・断片化して、彩度が高くなった言葉について。
数年ぶりにTwitterのアカウントを取得したのだが、タイムラインに流し込まれる言葉の渦を見て吐き気を催してしまった。何人もの人間の言葉が細切れになって、脈絡も無く画面に映し出されている。そのとき話題になっていた時事問題についてのコメントが、24インチのディスプレイにびっしりと表示されている。
文脈を欠いた言葉の断片しかない。思考の流れは断ち切られ、文章の構造を持たない感情の群れになる。そんな感覚を覚えてしまったので、タイムライン型のSNSを使いたくない。
文章にはパラグラフがあって、流れがあって、構造がある。主要なトピックがあり、最初のパラグラフで書ききれなかった部分を補足する文章があり、結論がある。ときには一つの主題を基点にして、まったく異なった話題に転調していくことも珍しくない。
文章の構造性が破壊されて、細切れになった言葉の残骸だけが残される。強い感情を未加工のままで垂れ流したような、彩度の強い言葉だけになる。
ぎらついた配色デザインのポスターを見ていると、目に色彩が刺さる。彩度の高い感情的な言葉を目にすると、それが脳みそに不愉快な方法で刺さってくるように感じられるので、SNSで使われている言葉にはあまり近づきたくない。
短い文章で言葉に強度を持たせるためには、どうしても感情的な言葉に頼らなければならない。皆が強い感情のこもった言葉を使うから、過度に感情的な言葉でタイムラインが埋め尽くされる。その感情の群れに飲み込まれるのは、あまり心地の良い感覚ではない。
・感情の群れを操作する技術
スマートフォンとSNSの普及によって劇的に変わったのは、言葉のあり方だ。これまでは一人の人間が書いた文章がメジャーなものだった。構造があって、最初から最後まで一人の人間が書いた一貫性のある文章を読んでいた。けれども、いまでは「感情の群れ」が支配的な言葉の形になった。
何千人、何万人、何百万人もの人間が生み出した断片的な感情の群れに飲み込まれて、自分自身もその群れを構成する一匹の生き物になる。
その中で「感情の群れを操作する」技術が影響力を増した。
牧羊犬が羊の逃げる方向をコントロールするように、インターネットユーザーの感情を刺激して、群れをひとつの方向へと誘導していく。そういった種類の言語運用スキルが重要になった。
これまでは自分の言葉を増やすためには、テレビ放送や出版の力を頼る必要があった。でもネット上で自分の影響力を増すためには、他者の感情をハックした方が早い。感情を煽り、群れを操作することで影響力を増す。「共感が大切」だと言われるのは、それが感情をより効率的に複製できる手段だからだ。
でも自分たちは影響力を行使する側ではなくて、追い立てられる羊の方だ。何かしらの目的のために動員されたり、誰かにとって都合よく操作される側にいる。自分の意思で牧羊犬から遠ざかっているように思えても、それは自由意志とはほど遠いものだ。