幼いときの記憶の断片のようなもの


駄菓子屋
 駄菓子屋に関して覚えているのは、小雨の日に午前九時ちょうどに俺は駄菓子屋に買い物に行った。その時はゴムでできたは虫類のおもちゃに執着しており、一体30円だったか50円だったのかは忘れたけれども、細いゴムを蛇や蜘蛛の形に加工したおもちゃで、おれはそれを収集することに情熱を燃やしていたのだ。

駄菓子屋のおばあちゃんは、「偉いね、早起きだね」と言って蛇のおもちゃを一匹おまけしてくれた。
 駄菓子屋は俺にとって物資補給拠点であり、食料も武器も手に入るコンビニエンスストアだった。まずこの世界と戦うには武器がいる。銀魂鉄砲とビニールに包装された予備の弾。煙幕と爆竹、スリングショット(これはすぐにゴムが切れる)。うまい棒と粉末コーラ。このあたりのアイテムを一通り揃えれば、小学三年生の俺はいっぱしの戦士になる。それが銀玉鉄砲でも、武器を持つのは心強い。人は駄菓子屋で世界と戦う力を得るのだ。
 優しい街の優しい世界に暮らしていたのだと思う。でも俺の見ている世界は本当に僅かで、保育園に上がる前から遊んでいた友達は家庭環境が悪かったらしい。子供に中古屋の店番をさせるような親で、おれはよく小学生が店番をしているところにいってスーパーボンバーマンをやっていた。

クレーンゲーム破産の話。
 ソシャゲーのガチャに月2万円つぎ込んでいるという知り合いの話を聞いて、クレーンゲーム破産した日を思い出した。当時八歳の純粋無垢だったおれは全財産の1000円を握りしめてゲームセンターへと向かった。クレーンゲームの景品であるドンキーコングの樽クッションが欲しいというどうしようもない物欲に駆られたおれは、千円札を両替してクレーンゲームに全額ぶっ込んだのだった。
 千円札は闇に飲まれた。
 手に入れたのはドンキーコングの樽クッションではなくて失意と絶望、後悔、空虚だけである。1玉4000円のパチンコ〝沼〟を攻略しようとして全財産を使い果たしたときのカイジか、FXに貯金を全て溶かした後のほのか先輩。そしてクレーンゲームで無一文になったおれである。ドストエフスキーの賭博者いわく、ギャンブラーは破滅するまで金をつっこみ続けなければならないのだ!
 そんなクレーンゲーム黙示録のトラウマがあるので、ガチャと聞いただけで八歳児の心に刻み込まれた古傷が疼いてくる。
 知り合いは独特のギャンブル理論を語る。「パチンコで一日に14万負けたけれども、その日の最後に24万取り返した」だとか、「パチンコの必勝法は、いかに好調の時に波に乗るかだ。10回のうち8回は負ける。しかしそのうちの2回は勝つので、そのときにどれだけ流れに身を委ねてそれまでの負けを取り返すかだ! そうすれば儲けられる!」
 中世の占星術師みたいだ。
 東北は人間世界の物理法則が及ばない蛮族の地なので、確率論も統計論も我々の知っている現実世界に比べて著しく歪んでいるのである。これを東北確率統計論と呼ぶ。
 こういった理由で生まれてから四半世紀以上ギャンブルをしていないのだけれども、果たして八歳児にとっての1000円は安い授業料だったのか。
 子供の時におもちゃを集めていたけれども、いまとなってはがらくた当然の代物だ。旧約聖書箴言の、この世界は全て空……という気持ちにもなる。物質はいつか皆滅ぶ。