ロヒンギャの斬首画像を探していた。
ここ数年、テロリスト過激派の斬首画像が見つからないので悲しい。昔はtwitterでイスラム国のアカウントをフォローしていれば、処刑画像も斬首画像もだいたい手に入ったのだが、ヘイトスピーチもイスラム国のプロパガンダも規制されてしまったので、深刻な斬首画像不足に悩んでいる。
空爆された市民が廃墟になった街をアップロードしたり、道ばたに転がる名前も知らない人の死体を写したりしたコンテンツが観たい。そこまで熱心に観たいわけではないのだが、西洋民主主義の価値観に馴染まないものが過剰に浄化されているような気がする。
「私たちは差別と抑圧に反対する。ヘイトスピーチやグロ画像、テロリズム、児童ポルノは禁止する」その方針は間違っていないし自分も賛成している。
それでも、誰にとってもクリーンで安全な場所を作る過程でこぼれ落ちてしまったものは、どこにいくのだろう。イスラム過激派専門Mastodonインスタンスとかあるのだろうか? アメリカでは政治思想によって異なったインスタンスや交流アプリが作られていると聞く。
徐々に見たくないものが見えなくなるのは、好ましいことではないのでは?
decapitateで検索すると斬首画像がたくさん出てきて吐きそうになるのだが、これは何かが違う。グロ画像を探すのは、残虐画像が好きだからではない。
クリーンな情報ばかりに接していると、世界像が歪んでいく。
シリア空爆が行われたとき、ミサイルが流星みたいに夜空に一筋の軌跡を描く写真を見て、綺麗だと思った。あるいは建物が攻撃されるときの爆風、廃墟になった街などの映像を見て、死が欠落していると感じた。
戦争なのに吐き気がしない。目を背けたくならない。憂鬱にならない。テレビや新聞、ネットメディアに流せるだけのマイルドな情報だけを見ている。テレビで映せないもの、表現が規制されたSNSではグロ画像として消されてしまうものが、失われていく。
映像素材がどの程度編集されていたり、どの程度、誰かの意図が入り込んでいるのかわからない。提供される映像に何かしらのプロパガンダ的意図があるのかも知れない。うがった見方をすると、軍隊のイメージキャンペーン的な作為が混じり込んでいて、戦争に対するイメージが無意識の間に歪められているのかも知れない。
わざわざリツイートやシェアをして死体画像を共有したい人もいないだろうし、逆にそういうことをされてもブロックしてしまう。人間の善性に頼った現在のインターネットは吐き気がする邪悪さを受け止められない。かわいい子猫の動画を見るような気軽さで、爆弾で小さな子供の手足が吹っ飛ぶ映像は閲覧できない。
この世界のどこかに、Likeの代わりにEvilボタンを押して悲惨な写真や動画を評価する暗黒SNSがあるのかも知れないけれども、しらふではアクセスできない。でも邪悪さを濾過して、クリーンな世界だけがあるように振る舞うのでは自己欺瞞に陥る。けれどもグロ画像を直視するのは精神的にしんどい。