邪悪さの一翼を担うことについて。
第二次世界大戦にまつわる言説の多くは、「私たちは善良な人間だったが、時代の空気や悪しき体制に騙されて過ちを犯してしまった」という枠組みから語られる。
私たちは騙されていた。私たちには何も知らされていなかった。だから、私たちは判断を誤った。私たちに責任は無い。私たちは邪悪なものに騙されていただけの善良な人間だ。個人の力ではどうにもならない巨悪が生まれ、私たちは抑圧されていた。私たちは加害者ではなくて被害者だ。強権的な軍部や、ナチスドイツの独裁政権。自分たちの意志ではどうにもならない邪悪な力に翻弄されていたんだ。
……このような言説を採用することで、自分自身の邪悪さを断罪する責務から免れ続けてきた。
「私は平和を愛する善良な人間であった」という立場から戦争体験を回顧するのは、仕方の無かったことなのかも知れない。それは戦時中の邪悪さが、私たちの生身で担えるようなものでは無かったからだ。自分自身と邪悪なものを切り離す以外には方法がなかったのだろう。
あくまでも想像でしかないのだけれども、チェルノブイリ原子力発電所を石棺で覆うようにして、私たちは邪悪なものを歴史の向こう側に閉じこめた。そのことで非人間的ものが跋扈する戦前の世界観から、人間的な価値が支配する戦後の世界観を受け入れることができたのではないのか。
虐待された子供が「あれは自分とは全く関係の無い場所で起きていることなんだ」と思い込んで、現実の苦痛を切り離すのと同じ方法論を用いて、私たちは過去を切断した。
おそらくかつての私たちは、邪悪さの片棒を担いでいた。もしそうでないとしても、それを止められなかったのならば善良であっても意味がないことだ。
私たちの世界には、邪悪なものを育む下地が揃っている。たとえ自分たちが善良な人間だと自負していても、人間らしい感情や判断、善意、論理的な手続きを積み重ねていった先に、気がついたら邪悪な生き物になっているということがある。
私は戦争が悪だったとか、ホロコーストがどうだとか、西欧による植民地支配に立ち向かっただとか、GHQの戦後統治がどうとか言いたいわけではない。自分と邪悪なものを切り離して責任を免れている限り、私たち自身が邪悪さを振りまく主体になりかねないという話をしている。
私は地下鉄サリン事件の時に小学生だったのだが、オウム真理教=悪という単純な図式を素直に受け入れていた。新興宗教には得体の知れない考えを持った人々が集まっており、私たちとは根本から異なった存在に映った。クラスメイトにオウム真理教の子供がいたとしたら、良心の呵責を覚えずに迫害していたと思う。少なくともその可能性はあった。この感情の延長線上にイスラムフォビアやテロ後のモスク襲撃がある。
多数派に属している限り、少数派に対する共感は欠落して、根拠の無い恐怖と歪んだ正義が行動を司るようになる。
私は自分が善良な人間であるとは、口が裂けても言えない。どちらかと言えば、邪悪さの片棒を担ぐ人間に属する。
それはオウム真理教に対する私たちの反応や、セプテンバーイレブン後のテロリストに対するアメリカ人の感情や、「私はシャルリだ」と叫んでいたフランス人の態度だ。
私たちには邪悪さに対する免疫が無い。
異質な他者に対する嫌悪感、憎悪、恐怖、狭い視野から生み出される正義、同調圧力、時代の閉塞感を打ち破るものに対する過度な期待、自分たちは正義だという素朴な信念が混じりあって、歯止めの効かない邪悪さに荷担する。
今の私がもっとも警戒しているのは、思わず胸がすかっとして、時代の閉塞感を一気に打ち破るような気持ちの良い言葉が現れてくるのではないのか?ということだ。
邪悪なものは正義や希望、人間らしい感情を刺激するものに扮して現れる。この時代の閉塞感を代弁してくれるような正義が姿を現して、私はそれに熱狂する。そのあとでまた性懲りも無く「私たちは騙されていただけだ」と言い訳を繰り返すのだろう。そしてそれはこれから始まるものではなくて、今まさにこの瞬間に起こっていることなのかも知れない。