催眠百合ニー・ボーナストラック


・催眠音声とメディアリテラシー

催眠音声からはさまざまな学びを得られる。たとえ言葉が聞こえていることを意識していなくても、無意識に暗示として刻み込まれる。むしろ意識することができた言葉には反論したり、不必要なものとして論理的に否定できるのだが、無意識にすり込まれるようにして語りかけられると抵抗が不可能になる。
これはメディアリテラシーにも当てはまる。
ソファでうとうとと居眠りをしているときに、テレビからアナウンサーの声が聞こえていた。このときにおれは「いまのリラックスしきった精神状態は催眠音声の導入部とほとんど同じだ! このアナウンサーに何かしらの催眠暗示をかけられたら抵抗できない! 危険な状況だ!」と感じて、慌ててテレビの電源を切った。
注意深くニュースを見たり、記事を読んだりしている間には、それがフェイクなのか論理性があるのか、客観的な事実に基づいているのかを吟味できる。しかし疲れているときや、受動的にスマートフォンの画面をスクロールしているとき、寝起きにぼんやりとテレビの音声を聞いているときには、批判的な態度を取れなくなる。
理性や警戒心が緩んでいるときには催眠にかかりやすい。それは催眠音声だけではなくて、あらゆるメディアに当てはまる。どれだけ理性的で、知能が高く、メディアリテラシーの優れている人間でも、集中力を保ったままでいるのは不可能だ。
脳にすり込まれるのが催眠音声なら被害は軽微だが、それがヘイトスピーチや差別的な発言、偏った情報や価値観の場合は話が変わってくる。それらは意識によって検閲されることなく無意識に浸透していって、根拠のない差別意識や偏見、嫌悪感として残る。
以前からスマートフォンをセルフ洗脳ツール扱いしている。本人がメディアリテラシーを働かせる間もなく、なんとなくで情報を無意識にすり込ませていくには、最適な設計の機械だ。


・言葉だけでカテゴライズしない態度について

執拗に催眠百合ニーの文章を書いていたのだけど、「自分が何者であるのかを言葉で完全に定義したい」という強迫観念があるのかも知れない。トランスジェンダーや性的倒錯界隈の話題を見ていると、「私は○○である」とか、「あなたは○○の定義を完全に満たしてはいないから、○○ではない」といったような、「言葉によってあらかじめ定義された器に、自分が当てはまるのかどうか?」を重視する風潮が強いように思った。
発達障害や鬱病でも、最大公約数的な発達障害者、精神病患者、性的少数派のモデルがある。個人がどういう人間であるかよりも先に、一般的なモデルに当てはまるか否かを重視する傾向がある。
LGBTや発達障害といった言葉は、あくまでも便利なラベルでしかない。自分は足の甲が少し広くて、靴のサイズがあっていても少し横幅が窮屈に感じることがある。それと同じで、自分をカテゴライズする便利な言葉があっても、それが完全に自分の心にフィットするわけではない。一人の人間ごとにオーダーメイドの言葉を宛がっていたら、人間の数だけ病気や性的指向の数が増えることになる。
言葉によってカテゴライズしようとすると、そこからはみ出してしまったものを受け止められない。
自分たちを完全に表現できる言葉はない。なんかねー、うまく言えないんだけどさ、まだ適切な言葉も生まれていないし、自分でも、自分が何者なのかよくわかんない。でもねー、言葉に置き換えられない何かがあって、それは言葉にすると、嘘ではないけれども違ったものに変質してしまって、ほんともうなにがなんだかわからなくなる。
そーいう感情に無理矢理言葉を宛がって、分類して、わかったような気になるのは、暴力なんじゃないのかなーってことを言いたい。


・政治思想としての催眠音声

催眠百合ニーという異常性癖を開発しているのだが、政治思想まで変わってきた。これまでは正義を声高に叫び、この世界からネット右翼も歴史修正主義者も消し去ってやる!絶対だ!……という気持ちに囚われていたのだが、催眠百合ニーを習得してから脳内神経物質の分泌具合が変わってきたせいか、「私は強く握りしめた拳を正当化するためだけに、正義や倫理を都合よく持ち出しているだけではないのか?」と思い始めてきた。
まず最初に気にくわない思想や人間に対して敵対心を抱く。その後に、いかに自分が倫理的に正しく、敵が劣っているのかという理由を探して、怒りを肯定する。
頭に血を上らせ、怒りで拳に力を入れるのは、陰茎を勃起させるメカニズムと似ている。私たちは政治的に勃起していて、政治的な射精を求めている。憲法改正や安倍政権退陣というエクスタシーを欲し、それが達成されないと欲求不満を抱く。

私は催眠音声でひたすら脱力させられるように調教されてしまった。「まず からだから ちからを ぬいていくよ」と催眠音声が囁きかける。そうすると私は身体だけでは無くて魂も凝り固まっていたことに気がつく。それは敵と戦うために全身を緊張状態にしているような、インターネット政治クラスタとは対極の身体運用だった。
憲法9条を盾にして平和を叫ぶよりも、催眠音声の導入パートの方がよっぽど憲法9条の精神を体現していた。全身から力が抜け落ち、戦いたいという気持ちが無くなっていく。怒ることも、神経を高ぶらせることも、武器を握りしめることも無くなれば戦争は無くなる。そして催眠音声導入パートは私たちにそれらの脱力を求める。
みんなが催眠音声を聞けば世界平和が訪れるような気がするのだが、それは間違いであることは第二次世界大戦が証明している。「プロパガンダの天才」と呼ばれたゲッペルスは、当時の最新テクノロジーであるラジオ技術を活用して人々にナチスドイツの政治思想を吹き込んだ。催眠音声は耳から人の魂に語りかける。この性質が悪用されることで、数多くの人間が不幸になった。
戦争でより多くの人を殺したのは核でもなければ銃弾でも無い。それは言葉だ。ルワンダ大虐殺では、千の丘ラジオから発せられるメッセージが人間を虐殺に駆り立てた。
催眠は人間から理性の鎧を剥ぎ取って、様々な暗示をすり込む。そのテクノロジーが悪用されれば、耳に息を吹きかけられるだけでドライオーガズムを感じたり、他者を殺すことに罪悪感を覚えなくなる。あかちゃん退行催眠音声では、「ママの前でおもらししてみまちょうね~(※当音声を視聴する場合には、おむつの着用を推奨します)」というシチュエーションがある。
催眠音声だけの話であれば、あかちゃんに退行しておもらしするだけで済むのだが、政治の場合には取り返しのつかないことになる。人間の邪悪な部分が現実世界にあふれ出すのは、おもらしの比では無い。ちなみに催眠赤ちゃんプレイは、理性が躊躇するのでまだ怖くて手を出せていない。
言葉は人間を操る。フェイクニュースが溢れ、人々の口から差別発言が飛び出し、時には現実世界への暴力になる。TwitterやYoutube、まとめサイト、マスメディアといった媒体はある意味で政治的催眠音声である。特定の政治的主張をマントラのように唱え続ける中で、相互的に催眠暗示を掛け合う。それが理性的に導き出されたものではなくて、催眠音声が「あなたは私のことが好きになる」と囁きかけるようにして、我々に政治的催眠暗示をかける。
私たちは教養の一環として、催眠音声を聞くべきだと思っている。人間は言葉に対してあまりにも脆弱で、ただの言葉でしか無いものに操られてしまう。その経験ができるのが催眠音声だ。


・催眠百合ニーの精神性について

催眠百合ニーではあまり特定の音声作品にこだわらない。愛着のない声優だったりキャラ、シチュエーションの音声を聴いても、「誰……この女……」という気持ちになる。催眠百合ニーは心の内側に眠るピュアなハートを優しく育てていくもので、その初心を忘れてしまえばどんな女とでも寝るあばずれになってしまう。それは催眠レズニーであり、催眠百合ニーとは違う。ほんと、なんでこんな文章を書いているんやろな……。
催眠百合ニーの世界観に入り込むためには、想像力だったり、キャラ設定や物語のような媒介物が必要になる。もう『ご注文はうさぎですか?』のキャラと世界観を拝借して、チノちゃんがココアさんを執拗に「おねえちゃん」呼びするシーンを想像したほうがいいのかも知れない。
チノちゃんは人に甘えたいという気持ちを抑えて、「ココアさん」と呼ぶ。喪失の恐怖を和らげるために、常に人間関係から一歩引いた距離を保つのだけど、だからこそ「ココアおねえちゃん」と呼ばせたい。心の防壁が崩れ去り、ココアさんをココアお姉ちゃんとして受け入れる。
この精神的な異物挿入が催眠百合ニーだ。えろ同人では薄汚いおっさんのペニスがチノちゃんの肉体的内側に入り込むのだが、催眠百合ニーの世界ではココアおねえちゃんから注がれる無限の優しさが、チノちゃんの心にある空白を埋める。この魂のつながりが催眠百合ニーだ。
『まちカドまぞく』の桃は広い家でたったひとり暮らしていて、ジャンクフードを胃に流し込んで空腹を紛らわせる。だがシャミ子が手作りのご飯を作ってくれて、それを口にすることによって、空腹だけではなくて孤独や寂しさが満たされていく。これも催眠百合ニーだ。桃とシャミ子が同棲している予知夢を見たおれが言うんだ。間違いない。
催眠百合ニーが、この世界で一番ピュアな異常性癖だと言った理由はここにある。このあたりの感情表現の機微を考慮しないと、催眠百合ニーの神髄にはたどり着けない。
大事なことなので二回言うけど、なんでこんな文章を書いているんだろな……。


・催眠百合ニーの星。

催眠百合ニーの練度を高めたせいで、成人向けマンガの乳首をいじられるシーンで感じてしまうようになった。というか勃起ができん。視覚情報で脳を興奮させて、陰茎を勃起するにはどうすればいいのか理解できなくなってしまった。催眠音声で「それじゃあ、おちんちんをいじって気持ちよくなろっか?」と言われても、身体全体から力が抜けてふにゃふにゃになっている。それはペニスも例外では無い。仕方ないので女体化暗示を駆使し、イマジナリー膣があると思い込んで対処する。あたいはいったい、どこに向かっているの……?
私はただのド変態なのか。それとも元々性的マイノリティの素質があり、女性的なものへの指向があって、それが催眠百合ニーを引き金として目を覚ました可能性も否定できない。中性的な存在への憧れ、ペニスへの憎悪、かわいいガールとして生きられなかった人生の半面、そういったものに起因するのかどうかは知らん。性的マイノリティとド変態をどこで線引きできるかどうかも知ったことではない。
たとえ変態性癖だとしても、自分と他者を傷つけない範囲で楽しく、気持ちよく生きていこう!の精神がレインボーではないのか。レズビアンやゲイ、バイセクシャルやトランスジェンダーという概念の話ではなくて、誰にも打ち明けられない苦しみを抱いたときに、LGBT的なものは絶えず新しい形で生み出され続ける。『弟の夫』では「もしかして自分は異常者なんじゃないのか……」という孤独が描かれる。この孤独の檻をこじ開けていくパワーが、性的マイノリティを理解するということではないのか。
ここで唐突に『弟の夫』の読書感想文を書く。LGBT漫画だという触れ込みだったが、登場人物が異性愛者ではないという点を除けば、普通の漫画だった。
社会的なマイノリティである登場人物が、普通に人を好きになって、結ばれて、その人を失って、喪失感を埋めようとする。死んでしまった主人公の弟が好きっ!という気持ちが丁寧に描かれていて、性的マイノリティであることを除けば、ごく当たり前に抱く普通の感情だった。
その普通の感情や出来事が、住んでいる場所や他者のまなざしによって異常なものになってしまう。性的マイノリティだからという理由ではなくて、他者から向けられる視線や、自分は異常ではないのかと思い悩むことによって苦しむ。
不意に芽生えた自分の異質さに戸惑い、正しいのは周囲の人々で、自分のほうがおかしくなったのではないのかと疑問に思う。

あたいの胸に名前の無い星のような性癖が生まれる。手持ちの知識や常識ではうまくカテゴライズできない異常性を、どう扱ったらいいのかわからなくなる。だが名付けられていない星も、学術的に分類されていない雑草も無い。性的倒錯もまた例外では無い。
性的倒錯 - Wikipediaによると、催眠百合ニーはオートガイネフィリア(女性化自己暗示性愛)の亜種に相当する。
オートガイネフィリア - Wikipedia
性的倒錯がリストになっていると、「学術的に分類されているということは、実際にそういう性癖を持った人が少なくとも一人はいたということだよな……」と厳かな気持ちになる。自分がモンスターになったような恐怖を抱いていたが、異常性癖界ではスライムもいいところだ。そこまで人に誇れるような性的倒錯ではない。
そもそもハードコアな異常性癖とは何か。正常と言われる性癖を持った人でも、強姦や暴行事件を起こして逮捕される。そんなニュースが放送されるのは日常茶飯事だ。でもだいたいの異常性癖者は人に危害を加えることなく、良識を保って生きている。
「君はひとりじゃないよ!」と言われても、「知るかクソやろう!」と反発していた私だが、異常性癖リストを見て、それが孤独によって編まれたものに見えた。ひとつひとつの異常性癖が孤独な星々のように存在していて、それが夜空に彩る星座になる。小学生の乳歯をコレクションすることに性的興奮を覚える人間も、アナルにいろいろ突っ込んじゃう彼も、催眠百合ニーを体得したおれも、この広大な宇宙空間でつながっているんだ……。おれたちは一人きりではないんだ……。(無理矢理にいい話っぽくまとめる)


・おまけ。同人音声レビューで心に響いたコメント。

怒りと憎しみが支配するSNSの時代で、理性を取り戻した人間によって文章が紡がれる場所。それが同人音声レビュー欄だ。余計なものを対外に排出したあとなので、きわめて論理的に思考ができる。それに加えて催眠音声の効果で、脳内には親密ホルモンでるオキシトシンが分泌されている。
18禁同人作品を扱う場所だという点であり、FacebookやTwitterなどの実名アカウントでは決してシェアできないという制約が生まれることだけが問題だ。
ほかにもいい感じのレビューがあったらこっそり教えてくれるとうれしい。

何故ギャルはオタクに優しいのか。
俺はこう考えている。
まず、人は皆本当はある程度優しいということ。
オタクは、チャラ男やギャルを見ると「頭が悪そう」「ガサツ」「ヤリマン」「暴力的」と言った先入観を抱き、何より「オタクのことを見下してそう」と考えて警戒態勢をとってしまう。
実際には、彼らも普通の人間である。それどころか、好きな物を追及していただけで周りにレッテル貼りをされるという意味では、ギャルもオタクも近い物があるのだ。
そして、見た目で判断して見下していたのはむしろ自分だったと気づかされる──。

そしてギャルは自信を持って生きているということ。
自己を卑下しがちなオタクとの関係はそれだけで大体の方向が固まってしまう。
現実のギャルは、架空のギャルと違ってそう甘くはないだろう。
だが架空のギャル達が教えてくれるように、人間関係で大事なのは「相手に敬意を払うこと」、そして「自分に自信を持つこと」なのかもしれない。

きっとそうだ。
『おしえて!ギャル子ちゃん』を読んだ俺にはわかる。
いたずらに卑下するのではなく、自信と誇りを持って胸を張って生きる。
そうした生き方が美しさであり強さなのだ・・・。

【位置原レビュー】クラスのギャル二人に爆笑されながら射精する音声。 - DLチャンネル みんなで作る二次元情報サイト!

この文章を読んだときにちょっと泣きそうになった。
それ以外のユーザーレビュー欄も熱い。

なんでかっていうと、そういう悪口と催眠って本質的に同じなんですよ。

販売されてる催眠音声って段階をかけて心身をリラックスさせて、心を無防備にしてから、何らかのプラス効果のある暗示をかけるのが主流じゃないですか。

それと真逆のことが、めっちゃ疲れてるときとか、心が無防備なときに言われる何気ない悪口には簡単にできるんですよね。

かけられる側が悪口を『催眠』っていう特別な言葉で認識してないから、すごくよく効いてしまうんですよ。

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