陰府歴程篇(5)アイカツ!ぬりえ療法
アイカツキャラの背後に神の恩寵を垣間見るぐらいには、精神的に追い込まれていた。俺は哀れな薬物依存症で,彼女たちは光り輝くアイドルだった。薬物依存症になったあとにも、アイカツやらリルリルフェアリルを見て、心を癒していた。酒も薬もやめたが、女児向けアニメだけは熱心に鑑賞していた。
今日はアイカツぬりえ療法をする。
ぬりえ療法とはぬりえを通じて精神安定を図る行いだ。ストレス社会にいきる我々はぬりえを通して、色彩のなんたるかに近づいていく。灰色の建築物に囲まれている間に色彩に対する感受性を喪失し、この世界の細部を喪失していく。それは緩やかな自殺なのだ。排ガスと雑音にまみれた汚い町並み、調和という概念のかけらもない景観。経済成長のために人間性を容易く売り払うことが出来る国民性。この景観後進国に産み落とされた悲哀を嘆いている暇はない。我々はこれからアイカツ!塗り絵を通して、奪い去られた感受性をとりもどすための戦いを繰り広げるのである。
百円で買ったアイカツ!塗り絵をしているだけで、むやみにオンライン麻雀をしなくなった。それだけでも元が取れている。今の私は虚無の埋め方をただアイカツぬりえにだけ求めていた。アイカツぬりえをしてるときにだけ自分の空虚な人生が塗りつぶせたような気がした。
この娑婆には自己否定の力が溢れている。「そんなので満足していてはならない。自分を甘やかすな。自分を嫌うぐらいに自己批判的でいなければならない」「自分が嫌いだ」「駄目だ、駄目だ! そんなん駄目に決まってるだろ!」
このような自分自身を疎外する呪いの言葉を、絶えず自らに言い聞かせている。「自分に鞭打つことこそが幸福になる唯一の方法である。肯定し、甘やかしている間に他人に置いてけぼりにされるぞ! それが嫌ならば、今ここにいる自分を否定しなければならない」
これがアイカツ!の光が届かない世界で語られている言葉だ。自分を傷つけ、苦しめることを努力と思い込んでいる。他者を蹴落とすか、敗者の烙印を押すことが競争だと思っている。
打算と駆け引き、利己主義、他者を差別し蹴落とす現代社会の軋轢に押しつぶされた魂には、女児向けアニメが染みる。
「新しい私になれる。大好きで育てなくちゃ」「もし君が立ち止まり迷う日は、瞳閉じて心の声を聞いて。」「何度も生まれ変わろう。どんな自分だって大好き。明日と指切りしたの」「おけおけおっけー♪」
これらの自己肯定感に溢れる言葉に耳を傾け、魂の根底からわき上がってくる聖なる力(KIRA☆パワー)を見いだすまでが俺にとってのアイカツ!だった。
アイカツ!キャラの発する太陽の光のような生き様と言動によって、自身の魂を蝕んでいる暗闇の言葉を溶かしていく。それこそがおれのアイカツ!である。魂は闇に覆われ、道しるべとなる光はない。そのような絶望の淵に瀕しても崖から手を離さない。それがアイカツだ。
俺はアイドルになりたかった。
アイカツ!のアイドルになりたい。仮にメインキャラになれなくても、中途半端に目立つモブ扱いでも、ストーリーに関わらなくても、俺は俺だけのアイドル活動をしなければならなかった。
おれはアイカツ!のモブたちが好きで、モブはモブなりの人間関係があり、モブにとってのアイカツ!があり、画面には現れないそれぞれのアイカツ!があるのだと信じている。アイカツ!には厳密な意味でのモブはいないのだ。全員が主人公で、全員が誰かにとってのナンバーワンアイドルで、アイドルは何より、自分自身を心の底から信じていなければならない。
この自己肯定感が俺には不足していた。アイドルになるためにもっとも必要なものは何か。美しさか。技術か。才能か、努力か。否。断じて否である。それは確かに重要なものだが、アイドルをアイドルたらしめるものは、魂の奥底から放たれる光だ。これを見出し、認め、信じ、輝きを増すために努力する。それがアイドル活動だった。
アイカツ!のキャラは可愛いから魅力的なのではなくて、自分を心の底から肯定しているから輝いているのだ。自分を貶めることもなく、傲慢になることもなく、他者と自分を比較して苦しむことも無い。等身大の自分を承認して、誇りを持つ。無理矢理成長するのでは無くて、自分の可能性を呼び覚ますように先に進んでいく。宗教だよな、これは宗教だ。またアイカツ!と宗教の区別ができなくなっている。
俺もアイドルにならなければならないんだ。裏番組の色物へっぽこアイドルでいい。色物アイドル枠として、イスラム国ヒッチハイクに挑戦させられていたり、アマゾン川にパラシュートで降下させられて幻の白いワニを探すバラエティに出演させられたり、ガリンペイロの一人として金鉱を掘り起こそうとするのかも知れない。なんというかナショナルジオグラフィック規模の電波少年風番組ウィズ輿水幸子みたいなイメージで考えてもらえれば特に間違いは無い。でもそれがおれのアイカツなら、おれは自分のアイカツを受け入れるのだ。
アイカツのコスモロジーを支配するのは、勝ち負けではなく、優劣でもない。憧れの対象と同一化することでも、乗り越えることでもない。「いま、ここにいる自分を大好きになること」こそが、アイカツの宇宙秩序である。