きんいろモザイクと悟り


 きららの師はキモオタから、「現実が在るとはどういう意味でしょうか?」と問い求められたとき、しばらく黙って座り、ハロー!きんいろモザイクを鑑賞していた。キモオタは大いに讃歎(さんたん)して、「師のお慈悲によって私の迷いの雲は晴れ、悟りの世界に導いていただきました」と言って、礼拝して立ち去った。
◆解説◆

ハロー!きんいろモザイクを鑑賞していたときに、「ディスプレイにきんいろモザイクが映し出されるのと同じように、現世も五感という名のディスプレイに映し出される幻に過ぎない」という謎の感覚が湧き上がってきた。五感と心に映し出されるものは皆、ディスプレイに映し出されるきんいろモザイクと同質のものに過ぎなかった。
 これが後に現実認識のまんがタイムきらら的転回と呼ばれる出来事だった。
 ドイツロマン主義で言うならば、「現実はまんがタイムきららになり、まんがタイムきららは現実となる」、東洋思想だと「私は夢の中でまんがタイムきららの登場人物だったが、目を醒ますとキモヲタのおっさんだった。キモヲタがまんがタイムきららの夢を見ているのだろうか? まんがタイムきららの可愛い登場人物がキモヲタの夢を見ているのだろうか?」である。
 さりとて、これは悟りではない。
 仏に出逢えば仏を殺し、鬼に出逢えば鬼を殺せ。仮に悟りのようなものを開いて高揚感を得ても、それすら感覚器官の生み出した幻の他ならないのだから、調子に乗るのはやめようというのが禅仏教の教えである。魔境である。ユング心理学で言うところの自我のインフレーションであり、どんなときでもシラフで乗り切っていくのがアルコホリックアノニマスの教えるところである。
 現実は五感というディスプレイに映しだされる幻に過ぎない。
 あときんいろモザイクを見ているときには笑顔になるが、変態猟奇殺人犯が女児を狭い場所に追い込んで、鍵のかかった扉を斧で壊しているときの狂気に満ちた微笑みに近い。