権力分散型社会としての民主主義

独裁政治と民主主義の対立ではなく「中央集権か分散型か?」という枠組みで社会を捉えたほうがいい。
インターネットではTwitterやFacebookといった中央集権型SNSへの反感が強くなり、サーバー分散型のSNSが生まれた。これはただテクノロジーだけの問題ではない。「権力は一極化するべきか? それとも分散したほうがいいのか?」という問題意識は現実の社会構造にも適用できる。
権力を集中させた方が意思決定の速度が上がるが、しくじったときの反動が大きい。権力を分散させると合議を形成しなければならなくなってスピード感が失われるが、致命的な失敗は避けられる。効率性とリスクヘッジを天秤にかけて、どちらがより自分たちのためになるのかを決定する。民主主義はすばらしいものではなくて、低リスク低リターンな組織の意思決定だ。それを支えているのは「アホに強大な権力を与えるとろくなことにはならない」という経験知だけだ。独裁で痛い目に遭った経験が忘れられてしまえば、民主主義はただの非効率的でスピード感を欠いた意思決定方法でしかなくなる。
民主主義社会にとっての危機は「独裁のデメリットを実感できなくなること」だ。戦後民主主義社会を支えていたのは理念ではなくて、「戦前の強権的な体制に比べればマシ」という皮膚感覚だった。それが失われたときに、「有能な人にエンパワーメントをして意思決定の速度を上げたほうが効率的ではないのか?」という発想が生まれる。リスクヘッジを重視するよりも、効率性や生産性に重きをおいた価値観が優勢になる。

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・ダンジョン道・不思議のダンジョンシリーズ

ダンジョン道はローグライクダンジョン・不思議のダンジョンシリーズへの愛から生まれたテキストだ。ローグライクはゲーム芸術である。たったひとつステータスを変えただけで全体のバランスが変化する精密機械のような構造をしている。
私はダンジョンについて語り始めるとちょっと普段より増しで気持ち悪くなってしまう。ダンジョンは芸術であり、人間の無意識領域へと足を踏み入れることと同義なのだ。

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・『亜人(デミ)ちゃんは語りたい!』、『放浪息子』、ホワイトリスト的寛容性、多数派の恩寵としての理解。

・『亜人(デミ)ちゃんは語りたい!』感想文というタイトルの人生が辛かった日記

 別に自慢でも何でも無いのだが、言語IQが116ぐらいで記号処理IQが127ぐらいある。高校を中退するときにも知能指数が120ぐらいあるから辞めるなと言われたのだけれども、簡易的な知能検査で計測できないジャンルが壊滅的に駄目だった。後に成人知能検査を受けたときに、聴覚から入ってきた情報を処理する機能が軽度知的障害すれすれで、短期記憶が弱いことが明らかになった。
 発達障害のひとは知能のバランスが悪いのだ。
 長時間座って人の話を聞いていなければならない授業が本当に駄目で、耳に入ってきたことがらが反対の耳からすり抜けていく感じがある。やる気が無いと言うよりも、脳の構造的に不可能だった。この世界が俺以外の正常な人間向けに作られているような気持ちにもなる。  でも聴覚では無くて視覚情報を中心にした勉強方法に切り替えたら良かったよ☆ 問題はそれをあと十年早く教えてもらえば良かったんだけど……。
 そんな感じのアンバランスな脳みそを持っているので、亜人(デミ)ちゃんは語りたい!を見ると涙が出てしまう。このまんがの世界はファンタジー障害者が適切に配慮されている。そのため、「亜人でもここまで人権が配慮されるというのなら、おれは何だ? 人外か? 非人間か?」……としばしの間、思い悩んでしまった。

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・アテンションの過剰消費でインターネットは回る。

・フラット化する情報とアテンションの過剰消費。
新聞の場合には直感的に情報の軽重を判断できる。情報が一面に載っているのか、三面なのか、大きさはどの程度か、文章は長いか短いかを指標にして情報のプライオリティがつけられている。雑誌なら特集記事やコラム、読者投稿欄、ニュース映像であればヘッドラインや速報などによって、重要な情報と些末な出来事をある程度区別できる。
一方、ネットでのニュースは見出ししか表示されないので、情報の軽重がフラットになってしまう。一面のトップニュースも三面記事と同じ扱いになり、数少ない指標がコメントやブックマークの数、SNSでバズっているかどうかぐらいしか重要性の指標がなくなる。
情報の軽重がフラットになると同時に、一覧性もなくなった。書籍であれは、目次やパラグラフの構成、見出しなどによって文章の構造を把握できる。がマイクロブログやSNSでは情報が細切れになってしまう構造上の欠陥を抱えていて、まとまった情報を得るためには、多大な労力を消費してしまう。
情報の総量は増えた。だが見出しもない。構造もない。重要性が高いかどうかもわからないフラットな情報が絶え間なく流れ続けている。 情報を得ることは簡単になったけれども、得た情報の価値を理解したり、全体像を俯瞰するのは逆に難しくなっている。
この構造は、人間のアテンションを過剰に消費する。
以前であれば、一週間か一ヶ月に一度、パッケージ化された情報をチェックすれば十分だったものが、いまではスマホやPCの前に張り付いて最新情報にキャッチアップしていかなければならなくなった。

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・政治BL漫画家・ソドム館山クロニクル

・この政治BL漫画家が酷い!2019! ソドム館山編

ソドム館山先生の新作BL同人誌『従軍慰安天皇3 マッカッサー陵辱編』を購入した。
第二次世界大戦では天皇制が諸悪の根源として語られることが多い。皇国史観に基づいた侵略戦争によって、日本国民だけでは無く東南アジア全体に災禍を広げだ。しかし、天皇制に翻弄されていたのは昭和天皇自身だったのではないのか?……というソドム館山先生の歴史観から紡ぎ出される渾身の一作。それが従軍慰安天皇シリーズだ。
私の心の中にはソドム館山先生というBL漫画家がいて、トランプ×安倍晋三だったり、プロレタリア×ブルジョア、天皇総受けの18禁ボーイズラブを鋭意執筆してしまうのでちょっと困ったことになっている。天皇もエンゲルス×マルクスも、政治に関わるものならあらゆるものを同性交尾させてしまうソドム館山先生である。政治的正しさも社会正義の欠片もない、ただただ政治家同士を混じり合わせたい!という歪んだ情念のみに支配されているのがぼくたちのソドム館山先生だ。
表現の自由が人を傷つけるのは知っているが、それでも政治BL漫画を描いてしまう。これまでに何度も筆を絶とうとしてきたソドム館山先生だが、気がついたら32ページ分の原稿ができあがっているのである。
ソドム館山先生が戦っているのは、日本の男色文化を闇に葬り去ろうとしている歴史修正主義者だ。女性は国家のために子供を産まなければならないというのは、富国強兵によって国力を増大させる必要性があったからだ。とうぜんのことながら生殖に関係の無い男色文化は明治政府によって抑圧された。
性に開放的だった日本文化と男色の歴史を再評価することで、現代のいびつなジェンダーバイアスに風穴を開ける。……という目的があったのかどうかは知らないが、ソドム館山先生は日本男色国紀を執筆して日本社会に挑戦状を叩き付けた。一部ではボーイズラブ火の鳥と呼ばれている日本男色国紀だが、百田尚樹を筆頭とする保守論壇と血みどろの殴り合いを繰り広げることは目に見えていた。
なんでこんなひどい文章をなかば自動筆記の勢いで、あたいは書き殴っているんだろうな……と、理性を取り戻したのでここで終わりにします。
次回!ソドム館山先生の『狙われた姦房長官・メスイキしているというご指摘はまったくあたらない』レビュー!

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女の子同士がキスすると妊娠する世界観の設定あれこれ

・概要

「女の子同士がキスして妊娠するようなオメガバースライクな百合が読みたいな-」と常々から思っているのだが、無いなら作るのがDIY精神だ。

  • この世界では女の子同士がキスすることで生殖活動が行われる。これを「経口生殖」と呼ぶ。
  • 男性の人類はすでに絶滅している。
  • ※この世界での奇妙な性癖はすべて「氷河期がもたらす厳しい環境に適応する必要があったから」のひとことで片付けられます。むずかしいことをかんがえちゃだめだよ。

伝えたいのはこの三点だけだが、設定を突き詰めると少し長くなってしまったので、順に記述していく。なお、**この世界観は著作権フリーのシェアワールドであり、勝手に設定を追加したり、何の断りもなく自作品の舞台にしてもいい。**なにか作品ができたらこっそり報告してね。

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