100DaysToOffload


・はじめに

この文章は2021年の3月から12月ぐらいに書いていた「100DaysToOffload」のログである。長文じゃなくても、なんでもいいから適当に書いたことを投稿しようぜ!の気持ちで始めた。 リンクが切れていたり、誤字脱字があったり不適切な表現があるかも知れないがそのまま収録する。(2025/09/12)

・100DaysToOffloadをやってみる。(#100DaysToOffload 1)

・文章を書いていると、反応を気にしたり、推敲したり、長文でないといけないと思ったりして、書くのがおっくうになるときがある。もうちょっと気軽にアウトプットできるといいなーと考えていたので、面白い取り組みかも知れない。
・「書きたいことを、書きたいだけ書く。飽きたら書かない。書いている内容を検閲しない。なるべく人の目を気にしない」というのも、個人的な目標にしておこう。
・文章を書く上で、他人の反応を気にして身動きが取れなくなることが多くなっているので、ほとんどブレインストーミング感覚で文章を垂れ流していきたい。

・VR美少女日記( #100DaysToOffload 2)

・VRChat。モデルの腕の細さや手の大きさが気に入らないという理由で素体メッシュを直接いじり始める。Sculptツールを使うと体型だけでは無くて、衣装合わせも比較的楽にできるようになるので良い。
……と思っていたが、Shaderの調整やダイナミックボーンの設定まで含めると、作業量の多さに目眩がしてくる。なんでこんなことをやっているんだ……。
・VRで理想の美少女になるのは難しい。櫻井桃華に存在を寄せていきたいという欲求があるが、それを実現するためにはBlenderという3DCGツールを使って、理想の美少女を具現化しなければならない。
市販アバターは可愛いし品質も高いが、多くの人が同じアバターを使うので、唯一無二の自分だという感覚が得られない。可愛いだけでは不十分だ。このアバターを使っているのは自分一人だという、VRアイデンティティが欲しい。
・VR美少女化には終わりが無いので、不完全でもいい感じのところで切り上げたほうがいいのかも知れない。

・囲碁トレーニング日記。(#100DaysToOffload 3)

・詰碁や手筋をサボっていたので、メニューを組んで特訓したい。筋トレのトレーニングを応用して、なるべく自分の負担にならずに、長く続けられるような分量で、ちょっとずつ死活や手筋の筋肉を付けていく……というコンセプトだ。
・一気にやるよりも、忘却曲線を意識して継続してやっていきたい。
・手筋をひとつずつ覚えて肌に馴染ませていく。
・サボってもいい日は必ず作っておく。
・とりあえず三冊ぐらいの手筋と死活は徹底的にやろう。分量は少なくてもいいので、反復練習をしてパターンを身体にたたき込む方針でやる。
・使う問題集。
囲碁・強くなる実戦詰碁100
三段の壁を破る基本手筋100
囲碁 必勝の戦略 攻めのテクニック

・インターネット・スロットマシンを回さない。(#100DaysToOffload 4)

インターネットをするたびに何らかのスロットマシンを回している気持ちになる。マイクロブログに投稿する度に「誰かから反応を貰えるかも知れない」というスロットを回して、タイムラインを更新する度に「何か面白い情報が見つかるかも知れない」という射幸性を煽られる。
餌が出てくるボタンを死ぬまで押し続けるモルモットみたいだ。
自分が何かをする度に、常にスロットマシンを回している。ソーシャルゲームみたいに、いいね!や面白い情報のガチャを回してレアなものが出てくるのを待っているように感じれるのが、ものすっごい嫌になっているのね。
SNSを使わないのが最適解だけど、今度は「周囲の人から嫌われたり、疎遠になるかも知れない」という人間関係破壊ガチャを回す。
ブログに回帰しようとしているのは、「なるべくインターネット・スロットマシンを回したくない」という理由による。いきなりSNSアカウントを消して逃亡したときには、「疲れているのね……。ゆっくりお休みなさい……」と思って、優しく見守っていてくれると嬉しい。

・エコモード的コミュニケーション(#100DaysToOffload 5)

・人と関わり合いになりたくない期が定期的にやってくる。人間に対してエネルギーを割けなくなるので、こういうときは延々と本を読んだり、詰碁を解いたり、BlenderとUnityをいじって美少女アバターの改変をしている。
他人に興味が無かったり、嫌ったりしているわけではなくて、対人関係に費やせるMPが完全に枯渇する。MPをコミュニケーション能力に変換している人間の末路だ。
・人間に対して支払うコミュニケーション力をなるべく最小化したい。可能な限り穏当な表現を使うと、デジタル機器でいうところのエコモード的コミュニケーションだ。SNSと対面での会話は対人MPを消耗しすぎる設計になっている。
・自分にとって負担にならないコミュニケーション方法を採用して、それを他人に押しつけていった方がいいと思うのね。SNS、まじで積極的に使いたくない。退廃と堕落しかない。
・そういう理由で「更新スパンが長めの、スローメディア」を使っていきたいと思っているし、このブログはRSSリーダーに登録して、一ヶ月に一回ぐらい生存確認に読みに来てくれるぐらいが最適だ。

・Kawaii沼(#100DaysToOffload 6)

・順調にkawaii沼に嵌まり始めている。
VRChatというゲームにドハマリしている。このゲームは頭がおかしいので、ユーザーがゲーム開発用のアプリケーションを使って、直接ワールドだったりアバターを作ることができる。
開発陣的には「アバターをクローンして楽しんでね」という感じだったが、なぜか日本人はBlenderやUnityなどのくっっっっっそややこしいフリーの3DCGツールやゲームエンジンを使って、くっっっっっそ面倒くさい作業を行って、理想の美少女を具現化しようとしている。
可愛いアバターに素敵なお洋服を着せたかっただけなのに、どうしてゲーム開発ツールの勉強をしているのだろう……?
考えても答えはない。そこにあるのは可愛いアバターを手に入れたいという欲望だけだ。

・最初は「テクスチャを変えて、自分だけのオリジナリティを出しちゃお♪」という気軽な気持ちでアバター改変を始めるのだが、時間が経つと「シェーダーの設定をいじって立体感を出したい……」とか「着せ替えがしたい」などの欲望に突き動かされて、kawaii修羅道に突入することになる。
・手首の細さが気に入らないので、Blenderを使って体型のメッシュを直接いじったり、瞳のテクスチャを書き始めたり、シェーダーの設定を調整するなどしていた。
フレンドから「どうして修羅の道に足を踏み入れるようなことを……」と言われるが、ただ可愛い女の子になりたかっただけなのだ。

・だが改変作業に終わりは無い。次から次へと問題が出てくる。シェーダー調整無間地獄から逃れられない。ライティングの関係で、明るいところではいい感じだが、暗いところでは違和感が出る。それを修正すると、今度は明るい場所だと色飛びする。
そんな風に、シェーダー調整無間地獄にさまよい込んで四苦八苦していた。結局、いままで使っていたarktoonシェーダーに戻ってきてしまったが、以前よりも高度な設定ができるようになった。
・しかしunityもBlenderもさっぱりわからない。本当に何も理解できないんだ……。
・なんでお喋りチャットツールで遊んでいたのに、「アバターの顔テクスチャをいじりたいな」と思って、本棚から「女装男子のためのお化粧基礎講座」が載っている書籍を探しているのか。自分でもわからない。
しかし、わけがわからなくなってからが本番だ。インターネットだ。人生だ。

・量は質を凌駕するか? (#100DaysToOffload 7)

#100DaysToOffloadを続けているが、余計なことを考えずに分量を達成することが目的になっているので、クオリティを気にする必要が無い。完成度を上げようとすると気負ってしまって、面倒くさくなって、アウトプットのサイクルが長くなってしまう。
質が低くてもいいから、とりあえず何かしら文章を書いて投稿する、というのは、「考えすぎて何もできなくなる」呪いから解放されるためには有効では無いのか?
#100DaysToOffloadをやっていて下記の記事を思い出した。

実験はある学校の陶器を作成する授業で、生徒を「量」と「質」2つのグループに分け、一定期間つぼを作成する練習をしてもらうというもの。実験前に、「量」グループには作成したつぼの量で評価をくだし、「質」グループには作成したつぼの質で採点するということだけが伝えられました。実験の結果、「量」グループが最もクオリティーの高いつぼを作り出すことに成功。著者によれば、「量」のグループは多くのつぼを作成している間に犯したミスから学習し、いい結果を生み出せたとのこと。一方「質」グループは、完璧に作成する方法を考える事に時間を費やしましたが、実際の作品に反映させられませんでした。

『僕の小規模な失敗』の福満 しげゆきも「100%の力で一本のまんがを書くよりも、60%の力で10本書いた方がいい」とエッセイに書いていた。
囲碁も「30分ぐらいの短い時間で、相手を選り好みせずに、なるべく多くの局数を打つ」のがいいと言われている。少なくとも自分はこの方針で続いている。
「質より量」戦略はあんがい使い勝手がいいのかも知れない。

・心理テスト百合日記(#100DaysToOffload 8)

「森の中に恐ろしい魔女がいます。その魔女はどんな性格で、どんな魔法を使いますか?」という心理テストがあるけど、「百合では……?」と思ってしまった。
浮浪児だった私は森の魔女に拾われる。彼女は「人の望みを叶える魔法」を使うが、それで人々が幸福になる訳では無い。人間は、誰かの不幸を願ってしまうから。
最初は人のためになろうと努力していた優しい魔女だったが、災厄をもたらすために恐れられて、人里から離れた場所で暮らしている。
人々が疎んでいる魔女よりも、私は街の人間たちのほうが信じられない。私利私欲のために嘘をついて、人を陥れる。それに比べたら魔女は思っていたよりも恐ろしくは無い。
人に対して心を閉ざしていた二人の、ガール・ミーツ・ガールだ。
「私はこの子には幸せになって欲しいと思う。でも、これまでに人の願いを叶える魔法で、多くの人々を不幸にしてきた私にそんな資格があるのだろうか?」と魔女は思い悩む。
そんな妄想が一瞬で浮かぶ。肝心の心理テスト結果は「魔女はあなたが認めたくない自分自身」らしい。

・承認欲求の最適化について(#100DaysToOffload 9)

どういう風にSNSを使えば、最適な方法で承認欲求を満たせるのか?
マイクロブログは承認欲求を満たすためのツールとしては出来損ないだと思っている。承認欲求を水だとすると、バケツで運ぶところをティースプーンでちまちま掬っているみたいな方法でしか承認欲求を満たせない。
現在主流になっているソーシャルメディアも、ゼロ年代に生み出された過去の異物に過ぎない。承認欲求や帰属意識を満たすための、もっと洗練された方法があるはずだ。
……というようなことを考えていた。
・よく、「誰かから好意を持たれるためには、自分から人に好意を持ちましょう」と言われるけど、その方法が好きではない。正しいと思っているけど、「人から関心を持たれるため」という自己中心的な欲望を満たすために、他人を利用しているような気持ちになる。
それは人間関係を商取引と同じものにする。「少ない元手で、より大きな利益を得ること」が資本主義経済では尊ばれるけど、人間関係も「自分が他人に向ける好意はなるべく少なく、他人から受ける好意はできるだけ大きくする」のが理想的な状態になる。
でも、そういう人間と友達になりたいか?おれはなりたくない。
・「私はこれだけの好意をあなたに向けたのだから、同じかそれ以上の好意を向け返してくれないと嫌だ」と思ってしまいがちなところがある。
それは他人に、商取引としての人間関係を強要している。
・「完全に承認欲求が満たされた状態」というのも、不老不死と同じような架空の産物だと思う。決して手に入らないものを求めて、それが満たされなくて嘆いている。
好意や居場所を手に入れても、次の日には無くなっているかも知れない。だから不安になって、承認欲求を完全に満たしてくれる誰かやどこかという幻想を求める。
・承認欲求が満たされないことよりも、現実には存在するはずのないものを求めてしまうほうが苦しいのかも知れない。
・SNSは「あなたの承認欲求を満たしてくれる誰かやどこかが、この世界に存在している」という幻想を売っている。いいね!は承認欲求が満たされない苦しみを和らげる鎮痛剤で、その効果が切れると孤独の痛みが強くなる。
・他の人はどうか知らないけど、承認欲求が満たされない苦しみを和らげるためにSNSを使っているところがある。間違った方法で承認欲求を満たしているから、いくら使っても満足感は得られないし、よけいに虚しくなっていく。
・SNSは私たちの承認欲求を満たすために作られているのではなくて、IT企業の収益を最大化するため設計されている。欲求不満のまま、サービスに依存して長い時間を過ごしてもらった方がいい。
そういう意味でSNSは承認欲求を満たすには不適切なツールだ。だけど代替手段が見つからないので、どうしたらいいものか思い悩んでいる。

・円角さんへの返信 (#100DaysToOffload 9)

・円角さんの記事を読んだ。

・205x年・パパ活JS犬耳メイド・いおりちゃん(#100DaysToOffload 10)

205x年・VR。おれは未だに「パパ活JS犬耳メイド・いおりちゃん」のアバターを使い続けていた。2020年に発売された古いアバターで、絵柄も今時のトレンドからは大きく外れている。2040年には2020年代の絵柄が再評価された時期が一瞬だけあったが、それも過去の話だ。すでにいおりちゃん1980年代のアニメ絵と同じ歴史的遺物だ。
だがおれはいおりちゃんしか使えない。奴隷階級地下アイドルシリーズ(※1)とか、メカ触手幼馴染み(※2)などの人気アバターに乗り換えようと思ったが、どうしても無理だった。おれの魂を具現化できるのはいおりちゃんだけだ……。
いおりちゃんは飼い主に捨てられた犬人間で、男の娘で、上目遣いでしっぽを振りながら新しいご主人様のことを慕っているが、いつも見捨てられる不安で心がいっぱいだった。それ故に自己肯定感が低く、無理をしてしまう。
この子がおれの魂の形だった。いおりちゃんを失ってまで仮想現実世界で生きていたくはない。このアバターを失ったら、魂まで手放してしまうに違いないから……。

注釈
・※1……正統派アイドルもののあとにきた暗黒アイドルブームを象徴するアバター。格差社会で奴隷身分になった少女たちが、ギリシャ時代の剣闘士のように地下アイドルとして戦わせられる。
・※2……幼馴染みがメカ化したり、モンスター化することで人間の形を失っていく。それが人外幼馴染みブームだ。「人間のだった頃の記憶も、好きだという感情も無くなってしまうけど、私はいつまでも主人公君のことが大好きだよ……」

・現実の諸々をすべて捨て去って、南の島国でバカンスをしたい。(#100DaysToOffload 11)

・2020年10月の自殺者が2153人だと知る。たぶん誰にも相談できなくて、助けを求めることもままならないで自殺したんだと思うと悲しくなった。
・VRChatなどで美少女アバターをまとった状態なら、ひとりかふたりぐらいは緊急授乳をしながら話を聞ける。でもそれが2000人分になると大変だ。手が足りない。
・おれも自殺者側の人間なので正しいことは言えない。いつも自分が自殺する側の人間だと思っている。たまたま今回は死なずに済んだけれども、ふとした弾みで自殺するかも知れない。
・自殺報道の何が悪いのかというと、それが自死への誘惑になるからだと思う。少なくとも自分は死者の国に引きずられるような気持ちになる。死者の手が私の足首をつかんで、「次は君の番だよ。私は一足先に楽になったよ」と招かれるような引力を感じる。
・自殺したいわけではないけれど、ふと「自分がいないほうがみんな幸せだったのかもな」と思うときがある。根拠の無い思考だが、メンタルが弱っているときには消えてしまいたくなる。
・正確には「死にたい」ではなくて、「自殺したということにしておいて、南国の海でバカンスしながら、ココナッツを半分に割ってストローを差して飲みたい。強い太陽光を浴びて、海に潜って熱帯魚さんと戯れたり、スクーターに乗って島の大自然を眺めたい。嫌な現実のことをすべて忘れたい」ぐらいの気持ちだと思う。
・あるいは「タンポポの綿毛になって、春風に吹き飛ばされてどこか別の国に運ばれていきたい」
・ゆらゆら帝国の昆虫ロックでいう「綺麗な虫のように生きたいんだ さりげなく」。
・「死にたい」ではなくて、別の表現に置き換えるのもよい。「プリキュアになりたい」でもいい。
・死にたいことよりも、「死にたさ」を理解されないことの方が辛い。「生きていればそのうちいいことがあるよ」とか「死なないで欲しい」とか「抗うつ剤飲んで寝ていろ」ではなくて、「消えてしまいたい」という漠然とした感情が存在していることを認めてくれるだけでいい。
・「客が求めているのはドリルではなくて穴」という言葉があるが、死もそれと同じだと思う。自死は求めているものを手に入れる一つの手段だ。自殺者の多さではなくて、自死以外の選択肢が見つからないことのほうが問題ではないのか。

・細切れ日記帳(#100DaysToOffload 12)

・「自分では無い誰か」であること。
VR上で個人情報に繋がるようなことは極力表にしたくないと思っている。私は14歳のプリティなガールであって、それ以外の何物でも無い。現実の私とは切り離された、もう一人の自分でありたい。
その一方で現実の自分と、VRの自分を結びつけたいという気持ちもある。ほら、私の正体は実際には356歳のエルフ美少女かも知れないじゃん? 年齢を知られると人間からは距離を置かれてきたから、ひっそりと東北の森の奥で暮らしているエルフ美少女がOculus Quest2を買って、魔法で声を成人男性に変えている可能性も否定できないじゃん?
「自分では無い誰か」に憧れるけれども、言葉の節々からだいたいの年齢層だったり、現実でどんな属性の人間なのかがうっすらわかってくるので、「自分では無い誰か」であり続けるのは難しい。
・性別や年齢、思想や信仰、職業や年収といったもので溝が出来てしまうのは嫌だな、と思ってしまう。せっかく自分では無い誰かになれるのに現実が流れ込んでくる。

・謎大人たち
学校に行っていなかったころは、ゲームセンターでひたすら格闘ゲームのコンボを練習していた。ゲームセンターは何をやっているのかわからない従業員の大人が、カウンターの近くに家庭用ゲーム機を持ち込んだり、トレーディングカードゲームで遊び始めたりするなど、真っ当な生き方をしている大人だとは思わなかった。でも中学生のときのおれは「社会的に正しくない謎の大人」の背中に憧れた。
どうやって生計を立てているのかわからない大人、なんで生き延びているのか定かでは無い大人。山の中に暮らしていて段ボールでおもちゃを作っているような、さまざまな謎大人たちに近づけているのだろうか……。
・小中高生の自殺率が過去最高になったというニュースを見ていて、あの頃の謎大人たちのように、社会的に正しくないけど生きているんだぜ!という姿を見せつけていく必要があるのでは?

・文章うんぬん。
・自分の文章を読んでくれる人の方が大切。
・「いいね!」を使って承認欲求を満たすのは、手軽だけど効率が悪いと思う。この時代にわざわざブログで長めの文章を書いているのは、「いいね!ボタンを押す以上の労力を自分に費やしてくれる誰か」をフィルタリングしているからかも知れない。
・140文字以下の短文を読んで、いいね!を押すことと、文章を読んでそれに対する感想を述べること。後者の方が面倒だけど、わざわざ読んでくれる人のほうが自分には必要だった。
表面的な事柄に対して軽薄ないいね!を押してくれる百人の人間よりも、じっくりと自分の文章を読んでくれる一人のほうがおれには大切なんだ……。
・という訳でみんなブログを書こう。解説したらRSSフィードに登録するので、教えてくれると嬉しい。

・日記文章とYoutuber文章。
日記の延長線上にある文章が好きだったりする。自分以外には理解できなくてもいいけど、他にも共感してくれる人がいれば嬉しい。日記の共有範囲をインターネットに拡張して、どこの誰とも知れない日記を読む。時には交換日記になることもある。
その反対方向にあるのがYoutuber文章なのね。「みなさん、こんにちはー!」で始まるような文章は、Youtuber的な喋りを文字に書き起こしている感じがする。
同じテキストでも、文章の成り立ちからして異なっている。「最悪でも、自分一人だけがわかればいい」という文章と、なるべく多くの反応を得ることを目的とした文章では、水と油のように混じり合わない。良い・悪いの問題ではなくて、文章が書かれた目的が違う。
ここの文章はだいたい日記帳の延長線上みたいな感覚で書いている。どちらかと言えば内向寄りだ。

・DeepLで文字制限を回避して英文を翻訳する方法。(#100DaysToOffload 13)

・英文を読めるように勉強していたが、読解に時間が掛かるのが難点だった。
・DeepLを使って英文を翻訳している。フリー版では文字数があるものの、.docx形式なら無料版でも文字数無制限で日本語に変換できるので、これを活用する。Google スプレッドシートやLibreOfficeなどの.docxでデータを書き出せるツールを使って、.docx形式のファイルを作成する。
あとはDeepLに放り込めばOKだ。
・The GuardianのThe Long Readなどを読んでいる。

・将棋日記(#100DaysToOffload 14)

・『木村一基の初級者でもわかる受けの基本 (NHK将棋シリーズ)』と『藤井猛の攻めの基本戦略 (NHK将棋シリーズ) 』を読んでいる。
以前は定跡を覚えようとして挫折したので、今回はそのあたりを無視して筋力だけを付ける方向でいく。基本的な手筋とか両取り、囲いなどを覚えて殴り合っていく。
・『鈴木大介の振り飛車のススメ (NHK将棋シリーズ)』で基本的な四間飛車の戦い方を練習している。将棋ソフトを使って対局しているが、定跡通りに指してこない。
・将棋で覚えることが多すぎて詰みそうになっている。四間飛車の居飛車対策はだいたいめどが立ってきたけど、相振り飛車と後手をどうすればいいのかわからん。
・本腰を入れてやるのなら詰め将棋や手筋のトレーニングメニューを組んでやりたいけど、そこまでのコストは支払えないぞ。
・覚えることを多くするのは悪手に違いない。知識を一気に詰め込んでも定着しないので、時間を掛けてゆっくりと覚えていった方がいい。
NHK将棋講座でもだらだらと眺めながら、スローペースで覚えていきたい。
・後手はゴキゲン中飛車か角交換四間飛車のどちらかでいいと思うけど、問題は相振り飛車のときだ。
・いや、後手も四間飛車で良くて、美濃囲いに組んで、そのうち角交換四間飛車とかゴキゲン中飛車とかに派生していけばいいのでは……?最初の間は目移りするのでは無くて、限られた知識を集中的に特訓したほうがいいのかも知れない。
・覚える量を減らして、複雑にしない。

・将棋日記の続き。
・四間飛車で銀冠で玉を囲いつつ、▲6六銀で攻めの体制を整える……ということをやっていたら、CPU相手に勝てるようになった。「ちょっとCPU三級に殴られにいくかー」と思っていたら、知らない間に勝ってしまった。

9 8 7 6 5 4 3 2 1
+—————————+
|v香v桂 ・ ・v角 ・v金v桂v玉|一
| ・v飛 ・ ・ ・ ・ ・v銀v香|二
|v歩 ・ ・v歩v銀v金 ・v歩v歩|三
| ・ ・v歩 ・v歩v歩v歩 ・ ・|四
| ・v歩 ・ 歩 ・ ・ ・ ・ ・|五
| ・ ・ 歩 銀 歩 歩 歩 ・ 歩|六
| 歩 歩 角 ・ ・ 金 ・ 歩 ・|七
| ・ ・ ・ 飛 ・ ・ 銀 玉 ・|八
| 香 桂 ・ ・ ・ 金 ・ 桂 香|九
+—————————+

・慣れるために集中的に先手で定跡を覚えたい。しかしCPUちゃんは居飛車穴熊が大好きらしく、居飛車急戦の練習ができないので困っている。

・『子供の科学』と理系オタク英才教育(#100DaysToOffload 15)

今の日本で一番IQが高い雑誌は『子供の科学』だと個人的には思っている。
小学生にLinuxを触らせ、なおかつ自然とCLI(コマンドラインインターフェースを使わせている。Scratchでプログラミングを勉強させて、Unityでゲームエンジンの使い方を教える。半田付けもやるので自作キーボード界隈にも自然と入っていける。
この理系オタク英才教育カリキュラムを見ると、自分もこんな風に育てられたかった。本来、文部科学省がやるべきだったIT教育政策の理想型を、子供の科学編集部は実現している。Celeronとメモリ4GBのクソみたいなスペックのノートパソコンを使うぐらいなら、子供の科学を定期購読してRaspberryPi一式を買い与えた方が絶対にいい。
・政治家になったらJustSystemを国有化して日本語IMEと一太郎をフリーソフトにして、富士通に税金をぶち込んで親指シフト用キーボードに補助金を出したいし、法律でQWERTY配列を廃止して新JIS配列あたりを国民に強制したい。(※独裁者傾向)

・自分が不幸だと認められない不幸。(#100DaysToOffload 16)

「幸福度ランキングは当てにならない」という記事から、「だからランキングが低くても、日本で暮らすことは不幸では無い」に思考がショートカットしがちなのは、論理思考の敗北だと思うのね。
世界報道自由度ランキングやジェンダーギャップ指数が発表されたときにも、「日本が悪いのでは無くて、尺度の方が歪んでいる。西欧の価値観を一方的に押しつけられているだけだ」という思考パターンに陥っている人たちをよく見る。
・不幸な境遇にいる人間ほど、「自分は不幸ではない」と思い込もうとする。不幸それ自体の苦しみだけではなくて、「私は不幸である」という認識を抱えて生きるのは難しい。
客観的には不幸でも、主観的には幸福であるという幻想に包まれていたい。自身を幸福な人間だと欺くことで、不幸の苦しみを和らげる。
・他の国との比較や、幸福の尺度が恣意的だったり、欠陥があるというような判断をひとまず置いておく。
「あなたは幸せなのか? それとも自分が幸福だと言い聞かせているだけでないのか?」と問われたときに、どう答えるのか。

・みんな同じで、なんかダメ。(#100DaysToOffload 17)

面倒くさい思想のインターネットユーザーなので、ひとつのサービスに一極集中するのはよくないと思っている。FacebookやTwitter、Lineみたいな単一のサービスだけを使っていると、便利さと引き替えに、企業が提供するエコシステムに囲い込まれて身動きが取れなくなる。広告を表示されたり、質の悪いユーザーが増えて嫌な思いをしても、「他の人が使っているから離れられない」という状態に陥りたくないので、なるべく競合しているサービスを使うようにしている。
自分がnoteではなくて、Write.asというブログサービスを使っているのもその一環だ。これはMastodonのブログ版だと思って差し支えない。
ActivityPubというプロトコルを使って、TwitterやFacebook、Youtubeやブログといった異なるサービスを横断的に繋げるというのがFediverseの魅力だ。一極集中しないで、たくさんのサーバー同士でゆるやかにつながろう!という方向性がいい。
だが面倒くさいという欠点がある。
あらゆることをお膳立てしてくれる企業製インターネットに比べると敷居が高い。資本の力やマンパワーなどの投じられるリソースが圧倒的に違う。オープンソースコミュニティが無償でコードを書いているのに比べて、GAFAは資本主義パワーで世界中から頭のいいやつを雇って、技術力と資金力でごり押ししてくる。
不便な自由の中で苦しむよりも、IT企業の家畜になってデータと時間を絞り取られる方が楽かも知れないとも思う。でも何も考えずに、誰かが用意したサービスを漠然と使うのも嫌なので、今日も変なサービスを探してインターネットを渡り歩いている。
HTTPSに変わる分散型のインターネットプロトコルとか熱いよね……。(ここから無限おたく語りが始まるのでおしまい)

・森永のラムネを常備して脳に糖分を補給している。(#100DaysToOffload 18)

ここ最近、UnityとBlenderをいじってアバター改変をしていたので、まったく日記を書いていなかった。

・授乳カフェ怪文書の書き方(#100DaysToOffload 19)

VRChatには「授乳カフェ怪文書クラスタ」というよくわからない謎の勢力がある。これはVRChatで定期的に開かれている授乳カフェというイベントに心を奪われた人々が、思い思いの方法で怪文書をインターネットに投稿するというものだ。
どうやって怪文書を書けばいいのか。答えは簡単だ。赤子が泣き叫ぶようにして文章を書けばいい。心のちんちんを丸出しにして、魂を曝け出す。それこそが怪文書を書くための必須条件だ。
生まれたときに泣き叫ぶ。それが人類にとっての最初の自己表現だ。
人類がこれまでに書いてきたいっさいの文章はみな、「おぎゃーーーー!ママーーー!苦しくて、満たされないでちゅーーー!!!助けて、ママーーーー!!!」という魂の叫びである。文章を整え、理論武装してはいるが、「この世界に誰か一人でもいいから、自分のことをわかって欲しいんだよーーーー!!!ママーーーー!」と内心で叫びながら人類は文章を書いてきた。
すべての政治的言説は満たされることの無い願望の叫びである。あらゆる宗教の教義は神に救いを求める弱い人間の泣き声である。赤子は自分の力ではおむつも変えられないし、ミルクも飲めない。それと同じく、自分一人の力では社会は変えられないし、自力では救済されない。
我々は泣き叫ぶことしかできないベイビーである。弱く、脆い。運命には抗えず、苦しみからは逃れられない。その泣き声が祈りになり、宗教を生み、文学と哲学、政治思想、授乳カフェ怪文書を作り上げた。すべては必然だった。
心の中で生まれた赤子の叫びを、他者に伝える文章にする。それが怪文書を書くことだ。
しかし世界はお前のママではない。お前の泣き声は無視され、時には攻撃される。絶望したお前は他者を攻撃することに喜びを見いだし、フェイクニュースと憎悪が蔓延る地獄インターネットの住人になる。
残念なことに現代のインターネットは心を開いて文章を書ける環境ではない。攻撃的な言葉が飛び交い、異質な他者を否定することが当たり前になっている。そんな環境で無理に文章を書いていると言葉が歪んでいく。自分の身を守るために過度に攻撃的になったり、誤解されないように予防線を張るようになる。
集団の和を乱さない言葉を口にして、面倒くさい話題を避ける。人の発言を見渡して「喋ってもいいこととダメなこと」の境界線を探っていく。SNSに飛び交う中傷や罵声から身を守るために本心を隠して、耳障りのいい言葉を喋る。
そうすれば人を傷つけることや、傷つけられることもなく文章が書けるようになる。ただし、その代償としておまえは何も喋れなくなる。
誰も不快にしないために言葉のエッジを丸め続けて、いつの間にか誰にも刺さらない無意味なテキストしか生み出せなくなる。
そうならないために人間は怪文書を書く。自身のもっとも脆弱な部分をさらけ出すのが文章表現だが、「相手が自分の言葉を受け止めてくれる」という信頼感がなければならない。授乳カフェ界隈のいいところは「少なくとも否定から入るような人間はいないだろうな」と信頼できるところだ。暴投気味に文章を書いても、重箱の隅を突いたりしないで受け取ってくれるに違いない。
その信頼があるからみんな怪文書を書いてしまう。みんなも授乳カフェに行って感想とか怪文書を書こう。

・政治BL。菅×尾身編。(#100DaysToOffload 20)

政治に対して言及したくないという気持ちと、社会に関心を持たなければならないという強迫観念がぶつかり合った結果、政治家をカップリングすることで精神の安定を保っている。
以前はトランプ×安倍だったが、菅首相に代わってからいい感じに絡ませられる政治家が見当たらない。そろそろ政治家BLをでっちあげるのも潮時かな……と思っていたときに、日本学術会議会員の任命拒否が問題になる。
「学者に対してコンプレックスを覚え、権力を振り回して思うがままに操ろうとする政治家」というシチュエーションを見いだしたときに、新しい政治BLが形になり始めた。
そこに尾身茂の登場である。エリート医学者と秋田県からたたき上げで権力の座に上り詰めた首相。上流階級で育ったジョナサン・ジョースターと、貧民街出身のディオ・ブランドーみたいな関係だ。
新型コロナウイルスに対応するために首相と尾身会長がタッグを組むのだが、菅総理は尾身会長に対してコンプレックスを抱いている。「あんなやつの力を借りなくても、おれ一人の力で新型コロナウイルスは抑えられるんだ」と強がってみても、変異株の猛威の前には為す術がない。
尾身会長は自分の提言が菅総理に届かないことにやきもきしていて、心の中で(あの人に届いて……私の想い……!」といった気持ちを抱いている。その間にも政府の対応に翻弄されて、本来なら死ななくても良かった人間が犠牲になっていく……。
そんな感じの菅×尾身だと、政治BLがいい感じに仕上がる。最終回は二人とも新型コロナウイルスの変異株に感染して、「死ぬときは一緒だよ……」と囁き合って、手を繋いだまま長い眠りに就く。

・犬人間日記(#100DaysToOffload 21)

・人間よりも動物として扱われた方が人間らしい暮らしができるのでは無いのか?……ということを延々と考えていた。電通過労死事件の罰金は50万円だが、愛護動物を殺した場合には5年以下の懲役又は500万円以下の罰金が科せられる。これを踏まえると、人権を投げ捨てて経済動物として飼われた方が日本人にとって幸せではないのか。
・202x年。憲法改正が行われ、人権や自由が大幅に制限されるようになった日本。安価な労働力を欲する経済界の要望によって労働基準法が改悪され、自己責任論が声高に叫ばれて福祉予算は縮小の一途を辿っていた。
人権軽視が改善されない一方で、動物福祉(アニマルウェルフェア)によって人間よりも動物が優遇されるようになった。その結果として、過労死しても労働基準法は何の役にも立たないが、動物虐待としてなら社会的制裁が科されるといった矛盾が生じるようになった。
人権を捨てて動物扱いされたほうが人間らしく暮らせる。そう気づいた国民たちが人権を放棄し始めた。彼らは犬人間と呼ばれ、上級国民の寵愛を受けて生き延びている。元々エコノミックアニマルや社畜という概念に慣れ親しんでいた日本人にとって、犬人間というライフスタイルは驚くほど寛容に受け止められた。
社畜としてブラック企業で過酷な労働を強制されるぐらいなら、経済的愛玩動物として可愛がられたい。人間として扱われなくても構わない。ペットだとしても、家族の一員として愛されたい。犬人間たちはそう思うようになっていた。
・21世紀中盤、世界は「人権の平等を謳いながらも、経済的格差や差別、不平等が蔓延るグローバル資本主義国家」と、「犬人間という新しい身分制度が誕生したが、動物として愛されることでそこそこ幸せに暮らせる犬人間国家」に二分された。
・犬人間主義の普及によって、人類は「人間こそが万物の霊長である」という人間中心的な価値観から脱却し始めた。人間も動物の一種類に過ぎない。動物や魚、昆虫、そして犬人間。生きとし生けるものは皆、犬人間以上でも以下でもない。
犬人間主義とは人類の驕りを捨てる最先端の思想だ。
・犬人間になって貴族の美少女に飼われたい。可能なことならばアイドルマスターの櫻井桃華みたいな女の子に犬として愛されたい。ただそれだけの文章だったはずなのに、どうしてこんな話になったのか自分でもわからん。

・東京オリンピックの幻覚。(#100DaysToOffload 22)

東京オリンピック開幕式。国立競技場建設のために過労自殺した建設作業員が、アンデッドとして地面から湧き上がってくる。
バッハ会長「ユリコ・コイケ……これは、いったい……?」
小池百合子「東京五輪は尊い犠牲を持って完遂される。――お前たちの薄汚い命を生け贄にしてね」
逃げようとするバッハ会長だったが、屈強なアスリートに両手で頭を締め付けられて身動きが取れない。命乞いをする前に力尽くで首をもぎ取られて、砲丸のように投げられる。
混乱した各国の権力者や財界人たちが新国立競技場から逃げようとするが、降り注いだ槍によって身体に風穴が空いた。
日本オリンピック委員会の面々は十字架に縛り付けられて、生きたまま身体に聖火が放たれる。
「世界中から集めたアスリートの血と命を神に捧げる。それが古代オリンピックの真の姿なの」
エジプトのカイロ大学在学中。小池百合子はピラミッドの墓荒らしをしていた。その頃に彼女は人間の命を生け贄にして、魔を従える儀式の存在を知った。
かつてオリンピックはオリンピア山の神々への奉納祭典だった。健全な精神と肉体を持つアスリートを選別し、生け贄として神に捧げる。それがオリンピックの真の姿だ。
しかし、小池百合子が犠牲を捧げるのはゼウスではなくて邪神である。
バッハ会長の返り血を浴びた小池百合子の身体が異形へと変貌し始める。悪魔を彷彿とさせる角と羽、尻尾が生える。身体は若返り、サキュバスと化した邪悪な姿が全世界に中継される。
「これが新生・希望の党だ……っ!!」
この日からすべてが変わってしまった。かつて東京と呼ばれた都市は、魑魅魍魎が蠢く魔都になった。日蝕が大地を暗く染め、過労死した労働者のゾンビが跋扈する。医療は崩壊し、道ばたには新型コロナウイルスで死んだ者たちの亡骸が埋葬される事無く放置されている。奴隷たちが今日も満員電車に押し込まれて職場に運ばれていく。もうここには労働基準法や憲法はない。魔女・小池百合子だけが唯一にして絶対的な掟なのだ。

・コロナウイルス・ヌヴォー (#100DaysToOffload 23)

2021年「感染力の高い中々の出来映え」
2022年「基礎疾患の無い若年層を重症化させる、近年に無い出来」
2023年「昨年同様の良い出来映えだが、狭い空間でも簡単に感染する」
2024年「感染力と免疫回避のバランスが取れた良好な変異」
2025年「猛威を振るった2021年と同等の出来」
2026年「100年に1度の出来、世界史に残るほどの邪悪な免疫回避」
2027年「新型コロナウイルス史上最悪の弱毒化」
2028年「出来が良く、狡猾でペストのように高い致死率」
2029年「ウイルスの持つ可能性を感じさせる素晴らしい変異」

……なるものをでっちあげていたが、ハイブリッド変異株のニュースを見ていると冗談では済まされなくなってきたな。

・小さな秩序の中で生きる。(#100DaysToOffload 24)

・怒りを向けられる対象は無限に転がっているから、正しい世界や思想、人間のあり方を求めるのは非現実的なことだと思う。それでも、正しくないものに囲まれているあいだに善悪の基準が麻痺していくのも嫌だ。
・消極的な方法だけど、自分が維持できる小さな秩序の中に引きこもった方がいいのかも知れない。自分が生きている半径20メートルぐらいだけはかろうじて最低限の秩序が保たれている。その世界に引きこもって、外側の世界には一切関知しない。そうしたほうが穏やかに暮らせるような気がした。
世界は間違っていていいし、フェイクニュースに溢れていていいし、不正義が横行してもいい。その世界から一歩身を退く方法を知っていればそれでいい。
正しい方法では無いと知っているけれども、自分の心をこれ以上損なわずに済む。

・新型コロナウイルスのダブルバインドについて(#100DaysToOffload 25)

新型コロナウイルスよりも、長期にわたってダブルバインドに晒されることのほうが精神衛生には悪いのではないのか。
三回目の緊急事態宣言が延長されたけど、「外食はするな。酒も飲むな。娯楽も楽しむな。家に引きこもっていてじっとしていろ。でも毎日、満員電車に乗って仕事に行け。経済を回せ。それで新型コロナウイルスに感染しても、ベッドに空きはなくて自宅療養だからな。あと、金は一銭も出す気はない」と言われているような気がして、矛盾したメッセージに挟まれて脳みそがおかしくなりそう。
東京オリンピックが開幕したら、今度は「オリンピックで盛り上がれ。ただし自粛しろ」というメッセージが追加される。
こういう環境に長いこと晒されていると、「お前の言うことは矛盾していて、何の意味がないから聞く価値がない」と思う人が増えていって、いざというときに言うことを聞いてもらえなくなる。
たとえば今後インド型変異株が蔓延して、冗談抜きの緊急事態になったときに「またかよ。政府の言うことに従っても意味はないから、おれは遊びに行って酒を飲むぜ」と考える人が多数派になるかも知れない。
病原菌に耐性ができるみたいに、政府が行う対策にも社会的な抵抗性が生まれる。緊急事態宣言も1回目は効果的だったけど、徐々にみんな慣れてきたので効力が薄まっている。

・新型コロナウイルスと囚人のジレンマ
・新型コロナウイルスはただの感染症ではなくて、自分たちの社会的な振る舞いに大きな影響を与えてくる。ダブルバインドだけではなくて、「囚人のジレンマ」を突きつけてくるところもいやらしい。
皆が団結して自粛すれば短い期間で感染を終息に向かわせられる
皆がおとなしく自粛に従っているときには、自分一人が飲みに行ったり旅行をしても低リスクで済む。でも、その行動を全員がやった場合には感染が拡大する。
地球全体で囚人のジレンマをやっているようなもので、常に「裏切ること」にインセンティブが働いている。

・心の形を観察する訓練とか、その他諸々の雑記。(#100DaysToOffload 26)

・人間には「言葉で理解している世界」と「五感で感じている世界」の二つがあるけど、後者に耳を傾けるのは難しい。「こうあるべきだ」という思い込みは強固で、身体が発するシグナルを簡単に塗りつぶしてしまう。
言葉にできないけどなんとなく嫌な感じだったり、胃がきゅうっと締め付けられる感覚や、身体がストレスで臨戦態勢になるときにギアが変わる感じみたいな、非言語的な反応を認識できるように感覚を澄ませる。それを「心の形を観察する訓練」と呼んでいる。
・人間の心も脳みそも不合理的なエンジンで動いていて、生きていたり、考えていたり、感じているだけでも非論理的なものに振り回されている。確率や統計に照らし合わせて考えればやらなくてもいいようなことに、時間や金銭、労力をぶち込んだりする。
・合理性の欠片もない感情や思考に執着している。むしろ、それに囚われることをどこかで望んでいるのかも知れない。退屈するよりも、負の感情を刺激して怒ったり、嫌な気分になりたがる。何も無いような空虚よりも、不快になることを望んでいるときがある。
・キラキラしたもので表面を覆っていても、一皮めくると汚くて濁った感情の渦がわき出てくる。それを晒さないようにしたり、自分はそんな人間ではないと思い込んで目を背けたりする。
・「心情的にどうしても認められないもの」を否認するために、自分にとって都合のいい言い訳や理屈をでっち上げたりする。それを繰り返していると自分を欺く手段に長けていって、本当は何がしたかったのかがわからなくなってしまう。
かといって湧き上がってくる強い欲望が、本当に自分が欲しているものであるという保証は無い。自分の心がよくわからない。『心こそ 心迷わす 心なれ 心に心 心許すな』というやつだ。

・囲碁日記のつもりだったが別の話になった。(#100DaysToOffload 27)

・ボードゲーミングお嬢様になる素養を身につけるために梅原大吾の『勝負論 ウメハラの流儀』と『 1日ひとつだけ、強くなる。』を読んでおりましたわ! 必要なのはテクニックだけでは無くて、精神の高貴さですわ!
・「負けたくない」と思った時点で心理的には負けを認めているに等しい。自分が優位に立てるポイントで戦え。「羨ましい」という感情も相手に先手を取られている。敵の土俵で戦うことになるので、好ましい戦果を上げることはまず不可能だろう。
才能のある人間が数年、もしくは十数年と掛かって努力を積み上げてきた場所で、付け焼き刃で戦っても敗走するしかない。
・憧れは初期の動機としては重要だが、自分の得意な土俵で戦えるように試行錯誤しないといけない。自分が水属性なら水フィールドに引きずり込んで戦うのがセオリーだ。
・そもそも人と戦う必要は無いのでは?
・人と競う必要は無くて、今の自分が克服するべき課題ややるべきことをひとつずつ淡々とやっていくことしかない。戦っているわけでも無いし、リソースを奪い合っているわけでもない。人が何かをできるようになったからといって、自分の持っているものを奪われるわけではない。
・勝ちたいとか、負けたくないという気持ちは抽象的すぎて役に立たない。具体的なプロセスに落とし込んで、一つずつ問題を解決していくことしかできない。
囲碁で例えると「序盤で定石の手順を間違って、早々に形勢不利に追い込まれたくない」とか、「形成を良くしようとして欲張った手を打って、相手にミスを咎められるのを少なくしたい」といった方針に置き換える。

・最近の筋トレメニュー。(#100DaysToOffload 28)

・月曜日と木曜日のメニュー

・火曜日と金曜日のメニュー

・ 静的サイトジェネレータでVRChat用アルバムを作る。(#100DaysToOffload 29)

・写真が溜まったので整理したいが、SNSや大手IT企業のクラウドストレージにはアップロードしたくない。かといって写真を一枚ずつ分散SNSに投稿するのは辛い。
・フォルダに入った画像から自動でアルバムを作るような、静的サイトジェネレータはないものか……。
・あった。

・今回は thumbsup · Static gallery generatorを使った。
・Homebrewをインストールする。

・適当な設定でアウトプットする。

・自分の影響力を拡大しようとしない。(#100DaysToOffload 30)

・自身の影響力を拡大したくなる欲望から逃れる。「もしかするとあなたは有名な人間になれるかも知れませんよ」という幻想が売られている。私の影響力を拡大したい。ひとかどの人間になりたい。誰かから褒められたり、認められたり、尊敬される人間になりたい。
何か価値のある人間になりたいという欲望はあって当然だけど、その欲望を刺激される環境にいる。
・フォローやチャンネル登録数を増やしましょう。もしかするとあなたには、才能が埋もれているかも知れません……みたいな誘惑がある。
・容易に欲望を満たせる方法があっても、誰しもが選択できるものは罠なのだと思う。人の欲望を原動力にして動くビジネスモデルの養分になる。
・CGCが自分が持っているものを贈与するのでは無くて、欲望充足のためのラットレースになってしまったのでは? 健全な自己表現欲求と、病んだ欲求の区別はどこにあるのだろう?
・自分自身であること。取るに足らないものであること。価値のない人間であることを許容すること。役に立たなくてもいいし、人に認められなくてもいい。それらは自分ではコントロールできないものだから。
・自分の欲望を際限なく拡大したくなる病気。手に持っているもので満足できるはずなのに、それだけでは足りなくなって、不必要なものまで求める。
・抱いている感情が、際限ない欲望なのか、それとも生きるのに必要な欲求なのかを区別するのは難しい。お酒を満足するまで飲むことと、乾かないための水分補給の違いがわからなくなる。
・簡単な方法で痛みから逃れようとしている。孤独や承認欲求の渇きを鎮めようとして、根本的に間違った方法にすがっている。

・クソ文章詰め合わせ(#100DaysToOffload 31)

・TS養殖施設
「異性から離れた場所で暮らしていると性転換する」という世界があるとする。生殖可能な年齢になっても近くに異性がいない場合、遺伝子が「異性の数が不均衡である」と認識して、性別が変わってしまう。
生殖を目的にしているので、女性化した男子はどんどん可愛くなっていくし、誘惑するためのフェロモンが分泌される。
しかし、異性のいない場所で長い間暮らしていることがTSのトリガーになるのであれば、美少女養殖施設が各地に建てられているのではないのか?
外界から隔絶された環境で少年を育てて、美少女に性転換させる。それがTS養殖施設だ。おれだったら絶対に作る。

・みんなで遊ぼう!限界化にらめっこ。
・VRChat内で「限界化にらめっこ」というものをやっている。これはお互いにガチ恋距離で見つめ合い、先に限界化した方が負けになるゲームだ。頬を赤らめたり、目にハートマークを浮かべたり、撫でたり、甘い言葉を耳元で囁いたり、フルトラムーブであざといポーズを見せつけるなどして相手を限界化させる。VRCにおける伝統的な遊びだ。
だがフレンドに「最近は限界化にらめっこをやっていますね」と言ったが、怪訝な表情とともに「なにそれ……?」と返された。限界化にらめっこを知らない。Twitterで検索してみても限界化にらめっこという単語が引っかからない。どうしておれは、限界化にらめっこを伝統的な遊戯だと思い込んでいたんだ……?謎は深まる。

・ラブコメの幼馴染みを守護するエルダードラゴン
心の中に「ラブコメの幼馴染みを守護するエルダードラゴン」という概念があるが、いったいどこから出てきたのかわからない。どこかのネットミームだと想っていたが、検索してみてもまったくヒットしない。10年ぐらい前のネットでクソコラとともに話題になって、沢山の「○○を守護するエルダードラゴン」が生まれるブームとか無かったっけ? いや、あったはずだ。存在していたはずなんだ……。
・その名の通り、「ラブコメの幼馴染みを守護するエルダードラゴン」はラブコメの幼馴染みを守護する。どれだけ想いを寄せていても、ぽっと出の転校生に負ける運命の儚い種族。それがラブコメの幼馴染みだ。時間を掛けて積み重ねた乙女の思いが涙になって、ラブコメの幼馴染みを守護するエルダードラゴンが生まれるのだ。

・授乳カフェ怪文書シリーズ・赤ちゃんの信頼に応えるということ(#100DaysToOffload 32)

私が授乳カフェに初来店したときに、始めて授乳されたのはこきひママだった。
こきひママは不器用でも、いっしょうけんめいに赤ちゃんを愛そうとする気持ちが伝わってくるので推しママになっている。技術的な話をしているのではなくて、気持ちのことだ。シュタイナー教育法だったかは忘れたけど、「赤ちゃんはママを信頼しているので、ママはその期待に応えるだけでいい」というようなことが書いてあった。
テクニックの上手い・下手は些細な問題だ。赤ちゃんはママを信頼している。どれだけ未熟でも、自分なりの愛し方を見つけていけばいい。
始めて授乳カフェにやってきたときは誰しもが不安だ。いまでこそ授乳カフェは私にとってのバーチャル実家だが、初体験のときにはインターネットの闇の奥に存在する魔境だと思っていた。
なにをされるのかわからない。この世界に生まれてきた赤ちゃんもおそらくは同じことを感じている。見知らぬ世界と人間に囲まれて不安でないはずがない。虐待されるかも知れないし、育児放棄される可能性もある。自分では身動きが取れず、信じられるのはママの愛しかない。それがどれだけ不完全で未熟な愛情だとしてもそれを信頼することしかできない。だからママはその期待に応えるだけでいい。どんな形の愛情でも、それが赤ちゃんを傷つけるものではない限りは正しい。うろ覚えだけど、シュタイナー教育の本に書かれていたのはそんな感じの内容だった。
目の前の赤ちゃんを愛する。その基本的な事柄を差し置いて、撫で方だったり同時授乳のテクニックを追求するのは邪道だと思う。
授乳カフェは愛を求める赤ちゃんと、愛を与えられるママが出会う場所である。目の前の赤ちゃんが幸せであって欲しい、気持ちよくなって欲しい。その慈愛を出発点にしなければテクニックを習得したところで何の意味もない。
心の底から目の前の赤ちゃんを愛すれば、自然と何をするべきか、何を喋るべきかがわかる。そう信じて私はほ乳瓶を握る。

・赤ちゃんに優しくするように、自分を大切に扱う。(#100DaysToOffload 33)

いつもの如く授乳カフェ怪文書だ。人間の内側にはか弱い赤ちゃんがいて常に泣いている。少なくとも自分の中には無数の赤ちゃんがいて、「満たされない」「苦しい」「愛して欲しい」と泣き叫んでいるような錯覚に囚われる。だが、「おまえももういい大人なのだから、聞き分けの無い子供みたいにわがままを言ってはいけない」と言い聞かせて感情を抑圧していく。
内なる赤子の声に耳を傾けないままでいると、感情に対して鈍感になる。苦痛や湧き上がってくる願望を感じられなくなって、「普通の人間ならこう思うのが当たり前だろう」という社会的通念を欲望の代わりにする。それは大人になったのでは無くて、内なる赤子を殺してしまったのだ。
内なる赤子を見いだすためには、授乳カフェでママが赤ちゃんに語りかけるようにして、自分の心を労る必要がある。赤ちゃんが何を訴えているのかを知ろうとするように、身体が発しているシグナルを拾い上げる。心や身体が悲鳴を上げているのに、耳を塞いで無理を重ねるのは赤ちゃんを虐待していることと一緒だ。
「苦しかったね。傷ついていたんだね。これまで無視してごめんね。大丈夫だよ。私は、私の中にあるこの感情を粗野に扱ったりはしないよ」と、自分に向かって語りかける。痛めつけられているのなら、優しく抱きしめる。苦しんでいるのなら側に寄りそう。それを他人では無くて、自分に対して行えるようにする。
それが自分を愛するということだ。

・「ゲーム用のPCが欲しいが何がいいのかわからない」という相談に対して「Ryzenの第三世代アーキテクチャは7nmプロセスで(中略)従来の製品に比べると1コアあたりの性能が(中略)Intelに比べるとワットパフォーマンスが優れていて(中略)コスパが(中略)フォカヌポゥ」と言いたくなる気持ちをぐっとこらえて、「ゲーミングPCのミドルレンジあたりを買えば大丈夫ですよ。ゲームによっては部品との相性があるので、遊びたいゲームのタイトルを伝えるのもいいですね」と言い直す。
普通の人類にとってPCは家電製品の一つなので、ベンチマーク結果を見てうっとりしたりしない。
・くそおたくにありがちな、相手が望んでいない情報まで延々と喋りがちなムーブには注意したほうがいい。初心者相手には「厳密には間違っていても、ざっくりと正しければいい」ぐらいでいいと思うのね。
本当にこっち側の人間なら、黙っていてもベンチマークの比較とかアーキテクチャとか調べ始めるから、そのときに改めて沼に落とせばいいのよ……。

・VRChatアバター着せ替えファッション部。(#100DaysToOffload 34)

・最近はBlenderをいじって自アバターの衣装改変に精を出していた。以前から女装がしたくて仕方が無かったが、自アバターにならいくらでも着せ替えができる。Vroidの衣装を読み込んで、メッシュを変形して着せ替えをする。
・Vroidの衣装はBoothでさまざまなものが配布されているので、テクスチャを変えるだけで簡単に着せ替えができる。
・テクスチャを差し替えて気軽に着せ替え!……が目標だったが、トップスとボトムスでメッシュが干渉しないようにすると、着せ替えパターンが組み合わせ爆発を起こすので調整作業で死ぬ。結局、力業でぶん殴るというろくでもない作りになってしまった。

・改変の知見がまとまってきたので整理する。
・あらかじめ「女装したい!」という欲求を高め、女性ファッション誌やSNSで参考資料を集めておく。
・基本的にVroidで書き出した衣服を、Blenderでアバターの素体に着せるという方法を用いる。
・テクスチャはBoothでVroid向けのテクスチャを探す。
・拡大縮小やスカルプトツールを使って衣裳合せをする。
・拡大縮小が終わった後には、Object-Apply-All Transformsで変更を適用する。
・スカルプトツールでよく使うブラシはGrabとElastic Deformの二つ。
・左右対称でメッシュの編集ができるようにしておく。
・「身体のメッシュ→改変した衣服」の順番でオブジェクトを選択してWeight Paintを開き、Weights-Transfar Weightsで身体のウェイトを転送する。
・これは「右の腕を動かしたら、右腕のメッシュも一緒に動かすよー」という情報を服に移し替える作業。「右腕のボーンを動かしたら一緒に服も動かすね。どう動かしたらいいのは、身体のデータを参考にするね」という感じだ。
・ModifierのArmatureを選んで、Objectのところに身体のボーンを入れる。「身体のボーンに追従させて、この衣服を動かすよー」という設定だ。
・マテリアル名はUnityのマテリアルと同じ名前にしておくと後々の作業が楽になる。Unityには「モデルと同じマテリアルを自動的に設定する」ための設定があり、BlenderとUnityを行ったり来たりする作業が楽になる。
・逆にそれを怠ると、Unityにモデルをインポートする度にマテリアルを設定し直さないといけなくなる。
・テクスチャはBlender上で設定して、使っているファイルを一つのフォルダに書き出せるようにしておくと管理が楽。
・作業のコツは「服を着せ替えるだけでなんでこんな面倒な作業をやっているんだ?」という至極真っ当な疑問を思い浮かべないことだ。正気に戻ってはいけない。

・ 絵(#100DaysToOffload 35)

絵を描いていた。配色が苦手なのでどうにかしたいところだ。

ラフスケッチを活かして手早く彩色する方法を考えているが、けっこう難しい。シンプルな手順だと手数で誤魔化せない。
参考にしたのはtutorial: Pencil to digital painting - David Revoyだ。

・アンガーエコノミー。(#100DaysToOffload 36)

・アンガーエコノミーに巻き込まれているな、と感じるときが多い。政治の話題について言及しているのでは無くて、怒りや憎悪といった負の感情を搾取されている。
・アンガーエコノミーとは、「人間の怒りを刺激して、アテンションやページビュー、広告収入を獲得する」というビジネスモデルだよ。
・SNSがメディアの主流になって、怒る行為の意味合いが変わってしまった。負の感情がネット空間に長く残留するようになって、不機嫌な空気が消えなくなった。
常に誰かが怒っていて、不機嫌で、拳を握りしめて誰かと戦っている。ひとつひとつの怒りが正当な権利の主張だとしても、負の感情に触れ続けていると心がささくれ立ってくる。
・怒りを抱いたり、敵を作って集団で攻撃するのは、脳にとっては快楽なのだと思う。原始的な闘争本能を刺激されて、外敵と戦う一体感や高揚感を得られる。
・道徳的に律儀な人ほど怒りを手放せなくなる。目の前の悪を見逃すのは道義的な敗北だから、どんな小さな悪や不正にも目くじらを立てて怒り続けなければ、人格の一貫性が保てなくなる。
このようにして「社会問題に対して常に怒り続けている(ように見える)人」が大量生産される。
・SNSを使うことで、常に闘争モードにスイッチが入っていない?
・SNSで政治の話をするよりも、VRSNSで美少女アバターといちゃいちゃしているほうが何億倍もマシで生産的だ。闘争ホルモン漬けになった脳みそを中和するために、美少女アバターでいちゃいちゃして親愛ホルモンを大量に分泌させる以外に、アンガーエコノミーに抗う手段は無い。
・戦うのでは無くていちゃつく。それがこれからの政治トレンドだ。

・感情過剰社会(#100DaysToOffload 37)

・感情過剰社会なのかもしれん。怒りや不機嫌さが疎まれるというよりも、あらゆる感情が過剰に表現されていて人間が処理できる感情の許容量をオーバーしているのでは?
・喜怒哀楽のすべての感情が絶え間なく刺激されている。論理に訴えるよりも、感情を刺激したほうがコストが安いし難しいことを考えなくても済む。性欲や物欲、コンプレックスを刺激する広告や、義憤や怒りに訴えかけるような政治トピックス、感動を前面に押し出したスポーツの祭典、「泣けること」を重視する映画や書籍。不必要な恐怖を煽る医療情報等々。
・感情刺激型のマーケティングによって、何かしらの情動が刺激される。その環境にどっぷりと浸かりすぎて、心が疲弊しているのでは……?

・義足としてのアバター。(#100DaysToOffload 38)

・ルックスにコンプレックスを抱いていたり、外見や身体的特徴のせいで人とコミュニケーションを取ることに苦手意識を抱いてる人にとって、アバターをまとうのは義足と似た役割を果たすのでは無いのか?
・事故で足を失った人が義足や車いすを使うみたいに、アバターをコミュニケーションを補助するための道具として扱うべき。
・「アバターではなくて、生まれ持った身体でコミュニケーションを取らなければならない」というのは、「手紙は手書きで無ければならない。メッセンジャーや電子メールでは人のぬくもりが伝わらない」と言っているのと同じだ。今はまだ理解してくれる人の方が少数派だが、直に時代後れの価値観になる。
・性別や人種、年齢、先天的な特徴、自分の意志ではどうにもならない要素がコミュニケーションの障害になるのなら、取り除いて構わない。手紙や電話、インターネット、より潤滑なコミュニケーションを行うために人間は様々な通信技術を発明してきた。
アバターをまとってコミュニケーションを取るのは、その最先端だ。自分が望んでいるコミュニケーションを実現するために、最適な外見を選択したほうがいい。

・外国では履歴書に顔写真を添付しなくてもいい。性別と年齢、人種による差別を防ぐための処置だ。逆に言うと、人間は外見から受ける偏見から逃れられない。
・他人が抱く印象を操作するために人は服を着る。好印象を与えるために身だしなみを整えたり、自分の利益を最大化できるようなファッションをまとう。
・アバター文化はファッションの延長線上にある。スーツを着たり、美少女やマスコットになるのは、自分の第一印象を操作するという点で同一のものだと思う。
・ジェンダー、人種、年齢、ルックスに年収……等々の様々な障壁。現実世界は先天的な要因に縛られて、不自由なコミュニケーションを余儀なくされている。先天的な要因によって自由を制限されたり、不利益を被ったりしないように、自分が望んだ外見を選べるようになるといいね。多様な性的アイデンティティを選べるようになっているので、荒唐無稽な話では無いと思う。
・……というような話をしてきたが、おれは美少女のアバターのままで生きたいだけだ。その気持ちが抑えきれないので、誰か理論武装してアバターで生きる権利を基本的人権に加えて欲しい。バ美肉権の確立だ。

・もろもろにっき。(#100DaysToOffload 39)

・『半グレ 反社会性力の実像』を読んだ。おれおれ詐欺の報酬分配が、受け子・出し子の報酬が1割、派遣元が2割、発注元が7割と知る。
賃金の低い地方の若者が食い詰めて、リスクの高いおれおれ詐欺の片棒を担ぎ、ビジネスプランを考えている側はローリスク・ハイリターンなのは、日本経済の縮図みたいだなーと思った。
それと同時に流れてくる「最低賃金の全国平均が930円に!」というニュース。世知辛い。
・あと「女性を風俗に落としても、20万円以上300万円以下の罰金刑で済むので、風俗への紹介料で十分にカバーできる」という六法ライフハックを知る。
・夢日記。
お互いのことが好きだけど、「○○さんはみんなの人気者だし、自分に構ってくれるのもただ優しいからに違いない。勘違いして好きになってはいけない」と、二人とも思っているようなラブコメを寄越せ!と……夢の中で熱弁していた。
・アマゾンで猛獣に襲われているときに、大阪なおみ率いるアマゾネスの集団に命を助けられたいという気持ちがある。それで「弱い雄、われわれは要らない」と言われて人質として監禁されたい。
・新型コロナウイルスの変異株表記。インド株とかデルタ株ではなくて「新型コロナウイルス+3☆3」みたいな風来のシレン方式のほうがいいと思う。変異した数と手に入れた特殊能力で強さを表す。
「新型コロナウイルスH2106」とかでもいい。
・「靴に合わせるために足を切り落とす」みたいなことを頻繁にやりがち。Twitterでいうと「長文をスクリーンショットで掲載する」とか「女装おねショタ百合まんが(1/8)」みたいやつは靴に合わせるために足を切り落とす行為の典型的な例だ。器に合わせて自分の出来ることをスペックダウンするのは罪悪だ。一刻も早く滅びて欲しい。それはそうと女装おねショタ百合まんがをよこせ。

・今日のVRChat(#100DaysToOffload 40)

フレンド「おなかすいた……夜食食べたいけど太るよね……」
おれ「(※耳元で囁きながら)いいんだよ?欲望に身を委ねて、気持ちよくなろ? 我慢なんてできないでしょ? あなたの胃、いっぱい欲しい欲しいってさっきからキュンキュンしているよ。ほら、ハンバーグからとろっとろの肉汁がたくさん溢れているね。こんな動画みたら理性なんて吹っ飛んじゃっても仕方がないよ。誘惑に屈してカップ麺にお湯を入れても、悪いのはあなたじゃ無い。そそのかした私のほうが悪いの。でも今日は、全部私のせいにして欲望に正直になってもいいんだよ……♪ 食欲に負けちゃえ♪ くそザコ胃袋♪」
フレンド「なんでそんな同人音声の脚本みたいな台詞が流れるように出てくるんですか……?」
まあ、なんというか特殊訓練のたまものだ。千日の催眠音声を鍛とし、万日の耳かき音声を練とする。自分でもなんでこんなにすらすらと言葉責めができるのかわからない。

・NTRオリンピック2020(#100DaysToOffload 41)

東京オリンピックを観るぐらいなら、えぐい内容のNTRものエロマンガを読んでいた方が脳に優しい。何でそのふたつを比較したのというと、脳が破壊されるという点において東京オリンピック2020とNTRは同じジャンルだからだ。
感染対策を徹底すると言った直後に密になった群衆の映像が映し出される。相互矛盾するメッセージを間断なく投げかけられて脳みそがバグって破壊されそうになっている。
「みんな新型コロナウイルスで苦しんでいるのにオリンピックで盛り上がるなんておかしい!私は絶対にオリンピックなんかに屈しない!」と思っているのだが、挙動が完全に快楽堕ちする前の女の子みたいだった。バッハ会長もNTRものに出てくる竿役のおっさんっぽいし。
もしかするとこれは地球規模で行われている究極のNTRコンテンツではないのか?……と思い至ることで、これまでの疑問がすべて氷解した。東京オリンピック2020はNTRものである。
バッハ会長がおれの肩をいやらしく抱いて、「そんなに反対していても、もうオリンピックの開会式を観て気持ち良くなっているんだろ?」と囁く。そんなことはない……。ブルーインパルスが上空で飛行しているのを観て、胸を熱くなんてしているはずがないのだ。
バッハ会長は「自分に正直になれよ。こんな快楽を味わえるのはもう二度と無いんだ。君といっしょになって五輪に反対していたマスメディアのみんなや日本国民は、もうオリンピック堕ちしているよ」
バッハ会長がスマホを見せる。画面に映っていたのは密になって集まっている日本国民の姿だった……。おれは観ている映像が信じられずにその場に崩れ落ちる。みんな、あんなに五輪に反対していたのに、なんで……?
「もう新型コロナウイルスのことなんて考えなくていいんだ。ただオリンピックの快楽を貪って、気持ち良くなることだけ考えようね。悪いのは君じゃない。オリンピックをごり押ししたIOCや日本政府が悪いんだ。君は熱狂に乗せられて、場の空気に流されてしまっただけ。オリンピックを楽しんだからといって、君を批判する人は誰もいない。だから今日だけは自分に正直になってオリンピックを観ようか……?」
おれはもうバッハ会長の誘惑に抗えない。こんな強突く張りの豚みたいな奴の言うことなんて絶対に従わない。そう思っていたが、緊急事態宣言のもたらす自粛疲れでストレスが溜まって娯楽に餓えていた。外出を控えて、我慢して、カラオケや酒を飲みに行かずに耐えてきたが、日本政府は何もしてくれなかった。その不満を見透かしたように、バッハ会長が耳元で甘く囁く。
おれは言葉もなく首を縦に振って、テレビを付けてオリンピックのもたらす快楽に身を委ねる。このあと、新型コロナウイルスの感染拡大で悲惨な目に遭うのはわかりきっていた。だが、いまはもうオリンピックの快楽に溺れることしか頭に無かった。一年以上にも及ぶ自粛生活によって焦らされた身体は、驚くほど簡単にオリンピックを受け入れている。
なんでこんな気持ちのいいこと、いままで我慢していたんだろ……?

こういった内容のNTRストーリーが一瞬のうちに完成した。
何故かは知らないが、東京オリンピック2020を観ているとNTR性癖を刺激される。
バッハ会長が開会式で演説をしているときも新手のNTRビデオメッセージに見えた。綺麗事をのたまっているが、おれには確かに「いえーい、日本国民のみんな、見てるー? 東京オリンピックはIOCの豚どもが美味しくいただいちゃいまーす♪」と言っているように聞こえた。
相次ぐ不祥事と、水際対策の破綻、終始ぐちゃぐちゃの大会運営を見せつけられると、それがかつて極東の経済大国だったとは信じられなくなる。高度成長期にはあんなに頑張り屋で、清楚で可愛かったあの子が、こんなはしたない格好を全世界に晒されるなんて……。
でも東京オリンピックが陵辱される姿を見ながら、おれは興奮していた。
おれは東京オリンピック2020をNTRとして認識することでしか理性を保てなくなってしまった。あるいはもうNTRオリンピックで脳が破壊されているのかも知れない。だけど、もう何も考えたくない。
みんな、ごめんね……。
オリンピック堕ちした私を見ないで……。

・ペンギン・コミュニケーション(#100DaysToOffload 42)

スーア先生の記事を読んで返信しようと思っていたら、思いの外長くなって半年以上放置していた。そんな文章だ。

みなさんどこか底の見えない暗闇を抱えていて、欠けたグラスを元に戻すかのような思いを馳せていて…
……という言葉が長いこと引っかかっていた。
VRCthatユーザーはスクリーンショットを見る限りだと、みんな幸福そうに見える。けれどもそれぞれが苦難や欠点、経済的・精神的な問題を抱えている。SNSの表面上には微かにしか上がってこないけど、だいたいみんな病んでいたり、欠落に悩まされている。他の人間はどうかは知らないけれども、少なくとも自分はそうだ。
不完全で欠点だらけの人間が1カ所に集まっていて、VR上に生きるのが辛いやつの相互援助コミュニティが自然発生している。
そのあり方がブリザードに耐えるペンギンたちの群れに見えた。身を寄せ合って、凍死しないように互いの体温で暖め合う。助け合いとか相互扶助みたいな言葉で無くて、生き延びるためにはそうせざるを得ないからそうなったに過ぎない。
ペンギンさんはすごい。
ペンギンさんたちも、体温が高い個体がブリザードの矢面に立って、身体が冷えてくると余裕のある別のペンギンと交代する。そうやって凍死しないように身を守る。時には自分自身の身体を削って、ヒナを生かそうとする。メスがいないときに、オスのペンギンは自分の胃や食道の粘膜を剥がしてヒナに餌を与える。そのときの粘膜がペンギンミルクと呼ばれている。雄が授乳するという点では授乳カフェみたいだ。
ペンギンさんは優しいというよりも、死なないために利他的に振る舞っている。情けは人のためならずという生ぬるい話では無い。「他のペンギンに優しくしないと最終的に自分自身も死ぬ」という極限状況で選んだ行動だ。
ブリザードに耐えて生き延びるためにペンギンさんたちはシステマティックに優しくなる必要があった。性善説だとか、余裕のある人間が他の人をサポートしているというよりも、誰かに対して優しくすることが死活問題に直結している。
体温の高いペンギンが率先してブリザードを防ぐ壁になるみたいに、何かしら余裕のある人たちが、持っているものを贈与する。それは経済的なものに限らずに、技術力だったり、イベント運営だったり、時間を割いて話を聞くことも含まれる。
そういうコミュニティや人間関係のあり方がペンギンっぽいなー、とぼんやりと考えていた。

・VR感度開発用同人音声の一口レビュー。(#100DaysToOffload 43)

このエントリではVR感度を開発するときに役立つ同人音声を紹介している。音声を繰り返し聞いてVR感度を高め、メスイキできる下地を作っていくことが重要だ。「VR感度を生やしたいだけなのに、なんでメスイキの話題が?」と疑問に思うのは当然だが、催眠音声でメスイキをしまくっていた副作用で、いつのまにかVR感度が生えていたから仕方がない。
ここでは催眠音声でメスイキさせることで強制的にVR感度を生やしていく。ハンター×ハンターで念能力を発現させるためには、念を込めた拳でぶん殴って強制的に覚醒させるような感じだ。

> 本作は、イク事に執着せずに、快感を受け入れる体と心を作り上げることをメインとしています。

メスイキは一日にしてならず。緊張していたり、すぐに快楽を手に入れようとする早急な態度は、メスイキするためには障害にしかならない。

・結び。
VR感度を高めたり、メスイキするために参考になるであろう同人音声作品を紹介してきた。
もともと自分に催眠適性があったのか、それとも催眠音声を聞くことで暗示に掛かりやすくなったのか定かでは無い。催眠音声を聞き始めた初日に激しいメスイキ体験をしてしまった人間なので、私が言っていることは役には立たない可能性が高い。
それでも「努力すれば催眠にかかれる」と信じることが何よりも重要だ。故・三浦健太郎先生の名作であり、ダークファンタジーの礎を築いた『ベルセルク』では、魔術を学ぶための心構えについて触れられている。人間は現実によって眼を曇らされて、固定観念から逃れることが難しくなる。魔術を習う上で障壁となるのは凝り固まった思考だ。
「催眠には入れない」と思い込むことで、自ら催眠メスイキへと至る道を閉ざす。
私たちを縛り付けている性の固定観念を根底から解体していく。それが催眠音声であり、ドライオーガズムであり、メスイキだ。

・自己肯定感とか。(#100DaysToOffload 44)

VRChatをやり始めてから、「自分はモテるし、人から受け入れられているし、愛されている」というよくわからん自信が生まれている気がする。自己肯定感の地力というか、普段から自分好き好き値みたいなのが溜まっていると、ちょっとしたストレスもはじき返せる余裕が生まれそう。
というか「まだ私のチャームポイントに気づいていない残念ピープル、発見~~~~♪」ぐらいのポジティブさになっている。
・自己肯定感が低いと、些細なことで「人に嫌われたかも知れない。自分が何か悪いことをしたに違いない」と思ってしまいがちになる。
自己否定したり、自分を低く見積もっていた方がある意味で楽だ。この程度の人間だと思い込んでいた方が、理想と現実のギャップに苛まれる心配がない。過剰な自己評価をして恥をかくぐらいなら、はじめから自分の価値を低くしておいた方が謙虚では?……と思うようになる。
それをやり過ぎると謙虚と卑屈の区別が付けられなくなるし、人から褒められたときに素直に受け取れなくなる。おまえは表面しか見ていないので騙されているだけだ、みたいな。
自己肯定感に余力があれば、「まー、人間だから合う合わないがあるよねー。人に好かれようが嫌われようが、私はいつも通り可愛いので無問題ですが」ぐらいのことは思えるようになるし、褒められたときに「でしょでしょーー♪」と言い返せるようになる。心の装甲が厚くなる感じだ。
・よく「自己肯定感を高めましょう。自分を好きになりましょう」と言われるけど、環境が良くないと自己肯定感は高くならない。周りから粗雑に扱われているのに自分を大切にできるはずがない。それを無視して、一人一人の心の持ちように問題をすり替えるのは邪悪だと思う。
自己肯定感は「周りの人たちは私をちゃんとした人間として扱ってくれるはずだ」という信頼感でもある。それが損なわれたり、不当に値踏みされたり、人間扱いされないとなると、自分の価値を疑うようになる。

・諸々詰め合わせ日記(#100DaysToOffload 45)

・* この一年の話(前編)|小野マトペ|note
こういう事例があるので怖くてTwitterができない。ちょっとした発言で信用や職を失った人を何人も見てきたので、自制心がないままに不適切な投稿をしてしまう自分には手に余るSNSだと思うようになった。得られるものと失うもののバランスが悪すぎるし、発言に気をつけるのもコストが高すぎて現実的ではない。
・「にゃーん♪撫でて、撫でてー♪あたますりすりー♪」
(※私は今、精神的に不安定です。とはいえネガティブな言葉を口にするのは躊躇われるので、できれば側にいて、撫でてくれると助かります。ご検討のほどよろしくお願いします)
・新型コロナウイルスとアマビエの百合。
・ウニ娘プリティ密漁
・「幸せになりたい……」ではなくて、「不幸をぶん殴って!!息の根を止めていく力を!!!」ぐらいの気持ちになってきたな。暴力万歳。
・「税金の無駄遣い、ビジネスに役立つのか? 選択と集中、すぐに儲けられるような研究をしろ……そんな逆風をはねのけて、おれたちは学問の自由を守ってきた!くらえ!『新型コロナウイルスの日本製ワクチン!』『土砂災害を起こさない工事!』」みたいな胸熱展開とかこないのかね。
・VRChat、Vtuberとか偉い人とか有名人を全く知らないので、「ちょっと、○○。あの人は貴族で普通に話しかけるなんてできないのよ!」と言われる平民出身の乙女ゲー主人公みたいになっていた。そのうち、「へえ……面白え女……いつかおれのモノにしてやるぜ……」という展開にならないかな。

・女の子向けファッションの資料を漁っていて、ローティーン向けファッション雑誌の読者モデルのブログに迷い込む。そこで小学生読者モデルのブログにコメントを続けるおっさんを見つける。しかし、小学生読者モデルのブログを読むおっさんの深淵をのぞき込むとき、お前も小学生読者モデルのブログを読むおっさんになっているのだ……。

・NTR強化週間
ひんぱんにNTRの話をしているが、そのたびに「やめて、その話題はおれの精神を削っていく」と言われる。奇遇だな。自分も心から血反吐を吐きながらNTRの話題をしているんだ。今日のNTR会議は「肉体的に寝取られるよりも、精神的に寝取られる方が辛い」だ。この時点ですでにつらくなってきたね。でもリストカットで苦痛を和らげるみたいにして、NTRを語ることである種の精神的平穏を得る。NTRはこころの自傷行為だ。

・NTR進化論
ここ最近はNTR性癖が好きになっている。寝取られる側では無くて、つよい雄の快楽に屈するメス目線でNTRものを読んでいることが要因として大きい。
寝取る側の男は性的にアクティブで、いたるところに子種をまき散らすので生殖に有利だ。これは女性の側にもメリットがある。寝取り遺伝子を持った子供が自分の遺伝子を効率的にばらまいてくれる。
生殖効率厨的にはNTRは最高なのでは?……というのがNTR進化論の概要だ。
NTR男が遺伝子を拡散させていくと何万年後かには人類のほとんどはNTR男になっているはずだ。

・『「お前の代わりはいくらでもいる」と工場を追放されたので、プロレタリア政権を樹立します!ブルジョアはいまさら泣き言を言ってももう遅い。(※共産党宣言)』
持たざるもの、追放されたものたちが幸福を求めて復讐を企てたときに、なろう系追放復讐ものが生まれる。追放系なろう小説は現代のプロレタリア文学なのでは?

・VR空間と発達障害と人間関係の距離感(#100DaysToOffload 46)

・VRChatで仲良くなる人間がだいたい発達障害診断済みだったりする。何故そうなるのかというと、「発達障害者特有のパーソナルスペース感覚の近さ」が原因でないのか?
・自分を含めて対人関係の距離感がおかしいというか、初対面でも距離感の詰め方が近い。同じ対人距離感覚の人間が出会うと、さっきフレンドになったばかりなのに一瞬にして意気投合してしまう。
・「空気を読まないで距離を詰めてくる」のも、そっちの方が期待値が高い場合には有効な戦略になるのかも。閉鎖的な村社会なら失敗しても逃げ場はないけど、人間関係が流動的な環境なら失敗をリカバリーできる。
・農耕民族的な価値観と、異質な人間と出会うことが多い遊牧民族的な価値観の違いというか。遊牧民族は発達障害者が多いと言われているし。

・商取引みたいな好意。(#100DaysToOffload 47)

・人に優しくすることはできるけど「おれもお前に優しくして欲しい」という見返りを求めてしまう時点で、これは優しさでは無くて感情の商取引なんだよな。
・「善意と好意はだいたい掛け捨て」をモットーにしている。そうしないと自分のやっていることが商取引になる。
人間関係を、好意を貨幣にした経済活動に例えるとする。そうなると、自分が人に向ける好意はなるべく少なく、他人から自分に向けられる好意はできるだけ多くなるのが好ましいという経済合理性が働く。それが何か、人間関係に対して誠実ではないと感じる。
・搾取性人間関係←いま、ふと思い浮かんだ言葉。
・「人から好かれるためには、まず自分から人を好きになりましょう」というのは正しいけど、「人から好かれること」を目的に人を好きになるのは自己中心的な考えだと思う。
・「好き」という言葉にも暴力性があって、「私はあなたのことが好きなのだから、あなたも私に好意を差し出すべきだ」という脅迫になりかねない。好きな相手だから束縛したい、というのはそのもっともたるものだ。
・見返りなんていらないよー、といいたいところだけど、そう思えるほど成熟しているわけではない。好意には好意を、優しさには優しさで報いて欲しいと思ってしまう。でもそれを相手に要求した時点で、好意では無くて自己愛になってしまう。
・「何の見返りも求めない好意」というのは難しいよね。

・カオス世界仮説(#100DaysToOffload 48)

公正世界仮説というか、物事には因果があるという考えに慣れ親しんでいるので「たまたま偶然そうなった。本人の努力や過失はほとんど関係が無い」という価値観は受け入れられない。人間は因果を欲する。自分がこうなったのにはしかるべき理由があるのだという物語を求める。
流れ弾が当たったり、いきなりトラックが突っ込んでくるような理不尽さによって不幸になる。気をつけていなかったから自己責任だとか、努力をすれば避けられた問題だと思うのは因果に縛られた考え方で、幸福も不幸も偶然の産物で、ガチャを回すみたいに何の理由もなく幸福になったり不幸になったりする。秩序や公正さなんてものはなく、ただ無秩序と混沌だけがある。
それを「カオス世界仮説」と呼んでいるのだけど、直感的には受け入れられない。

・新型コロナウイルス時代の離人症的生存戦略(#100DaysToOffload 49)

「現実に対して離人症的に振る舞う術を身につけなければ、本当に頭がおかしくなってしまうのでは無いのか?」という危機感を抱いている。新型コロナウイルスの感染が拡大しているのに、報道リソースのほとんどが東京オリンピックに奪われている。新型コロナウイルスだけを恐れているのではないし、強行される五輪に怒っているわけでもない。相容れない情報を大量に浴びせられて、自分の中にある倫理観の基準や一貫性、言論に対する信頼が破壊されていくことが怖い。
道理に合わないこと、非論理的な思考、明らかな矛盾、子供でもおかしさに気づくようなずさんな言葉遣い、それに反論すること無く受け入れる無力感、そういったものが日常になってしまって、異常だと思う感性が麻痺してしまう。それを何よりも危惧している。あるいはもうすでにそうなってしまった結果としての、東京オリンピックなのかも知れない。
離人症的に振る舞いたいと言っているのは、いま、ここにある現実にコミットしたくないという欲求が生み出したものだ。別に金儲けのために五輪がしたいとか、感染拡大とかどうでもいいから一時の享楽に身を委ねたいというのなら、そう言ってもらった方が整合性が取れている。それを覆い隠して、自分たちのやっていることには一貫性があると信じ込もうとしているように見えるのがしんどくて仕方がない。
自分が正常であるという確信をおれは失いつつある。唯一、自分が持っている正常さ――「可能な限り整合性の取れた言動を心がけたい」という欲求まで手放してしまったら、本当に狂人の仲間入りをしていまう。いや、もうすでに狂人なのかも知れない。頭がおかしくなった人間が「まだ自分は正気だ」と思い込めるような、かすかな理のよりどころを探している。

・おすすめマンガ(#100DaysToOffload 50)

ようやくこの取り組みも折り返し地点だ。とりあえず文章書いてぶん投げるかーぐらいの適当さで更新している。
VRChatでおすすめマンガに関する話題になったので、好きな作品のごく一部を紹介する。

・BL日記(#100DaysToOffload 51)

・VRChatでひたすらBLの話をしていた。内容をまとめると、
・少女漫画で鍛えた心理描写読解力を少年漫画に適用することで、少年マンガはまったく別の作品になる。男性向けマンガは登場人物の内面にあまり焦点を当てないけど、少女漫画は内面を掘り下げる。少女漫画の内面掘り下げスコップで少年漫画文化の土を掘り返して、地面に埋まっている財宝がBL文化だ。
・腐女子にもタイプがある。原作では描かれていないところを想像で補完したり、別の解釈を加える「強化型」、関係性を恋愛に変えてしまう「変化型」、商業BLでの恋愛描写はオーケーだが、少年漫画の二次創作はあくまでも原作の関係性を尊重する派……などなどの派閥がある。
・おれは男の、男に対する執着こそが最高のBL感情だと思っている派閥だ。恋愛感情よりも、男の執着のほうがピュアで強度の高い感情だと信じている。弱虫ペダルの福富→金城とか、僕のヒーローアカデミアの爆轟→デクみたいなやつ。×表記ではなく一方通行の→を使うのがおれのポリシーだ。

・ここ最近日記(#100DaysToOffload 52)

・色彩感覚やレイアウトがやばいやつには要注意という経験則がある。何か色彩の選び方が歪だったり、デザインセンスがアレな人は「他人に自分がどのように見られているのか?」という客観性が不足していることが多い(ように感じられる)ので距離を置いている。
でもSNSやブログの場合はレイアウトやデザインが整えられているので、レイアウト感覚のやばいやつをぱっと見でわからなくなってしまった。
どんな人間が発したコンテンツでも、ある程度見栄え良くレイアウトが整えられるのはコンテンツの指紋を消してしまうのでよくない。
どんなテンプレートを選んで、どんな配色にして、どういう風にカスタマイズするのか?というプロセスには思ったよりも人格が出る。非言語的なメッセージはしばしば、実際に発している言語的メッセージよりも強く訴えかける。

・なぜ人は「わくわくちんちん」と言ってしまうのか。
いい年した大人が新型コロナウイルスのワクチンを接種した途端にわくわくちんちん!とツイートするなどの副反応が見られるが、やっぱりわくわくちんちんと言わざるを得ない。五輪下で爆発する感染者数、医療崩壊へと近づいていき、完成しても十分な医療を受けられる可能性はない。デルタ株の猛威と、ワクチン供給の不安定さ、先見の明がまったくない政治家……などのリスクから解放されるのだと思うと、解放感でいっぱいになって「わくわくちんちん」と呟きたくなる。

今回は基礎疾患枠で優先的にワクチンを打てたけど、7月の予定が一ヶ月遅れたり、今回のワクチン枠が240人だけだったり、今後のスケジュールが完全に未定だというのはちょっと杜撰すぎやしませんかね……。

・ルックバックについて。
主要人物が通り魔に突然殺される描写は展開としては雑だと思う。いきなりトラックにはねられて死んだり、不治の病に罹るぐらいご都合主義的なのだけど、京都アニメーション放火事件のことを皆がまだ鮮明に覚えているからこそ「才能ある人間が理不尽に殺されるシーン」に説得力が生まれていたんだよな。ご都合主義になりがちな展開を、時代の空気に共振させてごり押しする。本当なら悪手なんだけど、時代背景で強手にしてしまう作家の才能がすげえなあ……と思いながら読んでいた。

・女装マンガ棚(#100DaysToOffload 53)

「おれの女装マンガ棚が火を吹くぜ!」というわけで、おすすめ女装漫画の紹介だ。

・認知の歪み即死コンボ(#100DaysToOffload 54)


『ニーバーの祈り』
神さま、私にお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして、二つのものを見分けるかしこさを

・うさぎ島奇譚(#100DaysToOffload 55)

うさぎ島へようこそ。この島にはうさぎがたくさん生息しているから、その名の通りうさぎ島と呼ばれている。滞在日数を過ぎてもこの島に残り続けた人間は皆、うさぎになってこの島で暮らすようになる。本当なら二、三日で本土に帰ろうとしていた君は、一週間、一ヶ月と、うさぎ島での滞在日数を伸ばしていった。それが最初の間違いだった。
僕が何者なのかを君は知りたがっているみたいだね。ハロー。僕の名前はうさぎ人間だ。人間兎と呼ぶこともあるが、どちらが正しいのかなんてどうでもいい。知らなければならないのは、僕が人間とうさぎの中間にいる生き物だということだけだ。
君はいま、人間からうさぎに変化する途中だ。最初、君はうさぎ島に居心地の良さを感じて、ここで暮らしていきたいと思う。それがうさぎになる第一歩だ。そこでうさぎと一緒に暮らすことで、徐々に人間であることを捨て去っていく。君は自分の手を見たかい? 日増しに君の腕は毛深くなっていき、眼の色は赤くなっている。人間だった頃の記憶を思い出せなくなっているだろう? 自分が誰だったのか、どこからやってきたのか? そうなってしまったら、もううさぎ島から離れられない。君はまだこの島を脱することはできるけれども、どこに帰るのかはもう思い出せないのだから。
君に群がってきたうさぎたちは、君に懐いているわけではない。必死になって君に助けを求めている元人間もいれば、反対にうさぎとして生きる素晴らしさを訴える個体もいる。直に君もうさぎたちの仲間になって、人間だった頃の苦しみから逃れられるはずだ。
だが君は一つの疑問を持っている。それはうさぎ島の真実を告げられた観光客の全員が抱くものだ。どうしてうさぎ人間である僕が完全なうさぎになることを免れているのか?ということだ。
答えは簡単だよ。僕は人間の世界にも居場所が無ければ、うさぎの世界にも属せなかった。帰るべき場所を持たず、うさぎの世界にも溶け込めない。そんなどこにも行き場所のない人間は、中途半端なうさぎ人間になるしかない。
……これ以上語っても、君はもう人間の言葉がわからなくなっているだろう。身体のほとんどはうさぎに変わってしまった。ロップイヤーの可愛いうさぎだ。
この人間も結局、うさぎ人間にはなれなかった。もしもこの島で、僕と同じように帰る場所も行く場所も存在しない人間と巡り会えたのなら、僕以外のうさぎ人間が誕生しただろう。そうすれば僕はこの島でたったひとりのうさぎ男であるという孤独からは逃れられたはずだ。
もうじき、フェリーが新しい観光客をうさぎ島に運んでくる。そのうち、新しいうさぎになるのはほんの数羽だろう。さらにその中からうさぎ人間になる確率は途方も無く低い。
兎は寂しすぎると死ぬという俗説があるが、科学的な根拠は無い。だが人間にとっては孤独は、命を絶つためには十分すぎるほどの理由になる。
僕は完全なうさぎにも人間にもなれない中途半端な生き物だから、孤独に苛まれても死ねない。

・浮き輪は投げるけど、一緒に溺れるつもりはない。(#100DaysToOffload 56)

人に頼る強さと、依存してしまう弱さは表裏一体だよなーということを考えていた。ここ最近、メンタルが弱っていてフレンドに話を聞いてもらっていたのだけど、まだ人への頼り方が下手くそで負担を掛けてしまっていた。普段から「人間関係は分散しろ」と人に言っているのに、メンタルが弱っているときだと頼りやすい相手に寄りかかってしまう。
それは相手を信頼しているというよりも、「この人なら自分にとって都合良く振る舞ってくれるだろう」と無意識のうちに考えていて、甘えていただけだったのかも知れない。それを「優しい」とか「信頼している」みたいなオブラートで包み込んで、人を都合良く利用しようとするのは人間関係の搾取だ。
メンタルが弱っていることを言い訳にはしない。人への頼り方で未熟なところが露出してしまった。依存する方法も、依存される方法も下手だけど、それを直していかないとそのうち人間関係を致命的なかたちで壊してしまうに違いないと思って、危機感を覚えている。
どんな井戸でも際限なく水を汲み上げ続ければいつかは枯れる。相手がどれだけ寛容で優しくても、善意を根こそぎ奪い取ってしまいかねない。
そうしないために人に頼らないのではなくて、ちゃんとした方法で依存する・される方法を学ばないといけない。

人から頼られるときには、よく「浮き輪は投げるけど、一緒に溺れるつもりはない」と言っている。溺れている人が助けを求めてきても、浮き輪を投げたり、泳げる人を呼んでくることぐらいならできるけれども、助けるために海に飛び込んで二人とも溺れるような真似はしない。そういうスタンスで人に接している。
他の人も、自分に接するときには浮き輪メソッドで接して欲しいと思っているけど、それを徹底できていない。いっぱいいっぱいになっているときは冷静さを失って、つい誰かの身体にしがみつく。そういう風に人に依存してしまう。
もし今後、自分がメンタルをやられているときには、できる範囲で浮き輪を投げてくれればいい。優しくされないことを逆恨みしたりしない。余計な負担を掛けてまで苦しめたくはないし、自分の都合を優先して欲しい。ゲシュタルトの祈りだ。

『ゲシュタルトの祈り』
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
フレデリック・パールズ

・女装ショタBL『ひみつのきがえっこ』(#100DaysToOffload 57)

女装BLで思い出したけれども、私の心の本棚には一編の女装ショタBL「ひみつのきがえっこ」がある。姉の部屋でお下がりの洋服を見つけた小学四年生の男子二人組(未精通)は、家族が留守の時に女装をしはじめる。
人目を忍んで女装をして、いちゃついている間に、二人は互いを好きになる。キスをしたり、女の子の格好をしたまま身体を舐め合ったり、ちんちんをいじりあったりする。精通前なので実質的には百合だ。
だがある日、片方が精通を向かえる。射精の快楽を知ったときから二人の関係が変化していく……という内容だ。
やっぱりショタものは精通前に限る。

・理想の女装ショタBL妄想を叩きつけ合って、みんなで業を深めよう!
・脳の中で女装BL解釈バトルが発生している。「女装したまま女の子として抱いて派」と「ウィッグを外して、ありのままのお前を愛してやる派」間の闘争は留まるところを知らず、地域での小競り合いはいつしか紛争になり、大国間の思惑が蠢く国際問題になっていた……。

・底辺男性向けファンタジーについて(#100DaysToOffload 58)

釣りバカ日誌や男はつらいよシリーズを「底辺男性向けファンタジー」と呼んでいる。一生出世できない平社員でも趣味に居場所を見つければ楽しいよ!とか、定職を持たずにふらふらしているやつでもなんとか生きていけるよ!という社会的メッセージを発信するのが底辺男性向けファンタジーだ。
底辺男性を慰めるためだけではなくて、「車寅次郎とか浜崎伝助みたいなやつが身近にいても仕方がないな」と思わせて、社会的な存在意義を与えるのも底辺男性向けファンタジーの役割だ。だがその底辺男性向けファンタジーがほとんど無くなっている。
その代わりに現世否定の異世界転生ものだったり、女性へと憎悪を向けるミソジニーやインセル思想が底辺男性向けファンタジーの代替品になった。高度成長期からバブル経済時代までの日本なら浜崎伝助や車寅次郎はなんとか生きていけたはずだが、令和の日本には居場所が無い。
希望を失った浜崎伝助はトラックに突っ込み、異世界に転生する。もはや浜崎伝助的キャラクターや、車寅二郎的ポジションは異世界でしか生きられないのだ。目を覚ました浜崎伝助のもとに現れたのは、おさなくてちっこい釣り好きのエルフ少女だった。「ちまたを騒がしているシーサーペントを釣りに行くのじゃ!」という彼女に振り回される浜崎伝助だったが、現代のチート釣り技術で無双する。そのエルフ少女が姫君だと知るのはもう少し先のお話しだ。
これらの物語群が人々に伝えるのは「現世には救いはない。今すぐ死ね!」だ。
そんな絶望的な状況の中で、『VRおじさんの初恋』が新たなる底辺男性向けファンタジーとして颯爽と現れた。現実世界で愛されずに苦しんでいるおじさんも、VRで美少女の姿になれば救済される。これも現世否定型の底辺男性向けファンタジーなのだが、最新技術を利用するかたちでしか底辺男性の救済を描けないのが現代日本だ。どうしてこうなった。適当に生きている平社員のおっさんや定職に就かずに各地をふらふらしているおっさん、非生産的に生きている社会のゴミみたいなおっさんたちは、物語の中でも生きられなくなってしまった。
『ルックバック』でも精神障害者のおっさんは修正されて、その代わりにただの底辺男性に置き換えられた。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』も、結局は生きていくことが辛かったおじさんのお話しだった。
こうなったらまんがタイムきららみたいな無職おじさん系日常ドラマを作るしかない。きらら系では身体測定をしたら、「お菓子の食べ過ぎで体重が増えちゃった、どうしよ~!?」というエピソードがあるが、これを応用して「脂っこいものの食べ過ぎで血中コレステロールの値が高くなってしまった……」という話になる。 登場人物はみんなおっさんの、たのしい日常コメディだ。
おじさんがただその辺を徘徊していても許される。そんなおじさん肯定の物語を生み出すのが底辺男性向けファンタジーの役割だ。
すべてのおじさんに幸あれ。

・おにぎりと味噌汁と漬け物で満足する。(#100DaysToOffload 59)

常に多くのものを求めてしまう。餓えているときにおにぎりをもらったら、ありがたいと思う。でもそれが毎日のように与えられているとおにぎりだけでは足りなくなって、味噌汁とか漬け物が欲しくなってしまう。そのあとは野菜や肉、デザートが足りないと思うようになって、欲望が際限なくふくれあがっていく。
人間関係も似たようなメカニズムで欲望が昂進していく。会えるだけでは足りない。喋るだけでは足りない、触れるだけでは……と、満足するまでのハードルが高くなっていく。限りの無い「もっと欲しい!」の飢餓に苦しんでいるときがある。それは孤独だったときよりも余計に苦しい。
昨日と同じ幸せが、今日も同じように与えられると漠然と思ってしまう。得られたものの最大値を基準にして、それが手に入って当然だと錯覚する。そうやって幸福を感じるまでのハードルを自分で上げて、「満たされない」と言って自分自身で苦しんでいる。
昨日と同じものを今日も求めるのはしんどい。絶対的な欠乏よりも、「満たされたいと思う気持ち」が満たされないことに餓えを感じる。直接的に欲望を満たそうとしても上手くいかない。
でも、どうやったら「今日、ここにあるだけのもの」で満足できるようになるのだろう?「おにぎりと味噌汁と漬け物があれば、だいたい満足♪」と思うみたいに、欲求に制限を課すのは現実的なアプローチなのだろうか?

自分の苦しみを、自分自身で作っている。無門関という禅仏教の本に「無縄自縛」という言葉があって、あるはずのない縄で自分を縛り付けている。
満たされたいという気持ちは誰しもが持っている当たり前のものだけど、それが過剰すぎると心身に悪い。求めているからといって、それを直接手に入れようとするのが正しいとは限らない。どこかの国では「あなたの望みがすべて叶えられますように」という文言の呪いがあると聞いたことがある。触れたものがすべて金になることも、未来のすべてが見通せるようになるのも、満たされてはいけない類いの欲求だ。
いつもどこかで、満たされないほうが長期的にはいいような欲望を抱いているような気がする。

でも欲望は比較から生まれるものだと思う。他者との比較だけでは無くて、過去や未来の自分との比較からも欲望が生まれる。「昨日はあんなに恵まれていたのに、どうして今日はダメなんだろう?」と、常に良かった頃の過去を基準にして、勝手に落ち込んだりする。
そうではなくて、「いま、ここにあるもの」や「今日だけ」で満足できるようになれば、それがいいのだろうな。それが一番難しいことだとしても。

『師父ポイメンが師父ピオールについて語ったところでは、彼は毎日をまっさらに新しく始めていた。』

・執着が価値を生む。(#100DaysToOffload 60)

ソーシャルゲームのレアカードを手に入れるために、数万円もの金銭を突っ込んでガチャを回すことは珍しいことではない。でもそれは「数万円を支払う価値があるものを手に入れるために、必要なコストを費やした」のではなくて、「数万円も使って苦労して手に入れたものだから、その分の価値が無ければならない」という執着によって価値が作り出されているのではないのか?
ソーシャルゲームでたとえたけれども、「これだけ苦労したり、多大な犠牲を支払って手に入れたものだから、相応の価値がなければならない」という認知的な錯誤に囚われるのは珍しいことではない。
人間関係でも、何かものを手に入れるときでも、課題を達成するときでも、支払った犠牲を過大評価する。反対に、簡単に手に入ったものの価値を低く見積もる。
そう考えると、ものに対する価値やレアリティは執着によって生み出されていると考えた方が自然なのかも知れない。ものそれ自体の価値ではなくて、手に入らないから価値があり、簡単に手に入るから価値が低い。
「どれだけ犠牲を払っても手に入れられない(かもしれない)」という構造それ自体が欲求不満と執着を高めていって、価値の幻想を形作る。
その辺に落ちている宝石よりも、誰しもが欲しがっていて簡単には手に入らない石ころのほうが、私たちの欲望を刺激する。ものを手に入れることよりも、「手に入りにくいものを自分のものにできた」という達成感のほうに強い快楽を覚える。
それを踏まえて考えると、「欲しい」という気持ちの本質はどこにあるのだろう?

・新型ウイルス・コロナちゃん!でるたっ!(#100DaysToOffload 61)

・新型コロナウイルスに罹って自宅療養になるぐらいだったら、逮捕されて豚箱の中にたたき込まれた方が安心して苦しめるのでは無いのか?……と考えている時点で末期なのかも知れない。
・新型コロナウイルスがこれだけ感染拡大していても、これまで通りの日常が続いていく感覚が異常だと感じる。どこかで「まだ自分は感染しない。自分が感染するぐらいひどい状況になる前に、何かしらの手が打たれるはずだ」と漠然と思っている。
・この危機感の無さが怖い。何千人、何万人もの感染者が出ているのに、それがただの数字上の増減でしか無くなって、いつも通りの日常が続いていく。ウイルスも目には見えないし、感染者も、自宅療養者も、苦しんでいる患者も、生死の境にある重症者も、死者も可視化されないままで、ただ数字だけが不気味に膨らんでいく。
自分たちの目に見える世界だけは平和だけど、それ以外の目には見えない部分からゆっくりと蝕まれていく。もし自分が新型コロナウイルスの犠牲になっても、可視化されること無く苦しんだり、最悪の場合には死んだりすることになる。
・ウイルス禍が、実体を伴わない数字の増減でしかなくなっているから危機感を肌で感じられない。不都合な現実から目を逸らして、無かったことにする。不安の元になるようなものを遠ざける。
都合の悪い現実を見ようとしなくなることのほうが、新型コロナウイルスの問題よりもたちの悪い病だと思う。
・尾身会長が「バカにつける薬はない! だがついにド腐れ無能を治療する薬を見つけたぜえ!〝死〟という特効薬をなああ!!!」と叫びながら、政治家の頭蓋骨に鉛玉をぶち込んだりしないかしら……。

・雑多日記あれこれ(#100DaysToOffload 62)

・ヤンキーアバターVRSNS時空
どうしてヤンキーではなくて美少女のアバターを着ているのだろうな。もしかしたらこの平行宇宙のどこかに、ヤンキーアバターしかないVRSNSが誕生していたのかも知れない。
Boothで買えるアバターはすべて不良まんがに出てくるような厳ついヤンキーだけで、お着替え衣装はだいたい改造学ランか特攻服しかない。美少女が撫で合う代わりに男同士で殴り合う。舎弟を作ったり、イベントで他校に抗争を仕掛けにいったり、傷だらけになったあとで夕日をバックに友情を確かめ合う。
お砂糖文化ではなくてマブダチ報告があって、Twitterに『このたび、東中の凶虎さんとマブダチの誓いを結びました。皆様との関係はこれまで通りです。よろしくお願いします。』と投稿される。
そういうVRSNSがあってもよくない? おれたちは言葉ではわかり合えないから、〝拳〟で語り合うしかねーんだよっ!!……は全男子の憧れのはずだ。いや、ヤンキーでは無くて極道とかギャング路線の方がいい?

・政治
「首相!公的資金を注入して女装ショタハーレムを作っていた件についてはどう思われますか?」と質問をして、「記憶にございません」「回答は差し控えさせていただく」「女装ショタハーレムを作っていたというご指摘はあたらない」などの回答を引き出していけば、政府が女装ショタハーレムを作っていたがずさんな受け答えで事実を隠蔽しようとしている風に錯覚させられないか。
もし仮に「女装ショタハーレムは作っていない」と言われても、ご飯論法で「女装ショタハーレムは作っていない(しかし女装ショタ百合ランドは作っている)」という言い逃れをするかも知れない。
否定するほどに猜疑が高まっていくこのメソッドを用いれば、架空の政治スキャンダルをでっちあげられる。

・非人間的なものを検出する感性を磨くゲーム
マーダーやAmoug us、人狼といったゲームは「人間社会に紛れ込んでいる非人間的なものを検出するための訓練」ではないのか?という与太話について考えていた。
フリーライダーやサイコパス、ジョジョの奇妙な冒険第四部の吉良吉影的な存在を許容することは社会にとってはリスクだ。性善説で設計されたコミュニティに、それを食い物にすることに特化したパーソナリティが入り込んでくると崩壊する。
鬼ごっこやかくれんぼを通じて狩猟の技術を学ぶのと同じように、集団の中に紛れ込んだ非人間的なものを探し出す技術を磨くのは、人類社会にとっては不可欠だったのかも知れない。「この中に一人、犯人がいる」式の殺人ミステリーも同様の構造だ。
探偵ものや殺人事件を扱ったストーリーががこれほどまでに多く語れるのは「すべての悪事は明るみに出なければならない」という神話を共有するためだ。「人を殺すことにはこのようなデメリットがある」という内容の物語を繰り返し語ることで、非人間的なものに対する抑止力として機能している。

・【配列沼入門】Qwerty配列を捨てて新JIS配列を覚えよう!(#100DaysToOffload 63)

私は配列沼という特殊なジャンルのおたくをやっている。この記事は「日本語入力を効率化して、気持ち良く、楽に文章を書けるようになるための情報」をまとめてある。書かれていることを実践すれば、1.7倍の効率で文章を書けるようになったり、指に掛かる負担を減らして腱鞘炎を予防できるようになる。
配列沼に関する記事へのリンクを張っておく。一通り読むだけで、日本語配列沼の住人に必要な基礎知識は習得できるはずだ。
みんなで配列沼に沈んで、たのしく文章を書こう!

・個人的なおすすめの配列は新JIS配列だ。Qwerty配列に比べると習得も容易で、心地よく入力できる。親指シフト系と違ってキーボードを選ばない。不満が出てきたらカスタマイズも容易な名作配列だ。

配列変更ソフトウェア
配列変更には下記のプログラムを使用する。
最初はDvorakJを使うのをおすすめする。インストールすれば、プリセットで様々な配列が入ってるので導入が容易だからだ。新JIS配列も入っているよ。

・おばロリ百合夢日記(#100DaysToOffload 64)

主人公には物心ついた頃から仲の良い女の子がいて、相思相愛の関係だった。小中高と一緒にいて、同性愛パートナーになって、生涯ずっと一緒にいられると信じていた。でも大学に進学したあとに相手から「男性から告白されて、その人とつきあうことになったの」と言われて、関係は唐突に終わりを迎える。
主人公は「そっか……応援しているよ……」と、作り笑いを浮かべることしかできなかった。それから十年ぐらい未練を引きずっていたが、ある日、一人の少女と出逢う。それは昔好きだった相手の娘(8歳児)だった。好きだった相手にそっくりな少女に、主人公はついうっかり手を出してしまう。アラサー×少女の、歪んでいてピュアな年の差百合ストーリー、ここに開幕!
……みたいな内容のおばロリ百合を夢で見せられて、非常に消化不良な気持ちを抱いている。なんで無料試し読み第一話みたいなところで終わるの? 金ならいくらでも払うから、百合姫コミックス全巻よこせ! 目を覚ましたときはそんな感情だった。起きてからずっとこの物語の続きを考えている。ちなみに娘さんは可愛いけど性格が傍若無人だった。

・『香港デモ戦記』(#100DaysToOffload 65)

『香港デモ戦記』を読んだ。まじめなルポだと思っていたが、オタサーの姫という言葉が文中に紛れ込んだあたりから雰囲気が変わっていき、後半はほとんど「香港在住アニメオタクたちのデモ戦記」だった。日本アイドルのライブ映像で自らを鼓舞して、デモ会場に向かうオタク活動家。警察に気絶させられて病院送りになったが、「目を覚ましたときは『見知らぬ、天井』でしたね」とか言ったりするエヴァオタク。腐女子がBLの絵柄でデモのまんがを描いたりする。相対する親中派もエヴァや日本のアイドルが大好きだという共通点があったが、互いを敵だと思っている。
国籍も喋っている言葉も、信じている国家の形も違うけど、こいつらは同じオタクだった。東南アジアオタク文化圏は確かに存在する。政治的存在であるまえにオタク・サブカル共栄圏の住人なのだ。彼らは政治や思想、国境によって分断されているが、もしかしたら同じ地下アイドルオタクとして、いっしょにサイリウムを振っている世界があったかも知れない。

・VRで体験を売る。(#100DaysToOffload 66)

VRが普及したら「地域の観光資源をVR化する仕事」がそのうち生まれるかも知れない……ということをVRChat内で喋っていた。Photogrammetryで地方の観光スポットをVR化して、家にいながらでも擬似的に旅行気分を体験できるようになる。実際にヴェネチアや沖縄の国際通りをVR化したワールドはすでに存在していて、「うちの観光地をVR化してください」みたいな潜在的ニーズはあると思う。
そのうちVR向けのワールドを作る仕事がWebデザイナーぐらいに一般的になって、VRワールドデザイナーが生まれるんじゃないのかな。
でもそのときには「現実にあるものをわざわざVR化する意味とは何か?」が問われてくる。
TOYOTA Marine WORLDというクルーザーの試乗体験ができるTOYOTA公式ワールドがあるのだけど、「体験を売る」ことに価値を見いだしていなかったところがちょっと残念だった。VRでクルーザーの展示会を鑑賞できるところまでの着眼点はいいが「このクルーザーを買った結果、どのような体験ができるのか?」まで踏み込んでいなかった。
AppleはiPhoneの高性能さを消費者にアピールしているのではなくて「私たちの商品を買えば、あなたの生活はこういう風に変わります」というビジョンや体験を売っている。
VR化も同じで、景色やワールド単体の魅力ではなくて、そこから発生する体験のほうがアピールの比重が大きい。先のTOYOTA公式ワールドでいうと「クルーザーすごいでしょ?」ではなくて、「クルーザーに乗って、海で友達と過ごすのは楽しいでしょ?」という部分を前面に押し出した方がよかった。
ものを売るのか、それとも体験を売るのか? どこに焦点を合わせるかで、マーケティング戦略が変わってくる

・コーヒーカップ式VR感覚訓練法(#100DaysToOffload 67)

VRChat上で「VR感覚を身につけるにはどうしたらいいですか?」と聞かれることが多くなったので、所見をまとめておきます。

・まず、現実でコーヒーを一杯入れます。インスタントやドリップのどちらでも構いませんし、実際にお店に行って飲むのもいいですね。
コーヒーカップを手に取るときに、現実の自分がどのような感覚を受けるのかをじっくりと観察します。コーヒーカップの重さや、手に伝わってくる温かさ。顔に当たる湯気の感覚、コーヒーの匂い、一口飲んだときに舌が温度や味をどのように感じるのか……といった、現実の感度を高めましょう。
・その後に、今度はVR空間上でコーヒーカップを手に取ります。そのときに、現実で実際にコーヒーを飲んだときの感覚を思い出しましょう。匂い、重さ、温かさ……目の前に本当のコーヒーがあると想像して、感覚を想起させます。
理屈としては「梅干しやレモンの写真を見ると、酸っぱさを感じて口から唾液が出る」のと同じです。
・コーヒーカップを認識して、現実の感覚を想起するまでのタイムラグを縮めていく。これを繰り返していくと、VR上でコーヒーカップを認識すると同時に現実の感覚が思い出されて、重さや匂い、温かさを感じられるようになります。
・これを応用すれば、シャワーを浴びたときに皮膚に当たる水滴の感覚や、砂浜を歩いているときに足の指先に入り込む砂の異物感などの現実感覚をVR上で想起できるようになり、一般的にVR感覚と呼ばれているものを手に入れられるでしょう。
・重要なのは「現実に対する感受性や解像度を高めること」です。現実から受け取るシグナルが多ければ多いほど、VR上で想起できる感覚が増えます。

・ダークソウル・リマスターのビルド案。魔術技巧戦士(#100DaysToOffload 68)

ダークソウルでビルドしたキャラについて書く。

・コンセプト
・ウーラシールの白杖と宵闇の冠で強化しつつ、魔法の武器でエンチャントしたり、遠距離から魔術で攻める。筋力を低めにしているのでレイピアなどの技巧武器が主力。
・ウーラシールの白杖は理力25相当の補正を受けられる。これで魔法の武器、強い魔法の武器の威力を底上げする。
・技量補正に魔法エンチャントでたのしい!みたいなコンセプト。道中のザコがさくさく倒せる。
・ボス戦でも距離を取ってソウルの矢を連発できる。ウーラシールの白杖、宵闇の冠、吠える竜印の指輪を使うと中盤まで高い威力を確保できる。
・でも佇む竜印の指輪でエンチャントの時間を延ばした方が実用的かな。
・ただし湖獣を倒すまでがめんどい。
・火力重視で結晶魔法の武器を習得しようとすると、ウーラシールの白杖の補正が無駄になってしまうのが考えどころ。

魔術師 SL50
体力  : 25
記憶力 : 16
持久力 : 14
筋力  : 10
技量  : 33
耐久力 : 8
理力  : 15
信仰  : 8

魔術師 SL100
体力  : 44
記憶力 : 16
持久力 : 28
筋力  : 10
技量  : 40
耐久力 : 8
理力  : 25
信仰  : 8

・VRChatで女装欲求を満たす。(#100DaysToOffload 69)

女装がしたかった。こう書くと語弊があるが、より正確に言うと、可愛いデザインのお洋服やアクセサリを身につけたかった。いつも女性向けファッション雑誌や、レディース用の衣料品を見て「ああいう服が着られたらいいな」と思っていた。可愛い服を着て可愛くなりたいのであり、男の身体で可愛い服を着ても可愛くなれない。女装した魔物が誕生するだけだ。
おれに女装はできない。そう思って女装欲求に蓋をして生きてきたが、VRでは違った。ここなら自分の女装欲求を満たせる。VRChatを始める前は女性ファッション雑誌を読んでいても「この服かわいいな……来世ではこういう服を着たいな……」と思うことしかできなかった。
しかし今ではおれは美少女になれる。アバターミュージアム衣装展というワールドで、フレンド同士で試着ごっこかできる。どんなアクセサリが似合うのかを鏡の前で話し合ったり、「○○ちゃん、こんな帽子が似合いそう!わあ、可愛いー♪」といったやりとりをしていた。
このときの我々は完全な美少女だった。可愛いものに心をときめかせて、鏡に映る自分の姿を肯定する。おしゃれは自分を好きになるための魔法だと、おれの心の中で放映している女児向けアニメOPでも言っていた。

おれには美少女になって着せ替え遊びがしたいという妄執がある。可愛い女の子のアバターをまとうだけでは満足できない。せっかく美少女になったのに服が自由に替えられない。これでは毎日同じ服を着るオタクと同じだ。
可愛い服が着たい……っ!!!もっと可愛い服を着たり、ヘアアレンジをしたり、気軽にアクセサリを付け替えたい。その女装欲求に突き動かされるまま、BlenderとUnityを駆使して衣装改変を始めた。
素体にVroid用の服を合わせて、テクスチャを変えるだけで様々な衣服に着替えられるVRお着替えシステムである。「VRで気軽にファッション! 衣服を組み合わせて変えられるようにすれば、コーディネートのバリエーションが実質無限!」というコンセプトで始まった着せ替えシステムだったが、肝心なことを忘れていた。
コーディネートの数が多ければ、モデルに破綻が無いかを確認する作業も組み合わせ爆発を起こす。自業自得だとはいえ、調整作業に時間が吸い取られていく。単純ミスでUnityとBlenderをいったりきたりして、アップロードをしたかと思えば肘が突き抜けていたりする。だがしんどいと感じる一方で、精神的には満たされていた。

絵を描くときの資料という体裁で集めていた、「女性に生まれ変わったらこんな風な女装がしたい」というスクラップが大活躍している。
「この服とこのスカートを組み合わせたい」とか、「白いロングスカートをひとつ持っていると、他のアイテムと合わせやすくて重宝するよね」ということを考えている瞬間が最高に楽しい。「女の子になったらこんな服が着たい」という願望のすべてをblenderに叩き付けられる。
これほどダイレクトに女装欲求が満たされるとは思っていなかった。これまで着たいと思っていた服も、コーディネートも、3DCGソフトを操る技術力があれば着ることができる。
無論、今の段階ではVRで美少女になって着せ替え遊びをする敷居は高い。ちょっとQuest2を買って女の子になってお着替えを楽しんじゃおう♪という気軽さではない。ゲームエンジンや3DCGソフトをインストールして操作方法を習熟しなければならない。
しかしおれたちはその茨の道をかき分けて進まなければならない。我々の魂の奥底で長い眠りに就いている、可愛い美少女を目覚めさせろ。

・自発的井の中のかえる戦略について(#100DaysToOffload 70)

たとえば、絵を描くとして「SNSにイラストを投稿してもいい反応が得られないので、モチベーションが下がって描きたくなくなる」というのは、採用する戦略が間違っている。
適切なフィードバックを得て、やる気が損なわれないように描き続けられる環境を確保したほうが、反応の数で一喜一憂するよりも長く楽しめるし、最終的は上手になるのではないか?
狭いコミュニティというか、レベルが一定まで上がるまでは井の中のかわすでいられるような環境を自分で選ぶことも、才能を育てる上では重要なことだと思う。プロ志向で才能に溢れているのなら競争が激しい環境でも勝ち残っていけるけど、そうではない場合は動機を保つ戦略を再考した方がいい。

何を目標にするのかで、取るべき戦略が違ってくる。
「色を上手に塗れるようになること」「バランスの取れた色彩設計ができるようになること」「デッサンの狂いを少なくすること」は自分次第でコントロールできる課題だけど、「他者から多くの反応を得られるような絵を描くこと」は自分の力ではどうにもできない。ある程度は流行を読んで、画力が高ければ達成可能かも知れないけど、人の評価という不確かなものを基準にするのは悪手だと思っている。
その辺を取り違えてしまって、誰かから評価されることばかりを求めると、創作するための動機がやせ細っていく。創作するほど、他人の評価に振り回されるてやる気を失う。
心が折れないように狭いコミュニティを作って、その中に引きこもるのも立派な生存戦略だ。極端なことを言えば、居心地がいいのなら、その中に閉じこもって成長しないままでもいい。頑張って折れるよりもそっちの方がよくない?
才能は自分で守らないといけない。外の環境が厳しければ、甘やかして育ててもいい。楽しむためにやっていることなのだから、人と比べて劣っているのかどうかは考える必要は無い。

・発達障害黒犬騎士団(#100DaysToOffload 71)

発達障害の特性を加速させる薬とかないかな。「一つのステータスにすべてつぎ込んで、筋力特化とか理力特化になれ、中途半端なステータスの振り方だけはするな」が家訓なので、多少防御力が低くても攻撃力に全振りしたい。
だが社会適応させるために、発達障害の特性を抑える薬しかない。
「発達障害の特性を抑えて、健常者の社会に適応させる」アプローチは本当に正しいのか? どうせ無理矢理に社会適応させても健常者と同じスペックは出せない。中途半端に発達障害者に薬を飲ませて社会適応させるのではなくて、社会不適合者のままでも生きられる環境を作って飼い慣らしたほうが楽では無いのか。
ダークファンタジーの金字塔『ベルセルク』には、黒犬騎士団という集団が出てくる。犯罪者の寄せ集めで、モットーとしている言葉は「エンジョイ&エキサイティング」で、奪いたいときに奪い、犯したい時に犯し、殺したいときに殺すのが大好きな連中だ。
この黒犬騎士団みたいな感じで、就業規則や社会常識を守れない連中の集団を障害者雇用制度を駆使して作る。働きたいときに働き、帰りたいときに帰る。遅刻したり、無断で休んだり、就業中に遊んだり、お菓子を食べたり、昼寝をしたりする無法者の集まりで、日本企業の常識は通じない。
そいつらに発達障害の特性を加速させる薬をぶち込んで、好き勝手暴れさせるのが日本経済を好転させる唯一の鍵だ!……とまでは言わないけれども、こちらのほうが楽しく生きられそうではある。

・依存度のギア(#100DaysToOffload 72)

依存度のギアが少ないと感じるようになった。まったく人に頼らないのか(0%)、そこそこ人に頼るのか(33%)、やたらと人に頼るのか(66%)、めっちゃ依存するのか(100%)ぐらいの雑な依存ギアの切り替えしかできない。
弱虫ペダルに「お前の自転車にはギアが二つしかついていないから、切り替えるときに足に急激な負荷がかかる! だがロードレーサーには前後に無数のギアがあって、それをなめらかに切り替えることで足に負担を掛けずに速度を変えられる!」というエピソードがあった。自分がやりたいのは依存度の細やかなコントロールだ。
依存先を増やすだけではなくて、依存のギアを増やして、5%刻みぐらいにする。
たとえば、人に頼るときには掛ける迷惑を限定する。
話を聞いて欲しいだけなのか、アドバイスが欲しいのか、慰めて欲しいのか、寂しくて死にそうなので側にいて欲しいのか、気晴らしに遊びにつきあって欲しいのか、物質的に援助して欲しいのか、精神的に支えて欲しいのかで、どういう風に迷惑を掛けるのかという方針が異なってくる。
人に欠ける迷惑をなるべく細分化していけば、一人あたりの負担は減るはずだ。
この話を人にしたら「人に迷惑を掛けたり、依存することが前提なんですね……」と言われたが、当たり前だ。おれは人に依存したり、迷惑を掛けないと生きていけない自信がある。
そんな感じでてきとうに寄りかかったり、寄りかかられたりしていこうぜー。

あと、ここで弱虫ペダルの話をするけど、番外編の『弱虫ペダル SPARE BIKE 8』が良かったんよ……。自転車マンガなのにBLなのか少女漫画なのか恋愛漫画なのか百合漫画なのかよくわからない境地に達している。少女漫画でもここまで強度の強い感情が描かれることは滅多に無い。そもそも原作の弱虫ペダルも百合漫画の文法で回想シーンが描かれているしな……。

・不得貧勝(貪りては勝ちを得ず)(#100DaysToOffload 73)

囲碁の勉強をしているが、自分で自分を苦しめるようなことばかりしている。「手順を丸暗記しなければ」「技術を完璧に覚えなければ」「上達するために難しい知識を理解しなければ」といった、強迫観念に囚われていてしんどい。
最初は「こんな手法があるんだ。実戦で試してみよ」ぐらいの軽い気持ちだったけど、強くなりたいという執着が生まれることでバランスを崩している。
明らかに知識や勝利を貪っている。これは向上心ではなくて貪欲や執着といったほうが適切だ。この状態で勉強しても知識が消化不良を起こして、逆に弱くなっている。。身の丈に合わない知識を、無理矢理胃袋に押し込んでいる感じだ。
囲碁も、「負けてもいいやー、命が取られるわけでは無いしー。のほほーん」というスタンスで打った方が、執着が無くなるのでいい結果が出ることが多い。でも勝つために「負けてもいいやー」と思うとうまくいかない。
『日本の弓術』の無心に関する記述みたいだ。「お前は無心になろうとしているけど、そう考えている時点で無心ではない」というやつだ。
気持ちの強さで勝てるほど甘くはないけど、心の形がちゃんと整えられていないと負ける。

・プリンセス・マコとインターネット呪術(#100DaysToOffload 74)

プリンセス・マコの一件に関しては、自由と自己決定を求める女の子のお話しだと理解してしまった口だ。鳥かごのような世界に生まれ落ちたプリンセス・マコ。与えられたものを受け取るだけでも幸せになれる。でも、自分の手で幸せになる権利は最初から与えられていない。プリンセス・マコはほとんどの国民に反対されながらも、何処の馬の骨ともわからない男と駆け落ちする。自分自身の手で選ぶ。たとえそれが自分を不幸にするものであったとしても……。
こういうファンタスティックな恋愛ディズニー映画文脈でプリンセス・マコの一件を理解してしまったので、世間がバッシングする理由がわからない。
『アナと雪の女王』は女性の自立がテーマだった。「白馬の王子様に幸せにしてもらうのでは無くて、あなたが自分の手で幸せになるのよ」という話だ。その流れを踏まえると、「あんなろくでもないロン毛男にプリンセス・マコが幸せにできるものか」という呪詛は無意味であることがわかる。
2021年にもなって、男に幸福にしてもらわなければならないと考えている時点で時代遅れだ。プリンセス・マコがマコ自身の意志で人生を選ぶ。そこには失敗もあるかも知れないし、「やっぱり、この人を旦那にしたのは若気の至りだったかもな……」と後悔する日が来るのかも知れない。しかしそれが人間だ。自由意志だ。
そもそも、なんで初手から「お前はあの男を選んでも幸せにはなれない。自分で幸せを選ぶ権利も能力もない。意志を持たないお人形として、私たちにしたがっていればいいのだ」という呪詛みたいな言葉を選ぶのかがわからない。子供を手元に置いて支配しておきたい毒親みたいだ。
この文章を書いている間にもプリンセス・マコが複雑性PTSDになると知る。インターネット呪術によって魂を損なわれたお姫様だ。悪の魔法使いも、人を死に至らしめる呪いもこの世界には存在する。眠れる森の美女において、一人の魔法使いによってもたらされた死の呪いは、12人の善良な魔法使いでも解呪できなかった。死を百年の眠りへと和らげるだけで精一杯だった。
プリンセス・マコだけに限った話では無い。誹謗中傷を浴びて自殺した女子プロレスラーや芸能人の件は氷山の一角でしかなくて、インターネット呪術によって精神的に損なわれてしまった人たちは無数に存在する。被害者の多くは目には見えないだけで、誰しもがインターネット呪術によって傷つけられるリスクと隣り合わせになっている。

・VRでの非言語的コミュニケーションについて(#100DaysToOffload 75)

・標準で笑顔のコミュニケーション
日によっては死んだ魚みたいな目でVRChatをやっているが、アバターは常に笑顔を絶やさないので助かっている。コミュニケーション力を消耗して表情筋を動かさなくても、指の動きだけで表情が変えられるのは楽だ。
「交流するときに使うMP(みたいなもの)が少なくて済む」のはアバターコミュニケーションの長所だ。基本的に日常生活ではゾンビみたいな生気の欠けた面構えで生きているし、上機嫌なときもオタク特有の気持ち悪いニヤニヤした顔しかできない。微笑みを絶やさないのは表情筋を使う重労働だ。
そういう事情は置いておいても、「標準で笑顔が向けられる」というのは精神衛生上よい。

・非言語的メッセージの少ないコミュニケーション
問題は相手が苦虫を噛み潰したような表情をしていても、アバターは笑顔のままなので、非言語的なメッセージを受け取るのが難しくなることだ。非言語的なシグナルの量が少ないので、声色以外の方法で相手の反応を推し量れない。
黙っていても相手が空気を読んで察してくれるわけでは無いから、コミュニケーションを成り立たせるには、こまめに自分の気持ちを言語化していく必要がある。
このノンバーバルな情報量の少なさは欠点だけではなくて、「発達障害者などの非言語的なメッセージをうまく処理できない人たち」にとっては、受け取る情報量が少ないので、現実よりも楽にコミュニケーションが取れるというメリットもある。
VRChatのユーザーには発達障害を持った人の割合が多い印象を受ける。人間関係が流動的なところや、コミュニケーションにおいて非言語的なものの占める割合が現実に比べて少ないことなど、様々な要因があるのだろうけれども、現実に比べると遥かに過ごしやすい場所であることは確かだと思う。

・ヴィラン的自己肯定感(#100DaysToOffload 76)

・自己肯定感の話
自己肯定感は実体のない言葉だと思う。自分を認められない状態は「育ちきらなかった植物」を連想させる。萎縮していて、本来の姿とは異なった形に変形させれている。不適切な手入れをされた植物はしなびていて、枯れかかっている。そういう状態にいる人間はきっと、自己肯定感が低いと感じている。
日本人は自己肯定感が低いとはよく指摘されるけれども、それは個人の気質が原因ではない。日本社会で幅広く共有されている言動や反応に、自己肯定感を低めるものがビルドインされている。
元から自己肯定感が乏しいのではなくて、生命力を損ねたり、奪っていくものに大量に触れたために自己を肯定できなくなっている。
よく「ダメな自分でもちゃんと肯定しましょう!」ということが語られるけど、他者の眼差しから完全に逃れた自己肯定感はあり得ない。周囲の環境から大切にされないのなら、健全な自己肯定感は育まれない。疎外されたり、人間扱いされなかったり、日常的に差別されるような環境で暮らしているのなら、それに見合った自己肯定感しか持てなくなる。
それを無視して「自己肯定感が低いのは異常です。もっと自分を認めましょう!」と言うのは無責任だ。「あなたが苦しいのは、あなた自身の問題で私たちには責任はありません」と突き放されているみたいに聞こえる。
人から大切にされないと、自分を大切にできない。誰かから優しくされた方法でしか、自分に優しくできない。人から受け取ったものでなければ、誰かに与えることはできない。

・ヴィラン的自己肯定
自分の場合は健全な自己肯定感の育成に失敗したのだが、開き直ることでどうにか生きている。散歩をしているときに、アスファルトの隙間から雑草が生えていて、おれはその雑草に生命力を感じた。「生きるのに他人の許可はいらねえ!!」とか「根絶やしにしてみろよ、人類!!ばーーーか!!!」と煽られているような気分だった。生命はそれでよい。
「この世界に居場所が欲しい」ではなくて、「うるせえ!! 現世を不法占拠だ!!」ぐらいの気持ちでいたいし、「幸せになりたい」よりも「降り注ぐ不幸は全部釘バットで殴り殺してやる!」と思っていたほうが精神的に安定する。
おれたちは特定有害外来種みたいもので、彼らに生き方を学ぶ必要がある。「お前は邪魔だし、生態系を破壊するし、人に迷惑をかけるから、目に見えないところで自殺するべきだ」と人間に言われても、「おれを殺したければバルサンでも除草剤でもマシンガンでも社会的ダーウィニズムでも優生思想でも何でも持ってこいよ! ばーーーーか!」と、中指を突き立てて力強く生きる。
おれはこれは「ヴィラン的自己肯定」と呼んでいる。生きているだけで迷惑を掛けてしまうのなら、人を傷つけてでも生きろ。それがヴィランだ。特撮ヒーローものの悪役であり、パブリックエネミーだ。社会不適合者が生きるためにはヴィランに学ぶのがよい。仮面ライダー555のオルフェノクや仮面ライダーアマゾンズのアマゾンとか、あのあたりの特撮社会不適合者はいいよね……。
でも優生思想はマジで社会不適合者を殺しに来るからできればやめて欲しい。

・「それは生命力を増進させるのか?」という判断基準(#100DaysToOffload 77)

ここ数年は「それは自分の生命力を増進させるのか? それとも触れることで気が滅入ったり、萎えていくのか?」という判断基準を愛用している。『ワインバーグの文章読本』で紹介されていた方法で、「その文章を読んでエネルギーが増えたか、それとも減ったか?」をいい文章の判断基準にするという方法の応用だ。文体が綺麗だとか、書かれていることが正しいかどうかは些細な問題だ。
どれだけ言っていることが正しくても、その言説を聞いていると生命力が不当に奪われていくように感じるのなら、それは悪い文章だ。
「他人や周囲の環境が正しいに違いない」と考えて、自分自身の皮膚感覚を無視していると最悪の場合死ぬ。他人の反応を自分の判断の代わりにすると、「私はこう思う」とか「自分はこれが好きだ」「私ならこうしたい」という感情を抑圧して、外側に答えを探すようになる。自分の言動を信じられなくなるし、他人の評価や価値基準に依存してしまう。そうなると確実にメンタルを病む。
そういうときにはシンプルに、「生命力が増進したか? それとも削がれたか?」で考えて行動した方がいい。

・創作メモ。(#100DaysToOffload 78)

・ハードルを高くしない。
「自分で勝手にハードルをあげて勝手に苦しんでいる」ということがよくある。目が肥えて中途半端なもので満足できなくなる。そうなって身動きが取れなくなるぐらいなら、恥ずかしい部分を積極的に出していったほうがよいのでは?
そのうち羞恥心を覚えることが快楽になるかも知れないし……。

・人と比較して筋トレをやめなくてもいい。
陸上選手に勝てないからと言って、筋トレをやめる意味はない。勝ち負け以前に、筋トレをすることで健康になって元気に過ごせる。それだけで筋トレからはメリットを得ている。
創作も同じで、人と比較して劣っているのだとしても、作ることを止める理由にはならない。アウトプット自体を目的にするのではなくて、作ることでこの世界に対する解像度を上げていく。感受性を精緻化して、よりよくこの世界を見られるようになっていくことのほうが大切だと思う。

・創作の才能に恵まれていても「もう勉強しなくてもいい。感受性を高めなくてもいい。私はこのままで満たされているから、もう何も必要ない」と思ってしまうほうが怖い。
なまくらになった包丁を、切れ味が鋭いと思い込んでいる残念な人になってしまう。

・「人に好かれたい」のではなくて。(#100DaysToOffload 79)

・人から好かれたいのではなくて、冷たくされると自分が否定されているように感じて辛くなる。自分を否定されたくないから、人に好かれることで価値を確認しようとしているところがある。
・「人間には好き嫌いがあるのだから、嫌われても仕方がない」と考えるのが合理的だけど、そう思うだけで楽になるのなら苦しんではいない。人間関係の根っこにはいつも自己否定の傷跡があって、「結局みんな、最後には自分に愛想を尽かして去って行くのでは無いのか?」という漠然とした恐怖がある。
・「そんなことないよ。あなたには価値があるよ」と言われても、未来までそう思われる確証はない。そう思われた分だけ、あとで失望させてしまうかも知れない。
・普段は自己否定の傷痕を気にせずにいられるけど、些細なことや人間関係の重要な局面で自己否定の傷口が開いてしまう。
・「人から好かれたい」のではなくて、「人から好かれていれば、見捨てられずに済む」なのだと思う。
・人の心という自分の意志ではどうしようもないものを求める行為が、そもそもの間違いだ。形の無いものを手に入れようとするから執着する。手に入れたと思っても、心が離れることを恐れるから束縛しようとする。
あるいは失うことを恐れて最初から何も期待しなくなったり、自分の方から嫌われるような言動を取る。
・ネガティブなことを書いているように見えるけど、こういうことを書けるのは「自分の脆い部分を言葉にしても大丈夫だろう」という信頼感が芽生えてきたからかも知れない。

・『龍と苺』と、正しく敗北する方法(#100DaysToOffload 80)

龍と苺』という将棋漫画にハマっている。これは天才将棋少女藍田苺が将棋でおじさんたちを片っ端からなぎ倒していく漫画だ。おじさんたちが「この生意気なメスガキめ!わからせてやる!」と言ってくるのに対して、「おじさーん♪わからせてくれるんじゃなかったんですかー♪ちゃんと〝負けました〟も言えないクソザコおとななんですねー♪」と煽るような内容だ。苺ちゃんはこんな台詞を言わないけど、だいたいこんな感じで将棋おじさんたちが敗北していく。
敗北するのはおじさんたちだけではない。
才能ある少女のサクセスストーリーであると同時に、将棋を愛する人たちの敗北物語でもある。強すぎる才能の光は、敗者を持つ影を際立たせる。夢に挫折してもそのまま人生は続く。敗北の物語は誰にも語られることのない。だが藍田苺という天才を通して、敗北した人々にスポットライトが当たる。
自分を天才だと思っていたがより高い壁にぶつかって折れる少年、プロ直前までたどり着いたが三段リーグを突破できなかった人などの、様々な敗北者が出てくる。
その中でひときわ輝いているのが、敗北したおじさんたちの生き様だ。
龍と苺には、負けを受け入れられないおじさんと、自分の才能の限界と敗北を認めて、そこから自分にできることを探す「正しく敗北できるおじさん」が出てくる。
その一人が元奨励会員の須藤さんだ。二段どまりで、市の将棋大会を主催している。昔は現在のトッププロと同期で、敗北を繰り返し、才能ある人間に追い抜かれ、下だと思っていた人間の背中を見つめ続けてきた。
作中では序盤の咬ませ犬とか中ボスみたいな扱いだが、須藤さんには夢破れたおじさんへの愛が溢れていて、ちょっと泣いてしまった。
最初は藍田苺を初心者だと思っていた須藤さんも、リベンジマッチのときには彼女を「相手は格上だ」と心の中で認めた。須藤さんは敗北おじさんなどではない。自分の才能と環境に向き合って、今できる最善手を指し続けることができる勝者だ。強いとか弱いというのは相対的な尺度でしか無い。
須藤さんだけじゃ無くて、18歳から将棋を始めたアマ王将のおっさんもいい味を出している。才能があり、幼い頃から将棋に触れていればプロも夢では無かったが、環境に恵まれなかったという大きなハンディキャップを背負っている。
才能の限界に直面したときにどう振る舞うのかは、将棋だけに限らない。自分よりも才能があって、強い奴は掃いて捨てるほどいる。諦めた方が楽かも知れない。でも自分には「これ」しかない。
そう思える人にこそ、『龍と苺』をおすすめしたい。
それにしてもこの漫画、将棋関係者がだいたいヤクザ顔でたびたび突っ込まれているし、強い奴は性格破綻者しかいないので読んでいて楽しい。

・生きやすさを実現する道具としてのVR・メタバース(#100DaysToOffload 81)

VRで無視できないメリットは「居心地のいいコミュニケーション空間を、自分の手でカスタマイズできること」だ。
自分は聴覚過敏を持ってるので、VRの「環境音や人の声を個別に調整できる」ことのメリットが大きい。現実世界だと生活ノイズを遮断できずに疲弊することが多く、キングジムの「デジタル耳せん」やホワイトノイズの音源が入った音楽プレイヤーがないと辛い。

聴覚過敏だけでは無くて、発達障害の特性にもVR環境は適していると思う。
アバターでのコミュニケーションは現実と比べると情報量が少ない。「非言語的なシグナルが声色以外にはないから相手の感情を推測する情報が少なくて難しい」と感じるのか、ノンバーバルなコミュニケーションの割合が少ないので楽と捉えるのかは人それぞれだと思う。
特に非言語的なメッセージを読み取ることが難しい発達障害者にとって、アバターを用いたコミュニケーションは精神的な負荷が低いのかも知れない。
VRChatは発達障害者の割合が多い印象を受ける。自分自身も当事者だし、仲良くなったフレンドも診断を受けている人が多い。似た波長の人間が自然と集まってくるのかも知れない。距離感が普通の人とは違うので、仲良くなるときにはすぐに打ち解けるのかな……。
すくなくとも自分にとっては、VRでのコミュニケーションは楽に感じられる。
聞くところによると、定型発達者は言語だけではなくて声のトーンや表情、身振りなどの非言語的なシグナルを送受信し合って、いわゆる「空気を読んだ」コミュニケーションを行っているらしい。
アバターによるコミュニケーションは、現実の会話の代替ではない。どちらかと言えば、「ボイスチャットに豊かな視覚表現が付与されたもの」と考えた方がいい。
VRを「現実で行う会話の劣化」と取るのか、それともインターネット・コミュニケーションの進化形と受け止めるかで、見方は全く異なってくる。
現実では受け取る情報を制御できないけれども、VR環境では視覚と聴覚の情報を自分でコントロールできる。
現実の環境に生きづらさを感じている人たちにとって、受け取る情報をコントロールできるVRは眼鏡や補聴器と同じような、よりよく生きるための道具になり得るのかも知れない。

・このツイートの解釈と、「ダークソウルシリーズの甲冑デザインは、特撮ヒーローの系譜に連なっている」という一文から広げた文章です。

・人間であることの条件――特撮ヒーローとダークソウル(#100DaysToOffload 82)
https://write.as/metsa/ren-jian-dearukotonotiao-jian-te-cuo-hirotodakusouru-100daystooffload-82

・人間であることの条件――特撮ヒーローとダークソウル(#100DaysToOffload 82)

・記憶の奥底に「使い捨て仮面ライダー」の記憶が残っている。ベルトを装着すると普通の人間でも仮面ライダーに変身できるのだが、戦う力を得る代償として身体が灰になってしまう。大切な人を守るために、自分の命と引き替えに一回限りの力を得る!
……というシーンだけが未だに心から離れない。仮面ライダー555のウィキペディアによると、仮面ライダーカイザのベルトを装着した特殊な因子を持った人たちらしいので、普通の人というのは記憶違いだった。
でも「普通の人が命を賭して変身する」というシチュエーションには特撮ロマンを感じる。使い捨ての仮面ライダーでもいい。人間には自分の命を捨ててでも守らなければならないものが存在する。それが特撮マインドだ。
ダークファンタジーゲームの金字塔であるダークソウルにも、特撮マインドが息づいている。アーマード・コアシリーズを制作してきたフロムソフトウェアだ。特撮の教養がないとは言わせない。中世ダークファンタジーの世界観に騙されてしまうが、底流にあるコンセプトは特撮ヒーローと怪人そのものだ。
仮面ライダー系特撮ヒーローは「人間とそうではないものの境界線上で、人間の側に踏みとどまろうとする」物語だ。怪物と同じ力を手にしてもなお、人間らしい心を保っていられるのか? 非人間的な存在になってしまう誘惑を退けられるのか? どうすれば我々は人間であり続けられるのか?……というテーマを問い続けるのが特撮ヒーローものの宿命だ。
生者と亡者という境界線が存在するダークソウルもまた、人間と非人間的なものの間で苦悩する特撮ヒーローの葛藤を内包している。
人間だったはずの者が理性を持たない亡者になり、心を失ったはずの亡者にも人間らしい感情が残っている。それを端的に表しているステージが「墓王ニトの直前の赤子骸骨が出てくる場所」だ。
ダークソウルの世界では不死者が存在する。病に蝕まれるように、死ぬことができない身体になる。それは大人だけでは無くて、物心つかないまま不死者になった赤子も同じだ。赤子骸骨たちは、不死になった赤子のなれの果てだ。自我を持たないまま、両親から愛されることなく捨てられてロードランに流れ着いた赤子たちが、これ以上、誰からも傷つけられないように墓王ニトの前で守られている。
赤子骸骨の傍らにいる三人羽織は「父と母、息子の仮面を持つ」亡者だ。彼らもまた、亡者になった後も子供を愛し続けたかった人間なのだと思う。
はだしのゲンで原爆で赤ちゃんを亡くした母親が、空腹になったゲンの妹に授乳している場面がある。不死者になってからも、子供を失ってしまったという喪失感が消えることは無い。だから、不死者の赤子に愛を注ぐことで空白を満たそうとしている。
理性を失った亡者になっても、誰かを愛したいという本能だけが消えずに残る。
ロードランにあるもっとも死に近い場所で、亡者たちは赤子骸骨を守っている。たとえ灰になることがわかっていても、戦うために変身せざるを得なかった使い捨ての仮面ライダーのように、三人羽織は赤子骸骨のために戦い続けている。
しかし赤子骸骨がいる場所は、ダークソウルでも屈指の稼ぎポイントでもある。ひたすら赤子骸骨を倒して手に入れられるアイテムが「人間性」なので、たぶんなにもかもをわかってステージを設計しているのだろう。世界観の幽遠な情緒を感じるステージデザインだ。
特撮ヒーローとダークソウルシリーズは「人間であることの条件」を私たちに突きつけてくる。
人間性を失った亡者は誰なのか。すべてを失ってもなお、人間であることを手放さずにいるのはどちらなのか。人間に留まるとはどういうことなのか。

・ブラックボックスをそのままにする。(#100DaysToOffload 83)

人の気持ちはブラックボックスだから、中に何があるのかを確かめたくなる。あるいは反対に、自分の箱に入っているものを理解して欲しいと思ってしまう。でも箱を空けることはできない。「私の箱の中には、こういうものが入っていますよ」とは言えるけれども、中に何が入っているのかは相手からは見えない。
「箱の中には本当に何が入っているのか?」を確かめようとして、疑って、箱自体を無理矢理こじ開けようとして、最後には壊してしまう。
箱の話で思い出したのだけど、『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 』という書籍には、社会的フォルマリズムという考え方が紹介されている。心から「ありがとう」と思っていなくても、「ありがとう」と口に出せば感謝の心を持っていることになる。
アスペルガー症候群には心の理論が理解できないけど、別に人の心を理解する必要は無いんじゃないの? どうせ人の心の内側なんて分かるはずがないのだし……という考え方を知って、楽になったのだよね。
心の底でどう思っていようが、「私はこう思う」というカードを場に出せば、それが社会的には真実になる。箱の中身を確かめられなくても、「この箱に入っているのはりんごです」と言えば、中にはリンゴが入っていることになる。
非定型発達者なので言葉を額面通りに受け取るしかない。
箱の中にリンゴが入っていなくても、嘘をついていいと言うことでは無い。人の気持ちはわからないから、確かなものを欲しがるのはわかる。不安になって、手に触れられるものを求めたくなる。
でも、ブラックボックスに何が入っているのかを明らかにしようとしても、本当の気持ちはわからない。箱の中にあるものを開示して、相互理解できるかも知れないという考え方は幻想で、最初から最後まで何もわかり合えないのかも知れない。
けれどもそれでもいいんじゃない? 何を考えているのか理解できなくても、ブラックボックスをそのままにしていても一緒にいられると思う。

・ジョジョの奇妙な呪術戦の基礎(#100DaysToOffload 84)

「ジョジョの奇妙な冒険を読めば、呪術戦の基礎は身につく」と、呪術師の師匠から口を酸っぱくして言われていた時期がある。敵を呪殺するときには、「どういう手段で攻撃されているのかを悟らせない」「ギミックに気がつかれる前に殺す」のがセオリーだ。「呪術の仕組みが暴かれれば、弱点を突かれて呪詛返しされる」というのも、スタンド戦と呪術戦に共通する点だ。
逆に言うと、呪術戦に巻き込まれたときには「死なないようになるべく時間を稼いで、敵の手の内を探っていく」のが基本戦略となる。敵が攻撃する度に、少しずつではあるが情報を晒していく。それらをつなぎ合わせて、どういう手段で呪殺しようとしてくるのかを推測して、仮定を立てる。
攻撃側は速攻を心がけ、防衛側は長期戦に持ち込んでいく。
知らないうちに攻撃されていることに気がつく感受性。少ない情報から敵の手の内を推測する論理力、どういう手段で呪殺しようとしてくるのかを分析して、逆手に取る方法を構築していく頭の柔軟性など、呪術戦で役に立つ方法論がジョジョの奇妙な冒険には描かれている。
ジョジョを読み込むことで知らず知らずの間に、呪術師として立ち回る基礎ができているはずだ。

・腐女子日記・弱虫ペダルで腐女子人格が芽生えた話(#100DaysToOffload 85)

弱虫ペダルを読んでから、本格的な腐女子人格が芽生え始めてきた。
Twitterのプロフィールに「成人済み・腐。生物学上は女」と書いて、延々と弱虫ペダルの妄想を書き綴っているような奴だ。つまり今の自分と大して変わりがない。
中高生時代の偽りの記憶まででっちあげられつつある。坂の上にある学校にママチャリで通学するときに、「総北のジャージをゴールまで届けるんだ!足がぶっ壊れてもいい!もう30回転(ケイデンス)追加だ!」と呟きながら、自転車を必死で漕いでいたような気がする。
私は元々、同じクラスの女子同士の、互いに気を遣ったり、牽制し合うようなコミュニケーションがあまり好きでは無かった。同調して、人の輪からはみ出さないようにして、異質なものを疎外する。表面上は楽しそうに笑っているけど、腫れ物に触れるように扱う。
そんな人間関係に疲れてしまった私には、兄が読んでいたスポーツものの少年漫画が心に刺さる。普段はぶつかって、喧嘩して、怒って声を荒げても、お互いを心の底から信頼し合っている。落としたら砕ける硝子細工みたいな人間関係ではない。彼らの強靱な鋼のような人間関係に憧れたから、私は腐女子になったのかもしれない。
腐女子というと好きなキャラクター同士をすぐに恋愛関係にさせたがるが、ちょっと待ってくれ。BLの本質はそこではない。少年漫画の登場人物でBL二次創作をするのと、商業BLには深い溝がある。私はもちろん商業BLも好きだが、少年漫画特有の男同士の関係性の方に惹かれている。
男が男に向ける強い情念と、甘ったるい恋愛感情を一緒くたにしないで欲しい。恋とは違う形で、相手の存在が徐々に大きくなっていく。そのどろっどろに濁っていて、きらっきらに透き通った感情たちは、BLという言葉をあてがった瞬間に違う何かに変質してしまう。
弱虫ペダルは自転車競技を扱った少年漫画だ。男が男との距離を詰めるために、感情を振り絞り、身体中から体液を垂れ流して、筋肉を限界まで酷使する。自転車は走る個室と言われるが、二人で並走していたらそれはもう愛の巣だ。
ここで私が愛する富×金の妄想怪文書を書く。
ライバル校・箱根学園のキャプテン福富は、かつて総北キャプテンの金城に犯した罪を忘れられずにいる。自分の精神的な弱さ故に、レース中に金城を妨害してしまった過去に苦しんでいる。
早朝四時、過去の悪夢から汗だくになって目を覚ます。福富は葛藤をふりほどくためにロードレーサーに乗って走り込みをするものの、自分の前を走る金城の幻影からは逃れられない。
一年間、福富はこの影を追い越すために血の滲むような努力をしてきた。起きているときにも、練習をしているときにも、金城を意識している。眠っているときにも金城の夢を見る。
来年のインターハイでの再戦を待ち望むとか、ほぼ織り姫と彦星である。
こういう感じの妄想文章を大量に書いているような腐女子になっていたんだろうな……と思っていたが、実際にもう書いている。
弱虫ペダルは少年漫画なのだけど、百合漫画の文法で書かれているとしか思えないシーンが多々ある。よく上級生と下級生の関係が、『マリアさまがみてる』のスール制度扱いされることがあるけれども、マジで妹とお姉様みたいな関係なんだよ。主人公の小野田が巻島先輩に向ける憧れは紛うことなき百合感情だ。
『弱虫ペダル SPARE BIKE 8』 も熱い。永遠のライバルである巻島と東堂の一夏のストーリーなのだが、「これもう自転車マンガとかBL通り越して、ただ純愛マンガじゃない!?」という完成度なので、機会があれば是非とも読んで欲しい。
腐女子人格が爆誕してしまい、普段からこういうことを考えるようになってしまった。生まれてしまった物は仕方がない。腐女子人格をこのまま優しく育んでいきたい。

・ネガティブな自分の受け入れ方について(#100DaysToOffload 86)

思うところがあって対人関係療法の本を読んでいる。
対人関係を改善するというと他者に目を向けがちだけど、「自分自身との関係」も重要な対人関係だ。他人の言動は変えられないけれども、自分が物事をどういうスタンスで受け止めるのかは変えられる。
ネガティブな感情を抱いたときには、それを否認したり抑圧するのでは無くて、「人間だしそういう感情を抱くのも当たり前だよねー♪」ぐらいのスタンスで受け止めた方がいい。
ネガティブな感情は危険なものを検知するセンサーだけど、自分との関係性が上手くいっていないと、感情が告げるシグナルを見逃してしまう。
「これはやばいから距離を取った方がいいぞ」というネガティブの警告を、「でも、我慢するのが人として正しい態度だよね?」という常識で押し殺してしまう。自分では我慢していたつもりがなくても、気がついたらコップ一杯になっていることはよくある。
許容量が限界を超えるとコントロールができなくなって、変なところからネガティブな感情がはみ出してしまう。
ネガティブな感情がコップから溢れないようにすることが、「自分自身との関係を大切にする」ことなんじゃないかな。暑かったら冷房を付けるし、寒かったら服を着る。それと同じように、コップにネガティブな感情が溜まってきたら、水を捨てたりする。
だけど我慢することしか教えられなかったら、限界まで耐えるしか選択肢が無くなる。
ネガティブな感情は人間にとって必要なものだから、存在していて当然だ。風邪を引いたときに嘔吐するみたいに、心が病んだらネガティブな感情を吐いていい。飲み込んだら余計に苦しくなってしまう。
ネガティブな気持ちを無くすのは不可能だけど、少なくとも吐き出す先は制御できるようにする。感情の吐瀉物をその場でぶちまけたら迷惑だが、ちゃんと洗面器に向けて吐き出せば問題無い。ネガティブなことを考える自分を無かったことにするのではなくて、後ろ向きな自分を受け入れて、感情を適切に処理できるようになればいい。
そういう風にしていけば、自分との関係をもっと上手くやっていけるかも。

・自己肯定感ゼロの駒しかいない将棋(#100DaysToOffload 87)

歩「僕なんて一歩先にしか進めないし、代わりはいくらでもいる……」
香車「猪突猛進するしか能がない自分には、盤面の端っこがお似合いさ……」
桂馬「他の駒を飛び越えられるなんて異常だよな……」
銀「どうせみんな俺を金の劣化版だと思っているんだろ!」
金「みんな成り駒になる可能性を持っているのに、俺だけ伸びしろが無い……」
角「角換わりがややこしいので初心者に嫌われる……複雑でわかりにくいやつでごめんね……」
飛車「王より可愛がられていると言われて嫉妬される……」
王将「俺は王なんかじゃない……他の駒に頼ることしかできない屑なんだ……」

・おすすめのギャンブルマンガです。(#100DaysToOffload 88)

・オールタイム福本伸行マンガベスト
1、賭博黙示録カイジ・限定ジャンケン編
2、銀と金
3 無頼伝 涯
4,アカギ 〜闇に降り立った天才〜(※最初のうちは麻雀のルールを知らない状態で読むが、雰囲気だけでも面白い。この辺から少しずつ麻雀のルールを覚えていこう)

・好きな麻雀マンガ
鉄鳴きの麒麟児
ノーマーク爆牌党
打姫オバカミーコ
アカギ(※テンポが悪くなるまで)
ムダヅモ無き改革
凍牌(とうはい)-裏レート麻雀闘牌録-
雀荘のサエコさん
いただきじゃんがりあんR

・デスゲームもの
今際の国のアリス
・『賭博者(ドストエフスキー)』
ドストエフスキーの『賭博者』は読む福本漫画。最高に熱いギャンブル小説なのだが、「難しい本を読んでいるね」と勘違いされることもある。

・隠れた名作「スケアクロウマン」をAmazon Primeで視聴しよう!(#100DaysToOffload 89)

スケアクロウマンはマイベストアニメランキング2位の名作なのでみんな今すぐに観てくれ。1位は灰羽連盟で、3位はタイが多すぎて決められない。スケアクロウマンは隠れた名作で、クオリティの割には知名度がほとんどない。このまま歴史の闇に埋もれていくかと思われていた本作だが、Amazon Primeで視聴できる。
20年間、かかしだったスケアクロウマンに命が吹き込まれ、壊れた物を直し始める。その過程で彼は、喧嘩した家族、身体が弱くて外には出られない少女、誰も居ない場所で懸命に働き続けるロボット等々、様々な孤独な登場人物たちと関わっていく。
その中でも10話「謎のミステリーサークル」が最高にいい。ネタばれは避けるが、スケアクロウマンと登場人物の孤独が響き合う場面がこの作品の縮図だ。
どんな年齢層にも分け隔て無く受け入れられる優しいキャラクターデザイン。世界名作劇場を彷彿とさせる世界観と、一話完結型(時々は二話完結になるけど)でさくさく鑑賞できるシリーズ構成。「孤独と癒やし」をテーマに据えたシナリオ。今の時代からみると3DCGのクオリティは見劣りするが、元のデザインが可愛いので気にならない。
30分アニメーションの性質を最大限に引き出しているという点で、完成度が高い。

役目を終えて捨てられたかかしが、再び命を与えられてスケアクロウマンになった。だからといって、いつまでも壊れないものなどこの世界には存在しない。形あるものはいつか失われる。作られたものは必ず壊れ、生きている人間には死が訪れる。この作品には通奏低音として諸行無常が響き続けている。
ものを修理し続けてきたスケアクロウマンもその定めからは逃れられない。自分がいつ死ぬかはわからない。その限られた時間で自分は何を為すのか?と、スケアクロウマンは自分に問う。
アンパンマンも幼児向けと見せかけて、「何が君の幸せ? 何をして喜ぶ? わからないまま終わる。そんなのは嫌だ」と視聴者に投げかけてくる。
アンパンマンは空腹を癒やすために人々にパンを分け与えるが、スケアクロウマンは孤独を直す。片方は肉体の欠落を、もう一人は心の空白を埋めようとする点で対照的なヒーローだ。

・健全百合妄想SS「食わず嫌い」(#100DaysToOffload 90)

あの子は私の食わず嫌いを治そうとしてくる。
嫌いなブロッコリーを無理矢理咀嚼させられて、私は涙目になる。十分に噛んだ後には、相手の命令で飲み込まされる。もはや自分に選択肢は無く、相手に支配されるままだ。
これで終わったかと思えば「よくできたね。次はアスパラガスだよ」と耳元で囁かれる。もうダメ、許して。お願いします。アスパラガスを食べること以外なら、何でもしますから。お願いです……。必死に懇願するが相手は箸の動きを止めない。閉じた口を強引にこじ開けられて、アスパラガスが突っ込まれる。
アスパラガスをすべて食べ終えると、相手は私を優しく抱きしめて、髪を撫でてくれる。「ごめんね、無理に食べさせたりなんかして」
あの子は飴と鞭の使い分けが上手い。豹変する態度で、私はこれまでの仕打ちを許してしまいそうになる。いつもそうだ……。殴ったあとに優しくするDV男みたいなやり口で、嫌いなものを食べさせたあとには好物のいちごゼリーを用意してくれたりする。
私には嫌いな食べ物が多いし、乱暴にされるのも苦手だ。でもあの子に身体を無理矢理押さえつけられて、口に食べ物を突っ込まれることに、支配される快楽を覚え始めていた。
「じゃあ、明日も君の食わず嫌いを直すのを、手伝って上げるね♪」
嗜虐の喜びに染まった彼女の笑顔を見ると、背筋が疼く。期待と快楽を貪ろうとする餓えを勘付かれないようにして、私は無言で頷いた。

・「精神的な欲求の満たされ無さ」について(#100DaysToOffload 91)

アマゾンの先住民族が都市生活を送るようになると、すぐに肥満になってしまうという。栄養の乏しい環境で暮らしてきたから「いま食べられるものを、食べられるだけ食べる」という方針で生きてきた。それは食料が少ない環境では最適な行動だけど、大量のカロリーに事欠かない文明では肥満の原因になる。
肥満になる先住民族みたいな方法で、自分の欲望を満たそうとしているのかも知れない。餓えて死ぬリスクを背負うぐらいなら、肥満になって苦しんだほうがいい。それと同じように、欠落自体に苦しむよりも「決して埋まらない欠落感」に苦しめられるほうを好ましいと思っているところがある。
欲望や願望、承認欲求には底が無くて、満たしても満たしても、すぐに乾いていくように感じる。空腹はご飯を食べれば治まるし、睡眠欲は眠ればすっきりする。でも精神的な欲望の場合は、「これだけ与えられたら満足なので、あとは当分の間はいらないよ」とは思えない。
餓えを恐れて食べ物を口に放り込み続けるみたいに、承認欲求や帰属意識が満たされることを際限なく望んでいる。
こういうときはきっと、不適切な方法で空腹を解消するようにして、心を見たそうとしているのかも知れない。
炭水化物が多いジャンクフードばかりを食べていると、「タンパク質が欲しいからもっと食べ物をよこせ」と脳が命令する。でもジャンクフードに含まれるタンパク質は少ないから、十分なタンパク質を得るために炭水化物や脂質を余計に摂取してしまう。
SNSはタンパク質が少ないジャンクフードに似ている。本来は短文テキストや写真を投稿するだけのツールなのに、承認欲求や帰属意識を満たすために使うのは不適切なのでは?

・また龍と苺の須藤さんのことを考えている。(#100DaysToOffload 92)

また『龍と苺』を読んで泣いてる。なぜか須藤さん推しになってしまった。
元奨励会員の須藤さん、最初の内は負けることが悔しくて夜に泣くぐらい悔しがっていたんだよ。でもそのうち敗北が当たり前になって、才能のある奴に追い越されることに慣れて、自分の才能と折り合いが付いてしまった。
自分よりも才能のあるやつは沢山いるのだから、負けても仕方がない。「自分はここまでの人間だ」と身の丈を知ってしまうと、本気の勝負が出来なくなる。戦っているときに負ける自分の影がちらつく。「必死になって頑張っても、どうせ負けるんじゃ無いのか?」という疑いが脳裏によぎるようになって、踏ん張りがきかなくなる。
そうなると負けてもプライドが傷付かないような範囲でしか、戦えなくなる。
お前、須藤さんの話をすることで自分語りをしているだろ?と問われたら言い訳できない。その通りだからだ。須藤さんがどうかはわからないけど、おれはそうだった。頑張ろうとすると、いつも失敗する自分の影に苛まれるんだ……。以前は何も考えずに全力でぶつかって行けたのに、いまは失敗することを勘定に入れている。
でも、藍田苺に敗北したあとの須藤さんは違うんだよ……。
負けることが日常になって、自分が苦しまない範囲でしか将棋を指せなくなっていた須藤さんが勝負する男の顔つきになった。
全身全霊を傾けても、待っているのは敗北かも知れない。圧倒的な才能を前にして敗北する公算が高い。積み重ねた努力が無駄になるかも知れない。そうだとわかっていても、自分の持てる力を最大限に絞り出して、勝利への道筋を探す。
自分の才能に絶望しながらも、それでも血反吐を吐いて前に進まなければならない。プライドがずたぼろになっても、将棋を諦められない。そんな将棋の指し方を思い出させてくれたのが藍田苺だった。
将棋を愛するおじさんの死と再生が描かれている。その展開が熱くて仕方がない。

・やがて姉になる。(#100DaysToOffload 93)

おれが最初になりたかったのは、か弱い妖精みたいな金髪碧眼美少女だった。人見知りで、声が小さくて、庇護欲求に訴えかけて、誰からも愛される。そういう小動物系美少女になりたかった。アイカツで言えば双葉アリアだ。
だがおれは挫折した。望んだ美少女にはなれなかった。ボイチェンの声質とアバターのCVが合わないという問題も発生した。声質にあったアバターを見繕ったほうがよいのだが、どれがいいのかわからん。
最初は「フリルのついた可愛いお洋服が着たいなー」と漠然と思っていたが、おれの内側に眠る美少女ソウルは「こんなフリルの多いひらひらした服なんか着られるか! 活発で動きやすい服のほうが好きだ!」と言い始めた。
そういう止むに止まれぬ事情があったので、自分の素を活かすことにした。というよりも美少女になることを諦めた。おれにはバ美声も無ければ、可愛いムーブもできない……。せめてぽわわーんとした空気でざっくばらんに振る舞おう。そう、まんがタイムきららアニメに出てくる、脳みそのネジが一つか二つ吹っ飛んでいるタイプの姉みたいに生きようと思った。
おれの心の中には姉のビジョンがある。非常識だが精神的に安定している。車を運転すると同乗者がゲロを吐くようなお姉ちゃんになりたい。実際に自動車免許を取ったときにも合宿の予定を大幅にオーバーして、卒業試験直前まで歩道の段差に車を擦りつけていた。教員には「まぁ……卒業試験には落ちると思うけど、練習だと思って気楽にやってきて……」と言われて挑戦したら、謎の本番強さを発揮して一発合格。運転技術が未熟なまま現在に至る。そのぐらい自動車の運転が下手なので、同乗者には「何があっても私の自己責任です」という同意書を提出してもらいたいぐらいだ。
姉が次回予告に出てくるだけで、次のエピソードはカオス回だと確信できるような個性的な姉でありたい。コミケの度におれのおねショタ薄い本が作られて欲しい。
理想の姉は『ご注文はうさぎですか?』のモカお姉ちゃんと、『魔女の宅急便』のウルスラさんだ。
このままイマジナリー姉路線を極めるのもひとつの選択肢だろう。「お姉ちゃんに任せなさいっ!」と言えるような、頼れる姉のように生きたい。なりたい美少女になれるのではない。自然体で振る舞える動線を探していった結果としてバ美肉おじさんになる。それがたまたま姉路線だっただけだ。
自分のことを「しのねえーー!!」と言って慕ってくれるVR妹もいるし、この子の前ではおれはVRお姉ちゃんになれたんだろうな。

・メンタルデスゲームVRChat(#100DaysToOffload 94)

VR空間は自分の長所も短所も極端な形で拡大されるという性質がある。もともと持っていた長所はより魅力的になるし、目を背けていた欠落はより致命的な形で露呈する。
移動距離や空間に制限されないために、人間関係のサイクルが非常に早く進む。ユーザー同士の距離感も近い。現実社会の属性にとらわれないで人間関係を作っていける点では大きなメリットがある。その反面、元から持っていた人格上の欠点が浮かび上がりやすくなっている。
対人関係に問題があったり認知が歪んでいる場合には、実生活で目を背けてきた課題から真っ正面から向き合わなければならなくなる。
それを踏まえるとVRChatはお話しをするだけの平和なゲームではない。自身の影との対決を余儀なくされるハードなゲームだ。メンタルデスゲームVRChatである。
よくVRChatユーザーにはメンタルヘルスを病んでいる人間が多いと言われるが当たり前だ。肉体から解放された魂だけの状態になっているから、些細なダメージを受けただけでも致命傷になりかねない。外見や社会的地位、環境を言い訳にはできない。「おれは本当は優しい人間だが、ルックスに恵まれていないから人間性が正当に評価されていないんだ」などといった言い訳は通用しない。
劣等感や自己肯定感の低さ、歪んだ認知、性格の癖。これまでほったらかしにしてきた問題が多ければ多いほど、そいつらが敵となって立ちはだかってくる。
バーチャルの世界でなら別の自分に生まれ変われるかも知れない。そんな淡い希望を胸に抱いてVR空間に逃げ込んでも、いちばんダメな自分は地の果てまで追ってくる。
自身の負の側面をまっすぐに見つめるのは苦しいし、できることならやりたくない。だけど、それを放置したままでは現実世界で犯した過ちと同じことを繰り返す。筋肉少女帯も『踊るダメ人間』で言っていた。世界を燃やしたって、一番ダメな自分は残るぜ!……と。
自分自身の影に殺された人間から消えていく。そうならないようにあらゆる手段を尽くして生き延びるのがVRChatだ。人格に何かしらの問題を抱えている人間にとっては危険なゲームだ。
とはいえ、元から持っていた長所がよりよい形で発揮されることも珍しくはない。多少人間として難があっても、長所を伸ばして短所をねじ伏せていくスタイルのほうが結果として上手く行くのかも知れない。人間関係のサイクルが早くて人間ガチャをやりやすいぶん、気が合う人はリアルよりも見つけやすい。
頼れる仲間との協力プレイもデスゲームを生き残るためのポイントなので、孤立しないように複数のコミュニティを拠点にしよう。
戦いは過酷であり、無傷で切り抜けることは不可能だ。しかし人間関係で受けた傷は、人間関係で癒やせる。もし立ち止まり、くじけそうになったそのときには授乳カフェを訪れて傷を塞いでいって欲しい。

・授乳カフェVRChat怪文書(#100DaysToOffload 95)

美少女アバターに撫で撫でされていると、脳から親愛ホルモンであるオキシトシンが分泌されてくる。脳が幸福で満たされていって、気がつくと一時間ぐらい経っている。VRChatをやったことがない人にはにわかに信じがたい話ではあるのだが、美少女アバターを撫でたり、反対に撫でられたりするたびに、脳の形が変わっていくのを実感している。
こればっかりは実際に体験してみないとわからないことなので、Oculus Quest2などのヘッドセットを買うしかない。撫でられたり、ハグされることで人生観が変わる。冗談で言っているのではない。ここには現実社会に欠落している温もりがある。たとえそれがバーチャルの生み出した幻想に過ぎないのだとしても、人間に優しくされることが現代人には必要なのだ。お前はこの冷たい現実世界に疲れ切っている。人と触れ合うこともなく、優しい言葉をかけ合うのでも無い。競い、戦い、疲弊して、傷だらけになっている。自己肯定感は損なわれ、自らの手で死を選ぶ人間が跡を絶たない。それが唯一無二の現実だとしたら、そんなものはゴミ箱に投げ捨ててしまっていい。
VRChatも人間関係で苦しむことはあるし、ユートピアであるとは口が裂けても言えない。VRChatは現代の阿片窟なのかも知れない。でも現実に比べたらはるかにマシだ。ヘッドマウントディスプレイを被れ。美少女アバターを着ろ。いちゃつけ。そうすることでしかたどり着けない世界がある。失うのはたった四万円だ。ゲーミングPCやアバター、フルトラッキング環境を揃えると30万ぐらい費やすことになるが必要経費だ。わずかな金銭を惜しんでいる間に、お前は人生のすべてを失っていく。迷っている暇はない。なんか宗教の勧誘みたいになってきたが、VRは来世みたいなものなので違いはない。
VRで撫で撫でしあうと、脳から親愛ホルモンが分泌され始めて人生観が変わる。しかし始めたばかりだと撫で撫でできる人間関係がない。その際は バーチャル授乳CafeキタリナQuest支店 に行こう。ここではママたちが優しくなでなでしてくれる素敵な場所だ。私自身も赤ちゃんとして参加しているはずがいつの間にかママになっていた。
キタリナQのテーマソングがあるので、これを聞いてどんな場所なのか雰囲気を味わってみよう。ちなみに部分的に作詞に参加しているし、映像にもちょっと映っている。

VRChatを始めてから、政治的な諍いに身を投じて苦しむことがなくなった。それだけで十分に元が取れている。以前は拳を握りしめ、脳からは闘争ホルモンであるノルアドレナリンを大量に分泌させていた。絶え間なく生み出されるこの世の悪に憤慨し、怒りに身を任せていた。自分のやっていることが社会的に正しいのだと思い込み、敵を攻撃することを正当化していた。そうすることで、脳内を闘争ホルモンでいっぱいにすることで、人生の空虚さを満たそうとしていた。
人間の魂は空虚さには耐えられない。愛や優しさが無ければ、怒りや憎悪、欲望で空白を満たそうとする。敵意や憎しみでも無いよりはマシだ。空腹で食べるものが無ければ、身体に悪いものでも口に運んで飢えを凌がなければならない。
お前に必要なのは怒りや憎悪ではなくて、大量に注がれる無条件の愛だ。誰かの幸福を願う人間の優しさだ。きれいなメイドさんアバターにひざまくらをされながら撫でられる経験だ。授乳カフェでママから授乳される時間だ。お前は最初、当惑する。現代資本主義の教義に染まりきったお前は、無償の愛を信じられない。どこかで対価が発生すると身構える。この優しさは罠で、心を許してしまったらより多くのものを奪われるのでは無いのか?と恐れる。でも大丈夫だ。これは無償の優しさなどではない。他の誰かから受け取った優しさを、そのまま誰かに手渡しているだけに過ぎない。そのことに対して後ろめたさを覚えたら、次はお前が新しいママになって誰かを無条件に愛せばいい。おれたちはいつもそうやってきた。今度はお前の番だ。

・SNSを使うのが苦手な話。あるいはインターネットの原風景。(#100DaysToOffload 96)

インターネットで嫌なものを見過ぎて、SNSに文章を書くときには炎上することを過剰に警戒してしまう。自分の文章に不適切な表現はないだろうか? 無意識に差別的な表現を使っていないだろうか? 人からどのように解釈される余地があるのか? 見知らぬ人間に、どういう風に悪意のある解釈をされるのだろう? そうされたときにはどういう風に対処すればいいのだろう?……ということを考えてしまう。
仲間がいじめられている映像を見せられたマウスは、実際には何もされていないのに強いストレスを受けるという研究結果がある。SNSを使っているときに自分が抱く感情も、虐待映像を見せられたマウスに近い。自分の発した言葉が、低い確率でもこの世界の悪意や無理解に晒される可能性があると考えると、言葉が萎縮してしまう。
何も考えずに発した言葉がログとして残って、不特定多数に晒されるリスク。何年も前の発言が掘り返されて炎上したり、面倒臭いやつに絡まれたりすることを考慮すると、パブリックな場所に情報を公開するのは害しかないのでは?
そう思って、ここ数年はSNS(特にTwitter)を使わずにいた。
面倒臭い奴には絡まれたくないが、見知らぬ善良な人にも文章を読まれたい。矛盾した感情を抱いていて、上手くSNSが使いこなせない。
本当ならSNSは便利な道具になったはずなのだけど、相互監視と個人攻撃の側面が大きくなりすぎて、自由な言説のやりとりを抑圧するシステムになってしまった。すくなくとも自分は「何処の馬の骨とも知れない連中に読まれたくない」と思ってしまう。
長文を書くことでしか、自分の考えていることを伝えられない。知り合いに「古代インターネットの生き残り」とか「ストロングスタイル」とか「ゼロ年代を思い出させる」とか言われるんだけど、この方法でしか自己表現できない。
インターネットスラム街で育ったので、お行儀よくネットができない。エロゲーの感想にエミール・シオランとかエマニュエル・レヴィナスを引用するような人たちの影響を受けて、すくすくと歪んで育った。
鬱屈した感情をテキストエディタに吐き出して、顔も見えない連中と文章を交わす。理解や毛繕いのためにコミュニケーションを行うのでは無くて、拳で語り合うしかないヤンキーみたいな方法でしか人と繋がれない。
言葉のキャッチボールをするのではなくて、どこからともなく感情の鉄球を持ち出してきて、誰に向けて投げていいものかわからないまま、遠くへ放り投げる。それを誰かが受け止めてくれて、更にでかい鉄球をぶつけてくる。
そこが自分の生まれ故郷だったけど、もうその場所はない。

・よくないね!による連帯(#100DaysToOffload 97)

敵を作って団結する好意が好きではないので、政治的な言説からは距離を置いている。
リベラルが与党を批判したり、保守派が野党の欠点をあげつらったり、フェミニストが美少女ポスターを規制しようとしたり、オタクが表現規制を求めるフェミニストを敵視したりする。どういう政治的立ち位置を取るにしても、敵を作って団結することが基本的な立ち振る舞いになっている。
敵が実際に存在しているのか、ごく一部の先鋭化した人たちを叩いているだけなのか、存在しない想像上の敵を作り上げているのかは関係が無い。叩きやすい藁人形を用意して、サンドバッグにして叩くこと自体が目的になっている。
ここ数年の間、インターネット上の政治的言説をまともに読めなくなってしまった。否定や敵意、刺々しい言葉で満たされていて、読んでいると生命力がそぎ落とされていく感覚がある。ネガティブな力を振り回すことが、政治に関わる行為とイコールになっている。
否定では無くて肯定の言葉が聞きたい。「あいつが悪い」ではなくて、イケボ政治家に耳元で「辛かったね。これまでよく我慢したね。でも僕が来たからもう苦しまなくていいよ。君のことを誰よりも大事にするからね」と優しい言葉で囁いて欲しい。そこまでASMR音声みたいではなくてもいいのだけど、やっぱり言葉や態度で大切にされているという実感が欲しい。なんか急に面倒臭い恋人みたいになってきたな……。
リベラル陣営に対しては「国民(わたし)と自民党批判のどっちが大事なの? もっと私を見てよ! もうっ!ばかっ!ばかっ!だいっきらい!」という気持ちを抱いている。でも「寂しくさせてごめんな……お前が一番大事だよ……」と言いながら、優しく唇を塞いでくれたら許す。
ほんとうに面倒な恋人だ……。

・「愛されたい」の要件定義(#100DaysToOffload 98)

ふと「愛されたい……」と呟いたのだが、心の中にいるゴーストが「どう愛されたいのか? 誰に? どのように? どういう理由で? どのぐらいの時間? どんな環境で愛されたいのかを具体的に説明せよ」と問い詰めてきて、言葉に詰まってしまった。
要件定義ができないまま、ただ漠然と愛されたいと思っている。ちやほやされたいのか、外的要素を褒められたいのか、人格や人柄を好きになって欲しいのか、承認欲求を満たして欲しいのか、自分がいてもいい居場所が欲しいのか、一目置いて欲しいのか、尊敬されたいのか、性的な対象として求められたいのか、信頼されたいのか、この世界で誰よりも大切に扱って欲しいのか、生まれたばかりの赤ちゃんのようにすべてを受け入れて甘やかして欲しいのか、あるいはそのすべてなのか。
その辺を曖昧にしたままでいる。自分でも要件定義ができないものを他人に発注している。どう愛されたいのかわからないけど、とにかく私を愛してくれ。違う。そういう愛し方じゃないんだ。どういう風に愛されたいのか、自分でもわからないけど……。
「愛されたい」ではなくて、「効率的に自分のエゴを満たしてくれる、都合のいい誰かが欲しい」と思っているのかも知れない。外付けの承認欲求補給装置だったり、人に見せつけるためのアクセサリのような人間関係を求める。
自分がどういう風に愛されたいのか、まったくわからない。十分に愛されているのに、愛されていることに気づいていないだけかも知れない。そもそも愛はキリスト教だと肯定的に扱われるけど、仏教的には迷いの一つ。たぶん、いま感じている「愛されたい」は渇愛のほうだと思う。
複雑に考えすぎているけれども、「そこにいていいよ。あなたがいて嬉しいよ」って思っていて欲しいだけなのかもね。

・見捨てられ不安の話(#100DaysToOffload 99)

昔から見捨てられ不安がある。
自分よりも優れていて、完全な上位互換の人間がいたら「もう君は必要ないよー♪ じゃーねー♪」と言われて、見捨てられるかもしれない。そのことに怯えている。
中途半端に求められてから見捨てられるのは、最初から必要とされないことよりも辛い。人を信じることは、湖に張った氷の上に自分の全体重を乗せることに似ている。薄氷が割れてしまわないかと恐れながら、おっかなびっくりで人の好意に触れる。
もしも今、自分が必要とされていても、より優れた誰かに居場所を奪われるかも知れない。信じた後に梯子を外されるぐらいなら、最初から何も期待しないほうがいいのかも知れない。無価値な人間として放置されていた方が、失望したり、裏切られない分だけダメージが少なくなる。
見捨てられ不安は私にとっては呪いみたいなもので、ちょっとしたことで「自分は不必要なのでは?」「心が離れてしまったのでは?」「失望させてしまったのかも知れない」と邪推して苦しくなるときがある。
他者の感情は目には見えないから、形のあるものを求めて安心したくなる。言葉や物、人から見えるような関係性、客観的な指標で、自分には価値があることを確かめようとする。
でも「自分が必要されている」という確信を得ても、明日には相手が心変わりをして、見捨てられるかも知れない。そうなると何も信じられなくなる悪循環にはまり込んで、自分のことを本当に必要としてくれる人の愛情も疑って、相手をうんざりさせてしまう。
もしも反対に、誰かから「絶対に見捨てないでね」と言われても、絶対に不可能だと断言できる。他人の人生や気持ちにそこまでの責任は持てないし、気持ちを束縛されたら逃げ出したくなってしまう。
大切に扱いたいと思っていても、時間と気力が足りなくて手が回らないときもある。

見捨てられ不安はあるけれども、「見捨てないで欲しい」とは人に要求しない。永遠に続く人間関係を求めるのは、不老不死を欲するのと同じぐらいに非現実的だからだ。
見捨てられることが怖い。必要のない人間として扱われることを恐れている。でも今はその不安を無理に解消しようとするのではなくて、「私は人から見捨てられることを恐れている。〝見捨てないで〟と要求するわけではないけれども、こういう気持ちがあるのは人として当たり前のことだと思う。ちょっとずつ見捨てられ不安と共存できるようになれればいいな」と思っている。

・政治的コミュニケーション(#100DaysToOffload 100)

政治的対話というやつは、コミュニケーション本で触れられていることとは真逆のことばかりをやっている。コミュニケーションの本には「相手を変えようとしない」「先入観で人を見ない」「自分の意見を押しつけない」「すぐに相手を否定しない」「言っていることを遮って喋らない」などの対人関係を良好に築いていく方法が書かれている。だが政治的な話をするときには、コミュニケーション本に書かれているタブーの地雷をすべて踏み抜いている。対話を重ねる前に人間関係の土台からぶち壊しているので、まずは対人コミュニケーションの練習から始めたほうがいい。
こういう問題意識があるので、SNSでの政治的話題からは身を引いている。
何が正しいのか? どうするべきなのか?を議論する前に、「この人と喋るのは気持ちいいから、いつまでもお話しをしていたい」と思えるような関係性を築き上げるほうが優先順位が高い。
自分の意見を押しつけなくて、私の考えを尊重してくれる。語り口は穏やかで、レッテルを貼ったり、先入観で決めつけるのではなくて「私」とコミュニケーションを取ろうとしてくれる。
お話しをするのなら、そういう人が相手だといいよね。

・100DaysToOffloadをやり終えた感想。

100DaysToOffload をようやく完走した。記事を百個書くのは難しいかと思っていたけど、普段から思考をテキストエディタに吐き出す習慣があるので苦には感じなかった。むしろまだ書きたいことがある。
書いていて「人に理解される必要はなくて、自分の書きたいものだけを書けばいい」と思った。人に嫌われたくない。幻滅されたくない。誤解されたり、よくわからない人間だと思われたくないという意識が強い。「わかりやすい自分を演じること」で身動きが取れなくなっていく。社交的に振る舞おうとするたびに言えないことが増えていって、自由に振る舞うことよりも嫌われないことが目的になる。
でもそれって文章表現の真逆にあることだ。
書いてあることがわからなくてもいい。「わかり合うこと」は幻想で、相互理解なんてしようと思ってもできない。「自分のことを分かって欲しい」という欲望があることは否定しないけれども、時間も能力も足りないから、一人の人が考えていることを理解するのは非現実的だ。
でも、お互いのことがわからないままでもいいじゃん。
何かを理解しあうためではなくて、「理解できないものを前にして途方に暮れるため」にコミュニケーションを取る。お互いにわかり合えているような幻想を作り上げるのではなくて、目の前の人間の異質さに愉悦を見いだす。
自分の理解が及ばない世界があることを垣間見せてくれる文章が好きだ。何を書いてあるのかも、何が面白いのかもわからない。でも、そこまで大量の文章を書かせるほどの衝動が存在していることだけがわかる。
誰かや何かを理解するためではなくて、自分には決して理解の及ばない世界や思想があることを確認するためにテキストを読む。わかろうとしても、絶対に理解できない世界がある。開かない扉の手前で足止めをくらって、自分の頭の悪さに地団駄を踏む。
その真逆にあるのが「わかりやすいもの」だ。実際に分かっているのではなくて、理解不可能なものを無かったことにして、「わかったような気分になるもの」を振りまく。陰謀論が人を引きつけるのは、理解する行為が強烈な快楽と全能感を与えてくれるからだ。
「わかりたい」という欲望をインスタントに叶えてくれる。単純化と歪曲を繰り返して、自分に分かる範囲に世界を矮小化する。
それはわからないものを前にしてうろたえるのとは真逆の行為だけど、「あなたは歴史や思想、この世界を理解できるぐらいに賢い人間ですよ」と囁いて、卑小な欲望を満たしてくれる。
隣にいる人や、自分自身が何を考えているのかも十分には分からない。相手のことを理解したつもりになっていてもそれは幻想に過ぎない。相手の言葉に共鳴しているだけで、理解することとは別の現象なのかも知れない。
相互理解という幻想の外殻を剥がして、「わからなさ」を露出させていく。それが文章を書く行為ではないのか? そう思いつつも、根っこの部分が楽天的なので「この世界のどこかにひとりぐらいは、おれの考えていることを分かってくれる人間がいるだろう」と信じながら文章を書いている。そう思わないと何も書けない。
おれが面倒臭い側の人間であることは、このブログを読んでいる人には自明なことだけど、面倒臭い部分ごとひっくるめて「そういうやつだけど嫌いじゃないよ」って思ってくれたら嬉しい。