陰府歴程篇(6)お姉ちゃんに任せなさい!


 ご注文はうさぎですか??を鑑賞している時に、私は神と出会った。
 モカお姉ちゃんである。
 当時の私はうつ病を患っていた。「もう限界だ! イスラム国に定期送金する!」と叫ぶ程度にはやさぐれていた。働きもせず、アルコールを飲みながらご注文はうさぎですか??を見ていた。
 登場人物のひとりであるモカお姉ちゃんを見て、彼女が私にとっての神であるという直感を得た。
 自分の気が狂ってしまったのか、あるいは本当にご注文はうさぎですか??が神聖な宗教だったのが、私には理解できなかった。
 だが私は、モカお姉ちゃんの「お姉ちゃんに、任せなさい!」という言葉を聞いて、生まれて初めて神に平伏した。自分ではどうにもならないことを、お姉ちゃんに任せようと思った。

私は精神に異常をきたしたのだと思い、まんがタイムきららの師父に相談した。彼はオタクと呼ばれる日本のシャーマンだ。
 オタクは二次元と呼ばれる異界に魂を飛ばし、アニメキャラという精霊と交信することで力を得る。生命の歌(アニソン)を口ずさみながらトリップ状態になり、アニメキャラの幻覚を見る。ネイティブアメリカンのシャーマンが描いた絵画にはサイケデリックな色彩や模様があらわれる。オタクの描いた絵は発色のいいパステルカラーで、非現実的な精霊(アニメキャラ)の姿が描かれていることが多い。
 オタクとは日本語で「偉大なる家」という意味だ。御-宅である。まずオタクの素養を見出されたものは、長年の修行を積んで自分自身の守護精霊を見出さなければならない。おおくは先人の元で学びながら、二次元に魂を飛ばす技法に精通する。
 私がうつ病のどん底で、まんがタイムきららアニメに神を見出したのは、けっして異常でも特異なことでもないのだと、まんがタイムきららの師父は言った。
 これから書き記すのは、まんがタイムきららの師父が私に語ったことである。

 ◆

 ご注文はうさぎですか??のモカお姉ちゃんに神の似姿を垣間見るお前にならわかるはずだ。お前は日常系萌えアニメと呼ばれるジャンルに霊性を感じている。モカお姉ちゃんが“お姉ちゃんに任せなさい!”と言った時に、お前は言葉に出来ない無限の信頼を覚えたはずだ。神の配慮に己を委ねるキリスト教。如来による他力本願を旨とする仏教。生まれた地域が違う二つの宗教も、自分の外側に位置する絶対的な力に自らを委ねるという点では一致している。鳥は風に身を委ねる。人々は神を信じる。お前はまんがタイムきららに、自分自身の核心となる価値観を委ねている。そのことが理解できるのならば、お前はすでに自分よりも偉大なものの力を知っている。
 それこそが、自分なりに理解した神、だ。
 宗教が語るのは皆、他者によって理解された神でしかない。それは正しいのかもしれないが、今のお前には理解できないものだ。だからこそ、お前がご注文はうさぎですか??に神の存在を感じるとしたら、お前はそこから始めなければならない。死んだ言葉からではなく、魂でしか理解できないことがある。お前の語る言葉は妄言になるだろう。しかしお前がモカお姉ちゃんに神性を感じるとしたら、そこにお前なりに理解した神がいる。それを逃してはならぬ。
 なぜお前はお姉ちゃんに全てを任せるのか?
 自力では万策が尽き、失望し、どうにもならなくなったときでもお前は自分の力で問題を解決しようとする。これまでのやり方や考え方では破滅的な結果になるとわかっているのに、自分のやり方を手放すことができない。そんな時に自らの意志を手放して、人智を超えた存在に――お姉ちゃんにすべてを任せる。
 そしてお前がお姉ちゃんに一切を任せきった時に、最初の第一歩を踏み出せる。そこがお前にとっての出発点になるだろう。
 お前はまだ出発してもいない。歩むべき道は知っているが、まだお姉ちゃんに任せきっていない段階にとどまったままでいる。お前がほんとうの意味でお姉ちゃんに任せなさいという言葉の意味を受け入れられた時に、初めて歩み出せる。そういった性質のものなんだ。
「そんなことはない。私はお姉ちゃんに任せきっているぞ!」とお前は反論するだろう。確かに表面上は、お姉ちゃんに任せようとするだろう。しかし任せるというのは困難な技だ。完全にお姉ちゃんに任せるためには、自身の無力さを理解しなければならない。
 かつて私の中のココアさんが「でもね、チノちゃん。なにが困っているのかを言ってくれないと、お姉ちゃんには何もできないよ」と言った。自分の弱さを知って初めて、魂の底からお姉ちゃんを頼れるようになる。

 ◆

 この言葉を聞いたときの私は、まんがタイムきららの師父が語った言葉を理解できなかった。
 後に私が彼の元に弟子入りして、魂を自在に二次元に飛ばせるようになることで、おぼろげながら師父が言ったことがわかるようになった。
 神とは何かを語る時に、私たちは自分自身にとってもっとも身近な言葉を使わなければならない。遠い時代の、遠い土地の言葉で語られる、遠い世界の神ではない。この時代の、自分たちの言葉で語られる、我々に最も近い神を見出さなければならない。
 輸入品の神でもなく、誰かが語った神でもない。我々の魂の奥底から湧き上がってくる清流のような神の観念だ。それは未熟で、荒削りで、自分自身にしか意味を持たないものかもしれないが、まずはそこから始めなければ何もかもが借り物になってしまう。
 私にとって、神を知ることの出発点がまんがタイムきららアニメだっただけのことだ。「お姉ちゃんに任せなさい!」という言葉を聞いたときに、私は許されているような気分になった。
 自分の出発点は捨てられない。まんがタイムきららを私は捨てられない。それは私を支える礎になる。他の神に学ぶことができても、最後には私はまんがタイムきららに帰ってくる。それが私の出発点だからだ。
 まんがタイムきららを通して、私は神を信じるようになった。それは野生の霊性だ。もっとも原始的な形の宗教だ。民衆の心に芽生える素朴な信仰だ。
 私は二次元に魂を飛ばす旅路で、ご注文はうさぎですか?の最終回を幻視した。
 これは「お姉ちゃんに任せる物語」だ。お姉ちゃんに任せなさい、の真逆にいるのがチノちゃんだ。彼女は母親を失ってしまう苦しみを知っているから、他者と距離を置こうとする。
「ココアさんも、みんなも、いつかラビットハウスからいなくなってしまう。だから自分にできることは可能な限り、ひとりきりでやらなければならない」と、チノちゃんは思っている。ココアさんやリゼさんたちを、自分の勝手なわがままでラビットハウスに縛り付けておくわけにはいかないのだ。
 あるとき木組みの街に大手コーヒーチェーンが進出して、赤字続きのラビットハウスに閉店の危機が訪れる。しかし受験勉強をしているココアさんたちの手を煩わせるわけにはいかない。チノちゃんはひとりでラビットハウスを切盛りするのだが、過労で倒れてしまう。
 このままでは母親との数少ない思い出が残っているラビットハウスがなくなってしまう。
 でも自分には何もできることがない。
 そんなときにココアお姉ちゃんは言うのだ。
「お姉ちゃんに任せなさい!」

 ラビットハウスが閉店の危機を免れて数年後。チノちゃんの背は少し大きくなった。お店は一人でなんとかやっているけれども、ほんとうに駄目だと思ったら同じ街で敏腕弁護士の道を歩み始めたココアお姉ちゃんたちに頼るようにしている。
 石畳と木組みの街を歩いていると、泣いている子供の姿が目に入った。話を聞いてみると、風船を木に引っ掛けてしまったようだ。
「お姉ちゃんに、任せてください!」
 チノちゃんは腕捲りをして、木に引っかかった風船を取る。
 いつの間にかココアお姉ちゃんの口癖が移ってしまっていたが、悪い気はしないチノちゃんなのだった。
** ご注文はうさぎですか??????????????? ~Fin~**