催眠音声でメスイキしてしまった~Track.01 催眠百合ニー導入パート


催眠音声初体験で激しいドライオーガズムに達してしまった。
最近は眠りにつくときに同人音声のボーナストラックを再生しているのだが、「催眠音声の導入部だけを聴けばより心地よい眠りに導かれるのではないのか?」と思った。18禁パートは必要ないし、それまでに眠れなかったら音楽プレイヤーを停止すればいい。しかし、それは浅はかな考えだった。催眠導入パートを終えた時点で「あなたの手足は重くなる」という催眠に掛かっており、手を動かして音楽プレイヤーを止められないのである。催眠音声が語りかける声のなすがままになり、身動きが取れない。ピンチだ。

いま聴いている音声は催眠で自己暗示をかけて、ドライオーガズムに達するのを目的としたものだ。催眠状態になったあとは「あなたの中で快楽の波が少しずつ大きくなる」といった言葉に従わなければならないのだが、具体的な感覚を抱けなかった。
元々、射精しか知らない男性はドライオーガズムがどういうものなのかわからない。男性の身体でドライオーガズムを感じるためには、ペニスへの刺激以外で快楽を得られるように、脳の構造を変える必要がある。催眠状態で脳のroot権限を取得したり、前立腺や乳首を開発するなどの迂回路を経由する。今まで使っていなかった快楽の回路を目醒めさせることで、ドライオーガズムへの道を開く。
それが一般的に考えられている手法だ。
だが催眠音声の指示は抽象的で、いまいち内容に没頭できない。「おれは猜疑心の強い人間なので、催眠音声などに屈したりしない!絶対に!」と思っていたが、あからさまな即堕ちフラグである。ドライオーガズムはアナルや乳首を開発して感度を高めていくことによって絶頂に近づく。私は特殊な訓練を受けたことが無いので、いくら刺激を与えても無駄だ。
そう思っていたのは慢心だった。途中で「これはもしかしたら百合セックスなのでは?」と思い始めたあたりから、私はドライオーガズムに達するためのスイートスポットを見つけてしまった。ペニスを刺激する快楽を求めることが催眠音声だと思い込んでいたのだが、それは勘違いだった。(※厳密に言えばペニスを刺激する流派もある)
自分がかわいい女の子だと思い込む。たったそれだけのことで、乳首を開発しなくてもドライオーガズムを得られる。初めて催眠音声を聴いても、上手く催眠に入り込めないという声は多い。しかし精神科のカウンセリングで自律訓練法を習い、えろまんがを読むときにも女の子に感情移入していた私である。すでに催眠音声でドライオーガズムを得る下準備は整っていた。あとは手に入れた鍵で、扉を開けるだけで良かった。
精神的女体化のコツを飲み込んだときに、驚くべきスムーズさでメスイキの扉が開かれた。はじめは身体がとろーんとして、全身が穏やかな気持ちよさに包まれているのを感じた。当初はこれがエクスタシーだと思っていたのだが、ほんの入り口でしか無い。快楽の波が徐々に激しくなり、津波になって身体全身を飲み込む。快楽の波が引いても、何度も絶え間なく絶頂が押し寄せる。
まさか自分がえろまんがのヒロインみたいになるとは思わなかった。岡田コウとか緑のルーペ作品とか、あのあたりの感じが近い。とろとろのアヘ顔になり、「ごしゅじんさまぁ……かお、とろとろで恥ずかしいから、みないで……」と呟いたり、布団を両足でだいしゅきホールドしたり、「やぁ……まだ、イったばかりだから、ちょっと休ませs……あっ!あっ!!あっ!!!」と身悶えたり、ご主人様にキスをねだったりしていた。最初こそ百合セックスのイメージだったが、なぜかおれはいつの間にかメイドさんになっていた。最初こそ、自分を襲う快楽に抵抗していたのだが、最後には理性を捨てて完全なメスの悦びに身を委ねていた。ちなみにペニスは勃起していない。
人によってはドライオーガズムに達するまでに、一日に二時間ほどの訓練を重ねて、二週間の時間を必要としたという体験談もある。だが、一発目でこの有様である。あたい、自分の才能が怖い……。

私がドライオーガズムに達することができた要因は何か?
普段から女の子になるイメージトレーニングを重ねていたこと、自律訓練法を受けていたことなどの幸運(ある意味で不幸かも知れない)が重なったからだと思う。
えろまんがを読むときは女の子に陰茎を突っ込む想像をするのでは無くて、突っ込まれる側に感情移入する。男の娘ものやBL漫画も、受け視線で読む。そのような性癖があったので、ドライオーガズムの快楽を感じる下地は自然と整えられていた。ちなみに「普段の私は清楚な女の子だ」という自己イメージを固めておくと、メスイキしているときと自己イメージのギャップが激しくなるのでおすすめだ。「わたし、こんなえっちな女の子じゃ無いのに……」というとまどい→レシピから、羞恥心をゴミ箱に叩き捨てて快楽を貪るメスになる変化が気持ちいい。
心の底から自分が女の子だと思い込むことによって、ドライオーガズムに達する。それが私の見いだした方法だ。イマジネーションを用いる手法は催眠音声界ではメジャーなものであり、催眠女体化というジャンルもある。

・ペニスイデオロギーと魔境。

ドライオーガズムを経験してから、世界観が変わってしまった。
禅仏教で魔境について語られるが、その教えを思い出している。瞑想をしているときにはしばしば、「仏陀に会ったら仏陀を殺せ」という警句が語られる。真理を得たと思ったときには、自我がインフレーションを引き起こし、自分が偉大な人間になったと錯覚する。それが禅における魔境であり、修行者が避けなければならないものだ。
我々がドライオーガズムで達するのは、魔境の一種なのかも知れない。手に入れたと思った快楽や知識は、私たちを欺き損なうものなのかも知れない。これから書く文章は、魔境という言葉を念頭に置いて読んで欲しい。
今までの私は、射精の刹那的な快楽しか知らなかった。それ以外のものは存在しないのだと信じていた。ドライオーガズムによってメスイキを経験したあとには、私たちがこれまで追求していた快楽が、儚い仮初めのものに感じられるようになった。
一瞬しか持続しない快楽を追求する。それが男性によって生み出された社会の特徴だ。
男性が生み出した文化や価値観のすべては、射精的快楽の代替物として設計されている。男性社会はペニスが生み出す快楽に縛られている。経済成長を表したグラフや株価の上下に一喜一憂するのは、それが勃起を想起させるからだ。銃や核ミサイルは男根の象徴である。雌を荒々しく押さえつけて性交するように、武力によって他国を支配する。
男性優位の社会では、すべての快楽が射精を模して作られている。勃起と射精のもたらす快感こそがすべてである。男性は射精によるエクスタシー以外を知らないから、短絡的で持続することのない幸福だけを追い求める。それを暫定的にペニスイデオロギーと名付ける。この世界はペニスイデオロギーによって支配されていると言っても過言では無いだろう。
ドライオーガズムでメスイキするということは、ペニスイデオロギーに支配された世界を相対化するということだ。射精の悦びを捨てて、別の異なる快楽のアーキテクチャーに身を投げ入れる。そのコペルニクス的転換を果たすことで、男性であるという牢獄から逃れる。そのための政治的実践と革命がメスイキである。
地球上に存在するすべての男性がメスイキのなんたるかを理解すれば、この世界はよりよい方向へと変わる。今日だけは射精をするのではなくて、催眠音声を聴いて自分の性的可能性を開拓してみよう。メスイキしようぜ!