岩手のソビエト領時代について。


ざっくりで理解する岩手史
 第二次世界大戦末期。日本は本土決戦に突入し、昭和天皇は処刑された。戦後には戦勝国による分割統治が行われ、岩手県を含む東北はソビエト領になった。
 朝鮮戦争やベトナム戦争と同じように、東北で大国間の代理戦争が起こった。これは東北戦争と呼ばれている。
 1990年代にはソビエト連邦崩壊とともに岩手共和国が設立されるものの、貧富の格差がテロリズムの温床となり、岩手共和党と過激派集団である岩手民族解放戦線との間で内戦に突入している。
 2000年代はリーマンショックに端を発する経済混乱と大災害、イスラム国に共鳴した岩手民族解放戦線によるテロが活発化。岩手共和国から逃れた多数の難民が日本に殺到しており、国際社会に軋轢を引き起こしている。

岩手の思い出
 岩手の片田舎で生まれ育ったので、自分に表現の自由が生まれつき備わっているなどとは考えたこともなかった。東北人は無口だとよく言われるが、それはソビエト領時代に言論と内心の自由が抑圧されていた影響がある。岩手がまだソビエト領だった頃には検閲や秘密警察による摘発を恐れるだけではなく、周囲の人間が密告をしないかどうか皆が疑心暗鬼になっていた。親友や家族でも油断はできない。内心を吐露することが生命の危機に直結していたソビエト領岩手時代の傷跡は、岩手県が独立共和国になった今日でもまだ癒えてはいない。
「岩手共和国憲法は日米によって押し付けられたものだ」という岩手原理主義者の言い分もあるが、それでも基本的人権の価値だけは尊重しなければならない。しかしいきなり表現や言論の自由が与えられたからと言って、大多数の岩手県民はその自由をどのようにして扱えば良いのかわからずにいた。未だに他者顔色をうかがい、空気を読み、第二次世界大戦の大日本帝国統治時代の憲兵や、ソビエト領時代の秘密警察の影に怯えている。
 政府は人々の不安につけ込んで言論の自由を抑圧し、産声を上げたばかりの民主主義を骨抜きにした。岩手県にも言論の自由はある――政府が許容する範囲で。岩手県にも基本的人権はある――国民がそれを行使できない形で。岩手県にも憲法はある――権力ではなく人々の自由を縛るために。

 このブログではときどきソビエト領時代の岩手だとか、共和国成立後に活発になった岩手民族解放戦線についての話題が出てくる。これは表現の自由を行使することに強い心理的な抑圧がかかっている私が、心理的な抜け道を作り上げようとして生み出されたもうひとつの歴史だ。
 日本の政治についてはなるべく近寄りたくない。かといって政治的なトピックを意識的に避けて通れるほど器用に生きられるわけではない。その心理的な葛藤は、架空の歴史を歩んだもうひとつの岩手県を作り出した。
 政治トピックについて語るとなると面倒くさい人間が集まり、面倒くさいコメントを残し、面倒くさい言い争いが勃発する。しかし架空の世界であればそのあたりの厄介な問題をすべてクリアできる。
 そう考えながら暇を見つけては架空の岩手史を構築することを続けていたら、いつの間にかソビエト連邦崩壊後で政治的に混乱した岩手で暮らしていた偽の記憶や、岩手民族解放戦線を鎮圧するための日米による空爆の日々の思い出が作り上げられてしまった。
 それにともない政治情勢も複雑化し、岩手共和党は日米の傀儡政権になり、岩手武装プロレタリア同盟(※極左)や、東條英機を精神的支柱にしている大日本帝国の残存勢力(※東條英機のご両親は盛岡藩出身なのだ)、エミシ人問題などが入り乱れる国際社会のブラックホールと化してしまった。
 今、精神科医によって催眠を用いて失われた記憶を呼び起こしたとしたら、あるはずもない90年代の岩手共和国時代についてを詳細に喋り始めるかもしれない。みんな空爆で死んでしまったんだ。国際社会は岩手を見捨ててしまった……。ちくしょう、おれだけが真実を伝えられるんだ。そんな気持ちだった。
 虚偽でも熱心に繰り返していれば、大衆はそれを真実と錯覚するようになる。自分が自分に対して語る妄想も例外ではない。私が架空の岩手史を語り続け、ウィキペディアを編集していれば、そのうちこの与太話も真実になるかもしれない。それがオルタナティブ・ファクトの時代だ。

 私は岩手共和国から亡命してきた難民で、このたび日本国籍を取得した。聞くところによれば、日本社会では基本的人権が保障されているという。もちろん岩手共和国にも憲法はあったものの、基本的人権に関してはほとんどが形骸化していた。奴隷労働がはびこり、言論の自由は抑圧されていた。人々は互いを監視しあい、岩手共和党か岩手民族解放戦線のどちらに関する話題も容易に口には出せなかったのだ。
 私はひとりの元岩手共和国民として、西洋的民主主義の価値、そして基本的人権などに理解を示していきたい。それだけではなく日本政府が岩手難民に対し、社会融和を促すような教育を行うことが必要不可欠であろう。また岩手難民もソビエト領時代の偏見を捨てる努力をして、日本国民と共存する道を模索しなければならない。
 岩手恐怖症(イワテフォビア)やポピュリズムが民主主義を弱体化させていくこの時代で、基本的人権を尊重し合うコミュニティを作り上げること。それが分断と非寛容に対抗する唯一の道である。もしそれが不可能であれば、日本は遅かれ早かれソビエト領時代の岩手のような抑圧的な社会になるだろう。