最適な日本語入力環境を求めて
「頻出する文字を、打ちやすい位置に置く」ということ。
日本語配列を選ぶときは、QWERTY配列と旧JIS配列以外なら何でもいいと思っているのね。効率的な日本語配列には大まかな方向性があって、よく使う文字がホームポジションに集中していて、一部の指に負担がかから無ければいい。それが守られていれば、どの配列を選んでもそう大差がない。「ぬ」の位置がどこにあるのかといった、マイナー文字の問題は誤差みたいなものだ。
日本語の文章で頻出するひらがなトップ3は「いうん」である。QWERTY配列で日本語を入力するときには、「いうん」を入力するために上段と下段を指が行ったり来たりする。旧JIS配列に至っては「う」が最上段にある。
このへんの非効率さを解消して、もっと楽に文章が打てるようにするのが配列沼の基本思想である。薙刀式や新下駄配列などの配列表を見るとあまりの複雑さに面食らってしまうのだが、「頻出する文字を打ちやすいところに置く」「すべての指を使って効率よく打てるようにする」というシンプルなルールしかない。
最初に配列を変えるときには、「いうん」が入力しやすい位置にある配列であればローマ字入力のままでもいい。学習コストもかな入力系にくらべれば少ないし、自分が大量に文章を打ちたい人種だと気がついたときに、奮起してかな入力系の日本語配列を覚え始めればいい。
個人的には新JIS配列をおすすめする。キーボードを選ばない洗練された配列だ。自作配列である「親指新JIS配列オルタナティブ」のベース配列にもなっている。
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新JIS配列の検討。
新JIS配列への移行を考えている。
「新JIS配列」は旧JIS配列の欠点を克服したものの、普及には至らなかった不遇の配列だ。親指シフトが二つのシフトキーを使うことに対し、新JISは一つのキーで済む。つまり変換・無変換キーのないキーボードでも効率的な日本語入力ができる。
それ以外の候補は月配列だが、いまのところは「新JIS配列」に軍配が上がる。月配列も元々は新JIS配列をもとにしているので、文字配列には共通性がある。文字をシフトする方法へのアプローチが違うだけだ。
・新JIS配列は親指シフトに比べて学習効率がよいと言われる。
・シフトキーがひとつしかないので、濁音と半濁音を入力するときには打鍵数が増えるのだが、キーボードの規格に左右されない柔軟性がある。
だが一見したところ、小指の動きが大きい点、濁音・半濁音の入力時に打鍵数が増える点などの気になる点があったので、独自配列を考え始める。より効率的な配列を探そうとしたのだけど、「一部を改善しても、日本語入力全体のバランスがおかしくなるかも知れない」という理由で断念する。
・新JIS配列は「ち」や「な」が右手小指の部分にあって動かしにくい。だからといって別のキーに配列を割り当てると、他のキーを打つときの運指が乱れる可能性がある。他のキーとの兼ね合いから考えて、少しぐらい小指に負担が掛かっても、初期配置の方が効率的かも知れない。
・同様に「ひ」や「あ」の位置も入力しにくい場所にあるのだが、「だった」や「あった」といった日本語特有の言い回しを入力するときの運指が考慮されている(ような気がする)。
……といった、設計思想の細やかさに気がついて、素人考えで配列をいじるものではないと厳かな気持ちになった。負担の少ない位置に文字を割り当てれば効率化できるという単純なものでもない。目先の合理性は、全体の合理性とイコールではない。
・新JIS配列は覚えやすい。
新JIS配列は覚えやすい。親指シフトみたいなややこしさを覚悟していたが、配列表を記憶するときに頭が混乱しない。分析したところ、配列に規則性があって記憶する負担が軽くなる工夫が至る所にちりばめられていることに気がつく。
・濁音化可能な文字が、シフト無し左手側に集中している。
シフトを必要とするのが、へほふひのみ。
・あ行ゾーンが右手人差し指付近に固まっている。
ぁ行ゾーンはシフト左手小指に
ゃ行も左手人差し指
ま行はシフトが必要
……という具合に情報が上手い具合にチャンク化されていて、文字が探しやすい。
ほかの清音と濁音・半濁音を分けた配列だと、規則性が無いので力業で覚えなければならない。記憶する文字数が増えると他の文字との組み合わせ数が極端に増加して、高速タイピングの難易度が跳ね上がって習得が困難になる。
新JIS配列は入力速度に最適化された配列では無いのだけれど、そのぶんユーザーフレンドリーな設計に仕上がっている。
新JIS配列を覚える。
新JIS配列を習得しているので、打てるようになるまでの過程について書き記しておく。新JIS配列に興味がある人は参考にして欲しい。
新JIS配列の習得難度はそこまで難しくない。シフトが一面で濁音が後付け方式なので割と簡単に記憶できた。文字の位置にも法則性があって、だいたいの位置を探しやすいというのが第一印象だった。
参考までにこれまでの配列遍歴は旧JISかな、QWERTY配列ローマ字、親指シフト、Colemak配列で、コツを掴んでいるから覚えやすかったのかも知れない。
新JIS配列の導入には不安があったのだが、慣れるとさくさく文字が打てるようになるのは意外な発見だった。頻出度の高い文字が無シフト面に多いので、親指シフトに比べるとそこまでシフトを多用する印象がない。連続シフトになれるとさらに快適さが増す。
シフト面が一つになることで入力効率が下がることを覚悟していたが、実際にはそこまで大きな影響は無い。
ただ新JIS配列の「タタン」のリズムで濁音入力するのが多少気になる。親指シフトだと全ての文字を同時打鍵で入力できるリズム感が好きだったので、設定ファイルをいじって新JIS配列でも同時打鍵で濁音を入力できるようにしたら快適になった。
ちなみに配列や入力方法はチューニングして新月JIS配列という私家版にしている。
総合的な評価は「どうしてこんなに完成度の高い配列が廃止されているのか理解できない」だ。統計的に導き出した頻出文字を無シフト面に配置して、打ちやすいように調整されている。機器を選ばない、覚えやすい、親指シフトに比べて入力効率がそこまで劣っているわけではないという特徴があり、単純に日本語入力方法としての総合力が高い。
欠点もあって、初期設定のままだと地味にかゆいところに手が届かない。シフト一面の弊害で右手小指の担当範囲が広い。学習ソフトが無いので最初に覚える配列としては難度が高い。センターシフト方式だと変換方法を他のキーに割り振る必要がある……などが気になる。チューニングで解決できる問題だが、その分導入のハードルが高くなっている。
新JIS配列をマスターしたわけではないが、ローマ字や旧JIS配列よりも確実に優れた配列だと思う。どうしてこれが標準になっていないんだ。
### ・新JIS配列を練習している。
新JIS配列にはタイピング練習ソフトの類いが存在しないので、習得方法を考える必要がある。その一つが配列表を印刷した紙をクリアファイルに入れて、空いた時間を利用して覚えていくという「地下牢のピアニスト」方式だ。何故地下牢のピアニストなのかというと、投獄されたピアニストが床に鍵盤を書いて練習をしているような気持ちになるという理由なので特に深い意味は無い。
親指シフトに比べるとシフトが一つ少ないのでそのぶん面倒になるかと思ったが、濁音の入力が左右でリズミカルに打てるので、実質的に後付け薬指シフトっぽい感じがする。シフト一面だけでここまで必要な文字をカバーできることには驚くし、連続シフトが繋がるのが気持ちいい。
そのあとに拡張新JIS配列に調整することでさらに打鍵感が良好になった。特に小指の動きが抑えられたのが大きい。シフトの手間は増えるが、ホームポジションを崩すこと無くタイピングできるので気持ちがいい。
月配列を参考にしたときに気がついたが、「ちなひ」周りの変更が地味に新JIS配列の弱点を潰している。右小指の担当範囲が「きゆりぬちなれ」が「きゆりれ゜ぃぁ」になると、右小指にかかる負担の大きさがまったく違う。ただ外来語はやっぱり入力しにくい。
新JIS配列と親指シフトの比較
・書いている人の日本語配列遍歴
元々Qwerty配列ローマ字入力だったけど、腱鞘炎で手を痛めて文章が書けなくなる。2016年の夏から親指シフトを習得し始めて、配列表を忘れているのになぜか指の動きだけで文章が書けるレベルになる。しかし親指シフトは対応するキーボードが見付かりにくいという理由から、2020年3月に新JIS配列に乗り換えて今に至る。
今使用しているのは、新JIS配列を親指シフト風にカスタマイズしたオリジナル配列だ。
親指新JIS配列を実用的に使えるようになったので、親指シフトとの感覚的な違いについて書いておく。打っているときの感覚は数字やデータには表れないもので、「効率化云々よりも打っているときにどんな感じがするの?」ということをなるべく言葉にしていきたい。
新JIS配列は日本語の骨格を司る文字が中段と人差し指から中指に集中しているので、手の中心を軸にして文章を書ける感じがして気持ちが良い。親指シフト配列は頻出文字が手の外側に広がっていて、器用にキーボードの上をステップで踊るような運指を求められるような気がする。
素の新JIS配列のままだと手や指が上下左右に動きすぎるのが欠点で、新JIS配列である程度高速に入力できるようになると、右人差し指への負担が蓄積して死ぬ。
親指シフトはシフト面が二つあるので、手の動きがコンパクトにまとまっている。入力速度が速いわけでは無いが、自然と速度が制限されるので指への負担は軽減されているのかも知れない。
新JIS配列系に対する打鍵感の印象は、「配列に一本の太い軸があって、それを使って文章を書いていく」というものだ。一差し指と中指を軸にして文章を書いていく。指と腕の軸がつながっていて体幹で文章が打てる。
漢字の多い伝統的な日本語を書くときには流れるように文章が紡がれていくのだけど、外来語混じりの文を書くときには指の動きが非効率的になる。新JIS配列系は文体や使う語彙によって打鍵感がまったく違ってくる。漢字の多い文章を書くときにはホームポジションを中心にして、指の動きが最小限に抑えられるのだが、外来語だと運指が上下に激しくなって打ち心地が悪くなる。
親指シフトは日本語も外来語も一定のリズムで入力することができたが、日本語と外来語のどちらにも最適化されていないために、どの文章も同じ速度で書けていたように思う。
新JIS配列系は親指シフトに比べると文章表現が硬くなるかも知れないし、横文字よりも漢字で書きたい言葉が多くなる。でもそれは欠点では無くて長所だと思う。どんな言葉も満遍なく打ちやすい配列では無くて、特定の文体や単語だけが効率的に打てる配列になっている。外来語を犠牲にして、従来の日本語表現に特化している。横文字の多い現代の日本語を書くという意味では時代錯誤かも知れないけど、配列があるべき日本語の形を指向しているように感じられて自分は好印象を抱いている。
日本語は複数の言語システムが共存しているので、どうしても言葉の成り立ちが複雑になる。伝統的な日本語が打ちやすい配列だと、外来語が割を食う。現代日本語は外来語の割合が多いので、新JIS配列が作られた時代とは前提が違っている。堅めの文章とは相性が良いが、海外風の語彙が多いファンタジー小説や技術文章をメインに書いている人、パ行の多い文章だと新JIS配列の長所が無力化される恐れがある。 自分は選ぶ語彙が配列の影響を受けつつある。もっとも労力が少なくなる動線を選んで日本語が形作られていく感覚があり、親指シフトと新JIS配列とでは文体だけではなくて、思考の組み立て方も違ってくるのかも知れない。ペイントソフトで例えるとGペンブラシと油絵ブラシぐらいに違う。
新JIS配列と親指シフトの指にかかるダメージの比較について
パンタグラフ式で親指シフトを使っているときはそこまで指に負担がくるという感覚は無かったのだけど、新JIS配列を使い込む間に指の痛みが激しくなった。メカニカルキーボードに変えたら楽になったのだけど、そのあたりのことについてこの項目では記していく。
新JIS配列は効率的に文字を入力できるようになっていて確かに打ちやすい。その一方でシフト面が一面しかないので、手がせわしなく動く。キーボードをまんべんなく使うために長時間使用すると手や指に疲労が蓄積していく。特に人差し指と右小指へのダメージが大きいし、「ちなれ」の位置は嫌がらせとしか思えない。
その直感は正しく、ウィキペディアによると新JIS配列は人差し指に負担が集中する配列案が採用されたという経緯があると後になって知る。
親指シフトは同時打鍵という動作が入るのでどうしても速度にブレーキがかかる感じがする。それは遅いと批判しているのではなくて、一定のリズムでペースを保って入力できるという意味だ。あまり手を動かさずにすむような配列になっていて、シフトのダメージが最も強い親指に行く。モダン配列に比べると非効率的ではあるのだけど、いい感じで指全体にダメージが分散する。
新JIS配列は優れた配列だけど、これまで以上にダメージケアには気を配らなければならないというのが個人的な印象だ。軽い文章を書くには問題が無いのだが、長い文章を書く場合には指への負担をどうやって軽減するべきかを考えた方がいい。小指が頻繁に動いてホームポジションが崩れるのは自分にとっては看過できないストレスだったし、外来語を入力するときにもシフトが増えて運指が不自然になる。こればかりは使い込んでみなければわからない。
新JIS配列はシフトなしで入力できる言葉が多いので、親指シフトに比べるとカチャカチャ感がない。横文字の少ない堅めの文章表現と相性がいいので、漢字の多い文章を書くときには指がなめらかに動く。特定の文体が入力しやすいように作られていて、書いている文章が配列に良い意味で引っ張られる感覚がある。「タイピング」よりも「打鍵」と表記したくなる。
日本語配列に合わせて自分の考えていることそのものが変質していく感覚は悪いものではない。
書くという行為は、自分の思考をそのまま文章にすることと同義ではない。道具には道具の書きたがっている言葉があると感じる。筆の、万年筆の、ボールペンの、日本語ローマ字入力の、フリック入力の、新JIS配列の語りたがっている言葉はそれぞれ違っている。それぞれの道具が制約を引きずっていて、その中で気持ちよく文章を書ける動線を求めるように日本語が形作られていく。それが文体や個性になる。思考は外部構造に規定される。日本語配列に手を加えるのは、間接的に自分の思考を変えることかも知れない。
・配列を通して日本語を見る。
日本語配列沼にはまっているのだが、最適な配列を探し求めることを通して、日本語の骨格や構造に詳しくなる。すべての配列沼師たちは配列を設計するという目的のために日本語の構造を知ろうとする。頻出する文字の統計データに始まり、二連接の出現頻度や、文章における和語と漢文、外来語の割合などの情報を通して、日本語における合理性とは何かを考える。
配列沼の最終地点は、合理的で気持ちのいい日本語入力のために、日本語の骨格自体を変えようとすることだ。日本語が複雑で入力し難いのなら、配列に合わせるために日本語自体を変化させてしまってもいいという配列過激派である。
まず第一に外来語を極端に減らした文章を書くことを心がける。無駄に横文字の多い文章を書こうとすると、頻度の低い文字を使わなければならない。頻度の低い文字は打ちにくい場所に配置されているので、自ずと運指がぎこちなくなり、入力速度が落ちる。自分の文章で使う言葉が統計データに即したものに近づけることで、自然とホームポジション付近の文字を打つようになり、効率的に日本語が入力できるようになる。
第二に日本語の非合理性を整理し直すことだ。日本語ではあまり「ぢ」という文字を使わないし、発音が「じ」と被っている。身近、間近、縮めるなどでしか頻繁にぢの入った文字を使わないし、他の文字で代用できる。日本語では熟語が作られるときに濁音化したり、半濁音がつくという特殊なルールがあるのだが、これも入力する上ではノイズでしかない。「はっぴゃく」も、「はっひゃく」で入力すればいいし、頻繁という文字も、「ひんぱん」でなはくて、「ひんはん」で変換できるようにすれば入力の効率が上がる。日本語入力は日本語の例外的なルールに引きずられているので、その辺の古い慣習をなくして、日本語入力がしやすいように日本語のルールそれ自体をいじった方がいいのでは?ということを考えている。
日本語配列を育てるために
拡張新JIS配列親指orzレイアウトという異常配列を作り出してしまった。
親指シフトの親指を使って同時打鍵をする仕組み、新JIS配列の合理性、orz配列の右にレイアウトをずらす発想、同時打鍵と前置シフト、連続シフトの両立、拗音入力補助などを組み入れることで快適に入力できるのが特徴だが、それを一般的には変態配列と呼ぶ。
まず第一に新JIS配列をベースにして、月配列のエッセンスを取り入れていこうというコンセプトがあって、配列を改造し始めたのがすべての始まりだった。そのあとに指にかかる負担が気になり始めて微調整を重ねたり、濁音キーを右薬指シフトしたり、新JIS配列の最終配列案である指にかかる負担が分散する版を取り入れたり(Wikipedia参照)、シフトキーを変換に割り当てて親指シフト風の動作で新JIS配列が打てるようにするといった試行錯誤を繰り返していたら、得体の知れない謎の配列になった。
そのあとにメカニカルキーボードを買ったときにキーキャップが交換できることに気がついてしまい、orz配列を導入したいという気持ちが抑えられなくなってしまった。orz配列は親指シフトの右手レイアウトを一列右にずらしたもので、変換の位置が遠いキーボードで親指シフトを使うために生み出されたものだ。
ただしこの配列を人に押しつけたりはしない。これは自分の手に合わせてオーダーメイドで作ったもので、万人に適合するものではないからだ。
人によって手の性能が違うし、使っているキーボードも異なっているから、ある特定の配列をベースにして打ちやすいように微調整していく方が現実的だと思う。
自分が新JIS配列をベースにしているのは、最初は親指シフトから乗り換えようと思っていたからだ。親指シフト自体には不満が無かったけれども、年々選べるキーボードが無くなっていくのが不安で仕方が無かった。もしキーボードが無くなって親指シフトが使えなくなったときに、別の配列を覚え直して実用段階にするまでには時間がかかる。
でも新JIS配列をベースにすれば環境が変わっても移行コストを最小限にできる。極論、明日からUSキーボードしか使えなくなっても、配列の骨格はそのままでいくつかのキーを変更するだけで良い。そういう保険を含めて新JIS配列を習得した。
効率や運指だけで言うのなら新下駄配列や飛鳥配列の方が優れていると思う。でも新JIS配列の取り回しの良さや覚えやすさといった長所を残して、より打ちやすくするという方向性で配列を調整している。
ぶっちゃけると効率性については「統計的に頻出する文字が打ちやすいところに配置されていればだいたいおっけー、マイナー文字については誤差みたいなもの」と考えている。
ニーズに合わせて配列を調整していくことの方が、実態の配列レイアウトよりも重要だと思っている。自分の場合はトータルダメージを手全体に分散させて、右人差し指にかかる負担を減らすことを主要な目的にしているのだけど、何を求めるのかは人によって千差万別だ。何の不満も出なかったら、新JIS配列をそのまま使えばいい。
ある一つの完全な日本語配列レイアウトを求めるのでは無くて、自分の指や環境に合わせてチューニングしていく方が大切だ。それを私は「日本語配列を育てていく」と呼んでいる。
配列を育てる。
配列は自分の手で育てていくものではないのかと考えている。誰かの作った配列をそのまま受け入れるのでは無くて、不便だと思った部分を改良していく過程を積み重ねていくことで、手に馴染んだオリジナルの配列を形作っていくべきでは無いのか。
入力したい文章、手の大きさや支払える学習コスト、脳みその性能も違うのだから、最適な配列は人によって異なる。ペイントソフトを使うときにはブラシをカスタマイズするのが普通だが、自分に適した日本語配列を探求するのも同じことだ。
自分はローマ時入力で一度指を破壊した経験がある。文章を書くのを止めるのか、鎮痛剤を飲みながらローマ時入力でタイピングするのかという選択肢しかなくなったので、Qwerty配列には相当な恨みつらみがある。最初から親指シフトや新JIS配列が選べれば、自分は腱鞘炎に悩まされる必要は無かったのだ。
文字入力の負担軽減に重きを置くのも、肉体的な制約があるからだ。ホームポジションを極力動かさずに済むようしたり、シフトが増えるデメリットを許容しても遠くにある文字を打たなくていいように配列を変えるのも、自分にとっての回答なので人に押しつけるものではない。
他の人が作った配列を調べていると、美意識だったり、実用性、学習コスト無視の高速打鍵特化など、何に重きを置いているのかという価値観が垣間見られて面白い。どの配列も一長一短であり、何を重視して、何を切り捨てるのかという取捨選択が生じる。そこに個性が生まれる。
答えではなくて、そこにたどり着くまでの試行錯誤のプロセスを重視する。本当ならこんなややこしいことを考えずに入力できるのがいちばんいいし、英語圏に生まれたらColemak配列を選べばすべて瞬く間に解決する問題なのだけど、日本人として生まれてしまったからには仕方が無い。何でも道にしてしまう日本の文化風土を利用して日本語配列道をでっち上げていきたい気持ちもある。茶を入れる行為に深い精神性を見出した先人のように、配列を通して日本語の深い部分に触れるのもまた一興だろう。