- ・目醒めてすぐにネットにアクセスしない。
- ・最新情報にキャッチアップしない。=情報はなるべく、まとめて入手する。
- ・脊髄反射で感情的に反応しない。
- ・時事問題に反応して、良識的な反応をしない。
- ・アニメは完結したものを観る。
- ・まんが、小説などは一区切りがついたものか、完結したものを読む。
- ・PCパーツの細々としたスペックを調べない。
- ・手持ちぶさたなときにスマホやタブレットを開かない。本を読み進めるなどの別の習慣に矯正する。
- ・まとまった文章や記事を読む。=短文のSNSやコメントを見ない。
- ・コメント欄文化から逃れる。(SNS含む)
- ・タイムラインと一体化したサービスを使用しない。(RSSで個々にチェックする)
- ・受信ボックスやチェックしなければならないものは減らす。
- ・通知やFavなどの依存性のあるサービスを使用しない。
- ・余計なことをなるべく考えないようにする。
- ・自分の理想を外部に投影しない。
- ・「社会はこうあるべきだ」という観念をこじらせて、苦しまない。
- ・なにごとも満足するまで追求しない。腹八分目で切り抜ける。
- ・行動する前に、「自分はこの行動を通じてどのようなメリットが得られるのか? それとも失望するだけに終わるのか?」ということを客観的に考える。
- ・「乾きのサイクル」の中にいることを自覚する。(乾きのサイクル=ある行為を行えば行うほど、満足感ではなくて欲求不満が強くなっていくような状況)
- ・絶望していてもいいから、できる範囲でできることをやろう。
- ・性急に結果を求めない。(プロセスを重視する)
Tech日記
・Fluid motion
Ryzen Gシリーズには24fpsの動画を60fpsに補完してくれるFluid motionという機能がある。
これは静止画を高速でスライドさせる演出が多い映像と相性がいい。つまり低予算アニメとギャルゲーOPである。これまでは24~30fpsの壁に阻まれてガクガクしていた映像もFluid motionを使えばなめらかな映像になる。すごい! これ無しでもうアニメ観たくない!
・テクノロジー左翼日記。
テクノロジー左翼なのでオープンソースソフトウェアを中心に使う。
Google Playストアのアプリは広告まみれなので、心底嫌気がさしてしまった。androidで音声レコーダーをインストールしたのだが、基本的なツールにまで広告が表示される。Ad-Freeなアプリを探す方が難しい。この惨状を見て私は悟った。Googleは広告代理店で、androidは我々に広告を見せるために作り出されたOSだ。Googleのエコシステムにとどまる限り、広告から逃れられない。
F-droidでオープンソースソフトウェアをインストールすれば広告地獄からは逃れられるのだが、完全なオープンソースのスマートフォンにするのは茨の道だ。
脱GAFAのスマートフォンを作るのにも様々な流派がある。まず第一はGoogleと名の付くものであればすべて排除しようとする原理主義集団だ。android端末を便利に使うためにはGoogle開発者サービスが必要なのだが、そのインストールを拒絶してオープンソースソフトウェアのみを使う。
問題はGoogle開発者サービスなしで動くオープンソフトウェアは数少ないということだ。
たとえば堅牢なセキュリティで知られるProtonmailのandroid版はGoogle開発者サービスが無いと通知機能が働かなくなる(らしい)。Signalメッセンジャーも同様だ。それを避けるためにはXMPPやTutanotaなどのサービスに頼らなければならない。
最初は脱Google原理主義者として生きようと思ったが、挫折してしまった。LineageOSをROM焼きして、端末の保証は失われ、まっとうに生きている日本人なら聞いたことが無いようなサービスを使い、シェアの少ないメッセンジャーアプリを使う。使うSNSはdiaspora*とMastodonだ。
ここまでやると人間世界との接点を失ってしまう。「快適さを犠牲にしてでもオープンソースソフトウェアで統一しなければならない」と思い、イデオロギーを優先して現実の使い勝手を無視する。ゆがんだ共産主義理論を押しつけて国家に深い傷を残したクメール・ルージュみたいな危険思想OSであり、もはやテクノロジー極左だ。
第二の道は妥協だ。GAFAから完全に逃れるのではなく、中途半端に妥協してGAFAへの依存を減らすというものだ。AndroidはそのままでGoogleにもログインしている。代替サービスを上手に利用し、使い勝手とプライバシーのバランスを探る。これはテクノロジー中道左派である。
ひとくちに脱GAFAといっても様々な道があるのだが、にんげんは思想と実用性の間に折り合いを付けてなんとかやっていくしかないのよね……と思い知らされた。現実をそのまま受け入れるわけにはいかないが、思想が先鋭化すれば現実が犠牲になる。
ことのはアムリラート感想文
自分自身の尺度で相手の気持ちを勝手に推し量って、「つまり君が言いたいことはこういうことだよね?」という意見を押しつけるのはコミュニケーションでは無いよね。相手が何を訴えかけているのかに耳を貸さずに、自分が理解可能な鋳型に流し込む。日本語が過不足無く伝わることにあぐらを欠いて、異質な他者を理解したような錯覚に陥る。
普段使っている言葉が通じなくなるだけで、他者の異質さが浮き彫りになる。根本的に自分とは違った、何を考えているのか、本当に言葉の意味が伝わっているのかということを確かめられない他者と、意思疎通を図らなければならない。
純百合語学アドベンチャー『ことのはアムリラート』が私たちに提示するのは、コミュニケーションの切迫性だ。自分の喋った言葉が間違っていて致命的な過ちを犯すかもしれない。言葉を間違って解釈して相手を傷つけてしまうかもしれない。私が理解していることは根本的に間違っていて、偏見や印象によって相手を都合良く解釈しているだけなのかもしれない。
『聾の形 漫画・劇場版感想文』
・隠れ発達障害児マンガとしての『聾(こえ)の形』
週刊少年マガジンの漫画が生理的に苦手で読めない。
『このマンガのトラウマが酷い』の頂点に君臨するのは、悪い奴がドラッグでラリったおっさんに尿を飲ませるシーンだった。「喉が渇いたのなら、飲み物をあげますね〜」と言いながら、笑顔でジッパーを降ろして放尿する作品だ。その漫画が載っていた雑誌が少年マガジンだった。マゾ向けえろまんがを読むようになった今の自分なら、かつてのトラウマに立ち向かえそうな気がするのだがタイトルを思い出せない。
それで漫画版・聾の形についてだ。
障害者とのボーイ・ミーツ・ガールとの触れ込みで話題になった作品である。かたわ少女などの障害ヒロイン大好きっこである。この作品であれば週刊少年マガジントラウマを癒すことができるに違いない。そう思って手に取ってみたが、実際には隠れ発達障害児マンガだった。
この時点で一巻しか読んでいないのだが、これは聴覚障害者と健常者のストーリーには見えなかった。主人公の男の子が明らかに、未診断の隠れ発達障害児にしか見えない。割と重度なADHDっぽい挙動をしているし、親ならすぐに精神科に連れて行って知能検査を受けさせるレベルだ。
The Krita color palette of copic's 322 colors
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マジカル労基法少女 第24話 『リビングデッド・オブ・和夫マルクス』
「あたいはマジカル労基法少女。労働基準法が存在するアリ労基界から、人間が暮らすナシ労基界で修行を積むことになったの。改めて言葉にしてみると、ナシ労基界という言葉の響きは絶望的ね。マジカル労基法は、人々の働きたくない、定時で家に帰ってさっさと寝たいという強い願いから生み出される奇跡の魔法!
なにわ金融道顔をしている青木雄二の妖精と一緒に、今日もナシ労基界で労働絡みのトラブルを解決しちゃうぞ!
でも一つ問題があって、マジカル労基法を使うには、働きたくないという強い想いの力が無ければいけないの。実家暮らしで無職のおねーちゃん(ブラック企業に数年間働いて、身体も心もぼろぼろになっている。二週間に一回、精神科に通院している)のおうちでお世話になりながら、ちまたにはびこるブラック企業を社会的に抹殺しちゃうよ! マジカル・マルクス・エンゲルス!(※呪文) 長時間残業を強いる企業を、SNSで炎上させちゃえ!」
ポリケ
同人活動と政治活動には大して違いがない。まず同人活動は好きな作品やキャラを推す。政治活動は思想を広めようとする。同人サークルを作るのに対し、政治結社や党を結成する。自分の情熱がこもった同人誌を印刷して頒布する。政治思想を広めるべくガリ版で作った政治ビラをばらまく。公序良俗を乱すロリ絵が規制され、体制側に不都合な思想は弾圧される。同人誌即売会やデモ、集会が行われて人が集まる。
政治と同人活動にはこのような共通点があったために、政治のオタク化は驚くべきスムーズさで進んだ。
時は202*年。日本国民の政治リテラシーが急上昇し、人々は同人サークルを立ち上げるノリで政治サークルを作り、二次創作同人誌を作る勢いで政治ビラや自費出版本、その他諸々を印刷していた。
かつてラジオと電機部品の町だった秋葉原は、エロゲとアニメの町になった。そこに目をつけたのが自民党で、選挙のときには秋葉原で演説することで験担ぎを行う。そうしてアニメの町である秋葉原は政治の町に変貌した。
一年に二回、終戦記念日と正月付近にポリティカルマーケット、すなわちポリケが開催され、そこでおのれの政癖(せいへき)を注ぎ込んだ同人誌を配布する。
せいじタイムきらら
・まんがタイムきららの日常系アニメを観ているときの穏やかな気持ちを保ったまま、政治経済の話をしたかった話。
選挙シーズンがやってくると考えただけで吐き気を催すようになって久しい。野党のネガティブキャンペーンがはてなブックマークかTogetterのトップページに表示され始めたら、それが選挙シーズンの訪れを告げる合図だ。人々は互いに口汚い言葉をぶつけ合い、そこから距離を置きたいと思っても「ノンポリや中立的態度は黙認と同じだ!」と言われ、ニーメラーの警句が入る。
正気を保つ唯一の手段は、平和と相互的寛容の精神に満ちあふれた架空の政治まんが雑誌『せいじタイムきらら』を心の中で定期購読することだけだった。それはある種の狂気では無いのか?とも思うのだけれども、狂気は別の異なる狂気で中和するしか無い。
私に天使が舞い降りた!感想文
私に天使が舞い降りた!を観ていて、「人間は!人間の中でしか生きられない!」と叫んでいた。
狼少女は長い間人間の社会と関わっていなかったから、人間としての心や振る舞い、言葉を学ぶ機会が無かった。みゃー姉は他者との関わりを避けて生きてきたせいで、年相応の人間関係経験値が欠落している。精神年齢がほぼ小学生で、心の成長が止まっていた。それが花ちゃんたちと出逢うことによってこれまで止まっていたみゃー姉の時間が動き始めたように見えて、思わず泣いてしまった。アニメ感想文を読み返しているとしょっちゅう泣いているがこれは事実だ。涙腺が弱いんだ。
みゃー姉は危ない。自分一人でも充足できる空間の中に延々と引きこもれる。閉じた精神を持っている。その硬い外殻をこじ開けるのが花ちゃんであり、小学生への恋愛感情であり、おねロリ百合だ。