・異質さの交易。
意見の違う人間の話は聞かなくていい。不愉快な発言をしているやつは即ブロックしたほうが精神衛生上好ましいし、すべての人間の言い分を理解する必要はない。話し合えば理解できるというのは幻想に過ぎない。言葉を交わしても徒労に終わるし、何の意味も無い。思想信条の異なった人間の言葉には耳を傾けない方がいい。
……というのはコミュニケーションの労力を削減するためには好都合なのだが、異質なものを排除するメンタリティが常態化していく。不愉快なものを切り捨てて行く過程で、両手で耳を塞いで自分の喋りたいことだけをまくし立てるようになりかねない。異質な他者を喪失していって、自分と似た思考を持った人間しかいなくなる。そうなると他者だと思っている人たちは皆、鏡に映った虚像と変わりが無くなるのでは?
だからといってすべての人の言葉、立ち位置、発言を平等に受け止めるリソースは捻出できない。
「話し合っても無駄」ではなくて、どうしたら対話のためのプラットフォームが成り立つのだろう? 異質な価値観をパージせずに、それでいて疲弊することなくコミュニケーションが成り立つのか?
おそらく「話し合う」ことと、自分の価値観を相手に押しつけて改宗を迫る行為との区別がついていないのかも知れない。話し合えばわかるというのは、下手をすると傲慢な行為になりかねない。「冷静に話し合えば、相手は自らの無知や愚かさに気がついて、私が正しいことが伝わるだろう」といった、相手を見下した態度になる。でもそれは話し合いとは正反対のプロセスだ。
商品を交易するように、異質な価値観をトレードする。正しいものを押しつけるのではなくて、商品のプレゼンをするように思想や信仰、主張のどこが画期的で、すばらしいものなのかを説明しないといけない。それを欠いて相手の価値観を無視すると、思想の押し売りになる。そうなると、自分の言葉や価値観は、邪魔なスパム広告と同じものに堕してしまう。
以前から「Adblockerじゃなくて政治的発言ブロッカーが欲しい」と言っているのは、見たくもない広告を見せられているのと同じような感覚になるからだ。
コミュニケーションは自分の意見という商品を売りさばく交易みたいなものなので、礼儀正しい信頼できる売り手にならないといけない。人を欺くような方法で商品や言葉を押しつけていると、「上手いこと言って自分を騙そうとしているのではないのか?」という疑心暗鬼が広がっていて、交易が成り立たなくなる。
老人を騙して保険に加入させたり、判断力のない人間を騙して高額な商品を買わせるようなビジネスプランを多く見る。目先の利益を重視するあまりに、長期的な信頼関係を安値で切り売りして最後には大損する。
コミュニケーションでも「短期的に馬鹿を騙せればいい」という種類の言葉が多くなっていって、取引が成り立たない市場みたいになっている。ジャンクな情報を掴まされたり、口先だけの言説に騙されている間に「こいつらの言葉に耳を傾けるのは無駄。目を合わせると強引な押し売りに引っかかって時間を浪費するから、最初から無視した方がいい」という諦観が蔓延していく。
他者の意見を強引に押しつけられることにうんざりしているから、まっとうな方法で商取引をしたくても「なんだよ、また押し売りかよ。帰れよ詐欺師野郎!」と思ってしまう。「またいらっしゃたんですか? この前勧められた商品は良かったですよ。今度も何かいい話を持ってきたんでしょう。お茶を煎れるので、ちょっと待っててくださいね」と思われるように言葉を使わないと、伝わるべきことも届かなくなる。