・陰府歴程篇(8)ローグライク的生存
『自傷行為、自殺願望、うつ症状などがあるときには、自分以外の人に助けを求めましょう。うつ症状、孤独感、薬物乱用、病気、人間関係の問題、経済的問題などの理由で悩んでいる方は、セーフティセンターに掲載されている支援機関に相談することができます。』
……というメッセージがインターネットに表示されたときに思うのはただひとつ。うるせえ!てめえに俺の苦しみはわからねえ!!という憤りにも似た感情だけだった。SNSに死にたいと投稿した段階で、運営から自殺防止メッセージが送られてきたり、公的なサポート窓口を案内されるのは個人的には余計なお世話だ。
自殺願望は異常なもので、すぐさま公的な医療機関によって治療されなければならない。そう考えている人間に俺の自殺願望は癒やせない。死にたいときに生者側の価値観で語りかけようとしても、棺桶に片足を突っ込んでいる人間には届かない。
前向きな言葉、明るい笑顔のイラスト、あなたはひとりじゃないよ、周りに相談しよう、医療機関で鬱病を治そう。……と言われても、そういう明るい人間の世界に背を向けたくて自殺したいんだ。
一回自殺未遂で病院に運ばれてもなお、そんな言葉を口にできるのなら信じてもいい。だがあいつらは死の影については無知に等しい。カウンセリングを受けて抗うつ剤を飲めば治るものだと思っている。細長いものを見るたびにこれで首を吊ったら楽かな?と思ったり、電車に乗るたびに線路に引き寄せられていく引力を感じたことがない。おれが閉じ込められている暗闇の深さを知らない。
生きようと思って生き延びられるのならば、ここまで苦しんでいないのだ。おれはそのうち死ぬかも知れないが、それは自分の意思ではどうにもならない。心の中にある生存パワーが一つずつ減っていって、それが尽きたら自殺する。死にたいとは思っていないが、パワーが尽きたら生きていられる自信は無い。騙し騙し生きていくけれども、死なないと確約はできない。
トルネコの大冒険というローグライクゲームがあるのだが、ダンジョンの深層になるとまともに敵と戦えなくなる。体力が満タンでも、一匹仕留めるだけで瀕死状態になる。手持ちのアイテムを一つずつ消費して、死を先送りにできるだけだ。使えるアイテムの数=自分の寿命だ。目の前の敵を退けるたびに命がすり減って、死に近づいていくのがわかる。自殺に対して抱いているのはそのイメージが近い。
アイテムが尽きるまでは可能な限り抵抗するが、無くなってしまったら死ぬしかない。道中でベビーサタンを狩るとアイテムが手に入るのだが、それでも十分とは言えない。我々もまた、自殺という敵に立ち向かう道具を手に入れ、無事に生者の世界に生還することが目的になる。
それが不可能なら、自殺するまでの日数を一日、また一日と先送りにしていくことができるだけだ。一ターン稼げばゲームオーバーになるまでに一ターンの猶予が生まれる。その感覚で死を一日だけ先延ばしにする。自殺者数を増やさずにいるのだから、その点は感謝されるべきだと開き直るのもよい。