アイドル政治パラダイム~令和編~


まずアイドル政治パラダイムについて簡単におさらいをする。
情報技術が発達した現代社会において、政治家とアイドルに求められる資質は同じものになった。マイクを持ち、聴衆の琴線に触れるメッセージを発して時代を動かすという点において、政治家とアイドルに大きな違いはない。それ故に収斂進化に近い現象が起き、政治家とアイドルの見分けが付かなくなる。それがアイドル政治パラダイムである。

日本社会は古来より、聴衆の心を揺り動かす技術に秀でた権力者(アイドル)による祭政一致の政治体制に親和性があった。天皇というアイドルと、臣民というファンの関係性はその究極形である。明治政府は天皇を究極の国民的アイドルへとプロデュースし、ただ一人のアイドルによって統治されるアイドル国家を作り上げようとした。プラトンが提唱した哲人政治も「善のイデアによって国民を導く哲人(アイドル)こそが王になるべきだ」という観点から言えば、アイドル国家に分類されるであろう。
しかし敗戦後、昭和天皇が人間宣言を行うことで日本社会は絶対的なアイドルを失ってしまった。戦後と平成の日本社会はアイドル不在の時代だった。天皇のいない喪失感を埋めるために、美空ひばりからAKB48、アイカツ!などのアイドルが生まれた。天皇の不在と、それに代わる新アイドル探求の時代は「戦後アイドルパラダイム」と呼ばれる。
日本社会は戦前の「アイドル天皇パラダイム」から、天皇不在の「戦後アイドルパラダイム」、現在進行中の「アイドル政治パラダイム」によって区分けできる。
そして平成が終わり、令和の時代がやってくる。平成末期は戦後アイドルパラダイムの終焉である。SMAPの解散と嵐の活動停止、アキヒトの引退により、平成の日本を支えてきたアイドルは影響力を失いつつある。アイドルの喪失はファシズムの温床になる。これまで心の支えにしてきたものを失った大衆は、新しいアイドルを求める。第一次世界大戦後ドイツでは、キリスト教への信頼が崩壊し、ニヒリズムが蔓延した。寄る辺を無くした彼らがしがみついたのがナチスとヒトラーだ。
アイドルのパワーバランスが崩れ去った日本も、同様の危険にさらされている。日本の時代精神は国民をまとめ上げる象徴であるアイドルを必要としている。その空隙を付いて新時代のアイドルたらんとするのが、歴史修正主義者や自民党センターの安倍シンゾウである。

・令和時代のアイドル政治パラダイムについて
令和という新元号は、アイドル政治パラダイムを象徴する言葉だ。
令の字は『「△印(おおいの下に集めることを示す)+人のひざまずく姿」で、人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさまをあらわす。清く美しいの意を含む。』と学研漢和大字典に書かれている。
神の宣告を聞くために人々がおおいの下に集まる。現代風に解釈すれば、「アイドルのライブにみんなが武道館に大集結!」と言っても過言では無い。清く優しく美しいのもアイドルにとって必要不可欠の要素だ。このような漢字が選ばれるのは、日本社会がアイドル政治パラダイムに向かって急速に移行しているからだ。
安倍首相の所信表明もほとんどJ-Popの歌詞みたいだった。希望と夢、咲き誇る花、美しい日本。その中で『世界に一つだけの花』を取り上げたが、言語感覚や価値観がJ-Popやアイドルソングに近づいてきているのも、政治家がアイドルになりつつある証左であるといえる。劇場型政治、ワンフレーズポリティクスを突き詰めた先にアイドル政治パラダイムがある。それらはJ-Pop的感性とアイドルソング的言語感覚によって支えられ、国民を熱狂させ、ポピュリズムの渦でこの国を覆う。
自民党の政策はモーニング娘。のLoveマシーンそのものだ。日本の未来は (Wow x4) 世界がうらやむ (Yeah x4) 恋をしようじゃないか! (Wow x4) Dance! Dancin’ all of the nightという歌詞を、政治的言語に翻訳しているに過ぎない。
我々はこのアイドル政治パラダイムの時代をどうやって乗り切っていけばいいのだろうか。答えは簡単だ。アイドルに対抗できるものはアイドルしかいない。時代はアイドルを求めている。
安倍シンゾウがアイドルになろうとするのであれば、保守陣営と渡り合えるほどに強力な力を持ったアイドルを生み出さなければならない。しかし政治権力と対抗しうるほどの強力な力を持ったアイドルはいるのか?
いる。
みんなが大好きな天皇だ。

・天皇アイドル化計画
天皇と言っても、戦前にプロデュースされたような抑圧的な天皇制のことではない。あれは明治政府がプロデュースしたもので、国民の手によって作られたアイドルではない。私が提案するのは「国民のための天皇制」だ。
天皇は国民に支えられるアイドルであり、天皇がアイドルにふさわしいのかを常に国民が判断する。天皇の財政は臣民(ファン)により支えられる。天皇制を権力者の道具では無く、国民の手に取り戻す。それが天皇アイドル化計画のコンセプトだ。
以前の私は天皇制廃止主義者だった。ことあるごとに天皇を絞首刑にしろと主張してきた。いまでも天皇と時の権力が一体化してしまうのは好ましくないと考えている。
政治権力が天皇のアイドルフォースと一体化し、歯止めがきかなくなる。その先に待っている破滅を私たちは身を以て知っている。それを避けるためには、権力と天皇の間に緊張関係が無ければならない。つまり自民党アイドル安部シンゾウと、天皇アイドルがしのぎを削るような構造を作り上げる必要がある。
日本社会では二大政党制が育まれにくく、権力が一極に集中しがちであるという欠点がある。その問題を緩和するために、政治権力と天皇は別のアイドルユニットにしなければならない。 一つの国に政治権力とは別の権力がパラレルに並存する。それこそが日本社会が生み出した権力分散システムである。その仕組みを知ったときに私は天皇制肯定主義者になった。

・ローカル天皇制について
もっといえば、天皇の強力な権力が一人に集中しないように、天皇制自体も分散した方が好ましいだろう。都道府県別に47人のローカル天皇がいて、彼・彼女らが一堂に会することでアイドルユニット日本国天皇が結成されるという仕組みだ。ローカル天皇は男女、ゆるキャラ、仏像、ご当地ヒーロー、萌えキャラ、アイドルマスター天皇ガールズなど、何でもありだ。
「そんなものを天皇にしたら威厳が損なわれる」という批判はもっともだ。これからの天皇制に必要なのは威厳や神々しさでは無くて、国民一人一人の目線に立った親しみやすさである。天皇は国民みんなのアイドルであり、一部の権力者に独占されていていいものではない。
天皇制は明治政府に利用され、軍部に利用され、GHQに利用され、保守勢力に利用され、自民党政権に利用されるだけの政治の道具に堕落してしまった。今こそ天皇制の民主化を達成し、国民のための天皇を取り戻さなければならない。