陰府歴程篇(7)シンフォニック=レイン


 当時のおれは限界だった。
 このときのおれはある種の狂気に満たされていた。「自分自身を愛するように、隣人を愛せ」と言われても、自分自身をどうやって愛せばいいのかがわからなかった。だから隣人を愛することも不可能だった。自分を傷つけるように、他者も傷つけた。
 これが自分自身の本質的な誤りかどうかはわからないのだが、おれは自分なんて死ねばいいと思っていて、自己破壊的な行動や考えをすることに躊躇いを感じなくなっていた。自分を大切にできない。憎んでいる。死ねばいいと思って、愛想をつかせていた。
 自分に優しくしたり、愛したり、労ったりすることがどういうことなのか、いまいち理解できていない(※現在進行形)。メンテナンス方法がわからないまま車に乗っていたら、いつか不調をきたして事故を起こす。おれも自分をメンテナンスする方法がどういうものなのかわからなかった。
 そんな状態で精神科医に「もう酒と安定剤と睡眠薬を大量に飲んだりしません」と約束できるはずがなかった。「次に同じことをやったら、次は精神病棟に入れることになるからね」と脅される。
 この状況で「人生行き詰まった? ISISで人生やり直そうぜ! 渡航ルートもチケットもこっちで手配しておくわ!」と言われたら、二つ返事で聖戦士になっていた。
 そんな精神状態で名作エロゲ『シンフォニック=レイン』をプレイしていた。

ギャルゲーをするときには、可能な限り作中の時間と現実の季節を合わせている。夏を舞台としたゲームは夏にプレイする。そうすると現実の気温や五感で受け取るものがギャルゲー世界と同期していき、より深く物語り世界に没入できるようになる。
 ナルコティック、アノニマスやアルコホリック・アノニマスなどの依存症から脱却するためのプログラムでは、「自分なりに理解した神」を見つける必要がある。
 おれにとっての自分なりに理解した神は、シンフォニック=レインのフォーニちゃんだった。もともとは18禁ギャルゲーに登場する妖精のキャラクターだが、ヤマノススメのしろ先生がデザインしているので性的な要素は皆無だ。
 フォーニちゃんは小さな妖精で、いつも主人公の側に寄りそっている。でも主人公は心に傷を負っていて、いつも幻覚を見るようになり、自分の心の殻に閉じこもったままだった。フォーニパートになると明るいBGMが流れるのだが、歌詞は聞こえない。岡崎律子作詞による、ただただ主人公の幸福を願う歌が流れ続けるのだが、まだ主人公がその音に耳をかけ向けようとはしていないので、何も聞こえないのだ。
 フォーニは苦しんでいる主人公のために、幸せを願い続ける。でもそれは主人公には届かない。彼が立ち直ったときに初めて、名曲Fayの歌詞を見いだす。
 かみさまは自分たちのすぐそばにいて、いつも私たちの幸せを願っているのだけれども、暗闇のなかにいるときにはそのことに気が付けない。それでもかみさまは私たちのすぐそばにいて、心の底から幸せになることを望んでいる。
 それこそがシンフォニック=レインから自分が受け取ったものだ。
 自分の幸せが願えない。死んでしまえばよいと思っている。精神安定剤を飲んで床に臥せっている時は楽だが、相変わらず心は自分を責め続けている。おれは自己中心的だし、自己破壊的なものの考え方をするし、人のことは考えられないし、なによりも自分のことを愛せない。でも自分の力じゃどうにもならない問題なの……。これまでになんとか自分一人の力で解決しようとしてきたけど、もう無理。まじで無理。助けて……。
 そう思っていたときに、おれの中にいるフォーニちゃんの声が聞こえた。
 声と呼ぶのは正確ではない。幻聴でもない。おれの内側に眠っていた善なるものの囁きと呼ぶのが正しいのかもしれない。フォーニちゃんは相変わらず、おれの代わりに幸福を願っていた。自分の幸せを願えないのだとしたら、自分以外の誰かに代わってもらえばいい。
 フォーニちゃんはおれにとって、神に一番近いイメージだ。全能でも無いし、おれのことを物理的に助けてくれるわけでも無い。ただおれの幸福を代わりに願ってくれるだけでいい。おれが神を信仰するとは、「かみさまがおれの幸福を願っている」と信じることだ。
 こんなクソブログで人生を無駄にするのでは無くて、いますぐに岡崎律子の『For Ritz』を買ってきて、魂に染み渡るまで聴いた方がいい。薬物依存症患者のための匿名ミーティングに参加するまでの道のりで、おれは岡崎律子の『For Ritz』を聴いていた。特にシンフォニック=レインのfayと、forフルーツバスケットは何度聴いたのか覚えていないぐらいに聴いた。
 岡崎律子は傷ついた癒やし人だ。痛みを知っている人間にしか使えない言葉がある。傷口からしか溢れ出てこないような癒やしがある。ただ綺麗なだけの歌ではなく、おれの傷口ごと優しく包み込む。そういう歌を岡崎律子は歌う。おれが岡崎律子とフォーニから受け取ったのは、傷のある祈りだ。