陰謀論職人・立志編
陰謀論職人に拾われてから、瞬く間に五年の歳月が経った。
僕の両親は陰謀論者によって殺された。日本社畜しぐさなど存在しないと主張していた両親は、『古き良き日本社畜しぐさを現代に伝える会』の人間に葬り去られた。日本社畜しぐさは江戸しぐさと長時間労働その他諸々をつなぎ合わせて生み出されたが、バブル崩壊後の失われた二十年の間に消失してしまったものだと言われている。
天涯孤独の身になった僕は、年老いた陰謀論職人の元で陰謀論の作り方を学んでいた。これも、僕の両親を殺した陰謀論者に復讐するためである。
得体の知れない陰謀論を生み出すのが、陰謀論職人の仕事だ。
出所が不確かで、明確な出典も根拠もない。下卑た欲望を刺激して、メディアリテラシーに困難を抱えている人たちの頭に入り込む。
「陰謀論を操るものは、メディアリテラシーの低い人間の魂を操れる。メディアリテラシーの低い人間の魂がインターネットを操り、インターネットが現実や国の世論を操る。すなわち陰謀論を作り出す術を習得すれば、たやすく人間の世界を操ることができるのだ」
師匠は、まとめサイトのRSSを確認しながら言った。
過激派組織IS(自称イスラム国)が運営するまとめサイト――『資本主義キリスト教西欧諸国崩壊ニュース』と『ムハンマド速報』である。原油施設を破壊された自称イスラム国の収入源であり、「十字軍遠征酷すぎワロタWWWWW」といった記事名が並んでいる。
「いいか、陰謀論職人の仕事とは、本来ならばつながりの無い場所に関連性を見いだすことだ。私たちの思考は、絶対にないとは言い切れない事柄に対しては脆弱だ」
師は言った。
時は大反知性主義時代である。ソーシャルメディアの普及により、嘘を嘘と見抜く力が欠落している人たちにも、等しく情報発信の力が与えられた。140文字制限の前では、理性を用いた対話が不可能になり、耳障りの良い言葉、インパクトのある話題だけがリツイートされる暗闇の時代だ。
時代の脆弱性を突くようにして現れたのが、人々の無知を金に換える現代の錬金術・陰謀論である。ゴールドラッシュに沸き立つ大反知性主義時代には、数多くの陰謀論職人が産声を上げていた。
「エボラ出血熱は、アフリカの希少なレアメタル資源を独占しようとするユダヤ資本が開発した生物兵器……、エボラ出血熱は寝て治せ……!」
「よし、筋が良いぞ!」
僕は師匠の元で、陰謀論職人としての才能を開花させていった。
いくら荒唐無稽な嘘でも、繰り返し語られる間に警戒心が薄れていく。始めは「こんなもの嘘に決まっている」としか思えない与太話でも、何度も目にしている間に無意識から蝕まれていくのだ。
陰謀論の整合性そのものは、たいした問題ではない。いかにして心地よい世界観を生み出すのかが何よりも重要だった。劣等感を刺激し、偽りの全能感を与え、他者を嘲笑する甘美を味わわせ、選民意識を植え付ける。
優しい嘘と引き替えに、ほんの少し金銭を得るだけだ。
師はかつて、小さな2chまとめブログを管理していた。
スレッドを編集し、テキストサイト譲りのフォント煽りといった技術を用いて起承転結を付ける。どこが笑いどころか、どうスレッドの発言順番を変えたら読みやすくなるのか。技術を凝らした結果として、ほんのすこしのアフィリエイトを得る。現在とは違い、牧歌的な時代だったと、師は言った。
いつからかスレッドは枯渇し、自作自演の発言をまとめ、時には捏造紛いの行為に手を染めながら、師は小さなまとめブログから利益を得るようになっていた。
いつ道を踏み外したのだろう。嘘に嘘を重ねているうちに、師はまとめブログ管理人から陰謀論職人になっていた。
「大反知性主義時代の災厄は全て、私たちの世代が生み出したものだ。スクリーンショットとやる夫やらない夫のコメントしかないアニメ感想記事も、ブラウザ追従型広告も、インターネットをダメにしたのはおれたち老害だ。もう私には何も信じられない。語る言葉が嘘なのか、本心なのかもわからなくなった。最初は優しい嘘が欲しいだけだったんだ……。すべての陰謀論職人はそうだ。現実に耐えられないから、優しい嘘を居場所にしている間に、どこにも行けなくなった……私もそうだった……」
師匠の語る話が本当なのか、僕にはわからない。
長いこと陰謀論に触れている間に、陰謀論職人は現実と妄想の区別が付かなくなる。
始めはアフィリエイト収入を目的に陰謀論職人になったまでは良かったが、自分が作った陰謀論を信じてしまう者も少なくない。僕の師匠は、自分で生み出した「世界を支配する0.01%の超富裕層秘密結社による地球統治計画」を信じ始めていた。ソビエト連邦の建設も、第二次世界大戦の枢軸国も、イスラム国の拡大も、裏ではこの組織が関わっているという中学二年生が考えたラノベみたいな設定の話だ。
「おまえが作り上げた陰謀論次第では、この国の世論を左右できるかもしれない」
僕が作り上げた陰謀論を見て、師は言った。
僕が五年の歳月を掛けて磨き上げたのは、日本女装オナニーしぐさである。
古事記でスサノオノミコトがヤマタノオロチを倒すために女装した神話、平安時代のとりかへばや物語(要するに女装男子と男装女子の昔話だ)、女形(おやま)――歌舞伎で男性が女性の役を演じる伝統、春画にも男の娘が描かれていること、男の娘キャラブームなどを虚実織り交ぜて、「女装オナニーは日本人にとって魂のふるさとである」と主張するのだ。
陰謀論職人はろくな死に方をしない。
何も信じられず、あらゆる言説に陰謀論の影を見る。善意から生み出された優しい言葉にも、斜に構えた反応を返してしまう。最後には自分が作り上げた陰謀論を信じ切って、大嘘吐きとして死んでいくのだ。
素肌の色に近いファンデーションとコンシーラーを塗り、ナチュラルメイクに見えるようにアイブロウペンシルで眉を描く。黒髪ロングのウィッグを被り、110デニールの黒タイツに足を通せば、旅立ちの準備は終わりだ。
『古き良き日本社畜しぐさを現代に伝える会』の人間を、テクノブレイクで根絶やしにするそのときまで、僕は女装し続けるだろう。