屑人間になろう! 実践編。


屑人間になる方法は、学校では絶対に教えてくれない。奴らがおれたちに教えるのは、社会に役立つ人間になるとか、立派な人間になるとか、誰かのために生きる人間にならなければならないということだけだ。誰かの役に立つのは結構なことだが、自分の存在理由を他者に丸投げするのは好ましいことではない。それでは承認欲求モンスターになったり、最悪の場合は他者のために生きられないがために自殺する。
社会の役に立つというのは、「お国のために奉公する」というフレーズを言い換えたものだ。大日本帝国は滅んだが自己犠牲精神だけはしぶとく生き延びた。皇国日本の臣民としてお国のためにその身を捧げるのか、戦後民主主義日本のビジネスパーソンとして社会に役立つ人材になるのか。違う言葉を使っていても、語られていることは同じだ。おまえはおまえ以外の誰かのために隷属して生きなければならない。
屑人間になるということは、自分自身のために生きるということだ。社会の役に立たないし、立派な人間にもならない。人のためには何もしない。誰のためでもなくまず自分自身の幸福を最優先にする。それが屑人間化計画のファーストステップだ。自分を大切にできないやつが他人に優しくなれるはずがない。
この価値観は戦前では非国民扱いされるだろうし、現代社会では屑人間の烙印を押されて生きることになる。おれが好きな第二次世界大戦時の生存テクニックは、「アウシュヴィッツではまじめに働くよりも、徹底的に仕事をさぼって殴られた方が体力の消耗が少ない」という話だ。看守に殴られないように必死に働いたやつから疲労で死んでいく。満員電車の乗車率が常時アウシュヴィッツ輸送列車を超えるとされる日本でも、間違った方向で頑張ったやつから死んでいく。

「余剰カロリー作戦」

ここで採用する屑人間戦略は「余剰カロリー作戦」だ。
人類社会がおれを養えるだけの余剰カロリーを生産し続けられるのなら、それにフリーライドして生きていい。働かざる者食うべからずというのは奴隷道徳だ。
『(※正しい書籍名を調べたら追記する)』という本によると滅びた文明を復興させるために必要なのは、人間を養うための総カロリー生産量だ。とにかく人を養うだけの食料が生産できなければ文明は成り立たない。
この文章を読んでいる皆様方におかれましては、是非とも一度崩壊後の文明をどのようにして再興するのかというシミュレーションをしていただきたいと思っている。まずは食い物の生産から始めなければならない。十分なカロリーをまずは確保して、文明のインフラを復旧する専門職を育てていく。百姓には水だけ飲ませて年貢を納めさせ、そのかっぱらった分の食料で文明を回していく。その過程で権力を握れば、食料も財産のピンハネできるという仕組みだ。
RPGゲームで敵を倒してレベルアップして、その金で新しい装備を買って新しい敵に挑む……のと同じように、「カロリーを生産する→余剰分で異なった技術が生まれる→技術革新でさらなに大量のカロリーを生産して人口を増やす→……」というプロセスを繰り返しているだけに過ぎないと気がつくはずだ。
人生の目的や社会貢献、思想や歴史、その他諸々の大義はすべて後付けだ。文明がおれたちを養えるだけの余剰カロリーを生産できている間は生きていていい。資本主義社会が生産能力をもてあまして不必要なものを生み出すのなら、それを使って何とか働かずに生きていきたい。

屑人間として生きるためには、近代資本主義が生み出した生産性の呪縛から逃れる必要がある。おれたちは長い間資本主義社会のプロパガンダに洗脳された結果、人間と商品の区別ができなくなってしまった。
おれは人間にスペックという言葉を使うのが嫌いだった。スマートフォンの性能を比較するみたいに、商品に向けるまなざしで人間を品定めする。商品としてしか人間を見られなくなり、人間性を値札のつけられるものに貶める。高スペック人間・低スペック人間という風に、労働力としての性能に応じて人間を序列化する。自分自身が人間であるよりかは商品だと見なすのは、現代社会の病だ。
ひとりひとりがかけがえのない人間であると言うつもりはない。みんな最終的には死ぬ。有限の命を生きるはかない存在に過ぎない。どれだけ苦しんでも、どれだけ痛みに耐えても、他者のために尽くしても、はじめから存在しなかったかのように消え失せる。どうせ死ぬのなら、楽しく生きた方がましだろうというのが屑人間の考えることだ。苦しんでも悟りは得られないと仏陀は気がついた。そもそも屑人間なので苦しいことはしたくない。自殺するやつは死ぬことで苦しみから逃れようとしている。その点では快楽主義者だ……と言ったのはカントだったっけ?
役に立つから生きていていい、役に立たないから存在価値はない……というまなざしを自分に向けるのはあまりいいことではない。AI技術が発達して雇用が人工知能に奪われたときには、人々は仕事だけではなくて存在意義そのものを失ってしまう。コールセンター業務は合成音声になり、タクシーや運送業は自動運転になる。NHKの囲碁と将棋の時間は人間の棋士の対局ではなくて、プログラマが自作の人工知能エンジンを競わせる場になる。
労働は機械に任せて、無為徒食を楽しんじゃおう!という訳にはいかない。精神を病み、存在価値を疑い、自暴自棄になるに違いない。それもこれも社会の役に立たない人間には存在価値がないという教義がすり込まれた結果だ。
今から屑人間として生きる訓練を重ねることで、価値観の転換に耐えられる心を養っておくのがリスクヘッジというものだ。君も今すぐ屑人間になろう!