2020年10月~2022年ぐらいに書いた文章


・このテキストはだいたい2020年から2021年に書いたものである。


・幸福そうに思われたい戦争

「私はあなたたちに比べて幸福な人間である」と、表面し続けなければならない状態のことを幸福そうに思われたい戦争と呼んでいる。
自分が本当に満たされているかよりも、他者からどう思われているかの方が気になる。不幸で、みすぼらしく、欠落した人間であると他人から思われてはいけない。私は満たされていて、こんなにも人間関係に恵まれていて、多くのものを持っている。私は幸福な人間だ。
そう思われるためだけに「幸せな自分」という虚像を作ったり、他人が作った「幸せな他者」のイメージと自分を比較して苦しんだりする。その傾向はSNSの登場によって加速して、「私はあなたたたちよりも幸福である」と表明し続けることが可能になった。
幸福の競争社会めいたものに巻き込まれていて、いまの自分が持っているもので満足できなくなっている。比較しなければいいとわかっているのに、どうしても他者と自分を比較せざるを得ないような環境にいるから、「他者よりも幸福でありたい」という欲求が絶え間なく刺激される。
比較をしなければそこそこ幸せだけど、他人と比べると自分の持っているものが色あせて見える。SNSやメディアなどを見ていると、自分以外の全員が幸福な人間に思える。自分の幸せを、他者との相対値でしか理解できない。子供が友達と同じおもちゃを欲しがるみたいに、他人の持っているものと同じ幸福が欲しい思う。
でも、そういうのが面倒くさくなってしまったので、幸福そうに思われたい戦争からは離脱して、ゆったりやっていきたいという気持ちになった。自分が他の人と比べて幸せかどうかを測っていると、与えられた幸福を値踏みするようになる。それって自分に関わってくれた人たちをないがしろにしているに等しいから、失礼なことだと思う。
幸せになりたいと思っていても、それがどういった性質の幸福かで取るべき方法は変わってくる。物質的な欠乏を満たしたいのか、他の人と比べて疎外感を覚えたくないのか、ちやほやされて良い気持ちになりたいのか、現実的では無い望みをかなえたいと思っているのか。
間違った形の幸せを追い求めると、余計に苦しくなってしまう。手に入れても渇きが酷くなって満たされなくなる。ここ最近思っていることだけど、無理に幸福を外部に求めるのではなくて、「このままでもいっかー」と現状を肯定するのもひとつの選択肢だと考えようになった。
欠落している部分やみすぼらしいところを無理に隠したり、美味しくて見栄えの良いご飯を食べているようなイメージを作らない。それなりに不満な部分もあって、そこそこ幸せ。元気なときもあれば、メンヘラ気味の日もある。
比較しなければ満たされているのだから、それでいいじゃん。


・他人に迷惑を掛けるリテラシー(途中から授乳カフェ怪文書)

日本社会には長いこと住んでいるけれど、他人に適切に迷惑を掛ける方法については教わった記憶が無い。困ったときに他人に頼る方法と、誰かに頼られたときに負担にならずに力になるためのノウハウが欠落しているのが、日本特有の生きづらさにつながっているのでは無いのか。
菅首相が「自助・共助・公助」を掲げていたが、誰にも頼れなくなってからではないと公共の福祉にアクセスできないのは問題だと思う。家族や地域コミュニティだけに過度の負担が掛かって、支えられなくなったところから潰れていく。そうなると公助にかかる負荷が高くなる。自助・共助・公助のすべてを駆使して全体の負担を分散したほうが、結果として公助に費やされる税金を削減できると思うのね。
「自助・共助・公助」というスローガンは「誰にも迷惑を掛けてはいけない」という呪縛を強化するものに聞こえる。自分一人で耐えることと、男性の自殺率の高さやジェンダーロールに縛られて弱音が吐けないというのは、「どうやって他人に頼ったらいいのかわからない」という点では同じ問題だ。
迷惑を掛けたり、掛けられたりするためのスキルとリテラシーが乏しい。上手に甘えたりできないし、適切な方法で困った人を支えられない。人に迷惑を掛けないことが美徳になっていて、自分一人で抱え込んで潰れるのか、少ない助力者に負担を掛けすぎて共倒れしてしまうぐらいしか選択肢がない。
ちょっと前に「人生無理バーで発達障害者の男性が出禁になった」という文章を読んだ。これは誰が悪いわけでもなくて、負荷が一点に集中しすぎてどちらにとっても不幸な結末になってしまっただけだと思った。
金銭的な問題、精神や認知の歪みに関する問題、肯定感を得られるコミュニティに所属できない問題、自分を受け入れてくれるパートナーに巡り会えない問題などが切り分けられないまま、生きづらさを抱えなければならないのは本当にしんどい。
「より多くの依存先を作ることが自立することです」と言われても、切羽詰まった人間が取れる選択肢では無い。負荷を分散できる対人スキルをもっていないから、自分の苦しみを理解してくれる人間が一人でも目の前に現れると全力で縋りたくなってしまう。
でもそうすると相手が疲弊して共倒れするか、見捨てられるしか選択肢がなくなる。100の生きづらさがあるとして、一人の人間が受け入れられるのは1か2ぐらいだ。それ以上の苦しさを受け止めてもらおうとすると相手が潰れてしまう。
「依存先を分散すること」が最適解だが、それができないからみんな生きづらい。いのちの電話がつながりにくいのだって、苦しさを伝えられる場所がないことの裏返しだ。
私は「自分がいなくなれば全部解決する」と思ってしまうタイプの人だ。他人に関わって迷惑を掛けるよりも全部自分のせいにしてしまったほうが楽だと感じる。他人にどうやって適切な迷惑を掛ければいいのかわからない。
でも仮に、自分の友達が「自分が死ねば全部解決する」と思っていたら、「それは違う」と説得すると思う。そんなんじゃなにも解決しないし、自殺するぐらいなら恥も外聞もかなぐり捨ててでも生にしがみついて欲しい。
人にはそう言えるけれど、自分のことになるとネガティブに考えてしまう。
自分に優しくできないのなら他人に優しくすればいい。他人に優しくできるのなら、その感情をちょっとだけ自分に向けてみる。そうするだけで自分は気が楽になった。
—ここから授乳カフェの怪文書です—
どうしてこんなことを考えているのかというと、私はVRChatの授乳カフェという場所でママをし始めたからだ。慈善事業でやっているのではなくて、赤ちゃんに優しくするのは8割ぐらいは自分のためだ。自分に掛けてあげられなかった言葉で語りかけて、自分に向けられなかった優しさでいたわる。
実際にママをやって驚いたことがある。自分がこんなにポジティブな言葉を発せる人間だとは思わなかった。人に優しくした分だけ、ほんの少しだけ自分にも優しくできるようになった。無償の愛ではないけれども、みんな自分のことを大切にして欲しいと思っているのは本当だし、みんなには自分自身も含まれる。苦しい気持ちをすべて受け止められないけれども、甘えることで少しでも楽になってくれたら嬉しい。私もしんどくなったら泣き言を言う。
「弱い人間であること」を前提にする。それが生きやすいコミュニティを築き上げていくために必要不可欠なことだと思っている。この世界でいちばんか弱い存在は赤ちゃんだ。赤ちゃんに厳しい社会は誰にとっても生きにくい。満員電車のベビーカーが非難されたり、時には赤ちゃんの泣き声が騒音問題になったり、保育園の待機児童問題を外側から眺めていると、日本社会は授乳カフェと真逆の価値観で動いていることに気づく。赤ちゃんが存在することを否定するアンチ・ベイビー社会である。これでは少子化問題は解決しない。
かつて毛沢東は「政権は銃口から生まれる」と言ったが、暴力を振りかざすたびに社会の分断が深まっていく。乗り越えるために銃ではなくてほ乳瓶を手に取る。それだけでいい。美少女アバターをまとってほ乳瓶を持つことは、現代で最もラジカルな政治思想だ。


政治ASMR

政治家のASMRを聞きたい。拡声器で候補者の名前を連呼するのはもはや時代後れである。ナチスドイツは当時の最先端技術だったラジオを徹底的に活用して、政権の支持基盤を固めた。SNSが政治に及ぼす影響は計り知れない。その流れで考えるとASMRが政治利用されてもおかしくない。なんで政治家はASMRを収録しないの?まじでいみがわからん。
イケボ政治家に耳元で「僕は君を誰よりも大切にするよ……。絶対に見捨てたりなんてしないよ。だから、いっぱい投票(いれ)て欲しいんだ……。清らかな君の一票、僕に投票して?ね?」って囁かれたくない?
政治的にアジテーションするときも、双子のメスガキに右耳から「あっれー? 社会の理不尽に負けちゃうんですかー? まー、権力に刃向かう気持ちを去勢されたよわよわ大人だから、しかたないっかーwww、なっさけなーい♪」となじられ、左耳から「先人が必死になって勝ち取った権利も、人権も、全部捨てちゃうばか大人♪ばーか♪ばーーーか♪ ばかじゃないなら、立派な有権者であるという証拠を見せてくださーい♪」と罵られたい。CVは一ノ瀬りとで頼む。
でも私はメスガキ音声ではわからせるよりも、敗北する側だ。こんなことを囁かれたら本当に負けてしまう。
ここまでハードな政治ASMRである必要は無いのだが、声の良い政治家に耳元で延々と囁いて欲しいという気持ちはある。聞いていて気持ちいい言葉遣いとか、穏やかな口調とか、耳元にすっと入ってくる文章とか、人の気持ちを動かす技術など、ASMRから学ぶものは多い。
その手法を体得した政治家が日本の運命を左右するに違いない。なので『双子のメスガキ政治家・おにいちゃんは一生、低賃金で働くマゾ犬経済奴隷ね♪ 嫌なら抵抗してもいいけど、長時間労働で尊厳を破壊されたマゾ犬には無理だよねー♪ざーーーーこ♪』がリリースされたら知らせてください。


・辞書沼

「文章力は即座に引ける辞書の数に比例する」という翻訳家の言葉を知ってから、ちまちまと電子辞書を集めている。すぐに辞書を開いて、語義や用例を確認できるのは心強い。辞書を複数用意して検索しやすい環境を整えておくと文章の精度が高くなる。
あとは百科事典や類語辞典などを揃えておくと、知らない事柄の概要を把握できる。Wikipediaなどの不確かな情報に惑わされることが無くなるのも長所だ。
言葉の世界は面白い。漢字圏とインド・ヨーロッパ語族でも、言葉による世界の切り取り方が違う。一つの事象を表すにも様々な言葉の違いがあって、その差異を調べているだけでも時間が潰れていく。
言葉の成り立ちを知りたいという欲望を満たすために、英英辞典や英語シソーラスを集めていたらいつの間にか辞書沼に嵌まっていた。昔から辞書を読むのが好きな子だったからこの流れは必然だった。
ちなみに好きな辞書は、英語の語源が調べられるランダムハウス英語辞典と、文章の用例が載っている学研国語大辞典だ。


・『NHK基礎英語 これだけ英単語300』を買った。

VRChatで外国の方とお話しをする機会がたびたびあるのだけど、英会話が致命的にダメで「おれ、おまえ、ともだち!」「おまえ、おれに教える!すてき世界!」みたいな蛮族イングリッシュしか使えない。
中学生にも理解できる簡単な英単語を使いこなせるようになりたいと思い、『NHK基礎英語 これだけ英単語300』を買った。CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)のA1、A2だけを集中的に学習して、簡単な言葉で英会話を喋れるようになる!……というコンセプトの本だ。
統計データを利用して、頻出する英単語を集中的に学習するというコンセプトが私は好きだ。SVL12000やThe Oxford 3000、『NHK100語でスタート!英会話 コーパス練習帳』などは統計のパワーをフル活用して語学学習を効率化できる。
あとは実践あるのみだ。外国のバ美肉おじさんに「You look very pretty!」と語りかけてなで回したい。


・孤独を分かち合うことの親密さについて

飲み会や人との集まりのあととか、VRChatを終えてヘッドセットを外したあととか、楽しかったはずなのに無性に寂しくなってしまう。それで寂しさを紛らわせるためにTwitterやSNSのタイムラインを眺めて時間を潰してしまうときが多い。寂寥感や空虚さ、孤独から逃れるための鎮痛剤としてSNSを使っているところがある。SNS中毒を治したいと思っていても根本的な孤独感が癒えていないので、いつの間にかタイムラインを延々と眺めてしまう。
誰かと繋がっているときにだけ孤独感を忘れられる。それが無くなってしまうと、「私は孤独である」ということを直視しなければならなくなる。向き合うのは苦しいから、手軽な方法で孤独を忘れられるような娯楽だったり、SNSに耽溺する。
苦しみから逃れるためにドラッグを使うみたいに、孤独感を紛らわせるために人間関係に依存している気分になる。人と繋がっていることを確認するためにだけ、人と繋がっている。コミュニケーションが途切れてしまえば、人間関係が断絶してしまうかも知れない。その恐怖に突き動かされて、強迫的にコミュニケーションを取っている。
これはヘンリ・ナウエンというキリスト教司祭の受け売りだけど、孤独は解消するものではないのだという。誰かや何かが自分の孤独感を完全に消し去ってくれると期待するのでは無くて、孤独を感じている人間が、互いに感じている孤独を分かち合える場所を提供することに宗教の役割がある。著作でそういうことを書いていた。
無理に孤独感を埋めようとして、逆に苦しくなってしまうときも多い。そういうときには無理に人と繋がらなくてもいいと思う。「私たちはみんな仲良しである」という幻想を作り出して自己欺瞞に陥るよりも、「私は孤独である」ということを分かち合える関係性のほうが自分は好きだ。


・SNSコミュ障になって、依存から脱却する。TwitterやSNSを使っていることが生活上の負担になりつつあるので、使い方を制限している。

SNSが睡眠時間や余暇を圧迫していること。気を抜くとタイムラインをぼんやりと何十分も見続けてしまうときが増えたことや、ネガティブなニュースや話題の影響を受けやすいこと、承認欲求が満たされることに依存しているなどのデメリットが看過できなくなってきた。
特に社会問題などをSNSで読んでいると負の感情に感染するので、なるべくスマホでアプリを開くことを控えたい。

・SNS限定コミュ障化戦略
インターネットコミュ障になって社会性を喪失すれば、SNSで時間を浪費せずに済む。これがSNSコミュ障化戦略である。
人間は社会的動物なので、群れから疎外されるような言動を恐れる。
SNSを制限するうえで「これまで築き上げた人間関係が崩れないだろうか?」「嫌われないだろうか?」と心配になるが、もともとSNSはそういう風に作られている。SNSを運営する企業は「集団に所属して承認される快楽」と「仲間から疎外される恐怖」という飴と鞭を使い分けて、ユーザーをSNSに依存させる。
「知るかよ、おれはコミュ障なんだよ。SNSという大きな教室の隅っこで、机に頭を突っ伏して寝たふりをしている陰キャになるんだよーーーー!!」という強い意志を胸に秘めながら、SNS上の人間関係に背く。

・「いいね!」をしない。返報性の原理を無視する。
SNSを辞めるときの障壁になるのが、返報性の原理を無視することの後ろめたさだ。人間には返報性の原理と呼ばれる心理的傾向がある。「人から何かを送られたときに、お返しをしなければならない」というものだ。
ふだんからLikeを押してくれたり、反応してくれる人たちにレスポンスを返さないと、不義理を行っているような気持ちになる。SNSは返報性の原理を最大限に利用しているので、Likeを押されたら相手にもLikeを押す義務感が発生する。
返報性の原理を無視して、細やかな心遣いができない人間になることでSNS依存を脱却する。

・他人のやっていることに興味を持たない。
他人のやっていることに興味を持たないのも、SNSコミュ障になるために大切なことだ。人と比較するから自分の幸福が色あせる。やっていることに自信が持てなくなる。小学校の同級生がFacebookで陰謀論を垂れ流していたり、Twitterアカウントでまとめブログをリツイートするだけのbotみたいな奴になっている。そういうのを見ると、人間にとって知りすぎるのは害悪だと思うようになった。
無知に留まっていたほうが、幸福なときもある。

・会話中心主義者になって、会話を重視する。
『デジタル・ミニマリスト』の受け売りだけど、会話中心主義を採用する。SNSではなくて、直接の会話や通話を重視してコミュニケーションを行う。人間の脳は会話という情報密度の高いコミュニケーションに最適化されている。テキストメッセージでのやりとりは便利だが、それだけでは情報量が足りないので満足できない。
テキストメッセージでの会話は必要最小限に抑えて、情報密度の高いコミュニケーションを行うのが会話中心主義だ。
コロナ禍の現在では、通話や直接会うことに加えて、VRで人と会うことも含めていいと思う。だが、それはそれで別の依存性も生まれてきたり、美少女アバターを着ている間に脳が女の子になってしまうなどの、別の社会問題も発生するので一長一短だ。
私はVRChatをプレイしている間に、精神が女の子になりつつある。


・故障したOculus Quest2を香港に送ったときの記録。

・2020年12月30日、ゴムバンドを通す部分が折れる。
Questラジオ体操部とマッチョ部で首を振り回す運動を一ヶ月以上繰り返していたら、ゴムバンドを通す部分に負荷が掛かって折れた。
壊れたのが2020年12月30日だった。瞬間接着剤で固定して凌ぐ。サポートセンターに問い合わせたが、たぶんメールで送った画像の容量が大きすぎて相手に届いていなかったっぽい。

・2021年1月10日、ゴムバンドを通す部分が再び折れる。
2021年1月10日に再び問い合わせて、何度かメッセージのやりとりをする。返信は1~2日置きにしか来ないので、サポートのテンポが著しく悪い。

・2021年1月15日、返送用の伝票が送られてくる。
・FedExに配送以来をしたのが16日(土)で、業者に渡したのが18日(月)。
・荷物の受領通知が来たのが2021年1月21日の9:01PM。
FedExから「ごめんな、今日中に配達すると言ったが、めんどいから明日にするわー」みたいなメッセージが届いて、一日遅れになる。
・2021年1月22日(金)に「Your order has been processed!」とメールが届く。週末を挟んでいるので、発送されたかどうかわからないままヤキモキしながらデスクトップで授乳カフェ・キタリナに向かう。

・2021年1月26日(火)、午後に交換品が届いた。
サポートに問い合わせてから交換品が送られてくるまでには、2週間以上掛かった。てっきり国内にサポートセンターがあって、問い合わせれば数日ぐらいで対応してくれるだろうと漠然と考えていたけど、間違いだった。
自分の場合は瞬間接着剤で騙し騙し使えていたけど、ヘッドセットが故障して使えなくなった場合は半月以上はVRができなくなる。
万が一の場合に備えて予備機は準備しておいたほうがいいなー、と思った案件だった。


・このあたりの情報をあらかじめ伝えておくと、少しはスムーズになるかも知れない。
・破損した部位の写真
・■Oculus Quest 2のご注文番号(家電量販店さまで製品を購入された方は、領収書やレシートのスクリーンショット画像をお願いします。)
■ご注文者様のお名前(ローマ字表記もお願いします。)
■現在のご住所 (郵便番号・ローマ字表記もお願いします。)
■ご連絡がつく電話番号
■Oculus Quest 2ヘッドセットのシリアルナンバー