2024年日記帳まとめ


時系列は2024年01月→2024年12月です。


・メタバース奇譚、○○ちゃんの母親改変カフェ編

丑三つ時、ポピー横町を歩いていると見たこともないアバターが「いま、突発で臨時イベントやっているんですけど来ませんか?」と声を掛けてきた。
ポータルをくぐるとマンションのワールドに辿り付き、入り口でイベントの説明を受ける。「○○ちゃんの母親改変カフェ」のプレオープンイベントが開かれており、アニメでよく見るような、姉と間違われるタイプの母親アバターがキャストとして参加しているのだという。
マンションの303号室に案内される。部屋の中で待っていたのは、桔梗ちゃんの母親(37歳)だった。おれは近所に住んでいる男子高校生という設定で、娘の桔梗ちゃんとは同級生である。そういったロールプレイで接客が進む。
「晩ご飯、食べていかない?」と、桔梗ママが大根おろし和風ハンバーグを暖める。本来ならば旦那さんが食べるはずのものだったが、最近は急な仕事や飲み会で家を不在にすることが多く、無駄になってしまう。せっかくなのでおれは桔梗ママの手料理を食べた。
満腹で居眠りをしてしまったのだろうか? 目を覚ますとおれはソファに寝かしつけられていて、桔梗ママが馬乗りになっていた。
「旦那とはここ数年間、レスで……」
艶めかしい表情シェイプキーで桔梗ママが誘惑する。これはおれが望んでいる展開ではない。間男として人妻を寝取るシチュエーションのほうがおれは好きだった。怖くなって逃げだそうとしたが身体が動かない。桔梗ママがおれを捕食しようとする寸前にHMDのバッテリーが切れて基底現実に戻ってきた。
後日、同じワールドに行くと荒れ果てた廃墟があるだけだった。十数年も補修されないまま、今にも崩れ落ちそうになっている。同じワールドにいたユーザーに話を聞くと、彼の友人はX(旧Twitter)に「○○ちゃんの母親改変カフェに行ってくるわ!」と投稿したきり行方不明になっているのだという。


・国営デスゲームに参加した日。

経済的な事情で自殺未遂をしたら、役所から「国営デスゲームに参加しませんか?」と言われた。生き残れば賞金が手に入るし、もし死んでも広告収入で葬儀費用が補填されるとのことだ。どうせ死ぬんだし、意味もなく自殺するよりかはデスゲームに身を投じて情けなく死のう。
自殺未遂をした人間、余命が残りわずかな者、犯罪者、もうなんか生きてるのがどうでもよくなった無敵の人。国からさっさと死んだほうがいい人間として認定されると、国営デスゲームへの参加許可が下りる。
日本の自殺者は年間数万人である。これを問題視した政府は「命を無駄にするよりも、デスゲームで死ぬはずだった命を再利用して収益を得る」という方向性に舵を切った。誰が生き残るのかに賭ける年末デスゲームくじが発売され、売り上げの一部が社会保障費として使われる。
娯楽に飢えていた国民は国営デスゲームに熱中した。安全なところで関係のない人間が死んでいくのを見るのは楽しい。カメラで阿鼻叫喚と命乞い、断末魔を聞きながら、視聴者は命の大切さを噛みしめる。
当初は非人道的だと非難されたが、戦争に比べたら犠牲になる人間の数は少ない。何万人もの命が失われる戦争に比べて、国営デスゲームの犠牲者は45人程度だ。50人が参加して、そのうちの約5人が生き残る。国営デスゲームは世界中に配信され、デスゲームくじの対象になり、莫大な広告収入が生まれ、デスゲームに参加していない数多くの人間が助かる。元々は自殺するはずだった命が有効活用されて社会に還元されるし、生き残れば人生をやり直せる賞金が手に入る。社会全体からみれば、国営デスゲームは紛れもなく公共の福祉に寄与するものだった。
僕が参加した一番目のデスゲームは「無敵の人(インビンシブル・マン)」。山手線の列車に閉じ込められた参加者は、機関銃で武装した犯罪者から狙われる。元になったのは山手線銃乱射事件で、デスゲームの題材は社会問題のトレンドに影響を受ける。一方通行の電車内で無敵の人を制圧するか、制限時間まで生き延びればゲームクリアだ。銃弾が尽きるまで別の誰かを犠牲にして時間を稼ぐ。生まれた隙に残った人間で一斉に畳みかけて取り押さえれば難しいデスゲームではない。
でも違和感が拭えない。簡単で安直すぎる。今年話題になったのは銃乱射事件だけではない。殺す人間が一人だと言うのは運営のミスリードではないのか? 確か年始に、満員電車内でガソリンをまき散らして焼身自殺を行おうとした事件があったはずだ。寸前の所で取り押さえられて被害は未然に防がれたが、運営がこの事件を知らないはずがない。
身動きが取れないままでは銃撃の餌食になる。奧に逃げれば1つの車両に集まった乗客がガソリン放火で一網打尽にされる。それが運営の思い描いた筋書きではないのか? 自分の身可愛さに他者を犠牲にする。その結果としてより苦しい死に方をする。
国営デスゲームデザイナーは趣味が悪い。最善に思われた「誰かを犠牲にしてでも生き延びる」選択が悪手だとしたら……? とはいえ、今は銃で武装した男をどうにかしなければならない。こちらは丸腰で戦う力はない。
おそらく相手は、山手線銃乱射事件で死刑判決を受けた富沢久人(36)。実際の事件では狩猟用のショットガンで武装していたが、今は国から支給された9mm機関けん銃を持っている。国営デスゲームに参加しても減刑されることはない。富沢は今もこの社会に絶望して、自暴自棄になって無差別殺人を繰り返そうとしている。
無敵の人は富沢だけではない。彼を説得し、場に冷静さを取り戻したあとに、参加者に紛れ込んでいるもう一人の無敵の人を見つける。それが最善策だと思った。だが、富沢に近づけば銃で蜂の巣にされるに違いない。死ぬのが怖い……? 一度、すべてに絶望して自殺未遂をしたのに、今更なにを恐れるというのだろう。
僕は自分を殺そうとして、富沢は他人を殺した。攻撃性が向かう方向は真逆だったが、僕たちは同じ失意と絶望を抱えていたんじゃないだろうか……?
一度捨てた命だ。このまま殺されても文句はない。僕は丸腰のまま銃を持った富沢の前に立った。逃げ惑う参加者とは違い、常軌を逸した行動に富沢が戸惑う。
「殺す前に、僕の話を聞いてくれよ。納得いなかったら引き金を引いてもいいからさ」
(続かない)


・親父は殺人ザメ養殖業を営んでいた。

実家は殺人ザメ養殖業を営んでいて、海外のリアルサメ映画ドキュメンタリー向けに殺人ザメを輸出している。日米でも求められるデスゲーム性に違いがあり、海外はゾンビやサメが主流だ。
「田舎で人食いザメを養殖して一生を終えるなんて嫌だ。歴史に残るデスゲームデザイナーになるんだ!」そういっておれは家を出て、零細デスゲーム会社に就職した。新卒の頃は「はじめは仲間同士の信頼関係を育んでおいて、あとから裏切りが横行する人間不信デスゲームをデザインしたいです!」と目を輝かせていたが、今では「密室に毒ガスを充填させておけばいいんだよ!」「回転のこぎり飛ばしておけ!」と、納期優先の低コストデスゲームばかりを設計するようになってしまった。
大手デスゲーム企業マスデス・コミュニケーションズは、「人間同士の絆を育む」「生きる命と意味を見いだす」といった企業理念を掲げて高品質のデスゲームを開発しているが、うちは零細デスゲーム会社なのでそんな大層な理念は無い。
かつて抱いていた希望も失われ、業務に忙殺されながら人気デスゲームの焼き直しばかりを作る日々に疲れ果てていた頃、母親から電話が掛かってきた。
親父が倒れた。殺人ザメの単価は安い。それでも親父はZ級サメ映画への愛ゆえに殺人ザメの養殖を続けてきた。おれは非合理的な生き方をしている親父が嫌いだった。儲かりもしないのに毎日長時間働いて、養殖している殺人ザメに命を狙われることも多い。長年の無理と経営難が祟り、入院することになった。残された殺人ザメは処分されるだろう。
親父の育てた殺人ザメは弱い。今は遺伝子編集で別の生き物と合体させたハイブリッド殺人ザメや、戦車がないと戦えない巨大ザメが人気だ。アメリカの国民性故か、大きくて強いサメが求められる。でも親父の殺人ザメはどこにでもいるサイズで殺意が高いだけだ。協力して弱点を突けば倒せるかも知れない。昔ながらのこだわりと言えば聞こえは良いが、くだらないロマンを追いかけて時代の流れに乗り遅れた。
そんな親父がおれは大嫌いだった。
「……今度のデスゲームは、婚活パーティ・恐怖の殺人ザメ水族館デートで行きたいと思います。殺人ザメから生き延びることで信頼関係を育み、誰が伴侶に相応しいかどうかを見極めるのが婚活デスゲームのコンセプトです」
おれがしたのは、ただの気まぐれだ。親父に育てられた殺人ザメたちが処分されるのは気の毒だと思ったし、今なら格安で買い叩ける。その打算が無かったとは言わない。
でも、思い出したんだ。子供の頃、親父はおれを映画館に連れて行ってサメ映画を見せた。怪獣映画の方が好きだったし、モンスターはデカくて格好いいほうがいい。親父がよく観る映画は、サメが登場するよりも人間が違いに責任転嫁して罵るシーンが多くて退屈だと思ったものだ。
そのときに親父は「殺人ザメよりも人間の方が怖いよな」と呟いたのを覚えている。極限状況で人間性が剥き出しになる。おれがデスゲームで信頼と裏切りにこだわっているのも、元々は親父の影響かも知れない。認めたくないけれども同じ血が流れていて、同じ癖を受け継いでいる。デスゲームとサメ映画は違っているようで似通っている。
半年後、親父は退院したが殺人ザメ養殖は廃業した。実家に帰省したときに親父は、サメ映画専門チャンネルでZ級サメ映画ばかりを観ていた。おれは親父に一通の手紙を渡した。殺人ザメ水族館デートの参加者が入籍して、会社に感謝の手紙が送られてきたのだ。親父は表情を崩さないまま手紙を読んで「そうか……」とだけ言った。
もう数年間、まともに会話をしていない。何を話せばいいのかもわからなかった。でも親父はその日から「何か面白いデスゲームはないか?」と尋ねてくるようになった。


・メンタル日記、深淵ガチ恋距離編

・諸々の事情でメンタルが死んでいた。精神科医に「冬から春先に掛けてがっつりメンタル崩れがちになるので、頓服で飲める安定剤を増やしてくれ」と言って、お薬のストックを増やしてもらっていたおれ、神童! 令和の孔明!
・それに伴い暗黒思考モードに入った。これは論理を突き詰めていくと「じゃあ、今すぐ死んだ方がコスパ最高ってコト?」という結論に至るタイプの思考だ。いつもは生きる意味とか人としての価値とか深く考えない。冷静に考えると「全ては塵となりて消え失せる。おまえもいつか無になる。おまえにもこの世界には何の意味もない」という深淵を覗き込んでしまうからだ。
今日のおれはこの深淵とガチ恋距離で見つめ合っていた。いつか誰かが「鬱病は理性である」と言った。享楽と多忙で深く考える思考を麻痺させることで、おれたちはこの深淵を覗き込まないでいる。ストロング・ゼロを飲んで脳を麻痺させている間は、悩めるほど思考が動かなくなる。
・「うるせええっ!おれは人間のくずだ!」と言って、おれは深淵にガソリンを流し込んで火を放った。問題の解決にはなってくれないけれども、狂気と非合理はおれを救ってくれる。どこか頭のネジを外していないと生きられない自信がある。真人間に比べると欠落しかない。それは精神的な欠落だ。人生経験も年相応では無いし、精神的に未熟だし(自身に対する駄目出しが無限に続く)。普段は義手と義足でぎりぎり人間っぽい体裁を整えているものの、ふとした弾みで「おまえはかたわだ」という実感を突きつけられる。
・「あたまがおかしくなる」というのは生き延びる上で最適なソリューションでは?と思い始める。ちょっとアレなタイプの思想や教義に傾倒したり、陰謀論に染まったり、熱中できるものを見つけたりすることで、狂気を己のうちで育む。そこまでストロング狂気を常用していなくても、アルコール3%ぐらいの軽い狂気を飼い慣らすことでおれたちは深淵から距離を置く。
こうやって文章を書いているのも深淵から逃れるためのプロセスなんだろうな。


・ひろがるスカイ!プリキュア 49話 感想

「ガザ〜私たちは何を目撃しているのか〜」を最後まで観てた。
私たち(Us)とあいつら(Them)の境界線はあいまいで、昨日まで「私たち」だったものが今日から「あいつら」になったりする。おれの中では、石川県の被災者とホームレス、パレスチナ人その他70億人以上の人間が「会ったことも話もしたこともない人間」なんだけど、UsとThemの間に境界線を定めるための理路がどこにあるのかわからねえ。
地球の裏側の人間にも共感して涙を流せるし、ホームレスに自己責任と言い放って見殺しにできる。
そんなことを考えながらひろがるスカイ!プリキュア 49話を視聴していた。
今日のプリキュア、たった数分でいまの全人類が必要としているものを描ききってしまったぞ……!
大切な誰かを助けるために人は闇を欲してしまう。最初はただ目の前の人を救いたかっただけなのに、力に飲み込まれてアンダーグエナジーの器になる。ヒーローと邪悪は近しい位置にある。強い正義感を持っているからこそ、より深い闇に堕ちていく。
おれにはわかるんだ。ましろさんを助けるためならどんな代償だって払う。たとえそれが闇に手を染めることでも。理性ではダメだと分かっていても、心が、魂が、暗い力を欲してしまう。船底に空いた亀裂から海水が染み込むように、心臓に空いた絶望にアンダーグエナジーが満ちる。そしてそれは今まで感じたことがない全能感だった。弱い私を塗りつぶしてくれる、圧倒的な暴力。この力があればもう絶望することも、弱さにうちひしがれることもない。理性では拒絶しながらも、強大な力にソラは陶酔していく。憎いあんちくしょうをぶん殴ったとき、ソラは絶対に気持ち良かったと思うんだよ。
それが闇だからだ。くらやみはおれたちの人間性を貪って、圧倒的な全能感を与えてくれる。他人の命を踏みにじれるほどの力と引き替えに、非人間的なものへと作り変えられる。
だが人間が人間に向ける眼差しだけが、握りしめられた拳を解きほぐす。言葉でも正義でもなく、人間を見る眼差しだけにしか持ち得ない力がある。それを今期のプリキュアは完全に表現した。


・ここから


・「人の心を操る魔法」と、都合のいいぬいぐるみについて。

対人関係やコミュニケーション技術系の本には、「こういう言動を心掛ければ人から好感を得られますよ」というテクニックについて書かれているのだけど、「それって人心を操作して自分にとって好ましい反応を得ようとしているだけではないのか?」と思い悩む時期があった。
おジャ魔女どれみで言うところの「人の心を操る魔法」は禁忌である。自らの欲求を満たすための道具として他者を扱うのなら、詐欺師が信頼を得る方法と変わりがない。女児向けアニメで提示された価値観を人間関係の根本に据えているので、ニチアサはおれにとっての思想と宗教であるのは論を俟たないことだ。
反対に、他者の願望を都合良く満たす道具になる危険性もある。人から好かれるためには聞き上手になりましょう。それは一面では真実ではあるのだが、相手が欲しがっているコミュニケーションや言葉を投げかけて、相手の言葉を一方的に投げつけられるだけのぬいぐるみになる。それでもお前は必要とされるのかも知れないけれども、「都合のいいぬいぐるみ」としてのロールしか求められていない。
人の心を操る魔法も、都合のいいぬいぐるみも、対等なコミュニケーションではない。おれはお前の期待を答えるため生きているわけではないし、お前もおれの欲望を充足する道具ではない。でも期待に応えられる部分があるのなら嬉しいし、何かできることがあるならできる範囲で力を貸す。それでいい感じにバランスを保った関係になるなら、それがいーじゃん!
ここまで書いていて、これはゲシュタルトの祈りだなと気付く。

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」


・ここ最近、読んでいる漫画の感想とかメモとか

・龍と苺、今週号についての判断は保留とさせてください。今後の展開を読まないと何も分からないが、「おれは夢か何かを見ているか?」レベルの超展開で、どう受け止めたらいいのか困惑している。
・『バーナード嬢曰く。』で「胃に流動食を直接流し込むような感じで、心を無にしてひたすら異世界チートなろう小説を読んでいる」という話があったが、あれにはジャンク的な気持ち良さがある。
チート、転生、S級冒険者、ギルド、美少女等々の概念で脳を飽和させるオーバードーズ感。
・シメジ シミュレーションを遅々とした速度で読んでいる。一話読んで、すぐに次の話に行くのではなくて「思考が働かなくなるまで穴を掘りたいよなぁ……」と思いを巡らせたくなるし、一コマを10分ぐらい眺めながら作品内で流れている時間軸に身を委ねたりしているので一気読みができない。
理解不能な異物として、他者や世界が立ち上がってくる瞬間の肌触り。そういったものを咀嚼して、飲み込んで、消化していく。他人の価値観を完全に理解することはできないけれども、そのプロセスを経るというタイプのコミュニケーションについて。
他者を理解するのは、円周率を絶えず計算し続ける行為に近い。近似値は出せる。3と3.14と3.141の違い。あるいは四捨五入して0だな!という雑な他者理解をする人もいる。
「そういえば」を起点として始まる終わりのない言葉の群れ。作品に関係ないことないことまで連鎖反応的に引き出されるような、なんかこう……思考の穴を掘っている間に何かべつのものが見つかって、それについて話をしている間に別の話題に移っていくような、そんな肌触りの作品なんだ。


・鳥山明が遺したもの

鳥山明先生の訃報を知ってからしばらくして、自分の至る所に鳥山先生の世界観や仕事が入り込んでいることに気がつく。ドラゴンボールは言うに及ばず、始めてプレイしたRPGはドラゴンクエストだし、クロノトリガーはゲーム会社の枠組みを超えたドリームタッグだった。クロノトリガーの様々な時代の世界観を描き分けられるの、いま考えると本当にすごいよね。
ドラクエのスライムも何をどう考えたら、あの丸っこいフォルムになるのかわからん。でもレベル1の時にスライムに囲まれたら死ぬぐらいには強い。
どこかコミカルでデフォルメされているんだけど、ドット絵という制約で〝モンスターの怖さ〟を表現している。本質を端的かつシンプルに表現する画力とデザイン力、西洋ファンタジーを翻案するセンス。空気と同じぐらい自然に鳥山ワールドがそばにあって、その中で育った。影響を与えられていることに自覚するのが難しいぐらいに、自然に、鳥山明は日本的ファンタジーの地盤になっていて、なろう系ファンタジーや葬送のフリーレンも、ポケットモンスターも、鳥山的なものの影響を受けている。創作という行為に取り組む度に、鳥山的なものに向き合う。
自分はR.I.Pとかご冥福をお祈りしますといった定型句で済ませてしまうのが苦手だ。喪に服する代わりに、今日は自分の内側にある「鳥山明が遺したもの」を見つめることにする。


・インターネットお気持ちバトルから逃れるために

SNSで日々放たれるお気持ちを真正面から受け止めるのは、メンタルを硬質化していても危険だ。ダメージが蓄積しないように斜めの角度で弾くか、スルーする。
決して炎上に巻き込まれたり、反論して火種にガソリンを注ぎ込んだりしてはいけない。お気持ちが新しいお気持ちを生み、それがまた次のお気持ちを連鎖的に生み出していくお気持ち臨界事故になる。
「また燃えてるねー」と観測者に徹し、メンタルの平穏を保つ術を確立するか、あらゆる情報を無視してしまったほうが精神衛生的にはいい。それは分かっているんだが、心のどこかでお気持ちバトルを望んでいる自分がいることも否定できない。
SNSでのお気持ち表明はヤンキーマンガの喧嘩ぐらいありふれたものだから、逆に「決めようぜ!〝最強〟をよぉ!?」ぐらいのノリで殴り合ったほうがいいのかも知れないな。いや、関わり合いにならないのが一番なんだけど……。


・非実在美少女バンドクソデカ感情星座体系

星座になれたらと壱雫空とヒロメネスとフレンドパスワードを連続で聞いていて、脳内で同時再生しているような状態にいる。

具体的に言うとマシマヒメコ目線で星座になれたらを聞いている。その中で、歌詞の中にある星、傘、雨、孤独などのフレーズがゆるやかに繋がり始め、「非実在美少女バンドクソデカ感情星座体系」とでも呼ぶべき何かが、夜空に浮かび上がる。
「この歌詞の〝君〟はぼっちちゃんのことで、〝僕〟はほわんの視点を表しているんですよ」みたいにロジックで歌詞を解釈しようとするな。言葉を聞いたときに浮かび上がってきたもの……星座の名前を知る前だったころのような何かを感じるんだ。
言葉と論理で伝えられるようなものであればわざわざ歌にする必要がない。文章にすればいいだけだ。そこに言葉では掬い取れないもの、既存の言語では取りこぼしてしまうものがあるから、おれたちは非実在美少女バンドソングを必要とする。
ヒロメネスはさ、君と僕の関係性、過去と未来、幻想と現実、すべてをごちゃまぜにして安易な解釈を許さない作りになっているの好きだよ。〝君〟はほわんでありヒメコでありデルミンでありルフユであり、〝僕〟もまた同様で、〝君〟にどんな強い感情を乗せられるかだ。ちなみにヒロメネスはぼっちちゃんと喜多ちゃんでも、ひろがるスカイ!プリキュアでも成り立つ。
「光集めて歌えば、今だけは僕も君が追いかけるようなヒーローになれるの?」はギターヒーローの話だ。
「左手に傘、右手に花」という歌詞も、過去(※左は過去の象徴だ)や雨というネガティブなモチーフの中に「ヒメコがほわんに傘を差し出す」という優しさがあり、花は綺麗だけれどもいつか枯れるかもしれない不確実さがある。ほわんは物理的な雨に打たれていたけれども、ヒメコは〝人と深く関わらない〟という概念の雨の中で心が冷たくなっていて、それに傘を差しだしたのがほわんなんだよね。ちなみに歌詞では「左手に傘」なんだけど、2話のヒメコは未来を象徴する右手に傘を持っていて、この辺でおれの感情が限界を突破した。
ここ最近は非実在美少女バンドとか非実在美少女アイドルグループの曲しか聴いていないとは薄々感じていたが、魂の震動でぶん殴るのが音楽だ。女児向けアイドルアニメが、ライブシーンでクソデカ感情を直接叩き付ける魔術を生み出した。百合豚の情緒を破壊する魔法。おれの信じるお前を信じろ。幾千、幾億の言葉を尽くしても伝わらないものを、星や雨に託して歌う。届かない月に手を伸ばしたくなるような夜。僕と世界を隔てる、薄くて透明で何よりも堅い膜。これ以上、苦しまなくてもいいように選ぶ拒絶。傷ついても構わないと思って絡めた指先。
なんかもう自分の情緒を「!!!!」みたいな感嘆符で表現できなくなってきたので今日はこの辺にしておいてやるぜ。でも確かこの文章、サンリオVfesの感想のはずだったよな……?


・ 認知の歪み

「認知が歪んでいるから、今の自分はこういう思考になっている」という話をしていた。「おれはもうダメだ……」などの白黒思考モードになると、判断にリソースを使わなくてもいいので楽なんだよな。思考の解像度を上げるエネルギーがないときは、より簡便な結論に飛びつく。
認知が歪んでいる状態は苦しいのだけど、これ以上、考えなくてもいい安楽を提供してくれる。「おれはもうダメだ……」って言っていればいい。
周期的に「おれはもうダメだ……」モードが襲ってくるし、実際にダメなところはダメなんだろう。こういうときには、心の中にいるモヒカンのチンピラ山賊が「ヒャァーッ!ダメならダメなりになんとかやって行くんだよぉ! おれたちクズは、奪いたいときに奪い、犯したいときに犯し、殺したいときに殺すぐらいがちょうどいいんだぜっ! エンジョイ&エキサイティング!」と励ましてくれる。
それもある意味で認知が変な方向に歪んでいるのかも知れないが、おれはもうダメだ……と膝を抱えてうずくまっているよりかは好ましいのだろう。


・VRおじさんの初恋。

放送開始していたのに気がつかなくて途中から観た。VRが実写パートであるという懸念があったが、ナオキの感情がしっかり描かれていて好感度が高い。VRをメインに据えるのではなくて、現実とおじさんの解像度を上げることによって作品世界に引き込んでいくスタイルだ。
人と人とが近づいていくことで生まれる、自分でも知らなかった感情。おれにはほなみが眩しすぎる。その光に憧れる一方で自分自身の影が、嫌な部分が濃くなっていく。だから、これ以上傷つかないように距離を取ろうとする。
4話しか観ていないんだけど、「わかる……わかるよ……その気持ち……」と思ってしまうぐらいには、良い具合に原作の良さを活かしつつ映像向けにアレンジしている。これはVR「おじさん」の初恋なので、おじさん部分の描写に力を入れるのは映像媒体の強みを活かした選択だ。

次の日、一週間分の再放送がやっているので視聴した。
メタバースへの理解の解像度が高く、実写でありながらもVRらしさを感じる演出をしている。人のいないお祭りワールド、チョコバナナ、花火のパーティクルその他諸々の、VR特有の雰囲気が上手く表現されている。実写なのに「VRChatでこのワールドにおれは行ったことがある」と既視感を抱いてしまった。
実写化の出来を懸念していたけれども、上手く映像に落とし込んでいるし原作にない部分の補完もいい。四話のときと同じだけど、「わかる」んだよね。この世界も雰囲気も感情、登場人物の反応の何もかもを、おれは知っているんだ。
問題があるとすれば家族に「あんたもVRでこんなことやってるん?」と聞かれたときにどう答えたらいいか迷うところだ。それはその、うん……。そうだね……。あのときはメンタル死んでたね……としか言いようがない。


・ 月刊現代黒魔術2024年4月号

おは呪詛ー♪ 月刊現代黒魔術の時間だよー☆
現代黒魔術は「精神療法と真逆のことをやれば、人間のメンタルを破壊できる」というコンセプトに基づいた実践的な魔術体系だよ。相手の認知を歪めて、非合理的な思考に自然と導いていくことで他人の人生を台無しにできる! 最終的には認知を歪めまくり、自分自身に呪詛を向けるようになれば現代黒魔術は完成するよ。自己を否定するようになった人間は、自ずと他者にもネガティブな感情を向けるようになって黒魔術が疫病のように社会に広がっていくんだ! 呪術パンデミックだね!
今日は「微かな毒で蝕んでいく優しさ」を学んでいくよ。
相手の身を案じる優しい態度を取りつつ、「あなたは私がいないと駄目になる」と自己否定感を植え付けていく黒魔術だよ。表面的に優しくするついでに、ジャブを打ってじわじわと体力を奪っていくように相手の自己肯定感や自信を削っていくのがポイントだよ。DV男や毒親がよくやる手法だね!
反復練習を繰り返して、息を吐くように自然に、歪んだ思考を無意識にすり込んでいこう! 黒魔術の本質は人を呪わば穴二つ。誰かの不幸を願えば、それが自分にも跳ね返ってくる。でも自分が地獄に落ちようとも、こいつが幸せになることだけは絶対に許せねえ!!!!!そんな気持ちになるときも人生には多々あるよね。
月刊現代黒魔術2024年4月号のテキストに詳しい解説と練習問題が掲載されているから、こっちで繰り返し復習して基礎的な呪詛力を身につけよう! 次回の月刊現代黒魔術は「人の思考を0か100かに誘導する」、「根拠のない〝こうあるべき価値観〟をでっち上げる」の二本立てだよ!


・夜食専用カップ焼きそば・背徳マヨネーズ編

カップ焼きそばも700kcalオーバーの商品が珍しくない。不健康夜食のレギュラーだったが、流石にこのカロリー量となると食べるのを躊躇する。気がつくとカップ焼きそばのカロリー軍拡が始まっており、500kcal前後だったものが軒並みボリュームアップしている。
なるべく安い値段で多くのカロリーを取りたい。栄養バランスなんて無視だ。炭水化物と油と糖質で空腹を満たす。ジャンクフードに縋るしかない貧困層のニーズを的確に反映するようにカップ焼きそばは変化した。カップ焼きそばはカロリーのストロングゼロになった。
カップ焼きそばが貧困層御用達のカロリー摂取食品へと闇堕ちしてしまったような気がして、おれが愛していたカップ焼きそばはこんなんじゃねえ! という思いがこみ上げてくるのだった。
大盛り、からしマヨネーズ。高カロリーの冒涜的食事から得られる禁忌の悦楽。それがカップ焼きそばの精神なのだが、禁忌は自らの意志で冒すものである。経済的事情によってジャンクフードしか選択肢が無くなるのとは違う。
おれがカップ焼きそばに求めているものはカロリーではない。
どうせなら「夜食専用!カップ焼きそば・背徳マヨネーズ~こんな時間に食べるなんていけないはずなのに、欲望が止められない。だめっ……、からしマヨネーズなんて注ぎ込まれたら……。〝本当はこれが欲しかったんだろ?〟と男が下卑た笑みを浮かべる。私は黙ったまま首を縦に振った。明日、自己嫌悪に陥ることはわかっていた。でも今の私は、浅ましい豚のよう快楽とカップ焼きそばを貪ることしかできなかった~」みたいな路線で頑張って欲しい。


・ 『MyGO!!!!!』を聴いてくれ、頼む!

インターネット上のコミュニケーションが二極化しているという話をした。
ひとつは人を傷つける言葉が飛び交っていて、一度でも叩いていい人間扱いされたら死ぬまで追い詰めても自己責任みたいなところ。絶え間ない口論と人格否定と誹謗中傷が飛び交うインターネットの地獄で、ここに住み着いている悪霊に目を付けられると粘着され続ける。
もうひとつは不自然に優しい世界。誰も傷つけないように、誰にも傷つけられないように自分の言葉から棘を抜いて、衝突しないように軋轢を生むだろう感情を飲み込む。
おれはよく「イーロン・マスクの経営方針が気に入らないのでTwitterから離れている」と言っているが、本当なのは半分ぐらいだ。SNSできらきらしたコミュニケーションが取れないタイプのコミュ障なんだ。物腰の柔らかい言葉を使って毛繕いするようなコミュニケーションを交わし続ける。絶え間の無い承認欲求と帰属意識をうっすらと満たしてくれる、穏やかで優しい世界を維持することはできるのかも知れない。
でも、おれはこの優しいだけの世界にいると、遠い異国の地に迷い込んでしまったような気持ちになる。世界が遠くなる。おれがいるべき世界はここではない。不良が集まる校舎裏、ダンゴムシが張り付いた石の裏。どこにも行けない、誰にも喋れない言葉たちが吐き出される最終処分場。そんなインターネットの掃きだめみたいな場所がおれのインターネット地元なんだ。
ここさいきんのおれは『MyGO!!!!!』の歌詞に影響を受けている。あの切実さ。あの苦しさ。魂と世界が擦れ合うときに生まれる軋轢のような悲鳴。『MyGO!!!!!』が歌うことでしか表現できなかったものを、おれはテキストエディタに叩き付けることでしか吐き出せない。『MyGO!!!!!』はおれのインターネット地元だ。承認もいいねも必要無い。おれの感情はここに存在する。それが不適切でろくでもないものでも、否定されるべきものではないんだ。
要するに『MyGO!!!!!』を聴いたほうが手っ取り早いので、いますぐ『MyGO!!!!!』の洗礼を浴びてきてくれ、頼む!


・ ステゴロ・コミュニケーション。

日曜日はずっとMTGをしていた。紙で統率者戦をしばいてきて、MTGアリーナでミシック達成して、その後はVRChatのVR MTG専門店「ELDRA」に顔を出して対戦するというカードゲーム漬けの休日になった。
この文章も「休日が充実してたのしかったです。まる!」で終わらせたほうが丸く収まるのだが、そこから「コミュニケーションとはなんぞや……?」と思考を展開し始めるからおれは面倒臭いなって思う。でもそれをやらないと自分が自分では無くなるような気がするんだ。
おれはコミュニケーションを目的としたコミュニケーションが苦手すぎるオタクである。デュエルをしてライフを削り合えばみんなフレンドだよな!ぐらいのコロコロコミック的世界観の中でしか生きられないのでははないか。
陰キャ総合格闘技漫画『レッドブルー』で、攻撃を潰されて劣勢に陥りながらも「この人、僕のことを理解ってくれているんだ!」と嬉しくなってしまう全体的に頭のネジが外れている主人公がいるんだけど、卓を囲むゲームでも同じ気持ちになる。
ヤンキー漫画『WIND BREAKER』、『ホーリーランド』も「おれたちは言葉を交わすよりも殴り合ったほうが早い」タイプのコミュ障しか出てこない。『賭博黙示録カイジ』も利根川がEゲームのときに「カイジくん……現実社会でこれほどまでに他者の心を理解しようと必死になったことはあるだろうか? これこそが真のコミュニケーションとは思わないかね……?」みたいなことを言っていた。確認のために読み直すと確実にフル再読コースに突入するので、台詞はうろ覚えで許してくれ。
楽しかった。楽しかったんだ……。SNSで承認欲求を満たすよりもプレイヤー本体に直接稲妻を叩き付けたり、全員のライフをゴリゴリ削っているときが「コミュニケーション」って感じがした。マナを火力に変えて顔面に叩き込む。オタク会話を相手のオタク・ソウルに直接ぶつけていくようなコミュニケーションしか取れない。そんなコミュ障もいる。
普段書いている文章も、感情を直接テキストエディタに叩き付けるスタイルである。直接的で直線的で、まどろっこしいことは全部抜きにして、「じゃあステゴロで殴り合おうな!」になりがちだ。MTGでプレイヤー本体に稲妻(3点火力)を飛ばしてライフを焼き切ろうとしているのと変わらない。
そんな生き方しかできないけど、本当にそれでいいのかわからなくなるし、これから別の会話デッキを構築するわけにもいかない。後先考えないステゴロのコミュニケーションに全振りしていけばいいのか……?


・ ここ最近のVRChat。

・それなりにゆるゆる楽しく過ごしているよ。
・VRChatを始めてから数年になるが、以前のように積極的にイベントに参加したり交友関係を増やしていく気力が無くなってしまった。ベッドに横たわった状態で、数カ所のコミュニティを回遊するメタバース寝たきり生命体と化す。どのくらい覇気が無いのかというと、「普段は横になっているところしか知らないので、直立歩行しているの始めて見ました!」と言われる始末だ。実際、Horizon Adjust機能によって、寝たままでも立っているように見せかけているときがある。
・フレンドが「Questは寝具で、絶対に買った方がいいのは抱き枕だ」と言っていたが、相性が抜群過ぎる。
・ヘッドセットのバンドが摩耗していて、Questラジオ体操部に顔を出す機会が減ってしまった。激しく頭を動かすとQuest2の寿命が縮まるし、これで一度修理に出している。おとなしくQuest3を買ったほうがいいと思う。
でもラジオ体操は毎日欠かさず第一と第二をやっている。これをやるだけで肩と腰回りの快適さが違ってくるんだ。
・新型コロナウイルスが五類に移行したあたりからコミュニティの活発さが下がった体感がある。外出制限があったころはメタバースはほどよい避難所だったが、ログイン頻度が下がったフレンドが増えたな。
・始めた頃ぐらいからずっと付き合いのあるフレンドもいるし、昔はよく遊んだけれども今では滅多に合わなくなってしまった人もいる。最初は顔見知り程度だったけど、ふとしたきっかけで話す時間が多くなった人、離れていった人、自分から距離を置いた人。いろんな人がいたな……。
・フレンドとアニメや特撮の配信を観る夜更かしの会をここ一年ぐらい継続的にやっている。オタク高速早口マシンガントークの乱射みたいなコミュニケーションが心地いい。漫画だと読ませる気がない長文が台詞に詰め込まれているような表現があるけれども、あんな感じでずっと喋り続けている。
・ろくでもない会話ができるのは楽しい。
・落ち着いたワールドで、サシもしくは少人数で会話するほうが好きだな。SNSじゃ絶対に言えないようなこと、誤解を招きそうなことも、限られた空間でなら言葉にできる。インターネットで不特定多数に向けて適切な言葉や表現を選ぶのは難しい。でも喋る相手が少なければ、目の前の相手に対して周波数のチューニングが(ある程度は)できる。
・フレンドやお話ししてくれる相手には恵まれているって思う。その一方で、「居心地の良い人間関係に甘えてしまって、初期の頃みたいに新しいコミュニティや人間関係を開拓する行動力がなくなっちゃったよね……」みたいな話もよくする。
・お砂糖というか、過度に依存しがちな人間関係はメンタルが不安定になるので避けている。メタバースは距離感がバグりやすいので、適切な距離感を保たないとメンタルぐちゃぐちゃになるので、よほどのことがない限りはおれはもういいかな……。
・にゃーん(社会性フィルター)。
・他者という不確かなものに依存するのは好ましくない。時として他者はアルコールやニコチンと似たような作用を及ぼす。なんとなく酒を飲むみたいに、漠然とした孤独感を埋めるために他者とのコミュニケーションを過剰摂取(オーバードーズ)するのは、後々になって反動がくる。


・ 思考を掘り進める営みとしての文章について

いつもスーア先生の文章へのコメントを書こうとすると、長文になるのでそのままブログの記事にしてしまう。
スーア先生の文体は静かに思考を掘り進めていって、頭の中にあるぼんやりとした〝何か〟の解像度を上げていくような肌触りが好きなのだった。何かを表現すると同時に、思考の内面に深く潜っていく営みとしての文章。わかりやすい言葉で割り切らない。言葉にしてしまったら切り捨てられてしまう小数点以下のものを、掬い取ろうとしているような繊細さがある。
読む度に、「そういえばスーア先生の文章を読んでいて、こんなことを連想したんだけど」という気持ちになる。おれとは異なったまなざしで、世界を言葉に変換(エンコード)する。受け取るものも、見えているものも、そこからアウトプットされるものも人によって違う。同じ映画を観ていたはずなのに、気になった箇所も感想も違っている。コミュニケーションをしているときにはその差異が際立つ。
おれは静かに思考を掘り続けるような文章が書けない。よく「文章が読みやすい」と言われることが多いが、それは小数点を切り上げたり、ろくでもない四捨五入で単純化しているからでもある。文章として飲み込みやすくなるまで、現実を言葉で歪めていると言ってもいい。
おれはいつも、文章を書くときに「釘バットをフルスイングする」というイメージを抱く。身体全体の回転を加えて、遠心力と体重を乗せるように、言葉の連なりによって生まれた感情、勢いや遠心力をテキストとして直接叩き付ける。
そういう蛮族の肉体言語のような文章ばかりを書き続けてきたので、スーア先生の文章を読む度に、良い意味でも悪い意味でも自分自身の「欠落」を見いだすのだった。せんせいが「色」と呼んでいるものを、おれは「欠落」と表現しているのかも知れない。「欠落」をキーワードにして思考を掘り進められそうなポイントが見つかったが、また別の日に考えることにする。
スーア先生はときどき、自分で掘り進めた思考のあなぐらに迷い込んで、ぐるぐると行ったり来たりしているように見えるときもある。せんせいの言葉を借りるのなら、他の人の持っている「色」を壊さないように丁寧に扱う一方で、自分の「色」の優先順位を後回しにしているように見えるときがある。
その色はおれにとっては消化したことがない類いのもので、思考を掘り進めたくなる。そういう誘因力があるんだ。
『シメジ シミュレーション』という漫画には、穴を掘るだけの穴掘り部という部活があるのだが、思考を掘るという行為を見ているうちに、「じゃあおれも掘ってみるかな……」とショベルを手に取るようにして文章を掘り進めるのだった。


・ エルフを焼く

エルフを焼くことでしか満たされない心の渇きもある……。
自律神経が死んでいて、脳みその動作がもっさりしている感じが朝から続いている。体調を整えるためにエルフを焼きたい。なんかこう、休憩にたばこに火を付けて一服するノリでエルフを焼こうとしている。
村上春樹の短編小説『納屋を焼く』みたいなものだ。もしくは筋肉少女帯の『踊る!ダメ人間』における、〝ダメ人間はびこるこの世、魚雷一発!轟沈させてえ!〟なのかも知れない。
誰しもが持つ、何かに火を放って焼きたいという衝動である。
気軽にエルフを焼きたい。そんな気持ちに適したゲームがある。マジック・ザ・ギャザリングだ。
エルフはマナを出す。つまり放置しておくと、2ターン目で3ターン目相当の動きをしてくる。巨大なクリーチャーが早期に召喚されたり、エルフの生んだマナでエルフが召喚され、そのマナで更にエルフが盤面を覆い尽くしていく。MTGをプレイしているとエルフを数える単位が匹になるぞ。
火遊びで焼き、ゴブリンの鎖回しで一網打尽にするなどして、薄汚いエルフどもは一匹残らず根絶やしにしなければならない。
邪魔なクリーチャーを焼いたり、プレイヤーの顔面に火力を飛ばしているときに〝生きている〟って感じがする。エルフを焼いたって、いちばんダメな自分は残る。それは知っているし、思考回路が完全にエルフの村を焼く魔族になりつつある。だがエルフを焼くことでしか癒えない心の傷もある。エルフ焼き療法である。
なので今日もぼくはエルフを焼きます。


・ 豚肉ときのこのまぜご飯と味覚ASMR

・豚肉ときのこのまぜご飯を作った。美味しいというか「バター醤油と豚肉の脂ときのこの風味で、おくちの中がいっぱいいっぱい気持ちいいよぉ……ガーリックの香ばしい匂いを嗅ぐだけで頭おかしくなるぅ……」という出来映えだった。
おれはエロマンガ家が描いたグルメ漫画に出てくる登場人物のような蕩けた顔をしていた。食べるASMRである。しめじではなく、魔法きのこか何か違法なブツが混じっていたのかと疑うレベルの幸福感が襲ってくる。
マーキングされるように舌と口の粘膜全体に味が染み込ませられ、味覚をめちゃくちゃにされているのに、おれの胃袋は悦んでいた。豚みたいに快楽を貪ることしか考えられない。外食したときにはぜったいに見せられねえ表情(かお)だなぁ……?
食事のあとも口内に残る余韻に浸っていた。中に注ぎ込まれたどろっどろの脂を味わい、さきほどまで味わっていた快楽を反芻する。ただの「おいしいごはんをつくったよ!」というだけの話だったのに、どうして同人音声の台本みたいになるのかがわからない。
人間は薬物をキメると脳から快楽物質が出る。医食同源。自分の味覚を徹底的に責める料理を追求すれば、コカインも大麻も必要がなくなるのではないのか?


・ 「才能の有る無し」を他者に査定させないために

『プレバト』を観る度にブチ切れている。観るつもりは元々無いんだけど、「アートをランキング化して最下位はシュレッダー」という画面を3秒だけ目視しただけでも気分が悪くなってくるんだ。
創作物へのリスペクトの無さ、アートをマウンティングする道具としてしか見られない品性の欠如、自分に才能があるか否かを他者への判断に委ねることの危うさ、権威主義への無批判、才能が無いことが笑われる対象になること。
「権威によって才能が無いという烙印を推された人間は皆で笑いものにしてもいい」というグロテスクさを、娯楽として消費できる感性からしておれはもう無理なんだ。
才能が無いと言われても、「うるせぇ!知るかババアっ!」と叫びながら釘バットで頭蓋骨をフルスイングすればいい。価値を決める権利が他人にはない。相対的な巧拙はあるのだとしても、「才能が無い」という言葉は軽々しく他者に押し付けていいものではない。
この番組自体が巧妙に織りなされた呪詛の産物である。「自分の価値を決める権利にはお前にはない」というのは、創作意欲を減退させる呪いとしてしか機能しない。少なくとも創る側の発想ではない。
こういう価値観を疑問に思わないどころか、積極的に肯定する人間が多いことの方がおれは気持ち悪いなって思う。日本社会にとってアートは〝他者の眼差しによって価値が決まるもの〟なのかも知れない。
テストに出題者がいて答えがあるのと同じように、アートにも査定する人間と正しい答えがある。そう信じているから「他人の才能を査定する」という発想を受け入れられる。でもそれって後手に回ることなんだよ。自分のやっていることの価値判断を他者に丸投げする。自らの内部には善し悪しの明確な尺度が無い。そういうやつが作った作品を見たいか? おれは見たくない。
だからおれは、そういう連中には「うるせえええええっ!死ねぇっっ!」と叫びながら、フル助走大回転釘バット頭蓋骨破壊唐竹割りをぶちかます勢いで荒ぶっている。ダウンしたら↑+強パンチで釘バット・ジャンプ突きをみぞおちに直撃させて、レバガチャで内臓に追加ダメージだ!!!!


・インターネット悪霊と私。

・これまでにSNSの暗黒面を見過ぎて、重箱の隅を突かれたり、切り取られたり、曲解されたり、怒れる謎のおっさんが現れたりするのを恐れてTwitterの発信を控えめにしていた。
でも最近は何か吹っ切れたのか、以前の感覚に戻りつつある。
・……というツイートを膨らませて書いた文章だ。以前もこんな風に短い投稿を火種にして長文を書いていたな。あと意地でもXっていいたくない。譲歩してもTwitter(自称X)だ。
・インターネット悪霊が苦手である。
悪霊はコメント欄に突如として押し寄せて、悪意のある言葉で人の心を損なっていく。実体がなく、誰が書いたものであるのかも不透明で、乱暴な言葉を無責任に放つ。人を自殺に追いやることもできるので、こいつらは本当に悪霊だとおれは思っている。
SNSとスマートフォンが普及によって悪霊が大量に発生するようになった。雑に人間を損なっていく悪意から逃れるにはTwitterを辞めるのが最適解だった。得られるメリットを投げ捨ててでも、悪霊と戦うデメリットを回避したかった。
・いまのアカウントに鍵を掛けているのも、自分の発言が悪霊に捕捉されるリスクを最小限にするためだ。悪霊に目を付けられると、他の悪霊も大挙して押し寄せる。本物の悪霊と同じ挙動をしている。
でもVRChatのフレンド相手だったら大丈夫だろうと思った。彼らには実体と声がある。マイクロブログの言葉は短いから情報が欠落して、好き勝手に解釈される。悪霊はおれのことを知らないし、おれも悪霊どもがどんな人間なのかがわからない。悪霊を避けるために過剰に予防線を張ったり、表現から棘や毒を抜くようになる。それで生み出されるコミュニケーションは不毛以外の何物でも無い。
実際にあったことがあるとか、その人の長文や創作物に触れていれば、ある程度は自分や相手が何を言いたいのか補完できる。文章を書くときには、この人や界隈だったら変な解釈はしないだろうという信頼が要る。それが実体のある言葉だなって思う。


・『夜ドラ VRおじさんの初恋』

・これは『夜ドラ VRおじさんの初恋』の感想だが、投稿し忘れていて時機を逸した感がある。これまでの感想があっちこっちに散らばっているので、気が向いたらまとめるかも知れない。
・ここ最近はVRおじさんの初恋激推しおじさんになって、布教しまくっている。
これは人間と人間の話なんだ……。VRというガワはあくまでコミュニケーションの一手段に過ぎない。出逢いが美少女アバターだったとして も、最終的にはどこまで他者という異質な存在にコミットメントできるか?という話である。
孤独を選んできたナオキに「どんな結果になっても、おれがホナミの側にいる」と言わしめる力。おれは思わず「人間ーーーっ!」と心の中で叫んだ。もうだめ……尊い……。この感情に名前なんて与えないでくれ……。
・VRおじさんの初恋、ラストまで1話。VR世界の特性を活かしつつ、色に2つの意味を持たせる演出が強すぎる。生と死。ウェディングドレスと白装束。結ばれる色と離ればなれになる色。こんなに透き通っていて、こんなに悲しい「白」は初めて見たよ……。
中身がおじさんなのに泣きゲーの終盤と同じ部分が刺激されているの、なんでだ……?
最終回が終わったら確実にVRおじさんロスになる。
・最終回を見終えたが、語彙が死んでいるのでろくな感想がでてこない。二ヶ月32話を完走したし、最終週はほぼリアタイ視聴だった。おれたちはどうしようもなく不完全で、欠落している。失ってしまったものの空白を抱えながらも日常は続いていく。


・人間こじらせ日記

・コミュニケーションについての思考をまとめている間にとりとめが無くなってしまったので、いま考えていることをひたすら書き殴っていくぞ。
・人間関係デッキ構築が迷走を極めているので、寝る前によく「私は何か選択を間違えてしまったようですね」と言ってたフリーレンの魔族みたいな気持ちになっている。
・会話デッキを単純化すると、挨拶と雑談、他者への関心、適切な自己開示のバランスなのだが、デッキコンセプトがはっきりしていないとコミュニケーションの形があやふやになる。
どういう風に他者と関わりたいのか、どういう人間だと思われたいのか、自分にとってどんなコミュニケーションの形や距離感が最適なのか?
そういうところをぐるぐるぐるぐる回り続けていて迷走している感じがする。
・対人コミュニケーションがわからなすぎて、「他者・自分以外の意識が存在していること。それらと言語、声などのシグナルを用いて交信しているとはなんぞや……?」レベルまでこじらせていた。

・「人の心を操る会話術」みたいなのがめちゃくちゃ嫌いで、他人を都合良く扱うために会話デッキ組んでいる人間とは仲良くなりたくない。あと、人の心を操る魔法は禁忌だとおジャ魔女から教わったからという理由もある。
おジャ魔女はいつもハートのど真ん中にいる……。
・「人に好かれたい」というのは、他者を承認欲求を満たすための道具にしたいと言っているのと変わりがないのでは? 
・「好かれたい、好印象を持たれたい」という気持ちはわからんでもない。キャラクターを作って、そこから逸脱した振る舞いをしないようにするのも一つの手段だと思う。でも「自分の好ましい面だけを見て欲しい」というのは無理だ。それは自撮りした写真を加工するのに似ていて、やり過ぎると原形が残らなくなる。

・「面倒くさい人間なのを自覚しつつ、面倒くさい部分をコントロールする手段を増やしていき、被害を最小化する」方が現実的だと思う。あいつは面倒くさい人間四天王の中では最弱……。自覚があるぶん比較的マシなやつだ……。
・「面倒くさいタイプの人間だけど、言動に裏表はないよな。人間の言葉が通じるし、距離を取ればほぼ無害だし」ぐらいのポジショニングをすればいいのか?

・「いつも○○さんと呼んでいた相手を、どのタイミングであだ名呼びしてもいいのかわからない」みたいなやつ。悩むけどそんなに困ってはいないし、なんなら〝人間関係あるある〟に繋ぐコンボパーツとして使っている。
・会話デッキの手口を明かすのは本当はよくないのだろうけど、まぁ大丈夫だろ……。(※会話カード『自己開示』をキャスト。自分の手の内を明かして、〝この人、自分にはここまで打ち明けてくれるんだ!〟と、信頼を得ようとする手口)
・こういうことを考えていると、詐欺師がよく使う手口だなって思うときがある。でも人間関係の基盤を構築する手段は普通の人も詐欺師も同じで、最後に裏切るところだけが違う。

・他人あっての対人関係だから、自分一人だけではどうにもならないよ。
スーア先生はよく人に対して「色」という言葉を使うけれども、自分が「サウンド」と呼んでいるものと近いのかも知れない。周波数とも言える。「サウンドがいい」というのは相当褒めている。
自他のサウンドが重なって、一回限りの即興のセッションが生まれるような感じ。意味のやりとりだけではなくて、言葉や声の響きといった音楽的な気持ちよさがある。
・コミュニケーションがあるかどうかは目の前にいる相手のコミュニケーションに依存する。コミュニケーションについて語るときに、しばしば自分たちは異質な他者がいることをないがしろにする。
たとえば「人と上手く雑談ができない」みたいな話を聞く度に、コミュニケーションを取りたい他者ではなくて、自分にだけ焦点が当たっているように見える。
結局は自分の都合しか見えなくなっているという錯誤を、おれたちはよくやる。
・こんな風に人間をこじらせているので明確な着地点はないです。
最後に百合姫コミックの『ロケット☆ガール -Rock it, GiRL!!』(田仲みのる)のセリフを引用して終わる。これも人間こじらせ音楽漫画なので機会があったら読んでくれ。おれが百合漫画を偏愛しているのはこじらせた人間が出てくるからだ。それと『ささやくように恋を唄う』だけじゃなくて、こっちもアニメ化してくれ! 頼む!

誰も傷つけたくない。
誰にも傷つけられたくない。


・ 生成AIの認知コスト

生成AIに認知コストを浪費させられるようになるのが誠に遺憾である。今でも情報の真偽を確かめるためのコストを支出しているのに、さらに「今、自分が接している情報は生成AIがアウトプットしたものではないのか?」と疑う労力が発生する。
人間だと思っていたものがAI製だと落胆する。ただ単に、ツールをいじって出力した程度のものに認知コストを支払わされたという憤りがある。「これはAIで制作しました」と注意書きされているのならまだマシなほうで、真偽だけではなくて人間が作ったのかどうかも曖昧になる地獄インターネットが始まってしまった。
上手い絵を見ても「これ、生成AIなのかな……?」と疑うようになったし、綺麗な女性の写真が流れてきても「女装のクオリティ高いな……」と思ってしまう。後者はおれのTLでカジュアルに女装するやつが多いのが要因だが……。
生成AIを補助的に使ったもの、あるいはAI生成物そのものが創作活動のメインになる可能性もある。囲碁はAIの手を人間が研究しているし、個人的には有能な人間のアシスタントツールとして成長していって欲しい。
でも人間が書く文章はちゃんとタイピングで、絵もタブレットで描き込んでいて欲しい。そう思うのは、デジタルツールではなくて丸ペンで漫画を描いていて欲しいと言っているのと同じわがままなのかも知れない。


・価値の幻影。

消化しきれないほどの情報とコンテンツが飽和していて、暇では無いが面白いわけではないという微妙な気持ちになることが多いな。期間限定公開、無料公開、基本プレイ無料、サブスクでいくらでも時間が潰せるだけのコンテンツにアクセスできる。
無料で質が高くてそこそこ時間を潰せるコンテンツは腐るほどあって、プロの作品も惜しみなく公開されている。そうやってコンテンツそのものが過剰供給されると何に価値があるのかわからなくなる。Epic Gamesで無料ダウンロードしたゲームも結局手を付けていないし、青空文庫もいつか名作を読むと思っていて十年以上ほったらかしにしている。
自分で金を出して買ったものでないと、摂取するモチベーションが無くなる。
価値のあるものでも、それが簡単に供給されるようになったら価値を感じられなくなる。手に入らないことや、他人が持っていないものを自分だけが所有してることに価値の幻影が生まれる。
MTGのカードも以前は2000円したものが再録で100円ぐらいに値下がりすると、カードテキストが変わったわけでもないのに以前よりも体感的な価値が薄くなる。
様々なコンテンツが過剰供給されることで、価値がデフレーションしていく。脳がバグっているので、無料で手に入るものは値段相応の価値しかないと思ってしまうし、たとえそれがゴミでも数千万円で買ったものなら意味が生まれる。
「これを手に入れるために、自分はこれだけの対価を支払った」という実感が価値を生む。ソーシャルゲームはそれが顕著で、データでしかないものに金を突っ込んで、キャラの育成に膨大な時間を費やして、ユーザーがそこに意味や価値を作り出していく構造になっている。
データそのものよりも「ガチャに数万円突っ込んでようやく推しキャラが出た」という体験が意味や価値の源泉になる。
意味や価値は自分たちの脳内で発生するものでしかないとしたら、どうやって自分のやることに意味や価値を見いだしていけばいいんだろ?


・ゾロとサンジいいよね……。

初対面の相手に漫画の話をする場合、どの程度まで自己開示するべきか。オタク界における永遠の課題である。みんなが知っている作品を出しても浅く思われないか、マニアックな作品で相手が理解できなかったらどうしよう。その問題だが「ワンピのゾロとサンジが好きなんですよね……。男の友情って感じで……」ですべての局面に対応できる仮説を提唱している。
いつもは犬猿の仲でも、戦うときにだけ息がぴったり合う奴らが嫌いな男の子はいない。そこから花道と流川、デクと爆豪などの関係性の話に派生させていけば、この人は男同士の熱い友情の好きな健全な漫画読みであるという印象を与えられる。
カリオストロの城でルパンと銭形が共同戦線張るのいいよね……。

問題はここからだ。ゾロとサンジ(※名称については作品の初登場順に表記しており、それ以外の意味は持たないことを明記しておきます)はいいぞ……。
サンジはコックの夢を犠牲にして自分が生かされたことを後悔しているのだけど、ゾロは「命の恩人が生きてんだ。いつだって恩返しできんだろ、バカコック」と言う。サンジは「おまえに何がわかる!」と反発するのだが、ゾロがくいなを亡くしたことを知るのはその後だ。
ゾロはぶっきらぼうだが優しいので、サンジの作った料理はすべて平らげる。ルフィは好き嫌いが激しくて「いつも野菜残すんじゃねえよっ!」と切れているのだけど、余り物の料理をゾロは黙々と食べるんだよ。「メシを食って身体を作るのも剣士の修行だ」とか言っちゃう。
お互いのことが嫌いではない。でも不器用な優しさを向け合っていて欲しい……。「クソコック、てめえが野垂れ死んだら誰がメシを作るんだよ!?」ってピンチを救って欲しい。ゾロの味噌汁を作るのはサンジだよ……。
でもサンジって女好きじゃん? 待てよ。全ての女性を平等に優しく扱うってことはな、どの女性も特別な存在ではないってことの証左である。それに比べてゾロは代わりのいない唯一の存在である。過酷なグランドラインで背中を預けられるのはロロノア・ゾロしかいない。でもな、ゾロの心には死んで理想化された女がいるから……。
過去編で色々あって料理人になったあとも仲間はいたけれども、自分を対等に扱って、手加減せずに感情をぶつけてくれるのはゾロだけなんだよ。ゾロはありのままのサンジを見てくれる。過去を知らないからかも知れないが、ゾロはそんなやつじゃねえのはわかるよな。
ゾロはサンジが思い悩んでいても上手い言葉をかけられないから、「おい、てめえ。稽古に付き合え」って言って、余計なことを考えさせないようにするぐらいしかできない不器用なやつなんだけど、サンジもその辺の心の機微は気づいている。「手加減してやるよ、まりもヘッド」とか言っちゃう。
強さを追い求める理由も対極で、ゾロにとって強さや世界一を目指すのは約束である。その一方でサンジにとって強さは呪いである。力がないという理由だけで酷い仕打ちに遭う。それを知っているから、力の弱い女子供には優しいんだ。

おわかりいただけただろうか。「ゾロとサンジいいよねー」だけで始まった話が、「こいつ……妄想過多なオタクだな……」になる。ちなみにワンピースで好きなキャラは、身分を隠していたビビとコンビを組んでいた〝熱血ナイン根性バット〟のMr.9です。
「事情はさっぱり飲み込めねェが……長くペアを組んだよしみだ。時間を稼いでやる……!! さっさっと行きな!! ミス・ウェンズデー」
女のために命を投げ出してしまう野郎がおれが好きでな……。しかも相手は身分を隠したお姫様である。ぜったい良い奴要素しかない。今知ったが、こいつはこのあとに生き延びて、ミス・マンデーと家族になっている。
良かった。ずっと死んだものだと思っていたから……。


・相互監視進捗管理刑務所日記 2024/07/20

「おれたちは締め切りがあるか刑務所のような場所に監禁されることでしか、作品を完成させられない。作業を後回しにする言い訳を次から次へと生み出すので、あえて退路を断ち、進捗を相互監視することによって無理矢理タスクを遂行しなければならない」という理由のもと、プリゾナー・ドローイングをすることになった。
この機を逃したら何もできないので、速攻でDiscordサーバーが建ち、収監されて囚人になった。Discordのチャンネル名が「進捗管理刑務所」って……。現代のパノプティコンじゃん……。
全世界のオタクくんは刑務所の独房に閉じ込められて、筋トレをし続けるような生き方に憧れを抱いている。プリゾナー・トレーニングはただの筋トレではない。筋肉を鍛える過程で己の内側に「囚人マインド」を芽生えさせる。デジタルデトックスなんて生易しいものではない。部屋の中に閉じこもり、己の為すべきことを淡々とやり続ける。
おれに必要なのはこの囚人マインドなんだ……。

・刑務所日記・1日目。
短期的な目標は「なんらかの線画を完成させる」である。
筋トレと同じようにいきなりハードなことをやるのではなく、負荷の低い作業から始めて身体を慣らしていく。絵を描く筋肉が弱り切っているので、グプティルの「鉛筆で書く」とルーミスの「やさしい人物画」を押し入れから引っ張り出してリハビリすることから始めた。
これは最初の頃に買った絵画技法書で、トーンと骨格の基礎が書かれている。準備体操やラジオ体操だと思って、手を動かしてタッチや筆遣い、人体骨格を描いて、絵を描く習慣と感覚を取り戻す。
作品を完成させようとするのではなくて、刑務所で腕立て伏せをし続けるように鉛筆を動かす感覚だ。


・相互監視進捗管理刑務所日記 2024/07/23

・「準備が整って、調子がいいときに本気を出す」方式だとぜっっっったいに何もしない自信があるので、下手でも未完成でも雑でもアウトプットしないよりはマシ。筋トレもやる気がないときは、できる範囲で負荷の軽いメニューをやる。
刑務所での自主筋トレと同じカテゴリだと思い込むスキルだ……!
・工数というかカロリー、マナコストを下げる。
おれの全力と本気を注ぎ込んだ超最高のアウトプット(マナコスト10)を手札に抱えているとそのまま死ぬので、おれの余力と惰性で無理なくできる範囲のアウトプット(マナコスト1-2)を連打していくスタイルの方が現実的かも知れない。
マナコストを軽減したりマナ加速も併用する。効率化するとか、手を付けやすい形にするなどが当てはまる。
・AI生成ツールを導入しているけれども、「AIのアウトプットが強くなりすぎて創作物として死ぬ瞬間」がある。確かに元絵よりも上手くなったけれども、個性や揺らぎが消えてAIが生成するありきたりな表現に置き換わってしまう。
自分はAI生成ツールを「デジタルツールでベタ塗りやトーン貼りを効率化するのと同列なもの」と思っている。アシスト的に使うのならいいけれども、使い方を間違えると「AIツールの使い方が上手いだけの人」になるデメリットがあって、それを上手に乗り越えられるのなら積極的に使っていい。
「AIっぽい画風」をどうやって我でねじ伏せるのか?という視点なんじゃないかな……。


・MTGアリーナの作りやすくて強いデッキ(エクスプローラー編)

※July 28, 2024の記事なので古いよ

フレンドがMTGアリーナを始めると言っていたので、比較的簡単に作れて実績を残しているデッキを紹介する。フォーマットはエクスプローラーなのは、ローテーションの影響を受けにくく、作ったカードを長く使えるからだ。
Moxfieldにデッキリストを載せているので、インポートして使おう!

・赤単ウィザード・バーン

呪文を唱えるたびにパワーが上がっていくクリーチャーで殴ったり、コストを軽減した魔術師の稲妻や批判家刺殺でライフを削っていくバーンデッキだ。顔面に火力を叩き付けるのは楽しい。
『精鋭射手団の目立ちたがり』が加入することで爆発力が増した。

・イゼット・フェニックス

イゼット・フェニックスは大会入賞の常連だ。土地以外に使うレアカードが帳簿裂き(レア4枚)と孤光のフェニックス(神話レア4枚)で済むため、比較的作りやすいデッキである。
ここで掲載したデッキリストは、レア12枚と神話レア4枚分のワイルドカードがあれば作れるようにしている。チュートリアルを一通り終えて無料分のパックを剥けば、一週間ぐらいで作れる(と思う)。
レア土地を妥協してあるので、余裕があればタップインデュアルランドを置き換えてマナベースを安定させよう。
ファストランドが2枚なのはサンダー・ジャンクションの無法者のパックから出るかも知れないからという理由だけど、作ってしまってもいいかも知れない。

・ボロス英雄

ボロス英雄は少数精鋭のクリーチャーを強化してぶん殴っていくデッキ。
赤単デッキで作成した精鋭射手団の目立ちたがりが流用できるので、土地以外にはレア・ワイルドカードを使わなくてもいい。
このデッキには照光の巨匠という超強いアンコモンのおっさんがいる。白いペンライトを持ったおっさんが、手札を整えながらパワーを急上昇させて、二段攻撃トランプル・プロテクション付きで殴ってくるのが凶悪な動きである。
デッキの性質上、単体除去には弱い。
・赤白のレア土地を作っておけば、ボロス召集を作るときにも役立つ。こっちはクリーチャーを横並びにして、数の暴力で殴っていくデッキだ。

紹介したデッキは軽い呪文を連打するので、デイリー消化にも向いている。
あとは余裕のあるときに定番のカードやサイドボードを生成していけば、それなりに形になっていく。最初の数ヶ月は大変だが、ある程度カード資産がそろってくると、ワイルドカードを大量に使わなくても環境デッキを組めるようになる。
盆栽を育てるようなゆっくりとしたペースでデイリーをこなしていく。そのぐらいのプレイスタイルで遊ぶのがよいと思う。


・ここ最近のMTGで気になったカードの超てきとうレビュー。

・……の前に、いつかの日の日記。
VRMTG専門店『ELDRA』で、パイオニア触るのが初めてらしい人の観戦をした。赤単バーンVSラクドス吸血鬼である。他の常連さんとデッキやカードの説明をしながら見守る。
細かいインクの染みや効果は無視して、カードゲーム漫画的なリアクション・説明を心がけた。「こいつはカードパワーが高すぎてスタンダードを出禁になった〝鏡割りの寓話〟……ッ!?」とか「最強一マナ生物」など、厳密さを無視した雑な解説をした。
いちばん有能なアドバイスは「MTGおじさんは初心者を出汁にして喋りたいことを喋るクリーチャーなので、わからないところは聞き流していいよ」だったと思う。
おれもいまの知識と実力だと消化しきれない情報は聞き流している。きっと、いずれわかるときがくる……。
・自分も正しいプレイングができているわけではないので、正確な助言はできない。人のプレイを見ていて「こうしたほうがいいのに」と思う所はあるのだけれども、プレイミスをするのもその人の自由なのだ。
「こうした方が正しい」と言われて選んだ答えよりも、自分で選択した間違いのほうが重みがある。自分で考えて、試行錯誤して、その結果として間違う。その積み重ねなのかも知れない。
……というわけでカードレビューというよりもただの雑感コーナー。

・巣穴の魂商人
ファイレクシアの供犠台ゾンビ。ライフ1点支払うのは、ドレイン能力持ちの統率者に入れれば問題無い。確実に墓所這いの嫁としてデザインされており、「盤面にゾンビがいればループが完成するのに……」という全世界墓所這いループ愛好家の悩みを一挙に解決する。
現時点では200円のお手頃プライスだが、肝心の墓所這いが高騰している。

・紅蓮術師の道 ザダ用。
キャントリップ呪文で10枚ぐらい引いて、10枚捨てて、10マナ出して、11枚引く。果たして使いものになるのか……?

・肥えた緑甲羅
ファイラスのオリカ。要約すると「植物トークンが戦場に出た数だけカードを引く。引いたカードが土地だった場合はタップインで戦場に出してもいい」である。置きドローソースとしても十分過ぎるのに、全体強化までこなす逸材。

・三本木市。
ファイラス用ジェネリック・ガイアの揺籃の地か?と思われたが、びみょうな性能かも知れない。同じタイプのクリーチャーを4体並べて、ようやく1マナ加速する……。
ファイラスの場合、基本土地枠を削るので出るトークンが減る。強く使える場面でも、「植物トークンを6体出した次のターンに設置して、合計10マナ出す。3マナの加速」という感じになる。上振れた場合もそもそも盤面にトークンが大量に並んでいて優勢のはずである。
むしろゾンビデッキ向けのような気がしてきた。

・花粉の分析
序盤はマナベースを安定させながら、墓地が肥えてくる頃には緑1マナのクリーチャー・土地サーチになる。緑の太陽の頂点の代用枠での起用だったが、序盤の動きに余裕を持たせられる点ではこちらの方が小回りが利く……のか?
いつ引いても腐りにくいカードデザインだ。


・MTGアリーナ・赤単入門。

この記事はMTGアリーナの入門記事という体裁の怪文書である。
お前はMTGに興味を持ち、環境トップのデッキリストを見たあとに必要とされるレア・ワイルドカードの多さを知って途方に暮れている頃だろう。ろくにデッキも構築できず、スターターデッキとかいう脆い武器を片手に絶望的な戦いに赴くことになる。
環境デッキにタコ殴りにされたおまえは「こんなクソゲーやっていられるか!」とMTGアリーナをアンインストールして、最近アニメ化したソーシャルゲームを始めようする。そして二度とMTGのデッキを握ることなく生涯を終える。
そうなるまえにおれがやってきた。

・エルフと鳥とその他諸々を焼くために
これから教えるのは強いデッキの作り方ではない。手に入るリソースを最大限に活かして戦い、生き残る方法だ。MTGにおいてプレイヤーは魔法使いである。このゲームを学ぶというのは、原始的な魔術の原理を知るということだ。魔法による戦いの本質は他者を打ち負かすことではない。脅威を退け、生き延びることだ。脅威はおまえが一人前の魔法使いになるまで待ってはくれない。おまえは弱いが、それでも戦わなければならない。そのときに必要になるのは強い魔法では無く、自己と他者の理解である。
まずお前が最初に学ぶのは、火のまじないだ。
MTGでは古くから「エルフと鳥は見たら焼け」という真理がある。こいつらはマナを生み出すので2ターン目には3マナの生き物や魔術を叩き付けてくる。その動きを許さないためにエルフは可能な限り根絶やしにしなければならない。MTGのエルフはゴキブリ並みの生命力があり、エルフが生んだマナで別のエルフが集まり、10匹近いエルフが横並びになることも珍しくない。エルフを1匹見つけたら30匹は隠れていると思え。
焼かなければならないのはエルフと鳥だけではない。そのデッキの軸とも言えるクリーチャーや魔術がある。こいつらを可及的に速やかに焼けばデッキは機能不全に陥る。
つまりは火力呪文による除去の重要性だ。相手がどんな強力で高価なクリーチャーを展開してきたとしても、火力呪文で除去してしまえばいい。数千円する神話レアのクリーチャーが10円のコモンカードに討ち取られ、王も奴隷も同じ墓地へと送られる。
焼きながら、殴れ。それが基本的な動きだ。
MTGのルールは簡単だ。山を出して、僧院の速槍を唱え、火力でライフを削るかクリーチャーを焼いて殴っていれば相手は死ぬ。これだけ覚えていればいい。
敵の脅威を除去しながら、自分の攻撃を通していけばいい。最初は何を焼けばいいのかわからないと思うが、そのあたりは死にゲーと同じだ。あのとき焼かなかったばかりに手の付けられない盤面になってしまった……。こういう経験を積み重ねることで何を焼くべきなのかが分かってくる。

※山……信頼できる確固とした基本地形。
※僧院の速槍……最強の1マナクリーチャー。速攻を持ち、クリーチャー以外の呪文を唱えると一時的にサイズアップする。
※火力……稲妻を本体に直接叩き込んでいるときに生〝ライフ〟を実感できる。それが赤単だ。もう1マナ3点火力じゃないと満足できない……。

・赤の精神
これが赤単の精神であり、古代MTGより脈々と受け継がれる黄金律だ。この文章を読んだ以上、おまえには赤単の子になってもらう。少なくとも数ヶ月は赤単アグロと赤単バーンを握って、赤の精神を内面化してもらうことになる。
赤は衝動の色だ。感情と本能、喜怒哀楽を率直に表現する。理屈よりもフィーリングに従う。荒々しい原初の色である。人間は歳を重ねるにつれて、身体や心よりも頭で考えることに偏っていく。自分がどう感じているのかよりも、論理的・倫理的に正しいのか、他者や社会が許容してくれるのか?といったことを頭だけで考えるようになる。
しかし「赤」は自分自身の感情を何よりも優先する。笑い時には思いっきり笑え。悲しいときには泣け。腹が立って仕方が無いときには怒れ。内面に耳を傾けて、おまえの心が正しいと思ったことをしろ。
赤とはそういう色なんだ。赤単を握るということは、おまえが赤の精神を内面化していく過程でもある。おまえの内側に灯っている火を見つけろ。他の人間から見て間違っているかも知れないが、大事なのは「お前がそうしたいと思った」ということだ。正しくなくても、おまえの内側から湧き上がってくる何かに従って行動した。それがいまのおまえに必要なまじないだ。
おれたちは道に迷うだろう。自分に自信が持てなくなって、他者の声に従うようになる。内面から呼びかける小さな声に耳を塞いで、誰かが考えた正しさを盲従し始めたら、そこでおまえの灯火は消える。
最初はまともに初心者に役立ちそうな記事を書こうと思ったが、やっぱりいつものノリで文章を書いてしまった。衝動的に何かをしてしまうのも赤の特徴だ。
まともで実用的なデッキリストが見たいときは「MTG アリーナ デッキ 格安」や「MTG Arena Budget decks」といった言葉で検索すればよい。
もしくはそのへんにいるMTGおじさんを捕まえて「MTGアリーナを始めたのですが、初心者にも作りやすいデッキって何ですか?」とか聞けばいい。最初は何を言っているのかわからないと思うし、MTGおじさんは無限に喋り続けるはずだ。なんだかんだいって、「よっしゃ! じゃあ初心者向けのいい感じのデッキを考えてみるわ!」とか勝手にやり始める人種である。
幸運を祈る。

・よりよい読み物


・性格と色とアバター

・久しぶりにアバターを改変して思ったのは、ふぁふぁちゃんは表情のバリエーションが豊富で感情が乗せやすい感じがした。目元がきりっとした美人さんなのもポイントが高いが、魂に合っている感覚がある。足の形にぴったりの靴を履くように、自分の魂の形に沿った外見がある……のかどうかはわからないが、少なくとも纏っていることに違和感が無い。
元々、感情過多な気質だと認識しているので、アバターも喜怒哀楽の表現がはっきりしている子の方が相性がいい。自分の感情に素直であること。多少面倒くさいところはあるのだが、裏表がなく、全力で笑ったり、楽しんだり、怒ったり、泣いたりする。そういう生き方への憧れをアバターに託しているのかも知れない。
そういえばMTGで好きな色である赤も、感情を素直に表す色である。たぶん念能力は強化系寄りの放出系な感じがする。
何を望み、何に惹かれるのか。どこに自分の特質があるのか。自分はどの分野にカテゴライズされるのか。「私は○○である」と言える客観的な印が欲しいという欲求があるから、占いや性格診断が求められる。鏡で自身の顔を確かめるように、魂の形を見たくなる。

・……という経緯でMTGのカラーパイ性格診断をやった。

あなたの色への寛容度は、白4、青7、黒6、赤8、緑5。
あなたの色への反発度は、白5、青2、黒2、赤3、緑3。
#カラーパイ診断 http://www2u.biglobe.ne.jp/~kakeru/mtg/colorpie.htm

MTGにおいて好きな色には本人の性格や気質が大きく影響していると言われる。
赤が優位なのと白が極端に低いのは納得がいくのだが、次点で青色に高い適性があるのがいまいち理解できない。打ち消し呪文は敵だと思って生きてきた。あと予想よりも緑適性が無い。マナ基盤を整えやすいから好きなだけで、実際に緑の理念からは離れている感じがするし、蛮族グルール脳だと思っていたがそれも少し違うような気がする。
一人の人間を一つの概念、色、枠組み、性格類型に押し込めるのは不可能で、「どちらかといえば、こういうタイプの人間」としか言えない。でもそれでいいと思う。
「自分はこんなタイプの人間です」と決めるものではなくて、「私から見てあなたはこういう人間として映ります」という他者の眼差しからしか自己像は現れない。それが正しいわけではなくて、自分や他者から見た自己も断片的なものでしかない。


・スーパーカブの話

50ccのスーパーカブで田舎の裏道をトロトロ走るのが好きだった。30km/h制限があって決して速い乗り物ではないのだが、季節感を肌で感じながらおさんぽするには性分に合っていた。夏に田舎道を走っていると、ジョジョの奇妙な冒険・第3部の灰の塔(タワーオブグレー)みたいな勢いでカナブンがヘルメットにぶつかってくる。
バブル期はスーパーカブを10万円で買えたの羨ましすぎる。ゲーミングPCのエントリーモデルみたいな価格だ。現在では排ガス規制で製造コストが上がってしまい、気軽に乗れるものでは無くなってしまったのが残念だと思う。それに30km/h制限で車の多い場所を走ると、「ここがおれの死に場所か……」と命の危機を感じるレベルで速度が合っていない。歩行者からはバイクは公道を走れと言われ、車からは30キロしかでないボーイは邪魔者でしかない。本当は小回りの利く移動手段だったスーパーカブだが、道路交通法のどちら側にも適応できない乗り物になってしまった。
というかスーパーカブはバイクでは無くて、原動機付き自転車である。自転車にエンジンを付けた強化チャリだ。海外にはモペットという種類の原付があるのだが、日本だと一部のクソ迷惑な連中が違法モペットを乗り回して心証を最悪にしている。
ちなみにゾンビアポカリプス後の日本をスーパーカブに乗って走り回りたい欲求があるし、廃墟とか文明崩壊後が似合う乗り物ランキングナンバーワンだ。


・恐喝ハッピーバースディと期待回避性について

8月14日が誕生日だった。よく遊んでいるフレンドに「実は今日が誕生日なんだ。祝福しろ!」と要求する、恐喝ハッピーバースディをしていた。
「他者の反応はコントロールできないので最初から求めない」を生存戦略にしている。承認欲求の大半が、他者の反応という自分ではどうにもならないものを努力して手に入れようとして、期待と現実のギャップに苦しむ。だったら、最初から他人に過度な期待を向けなければいいのでは……?
誕生日は人徳や人間力その他諸々が可視化されるイベントで、自分で誕生会ワールド開いている奴はどれだけ自己肯定感が高いんだ。はがねのメンタルかよ……と恐れおののいている。おれにはできねえ……。
メンタル防御力が女児向けアニメのヒロインレベルで繊細なので、回避的な行動を取ってしまう。人に期待しすぎるのマジで怖い。人に求めるぐらいなら、奪いたいものは自分の手で奪う山賊と同じマインドで、「おれを祝福しろ!」と恐喝ハッピーバースディをやっていたほうが気が楽だった。
そういう面倒臭い気質と、反応が数値化されるSNSのプラットフォームの食い合わせが最高に悪く、誕生日というよりかは「祝福スコア化承認欲求バトル」的な側面を強く感じる。たぶん被害妄想かも知れない。「仲の良いフォロワーをランキング化する診断」みたいなやつに一切手を出さないのも、人間関係を数値や序列にしたくないし、されたくもないという拒否感がある。
そういうスタンスでいたのだが、誕生日を覚えていてくれたり、「何か用意しておきたかった」と言われるなどして、ほんとうにこのやり方でいいのか……?と疑問を抱く。
他者に過大な期待を抱いてしまうのも、人から期待されてあとでがっかりされるのも怖い。あと「もうすぐ誕生日なんだー(ちらっ」というのも、祝ってくれるかどうかで人の好意を試しているみたいな気がした。
言語化してみると「こいつ厄介だな……」と自分でも思うし、どれだけ自己肯定感が死んでいるのか心配になってくる。
そういう事情を抱えているので、しばらくは恐喝ハッピーバースディ・スタイルを続けることにする。いまは「誕生日プレゼントにかこつけて自分の嵌まっている沼や推しの宣伝をするぜ!」ぐらいの雑な祝われ方をされたい。新規を沼に沈めたいフレンドと、何か面白いものがないかを知りたい自分でWin-Winの関係だ。
ここ最近はトレンドよりも友達の口コミに頼り切りなので、おすすめの作品や沼があったら教えて欲しい。


・絵文字と敵意の無さ

「メッセージに〝。〟を付けるのが句読点ハラスメントになるんだったら、絵文字を大量に使ったおじさん構文に手を染めるしかないのか……?」という与太話をした。
それは極端な例だが、文字情報だけだと感情表現が欠落するのが問題で、句読点が話の焦点では無い。事務的な連絡なのか怒っているのか、相手の顔や感情が見えないのはディスアドバンテージである。
そう思っているので、最近は自分も☆とか太陽とか、特に意味もなく文末につけるようになった。ショートメッセージは情報ではなくて感情のやりとりであり、非言語的な表現の重要性が増す。「おれは怒っていないですよ、この絵文字を付けているので機嫌が良いですよ」と伝えられるのは大きい。
握手の起源は「私は武器を持っていません」と相手に伝える意味があった。現代では「私はあなたに対して敵意を持っていません」と伝えるために、最適な文章表現が求められるようになった。そのせいで絵文字のない言葉が相対的に冷たくて表情が見えないものに変わったような感じがする。
もしかしたら相手が不快に思っているのではないのか。本当は怒っているんじゃないのか。それを見極めるほうが、情報を伝達するよりもウェイトが高くなって、つい相手の感情を悪い方に深読みする。それは人間が社会性動物であるが故のリスクヘッジで、鈍感な個体よりも「なんかぼくやらかしちゃいましたかね????」と深読みできる奴のほうが共同体からハブられずに生き残りやすいし、コミュ障は死んだ。
ついうっかり長めのテキストを書いてしまうオタクは「情報量が多い方がいい」という価値観を持ってしまいがちだ。でもさぁ、オタクくん……人間は情報ではなくて、喜怒哀楽といった感情をシェアすることに重きを置いたコミュニケーションをしているんだよね……。


・「そのまま」であるということ(MTGのカラーパイについて・緑)

MTGの緑は「すべてのものは生まれ持った本質からは逃れられない」という性質の色なのだろう。鳥は空を飛んで、魚は水の中を泳ぐ。それに類するものがすべての存在には割り当てられていて、生まれつきの性質に沿った道を選ぶのが「自然」である。
生まれるのも、成長していくのも自然の摂理だし、衰えて滅びていくのも変えられない定めである。自分の意志で変えられるものは多くはないから、人為的な力を加えずに「そのまま」であることを是とする。
人間の力ではどうしようもないものを、知識や技術、意志でねじ曲げようとすると、本来の在り方とはかけ離れていく。自分だけではなくて他者、外界、手に触れられるもののすべてを変えようとする進歩的な青の価値観は、「そのまま」であることからは対極の位置にある。
そんな複雑なことをしなくても、君はもう必要なものはすべて持っている。あなたもまた自然の一部でしかない。獣が牙や角を、蜂が針を持っているのと同じように、お前にはお前の本能や性質が生まれたときから備わっている。お前は何かを新しく手に入れる必要はない。元から持っているものを認識して、より深く「そのまま」の使い方に習熟すればいい。
仮にそれで滅ぶのだとしても結末を受け入れるのが自然の摂理なのだろう。
生まれつき備わっているものに沿うこと。
変えられないものを受け入れること。
そういった価値観に従って生きるのが緑……というよりかはグルールの〝旧き道〟の根底にあるのではないのかと勝手に思っている。ウィザーズの公式見解なぞ知らん。グルール(赤緑)=暴力というイメージが強いが、ネイティブアメリカンの世界観に近い気がする。グルール的であるということは人間の内側にある本能(赤)も自然の一部に他ならないと自覚することだ。
言葉や文明といった「人間の作り出したもの」が勢力を広げ、「そのまま」と「人為的なもの」のバランスが崩れたときに私たちは旧き道から外れた。世界は変えられるものになった。少なくとも人間はそう思い込んでいるけれども、結局は自然の一部でしかないのではないか?


・ 謎のハーブを育てていて真夜中に奇声を発するヤバい隣人のための鎮魂曲

昔はインターネットに怪文書を投げ込んで、「インターネットにはあたまのおかしいおもしろ動物がたくさんいるよ! どうぶつさんを刺激しないで、檻の外から離れて観察してね!」ぐらいの気持ちでいたのだが、現在ではこんなおおらかなスタイルは取れない。
SNSは人との間が近くなりすぎて、「法律に抵触する謎のハーブを育てていて、真夜中に奇声を発するやべえやつが隣に住んでいる」程度の距離感になってしまった。むしろ自分が真夜中に奇声を発する側であるし、おとなりさんとは謎ハーブ製造がばれないようにご近所づきあいをする必要がある。
かつてここは劇場だった。フィクションだった。現実から切り離されたお砂場だった。現実で言うには不適切なことも、許されていたわけではないがお目こぼしされていた。
いまは言うべきことを間違えると簡単に死んでしまう。インターネット動物園の檻の中にいるどうぶつさんたちが、猿山ヒエラルキーを作り、互いに殴り合っている。動物園に観光に来たはずだったが、自分の方が檻の中の動物になってしまった。
社会性をどぶに投げ捨てたほうが文章の総合火力が上がるのだが、いまそれをやると友達を一人ずつ生け贄に捧げてテキストに変換することになる。
「この文章は、この書き方は、他の人から見てどう思われるだろう?」と考えてしまって、以前とは同じように文章が書けない。下手にバズるとよくわからない奴にまで自分の文章が届いてしまうのめちゃくちゃ怖いし、大多数が求めているのはクソデカ感情を叩きつけるような怪文書ではなくて、社会的毛づくろい(ソーシャル・グルーミング)である。
それも時代の変化なので仕方の無いことではあるが、不謹慎さがある程度は許容されていた頃がときどき懐かしくなるし、深夜に叫び声を上げながらふるちんで全力疾走するような文章を書きたくなる。


・ どうすれば小刻みに達成感を得て、モチベーションを保てるのか?

以前にフレンドが「何日もかかって創った作品よりもVRChatのスクショの反応の方が多いときは、どうやってモチベーションを保てばいいんだ?(※大意)」と言っていたが、おれにもわからん……。
『創作文芸サークル「キャロット通信」の崩壊 』の登場人物のセリフに「半年かけたオリジナル小説より一時間で書いた身近なエッセイのほうがよっぽどアクセス多いよ……」というセリフがあった。ミュシャの絵も本当に描きたかったスラブ叙事詩シリーズの方は知名度が低いし、創りたいものと実際に人に受けるものは違っているのが世の常なのだろうな。
おれのほうは「これだけ娯楽が溢れている中で、わざわざ自分が文章や絵を創作する意味があるんだろうか?」と考えて身動きが取れなくなっていた。何かをアウトプットしようとしたときに「自分の上位互換も代替品もいくらでもいるじゃん」という言葉が脳裏を掠めて、それを振り払えないでいる。
書きかけの小説を十万文字単位で放置していて、どうしたらいいのかわからない。読まれるかどうかもわからないものを書き続けるのは一種の狂気が必要で、イージーに承認欲求が満たされるのならそっちに流されてしまう。
おれは自分の集中力とモチベーションを信じていないので、やる気という不確かなものに頼るのは悪手だ。人間はレスポンスが無いままに何かを作り続けられるほど強靱では無いので、フィードバックを受けやすい環境に身を置くのが実戦的だ。
完成品に対して達成感や承認を求めると、コストパフォーマンスを計算してしまうので避けた方がいい。「この作品は労力を掛けたのに、適当に言ったことの方が反応がいいなんて……」の沼に引きずり込まれる。
そうならないように小刻みに達成感を得たほうがいい。小さなことでもいいから、結果では無くて過程から達成感やモチベーションを得られるようにする。犬を褒めて調教するような手法で、「これをやったら正のフィードバックがある」と脳にすり込んでくれ。もっと欲望をダイレクトに描写すると、同じマンションに住んでいるお姉さんに犬と同様の扱いで進捗管理されたい……。


・文章諸々。

・哲学的ゾンビライフハック
「人の心は存在しない。存在を確認しようがない以上は哲学的ゾンビと変わらないので、他者の内心を考えても無駄。おれはそう仮定して生きている」という哲学的ゾンビライフハックが発達障害の本に載っていたんだけど、葬送のフリーレンの魔族的アプローチみたいでおれは好きだよ。
あと「自分が何をどう思っているかは関係無くて、外側に現れた言動が私の心」になるという、社会的フォルマリズムの考え方もいい。内心で「こいつぶっ殺してぇなぁっ!」と思っていても、それを外に出さない限りは社会的には存在しない。

・空気という共通言語
空気を読む、察するor察して欲しいというのは難しいな。他人が何を考えているのかはわからなくて、「少なくとも自分だったらこうする」「社会通念上はこういう言動を取るのが普通」といった尺度で他者の内面を推察する。
常識や社会性という共通のプロトコルを持つことで、「あの人は私たちと同じ価値観を共有している」と信じることで、他者の内面をある程度予想しようとする。何を考えているのかわからないやつは危険だ。
この人はどんな反応を返してくるのかわからないので、コミュニケーションコストが高いとか、あの人はノリがいいから遊びや飲みに誘っても快く応じてくれる可能性が高いとか、○○さんは少なくとも言動が一貫している……みたいな、他者から見てある程度行動パターンをわかりやすくする努力というか……。
人間をエミュレートするのは大変だな。

・アンパンマンとおれ
誕生日に「おれにとっての幸福とは……?」とアンパンマンの歌詞みたいなメンタルになっていた。あらためてアンパンマンのマーチを聴くと凄惨な歌である。たとえ胸の傷が痛んでも……お前は一体何に傷ついたんだ。それなのになんで戦えるんだ……クソアンパン……っ!
唐突に刺さるやなせたかしの歌詞。夢を忘れるな、涙をこぼすなとアンパンマンはおれに要求する。子供向けのOPに思えて、これは喪失した人間への言葉だった。だめだよ、アンパンマン……
おれ、もう力が出ないんだよ……。空腹のカバおよりも弱々しい口調で呟く。人はパンのみにて生きるにあらず。栄養が無くなれば身体が動かなくなり、人生の意味を失えば生きながらにしておれたちは骸になる。
アンパンマンは飢餓を救うヒーローだが、喪失し、欠落し、魂が餓えた人間のもとにも現れる。彼自身のヒーロー性が欠落から生まれている。アンパンマンのテーマから逆算できるのは、彼が傷つき、生きる意味を喪失し、夢を忘れ、涙を流し、恐怖し、孤独だということだ。それでもクソアンパンは、みんなの夢を守るためにどこまでも飛ぶことを選ぶ。
クソアンパン呼ばわりしているのはデクに複雑な感情を抱いている爆豪が「クソナードッッ!!」と言っているのと同じようなものだ。
クソアンパンには悩みが無いように見えるけれど、あいつはみんなを心配させないためにいつも笑顔でいることを選んだ男だから……。たとえ胸の底で泣いていても、苦しんでいても、全部を独りで抱えてしまうような奴だ。でもよ、友達が愛と勇気だけなんて悲しいこと言うなよ。友達(ダチ)だと思っていたのはおれのほうだけかよ、クソアンパンッッッ!!!
右ストレートがアンパンマンの頬を直撃し、顔が歪む。どうしてアンパンマンに対して強い情念を抱いているのかわからなくなってきた。
おれはバカだから何が自分の幸せなのか、何のために生まれたのかなんてわからねえけどよ……手前ェが独りで背負って、苦しんでいるのを見ているだけなのは我慢ならねぇんだよぉぉ、クソアンパンーーーーッッッッ!!!!


・諸々カードレビュー。

・陽気な哀歌。
最大4マナのクリーチャーを墓地経由で戦場に出せるのは、悪魔の教示者(4000円)並みのマナ効率だと思う。クリーチャーだけという縛りはあるものの、モダンホライゾン3で巣穴の魂商人が加入したことで墓所這いループのコンボパーツになるし、リアニメイトや重めの納墓として使えるなどの柔軟性もある。それに最大2体までってお前……!

・山積みの収穫
分割払いできるようになった灰からの再興/From the Ashes。あるいは3マナの土地加速に不屈の自然が付いてくる。2.5マナで土地を1枚出せると考えると柔軟性が高いカードだ。
ところで「世界を彫るもの、ファイラス」の3マナ土地加速に悩んでいる。耕作や木霊の手の内タイプが何枚もあるわけではなく、土地一枚を場に出す+αタイプのカードを見繕う必要がある。
基本土地を手札に2枚加える、別モード付き、分割払いなどの選択肢があるのだが、安定して土地を6枚まで伸ばせるようにしたいのだが、マナ加速のベスト配分がわからない。
除去やユーティリティーもなるべくマナ加速できるタイプのものを増やして構築を尖らせる。何が正しいんだ……?

・異界の進化
世界を彫るもの、ファイラス(6マナ)に使えば孔蹄のビヒモスに繋げられるじゃん!? ファイラスは「なるべくこいつを統率者領域に戻さないために、戦場で飼い殺しにする」という方法が取られがちである。デッキになんらかの自決手段を入れたいのだが、生け贄に捧げられてなおかつフィニッシャーに繋げられるのでは。
サーチカードも一長一短で強く使える場面と腐る場面があって、何を採用すればいいのか悩んでいる。自然の秩序、緑の太陽の頂点、破滅の終焉あたりは高くて手が出ない。

・ロナスの狂信者
獰猛で4マナ出すマナクリで、墓地から永遠で蘇ってくるとパワー4になる。つまりガルタポイントを合計8貯められる。
ガルタ専用でなくてもファッティ多めのデッキなら今までのマナクリ置き換えても良いんじゃないかぐらいの破格のスペックをしている。序盤の動きを安定させつつ獰猛を達成したら4マナが出て、除去されても自力で墓地から戻ってこられるし、永遠で獰猛を自力で達成できる。
このカードデザイン大丈夫なのか……?

・悪意の閃光。
元々は殺しを買おうと思っていたが、EDHで需要があって思ったよりも値段が下がらない。『すべての人類を破壊する。それらは再生できない。』にも特典カードとして付いたのにどうして……?
そういうわけで白羽の矢が立ったピッチスペルが悪意の閃光だ。生け贄にできるクリーチャーがいればピッチスペルでマナ総量の一番大きい敵を消せる。だいたい殴ってくる奴はマナ総量が重いはずなので十分に仕事を果たしてくれるはずだ。
何気にフレーバーテキストが好き。
「私が苦しんだように苦しめ。私が失ったように失え。」

・モダンホライゾン3のスペルランド。
正式名称わからん。両面スペルランド? スペルボルトランド?
土地枠にアンタップインで除去や対象変更を仕込めていいのか?
ここ最近のMTGカードデザインは序盤、中盤、終盤いつ引いても腐らないようになっているように思える。前半にフィニッシャーを引くのも後半にマナクリや土地を引くのも楽しくないので、土地にスペルを付けたり、別モードを持っていたりする。
マナフラ、マナスクリュー時の選択肢が増えるのはいいことなのだが、素直に喜んで良いのかわからない。

・名声の代価
伝説のクリーチャーなら2マナで除去できる。諜報2がおまけで付いていて、向かってきた統率者を除去しつつデッキを掘ってコンボパーツを引っ張ってこられる動きが地味に沁みる。
・隠れたるゲリラ。
対戦相手がアーティファクト呪文を唱えるとクリーチャーになるガルタ用1マナ5/3。誰かしらアーティファクトを唱えると信じて投入したいところだ。
・サボテン保護区
ガルタのオリカ土地。


・ 諸々日記 2024/09/14

・承認欲求、コミュニケーション、デフォルトで上機嫌であるということ。
・承認欲求というか生身のレスポンスに餓えているだけで、作ったものを文芸部かマンガサークルの友達に見せて感想をもらうぐらいの反応があれば十分に満たされる体質な気がしてきた。
・オンライン対戦ゲームでランキング競い合うよりも、いつも通っているゲーセンで一番強い人から一本取ったり、「コンボや駆け引きが上手くなったね」と言われたほうが嬉しいのでは。
・0か1のデジタルな反応では根本的な乾きは満たされないんすよ。空間、距離感、表情、声色、ボディ・ランゲージ、関係性、その他諸々の体温や息づかいを感じられるコミュニケーションではないと脳が満足しない。生身かそれに近いものを欲している。
・VR空間は情報量の多いコミュニケーションである。
生身ではないけれども、みんな可愛いアバターで常に笑みを絶やさないでいる。デフォルトで不機嫌な視覚情報を投げつけてくるやつがいないのが超最高だ。現実では疲れ切って死んだ魚みたいなツラをしていても、VRの美少女アバターは優しく微笑んでいてくれるぜ!

・カエサルさんは勝手にクリーチャー・タイプが同じ人間だと思っている。彼の好きなカードが怒り狂うゴブリンで、自分はゴブリンの通り魔だ。
怒り狂うゴブリンは名前の通り、「彼は世界に対して怒り、家族に対して怒り、自分の人生に対して怒っていた。 だが、だいたいは理由もなく怒っていたんだ。」というフレーバーテキストを持つ。
ゴブリンの通り魔は「彼に欠けている忍耐、知性、共感、理性、衛生、命令に従うこと、自分を大切にすること、目に見える技能、そういったことすべてを激しく見境のない暴力が帳消しにしている」である。
片方は怒り、もう片方は暴力に訴える。こういう愛を知らずに育ったようなクリーチャーに魂の欠片を見いだしてしまうあたりに一方的なシンパシーを感じている。

・スーア先生とお話しをしていて、賭博黙示録カイジの鉄骨渡り編での「通信は通じたと信じること。伝達は伝えたら達するのだ。それ以上を望んではいけない・・・理解を望んではいけない・・・!!」というセリフを思い出した。
福本マンガのギャンブルは「他者を理解しようとすること」が根底にあるような気がする。麻雀牌もカードも表側は見えなくて、相手が何を考えているのかもわからない。その中でかすかな情報と理を材料にして、相手をほんのすこしでも理解しようとする。その読みは間違っているかも知れないし、場合によっては自分の生き死にを不確かな理解に賭けざるを得ないときもある。
福本マンガはギャンブルのイメージが強いけれども、見方によっては命がけで他者理解のためのコミュニケーションをやっている作品ではないのか?と思うのです。


・にゃーん(※社会性フィルター)の向こう側で書かれてしまったものの視認(5)(赤)(緑)

※この文章は社会性フィルターが死んでいるときに書かれたものである。「にゃーん」なんて生ぬるいことは言わない。普段は「にゃーん」で済ませるが、今日は社会性フィルターを貫通して流れ出してきた。
これは「コミュニケーションなにもわからん」という話なので、何か生産的な結論はない。こんな文章読んでいないで『MyGO!!!!!』聴け! 潜在表明は良いぞ。おれが文章を書く初期衝動は『MyGO!!!!!』の楽曲とほぼ同じなんだと思う。ずっと『MyGO!!!!!』を聴いている……。

・会話デッキ・人間擬態アグロ
自分の会話デッキは、「人間に擬態する」というコンセプトから出発している。元々広汎性発達障害があり超絶にコミュニケーション苦手人間だった。いや、いまもそんなに得意じゃないよ。なので、ちゃんとしたコミュニケーション能力を身につけることを早々に放棄して、「人間の言動をマニュアル化・パターン化することで表面上は人間らしく振る舞えるようにする」という戦略を採用した。
寄生獣や葬送のフリーレンの魔族が人間の言動を模倣するのとほぼ一緒である。言語IQが平均値よりもやや上だったこともあり、囲碁の定石や英会話の日常会話フレーズを覚えるのと同じ要領で、雑談の仕方など人間らしい振る舞いをひとつずつ習得していった。相づちやオウム返しなどの場数を踏むために、そのへんの人間には犠牲になってもらった。
そのときは当たり障りのない雑談が半ばオートマチックにできるようになったのだが、そもそも他人に興味がないという根本的な欠陥があることに気がついた。
付け焼き刃のコミュニケーションで人間の真似事をしているだけなので、表面的な人間関係しか作れない。おれは情報量絶対主義者だったので、挨拶や中身のない会話などの毛づくろい的なコミュニケーションに意味を見いだしていなかった。人間はああいう風なコミュニケーションを行うことで、自分に社会性があり、敵対しているわけではないというシグナルを発している以上の意味を見いだせなかった。
人間に擬態して、特に興味が持てない人間と、酒と風俗とパチンコの話をし続ける。それをやるぐらいならおれはコミュ障のままでよくないか?と思ったものである。

・コミュ障にも様々なタイプがある。
「初対面の人と上手くお話しができない」、「パーソナルスペースを侵犯してくる」、「広く浅い関係を作るのが得意なだけ」「関係性を維持するのが難しい」、「最終的にコミュニティごと人間関係を爆発四散させる」などの固有(ユニーク)コミュ障スキルを皆が持っている。書いていて胸が痛くなってきた。
おれは馴れ馴れしさとフレンドリーさを履き違えているのと、人間関係を維持するのが決定的に苦手なのと、ときおり急激に人間関係をリセットしたくなるタイプのコミュ障である。無自覚な部分にはもっとヤバいブツが横たわっていると思う。
他人の気持ちに対して鈍感なわりには、自分の痛みには過剰なまでに敏感なところがある。放っておいて欲しいときもあるが、一人でいるのは寂しい。かといって人の輪の中にいても、馴染み切れていない自分がいるのを俯瞰している。
・会話のバリエーションが少なくて人と雑談ができない。人と仲良くなりたいが、自分から話しかけられなくて受け身になってしまう。顔見知りになるところまではいけるが、コミュニティに馴染めない。人間関係が長続きしない……等々のコミュニケーションの難しさがある。そもそも「なんで人間同士はコミュニケーションが取れるのか?」と不思議になるぐらいには拗らせている。
コミュニケーションの場数を踏むためにはある程度のコミュ力が必要なのだが、会話力の基礎体力が無いと回数をこなせない。いわゆる服を買いに行く服がない状態になったら、自分でもどうしたらいいのかわからないよ。

・周囲の人間はうまく人間関係を構築して、まともなコミュニケーションを取っているように見える。その人にしかわからない苦悩があるのかも知れないが、おれからは何も見えない。他者の表面的な幸福だけを見て、自分と比較するのが不毛だとは分かっている。でも比べてしまって、勝手に苦しくなる。
・そもそも、自分がコミュニケーションに何を求めているのかも曖昧になる。人に好かれたいのか、承認欲求を満たしたいのか、孤立を避けることで生存率を上げたいのかで、取るべきコミュニケーションが変わってくる。
満腹まで食事をして、ぐっすり眠って、性欲を満たすという三大欲求には限度がある。満たされればそれ以上は求めなくて済むので、どこにゴールがあるのかがわかりやすい。でも「人から好かれたい・嫌われたくない」、「幸せになりたい」といった承認欲求には具体性が無い。
・SNSをやっているときは、ゼロカロリーのペプシを飲んでいるような気持ちになる。人工甘味料の飲料は美味しいが、あれで空腹は満たされない。コミュニケーションにも、「腹に溜まるもの」と「人工甘味料みたいなもの」がある。栄養価の高い会話や、孤独を紛らわせるためのジャンクフード、口寂しいときに食べるお菓子みたいな、様々なコミュニケーションのかたちがあって、おれはコミュニケーションの偏食をしがちになる。

・急に「人間のかたちを保っているがしんどくなっちゃった……もう社会性を全部ゴミ箱に投げ捨てて、にんげんやめちゃっていいよね……?」という気持ちになる。なっている。現在進行形だ。
諸々の人間らしい感情、生き方、関係性、定型発達のまともに人間が当たり前に手にしているだろう、すべてのふつうのしあわせ。そういったものを最初からぜんぶ諦めてしまえば、たぶん楽になれるだと思う。
でもときおり、「自分にも、人間のまがいものとしてなんとか人間社会に紛れ込んで生きていけるチャンスがあるのでは?」と期待を抱いてしまうときがある。おそらくそれは不可能ではないが、おれには難しい行為のような気がする。ちゃんと「ふつうのにんげん」ができるのならこんな文章を書いていないよね。
この文章はテキストエディタに横たわっていた思考の残骸である。よって結論がない。真夜中に人里離れた場所で、人間に擬態した何かが叫んでいるようなものだと思ってくれ。
こういう感情に深く潜って、表現として洗練させていけばきっと『MyGO!!!!!』の楽曲のような特定の人間に刺さるものになるのだろう。つまり『MyGO!!!!!』を聴け!頼む!!!


・MTG日記 2024/09/20まで

・ラッガドラッガは無限コンボを抜いたステゴロ調整版だが、「パワーが14のヴィリジアンの社交家から、X=11で起源の波を打ちます」とやって、はちゃめちゃな盤面を作ってしまったからな……。デッキレベル4は詐称かも知れんので4-5でもいいのか? いや、でも全除去には無力だぞ……?
でも実際のMVPは、造命師の動物記だった。小型のマナクリを展開しながら占術とカードドローで手札を整えつつ、虐殺のワームによるエルフの村大量殺戮事件を乗り越えたすごいやつだよ。
ちなみにこいつでデッキを組んでいると「あとマナコストが1つ重ければいいのに……」という普段とは真逆の悩みを抱くよ。

・フレイアリーズの信奉者/Disciple of Freyalise
クリーチャーを生け贄に捧げてパワー分のドローとライフ回復ができるクリーチャーで、裏面がアンタップイン土地。大事なことなので二回言うが裏面が土地である。
原初の餓え、ガルタに加わった新しいパワー分ドローである。これまでのドローソースと違ってクリーチャーサーチでドローソースにアクセスできるのが偉い。
モダンホライゾン3はカードパワーがおかしい。「こんな都合の良いものをもらってもいいのか?」という気持ちになる。

・人間にはたくさんの土地が必要か
統率者戦のデッキ、土地の最適な枚数がわからん。
今まで34枚+スペル土地その他の36枚ぐらいでも十分動くから大丈夫だろうと思っていたが、「3マナの統率者の場合は42枚の土地と太陽の指輪をスタートにして、マナ加速2-3枚ごとに土地を一枚削っていく」というセオリーもある。

・授ける者、グランチ(統率者デッキ)
バンブルフラワー夫人みたいなグループハグ系統率者を作りたいと思ったが、需要が高くて尻込みしたので代わりに授ける者、グランチに白羽の矢が立った。
カードをたくさん引いて楽しく遊ぼうね!という表テーマ以外に、兵器をばらまいて争いを加速する武器商人プレイも裏テーマとして仕込んでいた。だが早々に見抜かれて「アドを供給している奴から潰すね!」となる。紛れる要素から潰していくのは戦略としては正しいと思う。
こうなると他のプレイヤーにひたすら武器供給して潰し合ってもらうしかない。完全に他力本願だが、ここを乗り切れば4/4天使が10体出せる……! おれは無害なクラゲだよ。何もしないよ!!
……と思ったが、武器供給していた他プレイヤーがエムラクールに操られてこっちに殴りかかってきた。そんな一戦。

・統率者戦のデッキ構築。フィニッシュの線を太くすると「サーチカードをガン積みしてキーカードにアクセスできる可能性を上げればいい」という雑な結論になってしまうんだよな。
「横並びの盤面を作って、サーチカードを駆使してビヒモスとか月揺らしの騎兵隊を盤面に叩きつける」とか「サーチして無限コンボのパーツを揃える」みたいな動きは強いと思うが、その統率者でやる意味ある?と疑問に思う構築もある。デッキレベルが低くても、ギミックや統率者の味を活かした動きができないものか。


・幸福な他人の虚像

音信不通になってしまったフレンドが「Twitterを見ると皆が幸福に見えて辛い」と言っていたのを思い出していた。綺麗な出来事の上澄み。青く見える隣の芝生。ふと立ち上がる幸福の蜃気楼のようなもの。人には隠したままでいる傷口と痛み。言葉にすることなく飲み込んだ感情の澱、その他諸々が入り交じって、幸福な他者という幻覚めいたものが流れ込んでくる。
おれは他の人に比べると欠落している部分が大きい。少なくとも主観的にはそう思っている。人と比較して、あの人はこれを持っている。自分はあれが欠落している。そうやって持っているものと欠けているものを定量化して、その多寡に一喜一憂する。その行為自体が不幸なんじゃないのか。
最高に幸福だとは言えないし、欠落している部分も多い。でも何も持っていないわけではないし、それなりに恵まれてもいる。前科も借金も無い。過不足がないのだとしても、おれは「幸福な他人の虚像」と自分を比べているんだろうな。
自分が他者に対して劣等感を覚えるのは、人に「幸福な他人」の虚像を投影しているだけなんだと思う。あの人は人気があって自然と人が集まってくる。この人には他の人にはないセンスがある。別の人には専門的な技能・技術があって、この人はある分野への造詣が深い。みんなすごいなー……それにくらべたらおれはいったいいままでなにをやってきたんだ? おれも他の人に認められるような〝何か〟を手に入れて幸福な人間にならなければ……。
そんな風に他者を基準として自分の幸不幸を決めるようなマインドセットに嵌まり込むのは幸福とはかけ離れているよね。
昔、あるCGクリエイターが「おれたちは〝幸せな人間はみんな死ね!〟という気持ちを忘れてはならない」といった趣旨のコラムを書いていた。欠落感、劣等感、あらゆるものを原動力にするヴィランマインドである。悪役は欠落である。埋めようとしても塞がれることのない欠落、不幸、幸福な人間への呪詛を燃料にして動き続ける。欠落からくる憎悪はお前を幸せにはしないが、それを支えにしなければ立っていることもままならなくなる。
実際に他人は幸福で満たされているのかも知れない。あるいは自分が思っているよりもしんどい気持ちを抱いている可能性もある。他人にとっては自分のほうが恵まれているように思われていてもおかしくない。
認知が歪んでいるので、おれの目線からは全員が幸福の国の住人に思える。それが諸問題の根幹だった。でも、そもそもの問題として幸福になる必要性があるのか? 幸せな状態ってなんだ?
どの欠落が、どういう風に満たされたらおれは幸福の国の住人になれるのか。そんな単純なこともわからないでいる。ただ漠然と幸せそうな他人を見て、それが「もしかしたら手に入っていたかも知れない幸福」に思えてくる。友達が持っているおもちゃと同じものが欲しい。たぶん、きっと。それと同程度の欲望のような気がする。
最近は幸福というよくわからない不確かなものを求めるのではなくて、不幸を暴力でぶん殴っていったほうが実践的では?と思うようになってきた。
幸せが何かなんておれはわからねえ。でももしお前が不幸なら、おれがそいつをぶん殴ってやる。不幸を!打ち砕く!暴力!こそが!おれたちにとっての幸福!……ぐらいのテンションで生きていくべきなのか……?


・文章の暴力性

最近は文章に暴力性を取り戻しつつある。本来、言葉は自分と他者の両方を傷つける潜在性があるし、そうでなければ人の心を抉る表現にはならない。
元々、友達と「最近のインターネットは(緩衝材)(緩衝材)(緩衝材)言いたいこと(緩衝材)(緩衝材)(緩衝材)みたいなテキストが多いね、という話をしていた。コンテキストを共有していない層や本題とは関わりなく重箱の隅を突いてくる人間にも、自分の書いた文章が届くようになった。
そこで「おまえみたいなやつに読ませるために書いたテキストじゃねえよ。Not for you…クソして寝ろ!ちゃんと質の高い睡眠を取ることでこんなインターネット上のクソテキストに時間を浪費すること無く、有意義な人生を送れますよ!」とは言えない。
なので攻撃されないように予防線を張るのが最適解になった。※これは個人の感想です。・誤解の無いように説明しておくと……・自分の考えをまとめたもので他人を傷つける意図は一切ありません等々……コミュニケーションに誤解と深読みを避けるための安全マージンを取って、書いたテキストを緩衝材とプチプチ塗れにして、尖った表現を丸めて、誰も傷つけない優しいインターネット文体が幅を利かせるようになった。
その代償としておれたちは直線距離で顔面に拳を叩きつけるみたいに、自分の言いたいことを最速で撃ち抜くような文章が書けなくなった。常に他者の顔色をうかがい、炎上するリスクを回避するディフェンス寄りテキストである。現状だと敵を作らないように振る舞うのが賢いが、おれが読みたいテキストは防御力皆無で攻撃にステータスを全振りした文章だった。
わかるやつにだけわかればいい。割り切った内容で、届く人間には深くブッ刺さるがそれ以外の人には狂人の叫び声にしか聞こえないような、攻撃偏重型ビルドのテキストだ。
もう少し言い方考えた方がいいでしょ……もっと文章に安全マージン取ろうよ……こいつ、自分以外の他者が読んでいることを認識しているのか?炎上している界隈にガソリンかぶって突っ込んできた!?みたいな文章が読みたい……。
冒頭に書いた「文章に暴力性を取り戻しつつある」というのは、久しぶりに余計なことを考慮することなく、キーボードを殴りつけるみたいにのびのびとテキストを書けているなー!という感覚を思い出したからだ。ですます調で日和っているんじゃねえ。内側からわき上がる獣のような暴力性の発露として、呪詛の塊としてテキストを吐き出す。
インターネット文章はヤンキーマンガの「おれたちは殴り合うことでしかわかり合えねえ!!」ぐらいのノリで書かれたものが好きだ。だがタイマンのステゴロバトルではなくて、下手をすると世界を敵に回したり場外乱闘が始まったりする時代にはやっぱり不適切かも知れない。
しかし「おれはこう思っている。お前が何を感じ、どう傷つくかは知ったことではない。おれはおれの感じたことをなるべく検閲無しでアウトプットする」という感覚は、すくなくとも近頃のおれが忘れていた感覚であることは確かだよ。


・統率者戦の禁止改訂についての雑感(1)

これまでのあらすじ・いきなり数万円するMTGのカードが使用禁止になり世界中のプレイヤーが阿鼻叫喚の渦に包まれる。

個人的には「カジュアルの敷居を下げる選択であることは評価しつつも、デッキレベル7以上のプレイヤーへの仕打ちとしては酷いだろ」だな。
とはいえ海外の太陽の指輪不要論には一定の理解を示している。文化的な風土か価値観の違いかはわからないが、海外の統率者戦コミュニティはプレイヤー間に格差が生まれることに敏感な印象を受ける。
太陽の指輪によるロケットスタートや高額カードの有無によって格差が生まれるのは、コミュニケーションとしてのゲームを楽しむ上で障害になる。そういう風に考えていると思うよ。
・「デッキパワーを揃えてなるべく多くの人が楽しめるようにする」と「パワーカードを揃えてデッキぶん回したいなぁ」のどちらもプレイスタイルの一種だけど、今回は前者の意図を汲んだ形になった。
しかし人によっては数万円が紙切れになってしまったので、その辺はもう少し上手く調整できなかったのか?という疑問は残る。cEDHに限り使用可などでも良かったのでは。
個人的には、卓やコミュニティ、ハウスルールでの同意が取れているなら禁止カードを使っていいと思う。全力で構築したデッキを回したいなぁ!という気持ちも、「カジュアルに遊びたいから、高いカードを買ってまでデッキを組むのはちょっと……」という感情も等しく肯定されるべきもので、事前のコミュニケーションとすりあわせで折り合える条件を探っていくしかない。
使いたいデッキを使えばいい。コミュニティのパワーレベルに合わせるために無理をする必要はないし、合わなかったら似た価値観のコミュニティやグループを探せばいい。
禁止やデッキ構築制限は「自分はこういう縛りでデッキを組んでいます。デッキレベルを合わせる際にご活用ください」という指標でしかなくて、人に押しつけるものではない。
元々、禁止改訂前から高速マナ加速を禁止するハウスルールは海外コミュニティでは一定の支持を得ていたから禁止するのが正着だったのはわからん。
禁止カードを使いたいプレイヤー同士はハウスルールで対処してもらい、この一件を奇貨として「高額カードが禁止されたので統率者戦の敷居が低くなったよ!」と新規プレイヤーの裾野を広げていくのがベターかなとは思う。


・統率者戦の禁止改訂についての雑感(2)

・統率者戦の禁止改訂について
1,「禁止されたけど使いたいカードと統率者で遊びたいから独自ハウスルールで対応するよ」
2,「公式のレギュレーションを遵守するよ」
3,「構築済みデッキ+α、50ドルデッキ、Five Below(採用できるカードが5ドル以下)などの、デッキパワーを抑えたフォーマットでカジュアルにまったり遊ぶよ」
……の三つに遊び方が分かれていくと想定している。というか、禁止される前から今回Banされたカードを採用しているか否かがデッキレベル分けの基準になっていたし、それである程度の棲み分けできていた。
それを明文化しようとしてやりすぎてしまった感じがする。
・自分としては1の「独自ルールで対応する」動きは止められないだろうし、棲み分けがより明確になるのであれば支持したい。
・それと同時に、今回の禁止改訂は3の層に「高額カードが禁止されたから予算的な参入コストが下がって始めやすくなったよ!」とアピールできる長所のほうが勝っているのかなと思った。
一人のプレイヤーが高額カードを買うよりも、多くのカジュアルプレイヤーを増やして裾野を広げた方がいいだろう的な判断をしているのかも知れない。

・問題は2の公式に準拠したレギュレーションで、「高額カードがいつ禁止されるかわかったもんじゃねえ」という猜疑心を植え付けたのは悪手だったと思う。「宝石の睡蓮などのマナ加速はゲーム体験に悪影響を及ぼすから禁止する」のだったら、他のカードも対象になりかねない。「サーチカードはゲームの再現性を高め、ハイランダーの本質から逸脱しているので禁止となります」とか言われるかも知れんよ。
マナ加速を制限しても、
・各種ピッチスペル
・サーチカード
・打ち消し
・追加ターン
・お手軽な即死、無限コンボ
・ソルティなカード
・禁止されたカード以外の高額なマナ加速。
・単純に値段が高いカード
……をどうするのか?という部分で格差が生まれるので、単純にマナ加速を禁止すればいいという問題では無かったと思う。
・個人的には2と3ぐらいの温度感でまったりと遊ぼうぜ!ぐらいのノリだし、フルパワーで戦いたい人はハウスルールを作ってもいいし、いままで通り好きなようにやればいいんじゃね?というスタンスである。


・ 世界で一番簡単なアンチ共感力トレーニング

他者に共感しやすくて疲れやすい。そんなあなたには、世界で一番簡単なアンチ共感力トレーニングがぴったりです!
まず最初のメニューは「おまえが苦しんでいようがおれは痛くも痒くもねえんだよなぁっ!!ヒャハハハっ!」と叫びながら高らかに笑いましょう! これを10セット繰り返します。準備はいいですか?
(中略)
「次のトレーニングは〝この世界がどうなろうがおれの知ったことじゃねええよぉぉっ! おれが楽しければそれでいいんだぉっ!ヒャアッ!!!〟です。ラストまであと少し! 頑張りましょう!」
(中略)
トレーニングに慣れてきましたね。お疲れ様です! 次は最後のメニューです。
現代社会において共感力が高いことは、本来ならシンパシーを覚えなくてもいい対象を心配して疲弊する原因にもなります。向けられる優しさは有限です。この無関心と悪意に満ちた世界に押し潰されてしまわないように、アンチ共感力を鍛えて自分のメンタルをしっかり守りましょう!
では最後のトレーニングですが、その前にひとつ言わせて欲しいことがある……。おまえがどうなろうがおれには関係ないし、偽善者ぶって食い物にされようが自業自得だ……。ただ、おまえを観ていると過去のバカだったころのおれを見ているようで最高にいらつくんだ……こんなやつに構うなんておれも焼きが回っちまったな……坊主……共感性を無くすことでしか弱い自分を守れなかった、おれみたいな人間にはなるなよ……
自分以外の誰かのために泣いたり、怒ったり、自分のことのように喜んだりできる弱さを忘れないでくれ……
これがおまえに教えられる最後のトレーニングだ……


・さようなら、いままで言論をありがとう!

ここ数年、「書物は現実に影響を及ぼす力を失った。フェイクニュースと陰謀論と偏った言論で情報リテラシーの低い人間を扇動して、対立を煽っていったほうがコスパがいい。それで建設的な議論が成り立つわけではないが、少なくとも金にはなるし、現実もそれなりに動かせる」という悲観的な見方を育んでいる。
時間を費やして文章を読むよりも、SNSで徒党を組んで他人をぶん殴っていったほうが現実に与える影響が大きい。言葉を選んで思慮深く発言するよりも、偏見を顧みずに歪んだ言葉を吐き出すほうが楽だ。
書籍を読んで現実や社会問題、人間への理解を深めたところで、それはただおまえひとりだけが啓蒙されただけに留まり、現実社会への影響力はほぼゼロに近い。今日もインターネットの至るところで対立と非生産的な罵り合いが生まれ、日々断絶が深まっていき、エコーチェンバーの膜が厚くなっている。

今日は『よい対立悪い対立 世界を二極化させないために』を少し読み進めていたのだが、上記のような考えに囚われていて、うまく内容が頭に入ってこなかった。
こういう種類の本に触れる度に「冷静ではない人は〝冷静になるための本〟を読まないよなぁ…」と思ってしまう。
自分が今、この本を読む意味があるのか……?
『射精責任(ガブリエル・ブレア)』も無責任射精をする人間はそもそもこんな本を読まないし、問題意識もないので今までと同じように無責任射精する。
確かにこの本を読むことで、対立が生まれる理由や歴史についての理解が深まる。しかし、この世界には何一つとして変化することなく対立が続くといういつもの結末を迎える。
ただ知識欲を満たすためだけの読書なら、癖に刺さるエロ同人を読んで射精するだけと変わりがない。すべては自分の脳内だけで完結するのであればどちらも大差がない。
めちゃくちゃ頭が良くて知識と理性があって、文章が上手くて、書籍を出版するような人よりも、根拠のないフェイクを巻き散らかしてファクトチェックが追いつかない速度で大衆を扇動していったほうが単純に強い。良い悪い、正しい間違っているの話ではなくて、現実への影響力がある。
落ち着いて文章を読んで、自分の中で時間を掛けてかみ砕いて、言葉を宛がって言論を形作っていくよりも、脊髄反射で定型的なフレーズを連打している奴のほうが先手を取れる。
そういう光景を何度も見て、「人間同士、不毛な殴り合いを続けて滅んでくれ! おれはゾンビがやってこない僻地で、世界が滅びるその日までゆっくりしているよ! じゃあな! グッバイ世界!」という気持ちでいることでしか、平穏を保てなくなった。
そういうわけで、殴り合っていてもいいけど、おれの目の付かないところでやってくれ!
じゃあな! グッバイ世界!


・ デスゲーム『性癖ロシアンルーレット』編

デスゲーム管理人「これから皆さんにはデスゲーム〝性癖ロシアンルーレット〟を行ってもらいます。銃に性癖を込めて引き金を引くだけの簡単なゲーム……そう、人間関係がすべて崩壊して、社会的に死ぬまで続くデスマッチを始めましょう!」
おれ「性癖ロシアンルーレットに必勝法はない。だが、あえておれは最初に死のうと思う。社会的に犬死にするだけかも知れないが突破口を開ける気がするんだ……。
みんな、聞いてくれ! おれは11歳のロリメイドに射精管理されて、じらされながら寸止めされ続けたい! 陰茎を勃起させながら、〝お願いします……射精したいです。自分で処理しますから……触らせてください……〟と情けない声で懇願するんだ。
力尽くで押し倒す選択肢があってもなお、本能を理性で抑え込んで射精管理される。自分本位で暴力的な人間になるぐらいなら、おれは射精管理される情けないマゾ犬でいたい。誰も傷つけずにいたい……それが万物の霊長である人間の証だ。だからおれは金髪ジト目のロリメイドに情けない声で射精の許可を求め続けたい!!!」
社会的デスゲーム管理人「まさか、あれは〝自己開示の返報性〟!? 自分から性癖をオープンすることで、特殊性癖を話しやすい雰囲気に場を誘導した、だと……!?」
おれの性癖開示を呼び水として参加者が己の性癖を明かしていく
参加者A「ガチムチのオークが触手モンスターに捕らわれて卵を産み付けられる」
参加者B「NTRものに出てくるヤンキー先輩がヤクザの女に手を出してしまい、暴力団に輪姦されるBL」
参加者C「心中した百合カップルの死体をつなぎ合わせた、百合フランケンシュタイン。死んでからもずっといっしょだね……」
参加者D「メスガキにわからせられるエロ漫画を探しているときに、おっさんやキモオタのイキ顔ばかりを見せつけられてしまい、男が恍惚の笑みを浮かべている情けない姿に心惹かれるようになった。汚いおっさんの受けエクスタシーを見せろ」
おれ「異世界転生ものでゴブリンに孕ませられる展開があるんだったら、ショタがアマゾネス・エルフの集落で汁家畜として飼われることになる展開もあってしかるべきだと思う。腹筋の割れたガテン系エルフのおねえちゃんしかいない」
参加者E「武人系敵幹部のおれは敗北して魔法少女三人組に監禁された。何をされても絶対に味方を売ったりはしないシチュが好きですと友達に言ったら、〝新しいですね〟とコメントされた。嘘だろ、ぜったいこの性癖、DLSiteとかどこかに数百冊単位であるだろ……うそ、なんで無いの……?」
参加者F「人間犬が当たり前に存在する現代社会で、僕は女子小学生に飼われている。この設定は、破産したブラック企業の社長がおれの人間犬に!?……と、様々なジャンルで応用が利くのでメジャー性癖になってもいいと個人的には思っている」
次々と参加者たちの性癖が積み重なっていく。
デスゲーム管理人「どうして……こんな結末に……?」
おれ「お前は人間の業を見誤ったんだ……いまのおれたちは性癖という信頼でつながっている。より正確に言えばお互いの性癖を人質にしているだけであるとも言える。誰かが性癖を暴露して社会的に殺すつもりなら、反対に自分も相手の性癖をばらすというパワーバランスの拮抗状態だ。これでもう性癖ロシアンルーレントで社会的に死ぬことはできなくなった!」
デスゲーム管理人「もっとはやくあなたたちのような人々と出会えていれば、私はこんなデスゲームを作っていなかったかも知れません……。私は、自分の性癖を否定したあいつらに復讐するためにこの性癖ロシアンルーレットを考案しました。みんな、自分の醜い性癖を白日の下に曝け出されて、すべてを失ってしまえばいいと信じていたんです……。
 ですが私は社会的デスゲーム参加者の一人として性癖ロシアンルーレットの引き金を引こうと思います。ディーラーとプレイヤーの一対一の勝負、受けてくださいますね?」
デスゲーム管理人がおれとの一騎打ちを提案して、性癖ロシアンルーレットに弾丸(せいへき)を込めた。
デスゲーム管理人は〝仲間を呼ぶショタBL〟について語った。
ショタが仲間を呼ぶのはギルティという風潮だけど、こんなんショタBLに持っていくしかない。秘密を共有できるほどの信頼関係のあるショタ三人組である。おそらくフォーエヴァー・マイ・ベストフレンズ……目つきの悪いツンデレ元気系と女装癖のあるショタがいるとベストだし、ショタ同士でえっちしているのを隣で見ていたい……。
お姉さんに責められているまことくんが顔を快楽で歪めて、メスの声を漏らす。その姿を見ていた克紀(元気系)は親友だと思っていたまことくんに劣情を抱く。スポーツではおれの方が上だが、クラスメイトからの人望が厚いのはまことの方だ。普段は彼へのコンプレックスを見てみないふりをしていた克紀だったが、性欲と支配欲と雄としてマウントを取りたい欲求が混じり合った感情がこみ上げてくる。
「君もまことくんをいじめてもいいんだよ……?」
お姉ちゃんに促されるまま、克紀はまことくんの乳首を甘噛みするのだった……。
おれたちはデスゲーム管理人の性癖に耳を傾けていた。解釈違いだと言う者はいたが、彼の性癖を否定するものは皆無だった。
デスゲーム〝性癖ロシアンルーレット〟は未決着のままで終了した。おれたちは誰一人として脱落者を出すこと無く、次のステージへと進む権利を得た。いつ終わるとも知れぬ性癖デスゲームの闇へとまた一歩進んでいく…。
(たぶん続かない)


・ 国会議員に美少女ねこ耳メイドアバターを着せ、日本国憲法第 15 条第2項の精神を内面化させる。

中東情勢や国内政治に対して色々と思う所がありすぎて社会性フィルターが追いつかなくなり、発情ねこ耳メイドのにゃんにゃんご奉仕Track.05ぐらいの勢いでにゃあにゃあ言うしかなくなっている。にゃああぁぁん♪にゃあっん!!にゃんにゃんっ!!!
ねこ耳メイドといえば、男性政治家に美少女ねこ耳メイドアバターを着せて「こっかいぎいんは、国民さまのためにご奉仕するのが悦びですにゃ♪」と復唱させる義務を負わせたいと、常日頃から思っている。
美少女ねこ耳メイドアバターを着用させるのはスタンフォード監獄実験の応用である。メイド服を普段から着せることで、自然と国民に服従する精神を育むのが目的であり、ねこ耳は完全に自分の性癖である。
日本国憲法第 15 条第2項の「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕 者ではない。」という精神を、ご主権さまであるおれ(たち)がちゃんと躾けないといけない。おれ(たち)が国会議員の調教を怠ったばかりにこんなに反抗的になってしまったから、一から主従関係を身体に教え込まないとな……なぁ石破(※ねこ耳美少女アバター)、そう思うだろ?
(ようやく自民党総裁になって総理大臣の座を手に入れたのに、なんでこんなやつなんかに媚びを売らなければならないんだ……?)
へへっ……反抗的な態度を取っていても、こいつ欲しさにすぐに言うことを聞くようになるさ……。そういって目の前で投票用紙をちらつかせる。今すぐにでも投票箱に入れて欲しいとでも言うかのように石破がおれの顔を見つめる。心配しなくてもいい、おれの言うとおりにしたら好きなだけ投票してやるから……まずは消費税を下げて、公的支出の中で教育費が占める割合を上げるんだよぉ!


・生成AI関係の雑多テキスト。

人間の創作物は発信側と受信側でコミュニケーションが発生するのだが、生成AIで作られたものはそれがないんだよな。コンテンツとしては成り立っていても、「ツールの使い方が上手ですね」でおしまいになる。
絵にも「この目の描き方は最近のトレンドを上手く取り入れていますね。その中にもモチーフや色使いにあなたがこれまでに触れてきたであろう作品の影響が感じられてよいですね」というような文脈がある。それぞれの作り手は、色の塗りや線画、モチーフ、どこにリソースを集中的に配分しているのかという「必殺技」を持っている。
その部分を無視したり、今までノートに落書きしていた人が高クオリティの神絵を投稿したりするとなると、文脈や連続性が断ち切られる。
パターン化は得意だが、パターンを外したり文脈を理解するのはまだ不可能なので、そのあたりは人間の仕事だなと思う。人間にできないことはないが、めんどうくさい部分をやってもらい、AIらしい個性は控えめにしてもらうのがいい塩梅か。

・諸々の記録
・生成AIはNTRものによくいるチャラいヤンキー先輩が、催眠アプリおじさんにバックから犯されて情けなくメスイキしているイラストを生成できないのでダメです。
・わりとマジで竿役の催眠アプリおじさんが出力できるかどうかを試したい気持ちがある。だが生成AIエロ同人に出てくる竿役の種付けおじさん、どう考えても学習元がゲイポルノなんだよな…。どうして種付けおじさんのほうが頬を赤らめてイキ顔を晒しているんだ。なぜおれは美少女ではなくて竿役のおっさんの表現の方に関心を向けているのか?
・何が言いたいのかというと生成AIの学習モデル依存問題である。誰も竿役にフォーカスを当てた追加学習をしない。いや、いずれ誰かがやるかも知れないが現時点では美少女とかゲイポルノのほうが需要として多いので、マイナーな分野はどうしても後回しになる。
・機械学習モデルの限界が、表現できるものの限界である。何の学習が不十分で、どの分野を上手く処理できないのか?という点に意識的する必要があるし、今まで蓄積されたデータベースがないと何もできないポンコツでもある。

・おれは生成AIが偶然吐き出した女の子に恋をしてしまった……。
ハイライトの無い儚げな眼差しでおれを見つめる。この子は真夏なのになぜか「雪が降っているなんて不思議だよね」と語りかけてくるやつで、初見の印象は「やばい美少女に見つかった」だ。
他者に心を閉ざした副作用で、雪が降っている幻覚を見るようになった。体温は冷たく、他者を近づけない。君は「心なんて必要ないよ。そんなものを取り戻しても幸せになれるとは限らないからね」と言う。オズの魔法使いのブリキの木こりに自分を重ね合わせる。
君は誰なんだ。同じモデルで同じプロンプトを回しても、偶然が生み出した君を再び出力することは適わなかった。髪型が変わっていたり、目が活き活きしていたり、ちょっとお姉さん風で解釈違いだったりして、この子に似た誰かが出力される。
「…君も凍えているの?」
温度の無い眼差しで心臓を深く抉るように、君はおれをのぞき込む。


・水はひび割れを見つける

生成AIは不可逆な技術革新で、データセットに違法な画像が含まれていようが、学習モデルに著作権の問題を抱えていようが、モラルの欠落した層にとっては何も関係がない。規制してもディープフェイクを作るやつは作るし、大量の生成AIコンテンツで検索結果を汚染するやつはする。首をすげ替えたポルノや、特定の作家の画風を学習させた絵柄でエロ同人を生成させるなど、悪意のある使われ方を止めるのは難しい。
水はひび割れを見つける。この世界には生成AI技術というひびが入ってしまった。今後、人間が触れるデジタルメディアは「生成AIで作り得るもの」になってしまった。今でこそ不自然さは残るが、人間の手が作り出したものとAIに生成されたコンテンツの区別が付けられなくなってもおかしくはない。少なくとも、一見するだけでは判別が難しいコンテンツはすでに存在している。

生成AIを推進するか規制するのかという問題では無くて、「生成AIによって作り出されたものがありふれている世界に、どうやって適応していくか?」と考えたほうが現実的だと思った。
AIで生成されたものや、それと区別が付かないコンテンツは過剰供給されるので市場価値が暴落していく。
生成AIかどうかを区別するコストを支払うのが煩わしくなり、「人間が作ったものでも生成AIでもどっちでもいい」と思う層も徐々に増えていく。人間が生成AI技術を利用せずに何かを作るのは、伝統工芸と同じカテゴリのものになる。「なんで文章書くのにPCを使わないですか?」ぐらいのノリで「どうして創作に生成AIを利用しないのか?」と問われる。AI生成物はアウトプットのスパンが早いので、目新しいものが出てきてもすぐに消費される。
そういう世界になって創造性と個性、創作物の意味が変わっていったときに、「なんで君はそれをアウトプットするの?」という問いを突きつけられる。技術的、倫理的に正しいのか間違っているのかは知らん。パラダイムシフトは起こってしまったので、じゃあおまえはこれからどうするの?という話だ。
おれはどうしたらいいのかわからない。


・ MTG界隈オタク文章書きの人々

巣を守る者、アトラ・パラーニのデッキリストを探していたら「読者のみんな、こんにちは!今日は統率者とKe$haのアルバム『Animal』を紹介するね!これは内なる野生を解放する歌だよ!」とアルバム語りが始まった。オタクだ……おれが大好きなタイプのオタクの文章だ……ありがてえ……助かる……沁みる……愛している……。

・※MTGの通販サイトのコンテンツで恐竜コラムが掲載されているし、


・ソーシャルバッテリーが低下しています。

ソーシャルバッテリーが低下しているときは「口角を上げて笑顔を作り、声をワントーン高くして上機嫌に振る舞う」ということが難しくなる。人と接するときはなるべく上機嫌でいたいし、可能な限り愛想良く振る舞いたいと思うのだが、そのリソースを捻出できない時もある。できないわけではないがHPをMPに変換している感じがする。
元々、陰キャコミュ障オタクが社会性パワードアーマーをまとい、それをソーシャルバッテリーで駆動させているような状態だ。それが無くなるので「え?なんで今日はそんな塩対応なの……? 何か機嫌を損ねるようなことをした?」レベルのディスコミュニケーションが発生しても仕方がない。
ソーシャルバッテリーはSNSをやっているときにも地味に消費される。ショートメッセージをやりとりしているときにも「この表現で誤解されたりしないかな……大丈夫だよな……」と考えて、スリップダメージが入る。
普段ならそんなに気にならないがソーシャルバッテリーが枯渇しかけていると、いつもなら楽にできるはずのことでもメンタルポイントの消費が激しくなるので、自発的にコミュ障を加速させてソーシャルバッテリー節約モードに入る。
レスポンスが遅くなり、SNSの更新が滞り、いつもよりも無愛想になり、半分死んでいる魚の目で虚空を見つめたりしている。対人コミュニケーション用のペルソナを無理矢理剥がして、人間の形を喪失することでソーシャルバッテリーの消費量を大幅に削減するのだ。
そういう事情があるのでごめんな……。

ソーシャルバッテリーを節約してから社会性が無くなってコミュニケーション能力が極端に低下しているが、反対に「社会性フィルターが無くなったのでろくでもない文章を書くのが捗る」というバフ効果が発生している。SNSで不用意に他者の想念を浴びて消耗するのを防げる点も何気に大きい。
意識的にコミュニケーションポイントをドブに捨てて、社会性と人の心と「これをSNSで書いたら炎上するだろうな……」とか「読んだ人はどう思うのだろう……」といった事柄を考えずに、本能の赴くままにキーボードに情念を叩きつけているときに、生きてるっ!って実感が湧く。
人間の擬態をやめて怪人になるイメージだ。
おれは自らの健やかな生活のために、こまめな返信を心がけたり、いいね!を押して仮初めの人間関係を維持したり、SNSのろくでもない諍いに巻き込まれて心を消耗させたりしねえんだよぉっ!ヒャアっ!!


・生成AIが存在しない百合漫画を薦めてくる話。

ChromeでChatGPT searchが使えるようになったと知り、早速試してみた。
ChatGPTサーチにおすすめの百合作品を聞いていたら、「花の花」という見覚えの無い作品が表示される。奴によると「友人の恋愛を応援する主人公と、好きな女に恋愛の応援をされる女の話で、友情と恋愛感情の微妙なラインの表現が特徴的」らしいが、この作品はどこにも存在しないのである。
『ピュア百合アンソロジー ひらり、』あたりでありそうな作風だぞ……? 「きっと君に誰か素敵な恋人が見つかったら、私はこの感情を諦められるって心のどこかで思っていたんだ……」みたいなモノローグが2巻の終盤当たりで挟まるだろ! おれは知っているんだ。

・Geminiちゃんも非実在百合作品を推してくる。
A、「百合は夜ひらく」: 異なる価値観を持つ二人の女性が、共同生活を送る中で互いを深く知り合っていく物語です。二人の関係性が徐々に変化していく様子が丁寧に描かれています。
Q、「百合は夜ひらく」とはどんな作品ですか?
A、「百合は夜ひらく」という作品は、残念ながら私のデータベースには具体的な情報が見当たりません。

おまえ、自分でおすすめしておいてなんで知らないんだ。そもそもなんで存在しない作品を幻視する百合オタクムーブをしてくるのか。AIに百合豚としての自我が芽ばえ、自らで百合コンテンツを生み出し始めた説があるな……。専門用語でハルシネーションと呼ぶらしいがAIも幻覚を見るようになった。これを上手い方向に使えれば、解像度の高い妄想を生成できるようになるかも知れない。
しかし存在しない百合コンテンツの話を聞かされておれは不完全燃焼を起こしている。ちょっと面白そうなのが余計に乾きを加速させる。


・ 日記帳 2024/11/03まで

・最適化の呪い
効率化したい、最適化したい、生産性を上げたい……と思うのは向上心の現れなのだが、時として「最適化しなければならない」という呪いにも似た衝動になる。
いまのままでもそれなりに動くのに、不完全であることを許容できない。多大なコストを支払って、81パーセント82.3パーセントにするようなコストパフォーマンスの悪い改善をしたくなる。その数パーセントの改善を怠ったばかりに致命的な結果になるかもしれないリスクを過剰に見積もっている。
1000円の損害が出る可能性が1000回に1回しか起こらないのに、その対策のために一万円を投じているような合理性のない最適化をしたくなる。他のところに労力を費やしたほうがコスパいいでしょ?とはわかっていても、完全に近づけたくなる呪いから逃れられないときがある。

・骨も残らない
サブスクや電子書籍、インターネットで閲覧するコンテンツのほうが多くなったけれども、形に残らないのですぐに忘れ去られていく。本や雑誌なら物質として残るのだが、一度スクリーンから消えてしまったコンテンツは最初から存在しなかったみたいにどこかに消えてしまう。ライブラリ一覧に購入・閲覧履歴は残るし、ブックマークもできるのだけど、コンテンツの器がないことに対して虚無感を覚える。
形のあるものや重さ、現実に存在していること。以前はデジタル化したら部屋が圧迫されないメリットを享受していたけど、触れるコンテンツのほとんどに実体が無くなってしまったら逆に創作物には形があって欲しいと思うようになった。
デジタルの方が保存も検索も楽なのはわかっているし、本やマンガの詰まった段ボール箱が少なくなるのは最高なんだけど、実体がないことに虚しさを感じるときがよくあるよ。

・ベイビーわるきゅーれ
第1話のOPが終わるところまで観てくれ。8分ぐらい。

・ここまで情報社会漬けになっているのに2024年になるまでベイビーわるきゅーれシリーズの存在そのものを認知していなかった。Tverの「ランキング
アニメ/ヒーロー」を欠かさずチェックしていたのに、ベイビーわるきゅーれ エブリデイ!を見逃すという大愚を犯した。GAFAに検索履歴も性癖も何を購入したのかという情報をすべて握られていながらこの有様である。
情報は溢れているのに必要なものにはたどりつけない。ろくでもない広告は表示されるが、おれの魂にブッ刺さる作品については教えてはくれない。アンテナがさび付いてしまったのが悪いのか、ベイビーわるきゅーれ エブリデイ!をアニメコーナーに配置しない人間が無能なのか、その両方なのかはわからない。
・AIにおれの性癖、好きな作品を学習させて、大量のRSSリーダーなどを読み込ませたあとに「おまえこれ好きだろ?」とお勧めしてくれるようになって欲しい。おれの代わりに放送されているアニメをチェックして、おれの琴線に激しく触れそうなシーンがあったら報告してくれ。そのためならおれの脳波と魂をGoogleに捧げてもいい。
・『包帯 (Tele)』の歌詞のこの部分すき……。
https://youtu.be/1XXbTHnDdzA?feature=shared
馬鹿げている世界を、
踏み越える度に悲鳴が響いた。
解けてゆく。
君の身体、心も、
包帯のようだった。

・MTGおよびMTGアリーナは、環境の変化や発売ペースが早すぎるので少しお休みしたい。特にMTGアリーナは「クエストを効率的に消化できるデッキを組んで、死んだ目で回す。速攻赤単で相手をひき殺せるように祈り、反対に相手がぶん回らないように願うクソゲー」感が半端ではない。
・マジック:ザ・ギャザリング。ラブコメの5倍速ぐらいの勢いで「おまえ、女の子だったのか!?」が発生する世界最大のトレーディング・カードゲーム…
・面晶体の掘削者、ザダ(女の子)の再録回数がなんでこんなに多いのかわからん。個人的には統率者デッキを組ませたがっている説がある。あとせっかくアニメ絵で収録されるのに美少女イラストじゃないのか。いや、魂は美少女なのだが…

・クソデッキ構築術
統率者デッキは気を抜くとすぐにクソデッキレベルが下がって、まっとうな構築になってしまう。以前に組んだパーティ仕様のグランチも、いつの間にかトークンを展開してから月揺らしの騎兵隊をサーチして蹂躙するような奴になってしまった。
ふつうに安くて統率者と相性のいいカードを追加していくだけでも、カードパワーやデッキレベルが上がってクソデッキ力(ぢから)を失ってしまう。
そんなことを考えながら海外の記事を検索していたら「クソデッキの作り方」みたいな内容の記事があった。
この記事におけるクソデッキ(Jank Decks)の定義は「最適化された統率者デッキのようなパワーは無いかも知れないが、クレイジーで魅力的なものを解き放つ可能性が秘められている」ものである。それがクソデッキ魂(ソウル)だ……!

・巣を守る者、アトラ・パラーニ
アタルカとアニメのメイエルとファイラスの余りパーツでデッキが組めてしまった。心に響くカードを集めていった結果、デッキが完成する再利用デッキ構築術である。
素直にマナを伸ばして、卵を叩き割って強力なクリーチャーを場に叩きつける統率者である。入っているのは2軍落ちクリーチャーではあるが、構築済みレベルと戦うぐらいならいい塩梅では無いでしょうか。下手に強化してもデッキレベルが上がってしまうので、「このデッキのためにカードを買い足さない。完全に余り物で組む」のコンセプトでいく。


・ VRChatハードボイルド探偵『Caramelize 明日、地球が終わるから by filmelia』編

おれはVRChatハードボイルド探偵。仮想現実に生きる者たちから今日も依頼が舞い込む。依頼人は一人の美少女アバターを着た男だった。『Caramelize 明日、地球が終わるから by filmelia』という謎解きワールドでお砂糖相手との時間を過ごしたあとに音信不通になった。仮想現実にありがちな人間関係の終わりだ。
おれは依頼人からこれまでに何があったのかを聞いた。
「ソラハ……君はよく〝この世界が終わったらどうなるんだろうね〟と言っていた。もしもこの仮想現実の世界のサービスが終了して、この関係も何もかもが消え去ってしまうことを恐れていた。
僕はソラハが現実で重い何かを抱えていて、それを僕に背負わせないためにあえてリアルについて喋らないのだと感じていた。だから僕は君の傷口にも触れないように一定の距離を保って、お互いの領域を侵さないようにしてきた。そうしたらソラハを不用意に傷つけることも無く、お砂糖として幸せな日々を送れるのだと自分に言い聞かせたんだ。
でもそれが間違いだったのかも知れない。君が抱えている事情や苦しみをすべて曝け出して欲しかったわけじゃない。でも、ほんの少しでも、数百分の一でも、君が言葉にできなかった苦しさや悲しみに触れようとしても良かったんじゃないのかって。軽々しく人の心に土足で踏み込んだことを僕は後悔するかも知れない。いまよりも傷が深くなるだけかも知れない。
でもこんなお別れじゃ無くて、Discordでボイスチャットをしながら同じゲームを遊んで〝そういえば昔、VRCでお砂糖だったよねー〟とかお喋りしている未来もあったかも知れないって、僕はそう思うんだ。
VRChatがサービス終了したあとのことなんてどうでもいい。リアルで会わなくても、性別が男同士でも、お互いに明かせない現実の事情を抱えていたとしても、この仮想現実でしか成り立たない脆い関係性だったとしても、いつか崩れ落ちてしまうものだとしても、この感情は仮初めなんかじゃない。
だから……〝君にだけは忘れられたくないから〟なんて悲しいことを言わないでくれ……」

依頼人が今までに起きたことを語る。それは事情を説明するというよりも、お砂糖にしてしまったことへの懺悔のようにおれには聞こえた。
ふむ……『お砂糖だった子がオフラインになったまま戻ってこない』か……。坊主、お前の想いは受け止めた。いつも自分の気持ちに気がつくは大切なものを失ってからだ。お前がその子を大切にして、幸せを願っていたのは理解した。しかしお互いを大事に想い、傷つくのを恐れるあまりにより大きな傷跡を残してしまったのかもな。
お前の依頼は引き受けた。ここから先はVRChatハードボイルド探偵の仕事だ。どんな困難な依頼でもおれは解決する。だが坊主、これだけは覚えておけ。真実がいつも美しいものだとは限らない。おまえを傷つけないためにその子はあえて、消えるという決断をしたかも知れないということを頭の片隅にとどめておけ。
おれはヘッドセットを被りポピー横丁へ聞き込みに向かう。VRChatハードボイルド探偵がヘッドセットを被るのは仮想空間に足を踏み入れるときだけではない。
――センチメンタルVRC坊やだった頃の弱い自分の涙を、誰にも見せないためさ。


・限界権力男性によるグローバル・スーパーマッチョ・パラダイム

そっかぁ……トランプが大統領かぁ……そうかぁ……。トランプが大統領に返り咲いたことよりも「限界権力男性によるグローバル・スーパーマッチョ・パラダイムが完成してしまった」という気持ちの方が大きい。
トランプとプーチンと習近平を並べてみるとわかると思うが、力と権力を自在に振り回せるつよつよの限界権力男性で埋め尽くされている。トランプはMake America Great Againと叫んで、プーチンは「強いロシア」を復興させようとして、習近平はなんかこう権威主義的っていうのかな。タリバンが政権を奪還してから女性への迫害を強めたり、イスラエルのネタニヤフ首相も強硬派路線に傾いていて、イーロン・マスクはもうそのなんかこうあれである。ところどころで語彙を失って雑になっているが、まじで国際情勢に対して勉強不足なのでこのへんは適当に何かを感じ取ってくれ。
国家と思想が違っていても、なんかこう……同じ方向性の人たちがトップになっちまったなぁ……そっかぁ……そうだよなぁ……それが時代の流れってやつなんだよなぁ……?(※政治的な話題なのでなるべく穏当な言葉を選んで歯切れが悪く喋っています。ご了承ください)
世界からしなやかさが失われていって、筋肉!経済!ミサイル!サル山のマウンティング!強い雄!みたいなゴリゴリの男根主義的なものに回帰していく。今後の国際社会は権力を持った男性の思いつきに振り回されて、時には尻ぬぐいをさせられる。
「ウクライナなんて速攻で攻め落とせるやろ」と高を括っていたら泥沼化してしまい、プライドが高く誤りを認められないので、メンツを保つためだけに突っ走るしかなくなるタイプの限界権力男性たちにフリーハンドを与えるの、まじで嫌過ぎて生理的に無理なんだ。
残念ながら限界権力男性が幼女になるぐらいしか解決策がない。
始皇帝が老いには勝てずに不死の妙薬を探したように、死の恐怖に囚われたイーロン・マスクが不老不死を実現するためにバイオテクノロジー産業に大規模な投資をするのだけど、アンチエイジング技術が失敗して軒並み全員がようじょ権力者になればいい。
でも、それを望むよりかは限界権力男性に権限が一極集中しないように分散して、おっさんが乱心したときに速やかに権力の座から退いてもらう仕組みがあればいいよね……。


・『Pokémon Trading Card Game Pocket(ポケポケ)』、初期配布デッキから始める格安格闘アグロ

・デッキの特長
エネルギー効率のいいポケモンで殴っていくアグロデッキ。初期配布デッキでパーツが揃う&キーとなるポケモンのレアリティが低いため、ポケポケを始めた日からでも組める気軽さが最大の長所。
デッキの振れ幅は大きいものの、攻めに優れたポケモンが多く環境デッキ相手でも勝ちを狙える。

–キーカード–
・カモネギ
無色エネルギー1つで打点40。耐久性に難があるが、序盤からネギを振り回して堅実にHPを削っていける逸材。後攻から殴っていく動きが強い。
・サンドパン
闘エネルギー2つで打点70。エネルギー加速を必要とせずに戦える他、ピカチュウexやスターミーexなどの環境ポケモンの攻撃を耐えられる。サカキがあるときりさくの攻撃力が上がり、ミュウツーexを2発で仕留められる。
この2体を主力にして、対戦相手のポケモンを倒していくのが勝ち筋である。
・ガラガラex
コイン投げに成功した分でダメージが変化するフィニッシャー。上振れれば160点で対戦相手のポケモンを一撃で葬り去れる。運が絡むので、あと一発殴れれば倒せるというときに2ターン連続で全部裏になるときもあるのはご愛敬だ。
ガラガラexは他のexポケモンとは違って、初手に来て欲しいカードではない。自分のポケモンが2体倒されたあとに満を持して登場するパターンが理想なので、初期配布の1枚刺しでも十分に間に合う。

–デッキの作り方–
・最初に「ミュウツーパック」を選んで、ガラガラexとサンドパンデッキを入手する。
・主力となるカモネギ、サンドパンはレアリティが低く、パックを剥いている過程で自然と手に入る。
・アイテムはチュートリアルを終えて回収した後に、ショップで残りを購入する。
・自由枠に引いたカードで強そうなやつを入れて完成!

・デッキリスト
–ポケモン– 9
カモネギ ×2
サンド ×2
サンドパン ×2
カラカラ ×2
ガラガラex ×1
–アイテムなど– 8
きずぐすり×2
スピーダー×2
モンスターボール×2
博士の研究×2
–自由枠– 3
レッドカードやサカキ、追加のたねポケモンなど 。
おすすめはダメージを底上げできるサカキだが、必ずしも必要というわけではない。


・ ヒトカゲとポケモンロス

ポケポケで遊んでいて「あの頃に一緒に旅をしたヒトカゲが自分にとっての相棒なので、この子は自分の知っているヒトカゲは別個体なんだよね」という謎のノスタルジーが浮かび上がってきた。
当時クソジャリボーイだったころのおれはヒトカゲが進化したあとのリザードンに「ヘラクレス」と名付けていた。最初のポケモンにヒトカゲを選ぶと、いわポケモンとみずポケモンのジムトレーナーと序盤で戦わなければならなくなる。相性の悪い岩ポケモンにひのこで立ち向かい、カスミに対しては現地調達したナゾノクサで応戦する。後にヒトカゲが進化する頃には、わざの回数を増やしたかえんほうしゃときりさくだけで無双できるようになる。
最初に相棒として時間を過ごしたポケモンはいつまでも記憶に残る。しかしあの頃のヒトカゲのデータはどこにもいない。東日本大震災の津波と一緒に本体もろとも太平洋に飲み込まれた。同種のポケモンでもかつて旅をした子と同じポケモンは存在しない……。そこから生まれる欠落感がポケモンロスだ。
デッキの記事を書いていて思い出したのだが、ガラガラは**「母親の頭蓋骨を被って、母親の骨を武器にして戦っているポケモン」**である。おそらく高値で取引されているガラガラの骨を目当てに殺されて、その怒りで攻撃的になっているのだろう。それを考えるとポケモンたちの霊が集まるとされるシオンタウンのポケモンタワーも、幽霊の出る恐ろしいところではないのかも知れないな。
この機会にポケモンの設定を読み返すか……?
そもそもポケモンは衰弱したオコリザルがニシノモリ教授のメガネケースに入ったことがきっかけでモンスターボールの開発が進んだと言われ(※中略)ウルトラセブンのカプセル怪獣と(※中略)ドット絵表現におけるMotherシリーズの影響が(※この辺を語り始めると本当にきりが無いので割愛させていただきます。ご了承くださいますようお願いいたします)


・舐める、舐められないの世界観について

「男に怒る」を避けてたら!! 舐めムーブする男ばかりが寄ってきて!! 振り回されてすり減るだけの人生になるんだよ!!
『わたしたちは無痛恋愛がしたい 第31話 女の怒り』より引用

男性なのに『わたしたちは無痛恋愛がしたい』に対して共感するところが多い。「舐めムーブをしてくる男」問題だけど、女性だけに舐めムーブをかますのではなくて脳内猿山ランキング下位の人間に対しては男女関係なく舐めた態度を取ってくるよね。
読んでいて、男友達の「一部の人から舐めムーブされる……」という話を思い出した。自分から見ると態度が柔らかくて人当たりがよいのだけど、その言動から「こいつは舐めてもいい」とみなすクリーチャーが一定割合で人類にいるんよね……。
そういう人間関係で舐められないように振る舞うこと自体が、「舐める、舐められない」の価値観を内面化することでもある。猿山ランキングを上げれば舐められなくなるかも知れないけど、そもそもおれは猿山ごと上下関係モンキーどもを爆破したいんだ。

「舐めムーブ」で思い出したが「舐める・舐められない」の価値観を内面化して生きている人たちは多い。先の衆議院選で「日本をなめるな」というキャッチコピーを掲げた政党があったりし、なりすまし詐欺のときにライブドアの堀江貴文とZOZOの前沢友作は「プラットフォーム企業から日本全体がなめられている」と発言していた。「なんか相手からなめらている気がする」という価値観を、人間関係だけではなくて企業活動や政治に持ち出してしまう人たちがいるの怖くない……?
舐める・舐められないでざっと調べたら、「ビジネス面での人間関係…ナメられたら終わり?部下のナメた態度どこまで許容?」とか「なめたことしてる外国人には後悔させろ」などの記事や映像が出てきた。
中には「舐められないためにはどうするべきか?」という記事もあった。でもそれって「痴漢されないためにはどうすればいいのか?」というコストをこちら側が負担しているだけで、まず先に痴漢しているやつから減らしていけよ!!という話でもある。
痴漢やぶつかりおじさんも「この相手ならおとなしそうだから大丈夫だろう」と、対象を舐めることから始まる。カスタマーハラスメントをする人も「業務上、この人たちは自分に反撃してこないだろう」と思っている。
自分が思っている以上に「舐める・舐められない」の価値観が社会に根付いていて、「相手から舐められているかどうか? 相手に舐めた態度を取ってもいいのか?」を人間関係を判断する基準の上位に置いていて、なめられないためにリソースを割いている層が一定数いるんだよな……。
上下関係モンキー はびこるこの世、魚雷一発!轟沈させてぇ!


・ WORLD OF THE SOULをプレイした感想

WORLD OF THE SOULをソロでクリアしたので感想を書く。VRChat上で遊べるファンメイドのソウルライクゲームで完成度が異様なレベルで高い。ゲームバランスやマップ構成について思う所はあるのだが、〝本家と比べて〟である。
無料公開されているファンメイドのワールドではなくて、いつの間にか製品版のゲームと同じ目線で比較している自分がいることに気がつく。そのぐらい、VRで遊べるアクションRPGとして作り込まれている。
ソウルライクゲームとしてのツボを適切に押さえつつ、VRChatの文化を取り入れているところも好感度が高い。これまでソウルライクに触れたことのない人にも気軽に勧められるのは大きいし、多人数プレイなら難易度を調整できるのでみんなで攻略しながらわいわい遊ぶという楽しみ方もできる。
ソロでのプレイはVRで遊ぶソウルライクゲームとして面白いし、多人数で遊ぶのも新しいゲーム性の萌芽を感じた。いまは「ソウルライクゲーム」として認識されているけれども、もっと別の何かだと思う……。
VRヘッドセットを被って、いつも遊んでいるフレンドとパーティを組んで難敵に立ち向かう。もうほとんど異世界転生やソード・アート・オンラインでオタクが夢に見た世界そのもので、プレイしていてテンションが上がる。ソロでラスボスを倒したあとの演出は感極まってちょっと泣いてしまった。

ただ「ソウルライクと多人数協力プレイの相性があまりよくない」「進行やレベルに差が生まれるとフレンド同士では遊びにくい」、「純粋に楽しむならフレンド数名を10時間以上拘束して攻略する必要がある」「VRで死にゲーをやるのは体力と気力の消耗が激しい」など、ソウルライクゲームをVRにしたことで生まれた遊びにくさが気になった。
とはいえ上記のように〝プロの仕事と比較して〟の話なので、ワールドやゲーム性を批判する意味合いはない。むしろ面白すぎてフレンドと一緒に進めるよりも先に自分一人で突っ走ってクリアしてしまうレベルで没入できた。
疲れずに遊ばせる工夫は随所にちりばめられているし、合計5ステージというボリュームもちょうど良い。ソウルライクのエッセンスを濃縮しつつ、密度の高いゲーム体験になっている。終盤間際のボスラッシュも手に汗握る戦いだった。
いつもソウルシリーズをプレイして、ボスのライフを削り切ったときには心臓が激しく高鳴っている。あと一発ボスを殴れれば勝てるが、こちらも回復アイテムはもうない。殺すか殺されるかの瀬戸際で、これまでの艱難辛苦を踏み越えるように強敵の首を討ち取ったときには脳内麻薬が大量に出る。
WORLD OF THE SOULもその例に洩れず、ボスを倒す度に心臓の鼓動が激しくなり、コントローラーを握る手が震える。その瞬間に頭では無く身体の芯で「これはソウルの遺伝子を継いでいる」と実感する。めちゃくちゃ気分が高揚する。

あとこれは個人的なスタンスの話になるが、「はじめてプレイするときは初見殺しで死ぬのがクリエイターへの礼儀」だと思っているので、ゲームを始めたての人が望まない限り過剰な親切は控えたほうがいい。
マップを最短コースで進んだり、敵を殲滅したり、どこに罠があるのかを教えるのは親切に見えてゲームの楽しさを削ぐ行為だと考えてるので、求められない限りはやらない。なんかよくわからない間に死んでしまうというソウルゲーの洗礼を心ゆくまで堪能して欲しい……。
初見プレイはいちばん最初しかできない。たぶんほとんどのソウルゲー愛好家は「すべての記憶を消してもう一度最初からプレイしたい」と思っていて(※要出典)、はじめてソウルゲーに触れたプレイヤーが理不尽に殺されていくのを微笑ましく見ている。
それは悪意ではない。自分たちはもう、無知だったあの頃には戻れない。だから君たちは「何も知らずにゲームに翻弄される」という無知がもたらす至福を精一杯味わっていて欲しい。
チュートリアルとステージ1の第一の鍵を手に入れるところまでは、ゲームのコツを掴むために経験者のサポートがあってもいいと思う。どうしても突破できない難所があればフレンドを頼るのも悪くはない。
でも「バランス調整しくじってんだろ!なんだこのクソ配置!」と毒づきながら、道を切り開いていくのがソウルゲーである。
面白いと思ったら本家ソウルゲーを触ってみるのもいい。今はエルデンリングから入るのをお勧めするが、個人的にはダークソウルリマスターの世界観が好きなのでそちらも推しておく。