ゼロ年代の時間感覚を取り戻すための話。
私はゼロ年代の穏やかな時間感覚を取り戻すことにした。
スティーブ・ジョブズがiphoneを発明する以前には、インターネットはお外に持ち出せないものだった。ネットブックを路上に持ち出してインターネットをする行為が、ストリートインターネットとしてもてはやされていた時代である。ちなみに充電時間は1時間半しか持たない。人々はlanケーブルで大地に縛り付けられ、直射日光の当たらない薄暗い部屋でインターネットに繋がっていた。外でなんの気兼ねも無くtwitterをチェックできるというのは革命だったのだ。しかし革命が無残な結果に終わることは、何度も歴史が証明している。フランス革命もロシア革命も、カンボジアのときもそうだった。
すでに平均的なアメリカ人は19分に一回、スマートフォンをチェックしている。
かつて、メールを送ったら数日間は返ってこないのが当たり前で、インターネットにコンテンツをアップロードしても反応があるのが数日以上先だった。技術発展と共にそのサイクルが早くなり、メールは一日以内に返信するのがマナーになり、メッセージは可能な限り早く返信しなければ村八分になるような超加速世界を生きている。
数万もする機械を買い、フェイクニュースに騙されて、ガチャでソーシャルゲーム依存症にされる。それが私たちがかつて夢見ていたインターネットだったのか。いや、違う。ここはディストピアだ。いつの間にか私たちは間違ったインターネットの可能性に迷い込んでしまった。ここは商業主義と広告が支配する地獄だ。私たちは一刻も早くこの場所を立ち去らなければならない。
・アテンション争奪戦の世紀に
そのためにはまず始めに、自分が罠に捕らわれていることに気が付かなければならない。私たちは目の前のチーズに食いついた鼠だ。自分が金属の籠に閉じ込められたことにも気が付かないで、チーズを貪り続けている。シリコンバレーに集められた高学歴・高知能の行動心理学のプロフェッショナルたちが、いかに人間の脳の脆弱性につけ込んで、中毒性のあるサービスを開発できるのかにしのぎを削っているのが、現代テクノロジーの惨状だ。
シリコンバレー企業は行動心理学の研究を駆使し、どのようにすれば人間の脳をハックして、効果的にドーパミンを出させ、よりサービスに依存させられるのかどうかを競い合っている。自分が技術を活用していると錯覚しているが、自分が活用させられる側だということには気が付かない。
ネットに溢れるコンテンツは無限で、我々の注意力(アテンション)と時間だけが有限だ。
何を見聞きするのか、何に注意力を払うのか、何を無視するのか。自己決定権を喪失したままでは、我々はアテンションを搾取され続けることになる。
人間のアテンションを利益に変換する。それがインターネットの生み出した現代の錬金術だ。
インターネット産業は、ユーザーからアテンションを必要以上に収奪することによって収益を得る。19世紀が物理的な領土を奪い合う植民地支配の時代であったのならば、現代は人間の時間と注意力を奪い合うアテンション支配の時代であると言っても過言では無い。
いついかなるときも、自身のアテンションを、時間を、あらゆるテクノロジーによって収奪される。時には射幸性を煽られることに快楽を覚え、時には人間関係を人質に取られる。逃れられなくなった後に、時間とアテンションを惜しみなく奪われる。
もしあるサービスが無料で使える場合、売られているのは我々の眼球だ。私たちは自分がデジタル技術を酷使する主人だと思い込んでいるが、実際には商品となっているのは私たち自身のアテンションであり、消費動向であり、時間の使い方であり、個人情報である。
かつてコカコーラにはコカの葉が入っていたと言われるが、21世紀前半のアプリケーションには人間の脳を中毒状態にするメカニズムが過剰なまでに組み込まれている。
化学物質によって人間を依存、中毒状態にするのには法的な規制が掛かっている。しかしまだ時代は科学に追いついていない。射幸性、ランダム性、光と音の刺激、巧みな承認欲求などの、認知的錯覚や脳の脆弱性、ホモ・サピエンスとしての弱さにつけ込んで、人を中毒に導く。その方法に対しては、現状としては法的に規制できない。
10年後ぐらいには「このアプリにはドーパミンを過剰に放出させるデザインは使われていません!」と表記するのが義務になるかもしれないが、現代社会はそこまで追いついていない。
それまでは自分の脳は自分で守らなければならない。
・バナナボタンマシンの国からの逃亡
アテンション争奪の技法を駆使して生み出されるのが、人間用のバナナボタンマシンだ。
ある一定の確率でバナナが出てくるボタンを与えられた猿は、バナナが出てこなくなっても死ぬまでボタンを押し続けた。そこから命名しているが、どの実験研究だったのは覚えていない。マウスの脳に電極を付けて、ボタンを押すたびに快楽神経を刺激される実験ではマウスは食事も交尾も無視して死ぬまでボタンを押し続けた。お猿さんもねずみさんも残虐非道な実験の犠牲になって、にんげんさんにバナナボタンマシンの恐怖を教えようとしたが、にんげんさんは人間用のバナナボタンマシンの生み出す原始的な快楽に没頭していた。
見た目も機能も異なっているが、我々が手にしているテクノロジーは高度に擬態したバナナボタンマシンだ。ボタンを押せばバナナの代わりに、承認が、快楽が、いいね!が、他者の言葉が、評価が、レアカードが、ポルノが、ドラ2中中東東白の配牌が、ディスプレイから無限に出てくる。我々はバナナを求める猿のように、ひたすらマウスをクリックし、スマートフォンをタップし続けていた。
ここはバナナボタンマシンの国。
快楽によって脳は破壊され、常時ドーパミンが放出された状態にならなければ気が済まなくなる。現代人の脳味噌にはバナナボタンマシンの原始的かつ強烈な快楽のメカニズムが脳に刻み込まれてしまっているので、意識的に身を離さない限りはバナナボタンマシンに身を委ねてしまうのだ。
かつて青木雄二は言った。「あれはパチンコでもギャンブルでもなんでもない。くじ機能付きの集金マシンや」そして我々がプレイしているのはゲームではない。ゲーム機能付きの集金プログラムだ。ファンタジーゲームの皮を被っているが、我々から金銭と時間を収奪するためのバナナボタンマシンと集金装置のキマイラだ。
アイドルマスターシンデレラガールズの櫻井桃華ちゃまの母性に溢れた微笑みも、私から精液と貯金を搾り取るための策略に過ぎない。皆が羨むシンデレラのお城は、これまでに課金を重ねた者たちの屍で作られている。
・新たなる鉄鎖
アテンション争奪の技法と、バナナボタンマシンの誕生。このふたつを持って、スマートフォンは人類の新たなる鉄鎖になった。無限の叡智を与えてくれるはずだったテクノロジーは、人類から惜しみなく孤独と静寂とオフラインを奪っていった。
少し時間が空けば、すぐさまSNSをチェックできる。そのことで内省と孤独が根こそぎ奪われた。我々は退屈を忘れてしまった。漫画も小説も読み尽くし、ゲームは最大までレベルを上げて、やりこみ要素は全てクリアした。あとは電話帳や辞書以外に読むものが無い。このような退屈さを喪失して久しい。
今は退屈を感じれば適当にSNSをチェックして、適当に基本無料のゲームをインストールして、一巻試し読みの無料マンガや、サンデーうぇぶりで百合漫画『はなにあらし』を読める。ふたりは恋人同士なのだけれども、みんなには内緒なのだ。こんな尊い作品を見れるなんて、私は代償に何を支払えばいい? 等価交換の法則に従えば、下手をすれば魂まで持っていかれる。しかし無料か登録時に付与されるコインで読めるのだった。
このような時代では試食だけで満腹になってしまう。
バナナボタンマシンは地球の隅々まで浸透し、人間は死ぬまでディスプレイをタップし続ける生き物にまで退化した。
私は加速し続けたインターネットに終止符を打つことにした。
目を覚ましたときにベッドの中でスマートフォンをチェックして、意味もなく時間を潰している自分の行動習慣が禍々しいものに思えてしまった。自分は何に自由意志を蝕まれているのか? そう思い至ったあのときから、バナナボタンマシンを破壊するためのラッダイト運動が始まった。
自分が奴隷だと認識した人間は、もはや奴隷では無い。奴隷とは、自らが奴隷の境遇にあるとは気が付いていない者だ。人間は生まれながらにして自由であるのに、いたるところでバナナボタンマシンの誘惑に屈して、自らを隷属状態に貶める。
スマートフォンを投げ捨て、wifiを無力化し、再び自分とインターネットをLANケーブルでつなげる。時間感覚を限りなく緩慢に間延びさせていくことによって、精神をクロックダウンする。それがこの作戦の骨子だった。バナナボタンマシンを破壊しろ!俺たちは自由だ! 野生に戻れ! インターネットのサバンナを駆け抜けろ! サーバルのように!