・言葉が現実に追いついていない感覚。


言葉が現実に追いついていない感覚がある。周囲で起きている出来事に前例が無い場合、手持ちの言葉では適切に現実を解釈できなくなる。言葉はウイルスに対する抗体に近い性質を持っているのかも知れない。身体にウイルスが入って初めて免疫ができるように、壊滅的な出来事が起きてから言葉が作られる。もしそうだとしたら、一番はじめに起きた出来事はどうやって言葉で捉えられるのだろう?
ファシズムという概念が無かった頃に、どうやって目の前の現象を言い表していたのか。まだ生起したばかりの出来事をどの言葉で言い表すのか。現実を把握するための適切な言葉を欠いたままで、目の前でまだ名付けられていないことが起きる。ある出来事に名前が与えられるまでのタイムラグの中にいる感覚がこそばゆい。
第二次大戦もある程度俯瞰的な情報を得られたのは戦後になってからだと思う。そのときには自分たちが何に巻き込まれているのかもわからずに、翻弄されていた。手探りのまま、どういう状況にいるのか、後世に置いて自分たちのしていることがどんな意味を持つのか。
そういったことがまったくわからないままに、昨日までの言葉を使って現実を解釈するしかなった。今目の前で起きていることを、これまでに慣れ親しんでいる言葉を使って理解しようとする。それは全く新しい出来事が起きているときには悪手になる。

リベラル派は「安倍政権は戦前回帰だ」と言うけれども、これは昨日までの言葉で現在を解釈する典型例だ。もしかしたら世界史上で前例の無い出来事が起きているのかも知れないけれども、第二次世界大戦時の言葉でしか現実を解釈しようが無い。善し悪しの問題では無くて、そうせざるを得ない。あるいは1984などのフィクションを持ち出して現実を理解しようとする。
昨日までの言葉に頼ることでしか現実に起きていることを解釈できないのだが、それは現時点では不適切なのでは? 情報技術が急激に発展して民主主義の基盤をむしばんでいるような現在において、昨日までの言葉だけに頼るのは危険な行為だ。
現実認識で常に後手に回っていて、言葉で捉えられたときには手遅れになっている。現実が言葉で表現できる範囲から一歩も二歩も先に進んでいて、何が起こっているのかもおぼろげにしかわからない。そういう状態に巻き込まれているのだが、何か変わったことが起きているという実感も無い。
地球温暖化は緩やかに進んでいくので、人間の時間感覚では危機感を持てない。それと同じような、言葉で捉えない限り存在していることにも気がつかないような危機の中にいるような感覚がある。
自分の気が狂っているのかも知れないし、考え過ぎなのかも知れないし、正常性バイアスに飲み込まれているのかも知れない。異常なものを異常だと認識するセンサーが鈍くなっていって、現実を適切にレビューできなくなっているのだが、感覚が使い物にならなくなっていることに気がつかない。