・陰府歴程篇(10)【バイノーラル】みんな生きているのが辛い。


みんな生きているのが辛い。宗教や政治の話をする前にまず、みんな生きているのが辛いんだなって思うようにしている。辛くなければ神や思想、社会変革を必要とするはずがない。生きているのが辛い、差別されるのが辛い、人間として扱われないのが辛い、とにかく自分でも何が何だかわからないけど辛い。でも直接、「私は辛いです。しんどい。助けて」と言えるほど強いわけでは無いので、「私は正しい、間違っているのは他者や社会だ。このような論理的・倫理的な間違いがあるために私は苦しんでいる。私が苦しむような世界は変えられなければならない」という風に論理で武装する。
神経が図太くないと「わたしは社会的弱者です♪生きていくのが辛いので、みんな助けてねっ!」とは言えない。そう言えるのなら十分に強い。生きていくのが辛くて、これ以上、自分の一番柔らかい部分にローキックを加えられれば簡単に自殺してしまうぐらいに傷つけられている。
傷つけられると徐々に踏ん張れなくなる。健康な人ならちょっとした風邪なら自己免疫が退治してくれるが、弱っていると命に関わる病気になる。心もそれと同じで、普通の人が簡単に耐えられるようなストレスにも潰れてしまって、受け流せるようなこともまともに受け取るぐらいに疲弊する。
私たちに必要なのは「生きているのが辛い」ということをそのまま伝えられる相手だったり、場所ではないのか。男性と女性とでは問題解決の方法が違うと言われる。男性に問題を相談すると、どうすれば解決できるのかという方法論の話になり、女性の場合は感情に共感することを重視すると言われる。
これまでは解決策ばかりを強調しすぎて、共感をおざなりにしてきたのでは?

……ということを同人音声を聴きながら考えていた。

同人音声について言及しなければいい話で終わっていたはずだが、これらは我々に叡智を与えてくれるのでないがしろにするわけにはいかない。
インターネットには怒りと嘲笑が満ている。他者を罵り、傷つけ、損ない続ける邪悪な力が満ちた世界に生きる間に、心を開く方法を忘れていた。
いつ、どこから、他者を損なう種類の言葉が飛んでくるのかわからない。それが自分に向けられたものではなくても、他者が傷つけられるだけでも巻き添えになってダメージを受ける。ストレスフルな環境にさらされることで、常に自分が緊張していることに気がつく。防御を固めて、いついかなるときに攻撃されてもダメージを最小限に抑えられるように、神経を絶え間なく緊張させる。
他者から傷つけられることを恐れるたびに、どうやって心を開けばいいのかを忘れてしまった。その感覚を取り戻したのが同人音声のラジオ風フリートークを聴いているときだった。
みっどないとるっせー(詰め合わせ) [+ ucca ∫ ucca +] | DLsite 同人 - R18
深夜ラジオ風というのが個人的なツボで、深夜に夜更かししているときにAMラジオをつけて耳を傾ける。そのときは心の装甲をすべて外しているから、DJの言葉が身近に感じられる。インターネット配信で24時間いつでも好きなときにコンテンツを視聴できるようになった現在だと、逆に新鮮に感じられる。
同人音声界隈は10年ぐらい前のインターネットの肌触りが残っているような気がするし、何よりも落ち着く。いきなりクソリプが飛んできて罵られることも無い。「マゾ犬くん」とか「役立たずの包茎ちんぽ」とか嘲笑されることがあるがそれは自己責任だ。
なんというか犯罪者や汚職政治家を批判したくなるときにも「この人も赤ちゃんの頃があったんだよな……」とか「あんよが上手だねー。お利口さんだねー、と愛されていた頃があったのだろう」と思うと悲しくなってしまった。
これもダライ・ラマの本に書いてあった慈愛の瞑想を通じて、生きとし生けるものへの慈しみが芽生えたのであれば美談になるのだが、実際には赤ちゃん言葉で語りかけられる同人音声を聞き終えたあとに、「人は皆、愛されて生まれてきたはずなのに……なんで……」という気持ちになっただけの話だ。

はー(ため息)。正論とか論理を振り回して白黒をつけるような人間では無くて、遍くすべての命に慈しみを注げるようなインターネットおねえちゃんになりたい。
「よしよし、今まで辛かったね。辛いことを人に話すのも勇気がいるよね。打ち明ける人によっては、余計に傷ついていたかも知れないね。でもだいじょうぶだよ。おねえちゃんはあなたを決して傷つけないよ。あなたが何で苦しんでいるのかまではわからないけど、生きているのが辛いってことだけはわかるよ。ほら、おねえちゃんがあなたのこと、ぎゅーってしてあげるね。ぎゅーーーーーーっ♪」(※お好きな姉キャラの音声でご再生ください)……という感じで、全人類に優しくありたい。

しかし優しさは有限リソースなので、自分が幸せだったり満たされていないと駄目なのかもしれない。炊飯器に米が残っていたら「おなか減ってる? おにぎりつくってあげるよ」と言えるけれども、自分が空腹だったら子供が持っているおにぎりを殴ってでも奪い取っている。
善良な人間では無いので、炊飯器が空になっていない限りの優しさしか持てない。自分も餓えているのに、「おねーちゃん、もうおなかいっぱいだからあなたが食べてね」とは言えない。