正しいのかも知れないけれども、その考えは誰も幸せにしない。

 言っていることは正しいのかも知れないけれども、誰も幸せにしないような言葉がある。聞く度に息苦しくなって、後ろ向きに考えざるを得なくなるような言葉だ。冷静に現状認識を認識していて、この世界の真実を突いているのだとしても、それらの言葉を耳にしていると生きる気力がゆっくりと削がれていく。そういった種類の言葉に出逢ったら、自分の身を守らなければならなくなる。

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邪悪さの一翼を担うことについて。

 第二次世界大戦にまつわる言説の多くは、「私たちは善良な人間だったが、時代の空気や悪しき体制に騙されて過ちを犯してしまった」という枠組みから語られる。
 私たちは騙されていた。私たちには何も知らされていなかった。だから、私たちは判断を誤った。私たちに責任は無い。私たちは邪悪なものに騙されていただけの善良な人間だ。個人の力ではどうにもならない巨悪が生まれ、私たちは抑圧されていた。私たちは加害者ではなくて被害者だ。強権的な軍部や、ナチスドイツの独裁政権。自分たちの意志ではどうにもならない邪悪な力に翻弄されていたんだ。
 ……このような言説を採用することで、自分自身の邪悪さを断罪する責務から免れ続けてきた。

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狂気カテゴリ運用方針

 この文章を狂気(Lunatic)カテゴリに分類しているのは、自分の考えが正常だということについて確信が持てないからだ。一度それが正義だと信じ切ってしまうと、一面的な正しさで悪を片っ端から叩き切ってしまう誘惑から逃れられなくなる。ハンマーをプレゼントされた子供は、あらゆるものを叩きたがる。釘だけではなくて、ドライバーを使わなければならない時にも、ハンマーでネジ釘を潰してしまう。そういう類いの正義は、私にとってはどんなに正しくても狂気と大差が無いのかもしれない。

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