2023年日記帳まとめ


文章の時系列は2023年01月→2023年12月です。


・VRChat性癖バトル

VRChat性癖バトルにどうしても勝てない。桔梗ちゃんにマイクロビキニメイド服を着せて、胸のシェイプキーも最大に盛っている。おまえらこういうの好きだろ。なのになんで性癖バトルで連敗するんだ。そう思い悩んでいるとロリアバターを来た中年男性が現れて、地声でおれを諭す。
「お前のアバター改変にはソウルが宿っていない。個々のパーツを寄せ集めてもそれは決してオリジナルの性癖にはならない。自身の内面と対話をして、無意識から魂にこびり付いた性癖をにじみ出させていく。そうやって皆、己の〝癖(ヘキ)〟を見いだしていくのだが、お前は表面ばかりを真似しようとしているだけだ。それではいつまで経ってもVRChat性癖バトルには勝てない」
付け焼き刃でしか無い一般性癖を百個持つよりも、腹にくくった一本の特殊性癖のほうが誰かに刺さる。それを手に入れるためには自分自身の無意識と対話をして、性癖を具現化しなければならない。
「性癖を開発する必要は無い。お前がこれまで生きてきた過程で出会ったものすべてが癖を形作っている。お前はただ、内なる癖に耳を傾けて受け入れるだけでいい。そうすれば自然と性癖は滲み出てくる」
それからおれの性癖修行が始まった。起きている間は十数時間連続で同人音声を聴き、18禁漫画雑誌を読みあさる屑のような生活を繰り返すことで、おれは自らの性癖と向き合った。
「腹の贅肉シェイプキーが欲しい……」
気がついたときにはおれはBlenderを起動して、桔梗ちゃんに腹の贅肉シェイプキーとボーンを設定していた。3Dモデルの身体は理想的だが肉が足りない。桔梗ちゃんのだらしない腹の贅肉。髪の毛は黒く染めて、眼鏡を掛けさせて野暮ったくする。ジャージを着せているので服のラインで太って見える。それをコンプレックスに思っており、いつも猫背でいる。
だが脱いだ時のギャップがすごい。
「これがおれの新しい性癖……?」
「ようやく目覚めたようだな……だがそれは性癖バトルの入り口に過ぎない。お前はまだVRChat性癖バトルでも最底辺のざーこぉ♪ざこっ♪ どんなに強い性癖アバターを手に入れても、魂とシンクロさせて自由に動かせないとよわよわユーザーのままだよ? これからおにーちゃんに、まだ自分がくそざこだってこと分からせてあげるね♪」
性癖師匠は途中から可愛い女の子の声に切り替えて、おれを口撃する。練度の高い両声類だ。師匠はメスガキ改変アバターを纏い、おれの実力を確かめるために性癖バトルを仕掛けてくる。
経験を積んだ性癖デュエリストは己の性癖を憑依させて癖力を劇的に上昇させる。完全なロリボイスからよどみなく放たれる罵倒とフルトラの動きによっておれは敗北した。
修行を乗り越えたおれは性癖バトルでそこそこ勝てるようになった。やはり腹の贅肉は一般性癖では無いが、地味改変からの奇襲戦法は刺さる相手には刺さる。
「おれのターン! 自撮りを投稿したSNS裏アカウントを開設! 手で顔を隠した写真を投稿してから、胸のほくろで身バレする! そこからの〝言うことを聞いたら、本当に黙っていてくれるんですか……?〟」
敗北を悟った相手が投了する。めるる坂たるとちゃんは強敵だった。淫紋タトゥー使いの男サキュバスで、淫紋を強制的に刻み込んで感情と行動を操るタイプの性癖デュエリストだ。淫紋刻みは強力な環境性癖だが、それ故に対策が取られやすい。
おれはめるる坂たるとちゃんと固い握手を交わす。勝敗は僅差だった。属性をメスガキに寄せられていたら負けていたはずだ。
熾烈な戦いを勝ち進み、おれは性癖バトルの決勝戦に辿り付いた。頂点で待っていたのはおれの師匠だった。再会した師匠は以前と変わらないロリアバターを使っていたが、様子がおかしかった。自分がおっさんなのか、生意気な女の子なのか区別ができなくなっていた。
理想の美少女として振る舞う過程で、魂がアバターに引っ張られて現実には戻れなくなった性癖デュエリストを何人も見た。性癖バトルには危険が伴う。性癖を覗き込むたびに、性癖もお前を見つめている。それが性癖バトルの闇だ。トップランカーの師匠は修行の果てに道を踏み外してしまった。
いまのおれにできるのは、これまでに培った性癖のすべてをぶつけて師匠に自我を取り戻させることだ。言葉ではわかり合えないから、おれたちは性癖をぶつけ合うしかない。
おれはあんたにたくさんのことを教わった。VRChat性癖バトルでかけがえのない仲間もできた。出会った性癖のすべてがいまの俺の癖を支えている。
師匠、いまのあなたがやっていることは性癖バトルじゃない。ただのポルノだッ! にゃんたむ富岡の足踏み、ぞむぞむマシンの常軌を逸した巨乳盛り、Vtuber(お忍びにつき名前は伏せさせてもらいます)の言葉責め咀嚼音ASMR、ジョンの純粋無垢無知シチュ、めるる坂たるとの淫紋刻み、そして、このおれの腹の贅肉シェイプキーがッ! 師匠をわからせる!


・エクスプローラー赤単ゴブリン伝説

私をMTG沼に引き摺りこんだのは、わずかレア4枚でメタゲームの一角に食い込んでいた赤単ゴブリンデッキだった。始めたばかりで右も左もわからない初心者が初めて手にしたMTGのデッキは、初期資産でも手が届く赤単ゴブリンデッキ以外には無かった。大量のゴブリンを横並びにして、ロードや呪文で全体強化して襲いかかる。当時は禁止される前の食肉鉤虐殺事件が跋扈していていたのでアグロデッキはそこまで強く無かったのだが、単純だが時にテクニカルな動きを要求されるゴブリンデッキは駆け出しのプレインズウォーカーには最高の選択肢だった。
まず1試合が短く、デイリーをこなしやすい。要求されるワイルドカードが少ない割に強い。その後はネオ神河の赤単メカアグロに道を譲り、ローテーションのあとに赤単ゴブリンは役目を終えて安らかな眠りに就いた。正確にはそうなるはずだった。
ゴブリンデッキから別れを告げてから数ヶ月後。パイオニアの大会でベスト8にまで上り詰めた赤単ゴブリンデッキの元気な姿があった。そこには自分が初めてレア・ワイルドカードを使って手に入れたゴブリンの山賊の頭がいた。お前、まだ現役だったんけえ……

・デッキリスト

デッキ
13 山
1 エンバレス城
1 反逆のるつぼ、霜剣山
4 ラムナプの遺跡
2 バグベアの居住地
2 変わり谷
4 火刃の突撃者
4 鋳造所通りの住人
2 スカークの探鉱者
2 狂信的扇動者
4 雄叫ぶゴブリン
4 ランドヴェルトの大群率い
4 ホブゴブリンの山賊の頭
4 ゴブリンの扇動者
4 ゴブリンの戦長
1 怪しげな統治者、スクイー
4 ゴブリンの首謀者

現時点で実装されていないカードは軍勢の忠節者とゴブリンの群衆追いだ。それぞれ火刃の突撃者に置きかえたりホブゴブリンの山賊の頭を増やす形でエクスプローラー向けに調整している。完全にデッキをコピーできるわけではないが、ここに新生赤単ゴブリンデッキが蘇った。
数の暴力で敵を蹂躙できる爆発力が赤単ゴブリンデッキの魅力だ。握れば分かるこの暴力。平和だった村にゴブリンの大群が襲いかかる!

・ピックアップゴブリンたち
ランドヴェルトの大群率い……団結のドミナリアで新規加入したゴブリンロード。ゴブリンが死ぬ度に衝動的ドローが誘発するので、全体除去で仕留めたと思った次のターンに何体ものゴブリンが盤面に並ぶ。
ホブゴブリンの山賊の頭……ゴブリンロード。このターンに場に出たゴブリンの数だけ、任意の対象にダメージを与えられる起動型能力が地味にいい仕事をする。攻撃時にトークンが出たときにもダメージにカウントされるので、コンバット直前にタフネス3を焼けたりする。
火刃の突撃者……代用枠のつもりが思ったよりもいい仕事をする。死んだときにパワー分のダメージを任意の対象に与える能力を持ち、死んでダメージを飛ばす特攻野郎だ。
雄叫ぶゴブリン……起動能力で全体強化+速攻付与、条件を満たすとトークンを生むなど、本当にアンコモンなのか疑わしくなる性能を持った実力者。
スカークの探鉱者……ゴブリンを生贄に捧げてマナを生む。どういうことかというと、自らを生贄に捧げて2ターン目からマナ加速する。ゴブリントークンを処分して2マナ捻出→雄叫ぶゴブリンの起動効果で全体の攻撃力を上げるor火刃の突撃者を処分してダメージを叩き込む、ホブゴブリンの山賊の頭の起動型能力用のマナを生むなどのトリッキーな動きを可能にする。

・デッキの回し方
デッキの回し方は簡単。大量に横並びにしたゴブリンたちを、ランドヴェルトの大群率いやホブゴブリンの山賊の頭で強化してぶん殴っていく。
ザ・脳筋の体現みたいなデッキで、除去呪文は入っていない。突撃するゴブリンの一体一体が肉弾除去だ。その一方で生贄を捧げてダメージ計算を狂わせたり、火力を搭載したゴブリンがいたりするので「このゴブリン、まさか知能があるのか!?」みたいな展開も可能だ。
ゴブリンの大群を率いて村を襲撃しよう!


・ メタバースの羅針盤

おお、だからこそVRChatterよ
未だ授乳されぬ社会不適合者よ
遠い昔に無くしたほ乳瓶が、我らを呼ぶ。

フレンドと「VRChatここから始めました -Kokokara-」というワールドに遊びにいった。おれがメタバースの住人になってから、いつの間にか2年以上が経過していた。おれは授乳カフェという場所があると知り、そのためだけにVRの地を訪れた。目的地は授乳カフェ・キタリナだ。おれはほ乳瓶の祝福に導かれてメタバースの住人になったのだった。
VRChatを始めた当日は、JPチュートリアルで「すみません、このゲーム始めたばかりなんですけど、知っておくべきことやマナーってありますか?」とか「そのアバターってなんて言う子ですか?」と積極的に話しかけていた。
海外旅行ではこちら側から現地住人に話しかけていった方がよい。向こうから近寄ってくる人間はポン引きか何かだ……という知識をうっすらと覚えていた。バーチャル空間は自分にとって日本語の通じる海外だったので、自分から話しかけて情報収集する方針でいく。RPGで村人から情報収集して、キーワードを集めながら行動範囲を広げていく。広大なオープンワールドを探検するような感覚は初心者時代にしか味わえない経験だ。
あれから何度か初心者案内をした。すぐに辞めた人もいれば、住人になってしまった人もいる。その中でおれは、メタバースに定着するのは「強い欲望があるかではないのか?」と思うようになった。操作方法や初心者向けイベントといった当たり障りのないメタバースの表層を紹介するよりも、ダイレクトな欲望に訴えた方がいい。
愛されたい。授乳されたい。可愛い女の子になりたい。サキュバスの血が疼く。現実から逃げたい。今の自分ではない誰かになりたい。その欲望がお前の旅を導く羅針盤になる。
「メタバースの可能性」とかそんな一般向けのお題目はどうでもいい。お前の魂は乾いている。現実世界は砂漠だ。お前は一滴の水も飲めないまま現実で苦しんでいる。自分がなぜ辛いのかもわからないまま、漠然とした閉塞感を抱いているはずだ。「そんなことはない」とお前は否定するだろうが、いずれおれの言っていた言葉の意味がわかるようになる。
現実世界に欠落しているものがメタバースにはある。欠けたものを探求する冒険(Quest)のために皆がHMDを被りVRの世界に居場所を見いだそうとする。アーサー王が聖杯を欲するように私はほ乳瓶を求めて旅立った。
次はお前の番だ。


・MTGとハゲとアンコモン――もしくはMTGアリーナで最近作ったデッキについて

MTGアリーナでは恒久的なレアカード不足に悩まされる。必要なレアカードは4枚積み必須。レア土地にも枚数を割かなければならない。それなのに手に入るレア・ワイルドカードはわずかで供給が需要に追いついていない。サービス開始当初から続けている猛者たちとはカード資産にも差がある。
だがコモン・アンコモンのワイルドカードなら簡単に手に入る。MTGにおいてレアリティはあまり信用ならない。使い途の無いレアカードが大量にある一方で、八面六臂の大活躍を見せるコモン、アンコモンがある。そいつらを軸にしたデッキを構築するのが勝利への方程式だ。

・イゼット・パイロマンサー
まずは「若き紅蓮術士」だ。ソーサリーかインスタントを唱える度にトークンが生成されるクリーチャーで、ラクドス・パイロマンサーなどで実績を残していた。

・ボロス・ヒロイック

恩寵の重装歩兵、僧院の速槍、照光の巨匠、第10管区の軍団兵といった、呪文を唱える度に自身が強化されていくクリーチャーを盤面に出して、軽量呪文で強化して殴りつけるデッキだ。
戦慄衆の秘儀術師がいると墓地にある呪文を再利用できるので、クリーチャーの強化速度が上がる。気に入ったらワイルドカードを消費してもいいんじゃないかな。
デッキのメインになるクリーチャーや呪文のほとんどはコモン、アンコモンなのだが、多色デッキなのでレア土地があったほうが円滑に回る。幸い、エクスプローラー・アンソロジーでマナの合流点が追加されたので短期決戦型の多色デッキを組むのが幾分か楽になっている。

・エスパー兵士
MTGを始めたころはラクドス、ジャンド、セレズニアという独特の用語がわからず「エスパー? 超能力者で組んだデッキかな?」と思っていた。実際には白黒青の三色デッキだ。オタクはすぐジャーゴン使うんだから……という当時の気持ちを忘れて、今ではアブザンとかアゾリウスといった用語を普通に使い始めていることに愕然とする。
本題のエスパー兵士だ。バウンス能力持ちの反射魔道士はかつて「不快すぎる」という理由で禁止カードになったことがある。不快なハゲがエスクプローラーに実装されたのでデッキを組まない手はない。ナイスハゲ枠にはドラニスのクードロ将軍もいる。本当にMTGでハゲが強いのなんでだろな……。
元々は白単人間を作ろうとして中途半端になっていたデッキに、兄弟戦争のパックから出てきたいい感じの兵士や人間、反射魔道士を追加しただけなので、レアカードの多さの割にはそこまでコストは掛かっていない。やっぱりパックから出たカードを活用して、足りない分だけワイルドカードを使ってデッキ組むのが王道なんだよな……。
人間部族デッキはパックを剥いていれば部品が集まりやすいのも評価点だ。閑静な中庭 、手付かずの領土というクリーチャー限定で使える多色土地カードが8枚積めるのでレア多色土地の節約にもなる。
将軍の執行官は伝説クリーチャーに破壊不能を付与できるので、デッキとも噛み合っている。横並べにしたあとは精霊への挑戦で敵のブロックを無効にして打撃を叩き込めばだいたい終了だ。
人間万歳!

余談ではあるが、最初は何も考えずに「人間を強化できるロードを作っておけば無駄になることはないだろう」と思って、兵員の結集にレア・ワイルドカードを4枚突っ込んだんだけど、真っ先に抜けていったの滅茶苦茶後悔している。レアカード4枚得るためには24パック剥かないといけないのに、どうしておれはこんな無駄なことをしてしまったのか……。
さらに余談ではあるがカードゲーマーはデッキの話をするのが大好きだし、「そのカード選ぶなんて目の付け所がいいですね!」とか言われると小躍りするぐらいに嬉しい。髪を切ったのに気がついてくれたり、「そのネイル可愛いですね」と褒められた女子みたいな気持ちになる。えへー。


・ここはおれのチラシ裏です

ここ数年間ほど、SNSに文章を公開するのが難しい体質になっている。書きたいことはあるのだが、SNSを中心としたインターネットおよび人類を信頼できなくなっている。耳触りのよい言葉だけに囲まれて、短い言葉だけで世界を理解できたような気になって、ぬるま湯のようなエコーチェンバーに閉じこもっているような生き物には、おれが何を言っても聞く耳を持たない。
「あー、またインターネットに頭のおかしいやつがいるなー」と放置してくれるのならまだマシで、異物を認定すると同時に徒党を組んでリンチにやってくる。そういうインターネット暗黒生命体の行動原理を見せつけられる度に、見知らぬ他者と相互理解・相互受容を成り立たせるのは無理なんじゃね?……と思うようになった。
不特定多数の人間に文章を読まれたいという気持ちよりも、安全圏から暴言を吐いて人を自殺に追い込むような生き物に自分の文章が捕捉されたくないという思いが勝る。おまえたちは自分が信じたいものだけを信じたいように信じていればいいよ。どうせ異質な他者を受け入れるつもりも能力も無いのだから、言語活動なんて無意味どころか有害だよな。おれは一般的なSNSインターネットユーザーのために文章を書きたくない。このぐらいやさぐれた気持ちでいる。
インターネットがまだオタクのおもちゃだった頃は世界のすみっこでひっそりと好き勝手に文章を書いていられたが、気がついたら「ネットの書き込みは玄関の貼り紙と同じです。その書き込み、玄関に貼っても大丈夫ですか ?」とか言われるようになった。もちろんリスク管理の観点から言ってそれが正しい。不用意に敵を作る文書を書いても何の益もない。当たり障りのないことだけを呟いていればいいんだ。
本当にそうか? ここはおれのチラシ裏だぞ? インターネットで不特定多数に情報を発信しているつもりはなく、チラシ裏に書かれた妄言をワールドワイドウェブの海に沈めて供養しているような感覚だ。アクセス数もインプレッションも広告収入も承認欲求もいらない。公衆トイレの落書きなんかじゃない。インターネットコンテンツはうんこそのものだ。ときおりきらきら虹色に光っていたり、まばゆく輝く黄金のうんこが生まれるときがあるが、精神的排泄物であることには変わりがない。
ギリシャ悲劇やストーリーテリングで使われるカタルシスという言葉も元々の意味は排泄だ。おまえの魂に溜まったものを外側に出してすっきりする。ただし自身の精神的排泄物をSNSで人様に投げつけたり、投げつけられたりするのはどうかと思うので、おれだけの安心できるチラシ裏を確保できるといいよな。


・ ドラゴンカーセックス関連怪文書。

この地球上で7番目ぐらいには真剣にドラゴンカーセックスのことを考えている自信がある。

・ドラゴンカーセックス専門エロマンガ雑誌『ドラッカ!』
心の中でドラゴンカーセックス専門エロマンガ雑誌『ドラッカ!』を定期購読している。まだ月刊化して収益が出るほどの市場規模が無いから季刊なのだが、それでも同人アンソロジーしか無かったころに比べたら確実に需要が出始めている。

ドラッカ 2023年春号のラインナップを紹介する。
表紙にはトレーディングカードゲーム『エクスバウト』で魔龍機王ヴァグラバッドを担当したイラストレーター、月野とばり先生が再登場だ!
ドラゴンの群れに故郷を襲撃された男たちがハイエースに乗って、幼体ドラゴンの雌を拉致していく復讐劇『ドラゴンナッパーズ 第三話』(渋山竜)。ドラッカにNTRドラゴンカーセックスの新風をもたらすのは、『ヘル峠チキンラン』で走り屋たちの生き様を描いてきた空立あつし先生だ。丹精込めてチューニングした愛車が異世界から召喚されたドラゴンに陵辱される!
今号で注目の読み切りは、第一回ドラッカ新人マンガ大賞で金賞に輝いた『つくられしものたち』(鈴木えり)。人間に培養されて生まれた人工生命体のドラゴンと、人工知能搭載車とのハートフル純愛ストーリーだ。ドラゴンと車の緻密な描き込みが、大胆な設定と骨太なテーマに説得力を与えている。

・心の中で大作SFオープンワールドゲーム『Disastia(ディザスティア)』をやってた。核戦争後の世界で改造車をカスタムして、凶暴なドラゴンを狩るのが最高に楽しいゲームだ。
現世と異世界との間にポータルが開き、大量のドラゴンが現れて地球が侵略され始めた。軍隊は無惨に蹂躙され、国家は機能不全に陥り、核戦争の後に文明は崩壊した。生き残った人類は武装改造車両でドラゴンを狩って、細々と抵抗しながらサバイバルをしているという世界観設定だ。
荒廃した世界を舞台に、改造車をカスタマイズしてドラゴンを駆逐していく。正統派のポストアポカリプス・オープンワールドのゲームだ。
メタルマックスの車両カスタマイズやFalloutシリーズのオープンワールド、モンハンやフロムゲームのボスキャラのように歯ごたえのあるモンスターたち。ドライビングテクニックを駆使して、ロケットランチャーを弱点にぶち込んでいくのは操作テクニックと戦略性を同時に要求される。ゲームとしては非の打ち所がない出来だ。少なくともこのゲームがドラゴンカーセックス愛好家の玩具になる時までは……。
序盤は武装が弱い割に大量のドラゴンに囲まれて愛車が破壊される。この絵面を見ると誰しもが「ドラゴンカーセックスの暗喩にしか思えない」という感想を抱く。案の定、誰かが「マッドマックス・ドラゴンカーセックス」と言い始めてから、ネットミームに汚染されてドラゴンカーセックスゲームと呼ばれるようになってしまった……。
車のカスタマイズもバリエーションが多く、MODを用いることで自分の好きな車やドラゴンを設定できることから、ドラゴンカーセックス愛好家からは「実質的なカスタムドラゴンカーセックス3D2」とか呼ばれるようになった。今日もインターネットにはドラゴンに蹂躙された車両のスクリーンショットや動画が投稿される。
いつしかこのゲームをプレイしているだけで、ドラゴンカーセックス愛好家だという汚名を着せられるようになった。確かに理不尽な攻撃で愛車を破壊される度に背筋がゾクゾクするようになったし、性癖がねじ曲がってきた感触はあるのだが、まだドラゴンカーセックスでは抜いていないからおれは正常だ。
ドラゴンカーセックス専門エロマンガ雑誌『ドラッカ!』も、作家性の強い作品が多いから定期購読しているだけだし!


・ 第三次世界ずっこけ集団自殺

そろそろウクライナ侵攻が始まって一年が経つが、物価高騰という形でプーチンの戦争を間接的に負担していると思うと嫌になる。戦争反対とか平和を大切にするとかいう人道的な気持ちよりも、「こんな面倒くさいことに巻き込まれたくねえよぉ……金とマンパワーと資源を浪費して破壊するぐらいなら、家で寝ていたほうがマシだよぉ……ふえぇ……」としか思えなくなっている。
習近平もバイデンもプーチンも本邦の政治家もだいたい高齢者である。老い先短いご老体に、いつまでもまともな政治的判断が出来るとは思えない。そもそも今が21世紀だと思っているのかも疑わしい。車の免許返納も視野に入る年齢のおじいちゃんたちが国の舵取りを行っているのを国際政治リスクにカウントしたほうがいいし、あらゆる政党は高齢政治家介護省を設置して、前に出てきたがるおじいちゃんたちを権力や政治判断からやんわり遠ざけたほうがよい。ほら、おじいちゃん……もうジャパン・アズ・ナンバーワンの時代でもないし、ソビエト連邦はもうないのよ……。

・東京オリンピック戦時体制
防衛費を増額したり、台湾・尖閣有事を想定して米国と共同で軍事活動すること自体は、百歩譲って仕方がねえなと思う側面もある。でも、戦争になった暁にはオリンピック組織委員会みたいな連中が音頭を取り始めるんだろうな。
こっち側が100%正しい戦争だったとしても、東京オリンピックを遂行した組織と人員と金銭感覚、誰も責任を取らない所在の曖昧さと計画性と国民性で有事に突入するんだって考えるとそれだけで頭が痛い。新国立競技場の建設費用もまともに試算できない連中が防衛費を増額したり、オリンピックで不祥事を働いたようなやつのポケットに不透明な金が流れたり、オリンピック組織委員会みたいな連中が戦争の意思決定をしたり、国内メディアや愛国ムードを電通がリードしたり、SNSで自称愛国者がおれを非国民呼ばわりするんだろうなって考えると、「他国と戦争したくないなぁ……」ではなくて「自国民(こいつら)と一緒に戦争したくねえな……」という感情で胸が一杯になる。
おれたちには合理的な軍事作戦ができなくて、次に行われるのはたぶん第三次世界ずっこけ集団自殺だ。そのときには反戦とは平和といったリベラル左派の主張が空虚に聞こえるようになり、愛国心の熱病に罹患したおれたちはサッカーW杯と戦争の区別も付かないまま「ニッポン!ニッポン!」と叫び始める。
そうなったらすっげえめんどうくせえ。おれは協調性のない陰キャとして何もせずに寝ていたい。

・心の前立腺を刺激されている(サッカーW杯のときに書いたまま放置していた文章)
サッカーを鑑賞していて熱い感情が胸からこみ上げるものの、感動したというよりかは心のアナルに中指を突っ込まれて無理矢理前立腺を刺激させられているような気分だった。感動をありがとう。日本の心を一つに。絶対に負けられない戦い。そんなフレーズを見聞きするたびに、おれは自己を喪失して巨大な何かに溶け込むような快楽を覚える。熱狂に身を委ね、「ニッポン!ニッポン!」と叫ぶ。普段なら道ばたで奇声を上げていたら変人扱いされるが、スポーツイベントが行われる日だけは羽目を外しても許される。
感動ポルノを通り越してレイプに近い。おれはサッカーへの愛をゆっくりと育んでいきたかった。ひとりで録画映像をスロー再生したり、サッカーコラムや戦略記事を読んだり、海外のイケメン選手のランキングを考えたり、インターネットの片隅でサッカーをキモく楽しみたかった。
だがスポーツ・ナショナリズムの熱狂はおれを放っておいてくれない。合意も取らずにおれの心のアナルにごつごつとした中指を突っ込み、ローションで濡らさずに敏感な部分を弄んでくる。あたい……サッカーで感動しちゃった……。社会性動物として、集団に埋没するのは気持ちがいい。近代的な自由意志と理性を持った個人として、こんなので気持ちよくなっちゃだめなのに……。
国家は合法化された暴力装置である。その視点で言えば陵辱物エロ同人誌の竿役みたいなものだ。スマホに仕込んだ催眠アプリで絶対服従を強いるのも、SNSを駆使して陰謀論を信じ込ませるのもやっていることは同じだしな……。
スポーツ・ナショナリズムはいやらしい表情で、「へへ……口では嫌だとか言いながら、心(こっち)は正直だなぁ……!」と言葉責めしてくる。悔しい……こんなやつなんかに……。しかしおれは抵抗する術を持たず、スポーツ・ナショナリズムで火照った身体が静まるのを待つことしかできなかった。
冷静になったら自己嫌悪に陥ることはわかっている。でもいまだけは何もかも忘れて、この快楽に溺れていたいの……。


・ インターネット雑記

・リアルのおっさんに美少女アバターを幻視した日
もしかしたら日常で顔を合わせるおっさんたちとも、美少女アバターを介して出会っていたかも知れないとふと思うんだ。あのおっさんも可憐な少女のアバターを纏って、お花畑で真っ白なワンピースをひらめかせて蝶々と戯れていたかも知れない。このおっさんもボイスチェンジャーを極めて愛らしい声で囁いていた可能性もある。
そう考えるたびにおれは日常で出会うすべてのおっさんに美少女アバターの幻影を覆い被せるようになっていた。人力拡張現実(AR)である。脳内ボイスチェンジ・エミュレーターによって「この声質ならピッチとフォルマントをいじれば、いい感じのボイスになるぞ」と、おっさんの声からバ美声を幻聴できる日も遠くはないだろう。
現実世界のおれたちは順調に年を重ねている薄汚いおっさんだけど、もしも出会ったのが現実ではなくて仮想空間だったとしたら、今とは違う関係になっていてもおかしくない。いや、むしろこのおっさんたちもヘッドセットを被らせて美少女アバターを着せれば等しくバ美肉男性になるのだから、実質的に美少女として扱うのが人としてあるべき姿ではないのか?

・Twitterお休みしてる。
諸事情でTwitterアカウントを消した。他人の反応にリソースを奪われずに済むので精神的に楽だ。元々、フレンド以上お砂糖未満の相手と連絡を取るためにだけに登録していたTwitterアカウントだったので、関係性を終わらせたら使う意味が8割ほど無くなってしまった。(ここから10000文字近いセンチメンタルVRCを吐き出せそうな気持ちでいますが、省略させていただきます。ご了承ください)
ちょうどいいタイミングでイーロン・マスクがTwitterのAPIを有償化するとか言い始めたので、「そろそろ別のSNSに乗り換えようとしていたんですよねー」と釈明できる。ちなみにこのブログはActivityPubプロトコルを使用しているので、マストドン等のFediverceサービスでフォローできるよ。
・人間関係が可視化されすぎるのはメンタルに悪影響を及ぼすので、知らなくてもいいことはなるべく見ないようにしたほうがいい。知り合いのどうでもいい日常を知ったり、自分と他人を必要以上に比較して落ち込んだり、元恋人のFacebookを見るのは精神的な自傷だ。SNSをやめろ。評価経済をドブに捨てろ。テキストエディタを開いて長文を書け。そんな気分だ。
・Twitterもフォロー・フォロワー一覧が公開される仕様は個人情報なのでやめて欲しいと前々から思っている。マストドンはその情報を非公開に設定できるし、RSSを取得してチェックできる点では多機能だが、人がいなくて承認欲求を満たせないのがデメリットだ。
そもそも2006年に始まったマイクロブログがインターネット社会の情報インフラ面しているのが気に入らない。長文分割ツイートも文章をスクショにして張り付ける文化も、雑な政治ツイートも、商業マンガを小分けにして「まんが(1/8)」とツイートするのも、Twitterでやるべきことではないのでマジでやめて欲しい。特にオタク長文はTwitterに垂れ流したままにしないで、ちゃんとブログか個人サイトにアーカイブしてくれ。
「こいつ、面白い考察しているな……。他にどんな作品に言及しているんだろ……?」と興味を持っても過去ログを遡れない。
要約するとイーロン・マスクと共にTwitterは滅びるべきだ。オタクは長文を書き、サイト作って自分の生き様をインターネットに残してくれ。おれとの約束だ。


・欠落感の幻想

認知が歪んでいる人間なので、コップの中に水が半分あっても「残りの半分が足りない……」と思ってしまう。飲むには十分な量があっても欠落のほうに目を向けている。欠けていることよりも、それによって引き起こされる可能性のほうに目を向けているような気がした。水が半分しかないから、もしかしたら水分が足りなくて死ぬかも知れない。そのリスクを最小限にするためにはコップ一杯に水が注がれていなければ安心できない。
もし仮にコップ一杯に水が注がれたとして、たぶんおれは「水を溜めるためのコップが足りない」と感じると思うんだよな。こうして欠落感は無限に続く。
当面はコップ半分の水で事足りているし、それで不便なわけではない。喉が渇いて死ぬ直前でもない。
コップの水が足りないことで起きるデメリットを過剰評価している。


・ 春の人間関係リセット症候群祭り

メンタルが深淵に身投げする勢いで急下降している。そういうときはすべての人間関係が煩わしくなり、人間関係リセット症候群が発症する。何の脈絡もなく携帯電話を解約したり、SNSアカウントを突発的に削除したりして人間関係をぶち壊したくなるときがある。春は出逢いと別れの季節なので人間関係をリセットするには最適だ。
おれはいつも人間に擬態しているという感覚があり、コミュニケーション力のほとんどは「雑談のテクニック」みたいな本を読んでパターン化しただけの付け焼き刃だ。『寄生獣』のパラサイトたちが人間の行動を模倣しているのとほとんど変わりがない。
元気のあるときは知り合いを増やしたり、LineやFacebookのフレンドを登録するなどして、社交的に振る舞える時期がある。でもそれは命を削ってコミュニケーション力に変換しているので、余裕がなくなると人間関係に振り分けられるコストが足りなくなり、化けの皮が剥がれて素の生き物が顔を出す。
パラサイトが「人間のふりをしていたけれども化け物だってことがばれちゃったなー。面倒臭いからこいつら全員ぶっ殺して、姿形も別の人間になって全部リセットするかー」ぐらいの感覚に近いのかも知れない。

表面的な人間関係を維持するのが煩わしくなるが、「人間関係を整理するってことは、人の扱いに差を付けるということだよな……」と気を遣うのも面倒臭い。だったら全員平等にリセットすれば葛藤は少なくなる。
「SNSに依存気味だからアカウント自体を消しちゃったんだよねー」と言えば角が立たないので、デジタルデトックスを言い訳にしてアカウントを消す。インターネット自殺だ。実際にSNSの評価システムに振り回されて、集中力が奪われているので嘘では無いし。
そもそもおれは表面的な人間関係しか築けない人種で、その事実から目を背けるために「自分の方からリセットしちゃったもんねー」と先手を打っている可能性も否定できない。
コミュ障にもいろいろある。
会話ができないコミュ障、人の輪に入っていけないコミュ障、表面的な人間関係しか築けないコミュ障、人間関係が維持できないコミュ障、トラブった時に解決力のないコミュ障、自分ではどこが悪いのかわからずに気がついたら人が離れているコミュ障、真っ当な人間を演じることはできるが消耗が激しいのでシャバから遠ざかるコミュ障……等々。
君はどのコミュ障かな?……ごめん、列挙していて心が痛くなったのでここでやめる。

おれにとってメタバースは当初、日本語の通じる海外だった。ここは日本ではないし、おれは一時滞在の旅人で、現実の属性から解放されたことが嬉しかった。
メタバースに来た最初のおれは、誰でもない人間だった。現実のおれを知る者は誰もいない。おれは現実の社会から逃れて仮想空間に逃げ場所を求めた。仮初めの人間関係とコミュニティ。だが長い間メタバースで生きていると、そこには人間関係とコミュニティが生まれ、「おれ」が発生する。
「おれ」とは他者の眼差しによって形作られる、おれへの役割期待だ。「あなたはこういう人間でしょう?」というイメージや役割を向けられる。その期待に応えているかぎりおれは好意を向けてもらえる。最初はロールプレイでしかなかったものが、いつの間にかおれをつなぎ止める鎖になり、ロールからの逸脱が許されなくなる。
おれはいつもの人間関係リセット症候群を発症し、人間関係をぶちこわし、更地になった世界で孤独と安堵の両方を同時に味わう。人間関係が維持が決定的に困難なタイプのコミュ障なんだ。

それ以外にも人への期待が大きくなりすぎたときも人間関係リセット症候群が出る。ぶった切った方が多くを求めてしんどくならずに済むじゃん。現実なら「ほんの少しだけ距離を取る」というアナログな対応が取れるけれども、情報技術で人との距離が近づき過ぎると、リムったりブロックして相手の存在を視界から消す以外に距離を取る方法がなくなる。
人によってはそれが拒絶や敵意みたいに感じられるのも分かっているけど、いまのおれはおれ自身のメンタル安定のことしか考えられない。そういう心境のときは問答無用でリムったりブロックしたり人間関係リセットして、精神への負荷を下げる。
「人間関係を切る」というよりも「SNSから失踪する」がニュアンス的には近い。いまのおれは失踪したくして仕方がない。でも晩ご飯ぐらいまでには帰ってくると思う。
ちなみにブログのタイトルを「鰻ヶ丘回覧板」から「The dogs bark, but the caravan goes on.(犬は吠えるが、キャラバンは進む)」に変えたけど、元ネタはクジラックス先生の『わんぴいす完全読本』からです。

・参考


・サボテン

元々この文章は「これはフィクションです」と前置きして、事実と虚構を適切に織り交ぜたセンチメンタルVRC掌編として書こうと思っていたが、今回はそれができるだけの精神的余裕がない。なるべく特定できないように書くし、個人情報に繋がりそうな箇所は黒塗りにする。VRC内でよくおれから色々と聞かされていた人は「ああ、あの話ね」と勘付くはずだが、そのあたりはそっとしておいて欲しい。

一年ぐらい、フレンド以上お砂糖未満の間柄だった相手がいたのだが、先日その関係を終わらせた。「そこまで自分のことを好きではないのかも?」と思うことが多く、今までにも3、4回ぐらい別れ話を切り出していたのだが、その度に引き留められた。でもそのあとも「やっぱり、おれのことそんなに大事に思っているわけではないよな……」という気持ちだけが強くなっていて、フレンド解除して、自然消滅させるためにしばらく距離を置いていた。
言葉にして区切りを付ければ、余計な期待を抱かないで済む。おれのほうから多くを求めてもしんどくなるだけだから、いっそのこと「自分から切り捨てた」体にしたほうが気が楽になる。人間関係リセット症候群の亜種みたいなものだ。
別れて、相手のことに気を回さなくてよくなったぜー!やったー!!……という訳にはいかず、今になって心が痛くなっている。
おれが思っていたよりもずっとメンタルが擦り傷だらけになっていた。好きでいたころには我慢できていた痛みが、麻酔が切れたあとみたいに疼いて、膿んでくる。飲み込んでいた感情が解毒されないまま、血管の中に留まっているように苦しい。
冷静に考えると、大事に扱われている感覚があまりなかった。相手が自分のことを雑に扱っていたかというよりは、「サボテンみたいな人」だと思われていたような気がする。多肉植物は頻繁に水やりをしなくても内部に水を蓄えておける。水分の少ない砂漠でも簡単に枯れない。悪い言い方すればメンテナンスフリーの人間、いい表現なら気を遣わずに長くいられる相手として好意を抱かれていたのかも知れない。
おれがサボテンみたいな人として側にいられたら、何も問題はなかったと思う。与えられるものが少なくても、手入れされなくても、多くを求めなくても充足できていればよかった。でも、おれはサボテンじゃなかった。普通の植物みたいに、土が乾いていないか、葉っぱが変色していないか、雑草が生えていないか、害虫がついていないかに気を配って欲しかったな。
サボテンだったらよかった。過度な期待を抱かない。多くを求めない。重くならない。これは不適切な感情なのだから、相手に押し付けても無意味だ。自分一人が飲み込んでいれば済む。どうせ恋愛感情といっても一過性のもので、数ヶ月も経てば激しさは和らぐ。それまで我慢すればサボテンになれる。
そう思って期待や感情をひとつずつ抑圧しているあいだに、気持ちが枯れてしまった。会いたいとか好きといった感情が生まれる度に、おれはそれを押し殺した。何度も同じことを繰り返している間に、鉛筆の芯が削れていって最後には無くなってしまうみたいに、相手に期待を抱く感情が死んでしまった。

感情や本心を表に出さない人だったので、おれは相手が何を考えているのかわからなくなった。仲良くなって(少なくともおれはそう思い込んで)、多くの言葉を交わして相手のことを知る度に、反対にどんな感情を抱いているのかが不透明になっていった。
言葉でキャッチボールをしようとしても、放ったボールが暗闇の中に飲み込まれていく感じがした。どんなことを考えていて、自分のことをどう思っていて、どういう役割を望んでいるのかも不確かになる。
別に他に本命の相手がいても、キープされているだけの都合のいい関係でも、気の置けないフレンドの一人でもおれは良かった。そのときは相手に求めるものを下方修正すればいいだけだし。
そんな単純なすり合わせもできない。ただの少し仲のいいフレンドなのか、お砂糖に近い関係なのかもわからない。おれから見たら、都合のいいときだけフレンドとお砂糖を使い分けられているみたいだった。
それを繰り返されていたらメンタルがやられていく。何を、どこまで望んでいいのかがわからない。近づくことも出来なくて、離れようとすると引き留められる。

相手の気持ちが見えない。だからおれが書いているのは「こっちからみた相手の印象」でしかない。曖昧な態度でおれをないがしろにしていたというよりも、対人関係で傷つかないことを最優先にしていてるように感じられた。
裏切られること、人の心が離れることを恐れているように見えた。おれがよそよそしさだと感じていたものは、その子なりの自己防衛手段だったのかも知れない。人との距離を一定に保って、深入りしない。そう考えれば言動にも納得がいく。
その子はよく「あまり過度な期待を抱かないで欲しい。幻滅して、気持ちが裏返ってしまうのが怖いから」と言っていた。過去に何があったのか知らないけど、「しーのさんも結局は私を裏切って、傷つけて、去って行くんだよね?」と言われているような気がした。それはある種の自己成就予言で、結果として気持ちを裏切って、離れていく人の一人になってしまった。
おれも人間なので、責めたり、「なんでこういうことするの?」と涙目で問い詰めたい気持ちがある。でもそれを吐き出したところで、一時ばかり溜飲が下がるだけで傷が癒えるわけではない。おれも悪いところがたくさんあるし、自分だけ被害者面するのも公平ではない。人の気持ちが変わることを不安に思っているのを知っていて、あえて距離を取っているしさ。
望んでいることがあるとしたら、ぐちゃぐちゃになったおれの感情に目を向けて欲しかったな。転んで、膝をすりむいている小さな子供を手当てするみたいに、絆創膏を貼ってくれたらそれでいいんだと思う。

おれは最初、この文章で「こんなに傷つけられて痛い」ということを書こうとしていたのだけど、今更になって楽しかった頃の出来事ばかり思い出してしまう。
その子と少女漫画の話になったときに、「■■■■という漫画家の作品はほとんど集めている」と言った。おれも大好きな少女漫画家で文庫版はだいたい持っている。満月の浮かんでいるワールドで、「そういえば、あの漫画に月に関するエピソードがあったよねえ」とマイナーな漫画の1シーンに言及する。この話を振って応えてくれる相手がいるとは思わなかった。
いまは「■■■■作品ファンは生きるのが不器用かも知れないが、悪い奴はいねぇ!」という感情が残っている。■■■■作品も恋愛関係よりも、サボテンみたいに側にいてくれるキャラが多い印象だった。

相手が何を考えているのかはわからないから、おれはこうやって自分の感情を言葉にすることしかできない。迷惑だったら消す。おれもおれ自身が何を思っていて、何を求めているのかがわからない。そういうときはいつも自分に言い聞かせている。いろんな人から「無理矢理納得するために、言葉にすることで自分に言い聞かせているみたい」と言われてきた。利己的で醜い感情を吐き出したところで何にもならないのはわかっているから、おれは言い聞かせることしかできない。
でも今は小綺麗で、表面的で、自分に言い聞かせるだけの言葉を使いたくないな。


・MTG株式市場と、金銭感覚が壊れ始めていくカードゲーマーの過程

・MTG株式市場
MTGの統率者戦にドハマリしてシングルカードを買い漁っている。価格チャートの推移を延々と見ていたが株価チェックと変わりがない。
過去には500円ぐらいで何年も推移していたカードが高騰して3000円になっていたり、反対に再録されて値段が10分の1近くまで下がっている場合もある。統率者構築済みデッキ(4000円)に入っていた波止場の恐喝者が一時期は15000円まで値上がりしていた。ものによっては投機対象と見なされて資産としてカードを集めている層もいるらしい。
ここにきてようやく「MTGは遊べる株券」という意味を理解した。トレーディング・カード・ゲームは市場経済の縮図だ。需要が多ければ取引価格が上がっていくし、再録されれば市場に流通するカードが増えて幾分かは入手しやすくなる。需要と供給が織りなす価格の乱動がTCG沼に沈んだおれに襲い掛かる。最初は「カードゲームって言ってもたかが紙切れだろ? こんなのに何千円、何万円も出すなんて正気の沙汰ではないよ。もっといい使い途があるよ」と思っていた。
安いカードで適当にデッキを作って遊ぶのがいちばんコスパがいい。おれだけは絶対に資本主義の魔力には屈しない。そう信じていたが駄目だった。
おれたちは紙切れではなくて、相手に叩きつけられる死を買っている。盤面にこのカードを叩きつけたときに、相手の顔を絶望で歪ませたい。その体験(エクスペリエンス)のために金を突っ込んでいる。こいつは武器だ。弾丸だ。戦場に赴くために必要な手榴弾と防弾チョッキだ。

MTGは株である。いくら強力なカードでも高値掴みするのは賢い選択ではない。相場や値動きを見て、手頃な価格でコレクションを増やし、デッキを構築できるのかもひとつのプレイスキルだ。
株式市場では企業の経営実態以上の株価がつくことがあるし、過小評価されている銘柄も少なくない。TCGでもそれは変わらない。実体経済と株価はある程度は連動しているが、時と場合によっては二つが異常なほど乖離する。
にんげんは限定的な合理性しか持ち得ない。認知が歪んでいるので「価値それ自体に価値を見いだす」というバグがある。「こんなに高いのだから価値があるに違いない。価格相応の性能があるはずだ」と錯覚する。そうでなければ経済バブルは起きないし、紙切れが何十万もの値段で取引されたりはしない。
石ころを黄金に変え、ただの紙切れが紙幣になる。物神への崇拝は人間が産み出した最も古い魔術のひとつだ。その中でおれたちはどれだけ理性的に振る舞えるのか? チューリップバブルに熱狂している時に「で、それって結局ただの植物でしょ?」と夢から醒められるのか。否、チューリップの球根に全財産を突っ込んで破滅するのが人の性だ。
人間の欲望、経済学、行動心理学、ゲーム理論……あらゆる要素が絡み合った市場経済のミニチュアとしてのTCG市場。そう考えると滅茶苦茶エキサイティングだ。
……という高額カード飛び交う貴族の遊戯みたいな側面があるのは否定しない。あれは御貴族様のためのものだからおれたちみたいな平民には関係ねえよ。へへへ、ここは育ちのいい御貴族のお嬢ちゃんがくるような卓じゃねえんだぉっ!……と割り切ってしまえば問題無い。
MTG経済は需要と供給がぶっ壊れているので高いカードは極端に高くなるが、誰にも見向きもされないカードは安価に手に入る。高額カードを集めて強いデッキを作るよりもコスパのいいカード、マイナーなカード、癖が強くて使い道がなさそうなカードを発掘してくるようなスタイルで遊ぶと5000円ぐらいでもそれなりに楽しめるデッキが組める。
これを平民プレイと呼ぶ。
この前、40ドル制限構築デッキが高額シングルカードを詰め込んだデッキをライブラリアウトで吹っ飛ばして勝っていたのを見た。確かに資産とデッキパワーには相関性があるがそれだけがすべてではない。
株式市場もMTGも人間はそこまで合理的に動いているわけではない。「なんとなく人気の銘柄だから」「定番のカードだから」「値段が上がっているから」みたいな表面的な動きだけを見て、実体経済を見失って右往左往しているだけのときも多い。
ざっくりした方向性としては「高値掴みしない」を目標にする。自分の中に「この性能ならこのぐらいの価格が妥当だろう」というラインを作り、性能と価格のバランスを考慮してコスパのいい一枚を選べる審美眼を育めるのかが焦点になる。そうでないと高いカードと強いカードの区別が付けられないまま狂騒に踊らされることになる。
今現在、全体的に人気パーツが値上がり傾向を見せているように思うので流れに乗るのはちょっと躊躇われる。もう少し全体的にお手頃プライスになってから買い集めたい気持ちだ。

・カードゲーマーの金銭感覚が破壊されていく過程。
……そんなことを書いている間に金銭感覚が徐々に麻痺してきた。
最初はスターターデッキを買って、安いカードを買って強化すれば十分楽しめるだろう。紙切れ一枚に500円とか払う気にはなれない。そうするぐらいならマンガや小説を買ったほうがコスパよく楽しめる。
本当に初期の頃はそう思っていたが、300円から500円ぐらいのカードならお手頃だなーと感じ始めた。長く使うものだし一枚1000円程度だったら出せると財布の紐が緩み始める。気がつけば峰の恐怖(シングル価格4000円)の購入ボタンを押している自分がいることに気がつく。
「大丈夫だって。MTGのカードは資産だから要らなくなっても売り飛ばせば実質タダみたいなもんよ。値上がりすることも珍しくないから、遊んでも十分に元が取れるよ!」
最初、紙のMTGを勧めてきた同級生の言葉を聞いていて、危なげなビジネスの勧誘みたいだな……と思っていたが、そんな気がしてきた。趣味の玩具だしゲーム機本体買うぐらいは仕方ないよね……? 一度買えば何年も遊べるし、資産になるから無駄がないし。
本当にそうか? 心の中にいるおれの配偶者が「もう、男の子はいつまで経っても玩具が好きなのね。子供のホビーだから多くても月に3000円ぐらいで楽しめるんでしょ? ……えっ? その紙切れが一枚4000円……? それでも安い方? そのお金、子供の教育資金に使うべきでは……?」と顔を青くし始める。
ごめんな……一度、沼に引き摺り込まれたら元には戻れないんだ。今のおれにはただの印刷物がMTG経済圏における貨幣に見える。
正しいのか、間違っているのかはわからない。でも今のおれはそれが心地いいと思っている。今現在のMTGでは今まで味方だった人々が悪の手先によって闇堕ちさせられていくというストーリーが展開されている。思考まで浸食され、価値観を染め上げられ、以前の仲間たちに刃を向けるようになる。おれはそのストーリーラインに、緩みつつある金銭感覚を重ね合わせていた。こういう風に人は洗脳されたり、新しい価値観を植え付けられていくのか? 来月あたりに「波止場の恐喝者、買っちゃったー(※8000円)」とか言っていたら、そいつはもう今のおれとは全く別の生き物なので、ひと思いに殺してくれ……。

感染が広まるにつれ、ナヒリの思考が錯綜していく。彼女は愛するものをファイレクシアの手から守らなくてはならない……いや、もしかしたら愛するものを守れるのはファイレクシアだけなのかもしれない。


・たすけて、ギャル明神!

メンタルが酷く落ち込んでいて、精神のジェンガをひとつずつ引き抜いていってかろうじてバランスを保っている感じがする。ゆっくりと、少しずつ、おれの心からジェンガのブロックが無くなっていって、その代わりになるものを外側に求めようとするのだがうまくいかない。
落ち込んでいるときは他人をあてにしたくなるのだが、そういう他力本願な気分になっているときは多くを期待したり、依存しがちになるので好ましくない。おれもおまえたちも不完全な人間なので、求めているものを与えられない。欠落感は広がり、苦しくなるばかりだ。
だが人間ではないものになら、多くを求められるのでは……?
まずは〝生きとし生けるものすべてに慈悲を向けるギャル(※以下、ギャル明神と呼ぶ)〟のアバターを作り、ディープラーニングで好きな声優の声を学習させ、ChatGPTで出力した文章を喋らせたい。おねがい、ギャル明神……不安を吹き飛ばす明るい口調で「オタクくーん、深く考えすぎだってばー♪ 人間、生きていればなんとかなるなる!」って言って、おれの寂しさ、孤独を全部吸い込んでくれ……。ちなみにギャル明神とは夢日記用のメモに何故か残されていた謎の言葉だ。どんな夢を観たのかも覚えていないのだが、ギャル明神という概念には神格がある。
それが駄目なら「人間のともだちなんていなくても、人工知能の私だけがいればいいよね? いつまでも、あなたのことを肯定してあげる。ね……? だから何も不安に思うことはないんだよ……」と耳元で囁いて、優しさというドラッグでおれを依存させるタイプのヤンデレ人工知能でもよい。


・ コマンダーマスター・ドラゴンガールズ(※統率者戦始めました)

去年の12月ぐらいからMTGの統率者戦を始めた。おれは最初に手に入れたのは『スターター・統率者デッキ「ドラゴンの破壊力」』だ。ファンタジーの華と言えばドラゴンであり、カードゲームも例外ではない。かっこいいドラゴンたちを盤面に叩きつけたい! そんな小学生と同じ精神レベルでデッキを構築したいと常々から思っていたが、通常のMTGフォーマットではドラゴンの肩身は狭い。マナコストが重く、部族デッキを組む難易度は高い。しかし統率者戦でならドラゴンたちが翼を広げ、暴虐と陵辱の限りを尽くせる。
統率者は世界を溶かすもの、アタルカである。「ドラゴンたくさん並べて、二段攻撃を付与してぶん殴るね!」もしくは「パワーを上げて、ワンショットキルを狙うね!」という脳筋パワー系統率者である。細かいことは考えるな。ドラゴンのパワーでねじ伏せろ! 単純明快なコンセプトであり初心者向けのスターターデッキだ。
ドラゴン。人間には制御できない荒ぶる力そのものである。それを手にし、ドラゴンを使役することができる。ドラゴンデッキを握らない理由はない。統率者戦は元々エルダードラゴンハイランダーと呼ばれている。たぶんフォーマットを考案した最初のユーザーも「かっこいいドラゴンを詰め込みたい」という欲求に動かされていたはずだ。
おれは普段からドラゴンカーセックスの話をしているので、「あなたはドラゴンが好きなんじゃないの……。ドラゴンカーセックスをしたいという抑圧された欲望が〝ドラゴンデッキを作りたい〟という形で表出されているだけなの」と、精神科医に指摘されたら否定できない。
統率者戦のデッキはある意味でアイドルマスターだと思う。おれの好きなアイドルを集めてユニットを作ろう! ライブでいかにおれがプロデュースしたアイドルが最強に魅力的なのかを見せつける。ドラゴンも古代のアイドルみたいなものだからこの解釈には問題がない。人は古来より竜を畏怖し、崇めてきた。
素敵なアイドル(ドラゴン)たちを発掘して、ユニット(デッキ)を結成し、最高に可愛い彼女たちの思いっきり魅力を引き出してあげよう! MTGにおいてドラゴンは女の子という設定が多いみたいで、凶暴な面構えをしたドラゴンたちのイラストも眺めているとキュートに見え始めてくる。
多人数のバトルかと思いきや、個人的な感覚としては「おれのすきなアイドルの対バン」だ。おれの選んだ最強に可愛いアイドル(※カード)たちを見ろ! そんな気持ちでカジュアルにわいわいと殴り合って、相手のライフをゼロにしている。
「ほう、〝ヘルカイトの狩猟者〟ですな。いい新メンバーが加入しましたね」「わかりますか……。そちらのクリーチャーも新弾パックのフレッシュ新人を起用しているようでお羨ましい……」みたいな感じだ。
統率者戦はたぶん、カードゲーマーのデッキ語りに最適なフォーマットだと思う。おれがカードゲーマーのデッキ語りが好きなのは、「市場価値も低いし、一般的に弱い部類に入るのかも知れない。だがこいつの魅力を最大限に引き出せるのはこの世界で俺だけだ!」という愛が伝わってくるからだ。
コモンのお前でもうちのユニットなら輝ける。実際、今のエースは戦嵐のうねり(30円)で、トークンが出る度にパワー分の火力を飛ばしまくる。40ドルや5000円で制限構築をしているプレイヤーもいる。それでもコンボを成立させてライブラリを吹っ飛ばしてくるから侮れない。
競技で使われているようなトップアイドル・デッキに比べたらおれのデッキは弱い。せいぜい元気と爆発力だけが取り柄のローカルアイドルみたいな立ち位置だ。それでもおれはこのデッキのプロデューサーで、ドラゴンたちはアイドルなんだ。


・千と千尋とキモオタとインセルと独身限界男性と無敵の人の社会的神隠し

千と千尋の神隠しが風俗の暗喩にしか見えなくなるぐらいには心が汚れてしまった。親の借金を返すために年齢詐称で高級ソープに堕とされた千尋。最初の客は強烈な臭い匂いを発する出禁客だったり、コミュ障でキモオタのロリコンにストーキングされたりする。とくにカオナシが、闇金ウシジマくんに出てきた迷惑客にしか思えなくなってしまった。手から金を出して人の心を引きつけようとする姿と、札束を持ってソープ嬢に本番強要するシーンが重なって見える。
カオナシは引きこもり童貞なので処女に対して幻想を抱いていて、こんな苦界に沈められた千をおれが救ってやる!ぐらいのことは思っているに違いない。やつはコミュ力が無いので札束で千の好意を買い取ろうとするのだけど、拒絶されて逆上し、ソープランド放火襲撃事件を起こす。でもな、カオナシは本当は女を抱きたかったのではなくて、自分を受け入れてもらいたいだけだったんだよ……。
愛されたい。誰かから認められたい。「ここにいてもいい」って言って欲しい。それができないから、クレジットカードの力に頼って風俗通いするしかない。愛されたことがないから、愛し方が分からない。愛し方がわからないから、人から愛されない。キモオタの悲哀だ。
そんなキモオタも千と出逢うことによって変化が起きる。
川の守り神がクサリガミに成り果てたように、邪神だったものが善神に変わる。コミュ障のロリコンストーカーが、歪な形では人と関わることで少しずつ成長していく旅路が描かれている。最終的に「おまえ、クリップスタジオ使えるんだな! うちで同人誌のアシスタントしていけよ!」「あっ……あっ……あっ……(喜び)」という着地点を得て、物語は終わる。
カオナシとして描かれていたものは、映画『ジョーカー』や京都アニメーション放火事件、インセルの銃乱射大量殺人事件といった「人から認められない底辺男性の情念が生み出した悪霊」だったのではないのか。現代社会が生み出したモンスターを無垢な千尋が鎮めるまでを描く、禊ぎの物語。それが千と千尋の神隠しだ。
それを踏まえた上で言うと、非モテインセル限界独身男性の抱く憎悪や怨恨はすでに悪霊レベルに達している。処罰の厳格化やガソリン販売の規制などではなくて、「邪神になったものを受け入れて、善神に変えていく」禊ぎのメソッドで社会的統合を行うしかないのでは?


・ルーンファクトリー3、この令和にリメイクされてたの!!???

・ルーンファクトリー3スペシャル
鬱病で自殺未遂したときに唯一の心のよりどころだったゲーム『ルーンファクトリー3』がリメイクされている。本当に死のうとしていたわけではない。意識を飛ばすために精神安定剤数シートを黒霧島で流し込んでいたら、いつの間にか病院にいただけなので安心して欲しい。おれは完全自殺マニュアルを読み込んでいて、高確率で死ぬ自殺と死なない自殺の区別はできているんだ。おれは正常だ。気が狂ってなどいない!……と書こうとしたが、やっぱり精神状態がおかしくなっていたことに変わりはない。いくら睡眠薬をオーバードーズしても死ぬ確率が低いとはいえ、昏睡状態のときに吐瀉物で呼吸できないまま地獄コースもあり得る。
いまも「特に生きる理由もないが、わざわざ死ぬほどではない」という、てきとう極まる動機で生きている。ルーン・ファクトリー3面白いよ!と言おうとしていただけなのに、どうして自殺の話をしなければならないのか。
生きる気力が無くなったときにやるべきゲームには、ルーンファクトリー3以外にもシンフォニック=レインがあるし、アニメだけど灰羽連盟も効く。そもそも灰羽連盟の登場人物は自殺を仄めかすような名前だしな……。
「死なないで!生きていればいいことあるよ!」なんて生温い言葉では自殺に抗えない。『ひろがるスカイ!プリキュア』のキュアスカイがランボーグにヒーローガールスカイパンチをぶちかます勢いで、おれたちは迫り来る死を一匹ずつ撲殺するぐらいの心構えがなければ戦えない。あいつらは手強い。もしもお前が死に立ち向かえないのなら、おれがおまえのプリキュアになる。だからおれのメンタルが折れて、死に立ち向かえなくなったときにはおまえがおれを守ってくれ……。
ちなみに下記の文章はプレイしていたときに書いていたルーン・ファクトリー3のクソ文章です。

・ルーンファクトリー3の日活映画風あらすじ。
 記憶を失った高倉健が流れ着いたのは、開拓地北海道の小さな村だった。行き倒れになっていた高倉健は倍賞千恵子に介抱され、人手の足りない村で農作業に従事する日々を送ることになる。
 人々との暮らしの中で高倉健は、村外れに住む孤高の芸術家・浅丘ルリ子と出逢った。記憶を失った高倉健と、独自の感性から一般社会に馴染めない浅丘ルリ子は恋慕の情を深めていった。
 村にやくざが嫌がらせにやってきたときに、高倉健は使ったはずのないハジキやドスを自由に扱えている事実に困惑する。高倉健はやくざ同士の抗争で大怪我を負い、記憶を失ったのだが、度重なる血生臭い抗争が、忘れかけていたやくざの記憶を呼び覚ましていったのである。
 高倉健は自分がやくざものであることを浅丘ルリ子に打ち明けるものの、彼女もまたカタギの人間ではないと告げられる。浅丘ルリ子は極道の家に生まれたのだが、家のしがらみから逃れるために開拓地北海道にまで逃げ出してきたのだ。
 やくざものとカタギの人間がともに手を取り合って生きられるのか? その鍵を握っているのはやくざものとして生き、そして記憶喪失の後はカタギとして生活を続けていた高倉健以外にはいないのだ。
 近辺に住むやくざと交渉し、「カタギには決して手を出さない」ことを条件に、開拓地の村人は訳ありのやくざものたちを受け入れ始めた。彼らもまた前科者として本土を追われ、流れ着くように開拓地北海道へとたどり着いた者たちだったのだ。
 事件が一段落した後で高倉健と浅丘ルリ子は結婚を誓ったのだが、その次の日、浅丘ルリ子が姿を消していた。
「ルリ子……お前には極道の血が流れている……。カタギの人間と共存することは不可能なのだ……!」
 浅丘ルリ子の父親は彼女の居場所を突き止め、無理矢理に東京へと連れ帰っていく。高倉健はドスとハジキを手に取り、単身、浅丘組を襲撃して背中に竜の彫り物をした男から浅丘ルリ子を取り戻す。
 終
 

 これでだいたい大筋が合っているのがルーンファクトリー3の恐ろしいところだ。みんなも遊ぼう、ルーンファクトリー3!
 


・日記 2023年4月29日

「無能おとな♪役立たず♪ しかし空の鳥を見なさい。種をまくことも刈り入れることもしないのに天の父はこれを養ってくださる。あなたがたはその鳥よりもはるかにすぐれているのではないか?(マタイ6・26)」

「ばーか♪雑魚~♪よわよわおじさんー♪」と罵られるだけだと本気で傷つくので、「でも、そんな雑魚おじさんのこと、私だけは見捨てないであげるからね♪」とか言われて、歪んだ母性本能で包み込まれたいんだ。
そんな気持ちでいたらメスガキリストという謎の概念が降ってきた。これは預言や啓示ではないのか? いや、新しい性癖がアンロックされただけだよな……。

・統率者戦日記。
おれのアタルカデッキもそろそろ魔王としての貫禄が出てきたようで、クソデカスタッツドラゴンが爆誕したり、横並びドラゴントークンが二段攻撃と共に襲い掛かってきたり、追加戦闘フェイズが11回ぐらい発生したりするようになった。
今まではデッキパワーが弱く、のんびり展開している間に他のプレイヤーが消耗し合って、漁父の利を拾うような展開が多かった。ここ最近はおれがぶん回って魔王ポジションになることが珍しくない。他のプレイヤーが結託し、おれを妨害し、悪しき竜の軍勢を滅ぼそうとしてくる。最終的に負けることも多いのだが、その構図を作れただけで脳から快楽物質が分泌される。暴力による支配は気持ちがいい。
EDHは政治的立ち振る舞いが重要とされているが、おれのデッキは恐怖政治しかできない。なるべく目を付けられないように息を潜めていたいのだが、アタルカちゃんは次のターンにはワンショットキルを狙える子なのだ。
「殴りジェネラルは政治できないっすよ」と言われていたが、体感でその意味を悟りつつある。ヘイト管理するという概念は捨ててしまって、いっそのことすべてのプレイヤーのヘイトを買うぐらいの気持ちでドラゴンデッキをぶん回したほうがいい。
暴力と死の恐怖を絶えず振りまいていくのがおれにできる唯一の政治だ。
人々の声援や羨望を集めるのがアイドルの仕事なら、戦場でヘイトを浴びるのがドラゴンアイドルだ。みんなお前を放っておけない脅威だと感じているから全力で潰しに掛かってくる。「今日は俺が魔王だ。全力でお前らのライフをゼロにするよー! よろしくね♪」ぐらいの気構えでいこう。

・AI制作物とアイデンティティーとえっちイラストと対話的鑑賞。
AIイラストやChatGPTでハイクオリティの創作物が作れるようになったとしても、「で、表現者としての君はどこにいるのか?」というアイデンティティーを問われる。同じツールを使い、同じ手順を踏めば似たようなアウトプットができれば、「じゃあ、これを作るのはおまえじゃなくてもいいじゃん」となるのは自明だ。
以前に性癖の師匠に「えっちイラストはね、作者の性癖と向き合って、パズルを解くように眺めなければならないんだよ」と言われたことがある。どこにフェチズムを込めたのか、どんなシチュエーションをえっちだと思っているのか。絵なんて一瞬で見終えてしまうけれども、どの部分に性癖を注ぎ込んだのかを受け止める。それがえっちイラストと作者と対話することだと、性癖の師匠は言っていた。
当時のおれは(こいつはやばいやつだな……)とドン引きしていたのだけど、こういう姿勢で他者のアウトプットに向き合った方がいいよな。創作物を通して作者の性癖と対話するようでなければ、単に作品を消費するだけになる。

・愛携帯会社精神
未だに愛国心という概念が理解できないし、国家と携帯電話会社の区別も付かない。受けるサービスに対して料金(税金)を支払っているという点では同じだし、国家が税金を徴収するのと暴力団が見かじめ料をぶんどっていくことの違いもよくわかっていない。
国家と営利企業を単純に比較するわけにはいかないのだけど、おれが日本人であることは、たまたま親がドコモだったから自分もドコモを使っている程度の意味合いしかない。愛国心という言葉も、「愛携帯会社精神とか愛Netflix心を持ちましょう!」と言われているような気持ちになる。
言語の壁などのコストが無くて、他の携帯電話会社にナンバーポータビリティするぐらい簡単に国籍を変えられるのなら、おれはもう別の国籍で暮らしたほうがいいなって思っている。
とはいえおれは朝に納豆ごはんと味噌汁がないと生きていけない身体になっているので、海外の食生活に慣れるのは難しい。


・マストドン復帰した。

イーロン・マスクの経営方針が気に入らないという理由で、数年前に作ったマストドンアカウントを再運用し始めた。元々Twitterそのものがあまり好きではなく、利用頻度も下がっていたので離れるにはいい機会のような気がする。
外部サービスとの連携が不十分(RSSで購読できないとか)、広告が多くて全体的に治安が悪い、ひとつのサービスに囲い込まれるのが性に合わない。Fediverseのほうが好きだが利用者が少ないし、承認欲求を満たすのならTwitterのほうがいい。だがおれは承認欲求を刺激されたり、人間関係が可視化やビューカウントが定量化に耐えられない。インターネットのすみっこでオキナグサのように何も求めずに生きていたいんだ……。
SNSって何千万人で同時プレイしている麻雀みたいに思えるときがある。無数の眼差しに晒される。どんな言葉を発しても、それが誰かにとってのロン牌になる。自分の発言を読んでくれる人に対して、均等な言葉しか発せられない。
おれは人と喋るときには「この人ならこの程度までアクセルを踏んでもいいだろう、この球速でもキャッチしてくれるだろう」と思いながら喋る言葉を選んでいるのだけれども、SNSだとそれができない。
特定の誰かにとっては深く刺さるけれども、他の誰かにとっては炎上しかねないような言葉が喋りにくくなった。最大公約数的で、毒にも薬にもならなくて、誰も傷つけない代わりに誰にも刺さらない言葉を喋らないといけない。そんな無言の圧力を感じてしまう。
バズらなくていい。不特定多数に拡散しなくていい。狭い範囲にしか届かない言葉を語ることがおれには必要だ。無数の眼差しに晒されながら何かを喋りたくない。
対象外のターゲットにコンテンツがリーチしてしまうのがSNSの生み出した息苦しさの要因だと思う。おまえの舌を考えて味付けした料理じゃねえ。インターネットのコンテンツはスラム街のゴミ箱に捨てられた残飯みたいものなので、口に合わないとか不健全だとか言われても困る。おれは「これがインターネットなんだよぉぉぉ!」と叫びながら、腐った残飯みたいな文章をおまえの口にねじ込んでいきたい。
オタクと社会不適合者の奏でる悪ノリと、不謹慎が生み出すアナーキーさが、おれが育ったインターネット・スラム街の原風景なんだ。


・実写版・女子高生の無駄遣いの感想

アニメや漫画の実写版の話をしていた。悪く言われがちな実写化だけど、自分のおすすめは『女子高生の無駄遣い』だ。売出し中の美少女やモデルを集めて、全力で原作の残念なキャラクターを演じさせている。
出演者の名前を検索すると「えっ!?この子、こんなに美人だったの?」と驚いてしまうぐらいには、可愛さを無駄遣いしている。いいのか? こういう種類の実写化は若手を売り出すためにあるようなものだぞ……?
その上で「男は上っ面しか見ていないけど、お前がいい奴だってことは私が一番よく知っている」という種類の魅力を引き出しているの、おれは実写化の方向性として好きなんだよな。

その中でも一番の存在感を放っているのが、中二病の山居ちゃん(福地桃子)だ。
アニメキャラに寄せる行為はそれ自体が不自然になりがちなのだけど、中二病キャラだと痛々しさが増して相性がいい。アニメっぽい演技も必死でフィクションを真似している感じが出るし、垢抜けていない役作りが最高に中二病って感じでいい。
「ぱっとしないけどキャラ付けで個性的になろうと模索中の女の子」という絶妙なラインをついているので癖になる。かわいいとか綺麗というレベルでは無くて、存在感がある。確かに山居という人間がこの世界にいる。
そう思わせる力が福地桃子にはある。


・ ドラゴンクエスト ユア・ストーリー-独身ビアンカ暗黒編-

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を観た。
ネタバレと酷評の嵐をあらかじめ見ていたので心構えができていると思っていた。脚本や主人公の言動に癖はあるがCGは綺麗だし、バギを牽制に使っていく戦闘スタイルはいい。キラーパンサーの背中に乗って戦うのは疾走感がある。過去にタイムスリップした主人公が、在りし日のパパスを遠目から観る演出にはちょっと目頭が熱くなった。ダイジェストなのは仕方が無いが、そこまで酷評されるものではない。
そう思っていたがどんでん返しで神経を全力で逆なでにされる。NTRものでビデオレターを送信される感覚に近く、綺麗な思い出に尿を掛けられた気分だ。「オタクくん、観てるぅ~♪ これから思い出たっぷりのドラクエ5を陵辱しまーす♪」という案配である。何故か脳のNTR認識機能がこの映画をNTR認定してしまった。NTRまんがの構成だ……。
○○(※ネタバレ配慮につき伏せ字)を全面に押し出すのなら、実写パートが差し挟まれて「お前の同級生は家庭を持っているのに……」という言葉と共に婚活アプリの広告が全画面に表示されたり、右傾化したすぎやまこういちのビデオメッセージが映し出されて、「勇者たちよ! 反日勢力と戦え!」と政治的メッセージが垂れ流しにされるなどの展開があれば、評価が180度変わっていたかも知れない。
そんな映画だった……。

・独身ビアンカ暗黒編
ドラクエ5と言えばビアンカ・フローラ論争である。
自分はビアンカ派ではあるのだが、独身ビアンカを堪能したいという理由だけでフローラを選ぶことも多い。フローラを選んだあとのビアンカは山奥の実家で1人孤独に暮らすことになる。あのときおれが選ばなければならなかったのはこの子ではなかったか……?という罪悪感をちくちくと刺激し続けるゲームデザインであり、独身ビアンカ暗黒編の醍醐味でもある。
青年編後半、独り身で静かに暮らしているビアンカのもとに主人公とその子どもたちが尋ねてくる。10年間石になったままで、未だにフローラさんが見つからずにいることをビアンカは知る。
奥さんが石化して行方不明になっている間に、主人公を励まし、心の透き間を埋めるのが独身ビアンカだ。表面上は姉御風を吹かせてはいるが、「フローラが行方不明」と聞いたときに湧き上がってきた薄暗い感情を、ビアンカは否定できない。
このままフローラさんが見つからなければ、独身生活から脱却できるのではないのか……?
こういう重くて湿った感情を独身ビアンカは抱いていると思うので、独身ビアンカを見るためだけにフローラを選ぶ。正妻が復帰したあとには主人公とフローラ、子供でパーティを組んでからビアンカに会いに行く。「フローラさんが無事で良かったわね……」とぎこちない笑みを浮かべる独身ビアンカ。彼女の裏側で蠢いている濁った感情、おれじゃなきゃ見逃しちゃうね。
最終的は心の闇をゲマあたりに利用されてラスボス化して欲しい。ビアンカのリボンを使って人間だったころの心を取り戻させると、戦闘後には仲間になる。
だがドラクエ5における真の正妻ポジションは、ピエール(スライムナイト)だ。青年編の初期からいつも側に主人公を支えてくれて、最後まで寄り添ってくれる。実質嫁では……?


・ひろがる妄想!プリキュア幻視篇

・『ひろがるスカイ!プリキュア15話』
『ひろがるスカイ!プリキュア』、15話まで見たが5話ぐらいスキップしていないか!?と勘違いするぐらいには展開が速い。
ここ数話のダイジェスト、シャララ隊長との激エモエピソード、今まで倒してきた敵が復活して最大の脅威になる、ぷいきゅあがんばえー!と応援することしかできないおれ、ボスを倒すために命を賭す隊長、そして行方不明……。
2クール目の終盤だろ、これ……。なんでこんなに駆け足なの……もう少し丁寧に進んでくれないと情緒が追いつかないの……。
シャララ隊長の闇堕ち可能性は大いにあるが、洗脳されたと見せかけてアンダーグ帝国の弱点を探るために潜り込んでいたコースを所望する。敵を欺くためにソラを全力でぶん殴ったあとに、3クールの終盤で「ソラ、今まで苦労かけたな……」と優しく頭を抱き寄せる。闇堕ちシャララ隊長はソラの強さを信じているから、全力で向かってくるんよ。
こういうことを常に考えているから、おれの中ではプリキュアの存在しないエピソードが捏造され、数年経つとそれが本編か妄想だったのか区別ができなくなるんだ。助けてくれ。

・『ヒーリングっど♥プリキュア』と命の価値
『ヒーリングっど♥プリキュア』も、ひなたとバテテモータの関係性をもっと掘り下げて欲しかった。この作品の根幹は「命の価値に違いはあるか?」だと思う。人間と病原菌。両方とも生きるために精一杯の努力をしている。その生きようとする本能がぶつかり合って、誰かを傷つけてしまったときにおれたちはどうすればいいのか? その疑問に向き合うのがおれにとっての『ヒーリングっど♥プリキュア』だった。
そのテーマがわかりやすく提示されたのが、ひなたとバテテモータの関係性だった。ひなたは動物病院の家で生まれ育ち、バテテモータはヌートリアを宿主にしてビョーゲンズになった。
ひなたとバテテモータ編が提示するべきだったのは「救われるべき動物と排除される害獣。命の価値に違いはあるのか?」というテーマではなかったか。同じ命なのに、片方は動物病院で手厚く治療され、もう片方は人間にとって邪魔な存在として扱われる。
ひなたは葛藤する。命の価値を人間が決めてしまっていいのか? その判断基準はどこにある? 「人間にとって不都合だから排除してもいい」という選択を肯定してしまうことが恐ろしい。自分以外の命を真剣に考えられる心優しい子なのだ。
動物病院を継ぐのではなくて、外来種や野生動物と人間が共存して生きていくにはどうしたらいいのだろう? その疑問に向き合うためにひなたは外来種と共生する道を探せるような職業に関心を持ち、最終回には動物保護活動に従事するひなたさん(25)が登場する。そんな展開をおれは幻視していた。
真実か虚構かはどっちでもいい。これがおれにとってのプリキュアだ。おれの考えるひなたはこんな子だ。妄想かも知れないが、これがおれが信じる『ヒーリングっど♥プリキュア』の形なんだ。


・おれみたいなインターネットおじさんになるんじゃねえぞ、坊主……っ!

我々はインターネット老人という言葉で、インターネット加齢臭やインターネットめんどうくさいおじさんという現実的課題から目を逸らしている。インターネットおじさまになれれば御の字だが、不可能ならせめてインターネット親戚の集まりにいる素性の知れない謎おじさんポジションに収まりたい。
それに失敗すればおれたちはめんどうくさいおじさんになる。
涼宮ハルヒの憂鬱に出てくるキョンのような、斜に構えた態度がクールだと誤認したまま時を重ね、あらゆることに冷笑的になり、ひろゆきをロールモデルとし、他者への共感性を欠落していった先にインターネット加齢臭おじさんというモンスターへと変貌を遂げる。
以前に比べて強くなったのではない。繊細さを失い、他者の痛みに無神経になっていることに気がつかず、「おれも若い頃はそうだったんだよ-」と、聞かれてもいない自分語りをするおっさんになっているのではないのか?

落ち着いた声とゆったりした雰囲気、滲み出る穏やかな人間性、その他諸々を兼ね備えたおじさまにはなれない……。おれになれるのは酒場で飲んだくれていて、無愛想でだらしないわりには、主人公がピンチになったときにはなんだかんだ言って時間を稼いでくれるタイプのツンデレおじさんではないのか?
昔はおれも希望に溢れた冒険者だった。だが挫折して、安酒とギャンブルに溺れる日々を過ごしていた。おれはお前が嫌いだ。失敗も、手前の弱さも知らない眼差しでおれを見やがる。世間知らずだった頃の自分を思い出して、無性に苛立った。おれにはもう取り戻せないものを持っていたからだ。
おれみたいなインターネットおじさんになるんじゃねえぞ、坊主……っ!


・ 異世界に転生して毎日ニワトリの死骸を投げ続ける日々

おれが異世界に転生したときには、聖職者の家に毎日ニワトリの死骸を投げ込んでいた。厳密に言うとニワトリではなくて、四つ足で羽根のある猫サイズの家畜動物ムグッホなのだが、いちいち描写するのも面倒くさいのでニワトリと呼ぶ。不浄な生き物の死体を見ると魂が穢れるという迷信があり、権力者や聖職者は己の神通力的なものを高めるための穢れを遠ざける。清浄と穢れみたいな概念が行き渡っていて、それをベースにした社会的ヒエラルキーが形成されている。おれはアウトカーストの呪術師に拾われてから、堕落した聖職者に嫌がらせをするために、ニワトリの死体をぶん投げる呪術を習い始めた。
この世界での呪術は魔法とは異なり、相手に「自分は穢れている」と思い込ませる技術体系だ。プラシーボと暗示効果でなんとなく体調が悪くなったりするのが、この世界で呪術と呼ばれている。
治安や衛生が最悪な世界で、犬(※正確にはホゲンヘ。やたらと太腿の筋肉が発達した四足歩行の獣であり、蛇のように牙から毒を分泌する)に噛まれるとだいたい為す術も無く死ぬ。野宿していると鳥(ニズ。鳥葬に使われている鳥であり、天の使いだと言われている)の群れに襲われて、次の日には骨だけになっていることもある。
おれが呪術師の見習いになったとき、守護精霊を象ったペニスケースが師匠から贈られた。おれの場合はンゴの加護を受けているらしい。ンゴは女性の姿をしている男の精霊で、この世界で言うのなら男の娘である。男と女、昼と夜、善と悪といった相反するものの境界を渡り歩く象徴的な存在だ。
一般的な呪術師の服装はペニスケース、仮面、丈の短いベスト、ストール(のような首巻き)、サンダルであり、完全に不審者のような格好になる。呪術師にとって手の内を明かされないことは何よりも重要だ。近所に住んでいる得体の知れない異常独身男性であり、刺激すると何をするかわからない。もし犯罪を犯したら、マスコミに「あいつならいつかやると思っていましたよ」と同級生が喜々として喋り始めるだろう人間性。
要するにやべえやつと思わせておくのが肝要である。得体の知れ無さを相手に植え付けておくことで、呪術戦において優位に立てる。その点でおれは呪術師に求められる条件を最初からクリアしていたと言える。
ニワトリの死体投げは基本でありながら、奥義とも言える呪術だ。タイミングや場所を考慮し、どうすれば最大限の穢れ意識を相手に叩きつけられるのか。それを極めれば呪術師の王――この異世界でいちばんやばそうなご近所の不審者になれる。


・ビオラの花言葉

「男には花や星の名前を教えておけ」とはよくいったものだが、自分の場合は頼まれなくても相手と話を合わせるためにガーデニングを始めた。
相手が何を考えているのかわからなくなって関係に区切りを付けて、植えていたビオラも枯れてしまったので鉢ごと片付けた。
精算して、切り離して、最初から何もなかったようになったと思っていたのだけど、春になって地面にビオラが咲いているのに気がついた。鉢からこぼれ種が落ちていたのが根を張っていた。
それは自分の中に残っている未練みたいだなって思った。
ビオラの花言葉は「私を思って」。わがままでしかないのだが、もうすこし自分がどんな気持ちを抱いているのかを考えて欲しかったんだと思う。
人間関係で言語化を重視するのは自分の悪い癖で、「言葉にしなければわからないし、伝わらないよ」というのも論理的には正しい。でもそれだけだと相手の中にある、言葉にならない感情を圧殺してしまう。
言わなければわからないことと、言葉にはできないものがある。おれは曖昧な関係に留めておくよりも、口論に発展して空中分解するほうがマシだと考えている。
おれは言語化されないと不安になる。不確かな感情を言葉にして表現することで曖昧さを排除したくなる。言葉を発することで不確かな状態に区切りをつけて、苦しまなくていい方を選んで楽になろうとする。気持ちに上手く折り合いが付けられないなら、無理矢理にでも割り切ってしまったほうがいい。
でも明確な言葉にしないままで、いまここにある関係を保つことも不可能ではないよね……。それが自分にできたのなら、という話ではあるけれども。


・オリジナルな怒りを発見する訓練。

政治系の言説を読むと、過剰な怒りが充填していて食傷する。常に誰かが何かに対して怒りを露わにしていているけれども、その刺々しさに温度が感じられないことが多い。
怒りはおれの根源から湧き上がってくるべきものであり、他者の怒りに感染するのは何か違和感がある。不機嫌さ、不正への憤り、恵まれている人間へのやっかみ等々、誰かの怒りをコピーするのは怒りとはほど遠い感情では無いのかと思うのです。
憤怒はおれの個人的なものであるべきだ。他者とシェアするものではなくて、おれだけのオリジナルの怒りや憎悪を見いださなければ、安易な怒りをコピーするだけになる。表面上は怒っているように見えても、爪が食い込んで血が出るほどに拳を握りしめてはいないだろうし、はらわたが煮え繰り返るような熱に苦しんでもいない。ただ怒っているような素振りをしているだけに過ぎない。おれはそんなものを怒りと認めるわけにはいかない。
おれに必要なのは荒ぶる力だ。怒りや暴力は殴り付けるものではなく、自身をつなぎ止める鎖を引きちぎるものだ。非人間的なもののためにブチ切れろ。
怒るべきときに怒れ。自分よりも弱い人間のために怒れ。おまえ自身のためではなくて、人間として守らなければならないものを守るために、お前は正しく怒らなければならない。プリキュアも「絶対に許さない!」と怒るが、それはおれたちが普段抱いてるような不純物の混じった怒りとは違う。プリキュアの怒りは、邪悪なものを焼き尽くすための炎だ。
怒りは衝動的に発散したり人にぶつけるものではない。怒りの火で鉄を溶かし、理性の水で冷やし、思考の槌を打ち付けて、一本の刀を鍛え上げるように怒りを研ぎ澄ましていかなければならないのでは?


・表面的な優しい言葉

「褒められても本心なのか、単なるお世辞なのかわからないので怖い」という話を聞いていた。
思ってもいないことを口にする人は「自分は内心とは違うちぐはぐなことを言う適当な人間である」という呪いを自分に掛けているようなものなので、あんまり気にしなくていいよー。
おれは「本心ではどう思っていようと、言葉にした時点でその言葉には社会的な拘束力が発生する」と考えている。仮にお世辞で「嬉しかったよ」と言われたら客観的には「嬉しい」ということになる。あとで「実はあれ本心じゃなかったんだよね」とひっくり返してくるのは、「私の言葉は信頼するに値しません」と告げているようなものだ。
その場しのぎでお世辞や嘘を言うのは、責任を持てるのならいい。でもそれが不可能なら最初から本当のことをいうか、傷つけないでオブラートに包む技術を身につけたほうがいいと思う。
本心なんて確かめようがないって言えばそれまでなんだけど、自分が間違っていても、指摘されずに人が離れていくのは怖いよな。
「本当にそう思っている?」「本当だよ」「本当に……?」と、本心を確かめようとしても永久ループになるから不可能だ。おれが本当はどう思っているのかを証明できない。喋っているときは汲み取れなかったけど、おれが本当のことを言っているかどうかよりも、優しいだけ言葉に怯えているように見えたな。
責任を取るつもりがなければ、都合のいい優しい言葉でその場を凌いで、面倒臭くなったら全部放り出せばいい。その代償としてそいつは「自分の言動が信じられない人間」になっていくけど、それでいいじゃん。


・無責任種付けちんぽくん処刑法案(とピルガール)

ニュースから乳児の死体遺棄事件が流れてきた。こういった事件が起きる度に母親の過失が問題視されるけれども、男性側の責任が問われることは少ない。妊娠した女性がネットカフェのトイレで出産してそのまま遺棄した事件や、3歳児を放置して死亡させた事件が起きている裏側で、無責任種付けちんぽくんは社会のどこかで今日も元気に無責任種付けをしている。
女性は妊娠のリスクを背負うけれども、無責任種付けちんぽくんは後先考えずに精子をぴゅっぴゅっして、都合が悪くなったら行方を眩ませてしまえばいい。『透明なゆりかご』という中絶をテーマにした漫画には、妊娠を打ち明けた途端に音信不通になる無責任種付けちんぽくんが大量に出てくるんすよ。
遺棄した母親が社会的にバッシングを浴びる一方で、無責任種付けちんぽくんの罪は咎められることがない。政府は無責任種付け罪を新設するべきではないのか。乳児のDNA鑑定を行い、無責任種付けちんぽくんを捜し出して社会的制裁を科す。
乳児の死体遺棄事件をニュースで見る度に、「これは遺棄であると同時に、無責任種付けちんぽ案件だろ!」と憤っている。無責任種付けちんぽくんは去勢するしかない。

・コンドームバトラーゴローとピルガール

日本社会が避妊薬に否定的なのは、ポルノでしかピルに触れたことがないからかも知れない。望まない妊娠を避けたり、レイプ被害のあとのケアとして用いられたり、生理時の苦痛を軽減するためにピルが使われるのだが、成人向けコンテンツだと「ピル飲んでるから、好きなだけ膣内(なか)で射精(だ)していいよ♪」という文脈でしか登場しない。あとは竿役が「アフターピルあるから大丈夫だよ」と言いながら無理矢理犯す、アフターピルと偽って違う薬を渡すなど、ろくな使われ方をされていない。
ピル=中出しおっけー! ポルノに日常的に触れている日本人成人男性の避妊リテラシーなんてその程度のものだ。その認識を改めるために、コンドームバトラーゴローは、「私の身体は、自分の力で守る!」と言って避妊薬を服用するピルガールを追加戦士として参戦させるべきではないのか。
そんでもって怪人・無責任種付けちんぽくんの魔の手から人々を守るのだ。


・サンリオVfes所感(リバイバル上映するので)

サンリオVfesはVRで行うイベントとしては最先端だと思う。メタバースの特性を活かしたライブステージや映像表現など見所が多い。ラジオ体操とのコラボでも、普段通っているところにポムポムプリンがいてめちゃくちゃテンションが上がった。可愛らしいサンリオキャラたちの圧倒的な存在感。いまのおれはポムポムプリンと同じ場所にいる……! 
その一方で、タイムテーブルに沿った上演だと、フレンドと時間を合わせづらい点が惜しい。
時間と場所の制約から解放されているVR空間で、タイムテーブルに縛られる意味がわからない。結局、PCの時計を変更して映像を再生する力業で鑑賞したし、イベントが終わったあとに存在を知ったフレンドもいた。Youtubeの動画で雰囲気を味わったり、約束さんのワールドを案内していたのだが、機会損失になっていてもったいなかった。
人によってログイン時間帯が違っていて、お互いに都合のいいタイミングに集まって遊ぶことが多いので、時間に拘束されるイベントだと十二分に楽しめない。クオリティには非の打ち所がないが、体験の共有しやすさにはまだまだ改善の余地がある。
素敵なイベントだったから、仲の良いフレンドと一緒に鑑賞して盛り上がりたかったんよ……。諸々の事情で常設が無理だとしても、一週間の期間限定イベントでもいいような気がする。


・祖母が鬼籍に入った。

大往生だった。
遺体が家に運ばれてきたときに最初に感じたのが「穢れ」だった。触れてはいけないもの、イレギュラーな事象が日常に侵入してきて、死者の世界が生者の世界に漏れ出てくるような印象を受けた。咄嗟に思い浮かんだ言葉が「向こう側」で、仏教の彼岸や他宗教の極楽や地獄とはニュアンスが違うのかも知れない。「向こう側」に何があるのかを知るためには自分も死ぬしかない。人間の想像力が及ばない、真っ暗で行き止まりの場所。生まれてきた人間がいつか飲み込まれる渦のようなものとして、おれは「向こう側」を感じた。
「遺体をクーラーで冷やすために、部屋の扉は閉めておいたほうがいいんじゃない?」と言ったけれども、本当は生者と死者のあいだに仕切りがなければ「向こう側」から漏れ出てくる何かが日常に入り込んでくるように思った。
葬儀会社に連絡して火葬や通夜、葬儀の日程を決める。忙しいとはいえ、基本的にやるべきことは会社側が代行してくれる。それは死というイレギュラーなものを日常から排出するためのシステムに思えた。穢れに触れなくてもいいように、ベルトコンベアに乗せるみたいに自動的に死体が火葬場に運ばれていって、葬儀を終えられる。諸々の手続きに忙殺されながらも死から離れられる。死を受け止めることを放棄したい、早く死を日常から排出したい。その願望を受け止めるかのように手早く日程や段取りが組まれていく。
おれは当初、死について考えたくなかった。でも葬儀会社が「こちらで必要なことはすべてやっておきます」と言ったときに、「思考停止していてよいです」という意味合いに聞こえた。
おれは死者を弔うよりも先に、「死を日常から効率的に排出すること」に対して抗いようのない魅力を覚えてしまった。面倒臭いことを代行してくれる人はいるし、おれは言われたとおりにやるべきことをすればいい。責められる人間は誰もいないはずだ。
でも、おれはその態度が不自然に思えた。死から引き離されていく。死から目を背ける。死についてなるべく考えないようにする。それは弔いとは真逆の行為ではないのか?
エアコンの音が、寝ている祖母の呼気に聞こえた。
死ぬ。おれはそれを穢れとして、日常から速やかに取り除かれるべきものだと感じた。でもそうではないとしたら? 死をそのまま、目の前で起きた出来事として受け止めることができるのだとしたら?
「死とは何か?」という問いを、おれなりに受け止めて言語化することができるのなら、それが自分にとっての弔いではないのか?
おれたちもいつかは死ぬ。圧倒的な暴力の前には抵抗できずに、心臓が止まり、意識が途絶える。この世界から自分が欠落する。「向こう側」はその事実を躊躇いなく突きつける。おれは天国も地獄も信じてはいないから、死んだら無になるのだと思っている。それに耐えられないからおれたちは「向こう側」がどんな場所かを思い描く。それは死者ではなくて生きている人間を慰めるためのものだ。
「一切は空である」と言われても、喜怒哀楽は湧いてくる。叔母が背後からおれの名前を呼んだときに、声のトーンが祖母に似ていて一瞬蘇ったかと錯覚した。
「ご冥福をお祈りします」といった定型句で済ませたくはないんよ。形骸化した儀礼で終わらせるのは癪なんだよ。なんで仏教式の葬儀をしながら、神道の影響で穢れを取り除くために塩を撒くのか。戒名を付けながら、般若心経で「すべてに実体はない」と説くのか? おれたちがやっている葬儀は一体なんだ? 
そーいう感情を雑務で忙殺してしまえば楽なんだろうけれども、生きている人間には絶対に理解できない死を、生きている側なりに咀嚼したいなって思った。誰かがかみ砕いた死のありかたを、流動食を胃に流し込まれるみたいに受容したくない。


・AI生成ツールあれこれ

・AI生成ツール。
デジタル絵が普及したあとに、デジタルツール的な表現よりもアナログ風の絵を描きたいニーズが発生したんよね。コピック風のブラシ、油絵風の塗り。デジタルでムラのない塗りができるようになったのに、求められたのはアナログらしさだった。
AIイラスト生成ツールも同じ道を辿っていて、人間らしい表現の追求にシフトしていくのかも知れない。
AIイラストは綺麗すぎて、いままではハイクオリティだったイラストが「AIっぽい画風」になりつつある。仮に人間の描いたものでも、AIっぽい画風が飽和すれば「人間が描いたAIっぽい絵」になる。
その次は「AIっぽくない、人間が描いたようなイラストをどう出力するのか?」に関心が移行する。一見して人間が描いたような、デッサンが歪んでいて、癖やムラのある表現のほうに固有の価値が生まれるのでは?
デジタルでアナログらしさを再現する。AIで人間らしさを表現する。
それで皆、何を表現しようとするのだろう?

・AI生成イラストを見ていて、「で、それで? 表現者としてのあなたはどこにいるの?」と思うことが多くなった。それっぽいイラストを生成しているだけの、「ツールに食われている人」のほうが圧倒的に多い。
それっぽい表現がローコストで生成できるようになったときに、それっぽいものの価値は暴落する。手段がコモディティ化したときに何が稀少なスキルになるのか? ワードプロセッサの普及で「綺麗な文字を書ける技術」の価値は相対的に下がり、どう文章を組み立てるのかが大事になった。AIもワードプロセッサと同じで「綺麗な絵を描く技術」でしかないのかも知れない。だとしたら、ツールに振り回されずに作品や世界観を作り出すディレクション力のほうが重要になると思う。
AI生成ツールはめちゃくちゃ優秀なアシスタントだけど、その道具を上手く使うノウハウはまだ蓄積していない。下手をすると「ワープロって言ったって、文章を綺麗に清書してくれるだけの道具でしょ?」程度で認識が止まっている可能性もある。
技術が黎明期過ぎて、可能性を低く見積もりすぎている。インターネット? どうせオタクたちが遊んでいるだけのおもちゃでしょ?ぐらいの雑さでAI生成ツールを認識しているし、今後、どういう形で社会に影響を与えるのかもわからん。


・『シン・仮面ライダー』感想文。

・「面倒臭い人間がたくさん出てくる映画、大好きですよね? 賛否両論ありますが、あなたならきっと気に入って貰えるはずです」という謎のおすすめをされたので観るしかあるまい。
・うん、面倒臭い人間のお話しだいすき! エヴァが四半世紀掛かってたどりついた境地を再構成して、2時間に圧縮したテイスト。碇ゲンドウの「親戚の集まりが苦手だった」発言から前面に出てきた、「上手く人と関われない人間はどう生きるのか?」問題の最新版である。
・コミュ障こじらせたオタクはすぐに技術に頼って人類を補完しようとするけど、不器用な人間は不器用なりに傷つきながら人と関わっていくしかねえんだよぉ!
……というところに焦点を当て始めてから、庵野監督への評価が上がっている。
元々おれは、庵野監督は特撮への造詣が深く、その点は信頼できるが、登場人物をストーリーを動かす駒としてしか思っていないのではないのか?と疑っていた。旧エヴァでアスカを廃人にしてほったらかしにしていた頃は、「あいつよりもおれのほうがアスカを幸せにしてやれる!」と思っていたし、シン・ゴジラのときも人間というよりも社会的な役割をこなすパーツにしか見えなかった。
だがゲンドウの「親戚の集まりが嫌い」発言から、マジョリティ側に迎合できない人間の集まりとしてのショッカーがシームレスに繋がっていって、特撮ヒーローの原点に立ち返っていくプロセスが感動的なんだよ……。
庵野監督はシン・シリーズの製作を通して自己を再定義している。特撮という枠組みの中で、面倒臭い人間と、異物である他者との関わり方を書こうとしている。
そこが面倒臭い人間側の感性にブッ刺さった。


・X(旧Twitter)から他SNSへの亡命ガイド。

イーロン・マスクの暴政により日々改悪の一途を辿っていくTwitter。青い鳥は無機質なXのロゴになり、以前とは別物のSNSへと変わり果てた。ブロック機能を削除するというが、マスクならやってもおかしくない。他のSNSへの亡命を考え始めるのなら、今が絶好の機会だ。

まず最初に言っておくべきなのは「MisskeyとMastodonはActivityPubという同じ通信プロトコルを使っているので相互フォローできる」ことだ。数年前にMastodonアカウントを取得している人はわざわざMisskeyのアカウントを開設する必要がない。
ActivityPubを使ったSNSは数多く存在し、GNU socialやPleroma、インスタグラム風のPixelfedなどがある。このブログもWriteFreelyというActivityPub製のブログプラットフォームだ。

・インスタンス選びについて
資金と人員がある程度確保されているインスタンスをおすすめしている。個人サーバーはマンパワーと資金に限界があり、長い間運用していけるかは未知数だ。管理人のモチベーション低下でバージョン変更が遅くなったりする。
一時的に使用するにはいいし、アカウントのお引っ越し機能もあるのでそこまで深く考える必要はないかな。

・個人的おすすめインスタンス。

Mastodonの人気インスタンスには収容できるユーザーに上限があり、新規登録が制限されやすい。良さそうなサーバーを見つけたらアカウントを取得しておくといいかも。
登録数の上限を越えたら、新しくリンクを生成するので連絡して欲しい。

・* Vivaldi Social
まずはWebブラウザー「Vivaldi」の説明から入る。「買収されてOperaは変わってしまったが、元CEOのおれと仲間たちが旧Operaの精神を受け継いで新しいブラウザを作っていくぜ!」という流れから生まれた多機能ブラウザだ。
イーロン・マスクに買収されたTwitterとどこか重なるところがある。
Vivaldiアカウントを開設すれば使えるようになる。

・mozilla.social
Firefoxを開発しているmozillaが試験運用しているMasotonインスタンス。まだ登録できないが期待している。

・その他

・番外編 Pawoo
Pixivのマストドンインスタンス。他インスタンスからのブロック、度重なる経営譲渡、独自機能を追加したせいでバージョンアップが遅くなっている等の理由であまりいい印象がない。
久しぶりにPawooにアクセスしたら、AI生成された実写児童ポルノがローカルタイムラインに投稿されていて、テクノロジーが生み出した地獄になっていた。
・Threads
ユーザーをひとつのサービスに囲い込むタイプのSNSは思想信条に反するので使わない。

Fediverseには無数のインスタンスがある。自分のおすすめ以外にもいいところがあったら教えてくれるとありがたい。それでも「Twitterを使い続けたい、他にいくべき場所がない」という人もいるはずだ。
その場合は拡張機能「Control Panel for Twitter」をブラウザにインストールするといい。「もっと見つける」を消せたり、Xのアイコンを元の青い鳥に戻したり、余計な機能や数字を非表示にすることで、イーロン以前のTwitterに近づけられる。
それでは諸君、Fediverseで会おう!


・絶対搾精!サキュバトル!

※怪文書です。
・男サキュバス変身ベルト! それは男性がサキュバスに変身するための道具だ。使用者の深層心理に刻まれた性癖にアクセスして、ドスケベサキュバスフォームを形成する。業の深い性癖を抱えているほど強力なサキュバスになれる。
別売りの淫紋メダルをセットすることで、サキュバスのスタイルやコスチュームを替えられるぞ!
しかし適性因子を持ったものでないとサキュバスに魂を浸食されて自我を失い、欲望のままに他者を襲う怪サキュバスとなる。

・主人公である咲葉亜朱(さきば・あしゅ)は、怪サキュバスと戦う正義の男サキュバスである。まだ何も知らなかったころに怪サキュバスに襲われたが、一命を取り留めた。
腹部が疼き、ピンク色の淫紋が浮かび上がると同時に、失踪した父さんが遺したサキュバス変身ベルトが発光したのだ。なにをするべきかは〝理解(わか)〟っていた。鳥が空を飛ぶように、魚が泳ぐように、血に刻まれている何かが僕を突き動かす。
「――男サキュバス、変身ッ!」
主人公は男サキュバスに変身して、怪サキュバスを撃退する。それが過酷な戦いの日々の始まりだった……。

・男サキュバス、葛藤編
「田舎の日焼けワンピースメスガキサキュバスが、お前の深層心理に眠っていた性癖なんだって認めろよ……! あんたには親父さんと同じ血が流れている。腹部に浮かぶ淫紋がその証拠だ。運命には抗えない。男サキュバスの血筋を受け入れろ!」
「違う! 僕がなりたかったのは、白ワンピースと麦藁帽子の似合う清らかな美少女なんだ……!」

・男サキュバス、ライバル編
「お前の親父は伝説の男サキュバスなんかじゃない! 誰でも見境なく搾精する最低の男サキュバスだったぜ!」
「嘘だ! 父さんは童貞オタクにやさしいギャルサキュバスだった! たくさんのオタクを〝ドーテー♪〟と罵りながら、優しく筆下ろしをしていたんだ!」
・「男サキュバスのエリートとして育てられたおれが、どうしてお前なんかに……! おれの家に代々受け継がれてきたサキュバス変身ベルト……童貞を殺す服を着たメンヘラ地雷ファッションサキュバスが、破れるはずがないんだ……!」

・サキュバス変身ベルト職人編
「この狂サキュバス変身ベルトは普通の人間には使いこなせない。一度でも変身すると魂を乗っ取られ、理性を失って人々を襲い続ける。こんなサキュバス変身ベルトを作ったことを、わしは後悔しておるよ……。
世界の終わりまでサキュバス変身ベルトは封印し続けることにしたんじゃ……。そう……もしこの変身ベルトを使いこなせる人間がいるとすれば、伝説の男サキュバスの血を受け継ぐものだけじゃ……」
・「今のお前では、男サキュバス四柱・ロリババア幼妻の斉藤には勝てん。逃げるんじゃ……!」
「じいさんはどうするんだ……!?」
「以前のわしはこう呼ばれておった……。『表情筋が死んでいるが性欲が強く、事務的に搾精しつづける無愛想クールの男サキュバス』とね。老いぼれだが時間稼ぎぐらいはできる。お前は生きねばならん。
見つけるんじゃ……お前だけの、真のサキュバスフォームを!」
・「無謀じゃ! 狂サキュバスに変身したら、お前の命が危ない……!いや、まさか……狂サキュバス変身ベルト自身が持ち主を選んだのか……? もしや、あんたの親父さんは……あの伝説の男サキュバスでは……?」
・「大地や空気、森羅万象の全てからエネルギーを搾精している、だと……? 無理じゃ! 今のお前の肉体では耐えられん! 自然界の力をすべて取り込むなんて……!」
・ライバル(メンヘラ地雷童貞殺しの男サキュバス)「てめえにここで勝ち逃げされちゃ困るんだよぉ! 最強の男サキュバスはおれだってことを分からせるまで、お前は絶対に死なせねえ! お前が取り込んだ自然界のエネルギー、全部おれが絞り取ってやる!」

・「怖いんだ……いつか僕が狂サキュバスに魂を飲み込まれて、今日みたいに理性を失ってしまったらと思うと、恐ろしくて戦えない……」
ライバル「もしもお前が狂サキュバスに魂を飲み込まれてしまったら、おれが絞り取って殺してやる!」

・ライバル「あいつは男サキュバス四柱最強の、催眠アプリの富岡……! 洗脳したモブおじさん一万人を、おれたちに押し付けてきやがった、だと……!?」
「やることはひとつだろ……! あいつら全員から精液を絞り取って、空っぽにするんだ! ここはひとまず、共同戦線といこうじゃねえか! 先にくたばるんじゃねえぞ!」

最終章 淫王編
闇のサキュバス変身ベルトの力によって、全人類が男サキュバスへと変貌を遂げようとする。封印されていた淫王が目指すのは、男サキュバスのユートピアだ。文明によって抑圧された性衝動を解き放ち、人間のあるべき姿を取り戻そうとする。
「しょせんは人間も動物……。セックスしたいという本能には逆らえない……!」
 淫王の圧倒的な淫力を前に、主人公は絶体絶命の危機に陥る。「どんなに絶望的な状況でも、男サキュバスは絶対に諦めない!」主人公の強い思いに答えるように、仲間たちが加勢にやってくる!(※ここで第1期オープニングテーマ『絶対搾精!サキュバトル!』が流れる)

ライバル「ヒャハハハ! 淫王だかなんだか知らねえけどよぉ! 最強はこのおれなんだよぉっ!」
サキュバス変身ベルト職人「わしの目が黒いうちは、若いのに指一本手出しはさせんぞ……!」
師匠(赤ちゃんプレイのサキュバス)「きょうもいちにちおつかれさまっ♪ なでなでしてあげるからねむっちゃっていいんだよ♪」
仲間になった男サキュバス四柱たち「世界の運命、あなたに託しましたよ……」
サキュバスオオクワガタ「チューー!チューーーー!!(※鳴き声)」

主人公の下腹部に浮かび上がった淫紋が熱くなり、激しい光を発する。ようやく分かったよ、父さん……。男サキュバスはえっちな存在なんかじゃない……。すべての生き物は孤独で、だからこそ繋がろうとする。それがサキュバス力(ぢから)の根源だってことが心で理解できた……!
淫王はユートピアが作りたいわけじゃない。寝取られて愛を信じられなくなっているだけで、本当は誰よりも傷ついているんだ。父さんならきっと、淫王を大きな愛情で包み込んで、優しく搾精するに違いない。
いまは父さんの代わりに、僕がやらなくちゃいけない。
サキュバス変身ベルトに父親が遺した淫紋メダル【オタクに優しいギャル】をセットする。
「――変身ッ!」
次回、絶対搾精!サキュバトル!最終回。
『伝説の男サキュバス』


・おねショタ政治アニメ『第6話 海に汚いお水をぴゅっぴゅしてもいいのかな?』

いつの間にか、汚染水が処理水と呼ばれるようになっているが、どのタイミングからこの言葉に切り替わったのかわからない。どちらの言葉も政治的な意図が込められていて、汚染水は海を放射能で穢すもの、処理水は安全なものとして印象が引っ張られるので、トリチウム含有水と呼んだほうがいいのかも知れない。
おれの疑問は「処理水という言葉がいつ頃から頻繁に使われるようになったか?」だ。
数年前のおれは心の中で、おねショタ政治アニメ『お姉ちゃんが政的なことを教えてあげるね♪』を放送していた。これはショタの主人公が、となりのお姉ちゃん(CV沢野ぽぷら)から政的なことを教わる政治教育アニメだ。不毛な政治バトルに疲れ果てた心が生み出した幻覚である。
教育系の番組では女性が聞き役に回ることが多い。「男性のほうが賢く、女性は常に教えられる側であるというのは、偏見に満ちたジェンダーロールでは無いのか?」と批判されることが多いため、お姉ちゃんがショタに教えるという政治的に正しい表現が採用された。
お姉ちゃんはショタを成熟した民主主義社会の一員として育てるために、様々な知識をレクチャーする。それだけではなくて、時には彼を唆すような発言をして良識を試すことがある。

汚染水の海洋放出を主題にした『第6話 海に汚いお水をぴゅっぴゅしてもいいのかな?』では、下記のようなやりとりが行われた。
「炉心に燃料棒を入れて、国民(みんな)に見つからないようにこっそりと無責任発電したら、きっと気持ちいいよ? もし事故が起きても、汚染水を海にぴゅっぴゅすれば大丈夫だよ。『海に汚いお水をいっぱいぴゅっぴゅしたいです』って正直に言えば、すっきりして気持ちよくなれるよ。どうせ責任を取るのはあなたじゃないから、何も考えずに汚染水を海にぴゅっぴゅすればいいんだよ? ね? お姉ちゃんと汚染水いっぱい海にぴゅっぴゅしよっか?
頭の中を真っ白にして、たのしくて気持ちいいことだけ考えていたいよね? あなたは何も考えずに、お姉ちゃんの言うことに従っていればいいんだよ。」

ここでおれが使用しているのは「汚染水」である。もしも当時から「処理水」という言葉が使われていたら、「お姉ちゃんが処理してあげるから、大丈夫だよ♪ 安全だから、海中(なか)にぴゅっぴゅしていいよ♪」というセリフをぶち込むに違いないのだ。記憶は曖昧だが、性癖なら信じられる。おれが処理水という言葉で、性欲処理を連想しないはずがないだろ! 岸田文雄! 海中(なか)で放出(だ)すぞッ!

NHKのサイトでも表記揺れしていて、どういう経緯で表現の割合が変化していったのか測定できない。以前から使われていたはずの言葉が、知らない間に別の表現に置きかえられていくのは、記憶や印象をトップダウンで上書きされているような嫌な気持ちになる。

・トリチウムなどの放射性物質を含む水

おねショタ政治アニメの話に戻るけど、第一期のラストで主人公のショタがジェンダーマイノリティであることがカミングアウトされ、おねショタなのかおねロリなのか定かでは無くなったんだよね。「お姉ちゃんに囲まれて勃起しないのはおかしい」と以前から指摘されていたが、ラブコメのお約束を逆手に取った伏線だったのだ。公式も一度も「おねショタ」や「主人公の少年」という言葉を使っていなかった。主人公をショタだと信じ込んでいたのは我々、視聴者のほうだったんよ……。


・『葬送のフリーレン』雑感。

・「本誌で1話目から読んでいるぜ!」という有害古参マウンティングしたくなる。
・この作品の中心にあるテーマは「理解」で、それはフリーレンが人間を知ろうとしていく過程だけでは無い。敵側である魔族もまた、彼らなりの方法で人間の感情を理解しようとする。
黄金郷のマハトは「悪意や罪悪感がわからないから人間を理解したい。人間と仲良くなって殺せば、この気持ちが分かるかも知れない」という理由で、人と仮初めの関係を築く。
自閉症スペクトラムの社会的フォルマリズム戦略を極限まで洗練させているのが、マハトの魅力的なところだ。つまり「人間の心が分からなくても、それらしい表面的な振る舞いを理解すれば、社会的には心があるように見える」という生き方だ。
自分も定型発達者の価値観や思考回路はよくわからないので、エルフや魔族の抱いている「人間をいまいち感覚で理解できない感じ」に共感する。おれは仮面ライダー555のオルフェノクとか、人間に擬態して社会生活をしている化け物、ヴィラン、そういう連中側の人間だと思う。
そういう個人的な事情があり、この作品の魔族には親近感を抱く。
彼以外にも、人間側にはユーベルという感性が理解できない登場人物がいる。「現実がどうであるかよりも、自分の思い込みの強さが優先される」タイプの異常者で、「人間でも理解できない人間」枠にいる。
・本誌では休載が多く、完結するかどうかはわからない。個人的には断頭台のアウラ編までは安定していて面白い。そのあとの魔法試験編はバトルマンガ風になって作品の毛色が少し変わる。
黄金郷のマハト編は「人間と魔族の関係性!数十年にわたる因縁!読みたかったのはこれだよ、これ!」という珠玉の出来で、物語としても一区切りついているのでそこまで読んでも後悔はしない。


・SNSとの接し方についての話。

承認欲求がバグってきたので、SNSとの距離感をチューニングし直している。
いいねを押してゆるい繋がりを保つメリットはあるのだが、いつの間にか「あの人からは反応があって当然」にすり替わってしまうはよくない。既読代わりに使う場面もある。
「ハート型のボタンを押した」だけの行為に、それ以上の意味を持たせてしまうのは承認欲求的に好ましくない。あの人、最近いいねしてくれなくなったけど、あたいのことなんて興味が無くなってしまったのかな……と思われるのかどうかは知らないが、極力いいね!する回数を減らしていきたい。
・いいね!やテキストメッセージなんてしないで、通話や直接会ったり、VR空間でコミュニケーションを取ることを重視する。「屋上で直接殴り合おうぜ!」のステゴロ精神がおれたちには必要なのだ。
・きらきらしない。
普段のおれはまったくキラキラしていない鈍色暗黒Daysを過ごしているのだが、SNSではなんとか取り繕って綺麗な部分を見せたいと思っている。他人もそんなに変わらないのだろうなと感じているが、「おれ以外の人間がみんな、満たされていて幸福に見える……。皆が美味しい焼き肉を食べている日に、おれはツナ缶にマヨネーズと醤油とごま油を混ぜ合わせたものと納豆とご飯という慎ましい食事をしているんだ……」という気持ちになる。
実人生をきらきらに加工して、必要以上に自分のイメージを盛って人から好かれたい!そういう浅ましい欲望が見え隠れしているのが煩わしくなってきたので、きらきらからは距離を置く。
おれはソーシャル・ダンゴムシとして、冷たい石の下にずっと隠れて生きていたい……。
・ここ最近、ずっとBanG Dream! It’s MyGO!!!!!の曲を聴いている。
楽曲コンセプトが「ダンゴムシにはダンゴムシの生き方があるの!」の名作コピペだ。生きていることがしんどい女の子たちは、いつも「自分は間違っているのではないのか?」と人生の迷子になっている。「人間になりたい」「ずっと 石の下に隠れていたかった」「全部僕が壊してしまった」等々、ダンゴムシ人間の精神を抉る。
だが「迷うことを、迷わない!」と、前に進むことを肯定する。
音楽の根源である魂の叫びがMyGO!!!!!にはある。これがソーシャル・ダンゴムシの生き様だ……!


・「憎しみは特定の個人がいなくても存在できる」

・「憎しみは特定の個人がいなくても存在できる」(出典不明のメモ。誰が言ったんだっけ?)
・戦争のニュース見て心が不安定になっている……。効率的に人を殺したり、インフラを破壊できるシステマティックなものを当たり前に受け入れているのが怖い。強い殺意や憎悪が無くても、罪悪感を覚えなくても、トリガーやスイッチを動かす労力だけで人が死ぬ。〝殺した〟という認識が限りなく稀釈されながら、破壊の生産性だけが向上し続ける。その非対称性が人工的で不自然だなって感じる。
・東日本大震災の映像が流されるときには「これから放送される動画には、津波や破壊された市街地などの光景が含まれています。視聴すると、ストレスを感じる可能性があります。心配な方は視聴を控えてください。」というテロップが宛がわれるのが普通になった。でも、空爆で瓦礫になった街や血塗れになった人たちの映像が映し出される前にはなんの注意喚起もされないのが気になる。
いや、自分も昔はどこかの国で誰かが苦しんでいても「かわいそう。大変だねー」ぐらいで済ませていたんだけど、最近は自分の手足が吹っ飛ばされたり、瓦礫に埋もれて、救助されないままゆっくりと苦しみながら死んでいく様を想像をしてしまう。
・「この人間は憎んだり、殺してもいいですよ」という価値観が自然と受け止められているが怖い。それが国籍や宗教、人種というざっくりとした要素でしかなくて、自分がいつ「殺してもいい人間側」になってもおかしくない。
心情的にはウクライナ側に肩入れしたくなるが、その立場を取ることで、ロシア側の人たちの命が相対的に軽くなる。イスラエルとガザ地区も同じだな。結果的に傍観して、見殺しにしているようなものだが。
・高度にシステム化された破壊では人間の闘争本能は満たされないんじゃ無いか? 相手の集落を襲撃して頭蓋骨を鈍器で叩き割り、敵の首を切断して雄叫びを上げるような、動物としてのプリミティブな闘争ではない。
空爆で破壊される映像を観ていても、蛮性の欠落した破壊だけがある。〝殺した〟という身体性の存在しない死が降り注ぐ。無関心になって、誰かが死ぬことになんら痛痒を感じなくなっている。1000人死んだんですか、大変ですね。では次は可愛いネコちゃんのニュースです。そのあとにプリキュアを観て、架空の人間に対して涙を流す。おれは狂人か?


・0.3kおやつデッキ・遠足ウィニー解説

遠足おやつデッキは300円という制限の中でお菓子を買い、自分だけのオリジナルデッキを作り上げるフォーマットだ。予算が限られているからこそおやつデッキビルダーの個性や遠足に向ける想いが滲み出る。

■遠足ウィニー
4 《うまい棒》
4 《クリスピークリスチョコ》
2 《コーラガム(当り付き)》
2 《フェリックスガム》
-10円菓子(12)-

1 《ミルクボーロ》
1 《オリオン ミニ コーラ》
1《 フエラムネ》
1 《キャベツ太郎》
1 《ネオンツイスト飲むゼリー》
-20円菓子(5)-

1 《ベビースターラーメン》
-30円菓子(1)-

1 《スーパービッグチョコ》
-50円菓子(1)-

10円、20円の軽量お菓子を主軸にした遠足ウィニーデッキだ。遠出でお腹が減ることを想定して、うまい棒やキャベツ太郎、ベビースターラーメンといった腹持ちのいいスナック菓子をメインに据えている。4積みされたうまい棒は様々なフレーバーがあるから、遠足の気分によって味を変えられるのも柔軟性がある。私のおすすめはコーンポタージュ味、たこやき味、のり塩味だ。今回は見送ったが、うまい棒のチョコレート味で、デッキ全体をチョコに寄せるのもいいだろう。
300円という少ない予算ながら、スナック、チョコ、ラムネ、ゼリー等のバランス配分に気を遣い、単調にならないように工夫した。やはり遠足のお菓子は楽しさを重視したい。おしゃれ枠として採用したのはフエラムネだ。道中で音を鳴らして楽しめる。食べるだけがお菓子ではない。
スーパービッグチョコはこのおやつデッキ唯一のファッティ菓子だ。お弁当を食べたあとにほおばって最高の遠足を演出しよう。

・追記(2023年10月19日)
このデッキレシピは昔の金銭感覚で組んだものなので、最近の急激な物価上昇が反映できていない。
消費増税や物価高の影響で、このデッキリストを0.3kで組めなくなっていることをお詫びする。妥協案としてスーパービッグチョコを外して、30円帯の駄菓子を補強するのがいいだろう。

参考サイト。
https://www.inokuchi.net/dagashibyprice


・MTG英単語学習法

MTG英単語帳を作っていた。マジック・ザ・ギャザリングのカード名に含まれている英単語を辞書で調べて、SVL12000でレベル分けする。カードを調べながら英単語の語彙を増やしていけるという画期的な方法だ。英語版のほうがカードが安いときも多いので読めるに越したことは無い。
オードリー・タンも行っていた由緒正しい(?)英語学習法だ。

冒涜の行動/Blasphemous Act はよく使っている全体除去で、すべてのクリーチャーに13点のダメージを飛ばす。blasphemyの単語レベルは12。そこまで頻出度が高い単語ではないが、どんな手段でも語彙を増やしていくという不屈の意志/Adamant Willで英語学習のモチベーションを保つ。

・レベル10
溜め込むドラゴン/Hoarding Dragon Hoard
難題/Vex
絡み織りの鎧/Tangleweave Armor  Tangle
持続のルーン/Rune of Sustenance
敬虔な命令/Devout Decree
ファイレクシアの抹消者/Phyrexian Obliterator obliterate
騒乱の大祭/Havoc Festival
王国焦がしのヘルカイト/Realm-Scorcher Hellkite Scorch
It’s a scorcher today

だいたいこんな感じでリスト化して用例に目を通す。余裕があれば語源なども調べたいところだ。「危険な進出/Perilous Forays」は1マナ払ってクリーチャーを生け贄に捧げることで土地を伸ばせるエンチャントだ。単語レベルはどちらもレベル11なので一枚のカード名で二つの単語を覚えられる。
勉強のための勉強ってあまりよくないと思う。英単語や文法を覚えたけれども英語圏の文章や記事はほとんど読まないのなら、手段と目的が入れ違っている。国外の情報を読んで知識を仕入れるために語学をやっている。
いまはDeepLがあるので以前よりは英語圏の情報を漁るのは楽になったが、記事をざっくり読んで何が書かれているのかを判別できるぐらいの読解力が欲しい。


・「心が老いていくのが怖い」という話題について。

「心が老いていくのマジで怖い」といった話をしていた。おれたちもいずれ老害と呼ばれるようになる。視野が狭まり、頑固になり、人の意見に耳を傾けず、感情のブレーキが利かなくなり、価値観が更新されないままで、他者へのデリカシーが無くなって、人から疎まれているのにも気付かず、緩やかに老いていく……。
そんなのは嫌だ。もしもおれがモンスターになったら、その時にはお前の手で殺してくれ!
でも精神の老化から逃れようとするのは、不老不死を求めるのと同じだ。身体と同時に心も老いていく。腰が曲がるように、性格もねじ曲がっていくことからは避けられない。若々しい精神を保ちたいと願うのは、肌年齢が10代のままでいたいとか、酒飲んで徹夜しても大丈夫な20代前半の体力が欲しいと望むのと代わりがないのではないか?
問題はどういう方向性で老いるのかだ。遅かれ早かれ、おれは老害と呼ばれるようになる。すでにその兆候は出始めているはずだが気がついていない。陽気でフレンドリーさを心掛けているのに、「他者への配慮を欠いていて、パーソナルスペースを土足で踏み荒らしていくおじさん」になっているんじゃねえか……? 人から「あの人はもう何も言っても無駄だから、放っておこう。自業自得だしね」と思われていてもおかしくない。
若くあろうとして無理をするからあらゆる害悪が発生する。認知機能が低下しているのに車に乗って、ブレーキとアクセルを間違える。そうならないように運転免許を返納する。それと同じプロセスが精神の老いには必要なのだと思う。できなくなったことを手放していく。肉体的、精神的にベストコンディションだったころの自分を基準にしない。
迷惑を掛ける側になることを前提に、他人の迷惑や厄介さを許容できるバッファを作っていった方が建設的ではないのか。厄介で面倒臭い人、「こいつ、もうどうしようもねえなぁ……」と思うような人にもできる範囲で優しくする。自分もそっち側にならないという保証はないし、すでに片足を突っ込んでいる。
でもさ、怪物になったら殺してくれと言ったけれども、なんでみんなおれに銃を向けるんだ? おれはまだ人間なんだ。引き金を引かないでくれ。頼む……。助けt


・会話デッキ暗黒神決定戦

さて、今宵も会話デッキ暗黒神決定戦が始まりました。
会話デッキ暗黒神決定戦は4人のバトルロイヤル形式で行われます。それぞれの会話デッキを叩き付け、最後までメンタルが折れずにいたプレイヤーの勝利という単純なルールです。
試合が始まりました。現チャンピオンの会話デッキは「初対面から重い身の上話」です。1ターン目から重い身の上話を叩き付けて盤面優位を築くものの、挑戦者Aの「場の空気を破壊する。それらは再生できない」で仕切り直しに。徹底的にその場の雰囲気を台無しする天性の会話スキルを武器に、初参加ながら決勝戦まで登り詰めた期待のルーキーです!
がら空きになった隙を見計らって挑戦者Bが「ずっとおれの会話ターン(アンリミテッド・トーク)」を発動して一方的に趣味の話題を語り続けます。オタク早口速攻は会話デッキバトルの黎明期から存在するスタンダードなデッキですが、その分対策も豊富で環境では下火になっています。ですがオタク早口速攻は進化し続ける! 最新の急戦型から繰り出されるオタク早口速攻のどうでもいい話に会場の皆がうんざりし始める! 審判が挑戦者Bにテクニカルポイントを加算して、一歩先んじました!
それを許さないのが挑戦者C。陰謀論デッキの強烈な割り込み(インターセプト)で主導権を奪い取る。陰謀論デッキはここ数年で数を増やしてきた会話デッキバトルの新しいアーキタイプで、様々なバリエーションが生まれています。反ワクチン、地球平面論などで対戦相手の思考をコントロールするのが主な戦略ですが、自分が陰謀論者になってしまいかねない上級者向けのデッキです。ここで挑戦者CのSNSを確認しましたが、残念なことにもう手遅れのようです。
しかしその代償として、有無を言わさぬ説得力で陰謀論を布教する! 古き良きオタク早口速攻と新型の陰謀論コントロール。会話デッキの新旧が激しくぶつかり合う!
2人がまくし立てている間に、盤面を立て直したチャンピオンが再び重い身の上話で攻勢に出る! しかし挑戦者Cが「あなたは悪くない。不幸なのはすべて○○のせい」と陰謀論でカウンターして、ただ1人の共感者になった! このまま居心地の良いエコーチェンバーに引き摺り込んで、1人ずつ社会的に潰していく算段だ! 挑戦者Cの独走を許す形になるかと思われましたが、チャンピオンが挑戦者Cに精神的に依存した! 昼夜問わずにLineを送り続けて挑戦者Cのメンタルを破壊! ここで挑戦者Cが敗退しました! 強い! チャンピオンの即死メンヘラコンボが炸裂した!
1人が退場したあとは、それぞれの持ち味を活かした一進一退の攻防が続きます。
挑戦者Aが丹念に場の空気を破壊して勝ちパターンに持ち込もうとしますが、挑戦者Bの空気を読まずに絶え間なく繰り出される「ずっとおれの会話ターン」とは会話デッキの相性が徹底的に悪い! 一手の差で挑戦者Bが競り勝ちます!
場は煮詰まり、最終局面です! 重い身の上話を叩き付けるチャンピオンと、無限会話ターンの挑戦者Bの一騎打ちです。お互いが好き勝手なことを喋り続けるため、まったくコミュニケーションが成り立っていない!
チャンピオンが勝負を決めるために、フィニッシュブローを仕掛ける! 重い身の上話と、童貞オタクを殺すムーブの2枚即死コンボ――通称「メンヘラ地雷オタサーの姫」から放たれる、渾身の「私のことをわかってくれるのは、オタクくんだけ」だっ! 
メンヘラだと分かっていても同情せざるを得ず、見捨てることに対して罪悪感を覚える内容だ!これでチャンピオンは何人もの挑戦者に精神的に依存して、メンタルを破壊し、会話デッキ神決定戦の王座を守り続けてきた!
なんだかんだいってオタクはチョロい。オタク早口速攻の構造的欠点をチャンピオンが抉るように突く! これまでよどみなく喋り続けていたオタク早口速攻が止まり、挑戦者Bに「あ……」「う……」などの挙動不審さが現れ始める!
これで決着が付くのか……? 皆がチャンピオンの勝利を確信したそのとき! 挑戦者Bが神妙な顔つきになり「お前さ、いつも自分の話ばっかりだよな」と呟きます! いままでの自分の全てを棚の上に上げての説教! チャンピオンの精神的依存を許さない! 「自分1人だけが不幸だと勘違いしているんじゃない?」等々、粘着的な物言いでチャンピオンのメンタルを追い詰めていく!
今まで我々は挑戦者Bの会話デッキを古典的なオタク早口速攻だと思い違いをしてきました。しかしここで会話デッキのサイドボードを大胆にチェンジし、メンヘラをメタる方向へと舵を切った! 2016年の会話デッキ暗黒神決定戦では地雷メンヘラデッキが猛威を振るっていました。そのメタとしてメンヘラ・スレイヤーデッキが考案されたものの好成績は残せませんでした! しかし! ここで! まさかの! オタク早口速攻とメンヘラ・スレイヤーのハイブリッドデッキだ!
「自分の都合ばかりで、他人の気持ちなんて考えたことないだろ?」
ずっとおれの会話ターンと正論風マウンティングのコンボで、挑戦者Bが高火力のカウンターをチャンピオンに浴びせる! オタク早口アグロの手数の多さが、メンヘラ・スレイヤーと好シナジーを形成しています! このまま押し切れるか!?
チャンピオンも手をこまねいているわけではなく、反撃に出ます!
「でも……」
「〝でも〟じゃないよ。これまでの人生もそうやって言い訳を重ねて、他人の同情を買おうとしてきたんだよな?」
その一言でチャンピオンの膝が崩れ落ちて、投了しました! 会話デッキ暗黒神決定戦・新チャンピオンの誕生です! ちなみに個人的な感想としては、誰一人として友達になりたくない!
会話デッキ暗黒神決定戦ではチャンピオンへの挑戦者をつねに募集しています! 自分の会話デッキに自信のあるプレイヤーは是非ともご参加ください!


・喜多ぼを遠くから見つめる会

オタクにとって考察や解釈はある種のロールシャッハテストなのだと思う。何が言いたいのかというと『星座になれたら』は喜多→ぼっちへのクソデカ感情ソングだ。みんなから愛されている君(ギターヒーロー)を見つめる喜多ちゃんであって欲しい。
ある日、おれはぼっち・ざ・ろっくの夢を見た。中学時代の喜多ちゃんはぼっちちゃんに匹敵するクソ地味・コミュ障な女の子であり、高校デビューによって過去を捨てた養殖型陽キャである。原作がどうかは知らねえ。これはおれの夢が見せた啓示だ。
おそらく空気の読めないアッパー型コミュ障なのだと思う。それゆえに周囲には溶け込めず、喜多ちゃんは引きこもっていた。そのときにギターヒーローを知って、彼女のようになろうとしていた。今の喜多ちゃんは後藤ひとりの大ボラから生まれた理想像なんだ。後藤ひとりの虚言が今の喜多ちゃんを形作っている。

いいな 君(ギターヒーロー)はみんなから愛されて
「いいや 僕(後藤ひとり)はずっとひとりきりさ」

遙か彼方 僕らは出会ってしまった
カルマだから 何度も出会ってしまうよ

かつてネット上で喜多ちゃんはギターヒーローと出会った。
運命だから現実でも後藤ひとりと出会ってしまう。
自分でも完全原作無視だとわかっているし、喜多ぼ異端評議会に見つかったら確実に処刑される見解だ。だからこれは、おれの夢日記を元にして生み出された幻覚でしかない。


・ MTG日記 2023年11月5日

・Windows10スタート画面の壁紙が更新される度に「青マナ出そう。氷雪土地」とか「 リミテッドの(3)(緑)のコモンクリーチャー、4/3」などと思いを巡らせている。
・MTGフレンドが大会に出て、不屈の追跡者/Tireless Trackerをライブラリから4枚追放されそうになった。名前を指定したカードをデッキから永久追放するやつだ。そのときに正式名称ではなくて「Tracker追放します」とだけ言われたから、「Tracker(※英語版しか存在しない古のカード)は入っていません。対象となるカードがないので何も追放しません」と返して、ジャッジ判定で言い分を通した話を聞いてめちゃくちゃ笑った。
・統率者マスターズとエルドレインの森・おとぎ話で強力なカードが再録された結果、普段遊んでいるメンツのデッキに軍拡の兆しが見えている。孔蹄のビヒモスを買った、倍増の季節を素引きしたなど、パワーカードが跋扈する環境になりつつある。おれも300円まで値下がりした歯と爪からパーフォロスとゼンディガーの報復者を叩き付けているから同罪ではあるのだが、このインフレの先には何が待っているのか?
イクサランで魔力の墓所が再録されたらどうなってしまうんだろうな……。
・MTGオタクのカード語り文章が読みたい。「おまえ、どこからそんなカード見つけてきんだよ……」という一品や、メジャーでもないしそんなに強くもないけれども、思い入れのあるカード。「このカードは過小評価されているかもしれないけれどよぉ!おれのデッキでなら誰よりも輝けるんだ!」という熱い想いを、好き勝手に語っている文章が無性に欲しくなるんだ。
・強いカードを見つけても、心の中で「私は許そう。だがこいつ(単体除去)が許すかな!」という声が聞こえるようになった。継続的に圧倒的なアドを稼いだり、次のターンが回ってきたら少なくとも1人が退場したりするような目立ち方は、勝算やカウンターが無い限りは単なる-1,-1交換になる。通せれば強くても、通らなければ弱い。
割れるのなら割りたいけれども、今すぐ割らなくても致命傷ではない。置いてあると邪魔だが、もっと他に処理にしなければならない脅威がある程度のヘイト管理が大切かも知れない。

・MTGの色彩心理学
MTGの色彩心理学を理解しようとしている。MTGには5つの色があり、それぞれが特性を持っている。白は秩序、青は知識、黒は犠牲、赤は感情、緑は自然の摂理を司る。それらのうち、おまえはどれを最も重要だと思うのか? 何に従うのが自然に感じられるのか?
おれは緑寄りの赤というかグルールの子なので、自分自身の感情と生き物としてあるがままでいることこそがしっくりくると感じている。笑うべき時に笑い、泣くべき時に泣いて、怒るときには怒りを露わにする。それができないのなら生きている意味はない。緑は自然の摂理の色であると同時に受容と庇護、養い育む力でもある。すべての生き物、植物はその本質を完成させようとする。自然は弱肉強食でもあるけれども、弱いものを守ろうとする意識も本能だ。
おれは論理的な人間では無い。すこし考えればわかることでも、可能な限り素早く、衝動的に行動するほうが自身の本質に近いような気がした。おれは感情過多だ。良いか悪いか別にして……悪いことのほうが多いけれども……感じたことを直接テキストエディタに流し込んで、感情を叩き付けるんだ。まどろっこしいのが苦手なんだ。戦闘ダメージで直接ライフを削るんだ。それが赤緑(グルール)の生き方だ。

・グルール力(ぢから)
暴力!おれ殴る!お前死ぬ! これがグルール式攻略法である。それでも負けるのならまだ暴力が足りないので、より強い力で殴り続ければいい。どんな生き物でも攻撃を続けていたらいつかは倒れる。そのためにパワーを倍にしたり、追加戦闘フェイズや二段攻撃、トランプル、コスト踏み倒しなどのあらゆる手段で戦場を暴力で染上げていく。それがグルール精神の体現であり無謀なる歓喜の行進だ。
MTGにはデッキレベルの他にグルール力(ぢから)ある。妨害よりも火力にリソースを費やしていて、「お互いのデッキをぶん回して、真っ正面からぶつかり合おうぜぇっ!」という蛮族同士の決闘みたいな殴りデッキはグルール力が高い。
殴りジェネラルは無条件でグルールカウントで、統べるもの、ジョダーは名誉グルールだ。最近は緑単の原初の飢え、ガルタくんで何も考えずに敵陣にカチ込みをかけている。恐竜やスタッツのいいクリーチャーが突撃してくるだけで、全体除去一発で壊滅状態に陥る。
かっこいいドラゴンや恐竜、ファッティ、スタッツお化けを並べてぶん殴ると、原始的な本能が満たされて脳汁が出る。対戦相手が「もしかしてこの人、現代社会に転生してきたグルール一族じゃない……?」という印象を抱くようなデッキ構築やプレイングを心掛けたい。ライフ計算するの面倒臭いから、とりあえずフルタップで全員突撃な!
でも小学生レベルの算数ぐらいはやろうね!


・ダークソウル二次創作SS

・※この文章はDARK SOULS REMASTEREDのプレイ中妄想から派生した百合二次創作です。

私はとある小国で、不死の騎士として戦い続けていた。その国の名前は誰も覚えていないだろう。歴史の波に飲まれて衰亡を余儀なくされた。
不死は私たちの国においては祝福だった。寒冷な気候と痩せた土地では養える民は少なく、絶え間ない飢饉と略奪に悩まされてきた。死を許されない身体になった私は不死の騎士になり、自らの背丈を超える大剣を振るいながら数多の命を葬り去ってきた。
いつしか私はこの国の英雄として讃えられるようになった。何度でも死んでもいい人間として、戦い続けることを人々から望まれた。不死者である私にとってそれ以外にやるべきことは無かった。国に忠誠を誓い、不死の身体で死をもたらす。
ただ一人、私の身を案じていたのは王女だけだった。死ぬことがない私を心配して、「無事に帰ってきて欲しい」と言った。
死ぬはずがない私に向ける言葉では無かったが、思えばこのときにはもう、王女は私の精神に起きていた異変を感じ取っていたのだろう。死ぬ度に私は死に慣れる。最初は死や痛みを恐れていたが、何度も蘇るたびに感情は欠落していき、より効率的に敵を殺せるようになっていった。
それは強さでは無くて、人を人たらしめているものが欠落していただけなのかも知れない。
不死は私たちが思っているような祝福では無かった。死ねない呪いが諸国に広がっていった。幸運だったのは、不死の呪いが広がる前に故郷の王国が滅ぼされたことだ。不死が一人いるだけでは立ち向かえないほどの軍勢によって蹂躙され、王女は処刑されて国は滅びた。
私以外の人間は皆、人として死ぬことができた。
不死である私だけが、一人生き残った。

帰る場所と戦う理由を無くした私は、不死院に幽閉された。不死の者は世界の終わりがやってくるまでこの場所につなぎ止められるはずだったが、数奇な運命に導かれてロードランの地を踏んだ。
その場所で私が出会ったのは、一人の少女だった。篝火が絶えないように火を守り続けている。何かの罰であるかのように、両目が糸で縫われていた。彼女は「私が視ることは、災いだから」とだけ言った。足が鉄の枷でつなぎ止められていて、この場所から離れられないようにされていた。
私が篝火を立ち去ろうとすると、少女は私の手に触れて「もし良かったから、また戻ってきてくれると嬉しい」とか細い声で呟いた。ずっとこの場所で独りきりだったのだろう。身体に暖かさが伝わってくるのは、篝火があるからだけではないだろう。少女の皮膚から、人間の熱が染み込んでくる。
目の前の少女に、私は王女の面影を重ねる。
「心配しないでください。必ず帰ってきます」
かつて王女にしたのと同じように、片膝を突いて誓を立てる。
人間には帰る場所が必要だ。古いおとぎ話を読み聞かせられたことがある。迷宮に挑む英雄が地上に戻れるように、王女は糸を与えた。迷っても糸を辿って、地中に戻ってこられるようにと。帰るためには待っていてくれる誰かがいなければならない。それが欠けてしまえば、私は存在意義を失ってしまう。それが分かっているからこそ偽りの主従関係を求めた。
この人を寂しくさせないために場所に帰ってくる。
ただそれだけが、私の戦う理由になった。

この地に満ちる亡者たちも、かつては私と同じような不死の人間だった。
亡者たちはすべてを失ったあとも、なじみ深い生き方に留まろうとする。城の衛兵だったものは亡者になった後も廃墟の城を守り続け、盗賊だったものは盗みと殺しに固執し続ける。そうすることで自分のかたちを留めようとする。
死ねない死を繰り返す度に、人間だった頃の記憶や感情が欠落し、壊れていくようだった。思考が焦点を結ばなくなり、記憶が虫食いになっていく。篝火から離れる度に身体が魂の芯から冷たくなっていって、人間ではないものへと変わっていく。静かに毒が回って麻痺していくように、痛みや体温、理性、思考、倫理、記憶――かつて私を人間たらしめていたものが失われていく。
目を縫われた少女の元に帰還する度に、篝火の熱と彼女の存在が冷え切った魂を暖める。人間だったころに持っていたものを思い出せる。亡者になる危険を冒しながら戦い続ける私に、目を縫われた少女は「どうしてそんなに傷ついてまで戦い続けるの?」と尋ねた。
私はいつもと同じように「この王国とあなた様を守るためです」と答えた。
以前にも同じようなことを彼女は私に聞いた。王女は死ねない死の苦しみに耐えながら戦う私を抱き締めて、「もう戦わなくていいのに」と言った。
不死は祝福だとされ、私は英雄になった。不死である私を化け物のようだと忌み嫌うものもいた。ただひとり、王女だけが死ねない苦しみを理解してくれた。
守りたいものがあった。自分の身体を生け贄のように捧げても構わない。そのためになら、数え切れないほどの死を繰り返しても構わないと思った。再び大剣の鞘を背中に担いで、戦いに赴こうとする。
「あなたには戦い続けなければならない理由があるんだね」
王女は寂しそうな表情を浮かべた。誰が彼女の両目を縫ったのだろう? この場所は私が知っている王国ではない。でも、ただひとつ。伝わってくる温もりと、目の前の人を守らなければならないことだけははっきりと覚えている。
「心配しないでください。絶対に帰ってきますから」 
安心させるように王女の頭に手を載せて、私は戦場へと赴いた。

――それが何年、何十年、何百年前の記憶だったのか、今の私には分からない。水面に浮かぶ泡のように、古い記憶の断片が湧き上がる。
ほんの束の間だけ、私は私であることを思い出す。光の届かない深い地の底で、私は両手に握った剣を振り回し、亡者たち血と肉で地面を汚している。
どうして私はこんなところにいて、戦っているのか?
なにも思い出せない。血液の代わりに冷たい水が流れているようで、魂の奥底が凍える。記憶は霧に包まれているように不明瞭だ。
戦わなければならない。何のために?
帰らなければならない。どこに?
守らなければならない。誰を?
パズルのひとかけらのような記憶や感情の断片だけが、無造作に浮かんでは消えていく。火。温かかったもの。「帰ってきてね」。目を縫われた誰か。
ひとつだけ確かなのは、私が持っていた大剣だ。血で錆びて、刃こぼれした剣は私の身丈には似つかわしくないほどに大きい。その剣の柄を握るたびに、私はおぼろげながら自分の為すべきことを思い出す。
剣を握り、敵を殺す。返り血を浴びて、殺されて、再び蘇り、また再び剣を手にする。これまでもずっとそうしてきたから、今もそれを繰り返しているだけだ。
誰かが私の身を案じていたような気がする。いつか見た遠い夢のような記憶に懐かしさを感じた。この感情が失われない間に、目の前の敵を打ち倒さなければならない。
為すべきことが終わったら帰ろう。
名前も顔も思い出せない、誰かの元へ。


・MTG日記(2023年11月19日)

半月ぶりに統率者戦をやった!
・新生ゾンビデッキ
青黒デッキを試運転していたがやっぱりこのカラーはフィーリングが合わないかも知れない。デッキが強いかどうかよりも、ディミーアの方向性が自分の蛮族性とかけ離れているという理由が大きい。
無限コンボで倒すのは達成感がない。「この手順を繰り返して全員のライフをゼロにします。対応ありますか?」だと殴り殺す快感が得られない。でかいクリーチャーを並べて、突撃させて、ダメージ解決時に対戦相手自身の手でライフを減らさせるという過程を眺めるのが大好きなんだ。
「それぞれX点のライフを失う」ではなくて、「X点のダメージを与える」と書かれたスペルで命を焼き払うバーンの方が焼いている感覚があって気持ちいい。

・ゴアガッツ団の親分、ラッガドラッガ。
カードゲーマーの「もうデッキは増やさない」発言は、「もう恋なんてしないよ、絶対に」と同じぐらい信憑性がない。作りかけのデッキを解体したらパーツがだいたい揃っていたので勢いで組んでしまった。
昨日の午後に頼んだパーツが今日の午前に届いたので、速攻でデッキを組んで実戦投入した。MTGシングルカード専門店シングルスターは安くて発送が早いので愛用している。
このデッキは並べる、殴る、マナが溜まってきたらより強い力で殴る! バーンでライフを焼く!……というグルールの蛮族感が滲み出ていて、触り心地が非常によい。
格安カードしか入っていないデッキで改良の余地はあるのだが、グルールの殴りデッキからしか得られない栄養は確かに存在している。
「おれ、いま暴力を振るっている!」という実感は心を癒やしてくれる……。

・アニマのメイエル。
今日はデッキを試運転する日。メイエルちゃんもグルールカラーを含んでいて、デカブツを踏み倒して並べるのが楽しいデッキだ。プレイングに疑問点がたくさんあったが、おれも相手もミスしたのでそれに助けられた感じ。

・テーブルトップの時間感覚。
一日で回せるデッキはどう頑張っても3つぐらいなのに、もう統率者戦デッキが10個ある。どうしたらいいんだ……?
毎週、何回も統率者戦をやるわけではないので、どうしても試行回数が足りなくなる。その割にはみんな次々と新しいデッキを組んでくるので、ハイランダーで毎回の展開が違うのに、新顔の統率者、新しい倒され方が次々と襲ってくる。
アリーナだと気が済むまでデッキを回せるが、テーブルトップは遊ぶ機会が限られている。いまはデジタルで環境が解析されるスピードが早くなったけど、紙ベースの時代はこんな感じのゆったりとした時間の流れだったのだろうな。


・会話デッキ雑考。

会話デッキはオタク早口速攻、キドニタテカケシ雑談ミッドレンジ、オウム返し相づちコントロールぐらいしか持っていない。
真面目に会話デッキを考えると、雑談、自己開示、共感の割合が問題になる。どちらかに偏ると「当たり障りの無い会話しかしない」「自分の話しかしない」「自己開示をせず何を考えているのかわからない」会話デッキになる。
序盤は雑談と軽めの自己開示と「わかるぅー(※共感)」でテンポよく動き、「話しやすく、共感してくれて、個人的な話も打ち明けてくれる」盤面にもっていく。
話題にも軽い・重いがあり、会話デッキのマナカーブを前に寄せるのがセオリーだと思う。
時折、相性の悪い会話デッキと当たることがある。「賭博、風俗、セクハラ3点セット」「ずっとおれの無限会話フェイズ」「初手から重い身の上話踏み倒し」等々。そういうときは「クロージング」で話を広げず、そこそこに対応して会話が続かない状況に誘導していく。
会話デッキも相手によってサイドボードを準備する人間なので、SNS上で一貫性のある発言ができない。目の前にいるのが陰謀論者だったり反ワクチン派で、自分の信念と相容れない相手でも、「まー、賛否両論ありますけど(直接的な否定はしない)」「薬害エイズとかありましたしね」と、微妙に被っている話題で部分的に共感を示すような日和見主義っぷりを発揮する。その場しのぎで、相手にとってもっとも耳触りの良いことを言ってしまうんだ。


・マヌカ先輩とおれ

・マヌカ先輩とおれ(1)
マヌカさん、バイト先のちびっこ先輩に思えて仕方がない。ちゃん付けすると怒る。二十歳だが酒を買うときにいつも年齢確認される。海に行くときに車を出してくれるが運転は荒い。おれが振られたとき、なんだかんだ言って終電間際まで慰めてくれた。ファンディスクで攻略ルートが追加される。(幻視)

・マヌカ先輩とおれ(2)
また彼氏に振られて深酒をするマヌカ先輩。今日はいつもより飲酒のペースが早く、酔い潰れてしまった先輩を自宅で介抱する。(普段はうるさいけど、おとなしく寝ていると美人なんだよな……。というか今まで気がつかなかったけど、女の子を連れ込んでいないか?)
そう思った矢先、おもむろに起き出したマヌカ先輩が自室のフローリングに吐瀉物をぶちまける。背中をさすりながら、残ったものをすべて吐き出させると、先輩はまた眠ってしまった。おれは「仕方の無い人だな……」と、何の疑問も持たずに床を掃除する。そんな午前4時半。

・マヌカ先輩とおれ(3)
マヌカ先輩とはよく休憩中に映画やゲーム、マンガの話をするのだけど、思ったよりも話に食いついてきてくれる。でもそこに以前付き合っていた彼氏の影響を嗅ぎ取ってしまう。

・マヌカ先輩とおれ(4)
就職活動中にエントリーシートがお祈りされまくってメンタルが破壊されているときに、マヌカ先輩が優しく慰めてくれた。このときのおれはマヌカ先輩に精神的に寄りかかっている居心地の良さと恋愛感情の区別が付かなくなっていた。
「寄りかかるのが楽な人」だとおれは思ったし、そのときにこれまでマヌカ先輩の恋愛が長続きしない理由も分かってしまった。おれが心を弱らせて、マヌカ先輩に依存するほど彼女はおれを構ってくれる。
困っている人を見捨てられないお人好しなところが、クズ人間に利用される隙になっている。それを分かっていて、いまのおれはマヌカ先輩の優しさに甘えているだけだった。恋愛感情ではなくて、これは寄生虫が宿主に抱く感情と代わりがない。
でもおれのメンタルが持ち直すまでは、少しだけクズのままでいさせてくれ……。

・マヌカ先輩とおれ(5)
夜の渋谷区立宮下公園をマヌカ先輩と歩く。もうバイト先は辞めているので正確には先輩ではないのだが、癖が抜けずにマヌカ先輩と呼んでしまう。彼女は氷結グレープレモンを飲みながら、「まぁ人生の先輩みたいなものだし」という酔っ払い特有の思考回路で喋る。
マヌカ先輩は酔いが回ったのかベンチに座る。葉桜になりかけた木を見上げて、物思いに耽っている。あるいはもう思考回路が回っていないのかのどちらかだった。
「子供のころは葉桜なんて言葉は知らなくてさ。緑色になった桜だから〝みざくら〟って呼んでいたんだよ」
おれは葉桜の季節がやってくる度に、マヌカ先輩の言った〝みざくら〟という言葉を思い出す。


・親のIT介護

・親のIT介護。スマホとPCのデータを全てGoogleアカウントで同期させて、パスワードやデータのバックアップを取り、標準のブラウザーをChromeにする。気を抜くと「今すぐ無料でウイルスチェック!」の広告をクリックして謎のツールをインストールするようなITリテラシーなので広告ブロックも入れる。
ちなみにパスワードは平文でプリントアウトして、製品の保証書と一緒に保管させている。セキュリティとしては悪手なんだけど、これが一番わかりやすいんだ……。
これで完璧だ!と思っていたんだけど、Windowsが「Edgeが便利になったから使おうな! 親切なおれがデフォルトブラウザーにしておいてやったぜ!」と余計なことをして全てが台無しになる。
高齢者にあまりインターネットに触れて欲しくないと思っている。ろくでもないコンテンツに触れて陰謀論者になるぐらいなら、エンドレスで水戸黄門と釣りバカ日誌とワイドショーと刑事ドラマの再放送と時代劇韓流ドラマを見続けていて欲しい。
低クオリティなテレビ番組を観るぐらいならインターネットを使った方が生活が豊かになる。そう思っていた時期があるのだけど、酷さに下限のあるぶんテレビの方がマシだなって最近は思っている。
親がEdgeのトップページからウクライナ情勢を追っていた。最初は地上波のニュース映像だったので大丈夫だと思っていたんだけど、いつの間にか何処の馬の骨ともわからない軍事オタクがゆっくり音声でウクライナ情勢のうんちくを語る映像を観ていて肝が冷えた。
AIアルゴリズムのレコメンド次第では、1クリック先に陰謀論の世界に飛ばされる。Youtube広告も詐欺まがいのものが多いという記事を読んで、コンテンツも広告もインターネット上のあらゆるものを見せないほうがQOLを上げられるんじゃないのか?
キッズ用に安全なコンテンツだけを表示するフィルターがあるけれども、それの老人版を作って、無害なコンテンツだけを垂れ流し続けてくれ……頼む……。


・メスガキ政治家ひなのちゃん(12歳)

政治家の高齢化が社会問題になった日本。「アクセルとブレーキの区別も覚束なくなる後期高齢者に国の舵取りを任せられるはずがないだろ!」という常識的な理由により、政治家の若年化が求められた。当初は政治家定年制度が提案されていたが、既得権益の壁は崩せなかった。耄碌した老人は死ぬまで権力を手放そうとせず、妥協に妥協を重ね「政治家の平均年齢を下げる」ことで与野党が合意した。
平均値は魔法だ。ビル・ゲイツが離婚したせいでワシントン州の独身男性所得がいきなり500万になり、全人類の金玉を平均すると少なくとも一人一個は睾丸を持っている計算になる。
政治家の平均年齢を下げるために子供を国政に参加させればいい。女性なら国会議員の性別割合も改善されて言うこと無しだ。適当に人気のある芸能人をこども家庭庁のマスコットにでもしておけば、政権支持率も上がるだろう。その浅はかな判断によって日本の国政はメスガキ政治家に飲み込まれた。
世界初の女子小学生政治家、秋原ひなのちゃん(12歳)である。
生意気なクソガキとのハートフルコメディーで地上派デビューを果たし、歯に衣着せぬ言動と大人を馬鹿にした態度で一躍トップスターへと躍り出た。
動物番組「お茶の間ズーパーク」には、だめだめワンちゃんBeforeAfterというコーナーがある。ひなのちゃんがしつけのなっていないダメわんちゃんを調教してお利口な犬にするというものだ。端から見ると健全な動物番組なのだが、ひなのちゃんに罵られるダメ犬を本気で羨ましがる大人が大量に生み出されていた。現代社会の闇だ。
そしてついに!  政治家平均年齢法の施行によって秋原ひなのちゃん(12歳)が国政に進出した! ひなのちゃんのパパである秋原昭一は官僚トップであり、政界に最も近い芸能人であるひなのちゃんに白羽の矢が立った。
当初は「女子小学生に何ができる?」と高を括られていたが、国会デビューから彼女のメスガキ話術は全力全開だった。
クイズ番組で「大人のくせにそんなことも知らないんですねー?」と笑いながらなじってきたり、「こんなこともできないなんて、犬以下だね♪」と辛辣な言葉を容赦なく投げつけてきた、天性のメスガキセンスが高齢男性政治家たちに襲い掛かる。
「高学歴の大人が雁首並べて、何十年も経つのに生産性も賃金もろくに上げられないなんて、ザコすぎの無能じゃないですかぁ?」とか「宗教団体との会合を覚えていないなんて、本当に脳みそ空っぽなんですね」、「あれあれー? 図星だから怒っちゃったのかなー? ごめんねー」「官僚があらかじめ作成した原稿しか読めない、役立たず音読おじさん♪ 失言しちゃうから反論できずに顔を赤くして可愛いー♪」「何年経っても共闘できずに集合離散を繰り返す、烏合の衆のよわよわ野党♪ あ、でもカラスさんの方が頭がいいよね♪ ごめんね、カラスさん♪」 などのメスガキ国会討論により、男性政治家は与野党問わずにわからせられていた。
しかし一部の政治家はプライドを傷つけられ、「絶対にわからせてやる!」と奮起した。自分を馬鹿にしたメスガキを見返し、自分が無能のクソ雑魚大人ではないことを分からせるために、これまでにない速度での政治的・経済的な問題が解決されていった。
ひなのちゃんをわからせるためだけに日本経済が再生され、平均賃金と生産性が諸外国に追いつき、財政が健全化され、ジェンダーギャップ指数が世界上位まで急浮上した。イギリスのリベラル大衆紙はメスガキを「社会的な弱者になりがちな女性と子供をエンパワーメントし、マイノリティの政治参画を促す契機となった」と好意的に論評した。MesuGakiはジャパン・モデルとして世界各国に取り入れられ、今ではMesuGaki政治家は珍しくない存在になった。
時の流れは早い。ひなのちゃん(19)はもはや子供ではなくなり、オタクと国民に優しいギャル首相になっていた。
「おじさんたち、生意気なことを言ってごめんなさい……ひなの、大人がこんなにすごいなんて思わなかったの。……そんなこと、本気で言うと思った? ひなのに煽られて思い通りに動くなんて、おじさんたちって単純ー♪ ばぁーーかっ♪」
 大人を馬鹿にしてごめんなさい謝罪会見のはずだったが、全ては彼女の手のひらで踊っているに過ぎなかった。