・狂人の国から


「自分の気が狂っていているのではないのか?」とふと思ったのだが、気が狂っている状態を客観的に理解するのは難しい。
個人的な狂人の定義は「自分にしか通じない論理で思考を組み立てる」ことだ。狂人は端から見ると支離滅裂なのだが、頭の中には自分にしか理解できない常識と論理展開がある。社会の多数派と思考の前提条件を共有していないために、気が狂っているように見える。
気が狂うというのは思考が支離滅裂になるのでは無くて、主観的には冷静で論理的な精神状態なのかもしれない。
「実は地球は球体じゃ無くて、四角形なんだよ」と言われても、精神が健常な人間なら「そんなはずはない」と思う。統合失調症の患者が、荒唐無稽な妄想の誤りを指摘されたときの感覚はこれに近いものであるという。力尽くで妄想を捨てさせるのは、自分たちが地球を四角形だと信じるのと同じぐらい困難だ。

・言葉が現実を超過すると気が狂う。

少なくとも今の自分に言えることは、「言葉が現実を超過する」と多かれ少なかれ気が狂うということだ。現実がどうなのかよりも、頭の中だけで築き上げられた脳内現実を、そのまま現実世界に投影する。それが「言葉が現実を超過している」状態だ。
脳内で作り上げられたイメージの中で生きているのに、自分では現実を客観的に把握していると勘違いをする。
言葉が現実を超過する状態は、珍しいものではない。聖書が絶対的に正しいと信じたり、不完全な社会主義思想をそのまま現実に押しつけて大量の餓死者を生んだり、大東亜共栄圏を作り上げなければならないと盲信して戦局が見えなくなる。これらはすべて言葉が現実を超過してしまった事例だ。
頭のおかしい宗教や狂ったイデオロギーもない。言葉を絶対的なものとして盲信して、それ以外の可能性に聞く耳を持たなくなる人間がいるだけだ。
保守やリベラル、思想や信仰で物事を分けるのでは無くて、「言葉と現実のバランスが保たれているか?」に注意を払った方がいいのかも知れない。
どんなに客観的に振る舞っていても、自らの脳みそを通してしかこの世界を把握できない。私たちの現実認識は、小さい脳みそで理解できるレベルにまで圧縮・劣化したものでしかない。
それを忘れてしまうと脳内妄想世界が現実をねじ曲げ始める。 自分にとって都合良く現実を解釈して、「こうあるべきだ」という妄想を押しつける。人間である以上、なんらかの形によって現実を歪めているのは仕方がないし、多かれ少なかれ無自覚の狂気を抱えているのかも知れない。
狂気から逃れるにはどうするべきか。自分が狂人かどうかのチェックリストを作って、正常な精神状態を保とうとするのもそれはそれで狂人の一ジャンルという気もするので、他人に危害を加えない限りはすこしぐらい気が狂っていてもいっかー☆ という気持ちになっていた。
狂気から逃れることが不可能でも、すでに頭がおかしくなっているとしても、人畜無害な狂人にはなれる。