人魚姫とマッチ売りの少女。
昔々、あるところに精神的にどうしようもなくなった男がいました。
アンデルセン童話の人魚姫とマッチ売りの少女をモチーフに百合妄想をし始めるほどに、彼は追い詰められていました。
魔女と取引をして人間界にやってきた人魚姫は、ある日、道でマッチを売る少女を見つけました。マッチ売りの少女の声に耳を傾ける者はおらず、裸足は赤く悴んでいます。
人間になる代償として失った人魚姫の声と、叫んでも誰も振り向きもしないマッチ売りの少女の声。歩くたびにナイフで刺されたように痛む足と、寒空の下で傷ついた足。いつしか人魚姫は自身の境遇をマッチ売りの少女に重ねあわせ、同情や憐憫、愛情とも区別がつかない感情を抱き始めるようになりました。
人魚姫は無言のままマッチを買い取ったり、無くした木靴の代わりに可愛らしい靴を贈ることで、マッチ売りの少女と距離を縮めていったのです。
それは雪の降る寒い夜のことでした。
大晦日の晩にマッチを売れ残してしまった少女は、凍え死にそうになっていました。少女は一本のマッチを「シュッ」とこすると、火花が飛び散って、小さな明かりが体を温めました。マッチに火をつけるたびに、大きなストーブや七面鳥の幻が浮かび上がりました。最後のマッチに火を灯した時に現れたのは、いつも少女からマッチを買っていく美しい女性の姿でした。
人魚姫に運ばれて、マッチ売りの少女は一命をとりとめました。城に運ばれたマッチ売りの少女は、マッチを売らなければならないこと、そうでなければ父親にぶたれることを人魚姫に話しました。
それから少女は人魚姫と一緒に、城の女中として働くことになりました。
マッチ売りの少女は人魚姫に惹かれていましたが、彼女の視線が向けられているのは自分ではなくて、この国の王子でした。人魚姫は嬉しそうで、そして悲しげな眼差しで王子を見つめていました。
王子が結婚式を迎える数日前のことです。
マッチ売りの少女は、人魚姫が姉たちと話していることを聞いてしまいました。彼女が人魚であること。海難に遭った王子を助けたのが、本当は人魚姫だったこと。王子の心臓を短剣で突き刺して返り血を浴びなければ人魚姫が消えてしまうことを、マッチ売りの少女は偶然にも聞いてしまいました。
王子が別の娘と結婚した夜に、人魚姫は泡になって消える道を選びました。
マッチ売りの少女にできたのは、マッチに火を灯して人魚姫に幸せな幻想を見せることだけでした。マッチが擦られるたびに、夢の中で人魚姫は王子と結ばれて幸せになりました。人魚姫が泡になって完全に消失してしまうその時まで、少女はマッチに火を灯し続けました。
人魚姫が幸せならそれで構わないと、マッチ売りの少女は思いました。自分の気持ちが報われることはないと知りながら、少女は内心を押し殺してマッチを擦ります。寒い日に裸足でマッチを売っていた時の何倍も、少女の胸は痛みました。
大晦日の日に、人魚姫はマッチ売りの少女を助けてくれました。けれどもマッチ売りの少女は幸せな幻を見せる以外には何もできませんでした。
人魚姫が泡になって消える直前に、マッチ売りの少女は魔女の短剣で自分の手首を切りました。本当なら、大晦日の日に失われていたはずの命です。人魚姫がいなければ、少女はもう生きてはいません。自分の血に価値があるのかはわかりませんでしたが、それ以外にできることはありませんでした。
少女の赤い血が人魚姫の身体に流れると、泡になって消えつつあった人魚姫の魔法が解け始めていました。
魔法を解くためには、「人魚姫が助けた人間の血」が必要でした。溺れ死にそうになっていた王子の血だけではなく、大晦日の日に助けられたマッチ売りの少女の血にも呪いを解く力が宿っていたのです。
凍死するはずだったマッチ売りの少女と、泡になって消えるはずだった人魚姫は、百合の力で一命を取り留めました。
人間と人魚という種族の壁があったのみならず、同性愛者へのいわれなき偏見に満ちていた西欧社会の中で、二人は死ぬまで強く、幸せに生き抜きました。
それから数世紀後、ハリウッド映画業界ではアンデルセンの雪の女王をモチーフとした映画が大ヒットし、アメコミ映画のクロスオーバーものが猛威を振るっていました。その間隙を縫うようにして、「人魚姫とマッチ売りの少女のLGBTものはどうだろうか?」という企画が生まれるのは、さほど荒唐無稽な話ではありませんでした。
書き始めたときは、寒空の下で幸せな幻を見ながら人魚姫は泡になり、マッチ売りの少女は凍死するという百合心中路線のつもりでしたが、いつの間にかハッピーエンドになっていたことに、書いていた本人もびっくりです。
~おわり~