権力分散型社会としての民主主義


独裁政治と民主主義の対立ではなく「中央集権か分散型か?」という枠組みで社会を捉えたほうがいい。
インターネットではTwitterやFacebookといった中央集権型SNSへの反感が強くなり、サーバー分散型のSNSが生まれた。これはただテクノロジーだけの問題ではない。「権力は一極化するべきか? それとも分散したほうがいいのか?」という問題意識は現実の社会構造にも適用できる。
権力を集中させた方が意思決定の速度が上がるが、しくじったときの反動が大きい。権力を分散させると合議を形成しなければならなくなってスピード感が失われるが、致命的な失敗は避けられる。効率性とリスクヘッジを天秤にかけて、どちらがより自分たちのためになるのかを決定する。民主主義はすばらしいものではなくて、低リスク低リターンな組織の意思決定だ。それを支えているのは「アホに強大な権力を与えるとろくなことにはならない」という経験知だけだ。独裁で痛い目に遭った経験が忘れられてしまえば、民主主義はただの非効率的でスピード感を欠いた意思決定方法でしかなくなる。
民主主義社会にとっての危機は「独裁のデメリットを実感できなくなること」だ。戦後民主主義社会を支えていたのは理念ではなくて、「戦前の強権的な体制に比べればマシ」という皮膚感覚だった。それが失われたときに、「有能な人にエンパワーメントをして意思決定の速度を上げたほうが効率的ではないのか?」という発想が生まれる。リスクヘッジを重視するよりも、効率性や生産性に重きをおいた価値観が優勢になる。

 松下幸之助さんは「会議室で7割が賛成する意見はもう古い。7割の人に反対されるくらいの意見で丁度いい」なんておっしゃってたし、ドラッカーの本にも「満場一致なら決定するな」みたいなことが書かれてる。突出した会社や発明の多くはすごく優秀な人が強いリーダーシップでいろいろなことを決めたからああなってると思います。
小籔千豊 「行きすぎた民主主義よりは独裁のほうがええ」|NEWSポストセブン

この記事で違和感を抱くのは意思決定の例として松下幸之助やドラッカーといった企業の事例が持ち出されることだ。独裁国家ではなくて株式会社が、民主主義社会の対として扱われている。政治での意思決定と、営利企業にとっての意思決定を同一視している。効率的に社会を運営するためには、企業のような組織が望ましいと考える。内田樹はそれを「日本社会の株式会社化」と呼んでいる。

「株式会社化」というのは、「すべての社会制度の中で株式会社が最も効率的な組織であるので、あらゆる社会制度は株式会社に準拠して制度改革されねばならない」というどこから出て来たか知れない怪しげな「信憑」のことである。
大学の株式会社化について - 内田樹の研究室

利潤を追求する企業と、国民全員を食わせていかなければならない国家を同じ尺度で論じるのは、公平ではない。企業は四半期ごとの業績によってその良否が判断されるが、国家は何十年も先を見据えて運営されなければならないからだ。
しかし「軍事政権だって、いいじゃない」という学生たち:朝日新聞GLOBE+という記事では、「もし絶対的なリーダーがいて、正しい道を分かっているのなら、その人に任せた方がいいのかなと思います」という女子学生の意見が語られる。

「軍政が良いという学生は、5年前ならクラスに1人か2人だった。でも今は、『どちらかといえば』も含めると、半数近くになってきました」 舛方氏はこう付け加えた。「もちろん、その後に、軍政の悪い側面を強調して伝えると、『やっぱり民政の方が良いですね』と前言を翻す学生もいます。ただ、現在ブラジルで広がりを見せる右派ポピュリズムも、軍政のネガティブな側面をできるだけ伝えず、ポジティブな部分を強調する傾向にあるので、日本の学生たちが軍政がよいと直感的な印象を受けた割合も、あながち間違いではないかもしれません」
「軍事政権だって、いいじゃない」という学生たち:朝日新聞GLOBE+

より効率的で、意思決定が速いシステムを求めた結果、独裁制や権力の一極集中を肯定してしまう。それを右傾化や全体主義という言葉だけで片付けるのは、思考のサボタージュだ。左派は民主主義プロセスを無視した安倍政権の政権運営を非難するけれども、自民党支持者には**「マジョリティの意見を大切にして、意思決定のスピードを上げる効率的な政権」**に見えている。強権で少数派を押しつぶすのは欠点ではない。部分的に痛みを強いるけれども、最終的には国益になることだから我慢しなければならないこととして受け止められる。
自民党支持者が求めているのは独裁制ではない。「少数を犠牲にする代わりに、国のパフォーマンスを上げられる効率的なシステム」だ。それを無視して、民主主義を守ろう!と言っても誰も耳を貸さない。左派の訴える民主主義は「皆を大事にした結果、国のパフォーマンスが発揮できずに共倒れになってしまう」非効率的な制度だと思われているからだ。
日本全体のパフォーマンスを最大化するために、少数派には我慢をしてもらう。この論法に日本国民は慣れ親しんでいる。労働者が権利を過度に主張すれば、日本経済に悪影響を与える。沖縄県民が基地移設に反対すれば、国防政策にほころびが生まれる。自分たちが我慢をすれば、全体のパフォーマンスが上がり、回り回って自分たちにとっての利益になる。犠牲になりたくなければ、集団内でうまく立ち回らなければならない。ただ反対するのは集団の和を乱す不穏分子だ。
民主主義は面倒くさい。が、その面倒臭さがリスクヘッジシステムとして機能する。面倒くさいと思ったのなら、民主主義は正常に機能している。けれどもその面倒くささをメリットとしてアピールできていない現状を見ると、民主主義は死ぬしかない。物事を決めるための制度では無くて、致命的に邪悪なものが力を持ち得ないようにするものだからだ。
それは民主主義社会と呼ぶよりも、権力分散型社会の方が実態に即している。