萌えアニメのひとたちが全員野郎になった世界の話。


 現代オタク向けコンテンツの登場人物が、全員男になった世界に私は迷い込んだ。  コンビニエンスストアの成人コーナーに並んでいるのは快楽天でも無ければペンギンクラブ山賊版でもない。ハードコアBL漫画雑誌だ。この光景を目の当たりにすれば、誰でも信じざるを得ないだろう。私は性的な価値観が真逆になった世界に足を踏み入れていたのだ。

まんがタイムきららの表紙に野郎のイラストが掲載され、少女漫画雑誌の表紙には男のグラビアが載っていた。男性器の大きさが強調されるビキニパンツを履かせられていて、「グラビア初デビューEサイズのイケメン!」みたいなコピーが踊っていた。学ランを半脱ぎ状態で着た高校球児が肌を曝け出してこちら側を挑発しているような、扇情的な写真だ。
 状況証拠から推察する限りでは、男性はその男性自身の大きさごとにAサイズからFサイズなどに分類されているようだ。巨根グラビアアイドル。実際に目にしてみると心が痛くなる。じっと下半身を見つめると、そこにはミニマムキューティでスタイリッシュな高速射砲が搭載されている。ただでさえ序列化や優劣関係に敏感な雄として生まれてきたのに、こうも公然と性器のサイズを数値化されると劣等感が刺激されて身を捩りたくなる。
 心に傷を追った私は部屋に引きこもり、日常系アニメを観た。
 病んだ魂を癒やすにはこの方法しかない。美少女同士が小動物のように戯れる人畜無害な映像によって、精神に安定を取り戻すのだ。
 しかし、この世界に日常系萌えアニメが放送されているはずが無かった。まんがタイムきらら枠の代わりに放送されたのは、美少年たちがフラワーアレンジメントに精を出す作品だった。この手の作品ならば、中肉中背ミディアムカットの男性が中心で、ショタやメガネが満遍なく配置されているのが定石であろう。だがこの世界は男性を描くときの記号的表現が極端に発達しているようで、標準的なイケメン以外にも、ガチムチ、熊系、狼系、猿系などの幅広いラインナップが取り揃えられていた。イギリス生まれの金髪美少女が混じり込んでいるのと同じような雰囲気で、ヨハネスブルグで生まれたモヒカンの黒人が自然に学園生活に溶け込んでいる。学生服を着てはいるが、アクション映画なら二~三人は殺していそうな佇まいだ。
 これらのアニメは、日常系猛りアニメと呼ばれている。  この世界では萌えという概念は発達しなかった。その代わりに魂が猛り荒ぶるような感じがするという意味で、猛りという言葉が使われるようになったと言われる。  私が鑑賞したのは、大会に向けて合宿するお泊り会だった。  この時点でtwitterには「お泊まり回で精(意味深)を出す」みたいなコメントで溢れかえっていた。山に自生する植物を集めて、オリジナルのフラワーアレンジメントを作成するAパートが終われば、みんな大好きお風呂ノルマだ。
 常々から私は疑問を抱いていた。もし仮に野郎しか出ない萌えアニメがあったら、胸部の代わりにちんちんの大きさを比べ合うのか。その答えがついに明らかになるのだ。私は固唾を呑んで画面を見つめた。  男の入浴シーンでは「わぁ先輩、すっげえズルムケっすね!」「お前だって黒くて太いじゃねえか……!」というやりとりが繰り広げられる。湯気と不自然な光の大活躍。そしてあまり男性器が大きくないショタキャラが「だって僕、かぶっているし……」と喋り、ズルムケが「包茎の方が刺激から守られている分、気持ちいいんだぜ!」とフォローをする。「ほ、ほ、包茎じゃないよ! 仮性だよ!!」とショタが必死の反論。  お風呂上がりに、登場人物たちは腕相撲に興じる。ショタ少年は「せ、先輩と腕相撲!? 先輩の筋肉!? 先輩と手をつなぐの、僕!?」と、終始混乱していた。そして布団が足りないので、先輩とショタ少年が一緒の布団で眠ることになった。問題は先輩から動物のにおいがして寝付けないことだ。  朝になると、朝勃ちした先輩の男性器が太股に当たって目が覚める。どうやらこの世界での朝勃ち描写は、ちょっとしたハプニングで下着シーンを見られた程度の扱いらしい。
 私が迷い込んだ世界では男性が性的に消費されていた。男キャラは女性の歪んだ欲望を満たすための道具でしかない。ズボンは性器の大きさを強調させるデザインになっており、巨根と貧根キャラがひと目で区別できるようになっている。現在ブームとなっているのはショタ巨根、マイクロふんどし男祭り。ブーメランパンツ男戦士だ。
 これまではフェミニストの不寛容さに理解を示せなかった私も、ラディカル・マスキュリストに転向する勢いだった。表現規制を推進し、この世界から男性差別を撤廃することが私の役割である。男性を性的な対象として消費するこの世界に反旗を翻すのだ。
 表現そのものに反対しているわけではない。せめて男性のキャラクターデザインをもう少しおとなしくして欲しいだけだ。男根が強調された衣類や、極端にデフォルメされた性的な要素。これらをほんの少しばかり私の目の届かないようにして欲しいと主張したが、私の言葉は誰にも届かなかった。また頭のおかしいマスキュが何か言ってるよ程度の扱いだ。
 志半ばで魂を折られた私は、虚ろな目で男児向けアニメを鑑賞していた。ジャニーズみたいな年齢の男の子たちがアイドルを目指す爽やかなスポ根アニメで、クワで畑を耕しながら身体を鍛える。キャラクターデザインから性的な要素が削ぎ落とされていて、安心して鑑賞できる。おとこのこ可愛い。  そのまま私は疲れ果てて眠ってしまった。  目を覚ましたのは翌日の午後だった。枕元の漫画雑誌にはセーラー服を着た巨乳グラビアアイドルの写真が載っていた。  悪い夢を見ていた。いや、本当に夢だったのだろうか? 私は異なった世界に偶然足を踏み入れ、何らかの拍子で現実世界に帰ってこられただけではないのか? 私にとってはおぞましい世界だったが、誰かにとってはごく当たり前の世界なのかも知れない。  私は元の世界に戻ってきた安堵感に包まれながら、漫画雑誌を読み始めた。巨乳グラビアアイドルは服を脱ぐわけでもなく、もう一人の可愛らしい女の子と唇を近づけていた。嬉しい。だが、何かがおかしい。  不安の根拠を確かめるために私は書店に向かった。漫画雑誌の棚には、休刊したはずの百合漫画雑誌が平積みになっていた。百合漫画は市場が小さく、多くは季刊や隔月に落ち着くことが多い。総需要の絶対的な欠乏故に廃刊になってしまった雑誌も数知れない。しかし私の辿り着いた世界は違った。  百合姫とつぼみ、リリィ、ひらりが週刊漫画雑誌になっている。ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンを駆逐して、百合漫画が下克上を果たしていた。  私は天に向かって拳を高く突き上げた。