おれは政治討論番組テディベアだっこシステムを提案している。
これは政策討論番組の出演者はみな、ゆったりとしたフリルの服を着て、みんなでくまさんやうさぎさんの抱き枕をぎゅっと抱きしめながら、政治討論をする。それがテディベアだっこシステムのコンセプトだ。無機質な配色のスタジオで、スーツなんていう窮屈な服を着て、デリケートな話題を扱うのは好ましくない。色彩心理学的に言えば、リラックス効果があるパステル色のお部屋が最適だ。かわいいぬいぐるみ、鎮静作用があるハーブティー、皆が一つのポテチ袋に手が届くような距離、間接照明。まんがタイムきららのパジャマパーティーを彷彿とさせる空間を準備することで、建設的な議論を促す。それが目的だ。(ただし出演者がおっさんであることが、このテディベア作戦の最大の難点であろう。)
禅バックアップ
これまでに外付けHDD三大体制で、撮りためた写真やデータ類のバックアップをしてきたが、いまだかつてない諸行無常感に取り憑かれている。データは壊れれば一発で死ぬ。デジタル機器はいつ壊れるかわからないので信用できない。この前、旅行中にデジカメのバッテリーが死んでしまった。
手入れをして十何年も使える鉄のフライパン以外に信じられるものが無い。最良のバックアップ方法について考えたところ、「そもそもバックアップしなければならないものを所有しなければ、何も失わずに済むのではないのか?」と思い至った。
これを禅バックアップと呼ぶ。
Linux死霊術(ネクロマンシー)
これからの人類社会を生き抜いていくために必要なことは、壊れたもの、使えなくなったもの、誰からも必要とされなくなったものを修復する技術だ。これは大量生産、大量消費、大量廃棄を是とする資本主義社会へのカウンターカルチャーである。
自分で作るか、それとも直すのか。壊れたからといって何の考えも無くものを買い換えるのは、企業の販売戦略に乗せられている従順な消費者の証である。このまま死ぬまで余計に働き、意味のないものを買い、壊れたら捨てて、また新しいものを買い、その金を工面するために馬車馬のごとく働き続ける。それが家畜化した消費者の悲惨な一生だ。
おれたちは幼い頃から消費者として調教された。本当に必要なものと、あおり立てられた欲望の区別ができなくなり、欲望に駆られて金を吐き出す。牛が乳を出し、鶏が卵を産み、豚が肉を差し出すために品種改良されたのと同じように、我々は使わなくていい金を使うように条件付けされてしまった。
スマートフォンを使っていると、コンテンツの合間に広告が挟まっているのか、広告を見せつけるためにコンテンツがあるのかわからなくなってくる。短いスパンでスマホを買い換え、人間関係を人質に取られ、フェイクニュースに晒され、ガチャに課金させられる。そのように高度情報社会は我々を調教した。
この消費社会から完全に脱却することが困難を極めるのだとしても、その影響からできる限り逃れることはできる。そう、Linuxがあればね!
一人称の使い分けについて。
・僕(おれ)が一人称を使い分けるのは、特に明確な理由があるのではない。その日の気分で、おれ、僕、私、あたい……などの一人称を使うので、あまり気にしないで欲しいのです。僕という一人称で語った方がマイルドになるときはそうするし、おれという表現の方がしっくりする場合にはそっちを使う。ですます調も、……だ、である口調も、その時の気分とテンションで使い分けることにしています。
ポッピンQ感想文
◆ポッピンQ感想文
・ポッピンQはお前が必要としているアニメ映画だ。
そしてポッピンQはお前を必要としている。
・2016年、アニメ映画界を席巻したのは「過去の話」だった。
希望を失った人間は現実と未来から逸らし、美しかった時代の幻影を追い続ける。『君の名は』と『シン・ゴジラ』はともに東日本大震災をモチーフにした演出や設定が多用された。第二次世界大戦中を舞台にした、『この世界の片隅に』。人は未来を見るビジョンを失った時に、過去に居場所を探す。昔は良かった。高度成長期は良かった。90年代は良かった。ゼロ年代は良かった。そういう思考回路に陥った人間を私たちは死人と呼ぶ。時間が止まり、過去以外にすがれるものがなくなった人間は死者と同じだ。
高度成長期、オリンピック、大阪万博、失われた過去を反芻するように、未来を見なくなって私たちは久しい。この先に描かれている未来も、これまでに起きた目覚ましい過去の焼き直しでしか無い。
その中で「神様、tell me tell me tell me 教えて。未来は僕たちに光をくれるの?」と切実に未来を求めているのがポッピンQだった。
日本人が物語を通して過去を見ている中で、ポッピンQだけが未来を見つめていた。それが2016年のアニメ映画シーンだった。
まぼろし人生帖
「もし欠点のない完全な人間になったら、そのときには人間ではなく神になってしまう」
昔の悪い習慣が残っている人が、ただ口先だけで教えることができるのなら、勝手に教えさせておけばいい……おそらく自分の言葉を恥じて、結局、教えているとおりに自分もするようになるかもしれないからだ。
the ladder of divine ascent 203p
『差し伸べられる手』,p8,ヘンリ・ナウエン
・ようじょ異世界
AIを使ってイラストに色を塗る謎の技術
AI着色ソフトを使って、モノクロで描いたイラストを簡易着色する謎技術の開発を行っている。
Maborotopia_bookmark
About
『プーは自分の両手をながめました。プーはこの二つの手のうち、どちらかが右手だということを知っていました。そして、どちらが右か、きまれば、もう片方は左だということも知っていました。けれども、いつもどっちからはじめていいのか、わからないのです。』
A・A・ミルン『プー横町にたった家』
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Maborotopia
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