月歯町奇譚2
・月歯町奇譚 錬金術師オキツダガワの不老不死探求紀行
不死コークは月歯町で長らく愛飲されている清涼飲料水だ。元々は錬金術師オキツダガワ(当時131歳)が不老不死の霊薬を探求する過程で生み出された副産物であり、永遠の命をもたらすわけではない。
不死を求めた錬金術師の試みがすべて失敗に終わったのと同じく、オキツダガワの野望も頓挫した。しかし錬金術が近代科学の礎になったように、「不死コーク」という月歯町民であれば誰しもが知っている名物ドリンクが生まれた。
不死コークはカフェインが大量に含まれたエナジードリンクとは真逆の作用を及ぼす。カフェインによって脳の中枢神経を興奮させ、やる気を引き出し、仕事や勉学の生産性を上げるのが一般的なエナジードリンクだが、不死コークは違う。飲むと身体が怠くなり、空腹になり、食事の後には眠くなる。人間が持っている「疲れているときには休息を取り、美味しいものを食べて、しっかりと眠る」という本能を刺激し、生活リズムを整えることで健康的になり、寿命が伸びるという効果がある。
言うまでも無く一時的にやる気と生産性は大幅ダウンするが、次の日はすっきりと目覚められる。やる気はその本人が自然に出せる量しか出ない。
不死コークは不老不死を約束しないし、エナジードリンクのように仕事がはかどるわけでもない。しかし薬品を思わせるフレーバーと、ぐっすりと睡眠を取ったあとの「仕事は何一つとして片付いていないけど、気分が最高にいい!」という感覚が病みつきになり、リピーターが続出した。近年、社会問題になっているエナジードリンク依存へのデトックスにも活用されるなど、注目度が高まっている。
350ml瓶・180円(税抜き)で月歯町の各所で好評発売中だ。
オキツダガワ(175歳)はこの不死コークを失敗作だと言い切ったが、彼の研究を支える資金の殆どを捻出しているのがこの飲み物だ。未だに不老不死の霊薬を追い求める彼の野望に終わりはない。
次にオキツダガワが目を付けたのは幻の生物である「ウナギ」だった。ウナギとはかつて人類によって食い尽くされ、絶滅に追い込まれた魚類だ。鱗のない黒竜のような形状をしていると文献には記されている。ウナギの肉を食べた者は不老不死を得るという迷信を信じ、人類はウナギを乱獲し、絶滅にまで追いやった。ドードー鳥やステラーカイギュウが人の手によって姿を消したのと同じように、ウナギもまたこの世界からいなくなった。
不死の霊薬エリクシル、ゾロアスター教の神酒ハオマ、人魚の肉。古今東西のあらゆる人間は不死を願い、飽くなき探求を続けてきた。聖杯を求めるアーサー王のように、決して手が届かないと分かっていても追い求めることを辞められない。オキツダガワが不老不死に費やす情熱も人間の業だった。
彼は不老不死の薬を研究する過程でウナギに目を付けた。文献によれば、ウナギを食べても不死者にはなれない。しかし何も効果が無いわけでない。スタミナを付けるという名目で幅広い世代に食されていた。もしもウナギに内在している特殊な栄養素を精製することが可能なら、不死の霊薬を作り出すきっかけになるかも知れない。ネイティブ・アメリカンが儀式に使っていたペヨーテから幻覚剤(LSD)が精製された。
ウナギから不死薬が抽出される可能性はゼロではない。それだけで絶滅したはずの生き物を探し、復活させる理由には十分だ。
オキツダガワは「鰻ヶ丘(うなぎがおか)」を訪れていた。幻獣ウナギの名を冠した聖地だったが、ウナギが絶滅したあとは瞬く間に廃墟になった。数多くのウナギ料理専門店やウナギ養殖業者、ウナギ・ハンターが集っていたが、今はその跡形も無い。唯一残っているのは、ウナギを神と崇めている宗教の神殿だけだ。
この場所にやってくる者はウナギを信仰対象として崇める巡礼者か、未だにウナギが生存していると信じている未確認生物ハンターしかいない。オキツダガワは後者に属するが、未だにウナギが生存しているとは思っていない。絶滅してしまったのなら蘇らせればいい。鰻ヶ丘にわずかでもウナギの骨が残っていれば、そこから遺伝子を抽出し、クローンウナギを生み出せる。
永久凍土の中に眠っているマンモスの死骸から太古の生物を蘇らせることも科学には可能だ。マンモスにできてウナギにできない道理はない。オキツダガワは鰻ヶ丘の中心にあるウナギ神殿から御神体を強奪した。ここではウナギのミイラが今も尚、不死を司る神として崇められている。ウナギを信仰している僧侶たちとの死闘の果てにオキツダガワはウナギのミイラを手に入れた。
早速、彼はウナギを復活させるプロジェクトに着手した。ウナギのDNAだけでは材料が足りない。マンモスを復活させるためには近縁種となるゾウとの交配を繰り返すことで、遺伝的に限りなくマンモスに近い個体を生み出すことを目的としている。オキツダガワが取ったのも同様の手法だ。ウナギと形が似通った生物の遺伝子を世界中から集めた。蛇や恐竜、ドラゴン、シーサーペントにウロボロス、ケツァルコアトル(羽毛ある蛇である言われる)――古代の伝承にうたわれる生き物の中でウナギの可能性があるものであれば、彼は飽くなき努力で遺伝子を手に入れた。
長い探求の果てにオキツダガワは236歳になっていたが、彼の妄執的な情熱が注ぎ込まれ、ウナギが復元された。体長約三〇メートルもある巨大な蛇のような生き物だ。大航海時代には巨大なウナギが船を沈めていたと言われている。人智を越えた叡智を持ち、人の言葉を理解する。オキツダガワが世界中に広まっているウナギらしきもの伝承を総合的に解釈した結果として、「新たなるウナギ」に命が吹き込まれた。
巨大なウナギは一般の家庭で飼育するにはあまりにも巨大な体躯だったので、月歯町の足摺り湖にひっそりと放し飼いにされた。数年後にあまりにも巨大になりすぎたウナギを隠すことは不可能になり、月歯町の未確認生物として認知されることになった。
研究の結果、ウナギには人を不老不死に近づけるような成分がないことが、オキツダガワの研究によって明らかになった。ウナギを元にして不死薬を作っても、せいぜい夏バテ予防の薬になる程度だ。
オキツダガワの長きにわたる探求は、月歯町の湖に新しい観光資源をもたらすだけに終わった。人の言葉を理解する巨大ウナギが棲んでいる湖に興味を持った観光客が、連休中になると各所から集まってくる。
人語を解する巨大ウナギには様々な悩み相談が寄せられ、日によってはウナギの叡智によって神託が告げられる。
今日、巨大ウナギが発した言葉は「彼には私がいないとダメだって言うけどさ、〝ダメな彼氏を支えている自分〟という役割に自分の居場所を見いだしているような気がして仕方がないんよね。自己肯定感が低いのはしゃーない。熱中できる趣味があると彼氏だけに生き甲斐を見いださずに済むようになるから、メンタル安定するよー。編み物とかガーデニングがいいんじゃないかな」だった。
巨大ウナギは一躍人気のご当地キャラになり、ぬいぐるみやお土産物、関連グッズが作られ、地元経済を恒久的に潤した。
しかしオキツダガワ(242歳)にとって巨大ウナギは不老不死を探求する中でたまたま生み出された失敗作でしかない。不死コークを飲み干して休憩を挟む。世界にはまだ不老不死の可能性が眠っているに違いない。十分な休憩を挟んで体力を回復させたら、新しいアプローチを探ってみよう。オキツダガワは決意を新たにする。これまでは不死を追求しすぎていたから、不老――アンチ・エイジングに活路を見いだすのも妥当だろう。その研究が大ヒット基礎化粧品「10歳若く見える! ぷにはだ保湿クリーム」になるのはまた別の物語だ。
不老不死を求める彼の研究はまだ始まったばかりだ。
・月歯町奇譚 匿顔権
すべての人間には匿顔権がある。匿名や黙秘権が認められるのと同様に「自らの顔」を覆い隠す権利を我々は持つ。匿顔権は月歯町では基本的人権の一つとして保障されていて、顔を表に表すことを望まない者は仮面を被ることが許されている。
人類が顔にこだわるのはそれが個人を識別するための数少ない手段だったからだ。得体の知れない者が自分たちの世界に入り込まないようにするために絶え間なく気を配ってきた。個人が特定できないように仮面を被り、自信が何者であるのかを秘匿する人間は危険人物として扱われる。罪を犯すために顔を隠し、痕跡を消す。後ろめたい理由がない人間は顔を隠す必要が無い。そう考えられている。
顔面に障害がない人間やコンプレックスを抱いていない人間、自分の顔に自信がある人間は匿顔権の価値を認めないだろう。私の顔面は生まれつき歪んでいて均衡が取れていない。それ故に仮面を被って暮らしてきたが、そのために不利益を被ったことも多かった。足が動かない人間が義足を使うように、顔を人に見せることが不利益になる人間は仮面を被るのが道理に適っていると私は思っている。
問題はどう個人を識別するのかということだ。誰しもが自由に仮面を被り、誰なのか判別が付かなくなれば社会的混乱が生じる。仮面で他人になりすます者も現れるだろう。それを解決するための一手段として、固有の仮面を役所に登録することで個人の特定を容易にする。早い話が匿顔権を必要とする者は自分の顔が隠せればいい。他の人々は顔以外の手段で、目の前にいるのが私であると特定できればいい。そのニーズを満たすのが固有仮面制度だ。印鑑登録や車両にナンバーを宛がうように、一つ一つの仮面と個人情報を結びつけて役所が管理をする。そうやって仮面装着者の身元を保証している。
手近にある仮面を登録してもいいが、使っている仮面を変更するには諸々の手続きが必要なため、まずは自分の個性を表現した仮面を見つけるのが得策だろう。匿顔権のある月歯町には何人かの仮面職人たちが暮らしていて、彼らに依頼することで「自分自身の魂の形を表した仮面」を作り出してくれる。問題があるとすれば、どのような仮面になるのかをこちら側から注文することはできない。自分の顔を隠すために仮面を用いるのだが、多くの仮面職人たちは「仮面こそが魂の真実の姿を明らかにする」という哲学を持っている。もしかすると私が嫌っている顔よりももっと醜い仮面が彫られるかも知れない。その可能性はゼロではない。
「私が作っているのは仮面ではなくて、イコン面だ。もっとも、そう呼ぶ者は仮面職人の中でも少なくなったがね。似ているが性質は真逆だ。仮面は真実を覆い隠すが、イコン面は魂の本質を露わにする」と言った。
大量生産される仮面とは異なり、イコン面は私ただ一人のためにだけ作られる。同じ指紋を持った人間がいないように、同じ魂を持った人間もいない。それと同じように同じイコン面を持った人間もこの世界には存在しない。
仮面職人は顔の寸法を測った後に、自らに目隠しをして私の顔に触れる。触診するように優しく、ゆっくりと私の顔の筋肉を調べていく。目隠しをするのは「見える者に惑わされないようにするため」だったが、職人は実際に目が見えているようになめらかに私の顔の形をなぞっていく。
何十分か椅子に座ってじっとしていると、仮面職人は「ようやく君の魂の形が見えてきたよ」と言った。「顔の形を知るためには鏡がいる。では魂の形を知るのは何か? 残念ながらこれはイコン面職人にだけ伝わる秘密であり、易々と人に教えられるものではない。仮面を付けようなんていう人間はやましいことがあるか、それとも傷を負った人間だけだ。怪我をした野生動物が草むらに姿を隠すように、傷ついた魂も自らを守るために仮面の裏側に隠れようとする。私が見る限りでは君は後者のようだ」
私の心を読み取るように仮面職人が喋る。
「何も超能力を使っている訳ではない。君の顔の筋肉が教えてくれる。私が向ける眼差し、それに対する表情筋の反応。こわばっていて、隠してはいるが心の奥底では怯えている。これでは仮面を必要とするのも当然だろう。その顔ゆえにこれまでに不当に傷つけられてきたのだから」
仮面職人の言葉は私の触れられたくない過去を剥がしていく。誰にも喋っていないことも、仮面を剥がされるように明らかになっていく。だが不思議と嫌な気分はしなかった。この仮面職人は私の顔ではなくて魂と向き合って話していると信じられたからだ。
「君のことが少しだけ分かったような気がするよ。大丈夫だ。君の仮面を作り出す依頼を受けよう。ほんの少し時間が掛かるが、君の魂にぴったりの仮面を作るとしよう」
仮面職人は醜い私の顔から目を逸らさずに、頬を撫でた。こんな風に人に見つめられるのは始めてだったから、私は視線を置き場に迷った。元から持っていた目出しマスクを被り、前金を手渡して仮面職人のアトリエから立ち去った。
それから数週間が経って私の仮面が出来上がった。青色を貴重とした木製の仮面に、民俗芸術のような幾何学的な模様が描かれている。もの柔らかな翁の笑みが彫られていたが、角が生えているのを見る限りでは人間ではない。
「それは月歯町にかつて棲んでいた精霊(スピリット)で〝物腰の柔らかい案内者〟と呼ばれていた。以前の仮面職人たちは仮面に精霊たちを彫り込んで彼らの加護を受けていたものだ。古い時代には人間と精霊は手を携えて暮らしていた。人間が精霊の仮面を被り、精霊が人間の仮面を被って、祭りの時には交流を重ねたものだ。今日ではまったくそのようなことは稀になってしまったがね」
魂の本質を表した仮面を作り出すと言ったのに、仮面職人は名前も聞いたことがない精霊をモチーフにした仮面を彫った。
「これは非常に珍しく、そして幸運なことなんだ。注文通りではないことが不満なら前金を返してもいい。最初は私も君の魂を表した仮面を彫ろうと思っていた。だがね、君にはこちらの仮面の方がぴったりだという霊感が湧いてきて、私は職人の一人として自分の直感に従っただけだ」
最初の約束とは違ったが私は約束通りに後金を払った。仮面を付けてみると私が思っているよりもしっくりきた。物腰の柔らかい案内者がどのような精霊なのかはわからない。この仮面を被っているときには誰かに傷つけられるかも知れないという恐れが和らいだ。顔を隠すためにだけ仮面や目出しマスクを被っていたときに感じていたときの心細さとは真逆の感情だった。
「気に入ってくれて何よりだよ。だがね、君はひとつ難しい問題を背負ってしまったとも言える。君は物腰の柔らかい案内者に気に入られてしまったから、彼が望む役割を果たさなければならないときがやってくるかも知れない。でも彼は物腰が柔らかいから、決して君の邪魔になるような形で要求を押し通すことはないと思う。万が一困ったことがあったら私のところにやってきなさい」
仮面職人はそう言って、精霊と人間の関係についてを教えてくれた。月歯町に暮らしているのは善い精霊だけではない。害のある悪霊も未だに力を保っていて、人間の取り憑く隙を狙っているのだと言う。仮面職人の中には魔に差されて邪悪な精霊が取り憑いた仮面を彫ってしまう者もいる。
「あの壁に飾られている〝沼引き摺りの霊〟の仮面は私が彫ったものだ。今はああいう風に仮面に封じているから大丈夫だがね」
壁に飾られてあったのはやせ細った女の仮面だ。青白い顔で目を細めているが、禍々しい雰囲気はしっかりと伝わってきた。
「沼から助けを呼ぶ声が聞こえたら気をつけなさい。本当に人が溺れているかも知れないが、中には沼引き摺りの霊が取り憑く獲物を狙っている可能性もゼロではないから。特に逢魔が時の場合にはね」
私は物腰の柔らかい案内者の仮面を被って、仮面職人のアトリエを後にした。ずいぶんと話し込んだので役所に仮面を登録しに行くのは明日でもいいだろう。
自分だけの仮面を得たあとに私に微かな変化が起こり始めた。自分の正体が暴かれることへの恐れがなくなっただけではない。物腰の柔らかい案内者が仮面に住み着いているからだろうか。月歯町を訪れたと思しき人間に対して、躊躇いなく話しかけられるようになっていた。自分が望んでいたわけではないが、磁力に引き寄せられるように自然と挨拶の言葉が出てくる。
月歯町を訪れる人間の多くは訳ありだ。観光でやってくるような場所ではない。少なくとも私はそう思っている。本当なら自分の顔を隠すための仮面だけを受け取って、必要以上に人と関わることなく暮らそうと思っていたが、予定は変更せざるを得ない。なぜか仮面職人を通して精霊に好かれてしまったからだ。幸運なのはそこまで悪い気はしないということだ。
匿顔権の思わぬ副作用だろうか。自分自身の顔を隠すことで、以前よりも自由に振る舞えるようになっている。それが仮面のせいか、それとも精霊の加護かどうかまでは定かではなかったけれども。
「月歯町へようこそ。この街は人間もそうでないものも等しく共存していますから、最初は奇異に感じるでしょう。何かお探しのものがあるのでしょうか? あるいは道に迷われたとか? 私もまだこの街で暮らし始めて日が浅い方ですが、お役に立てるのであれば幸いです」
・月歯町奇譚 猫を殺す仕事
僕の仕事は猫殺しだ。誤解しないで欲しいのは、戯れや嗜虐心を満たすために猫を殺しているのではない。どういった経緯で人が集められているのかは守秘義務があるため詳細は語れない。だが採用面接があり、猫殺しに適性のある人間が雇用されており、君たちがしているであろう普通の業務と何ら変わりはない。ただひとつ、猫を殺すという点を除いては。
猫殺しはその名の通り、適切に猫を殺す仕事だ。普通の感性を持った人間だったら誰もやりたがらない。もしも僕がこんな仕事をしていると知ったら君は眉を顰めるだろう。世の中の善良な人間は猫を保護するために寄付をしたり、施設で引き取って新しい飼い主を探す。不幸な猫が増えないように去勢手術をすることもあるだろう。その行為は大いに推奨されるべきだ。
だが彼らが精一杯の努力を費やしても助けられない猫は常に一定数生まれ続ける。行き先が見つからない保護猫、去勢されることがないまま殖えてしまった子猫は誰かが処分しなければならない。善良な人たちは猫殺しの仕事を「かわいそうだ」と非難するけれども、その間にも猫は空腹や病気で余計な苦しみを味わっている。放っておいたら交尾をしてまた新しい不幸な猫が殖えるだろう。だから僕たちのような人間が、善人の目に入らないところで密かに猫を殺さなければならない。それが猫殺しの業務概要だ。
僕には生まれつき罪悪感がない。正確には命の価値に序列を付けられないと言った方がいいのかも知れない。朝食時に卵を割って目玉焼きを作ることと、人間を殺す行為の間にある本質的な違いが理解できない。もちろん人間を殺してはならないことは、知識として知っているが、僕はオムレツを作るために卵を割ると同じ要領で、人間の頭蓋骨をたたき割ることに良心の葛藤を覚えない。
罪悪感がないのに気がついたのは、人を殺しかけたことがあるからだ。僕がまだ学生だった頃、級友に暴力を振るっている少年がいた。暴行を加えられている側は自殺未遂まで追い込まれたと聞いた。被害者とは友人というわけではなかったし、話したことも無かった。けれども加害者はこの世界に存在するべきではないと僕は思った。正義感や怒りを覚えたわけではない。ただ部屋にゴキブリが出たから、新聞紙を丸めて叩くような感覚だった。野球部のバットを借りて加害者の後頭部を力一杯のスイングで殴った。思い出していたのは先日、メジャーリーガーがホームランを打ったときのバッティングフォームだ。足を振り子のように動かして踏み込み、勢いよくスイングする。バットが頭蓋骨に当たったが感触は悪かった。球の中心にバットを命中させたときのミート感が無かった。もしもこれが実際の野球だったら三塁側に落ちるファウルボールになっていただろう。
人間の頭蓋骨から血が流れているときにも僕は、自分のバッティングフォームの反省点を洗い出していた。彼の頭蓋骨にひびが入っていて重体になっていたが、後遺症もなく命に別状はないと言う。
この一件から僕の精神鑑定が行われた。最初は正義感の暴走や復讐が動機だと警察には思われた。そんなことは無いと言ったが、彼らには僕の感じていることが通じなかった。自分の思考を理解してもらうのは難しいと理解したので、「級友が自殺未遂にまで追い詰められたことに対して激しい怒りを抱いて、衝動的に危害を加えてしまった」という理由をでっち上げた。
これ以来、僕には罪悪感が欠落していると知った。暴行事件の一件で就職先を見つけるのもままならないと思っていたが、市役所のほうから職業紹介に男が訪れた。彼が私に案内したのが先ほど説明した猫殺しの仕事だった。
僕には罪悪感がないから、猫を躊躇いなく殺せる。一週間に一回ほど施設に猫が運ばれてくる。生まれたばかりの子猫や年老いた猫、様々な猫がいた。作業場にいるのは二人の先輩と僕だけだ。40代半ばの神経質そうな男性と20代前半の若い女性だ。男性の方は猫殺しの部署を仕切っている部長だ。僕をこの仕事にスカウトした張本人でもある。女性は新人教育として僕に猫殺しの業務を教えてくれたので「先輩」と呼ぶようになった。猫殺しの仕事には毎年、適性のありそうな人間が何人か入ってくるが短くて一週間、長くても一年と経たずに辞めていく。
空調は快適で、他企業のオフィスと何ら変わりはない。一つだけ他の場所と違うのは地下室にある作業場には日の光が入らないことだ。薄暗い場所ではなくて、猫カフェを彷彿とさせるパステルカラーの明るいインテリアだ。一目見ただけではここが猫殺しの職場であるとは誰も思わないだろう。
部長は「猫殺しには適性がある。罪悪感がないだけではこの仕事は勤まらない。中には合法的に猫をいたぶって殺せる仕事だと勘違いして、応募してくる人間もいる。そういう人間は私たちの事業理念に反する」と言った。
僕たちが行っているのは善人の代わりに猫を殺すことだ。彼らが罪悪感を抱かなくてもいいように、ひそかに猫をこの世から消し去っていく。同情したり、悲しむことは簡単だが、それで猫の苦痛が和らぐわけではない。善良な人間は「猫たちを助けなければならない」と言うが、特に何かをするわけではない。寄付するなら上等な人間だが、結局は見殺しにすることに変わりはない。
自らの手で猫を殺すのか、猫が苦しみながら死んでいく事実から目を逸らしているかの違いがあるだけで、どっちにしろ猫は死ぬ。人知れず死んだ猫はいくらでもいる。空腹で死んだ猫。雪の降る日に凍死した猫。生まれたばかりでなぜ苦しいのかわからずに、「にゃあにゃあ」と助けを求めながら死んでいった子猫。そんな不幸な猫たちがこの世界には溢れている。
知らなかったのなら仕方がない。常にそう言い訳できるような材料がなければ善良な人々は自らの罪悪感に押し潰されてしまうだろうし、すべての猫を救えないという無力感に苛まれるだろう。彼らは自分たちの手で助けられるだけの猫に手を差し伸べていればいい。それが善良な人間の役割だ。
彼らの手から零れ落ちてしまった不幸な猫たちを、なるべく少ない苦痛で葬り去る。それが僕たちの仕事だ。少し意地の悪い表現をすれば、善人の代わりに手を汚しているとも言える。公言できる仕事ではない。両親や友人たちには「動物福祉に関する事務的な業務」とだけ言ってある。
部長によると昔は洗面器で猫を殺していたのだという。猫殺しの業務もコストと人員削減の風潮には逆らえなかったし、当時はなるべく多くの猫を安価かつ効率的に殺すことが優先されていた。首の骨を折ったり、洗面器に猫の顔を押しつけて溺死させるなどの方法が行われていたが、あるときに業務改善が為された。
十数年ほど前に部長は新しい猫殺しの業務フローを構築した。猫たちが食べるペットフードに強力な睡眠薬を混入させる方法だ。あまりにも強すぎる睡眠薬は脳を眠らせるだけではなくて、命を司る機能をも停止させて死に至らしめる。この方法が画期的だったのは、猫が苦しんで死ぬことは無くなったことだ。猫は満腹になって、幸福に包まれながら眠る。その間に脳の中枢神経は睡眠薬が過剰に作用し、二度と目を覚まさなくなる。
言葉にすると簡単なことだが、予算の調達と薬の準備、猫が快適に死ねるスペースを構築するためには長い時間と先達たちの努力の積み重ねがあった。罪悪感が人よりも薄れているはずの猫殺したちに良心があったのかどうかは定かでは無い。
「この方法に落ち着く前は〝最終的に猫を殺すのに、なぜ方法にこだわるのか?〟と尋ねられたよ。〝猫のクオリティ・オブ・ライフ向上のため〟なんて言葉で上層部を説得していたが、結局は自分たちの都合でしかない。猫殺しなんて仕事をしていながら、私たちはまだ自分が善良な人間の側にいると思い込みたいだけなんだ。洗面器で溺死させることも、餌に睡眠薬を混ぜることも殺される猫にとって違いはない。そう分かっていても、猫が苦しむことを肯定してしまったら、私たちは人間が持っていなければならない当たり前のものを失ってしまうと思った。ただそれだけの自己満足だ。もっとも、そんなものは猫殺しの仕事に就いた時点で最初から欠落しているのかも知れないがね」
部長が言った。人間が持っていなければならない、当たり前のもの。そんなものが本当にあるのかどうか、僕にはわからない。引き継ぎのマニュアルに書かれている手順に従って、猫の餌に睡眠薬を混ぜる。そして永眠した猫を棺に入れて焼却炉で燃やす。残った遺骨を集めたあとは骨壺に収める。死んだ猫の名前を記入して、表計算ソフトに殺した猫についての概要を入力する。印刷したあとは先輩にチェックをしてもらった後で部長に提出する。それが一連の業務だった。
忙しいわけではない。むしろ日によっては暇な日が多い。猫を一匹も殺さないで済む日も珍しくはない。それでも僕は猫殺しの業務に何の疑問も抱かずに猫を殺し続けた。
しばらく猫を殺さないでいい日が続いた。市役所が行っている猫の譲渡事業が順調に進んでいるという理由が大きい。そのようなときは猫殺しの仕事は手持ちぶさたになる。
仕事がない日はバッティングセンターに通っていた。野球が好きなわけではない。以前にバットで頭蓋骨を殴ったあの日から、球を打つ快感に目覚めた。昔は特にバッティング練習をしていたわけではないので、人の頭蓋骨を砕いてしまわずに済んだ。それでも「もしもバットが頭蓋骨にジャストミートしたら、どんな音を立てて、どのような感触がバットを通して手に伝わってくるのだろう?」と考えている時がある。殺人願望ではなくて、単なる知的好奇心だ。人間の頭蓋骨を殴るのは現代社会ではあまりにもデメリットが大きすぎるのでやらないに越したことは無い。ピッチングマシーンから放たれるボールを打つだけでもそれなりにストレス解消になる。
「ピッチングマシーンからマネキンの頭部が発射されるバッティングセンターがあったらいいですよね」と先輩に言うと、彼女は得体の知れないものを見つめる表情で僕の顔を見た。
異常者だと思われないように、なぜ自分がこのような思考に至ったのかという経緯を説明したが、納得したかどうかは分からない。信じて貰えるかどうかは定かではないが、殺人衝動と頭蓋骨をバットで叩きたいという欲求は僕の中で明確に区別されている。
「私にはあなたの思考は理解できないし、正直言って異常者だと思っている。でも頭のネジが外れている人間で無ければ猫殺しの仕事をしている間に精神を病んで辞めていくだろう。もっとも、私も人のことは言えないけれどもね」
先輩が言った。
「街に車が駐まっているとね、犯したくなるんだ。今は落ち着いているけれども無機物と性交をしたくて仕方が無くなる。これが人間に向けられていたら私は強姦犯になっていたかもしれないが、今のところはただの奇行で済んでいるよ」
彼女が言ったことを僕は理解できなかった。バッティングセンターの駐車場に駐まっている車両を眺めながら、どのような色とフォルム、製造年代、走行距離がいいのか、車と性交するときにはどのような方法を用いるのかについてを事細やかに説明してくれた。
「私が重視しているのは車両のエクスタシーを肌で感じることだ。マシンスペックを限界直前まで酷使すると、エンジン音が艶めかしい音を立てて喘ぎ始める。それ聞くと性的な興奮が抑えられなくなる。男性の場合は車と性交する場合は排気口を使うらしいが、私は試したことがないので分からない。今度、君も試してごらんよ。感想を聞かせて欲しい」
「そうですね。機会があったら試してみたいと思います」
下手に拒否するのも面倒だったので、そのうち車両と交わるかも知れないという約束をした。先輩は僕が猫殺しの仕事を始めたころから丁寧に業務手順を説明してくれた。このときも「じゃあ参考資料を君のメールアドレスに送っておくね」と言った。きっと日が変わる前には送られてくるに違いないと思ってしまうぐらいには仕事が早い。
「私のような人間がもっと多くいたら、聖書には〝汝、フォードを犯すべからず〟と追記されていたに違いないね」
猫殺しの仕事に従事している人間は数こそ少ない。彼らは誰にも理解されない特殊な領域を持っていて、普通の人間があるはずの何かが欠けている。僕が言うべきことではないのかも知れないが、会話の節々からそれを理解できる。
「正直言って猫殺しの仕事が私にとっての天職だとは思えない。それでも私にはこの場所や君たち以外の人間がいる場所で働ける自信が無いよ」と先輩は言った。
「そうですね。僕も一般企業に勤めていたとしたら、いつ同僚や上司、顧客の誰かをバットで殴打していたかも知れません」
猫殺しの仕事をしているから、頻繁に頭蓋骨を殴り飛ばしたいという欲求が湧いてこないのかも知れない。
「今度の休日、予定は空いている?」と先般が聞いてきた。遊びの誘いは珍しい。猫殺しの同僚たちは相互不干渉で、今日やるべき仕事がなくなったらすぐに家に帰る。職場での飲み会や忘年会などはやった記憶が無い。猫の日に、これまでに殺した猫の魂を弔う日があるぐらいだった。
休日はバッティングセンターに通うことぐらいにすることが無かったので、先輩の誘いに応じた。日曜日になると先輩が車で僕を迎えに来た。燃費のいいハイブリッドの軽自動車に乗っている。以前、車を犯したくなると言っていたので、僕は彼女と車との性生活についてを可能な限りソフトな表現で尋ねた。
「いまはそんなにしていないかな。もう家族の一員みたいに思えるから、性欲よりも愛着の方が先に湧いてくる。一ヶ月に2、3回するぐらいだよ」と言った。
先輩はその日の晩には参考資料を送りつけてきた。一通り目を通してみたが興味が持てない。
後部座席を見るとコピー用紙に何かが印刷されていた。束になってまとめられている。気になって後ろを見ていると、先輩は「あれは存在しない猫の迷い猫ポスターだよ」と教えてくれた。
先輩は休みの日に時々、どこにも存在していない猫の迷い猫ポスターを印刷して、街の電柱に貼り付けるのを趣味にしている。画像加工ソフトでどこにも存在しない猫の写真を作りだし、「迷い猫を探しています」という一文と連絡先を添える。そして住んだこともない適当な街を探して、人気の無い路地の電柱に「架空の迷い猫ポスター」を貼っていた。
先輩が迷い猫ポスターを貼るのは、一種の復讐だと言った。猫殺しの業務が必要なのは、普通に生きている善良な人間たちが罪悪感を覚えないようにするためだ。目に見えるところならいざ知らず、知らない場所で死んでいく命に対して多くの人は心痛を覚えない。
「でも迷い猫ポスターは違う。この街で暮らしている住人は皆、架空の迷い猫のポスターを見て不安に思うだろう。猫ちゃんは見つかったのだろうか、怪我をしてはいないだろうか、死んでいたりはしないだろうか。普通の人間ならそんな感情が頭を過ぎるはずだ。
電柱に貼られたポスターが雨でボロボロになっても、まだ見つからない。そうなれば迷い猫に対する心配は徐々に募っていく。のどに刺さった魚の骨のような形にならない不安を植え付けるために、私は架空の迷い猫ポスターを貼っている」
「これまでに何百匹の迷い猫ポスターを作ったのか?」と尋ねる。先輩は「その猫の架空の略歴についてはすべて記してある。この子はソックス。足が真っ白で靴下を穿いているように見えるから、名前を付けた。最初は私の手をよく噛んでいたけど、今ではよく懐いていたよ。でも、一週間前から帰ってこないんだ」
本当に猫を飼っていると錯覚するほどのなめらかさで、猫との出会いや生活を語った。
「これまで貼ったポスターの猫については全部記録してあるし、どの子に対しても思い出がある。こういうことを続けていると、もしかしたら本当に猫を飼っていたのかも知れないと思う時があるから気をつけないとね」と彼女は注意した。
電柱にポスターを貼り終えると、次は別の街に向かうのだと言う。「去年に貼った迷い猫ポスターを回収しにいくよ。いつまでも住人たちに不安を与えるのは流石にやり過ぎだろうから、折を見てポスターは剥がしに行かないといけない」
狭い道を小器用に運転しながら先輩が次の街に向かう。昼食はドライブスルーでファストフードを買った。
「死んだ牛とニワトリの肉、どっちがいい?」
猫殺しの職場ではよく聞く言い回しだ。僕は死んだニワトリの肉を選んだ。
助手席でフライドチキンを食べている間にも、先輩は食事が不味くなるような話を続けた。「そのフライドチキンに使われている鶏肉はね、成長を早めるためのホルモンや薬剤が餌に混ぜられて育てられたの。普通に成長するよりも何倍も早く市場に出荷できるようになるのだけど、ニワトリは自分の体重が重すぎて、立って歩けなくなってしまう。そういう経緯で作られたフライドチキンは美味しいかい?」
先輩が悪趣味な口調で尋ねる。そんなことを言われたら食欲が失せるが、養鶏業者がやっていることは猫を殺している僕たちと大差が無い。何も知らなければ僕はこのフライドチキンを何も考えずに食べていただろう。でも先輩は「私の言葉に教化的な要素は一切無い。君が罪悪感を覚えながら、空腹に抗えずにフライドチキンに貪りついている様を見ているのが楽しいんだ」と言った。
半年前に貼られたポスターを回収し追える。ほとんどは風で破かれていたり、雨ざらしになってインクが薄くなっていた。丁寧に一枚ごと回収し終えて車に積む。途中で老婆が「その猫ちゃん、ようやく見つかったんですね」と声を掛けてきた。先輩は戸惑う様子もなく、満面の笑みを浮かべて「先日、ふらっと帰ってきたんですよ。どこか別の家で飼われていたのかどうかは分かりませんが、前よりも太っていましたね」と流れるように嘘をついた。
「ルルのこと、気に掛けてくださったんですね。ありがとうございます。ご心配をおかけしました」
ルルは架空の猫の名前だ。ハキハキとした発声と立ち振る舞いだけを見ていると、先輩が猫殺しの業務をしているとは思えない。普通の真っ当な社会人のように見えた。
迷い猫ポスターを貼ったり、剥がしたりして休日が終わった。なぜこんなことをしているのかを先輩に尋ねた。
「私たちが殺した猫のこと、誰かに覚えていて欲しいなって思っただけだよ。それが嘘偽りに塗れたものだったとしてもね。
これは私の自己満足で、猫殺しの仕事とか関係が無い。まったく業務外の仕事で、賃金も何も発生しない。今日、君と私がやったことはすべてただ働きだ。だとしても私はこれまでに自分が殺した猫のことをすべて記録している。それだけじゃない。もしも彼らが幸福な飼い主の元で暮らしていたり、野良猫として満足な生活を送っていたかも知れないことに思いを巡らせている。猫殺しの罪悪感を和らげるためにこんなことを考えているのかは定かではない。でも私は死ななければならなかった猫が生きるはずだった世界や、出逢うかも知れなかった人のことを考えるよ」
普段とは違った感傷的な口調で先輩が言った。
猫殺しの職場で働いている人たちは互いに興味を持たない。私生活に干渉することもなく、今日の作業が終わったらすぐに帰路に就く。猫殺しの業務に人間関係は必要が無い。ずっとそう思っていたけれども、僕は仕事が終わった後に先輩と話すようになった。
「私たちは猫殺しの仕事をしているけれども、表向きはちゃんとした飼い主に猫が引き取られたことになっている。私が行っている業務の一部は、私たちの元に猫を預けに来てくれた人たちに対して手紙を送ることだ」
預けた猫がどうなっているのかわからないのは不透明さに欠ける。そう判断されたために「死んだ猫が新しい飼い主の元で幸せに暮らしている」というアリバイを作る業務が生まれた。彼女は猫を殺す以外にも、善意で猫を預けてくれた人に送るメッセージや写真を捏造する作業を担当していた。これまで僕は猫を殺すことしかやっていなかったので、他の従業員がどのような仕事をしているのか知る理由もきっかけも無かった。
モンタージュやコラージュの技法を駆使して、この世界に存在しない飼い主を作り出す。成長した猫の写真が必要なときは、毛並みや形が似通った猫を探してなりすませた。彼らの家で猫たちは幸せに暮らしているという幸福な嘘を捏造して、猫を提供してくれた人たちに報告する。
「殺した猫の数だけ、架空の飼い主と、幸せに暮らしている猫の日常を作り続ける。それを何年も繰り返していると、自分の手で殺したはずの猫がまだどこかで幸せに生きているように錯覚してしまう。きっとそれは、私たちが猫殺しとして犯した罪を薄めてしまうのだと思う」
架空の人間と、もう生きていない猫の合成写真。彼らの筆跡を偽造した感謝の手紙。こういったものを先輩は自嘲を込めて「猫の天国」と呼んでいた。
「自分の手で猫を殺して、罪悪感から逃れたくて、こんなくだらない天国(もの)を作り出す。そうやって自己欺瞞を重ねている間に、私はいずれ猫を殺すことに何の抵抗も覚えなくなるだろう。そうならないように抵抗しているだけのつもりだよ」
猫殺しの仕事には慣れる。最初は違和感や倫理的な拒絶を覚えていても、猫を殺すことが日常になる。送られてきた猫の餌に睡眠薬を混ぜて、遺体を焼いて骨壺に納める。それが思考を介することなく自動で行えるようになる。頭で考えるよりも先に、身体が猫殺しを覚える。
「無自覚に猫を殺すのではなくて、私はしっかりとした自覚を持って猫を殺したい。それが私がこれまでに殺してきた猫や、これから殺すことになるだろう猫に対してできる、数少ない誠実な態度だと思うから」
それが先輩なりの職業意識だった。僕たちは普段、人から与えられた仕事として猫を殺している。自分の意志ではなく、日々の糧のために猫を殺していると自己弁護できる。だが先輩はそれを拒否する。自分の意志で猫を殺しているのだという自覚を手放そうとはしない。
猫殺しの仕事は人に誇れるものではなく、報われる性質の仕事ではない。どの自治体にも猫殺しの職場があるが、市民には厳重に情報が伏せられている。預けられた猫たちは適切に保護されて、幸せに暮らしているのだと皆は信じている。もしも真実を知ったら、彼らは私たちのやっている行為を非倫理的だと責めるに違いない。自らの手を汚さずに、何の対価も支払わずに。自分が善人でいることを確かめるために、明確な悪である猫殺したちを糾弾するはずだ。
その中でも先輩は、自身が猫殺しであるという自覚を忘れずに猫を殺す。それが彼女にとって果たすべき最低限のルールだったのだろう。倫理とは言わない。猫殺しにとって倫理や常識ほど遠い言葉はない。先輩は明確な自覚を持って猫を殺す。今までの僕が何となく猫を殺したり、人の頭部をバットで殴っていたのとは違う。何も考えていなかった自分自身を恥ずかしい。これからは先輩のように明確な殺意を胸に抱いて、人間の頭部をバットで殴りたいと思った。
「もしも猫殺しのことで何か文句を言ってくるような人たちがいたら、僕がバットで片っ端から頭をぶん殴っていきますよ」
バッティングセンター通いで以前よりも上手に頭蓋骨の中心をバットで捉えられるようになっているはずだ。
「それはただ単に君が、人の頭部をバットで殴りたいだけなのでは?」
僕は先輩の問いを否定しなかった。
「今度、猫の天国の作り方を教えるよ。近頃は業務も暇なときが多いし、私もいつまでも猫殺しの仕事をしていられるわけではないからね」
それから何週間かが経って、僕は猫の天国を作る方法を先輩から教わり始めた。僕は架空の人間のプロフィールを考える仕事に著しい適性を見せた。まるで実際に生きていた一人の人間を無から作り出すように、彼らの性格や趣味、特技、これまでの略歴や人生をありありと想像できた。
一方、架空の迷い猫ポスターを貼る先輩の奇行は、直に正式な業務の一環になるだろう。提案したのは僕だが、先輩はあくまで個人的な行為に終えたかったようだ。それでも「猫殺しの罪悪感を少しでも社会に還元したい」という旨の資料を作って部長に相談すると、「それも一理あるな」と頷いた。
「猫の餌に睡眠薬を混ぜて死なせる手法も元々は現場の要望から上がってきたものだ。正式な業務手順になる前からそういう風に殺している猫殺しがいた。架空の迷い猫ポスターもそれと同じだよ。猫殺しの業務が少しでもいいものになるように、アイデアを出してくれるのは歓迎している」
資料に目を通しながら部長が言った。
僕たちはこれからも誰かの代わりに猫に手を掛ける。何十匹、何百匹、何千匹もの何の罪も無い猫たちの生命を奪って、良心の呵責から逃れるために猫の天国を捏造する。でも僕たちが猫を殺さなければ、もっと苦しみに満ちた方法で命を失うに違いない。
だから僕たちは明日も、明後日も猫を殺し続ける。それが猫殺しの仕事だ。
・月歯町奇譚 魔法少女の日々
昔から私には「見る目」がある。他の人たちには見えない存在を見ることができる者は呪い師(まじないし)になるのが、私が生まれた地方での習わしだ。
私に見えたのは「黒くて、ぐにゃぐにゃした、不定形のもの」だ。言葉に表すのは難しい。透き通った薄い影、あるいはもや、形をもたない塵のような何かだった。埃のようにそれらはこの世界に積もっていく。ほとんどは無害だったが、時折、小さな昆虫のように命を持って動き始めることがある。私はそれを「影埃(かげぼこり)」と密かに呼んでいた。影埃は人の頭に吸い込まれるように入っていくと、悪い変化が起きる。一見すると目には現れにくいけれども、性格や考え方、人柄が変わってしまう。
私以外の人たちにも影埃が見えるのだと思っていたが、実際には違っていた。両親に私が見えているものの話をすると、何かを考え込みながら父と母は目を合わせた。「どうやらこの子は〝見る目〟があるのかも知れない」と父が言った。母は「でも空想ということもあるでしょう? 今度、呪い師のところに連れて行って、意見を聞いてこようかと思います」と言った。
次の土曜日の午後。母に連れて行かれたのは、近所に住んでいる呪い師の老婆の家だった。どこの街にも一人や二人、呪(まじな)いに通じている老婆が住んでいるものだ。無くし物探しの呪いや、死者の霊の口寄せ、魔除けの呪い、時には呪詛返しなどを請け負っている。
日当たりの悪い庭には影を好む植物やハーブが植えられている。老婆の家に入ると真夏の午後のはずなのに、身体がわずかに冷えたように感じた。扉の向こうには一人の老婆が待っていた。私を見定めるような眼差しを向けている。老婆の第一印象は私が今見ている魔法少女アニメに出てくる悪い魔女に似ていたので、母の後ろに姿を隠した。
「そんなに怖がる必要は無い。取って食べるわけじゃないからね」
私は呪い師の老婆に「影埃」のことを喋った。自分が見えているものについて言葉にできる範囲で喋る。時には上手く言葉にならないところもあったが、老婆は真剣な表情で話を聞いていた。私の喋っていることが真実か、作り話かを判断しているようだった。
「この子には〝見る目〟があるようだね。まだ見え始めたばかりのようだけれども、ちゃんと他の人には見えないものが見えている。この子には呪い師の才能がある。というよりも呪い師にならなければならない」
呪い師になる。その言葉を聞いたときに最初に思ったのは「嫌だ」ということだった。言葉の響きが古くさいし、私は今見ているアニメに出てくる魔法少女になりたかったからだ。母親は私の意見など気にせずに「では、お願いします」と言って、話を進めていた。
それから週に二、三回ほど老婆の家でまじないを教えてもらうようになった。「最初の訓練は〝見る目〟を鍛えることだ」と言って、瓶に詰まった影埃を凝視する練習が始まった。何時間も瓶の中の影埃を見続けるのは苦痛だったので、私は呪い師の訓練を嫌がるようになった。他の子はピアノやスイミングスクールや剣道、塾などの習い事をしていたが、私が習っているのは呪いだ。友達に自慢できるようなものではない。
呪い師の老婆は私が訓練に身が入っていないことに気がついていて、「見る訓練はこのぐらいで止めよう」と言った。「家に帰ってもいい?」と尋ねたが、老婆は「その前に君が好きだという魔法少女について教えて欲しい。私が呪いを君に教えるだけではなくて、君も魔法少女というものについて私に教えるんだ」と言った。それなら訓練をしなくてもいい口実にもなるし、魔法少女アニメを観られる。老婆の家にはテレビは無かったので、私の家で録画した魔法少女アニメを鑑賞することになった。
呪い師の老婆が家を訪れて、リビングの大画面テレビで魔法少女アニメを観ているのは、両親にとって奇異な光景だったろう。本来なら私が老婆の元で訓練をしている時間帯だ。「この子は弟子などではなくて、小さいけれども同じ立場の呪い師だと考えています。それが私たちにとってなじみ深い考えです。一方的に教え導くのでは無くて、彼女からも学ぶことがある。私は先代の呪い師からそう教わりました」と老婆は言った。
今やっている子供向けの魔法少女アニメ『ハートフィリング・フラワー』だ。誰しもが心に隙間を抱えている。そこに忍び込んで人々を怪物化させる魔人「スキマジン」と戦う魔法少女の物語だ。彼女たちは力でスキマジンを倒すのでは無くて、「心を満たす(ハートフィリング)」魔法でスキマジンを人の心から追い出す。
老婆は女児向け魔法少女アニメを観て、「〝心を満たす呪(まじな)い〟は、私が知っている中でも難しく、力のある呪いだね。最初はただの子供騙しだと軽く観ていたが、作っている人間は呪いがなんであるのかを理解している。ちゃんと〝見る目がある〟側だ」と言った。
それから老婆と私は魔法少女アニメを一緒に観るようになった。最新話まで追いついたあとは一週間に一度、老婆を家に招く。心の隙間に入り込む力を持った悪い魔法使いである「スキマジョ」が出てきたときには、老婆は「君が最初、私を観て怯える理由が分かったよ。確かにこの魔女は私によく似ている」と言った。
近頃は呪い師の訓練をほとんどしていなかったが、老婆は「呪いは教えられるものじゃないし、無理に習っても結局は身につかない。それにお前はこのアニメの魔法少女みたいになりたいんだろう? 自分が何になりたいのかを分かっているのなら、私に教えられることはほとんどない。道を踏み外しそうになったときに元の場所に引っ張り戻すだけのことさ」と言った。
「私たちがしているのも、あの魔法少女たちがやっていることと大差は無い。影埃というのは人間の悪い感情から生み出された悪霊だ。まだ埃のあいだは大きな力を持たないが、あれが意志を持って虫や動物の形を取って人間に取り憑いたら大変なことになる。しばしば人が変わってしまったような事件が起きるが、そのほとんどは影埃の仕業によるものだ」
呪い師の老婆が言った。魔法少女アニメが終わった後に父がニュース番組にチャンネルを変える。ナイフを持った男が電車の中で無差別殺人を行ったという速報が流れてきて、現場が生中継されている。
「もしかしたらこの犯人も、影埃に憑かれていたのかも知れないね。都会の呪い師は少ないから手が回らないから、よくああいう事件が起きる。そうならないように〝見る目〟を持った呪い師が、影埃から人々を守る。そういう意味で言えば、君が憧れている魔法少女と同じことをやっていると言ってもいい。魔法少女たちがスキマジンと戦っているように、私たちは影埃が人に取り憑かないようにしている。私はもう少女なんて思える年齢では無いけれどもね」と最後に老婆が説明した。
週に二、三回ぐらい老婆の家に行くようになった。最初に訪れたときに比べて、私は老婆と打ち解けて喋れるようになった。老婆は私に話を合わせられるように女児向けの雑誌を買って、熱心に付箋を貼っていた。
呪いについて教えるときにも、古くさくて小難しい言葉を使うのでは無くて、私にもわかりやすく言い換えるようになった。「影埃は人間の魂の隙間に入り込む。孤独、悩み、欲望、そういったものを影埃たちは好む。昔から悪霊は人の弱さに引き寄せられる性質を持っている。そうだね、ハートフィリング・フラワーでスキマジンの餌食になるのは悩みを抱えている人たちだろう? それがどんなに小さく思える事柄でも、本人にとっては重要な問題だ。スキマジンに憑かれた人を助けるのも一つの方法だが、そもそもスキマジンが入り込む前に隙間自体を埋めてしまうのが呪い師としては望ましい。私は毎回、あんな化け物みたいなのと戦いたくは無いしね」
魔法少女たちは怪物化したスキマジンと戦うことが多いが、その度に痛い思いをする。私も魔法少女には憧れているが痛いのは苦手だ。戦いを避けたいという意見は老婆と一致した。
「戦うのは呪い師にとっては最後の手段だ。自分も相手もそれなりに傷つく。願わくばそうならないように事を進められるように成熟するのが一番だが、そうは言っていられないときもある。もしも君が〝人の形をした影埃〟を見かけたら、そのときには何も見えていないふりをしないといけない。そしてなるべく早く私に知らせるんだ。
人の形をした影埃は虫や動物とは異なる。暗い欲望から生まれた正真正銘の悪霊だから、私でも一人で対処できる自信が無い」
「そういうときはどうやって影埃に対処するの?」
「魔法少女はひとりで戦っている訳では無いだろう? この街だけでは無くて隣町にも、どの世界にも呪い師はいる。彼女たちと連絡を取って複数で対処するだけだよ。もっとも、そんな厄介な悪霊はここ数年の間、この付近では現れなくなったからね」
人の形をした影埃が生まれる前に対策をすれば、影埃は影響力が小さなままで分解される。それを怠っていた場合に、複数の小さな影埃が寄り集まって人の形や、より大きな獣の形になるのだと呪い師の老婆は説明した。
ハートフィリング・フラワーが終わったあとに新しい魔法少女アニメが始まった。今回は「願い」がテーマになっている〝ティンクル☆ウィッシュスター〟だった。流星群の日に人々の願いを叶える魔法の星「ウィッシュスター」の欠片が街に降り注いだ。それから人々の願いが叶ってしまうようになった。主人公の魔法少女はウィッシュスターの力を借りて変身し、降り注いだ願いを叶える星の欠片を取り戻していくという筋書きだ。
「呪い師は人の依頼を聞くけれども、彼らの願いを全て叶えればいいというわけではない」
〝ティンクル☆ウィッシュスター〟でも叶えられる願いは決して美しいものだけではない。抑圧していた欲望、叶ったことで逆に不幸になってしまう願い、自分の幸福のために誰かを犠牲にしなければならない時もある。それは女児向けアニメの中の虚構ではなくて、実際の呪いも同じだった。
「呪いに通じれば人の願いを叶えたり、欲望を満たすことができるようになる。自分の力を過信した呪い師は、人の役に立つために力を振るって、反対に相手を不幸にしてしまうことがあるものだ。このことは君がもっと年齢を重ねてから教えるべき事柄だったのだが、いま言ってしまってもいいだろう。君はすでにそれを知識としてでは無くて、感覚として知っているからね」
老婆は私に呪(まじな)いを教えることは無かった。少なくとも、直接な言葉で説明しても、それは知識にしかならないと思っていたのだろう。その代わりに老婆は魔法少女アニメの中に秘められた呪いを私に教えてくれた。
「これらは皆、幼い子供の魂を守る揺りかごの呪いが使われている。これを観ている小さな子どもたちの魂はまだ脆弱で、世の邪悪さには耐えられない。でもそれらの影響をやらわげるために必要な呪いが揃っている。
小さな子供のためのおもちゃ、物語、それらは皆、呪いの性質を兼ね備えている。鬼ごっこやかくれんぼ、だるまさんが転んだも、元々は呪い師が邪悪なものから逃れ、身を隠すための訓練として生まれたものが、子供の遊びとして広まったものだ」
この世界は呪いに満ちていると老婆は言った。善い呪いも悪い呪いも、すべては誰か他の人間の禍福を願って生み出される。そういう性質を持っている。
老婆は呪い師として影埃を見つけて捕まえている。だが呪い師の仕事は地味だ。わかりやすく人の役に立ったり、世界を救ったりはしない。魔法少女たちだって正体を知られないように戦っていることが多い。「呪い師と魔法少女の間にひとつだけ大きな違いがあるとすれば、魔法少女は家が焼けてから火を消しているね。虚構だから許容範囲ではあるが、呪い師は家が焼ける前に火の元自体を消してしまう」と老婆は言った。
呪い師の考え方を教わるだけではなくて、街で見かけた影埃を捕まえるようにもなった。最初は小さな虫のような影埃を瓶に詰めるだけだった。人の世界から隔離することで影埃たちはゆっくりとではあるが消滅していく。先週は野良犬のような大きさの影埃がいた。これほど大きくなるのは珍しく、熟練の呪い師でも気を抜くと魂に怪我を負うのだと老婆は言った。幸運だったのはこの影埃の犬は老衰しきっていて、人を襲う力や意欲がほとんど残っていなかったことだ。
「ちょうど、かくれんぼをするときに鬼に見つからないように引きを潜めるみたいに気配を消して」
囁く声で老婆が言った。人の気配があると犬の影埃が警戒するかも知れない。私はいつも遊んでいるときと同じように見つからないように木の陰に隠れた。呪い師の老婆は口から何かを喋った。普段私たちが使っている言葉では無いが子守唄ように聞こえた。犬の影埃は子守唄を聴いて警戒心を緩めたようで、その場にうずくまった。老婆が近くによって自分のペットのように撫でると、眠そうな声で鳴いて呪い師に懐いた。
「もう怖がる必要は無いんだよ」と老婆が呟くと、影埃は犬の形を失って私が知っているような小さな影埃になった。
これが私がこれまでに見た中で一番大きな影埃だった。
進学した際に私は生まれ育った街を離れた。老婆は「君がいなくなると忙しくなるね」と言った。影埃の数は田舎なのでそこまで多くは無いが、老体には堪えるだろう。「心配する必要はないよ。どんな時代や地域にも君みたいな見る目のある子供が現れる。私は新しい後進を探すまでだ」と言って私を送り出してくれた。
新しく住み始めた街にも呪い師がいた。三十歳ほどの女性だった。
この街の呪い師は小さな玩具屋(ホビーショップ)を営んでいた。子供が遊ぶ道具からトレーディングカードゲームのパック、プレミアの付いた中古の玩具、駄菓子が売られている。玩具と呪具、子供の遊びと呪い師の技術は元々は同じ起源を持つと老婆から教わった。この街の呪い師は私たちが影埃と呼んでいるものを「引き摺り」と呼んでいた。心の弱った人間や子供をこの世界ではない場所に引き摺り込む。それらが子供に危害を加えないようにするためには駄菓子屋や玩具屋を営んで、見守っているのがいい。
何代も続いている老舗の玩具店で、古くからこの街の呪い師が店番をしているようだった。だが呪い師の数が少なくなり、一人では手が回らないようだったので私が手伝うことになった。地元で呪い師の手ほどきを受けていたことを呪い師に伝えると、「是非とも協力してくれると嬉しい」と頼み込まれた。それから時間のあるときには彼女の元で呪い師の仕事を手伝うようになった。
玩具店の呪い師は私にトレーディングカードのまじないを教えてくれた。トランプサイズのカードには奇妙な姿の怪物や彼らに対抗するための呪文が印刷されていた。遊び手は力のある呪い師になり、怪物を使役し、呪文を操るというゲームだった。
「これは子供の遊びにしか思えないだろうが、呪い師とカードは切っても切れない縁がある。タロットカードで運命を占ってきたものがトランプに変化して、今ではトレーディングカードゲームになった。私たちは遊びながら呪いを学ぶ。君が地元でまじないを教わったのなら、私の言っていることが理解できるはずだ」
カードゲームのことは私にはさっぱり分からなかったが、魔法少女アニメに隠された魔法と同じものに違いない。
「まず最初に君が学ぶのは、あり合わせのもので戦う手段だ。敵は私たちが完全な準備を整えるときを待ってくれるわけでは無い。不完全な手札でも戦うことを決断しなければならないからね」
そういって玩具屋の呪い師はカードゲームの手ほどきをしてくれた。3つのパックを開けてデッキを組む。中に入っているのは必ずしも強いカードではないが文句を言っている暇は無い。手持ちの道具を最大限に活用できる技術が呪い師には求められる。
呪いは正解がない。人の数だけ異なった呪いの形がある。それは私にとっては魔法少女アニメで、彼女にとってはカードゲームだった。
もちろん呪い師の仕事には報酬が無く、生活費を稼ぐために私は玩具屋で店番をするようになった。呪い師と勉学、仕事を両立するのはそれなりに大変だったが、この町の呪い師の助けもあってなんとかやっていけている。
この歳になると老婆の話を思い出す。
「君がなりたいものを目指しなさい。自分がどういう人間になりたいのかをしっかりと掴んで手放さずにいれば、道を誤ることはないさ」と、老婆はよく言っていた。
流石に思春期を迎えた頃には「魔法少女になりたい」とは口に出来なくなっていたので、私は自分のことを呪い師と呼ぶようになった。だが今も尚、心の中では魔法少女になりたいと思っているし、彼女たちの活躍を毎週見逃してはいない。
・月歯町奇譚・月歯町象足通り2-335-6 かじきハウス102号室
「月歯町象足通り2-335-6 かじきハウス102号室」というのが、この町に住んでいる魔法使いの名称だ。多くの人は住所だと勘違いするし、実際にアパートの一室に他ならない。
魔法使いとは個人の名称を指すのでは無い。力のある魔法使いがこの世界に存在しているのでは無くて、力のある場所にいる人間が魔法使いになる。ピッチャーマウントに立っている人間はピッチャーになり、バッターボックスにいる人間はバッターになる。彼らが野球選手としてどのような力量を持っているのかどうかは関係が無い。その場所に立っているだけで、相応しい役割を求められる。
それと同じ理由で、かじきハウス102号室の入居者は魔法使いになる。
どんなに力の弱い魔法使いでも、無人であるよりはマシだ。
先ほどの野球のたとえで言うと、私たちは世界の危機というチームと試合をし続けている。君はこれから野球選手としてバットを振らなければならない。
世界の危機は甲子園出場常連の強豪校みたいなもので、私たちは地区予選敗退の弱小校だ。常に敗北しているのだが、試合を投げ出すわけにはいかない。一点でも失点を抑え、一点でも多く点数をもぎ取ることが当面の役割だ。
そんなに気負わなくてもいい。満塁ホームランを打って逆転しなければならないわけではないし、君にそんなことは求めてはいない。極端な話、何もできずに三振してしまっても構わない。
「自分なんていない方がいい」だなんて思わないで欲しい。人数が揃っていなければ、野球というゲーム自体が成り立たなくなる。それと同じように、いまここに君がいなければこの世界というゲームそのものが止まってしまう危険性がある。
だからここを無人にしないためにも、かじきハウス102号室は極端に安い家賃で貸し出されている。
臆さなくてもいい。君一人だけにすべてを任せるわけでは無い。こちら側の野球チームにいるのは君だけでは無い。隣町にも、隣の県にも、世界中の至る所に私たちのような魔法使いが暮らしている。そういう意味では私たちは野球チームのようなものだ。
これから君はまだルールを知らない野球に参加するみたいにして、魔法使いの世界に足を踏み入れる。私も、他の魔法使いも、最初は今の君と同じように戸惑っていた。だが直に慣れて、不安も治まるだろう。
君はバッターボックスに立つ。背筋を伸ばして、バットを持つ。目をつぶってはいけない。相手の球に目をこらして、力一杯スイングするんだ。失敗するだろうが、いまはそれでいい。メンバーが揃わずに不戦勝しなければ、それで当面の目標はクリアしている。
くれぐれもデッドボールには気をつけて欲しい。
幸運を祈る。
・月歯町奇譚・完全善意おじさん
「きもいけれども性欲や下心はなく、ただ純粋な善意から人に優しくするおじさん」は月歯町の天然記念物です。生理的に気持ち悪いですが害はありません。かつてはこの世界に広く存在していた「完全善意おじさん」は、現在では幻獣の一種だと考えられています。理由のひとつに、外来種の「善意を装っているが、最終的には性交に持ち込みたいおじさん」によって、完全善意おじさんの住処が失われていったことがあげられます。また、完全善意おじさんは人を疑う事がないので、欲に塗れた人間の餌食になって生息数を減らしていきました。
月歯町の完全善意おじさん保護区では、数少なくなったおじさんが今もなお暮らしています。誰かの幸福を願って自己犠牲を厭わないのも、完全善意おじさんの特徴です。
彼らは月歯町の天然記念物や絶滅危惧種として保護されていますが、本当の意味で守られているのは私たちの方かも知れません。見返りを求めない完全な善意がこの世界には存在するのだと、完全善意おじさんは私たちに確信させてくれます。
・月歯町奇譚・遺失記憶とメニュミィル
月歯町駅前には遺失記憶回収を行っている少女メニュミィルがいる。驚くほど存在感が薄いというのが第一印象だ。目をこらさなければ、そこにいるのかどうかも確信が持てなくなる。短く切られた髪は、色素の薄い金色で、プラスチックの玩具と思わしき髪飾りを付けている。
彼女は毎朝、こぼれ落ちてしまった記憶を集め、それを成型して偽の記憶を作り出すことを生業としている。人間は日々、大量の記憶を忘却している。ほんのわずかの価値ある記憶だけが脳に留まり、それ以外の思い出は外側に排出される。普通の人間には記憶の排泄物は見えない。だが記憶回収業者である少女の目には、頭からこぼれ落ちた記憶がはっきりと映る。
失った記憶を拾う行為は、厳密に言えば遺失物横領である。しかし本人も失ったことに気がつかず、またそれがメミュミィル以外の誰にも目に見えないものだとすると、彼女が記憶の遺失物を横領したと証明することは極めて困難になる。「失われた記憶を回収している」と言われても、彼女はただ駅前を歩いているだけにしか見えない。
遺失記憶のほとんどは当たり前の幸福な日常である場合がほとんどだ。特別に幸せだった一日ではなくて、何度も繰り返される、記憶する価値がないぐらいの穏やかな日常。いつも食べている好物や、そこにいて当然の人と交わした、他愛もない会話。幸福であるが、記憶するほどの価値がないと脳が判断した記憶たちだ。
「記憶に残るのは、大切な1日だけなんです。それ以外のことは全て、遺失物として忘れられてしまう。だから私の元には〝何でもない、ありふれた1日の記憶〟が沢山集まってくるんです。でも本当に大切な時間は、記憶されないぐらいあふれていて、幸せなものだと私は思うのです」と、メミュミィルは言った。
遺失記憶はドロップに似ているという。多彩な色でほのかに煌めいていて、氷が溶けるようにゆっくりと消え失せてしまう。その前に遺失記憶を回収して、専用の容器に入れる。彼女の場合は、遺失記憶をドロップのようなものだと認識しているので、空のドロップ缶に入れることにしていた。
回収を終えた後には、遺失記憶の加工を行う。まずはじめにするべきことは、記憶から特定の個人情報を抹消することだ。遺失記憶にはそれを捨てた本人の人格や、プライバシーの侵害となる情報が含まれているため、それらをすべて入念に取り除かなければならない。
加工記憶を販売するのは、過去を持たない人々だ。自分自身の過去や、己が何者なのかを捨て去ってしまった人々が、月歯町には少なからず存在する。国籍や戸籍を捨ててどこか別の場所に逃亡するのと同じように、自分自身のすべてを捨て去って誰でもない人間になろうとした人々だ。彼らは「誰でもない難民」と呼ばれることが多い。自分自身であることに耐えられなくなり、生まれた場所も、これまでの記憶も、自分が何者なのかを特定するための名前をも捨て去って、月歯町に亡命してきた。
この街にたどり着いたときに、彼らは空っぽだった。何の記憶も無い、無から湧き上がってきた蜃気楼のようにおぼろげな存在に他ならない。自分が誰なのかもわからなければ、どこに帰ればいいのかもわからない。過去がない人間には、向かうべき未来もない。「誰でもない難民」はその名の通り、自己を喪失しているからだ。記憶を何も持っていないからこそ、失われたものを埋め合わせるために加工記憶を必要とする。
メニュミィル自身も、自己のすべてを捨てて月歯町に亡命してきた「誰でもない難民」である。彼女には名前もなければ記憶、これまで生きてきた痕跡というものが何一つとして無い。無かったからこそ、それを自分自身の手で埋め合わせなければならなかった。
メニュミィルというのは、誰かが観た夢の中に出てきた人物の名前だった。夢の遺失記憶には、彼女によく似た少女が出てくる夢が残留していた。それがただの他人の空似だったのか、誰でもない難民になる前の彼女を知っている誰かの記憶だったのかは定かではない。しかし彼女はメニュミィルという名前の響きが気に入ったので、自らをそう呼称するようになった。
私が彼女と会う度に、これまで存在しなかった過去の思い出をメニュミィルは語ってくれた。小さな頃にプレゼントされた釣鐘草の話だったり、家族と一緒にステーキを食べに行ったが、肉がかみ切れなくてさいころ状に切ってもらった過去を話してくれた。それは遺失記憶をつなぎ合わせて作られた偽の記憶で、所々でエピソードが矛盾しているところがあったが、それを喋っている彼女は幸福そうだった。
私とメニュミィルはよく会食をしたり、喫茶店で紅茶を飲んで他愛のない話をしたりした。
天気のいい日に散歩をしているときに、メニュミィルは落とし物に気がついて後ろを振り返った。無くしたのは荷物ではなくて、私たち自身からこぼれ落ちた遺失記憶だった。彼女はそれをドロップ缶に入れて、溶けてしまわないように回収する。ありきたりな日常の記憶は加工されて販売されることなく、ドロップ缶に入ったままだ。
・月歯町奇譚・自殺待ち整理券
月歯町市役所から「自殺待ち整理券」が送付されてきた。免許証に似たプラスチック製のカードで、個人情報と一緒に「自殺・10万0374人待ち」と表記されていた。書かれている数字は数十秒ごとに一人ずつ減っていく。
発行されるのは「自死リスク濃厚者」に認定された住人だ。市独自の基準でそのうち自殺する可能性が高い人間が決定され、自殺待ち整理券が送付される。
自殺者には順番がある。人は自分の意志で自死するのではない。限界を迎えた人間から先に死んでいく。私にはまだその順番が訪れていないから死んでいないだけで、何年後かには自殺している側の人間だ。いつも私はそういう風に自分の死を理解している。
私がまだ自殺せずに生きていられるのは、他の人間が代わりに命を絶っているからだ。私が死ぬことはすでに決まっていて、その瞬間が訪れるのが早いのか遅いのかの違いしかない。自殺するまでの猶予を稼ぐことはできるだろう。でもそれは10万人待ちが11万人待ちに変わる程度の抵抗だ。最後には私は必ず、自死を選ぶだろう。
自殺待ち整理券に書かれている番号は日によって変動する。千人単位で減ることもあれば、急に増えることもある。私は生まれつき几帳面な人間だったのでパソコンの表計算ソフトを使って、自殺順番待ちのチャートを作った。
数字の増減から、自分の残り寿命が約何年なのかを割り出すプログラムも組んだ。現時点では4、5年といったところだろうか。
平均株価のチャートのように自殺の順番待ちにもトレンドがあるようだった。季節による変動や、ゆっくりと数が増えていく上昇トレンドに転じるときがある。筋トレを日課にし始めてから、整理券に書かれている数字は上昇トレンドになり始めた。反対に精神的に不安定なときには数が急落するので、どうにかして歯止めを掛けなければならなくなる。油断は禁物だ。
自殺待ち整理券を送られてきた人間の多くは、自分がいつか自殺する人間だという事実に耐えられずに、命を縮めるような行いをする者も少なくない。残りは自殺する運命を受け入れて、抗う事無く流されて生きる人間。死を恐れて生き残ろうと努力する人間に別れる。
私は運命を受け入れる側に属していたのだが、「どのようなメカニズムで自殺までの待ち人数が増減するのか?」に興味を持ってしまった。自殺待ち整理券が送られてくるのは、緩慢な死刑宣告に等しい。自分がいつ死ぬのかを漠然とでも理解するのはストレスになる。だが自分にとって自殺待ち整理券は、寿命を延ばすためのチェックツールになり始めていた。どの行動が寿命を延ばすのか、あるいは縮めるのか。増減する数値から分析する。
自殺待ち整理券はあくまでも目安だ。不慮の事故に巻き込まれて死ぬことは考慮されていない。何万人も猶予があるのだから今日死ぬことはあるまいと思っていた人間が、交通事故であっさり命を落とすこともある。
自死に限らず、人間はいつか必ず死ぬ。私自身もそこまで熱心に生きていたいわけではないし、ただ漫然と整理券の待ち人数を増やすことが日課になっているだけだった。それ以外は以前と同じように何となく生きている。
いつか自殺するかも知れない。努力して生き延びたいなんて思っていないし、別に明日、急に自殺しても構わないと思っている。そのぐらいに自分の命に対する執着がない。私は自殺する側の人間だと常々から思っていたので、「ようやく順番が来た」ぐらいにしか受け止められないだろう。
数を増やすのは私の性分だ。数ヶ月か数年分だけ、死ぬまでの待ち人数が増えるだけだと知っているが、自殺するまでやめられない。
・月歯町奇譚・二束三文質屋
月歯町にはどうやって利益を出しているのか理解できない店がいくつもある。私が二束三文質屋と呼んでいる店もそのひとつだ。
二束三文質屋は質草と引き換えに金銭を貸してくれる店だが、私たちが知っている質屋とは多少趣が異なる。あなたが高価な黄金や宝石を持っていったとしても、二束三文質屋の店主ははした金しか貸してくれないだろう。
ではどのような質草を用意すれば、二束三文質屋の店主は気前のよく金銭を貸してくれるのか? その答えは簡単だ。「あなたにとって命と同じか、それ以上に価値のあるもの」を質に入れることだ。たとえそれが他の人間にとって二束三文の価値しか無かったとしても、それを手放すことがあなたにとって耐え難い苦痛であるのならば、質草としての価値は高くなる。
ただひとつ残った親族の形見や、忘れられない思い出を想起させるアクセサリ、市場価値が無いにも関わらず、強い思いの込められた道具に二束三文質屋の店主は価値を見出す。彼の商売道具である「価値の秤」に質草となる商品を乗せて、反対側に貨幣を置いていく。釣り合いのとれた金額を手渡すという単純な方法によって、質草の価値が算定される。
このような奇妙な商売が成り立っているのには理由がある。月歯町には人間の感情を食べることでしか生きられない人々が住んでいるからだ。「感情喰らい」と呼ばれる彼らは、道具に込められた感情の強さや、かつて起きた出来事を自分自身が体験したかのように味わえる。普段は人の会話や文章、物語などから摂取できる感情を摂取しているため、二束三文質屋がいなくても餓死することは無い。しかし人間が贅沢な食事を時折するように、彼らもかけがえのない記憶や感情を食べたいと思っている。
店主は感情喰らいたちを得意客として、二束三文の質草から利益を得ている。店主自身も感情喰らいの一人であり、人の感情が好物だ。その中でとりわけ気に入っているのは「わずかな金銭のために貴重なものを手放さなければならない時の屈辱に歪んだ感情」であるという。
・月歯町奇譚・同質町移住案内
人間には同質の集団で固まりたいという欲求がある。それ故にすべての人間には「同質な集団の中で異質なものを恐れること無く過ごす権利」が基本的人権として認められることとなった。差別が起きるのは、私たちが異質なものを排除しようとするからで、この行為自体は何ら咎められるものでは無い。問題は多様性を受け容れられる人間と、異質なものに対して激しい拒否反応が出る人間がいることだ。
差別を許容するべきだと言っているわけではない。人は生まれつき「異質なものを排除して、同質な人間に囲まれて暮らしたい」という本能を持っている。それを権利として認めたものが同質権であり、同質町はその理念に基づいて建設された。ここでは同質の人間同士が、互いを脅かすこと無く生活できる環境が整っている。
同質町では同じ性質を持った人間に囲まれて、同じ思想、同じ価値観を共有することによって、異質なものを受け容れずに生活することが可能になる。
同じ国籍の人間だけが暮らす区域、同じ政治信念や宗教を信じるもの、同じ人種、同じ言語話者。このように様々な同質性によって町は分割されていて、私たちは自分が望んだ区域で自由に暮らしていくことができる。
残念なことに同質町でも異質な要素は無くならないが、差別は存在しない。同質町で守らなければならない掟はただ一つだ。「他者を排除するのでは無くて、自分自身を他者から排除すること」である。
差別感情が生み出されるのは、異質なものが目に触れるせいだ。そのときに差別対象を排除するのではなく、同質町の中にもうひとつ「同質者のための生活区域」を作り出す。そうすることで私たちは差別感情を持ったままで共存している。
異質なものと触れ合う機会が無ければ、差別や軋轢は原理上起こりえないからだ。
同質町の基本理念と方針は、最初は上手く機能していた。だがそれも一時のことだった。同質な人間が顔を合わせているあいだに、彼らは互いの異質な面を無視できなくなった。たとえ国籍や人種、思想が同じだったとしても、ささやかな違いが気になり始める。
自分と完全に同質な人間はいない。以前は同じだと思っていた人間も、時間が経てば異質な他者に変わり果ててしまう。他者を排除していった先に残ったのは、無数の人間がたった独りで暮らしている独房のような町だ。
住人は孤独から逃れようとして、自分と同質である誰かと繋がろうとするのだけれども、その試みは常に失敗に終わっている。
・月歯町奇譚・ローカルヒーロー・幸せなやつは絶対殺すマン!
幸せなやつは絶対殺すマンは月歯町のご当地ヒーローである。彼は幸せな人間を殺すために生まれた正義のヒーローだ。
恵まれない境遇にいるときには、当たり前の幸せに傷つけられる。普通の人間が、普通に生きている中で手に入れられる、ごく普通の幸福。努力によって円満な家庭を築き上げていたり、他者から承認され、ささやかな幸福を得ている。
しかし不幸な人間は、当たり前の幸福によって傷つけられる。Facebookで同級生がバーベキューをしている集合写真を投稿していたり、美味しいもの食べていたりするのを、外側から眺めているだけでも、自分には手が届かない幸福を見せつけられているようで胸が痛くなる。
当たり前の幸福がもたらす暴力から弱者を守る正義のヒーロー。それが幸せなやつは絶対殺すマンだ。
もちろん逆恨みだってことは百も承知だ。他人の不幸を呪っても何にもならない。わかっているのだが、幸せなやつを呪うことしかできない日もある。今日も、同胞である幸せなやつは絶対殺すマン二号とともに、ささやかな幸福を得ている人間と戦い続けるのだ。
一号と二号は親友でありながらも、互いを見下していた。自分と同じか、それ以上に不幸な人間がいるということが嬉しくて仕方が無かった。自分よりも不幸で惨めな人間がいて初めて、他者に優しくできる。二人の中が良かったのは、心の底では「こいつに比べたら自分の方がマシだ」と思っていたからだ。
幸せなやつは絶対殺すマン二号は非モテ戦士を名乗り、自分を愛さない女性全般に激しい憎悪を向けていた。だが突然、幸せなやつは絶対殺すマン二号はブログに「大切なご報告」というタイトルの記事を投稿した。マッチングアプリで出逢った女性と婚約したと発表したのだが、一号は「なんでおまえは声優きどりなんや……」と思っていた。
自分たちはずっと不幸なままの同胞でいられるのだと、一号は漠然と信じていた。しかし二号は実際には幸福な世界で生きられる人間だった。幸せなやつは絶対殺すマンでいる資格は無い。
この世界にはどうやっても、幸せになれない人間が生まれる。一号もそうだったし、先代の幸せなやつは絶対殺すマンも、先々代も、みんな不幸なままで死んでいった。他者の不幸を呪っている人々のために幸せなやつは絶対殺すマンは戦い続けたが、彼が守った人々もいつかは幸福になる。それでいいのだと、幸せなやつは絶対殺すマンは思う。不幸に自分の居場所を見つけてしまったら、人は幸福になれない。
夕暮れの街並みには静かに明かりが灯り始める。その一つ一つの明かりの下に人間が住んでいて、幸福な暮らしをしているのだと思うと、幸せなやつは絶対殺すマンはやりきれない気持ちになる。それと同時に、あの明かりの中にも鬱屈して、他者の幸福を呪う自分のような人間がいるはずだ。彼らのために戦わなければならない。そう思った幸せなやつは絶対殺すマンはマスクを被った。
ヒーローが顔を隠すのは正体を明かさないためだけではない。
留まる事なく流れる涙を誰にも見せないためだ。
・月歯町奇譚・月歯町ローカルアイドル・不幸ちゃん
月歯町のローカルアイドルである不幸ちゃんは、その名の通りいつも不幸だ。
人見知りで、目が濁っている。握手会をするときにはファンの手を触れなければいけないことを恐れているが、金とファンサービスのためにだけ無理矢理に恐怖心を押さえつけて、引きつった笑いを浮かべてくれる。
僕たちは不幸ちゃんのファンで、彼女がいつまでも不幸に留まり続けてくれることに対して安堵感を抱いている。これまで僕たちはこの世界で自分が一番不幸な人間だと信じていた。この世界には自分以上に不幸で、恵まれていない人間などいるはずがないと思っていた。だが、僕たちは不幸ちゃんと出逢うことよって、心の底から初めて、他者を哀れむという感情がわき上がってきた。
僕たちは始めて、他者に対して優しくできると知った。自分よりも不幸な人間がいて、僕たちにも善性が備わっているという実感を得た。
アイドルの仕事はファンに元気を分け与えることだ。不幸ちゃんは僕よりも不幸だから、それに比べたら今の僕が陥っている現状など、不幸と呼ぶにはおこがましい。そう思うと、自然と活力と勇気が湧き上がってくる。不幸ちゃんが不幸であり続ける限り、僕たちの幸福は永久に続く。他のアイドルのように恋人ができたり、入籍して脱退するという幸せは、僕たちを裏切り、傷つける。不幸ちゃんには決してそんなことは起こりえないから、安心して不幸ちゃんを愛でることができる。
不幸ちゃんが生け贄であることを僕たちは知っている。元々、月歯町には処女を生け贄として捧げる古い儀式があったと聞く。その非近代的で野蛮な風習は数十年前に廃れたのだが、ローカルアイドルという形で蘇った。アイドルという仕組み自体が、若い少女の犠牲と苦労の上に成り立っているが故に、人身御供に近い構造を持っているのかも知れない。要するに不幸ちゃんは月歯町のローカルアイドルであると同時に、他者の幸福のために捧げられる生け贄なのである。
誰かがこのシステムを覆して、不幸ちゃんを生け贄から解き放つ。そのことで不幸ちゃんが幸せになってしまったら、僕たちは不幸せな境遇をそのまま受け止めなければならなくなってしまう。僕たちが醜い人間であることは承知している。不幸ちゃんが不幸で居続けることだけが、自分たちの幸福感を約束してくれる。
「それは百も承知だけれども、不幸ちゃんには幸せになって欲しいよね」
不幸ちゃんファンクラブのミーティングで、僕は会員たちに打ち明けた。
「だからって不幸ちゃんが幸福になったら、彼女はもう誰にも見向きもされない。幸せなアイドルなんてこの世界には掃いて捨てるほどいる。逆説的ではあるが、不幸ちゃんは不幸であり続けることで、アイドルとしてこの世界に留まっていられるんだ。だから不幸ちゃんは不幸でないといけない」
会員ナンバー03番が唾を飛ばしながら早口で語った。彼の言っていることは正しい。月歯町の皆は不幸ちゃんが不幸で有り続けることを望んでいるし、彼女自身もその境遇を受け入れている。僕たちは不幸ちゃんに支えられているし、不幸ちゃんもファンである僕たちに支えられている。それは歪んだ共生関係だったが、そうする以外にはさえた手段が思いつかなかった。
「そんなに幸せなアイドルが見たいのなら、隣町の幸福ちゃんファンにでもなればいい。私たちは幸せになりたいやつの邪魔はしない」
ファンクラブ会長が釘を刺した。
幸福ちゃんは隣町のローカルアイドルだ。愛想もよく、努力家で、出会った人みんなにポジティブな幸福のエネルギーを分け与える正統派のローカルアイドルである。いちど幸福ちゃんのライブに行ったことがあるのだが、正直言ってしんどかった。頑張っていて、才能があって、運命にもほほえまれているような人間が輝いている。あまりにも眩しすぎて、その光の前では自分が不幸であるという実感が色濃くなる。彼女の前では、僕は何も持っていないのも同然だ。
だが僕のように不幸ちゃんのファンで居続けられる人間は少数派だ。最初は不幸ちゃんに慰められていた人間も、他者の不幸に居場所を見いだす自分たちの姿がいたたまれなくなり、不幸ちゃんのファンではいられなくなる。そして幸せで輝いているアイドルを応援するために旅立っていく。
いままでもそうやって、不幸ちゃんファンクラブは多くの会員を失ってきた。特にとなりの人角町の幸福ちゃんには多くのファンを奪い取られている。
しかし、数奇なことに不幸ちゃんファンクラブの会長は、第十四代目の幸福ちゃんである。すっぴんではあるが、顔の形は紛れもなく第十四代目の幸福ちゃんだ。だが幸福オーラは微塵も感じられない。目の下にはクマができていて、眉間にはしわが寄っている。肌は荒れていて、かつて彼女がアイドルだったとは誰も思わない。
不幸ちゃんと幸福ちゃんはご当地アイドルとしてしのぎを削っている競合相手のはずだが、どうしてこうなったのかを順を追って説明していこう。
幸福ちゃんはファンに感動や元気を分け与える。だがそれは彼女自身の魂を削って生み出されたものである。彼女は人を幸福にするが、彼女に幸福を分け与える人間は誰もいない。皆に元気を分け与える度に幸福ちゃんは徐々に衰弱していき、誰も幸福にできなくなったあとはアイドルを引退させられ、どこかへと消える。それが幸福ちゃんたちのたどる運命だったと言える。月歯町の不幸ちゃんと同じように、ローカルアイドルの起源は神に捧げられる人身御供なのである。
幸せと元気を与えきった幸せちゃんは、最後には役に立たなくなって消え去る。先代の幸福ちゃんがその真実を知ったのは、元々持っていた幸福をファンに分け与えてしまった後だった。人を幸福にできないアイドルに見向きするファンは誰もいなくなった。ゴミのように捨てられ、省みられることもなく、第十四代目の幸福ちゃんは無期限活動停止になった。
すべてを失った元・幸福ちゃんは失意の中で不幸ちゃんと出会った。不幸ちゃんのライブを観て、まだ自分の境遇の方がましだと思い込んでいるときだった。そのときに初めて幸福ちゃんは、歪んだ形ではあったもののアイドルから元気や勇気を貰った。それから元・幸福ちゃんは正体を悟られないようにして不幸ちゃんファンクラブの会員として活動し始めた。彼女の正体が判明することもあったが、熱心な活動によって僕たちの信頼を勝ち取り、満場一致でファンクラブの会長の座に上り詰めた。
アイドルだったという共通点から、誰よりも重い感情を不幸ちゃんに対して抱いていて、朝が明けるまで「いかに自分が不幸ちゃんによって人生を救われたか?」を話し続ける。厳密に言えば救われてはいないのだが、彼女が自殺せずにこの世界にしがみついていられるのは紛れもなく不幸ちゃんのおかげだ。
「そんなに不幸ちゃんが好きなら、二人でユニットを組んだらよくない?」
僕は思いつきを口にする。不幸ちゃんと幸福ちゃんのユニットはぴったりだと思った。全国人身御供ローカルアイドルも、数が増えすぎて戦国時代に投入している。今後も不幸ちゃんの活動を続けていくためにも、早急なてこ入れは不可避だった。
「私にはその資格はない。本当のところ、私は優越感のためだけに心の底で不幸ちゃんの不幸を喜んでいる。そんな醜い人間が不幸ちゃんのパートナーとして、隣に並べる資格があると思う?」
「醜くてどうしようもない、自分のことしか考えていないような人間のくずだからこそ、不幸ちゃんの隣に立てるんだよ」
「私には不幸ちゃんを幸福にはできない」
「そんなことははじめからする必要はないよ」
僕は最低の提案をしている。不幸ちゃんと元・幸福ちゃんがユニットになったからといって、彼女たちが幸福になるわけでも、不幸が和らぐわけでもない。彼女たちは罵り合い、傷つけ合って、これまで以上に不幸になるだろう。幸福になるために一緒になるのでは無い。二人で手を繋いで深い不幸の淵に沈んでいく。そのためのユニットだ。
不幸ちゃんと元・幸福ちゃんが新生ユニットを結成してから、僕はファンクラブの新しい会長になった。相変わらず、ここには他人の不幸を喜ぶ人間の屑が集まってくる。
全日本人身御供ローカルアイドルのトーナメントが始まった。その名の通り、全日本から集められた人身御供ローカルアイドルたちが競い合ってナンバーワンを決める。新型コロナウイルスの蔓延と史上最悪の経済危機、地球温暖化などの諸問題を解決するために日本社会は生け贄となるアイドルを求めた。その時代の流れに呼応して人身御供ローカルアイドルブームが訪れたのだ。
次の対戦相手は三眼町の四肢欠損ローカルアイドル・だるまちゃんだ。身体障害者がアイドルに挑戦するというストーリーによって人気を博しているが、所詮は人身御供ローカルアイドルだ。彼女は健常者が気持ち良く涙を流すための感動ポルノとして消費されているに過ぎない。
不幸ちゃんと元・幸福ちゃんが姿を見せて、ステージに立つ。みすぼらしい服を来た彼女たちがつたないトークを始めると、観客たちからは失笑が漏れる。憧れの対象では無くて、人から見下されるために存在しているのが人身御供ローカルアイドルの役割だ。好奇心の目に晒されて、蔑まれ、屈辱の時間が始まる。不幸ちゃんの震えた手を、元・幸福ちゃんが握る。
二人が作り上げた新曲のイントロが鳴り始める。曲を依頼していた作曲家には前日に逃げられた。この会場にたどり着く前にも、乗っていた夜行バスは運転手の過重労働に起因する居眠り運転で、ダムに突っ込んだ。不幸ちゃんはついうっかり親戚の連帯保証人になったせいで借金が600万円ほど増えた。元・幸福ちゃんはさきほど通り魔にナイフで腹を刺されていて、ここに立っているのも精一杯だ。これはそんな過酷な状況の中で生み出されたものである。
「地獄の底にだって、ぜったい、君についていくよ」
・公益財団法人 日本高等学校死亡遊戯連盟
「過去に例のない危険な暑さで、人の健康に重大な被害が生じる恐れがある」のにもかかわらず「高校野球は開催される」という二つの事象をつなぎ合わせると、現在の日本で高校生デスゲーム甲子園が開催できるという理屈になる。
熱中症特別警戒アラートが出ていて運動が原則として中止になる過酷な環境下でも、高校生に激しい運動をさせていい社会的なコンセンサスが得られているのである。言い換えれば、熱中症程度の危険性に高校生を晒しても社会的には許容される。選手自身も同意の上で出場しているし、練習中に熱中症で死亡したり、怪我や故障で後遺症を負ってもスポーツにありがちなことである。
じゃあ全日本高校生デスゲーム甲子園が成立してもおかしくはない。
デスゲームで死んだり、後遺症が残ったり、未成年の命が絶たれても日本社会にとってはそんなことは些細な出来事に違いない。そんな理由から公益財団法人 日本高等学校死亡遊戯連盟が設立されたのである。
デスゲーム甲子園は日本人の自己責任論と他者への無関心、苦しんでいる若者を観たい、そんな彼らをコンテンツとして視聴率を稼ぎたいという様々な欲望と思惑が噛み合って、自然と日本社会に受け入れられてしまった。「デスゲームに懸ける青春」「前回の大会で仲間を守るために足を切断することになった部長(当時)の無念を晴らす!」などストーリー性を生み出しやすいなど、話題性には事欠かない。
デスゲームとは言われているが、実際には若者が友情と絆を育み、仲間たちと協力して困難を乗り越えていく競技である。その過程で運悪く選手が命を落としたり大けがを負ってしまうのは我々としても痛ましい事件と認識しており、様々な対策を講じている。その成果で連盟発足当初に比べると死亡者数は減少傾向にある。今後も高校デスゲーム児が安心して参加でき、日頃の練習の成果を最大限に発揮できるようなデスゲーム環境の整備に尽力していきたい。