉の最大手であるトドトー人かまぼこの創業者は、自らの忌々しさを呪った。昔から人肉を食べたいと彼は思っていた。極限状況に置かれた人間が人肉を食べて一命を取り留めたという戦記を読んで、「食用に品種改良されていないし、そもそも人肉を食べるような状況では本当の人肉を食べたとは言えない」と常々から考えていた。
 創業者は己の人肉愛を注ぎ込み、最初の人肉風味成型肉「ひと缶」を発売した。豚肉でも鶏肉でも牛肉でも無い独特の触感が話題を呼び、マスコミからの批判を浴びながらも人肉風味成型肉ブームを巻き起こした。
 企業利益のためならば人道も倫理も踏み倒し、貨幣を得る。狼は狼を食べない。しかし人間は人間を生きたまま丸呑みにする。それが資本主義経済の骨法である。
 人肉を食べて食物連鎖の頂点に立ちたいという消費者の欲望を刺激することで、人肉風味成型肉――通称「人かまぼこ」市場が瞬く間に形成された。
 数多の企業が人かまぼこ市場に参入し、血みどろの戦いが繰り広げられた。第一次人かまぼこブームは、名付けるのならば「ディストピア時代」である。ひと缶は「人口爆発による食糧危機が起こった架空の世界。犯罪者や社会不適合の烙印を押された者は人間処理工場に運ばれて、ひと缶に加工される」という設定で生み出されたものだった。これ以外にも「人間牧場の美味しい缶詰」などの薄暗いSF映画を想起させるような暗鬱とした設定の商品がヒットした。
 その次には、人かまぼこリアル追求時代が訪れた。
「元日本兵が監修した、ガ島人肉風味かまぼこ」は、人かまぼこ市場に革命を起こしたエポックメイキングな商品だった。これまであくまでも想像上の人肉という設定にこだわっていた人かまぼこは、実際に人肉を食べたことのある人々から詳細なヒアリングを重ねることで、限りなくその味を人肉へと近づけて行った。「イタリアの食人犯罪者が選んだ三ツ星人かまぼこ」など、リアリティを徹底的に追求しようとするあまりに、人かまぼこ市場は道を踏み外しつつあった。「本当の人肉と区別がつかない!」という過激なキャッチコピーの商品も発売された。
 これが人かまぼこ市場黄金時代だったが、急激なブームは思わぬ事件も引き起こしてしまった。16歳の少年が殺人未遂を犯し、「一度、本当の人肉を食べてみたかった」と供述する事件が社会問題となったのだ。
 マスコミやネット上で批判を浴びせられ、人かまぼこ業界は自粛を余儀無くされた。
 ある企業は人かまぼこ市場から撤退し、またある企業は人かまぼこではなく「得体の知れないUMAの肉」という商品で危機を乗り越えようとした。人かまぼこユーザーが犯罪者と同一視される風潮が社会に根付き、スーパーから人かまぼこは撤去された。
 長く険しい、人かまぼこ市場暗黒時代が到来したのである。

 その頃、人かまぼこで一財産を築き上げたトドトー創業者は、精神を病んでいた。人かまぼこ市場リアル追求主義の波に乗り遅れ、会社は傾いていた。男はひと缶に変わるヒット商品を生み出そうとしていたが、どれも鳴かず飛ばずだった。ミイラに着想を得た干し人肉も、食人部族の風習にインスパイアされた「ちゅーちゅー脳みそ頭蓋骨」も、かつての栄光を取り戻すことはできなかった。
 以前から人かまぼこのパッケージには「YES人かま、NO人肉!」や「人肉を食べるのは犯罪です」と記していた。それは現実と虚構の間に生まれた、背徳的なファンタジーだったはずだ。どこで私たちは道を間違ったのか? 絶滅するまでうなぎを食べることが許容されるのに、なぜ誰も傷つけない人かまぼこが社会に許されない? ……と、トドトーは自らに問う。
 長年にわたる人かまぼこ研究の職業病によって、あらゆる人間が人かまぼこに見え始めていた。彼はジュニアアイドルのイメージビデオ――14歳ぐらいの女の子があられもない姿を晒す映像を見ながら、妄想に浸っていた。
 14歳少女の二の腕は、きっとふわふわで柔らかくて、瑞々しくてあっさりした味わいなんだろうな。まるで人間を餌としてしか認識していないエイリアンのようだと、トドトーは思った。しかし本当に人間の肉を食べて何になる? あれだけ期待していたのに、実際に食べてみたらそんなに美味しくなかったものなど、両手では数えきれない。
 人肉は我々にとって最後のフロンティアだった。人肉という決して口にできないものに想像を巡らせることによって、牛肉や豚肉という既存の概念から解放されていたのだ。今までは人肉のリアリティだけを追求していたが、我々は本物の人肉など知らないのだ。
 人かまぼこは、食に対する無限の可能性だ。
 そう思い至ったトドトーは、再び人かまぼこの開発に身を投じた。
 後に、トドトー人かまぼこは社運を賭けて、人かまぼこの新製品「ロマンチックミート 相崎るりか14歳」を市場に投じた。MeetとMeatのダブルミーニングであることは言うまでもない。
「相崎るりか14歳」は人かまぼこ業界に革命を起こした。
 写実主義の絵画が抽象主義や印象派、超現実主義(シュルレアリスム)に取って変わられたように、リアル追求路線に囚われていた人かまぼこ業界は幻想ロマン主義へと舵を切ったのだ。
 当然のことながら「相崎るりか14歳」は世論による批難を浴びせられたが、良心を持った人かまぼこ愛好家たちに支えられながらも、静かに以前の勢いを取り戻していった。
 今年で白寿を迎える創業者トドトーは語る。
「人かまぼこを作ってきたことに最初は戸惑いを覚えていましたが、今なら自分が歩んできた道を肯定できます。人かまぼことは、禁忌を犯す背徳感に対する無限のファンタジーです。人が人を食らうのは、極限状況以外では許されていません。しかし我々の世界に、本当に人食がないとお思いでしょうか? ある先住民族の文化では、我々の社会を「人喰い(ウエティコ)の文明」と呼ぶそうです。人間を食い、資源を食い、自然を食い、地球を食らう。それに比べたら、人かまぼこは実に奥ゆかしいとは思いませんか?」
 半世紀以上にわたって人かまぼこに執念を燃やし続けてきた創業者の目には、この世界が人食いの世界に見えるのだと言った。