おくすりディストピア ストラテラ編


アトモキセチン:ストラテラ

ストラテラとは発達障害治療薬である。ノルアドレナリンとドーパミンの取り込みを阻害し、神経伝達物質の濃度を高めることで注意力を高める効果がある。
それ以外の薬にはリタリン(メチルフェニデート)があったのだが、これは中枢神経を刺激するタイプの薬だ。これは薬理が覚醒剤に近いために乱用や依存症が問題視されて規制されるようになった。鬱病治療の名目で発達障害にも処方されていたのだが、管理が厳格になってナルコレプシーの患者しか使えなくなったという経緯がある。なんでも砕いて鼻から吸い込むなどの方法を用いるらしいが詳しいことは知らない。
そこで生み出されたのが、成分を少しずつ放出することで効き目をマイルドにしたコンサータだ。当初は私は合法覚醒剤であるコンサータを手に入れるべく精神科医に働きかけていたのだが、コンサータは治療に使わない方針の医者だったのでストラテラが処方される。

・心の釘バットを失って、透明な硝子の外殻を得る。
当時の日記には、ストラテラを飲み始めたときの感想が書かれていた。

ストラテラを処方されるがすでに副作用が出始める。これを飲み続けると人間になれるらしいが、それと引き替えに発想力であったり心の釘バットを失ってしまう可能性がある。
ストラテラの影響で頭の中で回っていたハムスターの車輪が止まってしまったような感覚になる。心の釘バットが無くなってしまった。

これまでは心の釘バットを振り回して生きてきた。遠心力に任せて心の釘バットを振り回すことだけが、自分の知っているたった一つの生き方だった。何を言っているのかわからないのは当然だし、健常者に理解できる文章では無いことはわかっている。それでも心の釘バットが無くなってしまったとしか言いようのない感覚が自分を襲う。
健常者にも理解できる言葉を使うのなら、多動性や衝動性が適切だろう。自分でも抑えきれない衝動が湧き上がってきて自分を突き動かす。それを理性でコントロールしようとしても無駄なので、荒くれ馬を乗りこなすようにして衝動の流れに乗る。 それだけがこれまで自分の原動力だったのだが、気がついたら衝動性が無くなっていた。
魔法の力を失ったキキもこんな感じだったのだろう。

それ以外にも性欲が完全に無くなった。

ストラテラの副作用で性欲が無くなり、何が性的なのかまったく理解できなくなってしまった。おっぱいを観てもただの脂肪か肉の塊にしか思えなくなり、射精の快感がまったくなくなる。それ以前にペニスが勃起しない。
射精以外にカタルシスを探し求めた結果、「苦しみからの解放が快楽の本質では無いのか?」と思い至った。ただ気持ちいいだけでは人間は満足できない。我慢したあとのご褒美として快楽が与えられる。

去勢された性犯罪者はペニスを挿入する代わりに、被害者の身体をナイフで滅多刺しにした。性的欲求を解消するために、ナイフをペニス代わりに出し入れするという代償行為に及んだのである。
射精という手段が封じされた私は、櫻井桃華ちゃまに逆らうと首が締まって呼吸ができなくなる首輪を取り付けられて戯れにスイッチをオンオフされる妄想に耽るようになった。気を失う寸前で首締めマシンを緩められ、肺に新鮮な空気が流れ込んでくるのだ。
カタルシスが苦しみからの解放であるのなら、マゾ向け漫画や同人音声に快楽の代償を求めはじめるのは自然な行動だ。

心の釘バットと性欲を喪失した代わりに、脳には変化が訪れていた。ストラテラ25mgを飲み始めたあたりから、透明な硝子の外殻で全身をコーティングされているような精神状態になった。
ストラテラを飲んでいるときには感情がフラットになり、外界の刺激を緩和してくれる。感覚としてはドラクエのフバーハやFFのシェルが掛かっているような感じに近い。これは属性攻撃やブレス攻撃のダメージを軽減する魔法で、ゲーム攻略には不可欠な重要呪文である。
これらの呪文は万能ではなく、敵ダメージを軽減する一方で、味方による回復魔法の効果まで弱めてしまう場合がある。ストラテラによってもたらされた「透明な硝子の外殻で心が守られている感覚」も同じ問題を抱えていた。
ストラテラを服用するちょっと前に名作アニメ『がくえんゆーとぴあ まなびストレート! 』を観ていた。神経伝達物質の影響で心の皮膚が弱い。防御力はゼロだ。だがゼロであるゆえにアニメを見ているときにキャラの心情が突き刺さってくる。感覚過敏に起因する生きにくさと、まなびストレートを見てぼろぼろと涙をこぼしている感受性は表裏一体だった。
だがストラテラを服用することで自分の心と外界のあいだに見えない壁が生まれ、外界の刺激を適切に処理できるようになる。苦しみが和らぐ代わりに、嬉しいことも喜びも感じられなくなる。そのせいでアニメを観て心を揺り動かせない人間になるくらいだったら、いまここにいる自分はいったい何者だ?

ストラテラの影響で脳の働きが変わる過程で、自分が自分では無くなってしまうような感覚に襲われる。薬を飲む前後では精神状態のあり方が異なっていて、いきなり別の人間になったみたいだった。これまで慣れ親しんできた自分とは明らかに違う。
その副作用のせいでストラテラをディストピアドラッグと呼んでいた。感情抑制剤で悩みの無い安楽が保証される一方で、喜びや苦しみを失ってしまうディストピアSFで使われるような薬だ。この手の作品では配給された薬を摂取するふりをしてトイレに流すのが定番だが、その例に洩れずに処方された薬を飲んでいることにして精神科を受診するようになった。
ここが人間性の瀬戸際である。このままストラテラを飲み続けて自己を失うことと引き替えに真人間になるのか、それとも薬をゴミ箱に叩きつけるディストピアSF反抗ルートか。
どちらが幸せになれるのか定かでは無いが、ひとつだけいえることは薬を飲み続ければこれまでに慣れ親しんだ自分は死ぬと言うことだけだ。それは自殺と変わりが無いのでは無いか?
ストラテラには希死念慮が生まれるという副作用があるのだが、自分の場合は生きている意味がわからなくなってしまった。苦しみは無い。感情の渦に巻き込まれることも、衝動に突き動かされることも無い。そのかわりに何の喜びも楽しみも減衰する。
以前なら、お薬を飲んで真人間になれたらいいな☆と思ってたのだが、実際に真人間への道が開けるとなると二の足を踏んでしまう。
コンサータみたいに即効性があって切れるのも早い薬だったら、真人間力が必要とされるときにピンポイントで服用できるのだが、ストラテラの場合は効き始めるのに二週間近くかかるので使い勝手が悪い。
ただ精神薬を飲むだけで、「感情を失って静かに生きていくべきなのか、それとも苦しむことがわかっていて心に固執するのか」という葛藤に悩まされる。
ストラテラを飲んで真人間の感覚が理解できたのはいい。問題は自分がどうやって真人間として生きていけばいいのかがわからないことだ。何十年も広汎性発達障害の脳みそを引きずって生きてきて、じゃあこれからはおくすりを飲んで真人間として暮らしていってくださいと言われても、さっぱり案配がわからない。
オンラインゲームにログインしたときに、いきなり自分のジョブが正反対のものに変わっていたら誰だって戸惑う。これまでふるちん両手剣の攻撃特化戦士として生きてきたのに、いきなりこれからは重装備・盾・片手剣の防御系ナイトとして生きていかなければならない。ただ装備やステータスが変わっただけではなくて、立ち回り方や戦い方を一から覚え直さないといけない。そんな気分だった。

選んだ結論は「社会不適合者のまま自殺した方がいい」だった。
透明な硝子の外殻を手に入れたのは良かったが、それを背負ったままでは重みに押しつぶされてしまう。そんな状態よりもふるちんで釘バットを振り回している方が自我の一貫性を保てるのではないのかと思い至り、ストラテラの服用をやめた。
そもそもなんで自分が薬を飲んで自我の一貫性を放棄してまで、真人間社会に適応しなければならないのか理解できなくなった。
それはカミカゼ特攻への恐怖を和らげるためにヒロポンを使ったり、あるいはベトナム戦争に従事する兵士のために興奮剤と安定剤を服用したり、トラック運転手が長時間の運転で集中力を失わないためにドラッグに頼るのと代わりがないと思った。 発達障害者が社会適応するために薬を服用するのは、それらの延長線上にある。
まず社会に適応しなければならないという強迫観念が先にあって、「犠牲を払ってまで適応する価値のある社会なのか?」という問いをなおざりにしている。
いままで抗うつ薬を飲めば真人間になって、これまでに慣れ親しんできた人間の世界に戻れるものだとばかり思っていた。それは毒ガスを吸い込んで気分を悪くしたカナリアが、早く病気を治して坑道に戻らなければならないと思い込むぐらいには倒錯したことではないのか。