・ダンジョン道・不思議のダンジョンシリーズ


ダンジョン道はローグライクダンジョン・不思議のダンジョンシリーズへの愛から生まれたテキストだ。ローグライクはゲーム芸術である。たったひとつステータスを変えただけで全体のバランスが変化する精密機械のような構造をしている。
私はダンジョンについて語り始めるとちょっと普段より増しで気持ち悪くなってしまう。ダンジョンは芸術であり、人間の無意識領域へと足を踏み入れることと同義なのだ。

・風来のシレンにおけるゲームバランスの取り方
風来のシレンはゲームバランスを取るときに「ひとつ敵を強くしたら、味方が有利になる要素をひとつ増やす」という風に、全体のバランスに気を遣っている。それが明白に現れているのが、「敵の強化とシャッフルダンジョンの導入」だ。
天馬峠や瀑布湿原、ムゲン幽谷では、敵を強くしたりやっかいな特殊能力を持った敵を出す代わりに、視界を広げてバランスを取っている。
ローグライクダンジョンは通路でいきなり敵と鉢合わせする恐怖を感じながら、前に進む。だが「見えない恐怖」とは別に「遠くに敵が見えるからこそ感じる恐怖」を作り出すのは、ゲームに緊迫感を与える。

・風来のシレンのノロージョはセルアーマーとセットになっている。
盾を呪って外せなくなる能力と、盾を弾く能力の二つを併せてゲームバランスを取っている。しかしリメイク版だと呪いの仕様が変わって、このバランス調整が意味を失っている。
不思議のダンジョンシリーズでの呪いは「装備をつけるときに新しい力を得られるのか、それともデメリットアイテムが呪われて外せなくなるのか?」というギャンブル要素だ。リメイクシレンでは「呪われていたら特殊能力が発揮できない」という仕様だが、これは意味が無いどころか不思議のダンジョンに対する冒涜だ。そもそも呪いの新仕様によるアイテム欄の圧迫と、帯電によるアイテム欄の圧迫は効果として重複しているよな?
呪いのデメリットは、装備付け替え権の喪失による戦術バリエーションの低下だ。重装の盾を戦闘中にだけこまめに付け替えたり、満腹度を節約するために道中は皮の盾を使うなどの選択権の消失がする。それで呪いフロアを抜けた後にはご丁寧に盾をさび付かせるゲドロがでてくる。
「どれだけ盾が消耗しても捨てられない苦しみ」シチュエーションを用意して、ようやく呪いの本領が発揮される。こういう風にトータルでバランスを取る感性が好きだ。

・呪いのギャンブル性について。
トルネコの大冒険の場合は、呪いが「腕輪装備ギャンブルのスパイス」になっている。
トルネコの大冒険の場合は、もっと不思議のダンジョンに出現する腕輪のうち、11種類中3つがデメリットアイテムだ。なおかつ25%の確率で呪われている。だがシャナクの巻物やパンの巻物があるので呪いを解除する手段は多い。
「リスクを覚悟のうえで早めに腕輪を装備して、戦闘を有利に進められる可能性に賭けるかどうか?」という選択を常に迫られる。リスク・リターンを自分の意思で選択できるゲームデザインだ。

・徹底的なリスク・リターン選択制
トルネコの大冒険や風来のシレンに特徴的なのは、「自分の意思でハイリスクハイリターンな戦略を選べる」という原則を徹底している点だ。呪いのリスクとアイテムの効果を比較して、装備するかどうかを選べる。殺されるリスクを天秤にかけて、店からアイテムを盗める。寝ているまどうしを倒すかどうかを決められる。
シレンになると「ぼうれい武者が敵をレベルアップさせる」ことがあるのだが、これは完全に自分の意思では制御できない。ぼうれい武者を逃がしてピンチになる場合もある。
「自分の意思でピンチに飛び込んでいったのだから、死んでも自己責任だ」という納得感を生み出すゲームデザインだ。

不思議のダンジョンシリーズ(トルネコと初代シレン)は、丁寧に調整されたゲームバランスが美しい。
ゲームグラフィックが綺麗になって高解像度化した現在でも、ゲームバランスのすばらしさには目を見張るものがある。職人技だ。ただこれを感じ取れるのは、ほかのローグライクをいくつかプレイしてからだ。敵の配置や強さをやたらに強化したり、難しいと理不尽をはき違えたゲームバランスになっていたり、アイテムの出現がしょっぱかったりするなどのさまざまなローグライクゲームに触れて、ようやく「トルネコのゲームバランスは絶妙な案配で成り立っていたんだな……」と理解できる。