マゾゲーとしての囲碁


基本的なルールを知っているが、囲碁を打てないという人は多い。地が多い方が勝ちだとか、石を囲まれると取れるというルールは理解できるが、実際に打ってみると予想外の手を放たれて頭が真っ白になってしまう。
よく「囲碁は誰でも覚えられる簡単なゲームだよ。ルールを理解して慣れれば、誰でも打てるようになるよ。難しく感じられるのは最初だよ」といった言葉を聴いた方も多いだろう。その甘言に騙され、敗北し、取っつきにくさに挫折して「囲碁なんてクソゲーだ」と憤慨する。これは不幸なことだと思う。
囲碁はマゾゲーである。
地が広ければ生きるし狭ければ死ぬ。正面から戦っても、接近戦を戦い抜く力が無いので競り負ける。置き石が9子あっても地を食い荒らされて負ける。得体の知れない手筋を繰り出されて、何もわからないままに勢力が分断されたり、気がついたら死んでいたりする。たった一手の間違いで、これまで積み上げてきたものが台無しになる。
そういった死をひとつずつ噛みしめ、味わい、乗り越えていくことで上達し、いつの間にか打てるようになっている。上達するとどうなるのかというと、より高次元のテクニックで殺されるようになる。それに対して、「次はどんなえげつない方法で殺されるのかな。楽しみだな」ぐらいに考えるメンタリティが求められる。
我こそはマゾゲー愛好家であるという自認があるやつは適性がある。フロム・ソフトウェアの死にゲーやローグライクダンジョンなどで、訳のわからない方法で殺されることに快感を覚えるゲーマーなら、囲碁適性はばっちりだ。

・ようこそ、無残な死!
囲碁の覚え方は、死にゲーでボスを攻略するときの方法と同じだ。
どんな複雑な行動をする敵にも一定の行動パターンがあり、殺されながら攻略の糸口を探っていく。攻撃を盾で防ごうと思ったら、スタミナをすべて削られて死亡。ローリングで回避しようにも装備重量が重くて死亡。運良くガードできたはいいものの、吹き飛ばされて転落死する。あと一撃でライフを削りきれると思ったら焦ってしまって死亡、開幕直後にいきなり攻撃されてわけがわからないまま死亡、犬に噛まれて身動きがとれなくなっている間に死亡、視界の外に回り込まれて背後から槍で刺されて死亡、死亡、死亡……。
そのたびに失敗の原因を洗い出して、対策を考えて、再チャレンジして、また死んで……というPDAサイクルを回す。死に至る攻撃パターンをひとつずつ潰しているあいだに、いつの間にか運良く生き延びている。こんな感じのマゾゲーに挑むつもりで囲碁を覚えた方がよい。

・頭が真っ白になったときの対処法。
ビギナーが知りたいのはルールよりも、「打ち方がわからなくて頭が真っ白になってしまったときの対処法」だと思う。好きなところに打てばいいというのは無責任な答えで、対応のパターンを覚えていくしかない。
わけがわからなくなっても「とりあえず石が分断されないように打とう」、「とりあえず地を守ろう」、「どうしたらいいのかわからないので、別の部分で得点を挙げよう」といった具合に、知識も実力も不十分な状態でなんとかする。初めのうちは筋の悪い間に合わせの打ち方しかできないのだけど、何も知らないんだから仕方が無い。
「どう打つのが正しい手なのか?」ではなくて、「自分はどうしたいと思っているのか?」を重視する。

・自分に甘くして、勝敗のラインを下げる。
辛くなってしまうのは、勝とうとしているせいだと思う。
最初から勝ち負けを意識すると苦しくなるので、初期の段階では勝ち負けは度外視する。勝とうと思って勝てるものではなくて、一手ずつプロセスを積み重ねている間に勝敗が決まるゲームだからだ。
自分が覚えはじめの時には意図的に勝敗のラインを大幅に下げていた。
最初から簡単に勝てるわけがないのは当然なので、大石が死なないようにして負けたり、これまで50目差で負けていたものを30目に抑えたときでも、「負けたけど、以前よりも被害を食い止められたので成長している。実質的には勝利だ」といった風に、勝敗にこだわらないようにしていた。
「接近戦では負けたが布石はうまくいった」とか、「ケアレスミスするまでは良かった」とか、なるべく自分にとって都合良く考えていたのが、挫折しないで済む要因だったと思うし、精神衛生上好ましい。

囲碁は手談と言われるが、外国語で単語を覚えるみたいに基礎的なパターンを蓄積する時期が必要になる。英単語を暗記する方法の応用で、頻出パターンを整理して覚える。難しい語彙を覚えなくても、簡単な表現でも言葉が通じるときがある。それと同じように、難しい定石を覚えなくても簡明な方法でも十分だったりする。
最初は何をするにも手探りだし、ケアレスミスが連発する。楽しいと感じられるまでに超えなければならない壁があって、そこで挫折してしまう。でもそこを越えると脳から快楽物質が大量に噴出する瞬間がやってくる。手が汗でびっしょりになり、心臓が激しく高鳴り、勝利の喜びに打ち震える。
その快感を一度でも知ってしまえば後には戻れなくなる。それがマゾゲーだ。