・表現規制と#Metoo


・男性のための #Metoo

Metoo運動は女性のためだけのものではなくて、男性側にとっても重要なものだ。それは女性の人権を擁護するだけではない。自分たちが、権力や上下関係を用いてハラスメントを行うような男性と同じだと思われるのは心外だからだ。
レイプ被害を告発した伊藤詩織は、日本人から数多くの中傷を浴びせられてロンドンに生活拠点を移した。手酷い言葉を投げかけた人々と自分は全く関係が無いのだが、性犯罪や男女差別に対して反対意思を明確に表明しないと、自分たちもセクシャルハラスメントを許容する人間だと思われてしまう。
少なくとも被害者側にとっては、男性というだけで恐怖の対象になる。男性側がハラスメントに対して反対しない限り、レイプや中傷をした男性と同じカテゴリに括られる。
一部の男性が性犯罪やハラスメントを行ったせいで、大多数の良識ある男性に疑いの眼差しが向けられる。そのことに対して、私たちはもっと怒った方がいい。
以前、女子大にトランスジェンダー女性(MtF)を入学させるべきかという議論があったが、「トランスジェンダーだと偽った男性が、性的な目的で女子大に入り込もうとするのではないのか?」という反対意見があった。でもこれは欲望を満たすために反社会的な行為に手を染める一部の男性犯罪者の話であって、トランスジェンダー女性の問題ではない。
男性の性欲が問題視されるべきなのに、女性の権利やMetoo運動、トランスジェンダーの権利に論点がずれている。
良識ある男性は、自分たちは性欲を満たすために犯罪に手を染めるような男性とは違うということを絶えずアナウンスしなけばならない。一部の男性の身勝手な欲望のせいで、自分たちまで犯罪者予備軍扱いされるのは屈辱だと思う。


・現実と虚構の区別を付けるための#Metoo

フィクションと現実の性犯罪は関係が無いと主張している人たちも、Metoo運動に対して親和的でなければ理屈に合わない。
表現規制に反対する立場であればあるほど、現実の性犯罪には厳しくなる必要がある。「創作物ではレイプや犯罪を扱うけれども、現実では法で罰せられる。フィクションと現実はまったくの別物だ」と言う態度を示さなければならない。
「フィクションの女の子も、現実の女性も、性的欲求を満足させる道具として扱う人間」として十把一絡げに扱われるのを避けるために、「私は現実とフィクションを分けている良識的な人間である。現実社会で生きる女性を人格ある個人として尊重する」と主張するのが最適だ。
他者の人権を守らなければ、「現実と虚構を分けて楽しんでいる」という前提自体が疑わしいものになる。現実と虚構にきっちりと区別をつけているという姿勢を表明するために、現実に生きる女性の権利を尊重する。
「現実と虚構の両方で女性を性的対象として扱う人間」から、「得体の知れないアニメ絵のポルノを鑑賞しているけれども、女性の権利に理解を示して、節度を保って行動できる成熟した市民」というイメージを浸透させる。そのことで「架空の女性を性的対象として消費する自由」の正当性をアピールできる。
欧米でのコミックポルノ批判は、従軍慰安婦問題やジェンダー指数の格差、男女差別などの問題の一部として扱われている。日本は後進的な男尊女卑社会で、女性がレイプされても泣き寝入りするしかなく、男女間の賃金格差も高い。女性の政治参加比率が先進国で最低であり、女性が恒常的な性的搾取に合っている。
その延長線上に「漫画やアニメでの性的な表現」がある。決してフィクションだけが狙い撃ちされているわけではない。「日本人は権利意識に乏しいので、フィクションでも女性を搾取対象としてみなしている」と思われている。

「表現の自由を守ろう!」と主張する一方で、現実社会の差別や格差から目を背けるのは、あまりにも都合が良すぎるのではないのか?
「私たちは良識ある人間であり、現実とフィクションを区別して性的な表現を扱っている」と主張するためには、「現実の女性と児童の権利も守ろう」と言わないと筋が通らない。
「フィクションでは性的搾取な表現を消費するけれども、現実社会では児童や女性の権利を守り、男女平等を主張する政治家や政党を支持しています」と言えるようになって初めて、現実と空想を切り分けている倫理的なオタクになれる。
「表現の自由を守れ!」と主張することは簡単だけれども、それが「おれたちがエロ画像でマスターベーションをする権利を守れ!」としか受け止められないようなら、表現規制はこれからも厳しくなる。
「日本は人権後進国であり、女性を性的商品として扱う価値観が創作物に表れている」という国際社会のイメージを、「日本社会は女性に対して平等で、個人の権利を尊重する優れた社会だ。なのになぜ、あんな過激なコミックポルノが生まれるのか?」と不思議に思われるように変えていく。
それが現実と虚構の区別を付けるということだ。


・国際的には児童との性行為を習慣的に妄想している時点で正常ではない。

児童の性的搾取問題をどう考えたらいいのかわからん。日本だと「ただの絵だし、現実と虚構の区別はしっかりとつけている」で片付けたくなるのだが、国際的には「対象が架空の児童でも、そういったものに性的興奮を覚えるのは倫理的ではない」という価値観がベースになって表現規制が進んでいる。文化にギャップがあること気がつけないまま、「ただの絵だから問題ない」という日本でしか通じない言い訳をするのは、話がこじれるだけなのかも知れない。
『笑ってはいけないエディ・マーフィー』では日本人が黒人に扮していたが、黒人差別的な内容が批判された。日本ではスルーされることが、諸外国では人種差別の問題になる。児童の性的搾取問題と『笑ってはいけないエディ・マーフィー』は、国内の常識と国際感覚にギャップがあるという意味で相似形だ。
「登場人物は18歳以上だ」「高校ではなく学園なので問題ない」と身の潔白を訴えるのは、「直接店で換金しているわけではないので、パチンコはギャンブルではない」と言っているのと同じだ。いくら文章で「この漫画は18歳未満の児童との性行為を描いたものではない」と表記しても、実際に小児性愛的な内容を扱っている。小手先の言い逃れをするのは見苦しい。
Twitterの規約変更で「児童の性的搾取について妄想したり、そうした行為を助長する」という文章が追加された。内面の自由にまで踏み込んでくるような文章だが、国際的には児童との性行為を習慣的に妄想している時点で正常ではない。 現実と空想の区別をつけているかどうかというレベルの問題ではなく、児童との性行為を妄想しているが、空想でとどめておける良識ある人間というものは存在しない。児童との性行為を妄想している時点で正常ではないからだ。
現実には一切関係の無い18禁漫画やイラストを守ろうとするのなら、「児童との性行為を妄想している時点で異常者だ」と信じている人たちを説得しなければならない。価値観の違いを理解せずに表現の自由を持ち出すのは筋が悪いように思う。不用意に目が触れないように、徹底的にゾーニングするしかない。


・歪んだポルノファンタジーを矯正するための「マゾ犬ソリューション」について

男性社会が偏見に満ちたジェンダー観を再生産し続けてきたことに異論を挟む余地は無い。映画で、テレビ番組で、青年向け雑誌で、漫画で、アニメで、アダルトビデオで、男性にとって都合のいい従順な女性像が形作られてきた。
男性向けフィクションは、現実と虚構の間にしっかりとした区別を付けているという建前があるが、固定化したジェンダーイメージを拡大再生産してきた主体だ。現在進行形で女性を性的商品として消費している。
暴力的な性表現や、男性に対して従順に振る舞うジェンダーロールなどの偏ったイメージを作り上げ、「現実の女性はこうあるべきだ」という一方的な妄想を押し付ける。
だが表現規制によって性的なものをすべて根絶やしにするのは不可能だ。性の存在しない綺麗な世界を一時的に作り上げても、行き場を失った男性の性欲はどこかで爆発する。
ここで私が提唱するソリューションは「男性社会が拡大再生産する性的表現を、女性にとって比較的無害なものにする」ことだ。男性向けの性表現には、レイプや輪姦などの暴力的な行為が含まれる。女性を力尽くで押さえつけ、相手が拒絶しているのに性交を強要するという性的ファンタジーが溢れている。レイプされた女性も最後には雌としての快楽に溺れるなどの、人権を無視した内容のポルノファンタジーが多いと言わざるを得ない。
しかしその偏った性的イメージは、文化的な要因によって生み出された後天的なものだ。
私たちがこの社会から追放するべきなのは、過激な性表現では無い。「女性を支配し、モノとして扱う男尊女卑的な価値観」のほうだ。男性にすり込まれている過激な性表現や前時代的な女性像を、少しずつ対等か、男性が女性に従属するようなものに置き換えていく。

それを実現する戦略のひとつが「マゾ犬ソリューション」である。
具体的に言うと、コロコロコミックあたりにおねショタまんがを載せて、男子小学生をマゾ犬予備軍として調教するのだ。少年向けラブコメでは性的表現を規制する一方で、「あ、アイスをこぼしちゃった。主人公くん、もったいないから床をなめて綺麗にしてくれるかな?」と憧れのヒロインに命令されて、主人公が喜んで床を舐めるといったシチュエーションを導入する。アイドルの握手会では、男性ファンは四つん這いになって「わん!わん!」と叫ぶ。アイドルが「お手!」と言えば、ファンは片手をアイドルの手に乗せる。
女性向けには「これからはわんちゃん系男子がブーム!」という情報で流行を作り、わんちゃん系イケメンアイドルを起用したドラマを配信する。従順に振る舞い、ときには命を投げ出すことも厭わない自己犠牲型イケメン(犬)が、あなたに忠誠を誓う! 白馬の王子様ではなくて、中世騎士道物語を彷彿とさせるロマンスがあなたを待っている。ティーン向け雑誌には「バカ犬彼氏を調教する!」という特集を組み、ジェンダー観を緩やかに歪んだものに変えていく。それがマゾ犬ソリューションの要諦だ。
「ぜんぶお前の性癖じゃねえか!」という指摘はもっともだ。しかし、よく考えてみて欲しい。女性の人格を踏みにじる暴力や性交、犯罪を肯定するポルノファンタジーと、女の子に首輪を付けられて「わんちゃん、おちんちん我慢できないんでちゅかー?」と詰られる世界。どちらが人を傷つけずに済むのかは明白だ。おなじポルノファンタジーなら、可能な限り人々が苦しまずに済む道を選ぶ。それが不可能なら自らが苦しむ。それが人間だ。

現代社会は男性の性欲を無邪気に肯定しすぎだと感じる。公共の場で理性を失って痴漢行為に及んだり、年端もいかないこどもに性的暴行を行い、数名でよってたかって輪姦したり、飲み物に睡眠薬を混ぜたりする男性が一定数出現するのは、控えめに言っても何かしらの精神障害として扱ったほうが適切だ。
女性は護身用に性欲を抑える薬剤の入った注射剤を携帯し、乱暴されそうになったら男性の太股にぶっ刺すとか、酒に逆バイアグラみたいな薬効の散剤を混ぜるぐらいのことはしたほうがいい。
個人的には男性の性欲は規制されるか、治療対象になるべきだと考えている。自分の意思で制御できないのであれば、人間では無くて犬以下だ。発情を抑えられない犬人間はきちんと躾けなければならない。そうで無ければ去勢だ。我慢できないクソ犬人間は、保健所で殺処分されても文句はいえない。
でも大丈夫。あなたはちゃんとお預けができる賢いわんちゃんだよね?