せいじタイムきらら


・まんがタイムきららの日常系アニメを観ているときの穏やかな気持ちを保ったまま、政治経済の話をしたかった話。
選挙シーズンがやってくると考えただけで吐き気を催すようになって久しい。野党のネガティブキャンペーンがはてなブックマークかTogetterのトップページに表示され始めたら、それが選挙シーズンの訪れを告げる合図だ。人々は互いに口汚い言葉をぶつけ合い、そこから距離を置きたいと思っても「ノンポリや中立的態度は黙認と同じだ!」と言われ、ニーメラーの警句が入る。
正気を保つ唯一の手段は、平和と相互的寛容の精神に満ちあふれた架空の政治まんが雑誌『せいじタイムきらら』を心の中で定期購読することだけだった。それはある種の狂気では無いのか?とも思うのだけれども、狂気は別の異なる狂気で中和するしか無い。

せいじタイムきらら系列の政治オピニオン雑誌が書店に並んでいるような世界に生まれたかった。せいじタイムきららパトリオット、せいじタイムきらら保守、せいじタイムきららミドルロード、せいじタイムきららリベラル、せいじタイムきららソーシャル、せいじタイムきららアナーキーあたりに分かれる。せいじタイムきららLGBTやせいじタイムきららエコロジーもある。
サイクリング雑誌の表紙が弱虫ペダルになり、バイク雑誌の表紙がばくおん!になるような時代だ。正論とかの表紙が可愛いキャラにならないとも限らない。
自分の主張を声高に叫ぶだけが、政治活動にコミットすることではない。同人サークルを立ち上げるのと同じ動機で、再生可能エネルギー同人誌を作る。鉄道やダムを取りに行く感覚で原子力発電所の写真を取りに行く。艦隊これくしょんの聖地巡礼をするのと平行して、在日米軍基地を見学に行く。
それを政治的な闘争に結びつけてしまうから、おかしくなってしまう。

・せいじタイムきららで絶賛連載中の政治百合国会コメディの話をする。
これは誤解を恐れずに言えば、「安倍晋三と志位和夫を美少女化したあとに百合ップルにしたいな」と思い始めたことが事の発端だった。あーちゃんは蝶よ花よと育てられたちょっとおっとりしたお嬢様で、おじいちゃんがだいすき! しーちゃんはインテリ左翼のめがねっ娘で、カール・マルクスがだいすき!
~あらすじ~
極東国家ヤーポネの二大政党である与党・自由国民党と、野党・社会労働党の党首は美少女で、二人は日々国会で激しい討論を繰り広げていた。社会労働党党首の口癖は「自国党を倒す!」というもので、寝ても覚めても自国党党首のことを考えている。頭の中はいつもあの子のことで占められていて、思い出すと胸が熱くなって、脈拍が早くなる。ほんとうのきもちを伝えたいけれども、顔を合わせるといつも喧嘩になってしまう。それを政治的対立だと思い込みたかったが、恋愛感情であることは明白だった。
それは自国党党首も同じことで、二人はお互いの気持ちに気がついた直後に国民投票で憲法を改正。国民の圧倒的賛成の元で同性婚を合憲にした後に、無事にゴールイン。二人は首相官邸で同居を始めるのだ。(※ここまで第一話)
これまでの極東国家ヤーポネの政治情勢は混迷を極めてきた。異なる政治的陣営を敵視し対立の溝が深まっていたのだが、党首百合カップルの誕生によって社会の分断が和らぎつつあった。
政策批判と人格攻撃の区別がつかなくなっているヤーポネ国民にとって、党首百合ップルの誕生は衝撃だった。相手の主張を非難してはいるが、敵対しているわけでも、人格をけなしているわけでは無い。国会でさんざん討論を重ねたあとに、党首百合ップルは仲良くお手々をつないで議事堂から立ち去る。
これが民主主義の要諦だ。政治的立ち位置が違っていても、譲れない思想があっても、相手の人格とイコールで結びつけてはいけない。その当たり前のことをどうして忘れていたのだろう……。

百合じゃなくておねショタが好きな君には**『お姉ちゃんが政的なことを、いっぱい教えてあげるね♪』**がおすすめだ。
「ねぇ、そこの君。セイ的なことに興味ある?」……という甘言に惑わされて、お姉ちゃんの部屋にのこのこと出向いた僕(ショタ)は、刺激が強すぎる映像を見せられて興奮していた。ヨーロッパでの黄色いベスト運動のデモ映像無修正ノーカット版は、日本人の僕には刺激が強すぎる。おねえちゃん、こんなのいけないよ。日本は法治国家だよ。こんな暴徒化デモなんて、駄目だよ……。
「ふふふ、そんなこといっても興奮しているのは分かっているよ。きみも年頃の男の子だから、過激なデモ映像に興奮するのは当たり前だよ。君も自分の欲望に正直になろ? 無理矢理力尽くで(車を)押し倒して、日頃に溜まった鬱憤を全部吐き出して楽になりたくて仕方が無いんだよね? ね? 欲望に正直になっていいんだよ? おねえちゃんといっしょに、気持ちよくなろ? みんなのまえで、おっきな声を出していいんだよ」というような内容だ。
せいじタイムきららで沖縄の普天間基地問題を扱うときにはだいたい水着回になる。青い空! 透き通った海! 焼けるような日差し! 投入される土砂!みたいな。しかしせいじタイムきららは政治的正しさと社会正義を重視するので、女児向けアニメの水着回と同じような基準の露出度だ。
すこし大人向けのまんが政治雑誌には快楽天リヴァイアサンがある。雑誌の表紙には「ガッチガチに硬いのがだいすき♪」というコピーが書かれているが、これは硬性憲法特集号だ。選挙前になると投票箱を擬人化した美少女が「私のなかに熱い想いをいっぱいぶち込んで」とか言うテンションだ。
せいじタイムきららパトリオットには戦時中節約日常コメディ『御国ノ為ニ!』が連載されていて、日常系萌えアニメが国策プロパガンダに利用されている。自衛隊がオタク文化を貪欲に取り込んでいる背景を考えると荒唐無稽な話ではない。
しかしひとつだけ世界観に欠陥があることを私たちは忘れていた。せいじタイムきらら世界の沖縄には在日米軍基地がある。……ということは沖縄戦や第二次世界大戦があるということだ。
可愛いと優しいが詰まったせいじタイムきららの世界観で、果たして血なまぐさい戦争が起きるのか? 人間性を抑圧する過酷な資本主義が発達するのか? ヘイトスピーチが存在する余地があるのか?
その事実に気がついたときに、せいじタイムきららを幻視していた私は現実に引き戻された。この世界線にはせいじタイムきららは存在しない。狂っているのはおれか、この社会か。それともその両方なのか。