パーソナリティ分断症候群


 パーソナリティ分断症候群になっていた。自分が勝手に考えた名称なので精神医学的な病気ではない。それでも「正しい自分は何者なのか?」が分からなくなって、どう振る舞うのが正解なのかで迷っていた。

ネットでのアカウントのキャラ、本名で活動してる自分、バカなことを書いたり考えたりする自分と、社会通念の正しさを重視する自分や、建前と本音を使い分ける自分、ネガティブな自分、人格を疑われるような発言を繰り返す邪悪な自分。
 世界に適応するためにいくつも自分のパーソナリティが形成されていって、いつの間にかそれらのパーソナリティが分断されてしまった。合う人が変わる度に、ブラウザのタブやアプリケーションを切り替える度に、その都度、使っている自分を切り替える。
 その場の空気に望ましくない自分は抑圧して、自分が何を喋りたいのかよりも、どう振る舞うのが社会適応のうえで正解なのか?を第一に考えていたのかも知れない。
 僕の認知は歪んでいて、正しくパーソナリティを使い分けることができなかったし、そう何度もいくつも人格を使い分けられるほど器用な人間ではなかった。運転免許証を取るときにもギアの切り替えをさんざん指摘されたしな……。
 そんなことを繰り返している間に、自己パーソナリティー切り替えの問題は深刻になっていった。自分でありながら、自分では無い何か別の生き物を演じているような気持ちになる。混じり合わないいくつもの自分がいて、自分が断片になった状態で、時と場所に応じてそれらしく振る舞っている。
 パーソナリティ分断症候群の根底にあるのは、素の自分を見せたら嫌われてしまうんじゃないのか?という自己否定で、根っこにいる自分は誰にも肯定されない、と強く思い込んでいる。それが正しいのか間違っているのかはわからないが、どこかで認知が歪んでしまって、他者から否定されないためには素の自分を隠し通さなければならないと思うようになってしまったのかも知れない。

 元覚醒剤中毒のおっさんにも「そんなに自分を悪く思う必要はないで~」と言われていた。
 分断されてしまった自分を統合するためには、どうしたらいいのだろう?と悩んでいた。
 たとえば、「コンビニエンスストアで陳列されている18禁のコミック雑誌をどう思いますか?」と聞かれたとする。
 倫理的な価値観を持った僕は「過激なポルノグラフィが青少年や外国人観光客の目に止まるのは問題だと思いますね。適切なゾーニングを行って、見たくない人が見なくて済むような制度を作るべきです」と思う一方で、もう一人の俺は「コンビニ売りのエロマンガ雑誌は自主規制が激しいので、内容がどうしても健全な和姦寄りになってしまう。獣姦も近親相姦も暴力的な内容もアウトだし、性器の消しが酷い。ゾーニングをしたほうがいい」とも考えている。
 どちらが自分の本心かと言うと、どっちも本当のことだ。本当のことなのだけれども、二つのパーソナリティの間で軋轢が生じる。そんな風にして混じり合うことのないパーソナリティが存在している。
 この分断された自分を統合しようと思っているのだが、道は長い。